アグニの(かみ)
芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)


 ()()上海(しゃんはい)(ある)(まち)です。(ひる)でも薄暗(うすぐら)(ある)(いえ)()(かい)に、人相(にんそう)(わる)印度(いんど)(じん)(ばあ)さんが一人(ひとり)商人(しょうにん)らしい一人(ひとり)亜米利加(あめりか)(じん)(なに)(しきり)(はな)()っていました。
(じつ)今度(こんど)もお(ばあ)さんに、(うらな)いを(たの)みに()たのだがね、――」
 亜米利加(あめりか)(じん)はそう()いながら、(あたら)しい巻煙草(まきたばこ)()をつけました。
(うらな)いですか? (うらな)いは当分(とうぶん)()ないことにしましたよ」
 (ばあ)さんは(あざけ)るように、じろりと相手(あいて)(かお)()ました。
「この(ころ)折角(せっかく)()()げても、御礼(おれい)さえ(ろく)にしない(ひと)が、(おお)くなって()ましたからね」
「そりゃ勿論(もちろん)御礼(おれい)をするよ」
 亜米利加(あめりか)(じん)()しげもなく、三百(さんひゃく)(どる)小切手(こぎって)(いち)(まい)(ばあ)さんの(まえ)()げてやりました。
(さし)(あた)りこれだけ()って()くさ。もしお(ばあ)さんの(うらな)いが(あた)れば、その(とき)(べつ)御礼(おれい)をするから、――」
 (ばあ)さんは三百(さんひゃく)(どる)小切手(こぎって)()ると、(きゅう)愛想(あいそ)がよくなりました。
「こんなに沢山(たくさん)(いただ)いては、(かえ)って()()(どく)ですね。――そうして一体(いったい)(また)あなたは、(なに)(うらな)ってくれろとおっしゃるんです?」
(わたし)()(もら)いたいのは、――」
 亜米利加(あめりか)(じん)煙草(たばこ)(くわ)えたなり、狡猾(こうかつ)そうな微笑(びしょう)(うか)べました。
一体(いったい)(にち)(べい)戦争(せんそう)はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれば、我々(われわれ)商人(しょうにん)(たちま)ちの(うち)に、(おお)金儲(かねもう)けが出来(でき)るからね」
「じゃ明日(あした)いらっしゃい。それまでに(うらな)って()いて()げますから」
「そうか。じゃ間違(まちが)いのないように、――」
 印度(いんど)(じん)(ばあ)さんは、得意(とくい)そうに(むね)()らせました。
(わたし)(うらな)いは五十(ごじゅう)年来(ねんらい)(いち)()(はず)れたことはないのですよ。(なに)しろ(わたし)のはアグニの(かみ)が、()自身(じしん)()()げをなさるのですからね」
 亜米利加(あめりか)(じん)(かえ)ってしまうと、(ばあ)さんは(つぎ)()戸口(とぐち)(おこな)って、
(けい)(れん)(けい)(れん)」と()()てました。
 その(こえ)(おう)じて()()たのは、(うつく)しい支那(しな)(じん)(おんな)()です。が、(なに)苦労(くろう)でもあるのか、この(おんな)()(した)ぶくれの(ほお)は、まるで(ろう)のような(いろ)をしていました。
(なに)愚図(ぐず)々々しているんだえ? ほんとうにお(まえ)(くらい)、ずうずうしい(おんな)はありゃしないよ。きっと(また)台所(だいどころ)()(ねむ)りか(なに)かしていたんだろう?」
 恵蓮(けいれん)はいくら(しか)られても、じっと(うつ)()いたまま(だま)っていました。
「よくお()きよ。今夜(こんや)(ひさ)しぶりにアグニの(かみ)へ、()(うかが)いを()てるんだからね、そのつもりでいるんだよ」
 (おんな)()はまっ(くろ)(ばあ)さんの(かお)へ、(かな)しそうな()()げました。
今夜(こんや)ですか?」
今夜(こんや)十二(じゅうに)()()いかえ? (わす)れちゃいけないよ」
 印度(いんど)(じん)(ばあ)さんは、(おど)すように(ゆび)()げました。
(また)(まえ)がこの(あいだ)のように、(わたし)世話(せわ)ばかり()かせると、今度(こんど)こそお(まえ)(いのち)はないよ。お(まえ)なんぞは(ころ)そうと(おも)えば、(ひな)()(くび)()めるより――」
 こう()いかけた(ばあ)さんは、(きゅう)(かお)をしかめました。ふと相手(あいて)()がついて()ると、恵蓮(けいれん)はいつか窓際(まどぎわ)()って、丁度(ちょうど)()いていた硝子(がらす)(まど)から、(さび)しい往来(おうらい)(なが)めているのです。
(なに)()ているんだえ?」
 恵蓮(けいれん)(いよいよ)(いろ)(うしな)って、もう一度(いちど)(ばあ)さんの(かお)見上(みあ)げました。
「よし、よし、そう(わたし)莫迦(ばか)にするんなら、まだお(まえ)(いた)()()()りないんだろう」
 (ばあ)さんは()(おこ)らせながら、そこにあった(ほうき)をふり()げました。
 丁度(ちょうど)その途端(とたん)です。(だれ)(がい)()たと()えて、()(たた)(おと)が、突然(とつぜん)荒々(あらあら)しく(きこ)(はじ)めました。


 その()のかれこれ(おな)時刻(じこく)に、この(いえ)(そと)(とお)りかかった、(とし)(わか)一人(ひとり)日本人(にっぽんじん)があります。それがどう(おも)ったのか、()(かい)(まど)から(かお)()した支那(しな)(じん)(おんな)()一目(ひとめ)()ると、しばらくは呆気(あっけ)にとられたように、ぼんやり()ちすくんでしまいました。
 そこへ(また)(とお)りかかったのは、(とし)をとった支那(しな)(じん)人力車(じんりきしゃ)()です。
「おい。おい。あの()(かい)(だれ)()んでいるか、お(まえ)()っていないかね?」
 日本人(にっぽんじん)はその人力車(じんりきしゃ)()へ、いきなりこう()いかけました。支那(しな)(じん)(かじ)(ぼう)(にぎ)ったまま、(たか)()(かい)見上(みあ)げましたが、「あすこですか? あすこには、(なに)とかいう印度(いんど)(じん)(ばあ)さんが()んでいます」と、気味悪(きみわる)そうに返事(へんじ)をすると、匆々(そうそう)()きそうにするのです。
「まあ、()ってくれ。そうしてその(ばあ)さんは、(なに)商売(しょうばい)にしているんだ?」
(うらな)(しゃ)です。が、この近所(きんじょ)(うわさ)じゃ、(なに)でも魔法(まほう)さえ使(つか)うそうです。まあ、(いのち)大事(だいじ)だったら、あの(ばあ)さんの(ところ)なぞへは()かない(ほう)()いようですよ」
 支那(しな)(じん)車夫(しゃふ)(おこな)ってしまってから、日本人(にっぽんじん)(うで)()んで、(なに)(かんが)えているようでしたが、やがて決心(けっしん)でもついたのか、さっさとその(いえ)(なか)へはいって()きました。すると突然(とつぜん)(きこ)えて()たのは、(ばあ)さんの(ののし)(こえ)()った、支那(しな)(じん)(おんな)()()(ごえ)です。日本人(にっぽんじん)はその(こえ)()くが(はや)いか、(ひと)(また)二三(にさん)(だん)ずつ、薄暗(うすぐら)梯子(はしご)()(のぼ)りました。そうして(ばあ)さんの部屋(へや)()(ちから)(いっ)ぱい(たた)()しました。
 ()()ぐに(ひら)きました。が、日本人(にっぽんじん)(ちゅう)へはいって()ると、そこには印度(いんど)(じん)(ばあ)さんがたった(ひと)()()っているばかり、もう支那(しな)(じん)(おんな)()は、(つぎ)()へでも(かく)れたのか、(かげ)(かたち)見当(みあた)りません。
(なに)御用(ごよう)ですか?」
 (ばあ)さんはさも(うたが)わしそうに、じろじろ相手(あいて)(かお)()ました。
「お(まえ)さんは(うらな)(しゃ)だろう?」
 日本人(にっぽんじん)(うで)()んだまま、(ばあ)さんの(かお)(にら)(かえ)しました。
「そうです」
「じゃ(わたし)(よう)なぞは、()かなくてもわかっているじゃないか? (わたし)(ひと)つお(まえ)さんの(うらな)いを()(もら)いにやって()たんだ」
(なに)()()げるんですえ?」
 (ばあ)さんは(ますます)(うたが)わしそうに、日本人(にっぽんじん)容子(ようす)(うかが)っていました。
(わたし)主人(しゅじん)()(じょう)さんが、去年(きょねん)(はる)行方(ゆくえ)()れずになった。それを(ひと)()(もら)いたいんだが、――」
 日本人(にっぽんじん)一句(いっく)一句(いっく)(ちから)()れて()うのです。
(わたし)主人(しゅじん)香港(ほんこん)日本(にっぽん)領事(りょうじ)だ。()(じょう)さんの()妙子(たえこ)さんとおっしゃる。(わたし)遠藤(えんどう)という書生(しょせい)だが――どうだね? その()(じょう)さんはどこにいらっしゃる」
 遠藤(えんどう)はこう()いながら、上衣(うわぎ)(かく)しに()()れると、(いち)(てい)のピストルを()()しました。
「この近所(きんじょ)にいらっしゃりはしないか? 香港(ほんこん)警察(けいさつ)(しょ)調(しら)べた(ところ)じゃ、()(じょう)さんを(さら)ったのは、印度(いんど)(じん)らしいということだったが、――(かく)()てをすると(ため)にならんぞ」
 しかし印度(いんど)(じん)(ばあ)さんは、(すこ)しも(こわ)がる気色(きしょく)()えません。()えないどころか(くちびる)には、()って(ひと)莫迦(ばか)にしたような微笑(びしょう)さえ(うか)べているのです。
「お(まえ)さんは(なに)()うんだえ? (わたし)はそんな()(じょう)さんなんぞは、(かお)()たこともありゃしないよ」
(うそ)をつけ。(いま)その(まど)から(そと)()ていたのは、(たしか)()(じょう)さんの妙子(たえこ)さんだ」
 遠藤(えんどう)片手(かたて)にピストルを(にぎ)ったまま、片手(かたて)(つぎ)()戸口(とぐち)(ゆび)さしました。
「それでもまだ剛情(ごうじょう)()るんなら、あすこにいる支那(しな)(じん)をつれて()い」
「あれは(わたし)(もら)()だよ」
 (ばあ)さんはやはり(あざけ)るように、にやにや(ひと)(わら)っているのです。
(もら)()(もら)()でないか、一目(ひとめ)()りゃわかることだ。貴様(きさま)がつれて()なければ、おれがあすこへ(おこな)って()る」
 遠藤(えんどう)(つぎ)()()みこもうとすると、咄嗟(とっさ)印度(いんど)(じん)(ばあ)さんは、その戸口(とぐち)()(ふさ)がりました。
「ここは(わたし)(いえ)だよ。()(しら)らずのお(まえ)さんなんぞに、(おく)へはいられてたまるものか」
退(しりぞ)け。退(しりぞ)かないと()(ころ)すぞ」
 遠藤(えんどう)はピストルを()げました。いや、()げようとしたのです。が、その拍子(ひょうし)(ばあ)さんが、(からす)()くような(こえ)()てたかと(おも)うと、まるで電気(でんき)()たれたように、ピストルは()から()ちてしまいました。これには(いさ)()った遠藤(えんどう)も、さすがに(きも)をひしがれたのでしょう、ちょいとの(あいだ)不思議(ふしぎ)そうに、あたりを見廻(みまわ)していましたが、(たちま)(また)勇気(ゆうき)をとり(なお)すと、
魔法使(まほうつかい)め」と(ののし)りながら、(とら)のように(ばあ)さんへ()びかかりました。
 が、(ばあ)さんもさるものです。ひらりと()(かわ)すが(はや)いか、そこにあった(ほうき)をとって、(また)(つか)みかかろうとする遠藤(えんどう)(かお)へ、(ゆか)(うえ)五味(ごみ)()きかけました。すると、その五味(ごみ)(かい)火花(ひばな)になって、()といわず、(くち)といわず、ばらばらと遠藤(えんどう)(かお)()きつくのです。
 遠藤(えんどう)はとうとうたまり()ねて、火花(ひばな)旋風(つむじかぜ)()われながら、(ころ)げるように(そと)()()しました。


 その(よる)十二(じゅうに)()(ちか)時分(じぶん)遠藤(えんどう)(ひと)(ばあ)さんの(いえ)(まえ)にたたずみながら、()(かい)硝子(がらす)(まど)(うつ)火影(ほかげ)口惜(くちお)しそうに()つめていました。
折角(せっかく)()(じょう)さんの()りかをつきとめながら、とり(もど)すことが出来(でき)ないのは残念(ざんねん)だな。いっそ警察(けいさつ)(うった)えようか? いや、いや、支那(しな)警察(けいさつ)()ぬるいことは、香港(ほんこん)でもう()()りしている。万一(まんいち)今度(こんど)()げられたら、(また)(さが)すのが一苦労(ひとくろう)だ。といってあの魔法使(まほうつかい)には、ピストルさえ(やく)()たないし、――」
 遠藤(えんどう)がそんなことを(かんが)えていると、突然(とつぜん)(たか)()(かい)(まど)から、ひらひら()ちて()紙切(かみき)れがあります。
「おや、紙切(かみき)れが()ちて()たが、――もしや()(じょう)さんの手紙(てがみ)じゃないか?」
 こう(つぶや)いた遠藤(えんどう)は、その紙切(かみき)れを、(ひろ)()げながらそっと(かく)した懐中(かいちゅう)電燈(でんとう)()して、まん(まる)(ひかり)()らして()ました。すると(はた)して紙切(かみき)れの(うえ)には、妙子(たえこ)()いたのに(ちが)いない、()えそうな鉛筆(えんぴつ)(あと)があります。

遠藤(えんどう)サン。コノ(いえ)ノオ(ばあ)サンハ、(おそれ)シイ魔法使(まほうつかい)デス。時々(ときどき)真夜中(まよなか)(わたし)(からだ)ヘ、『アグニ』トイウ印度(いんど)(かみ)(じょう)(うつり)ラセマス。(わたし)ハソノ(しん)(じょう)(うつり)ッテイル(かん)(ちゅう)()ンダヨウニナッテイルノデス。デスカラドンナ(ごと)(おこし)ルカ()リマセンガ、(なに)デモオ(ばあ)サンノ(はなし)デハ、『アグニ』ノ(かみ)(わたし)(くち)()リテ、イロイロ予言(よげん)ヲスルノダソウデス。今夜(こんや)十二(じゅうに)()ニハオ(ばば)サンガ(また)『アグニ』ノ(かみ)()(うつり)ラセマス。イツモダト(わたし)()ラズ()ラズ、()(とお)クナッテシマウノデスガ、今夜(こんや)ハソウナラナイ(うち)ニ、ワザト魔法(まほう)ニカカッタ真似(まね)ヲシマス。ソウシテ(わたし)ヲオ父様(とうさま)(ところ)(かえ)サナイト『アグニ』ノ(かみ)ガオ(ばあ)サンノ(いのち)ヲトルト()ッテヤリマス。オ(ばあ)サンハ(なに)ヨリモ『アグニ』ノ(かみ)(こわ)イノデスカラ、ソレヲ()ケバキット(わたし)(かえ)スダロウト(おも)イマス。ドウカ明日(あした)(あさ)モウ(いち)()、オ(ばあ)サンノ(ところ)()(くだ)サイ。コノ計略(けいりゃく)(ほか)ニハオ(ばあ)サンノ()カラ、()()スミチハアリマセン。サヨウナラ」

 遠藤(えんどう)手紙(てがみ)()(おわ)ると、懐中時計(かいちゅうどけい)()して()ました。時計(とけい)十二(じゅうに)()()(ふん)(まえ)です。
「もうそろそろ時刻(じこく)になるな、相手(あいて)はあんな魔法使(まほうつかい)だし、()(じょう)さんはまだ子供(こども)だから、余程(よほど)(うん)()くないと、――」
 遠藤(えんどう)言葉(ことば)(おわ)らない(うち)に、もう魔法(まほう)(はじ)まるのでしょう。(いま)まで(あか)るかった()(かい)(まど)は、(きゅう)にまっ(くら)になってしまいました。と同時(どうじ)不思議(ふしぎ)(こう)(におい)が、(まち)敷石(しきいし)にも()みる(ほど)、どこからか(しずか)(ただよ)って()ました。


 その(とき)あの印度(いんど)(じん)(ばあ)さんは、ランプを()した()(かい)部屋(へや)(つくえ)に、魔法(まほう)書物(しょもつ)(ひろ)げながら、(しきり)呪文(じゅもん)(とな)えていました。書物(しょもつ)香炉(こうろ)()(ひかり)に、(くら)(なか)でも文字(もじ)だけは、ぼんやり()(あが)らせているのです。
 (ばあ)さんの(まえ)には心配(しんぱい)そうな恵蓮(けいれん)が、――いや、支那(しな)(ふく)()せられた妙子(たえこ)が、じっと椅子(いす)(すわ)っていました。さっき(まど)から(おと)した手紙(てがみ)は、無事(ぶじ)遠藤(えんどう)さんの()へはいったであろうか? あの(とき)往来(おうらい)にいた人影(ひとかげ)は、(たしか)遠藤(えんどう)さんだと(おも)ったが、もしや人違(ひとちが)いではなかったであろうか?――そう(おも)うと妙子(たえこ)は、いても()ってもいられないような()がして()ます。しかし(いま)うっかりそんな()ぶりが、(ばあ)さんの()にでも()まったが最後(さいご)、この(おそろ)しい魔法使(まほうつか)いの(いえ)から、()()そうという計略(けいりゃく)は、すぐに見破(みやぶ)られてしまうでしょう。ですから妙子(たえこ)一生懸命(いっしょうけんめい)に、(ふる)える両手(りょうて)()(あわ)せながら、かねてたくんで()いた(とお)り、アグニの(かみ)()(うつ)ったように、()せかける(とき)(ちか)づくのを(いま)(いま)かと()っていました。
 (ばあ)さんは呪文(じゅもん)(とな)えてしまうと、今度(こんど)妙子(たえこ)をめぐりながら、いろいろな()ぶりをし(はじ)めました。(ある)(とき)(まえ)()ったまま、両手(りょうて)左右(さゆう)()げて()せたり、(また)(ある)(とき)(うしろ)()て、まるで()かくしでもするように、そっと妙子(たえこ)(ひたい)(うえ)()をかざしたりするのです。もしこの(とき)部屋(へや)(そと)から、(だれ)(ばあ)さんの容子(ようす)()ていたとすれば、それはきっと(おお)きな蝙蝠(こうもり)(なに)かが、蒼白(あおじろ)香炉(こうろ)()(ひかり)(なか)に、()びまわってでもいるように()えたでしょう。
 その(うち)妙子(たえこ)はいつものように、だんだん(ねむ)()がきざして()ました。が、ここで(ねむ)ってしまっては、折角(せっかく)計略(けいりゃく)にかけることも、出来(でき)なくなってしまう道理(どうり)です。そうしてこれが出来(でき)なければ、勿論(もちろん)二度(にど)とお(とう)さんの(ところ)へも、(かえ)れなくなるのに(ちが)いありません。
日本(にっぽん)神々(かみがみ)(さま)、どうか(わたし)(ねむ)らないように、()(まも)りなすって(くだ)さいまし。その(かわ)(わたし)はもう一度(いちど)、たとい一目(ひとめ)でもお(とう)さんの()(かお)()ることが出来(でき)たなら、すぐに()んでもよろしゅうございます。日本(にっぽん)神々(かみがみ)(さま)、どうかお(ばあ)さんを(だま)せるように、()(ちから)()()(くだ)さいまし」
 妙子(たえこ)(なん)()(こころ)(なか)に、熱心(ねっしん)(いの)りを(つづ)けました。しかし(ねむ)()はおいおいと、(つよ)くなって()るばかりです。と同時(どうじ)妙子(たえこ)(みみ)には、丁度(ちょうど)銅鑼(どら)でも()らすような、得体(えたい)()れない音楽(おんがく)(こえ)が、かすかに(つた)わり(はじ)めました。これはいつでもアグニの(かみ)が、(そら)から()りて()(とき)に、きっと(きこ)える(こえ)なのです。
 もうこうなってはいくら我慢(がまん)しても、(ねむ)らずにいることは出来(でき)ません。(げん)()(まえ)香炉(こうろ)()や、印度(いんど)(じん)(ばあ)さんの姿(すがた)でさえ、気味(きみ)(わる)(ゆめ)(うす)れるように、()()()()せてしまうのです。
「アグニの(かみ)、アグニの(かみ)、どうか(わたし)(もう)すことを()()()(くだ)さいまし」
 やがてあの魔法使(まほうつか)いが、(ゆか)(うえ)にひれ()したまま、()れた(こえ)()げた(とき)には、妙子(たえこ)椅子(いす)(すわ)りながら、(ほとん)生死(せいし)()らないように、いつかもうぐっすり寝入(ねい)っていました。


 妙子(たえこ)勿論(もちろん)(ばあ)さんも、この魔法(まほう)使(つか)(ところ)は、(だれ)()にも()れないと、(おも)っていたのに(ちが)いありません。しかし実際(じっさい)部屋(へや)(そと)に、もう一人(ひとり)()鍵穴(かぎあな)から、(のぞ)いている(おとこ)があったのです。それは一体(いったい)(だれ)でしょうか?――()うまでもなく、書生(しょせい)遠藤(えんどう)です。
 遠藤(えんどう)妙子(たえこ)手紙(てがみ)()てから、一時(いちじ)往来(おうらい)()ったなり、夜明(よあ)けを()とうかとも(おも)いました。が、お(じょう)さんの()(うえ)(おも)うと、どうしてもじっとしてはいられません。そこでとうとう盗人(ぬすっと)のように、そっと(いえ)(なか)(しの)びこむと、早速(さっそく)この()(かい)戸口(とぐち)()て、さっきから()()をしていたのです。
 しかし()()をすると()っても、(なに)しろ鍵穴(かぎあな)(のぞ)くのですから、蒼白(あおじろ)香炉(こうろ)()(ひかり)()びた、死人(しにん)のような妙子(たえこ)(かお)が、やっと正面(しょうめん)()えるだけです。その(ほか)(つくえ)も、魔法(まほう)書物(しょもつ)も、(ゆか)にひれ()した(ばあ)さんの姿(すがた)も、まるで遠藤(えんどう)()にははいりません。しかし(しわが)れた(ばあ)さんの(こえ)は、()にとるようにはっきり(きこ)えました。
「アグニの(かみ)、アグニの(かみ)、どうか(わたし)(もう)すことを()()()(くだ)さいまし」
 (ばあ)さんがこう()ったと(おも)うと、(いき)もしないように(すわ)っていた妙子(たえこ)は、やはり()をつぶったまま、突然(とつぜん)(くち)()(はじ)めました。しかもその(こえ)がどうしても、妙子(たえこ)のような少女(しょうじょ)とは(おも)われない、荒々(あらあら)しい(おとこ)(こえ)なのです。
「いや、おれはお(まえ)(ねが)いなぞは()かない。お(まえ)はおれの()いつけに(そむ)いて、いつも悪事(あくじ)ばかり(はたら)いて()た。おれはもう今夜(こんや)(かぎ)り、お(まえ)見捨(みす)てようと(おも)っている。いや、その(うえ)悪事(あくじ)(ばち)(くだ)してやろうと(おも)っている」
 (ばあ)さんは呆気(あっけ)にとられたのでしょう。(しばら)くは(なん)とも(こた)えずに、(あえ)ぐような(こえ)ばかり()てていました。が、妙子(たえこ)(ばあ)さんに頓着(とんじゃく)せず、おごそかに(はな)(つづ)けるのです。
「お(まえ)(あわ)れな父親(ちちおや)()から、この(おんな)()(ぬす)んで()た。もし(いのち)()しかったら、明日(あした)とも()わず今夜(こんや)(うち)に、早速(さっそく)この(おんな)()(かえ)すが()い」
 遠藤(えんどう)鍵穴(かぎあな)()()てたまま、(ばあ)さんの(こたえ)()っていました。すると(ばあ)さんは(おどろ)きでもするかと(おも)いの(ほか)憎々(にくにく)しい(わら)(ごえ)()らしながら、(きゅう)妙子(たえこ)(まえ)()()ちました。
(ひと)莫迦(ばか)にするのも、()加減(かげん)におし。お(まえ)(わたし)(なん)だと(おも)っているのだえ。(わたし)はまだお(まえ)(だま)される(ほど)耄碌(もうろく)はしていない心算(つもり)だよ。早速(さっそく)(まえ)父親(ちちおや)(かえ)せ――警察(けいさつ)()役人(やくにん)じゃあるまいし、アグニの(かみ)がそんなことを()()いつけになってたまるものか」
 (ばあ)さんはどこからとり()したか、()をつぶった妙子(たえこ)(かお)(さき)へ、(いち)(ちょう)のナイフを()きつけました。
「さあ、正直(しょうじき)白状(はくじょう)おし。お(まえ)勿体(もったい)なくもアグニの(かみ)の、声色(こわいろ)使(つか)っているのだろう」
 さっきから容子(ようす)(うかが)っていても、妙子(たえこ)実際(じっさい)(ねむ)っていることは、勿論(もちろん)遠藤(えんどう)にはわかりません。ですから遠藤(えんどう)はこれを()ると、さては計略(けいりゃく)露顕(ろけん)したかと(おも)わず(むね)(おど)らせました。が、妙子(たえこ)(あい)(かわ)らず目蓋(まぶた)(ひと)(うご)かさず、嘲笑(あざわら)うように(こた)えるのです。
「お(まえ)()(どき)(ちか)づいたな。おれの(こえ)がお(まえ)には人間(にんげん)(こえ)(きこ)えるのか。おれの(こえ)(ひく)くとも、天上(てんじょう)()える(ほのお)(こえ)だ。それがお(まえ)にはわからないのか。わからなければ、勝手(かって)にするが()い。おれは(ただ)(まえ)(たず)ねるのだ。すぐにこの(おんな)()(おく)(かえ)すか、それともおれの()いつけに(そむ)くか――」
 (ばあ)さんはちょいとためらったようです。が、(たちま)勇気(ゆうき)をとり(なお)すと、片手(かたて)にナイフを(にぎ)りながら、片手(かたて)妙子(たえこ)襟髪(えりがみ)(つか)んで、ずるずる()もとへ()()せました。
「この阿魔(あま)め。まだ(ごうじょう)()()だな。よし、よし、それなら約束(やくそく)(どお)り、(ひと)(おも)いに(いのち)をとってやるぞ」
 (ばあ)さんはナイフを()()げました。もう(いっ)分間(ぷんかん)(おく)れても、妙子(たえこ)(いのち)はなくなります。遠藤(えんどう)咄嗟(とっさ)()(おこ)すと、(じょう)のかかった入口(いりぐち)()無理無体(むりむたい)()けようとしました。が、()容易(ようい)(やぶ)れません。いくら()しても、(たた)いても、()(かわ)()()けるばかりです。


 その(うち)部屋(へや)(なか)からは、(だれ)かのわっと(さけ)(こえ)が、突然(とつぜん)(くら)やみに(ひび)きました。それから(ひと)(ゆか)(うえ)へ、(たお)れる(おと)(きこ)えたようです。遠藤(えんどう)(ほとん)気違(きちが)いのように、妙子(たえこ)名前(なまえ)()びかけながら、全身(ぜんしん)(ちから)(かた)(あつ)めて、(なん)()入口(いりぐち)()へぶつかりました。
 (いた)()ける(おと)(じょう)のはね()(おと)、――()はとうとう(やぶ)れました。しかし肝腎(かんじん)部屋(へや)(なか)は、まだ香炉(こうろ)蒼白(あおじろ)()がめらめら()えているばかり、人気(ひとけ)のないようにしんとしています。
 遠藤(えんどう)はその(ひかり)便(たよ)りに、()()ずあたりを見廻(みまわ)しました。
 するとすぐに()にはいったのは、やはりじっと椅子(いす)にかけた、死人(しにん)のような妙子(たえこ)です。それが何故(なぜ)遠藤(えんどう)には、(あたま)毫光(ごこう)でもかかっているように、(おごそ)かな(かん)じを(おこ)させました。
()(じょう)さん、()(じょう)さん」
 遠藤(えんどう)椅子(いす)()くと、妙子(たえこ)(みみ)もとへ(くち)をつけて、一生懸命(いっしょうけんめい)(さけ)()てました。が、妙子(たえこ)()をつぶったなり、(なん)とも(くち)(ひら)きません。
()(じょう)さん。しっかりおしなさい。遠藤(えんどう)です」
 妙子(たえこ)はやっと(ゆめ)がさめたように、かすかな()(ひら)きました。
遠藤(えんどう)さん?」
「そうです。遠藤(えんどう)です。もう大丈夫(だいじょうぶ)ですから、()安心(あんしん)なさい。さあ、(はや)()げましょう」
 妙子(たえこ)はまだ夢現(ゆめうつつ)のように、弱々(よわよわ)しい(こえ)()しました。
計略(けいりゃく)駄目(だめ)だったわ。つい(わたし)(ねむ)ってしまったものだから、――堪忍(かんにん)して頂戴(ちょうだい)よ」
計略(けいりゃく)露顕(ろけん)したのは、あなたのせいじゃありませんよ。あなたは(わたし)約束(やくそく)した(とお)り、アグニの(かみ)(かか)った真似(まね)をやり(おお)せたじゃありませんか?――そんなことはどうでも()いことです。さあ、(はや)()()げなさい」
 遠藤(えんどう)はもどかしそうに、椅子(いす)から妙子(たえこ)()(おこ)しました。
「あら、(うそ)(わたし)(ねむ)ってしまったのですもの。どんなことを()ったか、()りはしないわ」
 妙子(たえこ)遠藤(えんどう)(むね)(もた)れながら、(つぶや)くようにこう()いました。
計略(けいりゃく)駄目(だめ)だったわ。とても(わたし)()げられなくってよ」
「そんなことがあるものですか。(わたし)(いっ)しょにいらっしゃい。今度(こんど)しくじったら大変(たいへん)です」
「だってお(ばあ)さんがいるでしょう?」
「お(ばあ)さん?」
 遠藤(えんどう)はもう一度(いちど)部屋(へや)(なか)見廻(みまわ)しました。(つくえ)(うえ)にはさっきの(とお)り、魔法(まほう)書物(しょもつ)(ひら)いてある、――その(した)仰向(あおむ)きに(たお)れているのは、あの印度(いんど)(じん)(ばあ)さんです。(ばあ)さんは意外(いがい)にも自分(じぶん)(むね)へ、自分(じぶん)のナイフを()()てたまま、()だまりの(なか)()んでいました。
「お(ばあ)さんはどうして?」
()んでいます」
 妙子(たえこ)遠藤(えんどう)見上(みあ)げながら、(うつく)しい(まゆ)をひそめました。
(わたし)、ちっとも()らなかったわ。お(ばあ)さんは遠藤(えんどう)さんが――あなたが(ころ)してしまったの?」
 遠藤(えんどう)(ばあ)さんの屍骸(しがい)から、妙子(たえこ)(かお)()をやりました。今夜(こんや)計略(けいりゃく)失敗(しっぱい)したことが、――しかしその(ため)(ばあ)さんも()ねば、妙子(たえこ)無事(ぶじ)()(かえ)せたことが、――運命(うんめい)(ちから)不思議(ふしぎ)なことが、やっと遠藤(えんどう)にもわかったのは、この瞬間(しゅんかん)だったのです。
(わたし)(ころ)したのじゃありません。あの(ばあ)さんを(ころ)したのは今夜(こんや)ここへ()たアグニの(かみ)です」
 遠藤(えんどう)妙子(たえこ)(かか)えたまま、おごそかにこう(ささや)きました。

あけたままのまど
サキ
中西なかにし秀男ひでおやく

伯母おばはすぐ下りお てまいります、ミスター・ナテル。失礼しつれいですがそれまでわたくしがお相手あいていたしますわ」
と、はらった若いわか女性じょせいがいった。じつ十五じゅうごさいである。
 フラムトン・ナテルはなんとかうまい挨拶あいさつはないかとしきりにかんがえた。いままえにいるめいだという女性じょせいをほどよくもちげ、しかもやがてあらわれる伯母おばさんをあまりけなすことにならない挨拶あいさつでないとまずい。神経しんけいやすめるためということでこの土地とちているのだが、こうあらたまってまったくの他人たにんばかりつぎつぎたずねてまわるのがいったい休養きゅうようになるかどうか、かれこころなかでなんべんも疑問ぎもんおもった。
「どんなことになるかわかりきってるわ」
と、かれがこの田舎いなかうつってくる準備じゅんびをしているときあねがいったものだ。
「きっとそのむらへもぐりこんだきりきた人間にんげんとはくちもきかず、年中ねんじゅうふさぎこんでいて結局けっきょくいちだんとわるくなるぐらいのものよ。だからあのむら全部ぜんぶ紹介しょうかいじょういてあげるわ。おぼえてるけどなかにはとてもいいひといくにんもあってよ」
 その紹介しょうかいじょういっ つうもって今日きょうこうして訪ねたず てきたミセス・サプルトンというひとは、たしてその「とてもいいひと」の部類ぶるいはいるのかな、とフラムトンはかんがえた。
「このむらにおいがいくらもいらっしゃいますの?」
めいだという女性じょせいがたずねた。かいでだまりこんでいるのはもうこれで十分じゅうぶん、と判断はんだんしたわけだ。
「それがひとりもありません」
とフラムトンはいった。
なんねんまえあねがこのむら牧師ぼくしかんまっていたことがありましてね、そのあねがいろんなほう紹介しょうかいじょういてくれたのです」
 この最後さいご言葉ことばにはこまったなあという語調ごちょうがはっきりあった。
「するとうちの伯母おばのこともほとんどごぞんじないのですね?」
はらった女性じょせいかさ ねてたずねた。
「お名前なまえとご住所じゅうしょしかぞんじません」
とフラムトンはありのままをいった。ミセス・サプルトンにはおっとがあるのかそれとも未亡人みぼうじんか、それさえわからない。しかし室内しつないにはなんとなくおとこす んでいるらしい気配けはいがある。
「ちょうどさんねんまえ伯母おばかなしい運命うんめいにあいましたのよ」
めいがいった。
「おねえさまがこのむらからおもどりになったあとですわね」
かなしい運命うんめいですって?」
とフラムトンはかえした。なぜかこののどかな田舎いなかかなしい運命うんめいちがいのがする。
「あのまど十月じゅうがつひるすぎなのにあけたままにしておくなんてへんだ、とおおもいでしょう
めいはいって、芝生しばふかってあけはなしてあるおおきなフランスまどゆびさした。
いま時節じせつとしてはわりあたたかですからね。ですがあのまど伯母おばさまのかなしい運命うんめいというのになに関係かんけいでもあるんですか?」
「ちょうどさんねんまえ今日きょうでした。あのまどから伯母おばおっとが、伯母おばおとうとをふたりつれて狩猟しゅりょうきました。それきりもどらないんですの。いつものシギの猟場りょうばこうと沼地ぬまちをわたる途中とちゅうで、あしもとの あぶない湿地しっちさんにんともはまりこんだのですね。そら、あのひどくあめおおなつでした。いつものとしなら大丈夫だいじょうぶ場所ばしょなのが不意ふいにめりこんだのです。さんにんとも死体したいはとうとうつかりません。つからないからこそこまるんです」
いままでのはらった口調くちょうが、ここでむねがせまって途切とぎれがちになった、
どく伯母おばはそれからずっとってるんですの。みんな、いつかはかえってくる、いっしょにんだ茶色ちゃいろのスパニエルもれて、三人さんにんともいつものとおりあのまどからはいってくる、とおもってますの。それで毎日まいにちすっかりくらくなるまであけたままにしておきます。かわいそうに伯母おば三人さんにんかけたときのことをよくはなしますわ。伯父おじ白地しろじのレーンコートをうでにかけていたそうです。したおとうとはいつものように伯母おばをからかって『パーティ、おまえはなぜはねる』をうたってたんですって。ふだんそれをくといらいらする、って伯母おばがいってたんですね。ときどき、こんなしんとしたしずかな夕方ゆうがたなど、あのまどから三人さんにんがスーツとはいってくるかとおもうと、わたし、ゾーツとすることがありますのよ」
 めいぶるいするとはなしった。そこへ伯母おばというひとがせかせかはいってきて、たいへんおたせしてすみませんとさかんにもうしわけをならした。フラムトンはホッとした。
ヴィアラのお相手あいてでご退屈たいくつだったんじゃありません?」
伯母おばはいった。
「いや、たいへん面白おもしろお話はなしうかがってました」
とフラムトンはいった。
「あのまど、あけたままでかまいませんか?」
とミセス・サプルトンはハキハキしたこえでいった。
「もうすぐおっとおとうとたちがりょうからもどります。いつもそのまどからはいってきますの。今日きょうはシギちにぬまほうきましたから、もどってたらきっとカーペットがだいなしでしょうよ。おとこかたってみなそうですわね」
 りょうのこと、とりすくなくなったこと、このふゆのカモりょうこみ--ミセス・サプルトンは快活かいかつにしゃべりつづけた。それがフラムトンにはゾッとするほどおそろしい。かれ一所いっしょけんめいはなし気味きみわるくないほうけようとしたが、どうもあまり成功せいこうしない。がつくと相手あいてはあまり自分じぶん関心かんしんがなくて、えずフラムトンをとおりこして、あいたままのまどとそのそと芝生しばふほうへばかりいている。かなしい運命うんめいにあったというその記念きねん偶然ぐうぜんたずねてきたとは、じつなんという不運ふうんだろう。
「どの医者いしゃもみな完全かんぜん休養きゅうようれ、興奮こうふんすることは一切いっさいやめろ、身体からだをとかくはげしく使つかうことはよせ、というのです」
とフラムトンははなした。あか他人たにんでもふとったひとでもひとの病気びょうき衰弱すいじゃくやその原因げんいん療法りょうほうなど、こまかくきたがるものだ。というのは世間せけんにかなりおおい妄想もうそうの一つだが、かれもまたその妄想もうそうにとらわれてせっせとはなしたのである。
「ところがべるもののことになると、どの医者いしゃのいうこともくいちがいましてね」
「まあ、そうですか?」
とミセス・サプルトンはいった。あぶなくあくびをころしたこえだ。突然とつぜん彼女かのじょかおきゅう晴々はればれしてなにかにありありと注意ちゅういけた。しかしフラムトンのはなしけたのではない。
「ようやくもどってきましたよ」
彼女かのじょおおきなこえでいった。
「ちょうどおちゃってよかったこと。まあ、かおまでどろんこじゃありませんか」
 フラムトンはブルブル身震みぶるいするとめいほうへふりいた。なるほどわかりました、おどくですね、というかおけた。めいはあけたままのまどそとをじっとたまま、恐怖きょうふちすくんだつきをしている。なにといいようもない物凄ものすごさにゾーッとすると、フラムトンは椅子いすのままきをえておな方向ほうこうた。
 くらくなりかけたゆうやみの芝生しばふ三人さんにん人影ひとかげまどほうへやってくる。三人さんにんともうでじゅうをかかえて、なかのひとりは白地しろじのレーンコートをかたにひっかけていた。そのすぐあとを茶色ちゃいろのスパニエルがつかってついてくる。おとてずにまどちかづくと、ゆうやみのなかからしわがれたわかおとここえが『パーティ、おまえはなぜはねる』をうたした。
 フラムトンはやにわに帽子ぼうしとステッキをつかみ、玄関げんかんのドアももんまでの砂利じゃりみち表門おもてもんもろくろくはいらず夢中むちゅうでかけした。往来おうらいばしてきた自転車じてんしゃいちだいがきっこんであぶなく衝突しょうとつけた。
「おい、いまもどったよ」
白地しろじのレーンコートをっかけたおとこまどからはいってきながらいった、
「かなりどろになったがもうたいがいかわいた。いまかけしてったのはだれだい?」
「とてもわったひとよ、ミスター・ナテルとかいうの」
とミセス・サプルトンがいった、
自分じぶん病気びょうきはなしばかりして、あなたがたがもどるとさよならともなんともいわずにパッとかえっちまったの。まるで幽霊ゆうれいにでも出会であったみたい」
「きっとスパニエルがたからよ」とめいいていった。
「あのひと、イヌが大嫌だいきらいですっていったわ。一度いちどどこかガンジスがわきし野良のらイヌのむれいかけられて墓地ぼちなかげこんで、ての墓穴ぼけつでひとばんあかしたことがあるんですって。すぐあたまうえうなったりいがみてたりえついたりしてるんですって。だれだってふるえがりますわね」
 即席そくせきつくばなし彼女かのじょのお得意とくいだった。



あたまでっかち
下村しもむら千秋ちあき

いち
 かすみうらといえば、みなさんはごぞんじでしょうね。茨城いばらきけんみなみほうにある、周囲しゅうい百四十四ひゃくよんじゅうよんキロほどのみずうみで、日本にっぽんだいひろさをもったものであります。
 日本にっぽんだいいち近江おうみのびわは、そのぐるりがほとんどやまですが、かすみうら関東平野かんとうへいやのまんなかにあるので、やまらしいやまは、ななはちはなれたきたかた筑波山つくばさんむらさきいろせているだけで、あとはどこをまわしても、なだらかなおかがほんのり、うすむらさきえているばかりであります。
 ですから、このみずうみ景色けしきは、平凡へいぼんといえば平凡へいぼんですが、びわのように、なつ、ぐるりのやまうえ夕立ゆうだちくもがわいたり、ふゆ銀色ぎんいろゆきひかったりすると、すこしすごいような景色けしきになるのとはちがって、春夏秋冬しゅんかしゅうとう、いつもおだやかなかんじにつつまれています。びわを、厳格げんかくなおとうさんとすれば、かすみうらは、やさしいおかあさんのようだともいえるでしょう。このみずうみ周囲しゅういには、土浦つちうら石岡いしおか潮来いたこ江戸崎えどさきなどというまち々のほかに、たくさんの百姓ひゃくしょうむらが、いちおき二里にりおきにならんでいます。だいむかし、人間にんげんなみのおだやかな海岸かいがんとか、かわきしとか、みずうみのまわりなどに一番いちばんさきすんだものですから、このおかあさんのようなやさしいかすみうらのまわりには、もちろんずっとだいむかしからひとがすんでいたのです。いまでも、方々かたがたから貝塚かいづかがほりだされたり、せきやいろんな石器せっき発見はっけんされたりするのでも、それがわかります。
 それで、百姓ひゃくしょうむらでもずいぶんふるい歴史れきしをもったむらがあり、何十なんじゅうだいつづいたかわからないような百姓ひゃくしょうが、方々かたがたのこっているわけです。
 林太郎りんたろうむらも、このふるい歴史れきしをもったむらのひとつでした。みずうみみなみきしおかうえにあって、戸数こすう五十ごじゅうばかりでした。また林太郎りんたろういえ何十なんじゅうだいつづいたかわからないという旧家きゅうかで、むら一番いちばんきたのはずれに、かすみうら見下みくだして、おおきなわら屋根やねをかぶっていました。
 しかし、旧家きゅうかというのはばかりで、いまでは、屋敷やしきまわりのおおきな杉林すぎばやしはきりはらわれ、米倉こめぐらはとりこわされ、うまもいないうまやと、屋根やねくさがぼうぼうにはえた納屋なやがあるきりの、貧乏びんぼう百姓ひゃくしょうとなっていました。おなむら百姓ひゃくしょう年々ねんねん貧乏びんぼうになっていきましたが、林太郎りんたろういえむら一番いちばん旧家きゅうかであるうえに、むかしは「名主なぬし」というのをつとめ、じゅうねんまえごろまではむらの、「総代そうだい」というのをやっていただけ、その貧乏びんぼうがひじょうにめだつのでした。
 林太郎りんたろうのおじいさんは、それを年中ねんじゅうにしていて、
「せめてどもでもだいぜいいたら、にぎやかでいいのだが、林太郎りんたろうひとりきりだから、よけいにいえなかがめいるばかりだ。」
といっていました。林太郎りんたろうはことし十一じゅういちさいで、小学校しょうがっこう年生ねんせいになっていましたが、おとうといもうともなく、まったくのひとつぶなのでした。あとは、おとうさんとおかあさんとおじいさんのさんにんきりでしたから、がらんとしたひろくらいえなかにいると、ひとはどこにいるかわからないほどで、まったく陰気いんきだったのです。

 さて、ひとりっというものは、わがままっのきかんぼうがそだつものですが、林太郎りんたろうはどっちかといえば、いくじなしのむしにそだちました。おじいさんがかわいがりすぎたせいだ、とおとうさんはよくいいましたが、そうばかりではなく、あんまり陰気いんきいえなかにそだったためかもしれません。とにかく林太郎りんたろうは、ちょっとしたことにもすぐめそめそとなきだすのでした。
 それにもうひとつこまったことは林太郎りんたろうはからだのわりにあたまでっかちで、それでくちわるむらどもらから、「ごろっこ」というあだをつけられていることでした。「ごろっこ」とはかわずのという意味いみで、あのあたまでっかちの「おたまじゃくし」のことです。むらどもらは、なにかというと、
「やあい、ごろっこめ。」
とはやしたてるのです。すると林太郎りんたろうは、すぐべそぐちになり、くやしそうになきだすのでした。
あたまがでかいは、えらいひとになるんだぞ。なくことはない。」
 おじいさんは、林太郎りんたろうがなきながらいえへかえってくるのをると、そういってそのあたまをなでるのでした。またおかあさんは、よる林太郎りんたろうをだいてねるたびに、そのあたま平手ひらてでなでながら、
林太郎りんたろうは、学校がっこうがよくできるので、みんながやっかんであんな悪口わるぐちをいうのだよ。どものあたまおおきいほうがいいんだぞ。みんなのあたまちいさすぎるんだぞ。」
と、やさしくいってきかせるのでした。
 実際じっさい林太郎りんたろう学校がっこう成績せいせきがよく、いままでにさんばんとさがったことはなかったのです。ただ、あたまおもいため、運動うんどうがへたで、ことにかけっくらになると、いつもびりっかすでした。で、おとうさんはよくこういうのです。
学校がっこうなぞはできなくてもいいから、かけっくらで一番いちばんになれ。いつまでたってもごろっこじゃ、百姓ひゃくしょうにもなれやしない。」
 そういわれると、林太郎りんたろうはまたくやしそうになきだします。するとおとうさんはまた、
「またなきやがる。乞食こじきにくれてやるぞ。」
と、どなりました。
 おじいさんとおかあさんは、あたまおおきいのをほめてくれるのに、おとうさんだけは、いつもそんなふうにいっては、つらくあたるので、林太郎りんたろうはおとうさんをこわがってすこしもなつきませんでした。ものしんがついてから、いちだっておとうさんにおんぶしたり、だかさったり、よる、いっしょにねたりしたことはなかったのです。
 そのうえ、林太郎りんたろうにはどうしてもおとうさんになじめないわけがありました。それはおとうさんが、ときどきよるおそく、おさけによっぱらい、ひとしょうまでわってかえってきて、一晩ひとばんちゅうおかあさんをいじめてなかすことでした。林太郎りんたろうはこわいので、ふとんのなかあたまをひっこめ、かめののようにちぢまっているのですが、それでもおとうさんのあらあらしいこえがきこえるのです。
 ふだんでもこわいこえをだすおとうさんですから、よっぱらってだす、そのあらあらしいこえには、なにかこわい動物どうぶつのほえこえみたいなところがあります。それが林太郎りんたろうにはにくらしくてにくらしくてなりませんでした。それにまたおかあさんをわけもなくいじめるのですから、たまらなかったのです。けれど、どうかすると、おとうさんはそのあらあらしいこえなかで、「林太郎りんたろうをどうする。」とか、「こうする。」とかいうことがありました。林太郎りんたろうはふとんのなかでそのことをきくと、からだちゅう、ぞくっとしました。それは、やっぱり自分じぶんあたまのことについていっているのだと、ひとりぎめにきめてしまうからでした。つまり自分じぶんは、「ごろっこ」のようにあたまでっかちなので、それがおとうさんとおかあさんとのあらそいのたねになるのだというふうにかんがえるからでした。
 これには林太郎りんたろうはすっかりまいって、ひとりあたまをかかえてべそぐちをしているばかりでした。そうしてちいさなむねなかで、おかあさんにすまない、といっているばかりでした。
さん
 それは、なつのはじめで、田植たうえのすんだころのあるよるでした。林太郎りんたろうは、みぎどなりのいえのおきぬさんというむすめにつれられて、みずうみのふちへほたるをとりにいったのでした。
 おきぬさんは、林太郎りんたろうからみれば、もう「およめさん」になれそうなむすめさんでしたので、ねえちゃん、ねえちゃんとよんでいました。おきぬさんもまた林太郎りんたろうおとうとのようにかわいがってくれるので、このひとだけには、おかあさんにもいえないことがいえるようながしていました。
 林太郎りんたろうは、おきぬねえちゃんのにつかまって、たんぼのあぜみちみずうみほうあるいていきました。つきがでていましたが、かすみにつつまれてほのしろえているだけでした。いくほどにかすみはだんだんふかくなりました。そしてみずうみきし土手どてまでいくと、湖面こめんはまるでゆめているように、とろんとかすんでいました。「かすみうら」というはこういうところからでたのにちがいありません。まったくかすみにつつまれたかすみうらほど、なごやかなやさしい自然しぜんはないでしょう。
 林太郎りんたろうはなんだかものがなしくなりました。ゆめのようなかすみのなかにいるせいか、それともおきぬねえちゃんにをひかれているせいか、どっちだかそれはわかりませんが、なんだかひとりでになきたくなってきたのです。うす浅黄あさぎしょくのかすみのなかに、ほたるがいくつもほのあおひかりをひいて、たかひくくとんでいましたが、林太郎りんたろうはそれをつかまえようともしません。ばかりか、ほたるのそのあおひかりまでが、にかなしくうつるのです。
林太郎りんたろうちゃん、どうしたの。」
 おきぬねえちゃんが、ふと林太郎りんたろうかおをのぞいてそういいました。
「…………。」
 林太郎りんたろうは、なんともこたえずかおをふせてしまいました。
「こんなとこあるいてるの、おもしろくないの。じゃかえろうか。」
「……ううん、かえりたくないよ。」
 林太郎りんたろうはやっと鼻声はなごえこたえました。
「そんなら元気げんきをだして、ほたるをとりなよ。そら、すぐそこを、すいすいととんでるじゃないか。」
「……ねえちゃん、おれ、おれ……にたいんだ。」
「……なあに?」
「おれ、にたいんだよ。」
林太郎りんたろうちゃん、なにいってるのさ。ゆめてるんじゃない!」
「だっておれ、あたまでっかちだろう。それでみんながわらうだろう。それでおとっつあんも、おっかさんをいじめるんだもの……」
 林太郎りんたろうは、おおきなおでこのしたちいさなかおをいかにもおもいあまったというふうにして、そういうのでした。そのようすが、おきぬねえちゃんにはちょっとおかしくもなったので、
林太郎りんたろうちゃんは、おばかさんだわねえ。」
といって、林太郎りんたろうかたをだいてやりました。と、林太郎りんたろうはおきぬねえちゃんのからだへ、おおきなおでこをおしつけて、うーん、うーんとむせびながら、
「おとっつあんは、おれのほんとのおとっつあんじゃないだろう。そうだい。だからおれのごろっことうらないで、あんなにおっかさんをいじめるんだろう。だからおらにたいんだ。」
と、いうのでした。
 林太郎りんたろうのおとうさんは、きのうのばんさけによってきて、林太郎りんたろうのことをいっては、このいえをでていけ、と、おっかさんをいじめたのでした。それがいま、林太郎りんたろうあたまなかにありありとかんでいるのでした。これにはおきぬねえちゃんもこまって、
林太郎りんたろうのおとっつあんはほんとのおとっつあんなのよ。ちがうのはおっかさんのほうなのよ。だから林太郎りんたろうちゃんがあたまでっかちだからといって、おとっつあんがおっかさんをいじめるわけはないのよ。」
と、いってきかせました。
 すると、これがまた林太郎りんたろうをひじょうにびっくりさせました。林太郎りんたろうはこわいかおでおきぬねえちゃんをにらみつけながら、きゅうにおおきなこえで、
「そんなことないや、そんなことないや! おっかさん、おれのおっかさんだい。」
とさけびたてました。
 これにはおきぬねえちゃんもはっとしました。わるいことをいったとおもいなおして、
「ええ、うそよ、うそよ。そんなことないの。ほんとにそんなことないの。」
つよくうちけして、
「だからままおやなんていうのはみんなうそなのよ。おとっつあんもおっかさんもほんとのおやなのよ。だから、林太郎りんたろうちゃんのあたまでっかちのことで、おとっつあんがおっかさんをいじめるわけもないの。ただ、どこのいえにもいろんな心配しんぱいごとがあるものだろう。それでおとっつあんとおっかさんがいいあいするんだろうけど、そんなことどもはらないふりをしていればいいのよ。」
と、しみじみいいきかせました。
 林太郎りんたろうは、こんどはいかりもせず、またなきもまず、ただだまりこんでしまいました。林太郎りんたろうには、自分じぶんかんがえていることがほんとうなのか、おきぬねえちゃんのいったことがほんとうなのか、わからなくなったのでした。
よん
 それからさんにちほどしたあさのことでした。おとうさんはらへ仕事しごとにでかけ、おじいさんはみずうみきしへ、「のっこみぶな」というのをつりにでかけたあとで、おっかさんはひとりでよそいきの着物きものにきかえ、ふろしきづつみひとつをもって、
林太郎りんたろう、おっかさんはむこうのへいってくるから、おとなしくっといで。」
したをむいたままいいました。
 むこうのというのは、おっかさんのおさとのことでした。林太郎りんたろういえ裏手うらておかからきたかたると、かすみうら入江いりえになっていて、そのむこうにひとつのむらがあり、そのむらにおっかさんのおさとがあるので、それで「むこうの」といっているのでした。
 おかあさんはいままでその「むこうの」へかえるときは、かならず林太郎りんたろうをつれていきました。だのにきょうにかぎってそんなことをいいだしたものですから、林太郎りんたろう顔色かおいろはみるみるわりました。
「おれもいくよ、おれもいくよ。」
 林太郎りんたろうはおかあさんのにぶらさがってそういいました。
「きょうはつれていけないの。」
 おかあさんはそっぽをむいていいます。
「なんでよ、なんでよ?」
「おとっつあんにしかられるから。」
 そういうと、おかあさんはいきなり土間どまへおり、裏庭うらにわへでていきました。林太郎りんたろうはもう夢中むちゅうになり、はだしのままおっかさんのあとをおいかけました。そうして、ひきつったようなこえでなきさけびだしました。
 おかあさんもそれにはこまりました。おかあさんはかきのにつかまってかんがえていました。そして林太郎りんたろうになにかいいそうにしましたが、それもいわないで、ただ、
「そんならつれていこ。」
とだけいって、林太郎りんたろうをとりました。
 おかあさんのおさとむらまでは、おかづたいに入江いりえをぐるりとまわっていけば、二里にりあまりありましたが、ふねでまっすぐに入江いりえよこぎっていけば、十四じゅうよんちょうしかありません。それにみずうみきしにすむひとたちは、おんなでもどもでもふねをこぐことはじょうずですから、おかあさんもおさとへかえるときは、いつも自分じぶんふねをこいでいきました。ふねは、このへんで「さっぱせん」というちいさなふねで、田植たうえをするときなどなくてならないものですから、どこのいえでもひとつぐらいはっていたのです。
 おかあさんは、そのさっぱせんのまんなかはやし太郎たろうをのせると、たけざおをとってするするとおしだしました。そのはいかにも初夏しょからしいお天気てんきで、おかうえ新緑しんりょくはほんのりかすみ、そらみずもふっくらとふくらみ、かわずはねむそうにないて、なんともいえないいい気持きもちでした。
 しかしおかあさんはだまりこくって、さおをあやつっています。林太郎りんたろうはぼんやりとゆくてのむらほうていましたが、そのあたまなかではこんなことをかんがえていました。
「やっぱりおれのあたまがでっかちなので、なにかこまったことがったんだな。」

 まもなくおっかさんのおさとのおうちがえてきました。若葉わかばがふっくらとしげった木々きぎのあいだに、おおきなわら屋根やねえ、それから米倉こめぐらしろかべえてきました。そのしろかべあさをうけて、あたたかそうにひかっていました。
 おっかさんはそれがえてくると、いつもにこにこして元気げんきよくふねをおしだすのでしたが、きょうはそのほうようともしません。したをむいたまま、たいぎそうにさおをあやつっているばかりでした。
 林太郎りんたろうかなしくなりました。それで、ふなべりからをのばして、水面すいめんしろいているすいれんのはなをむしってはすて、むしってはすてて、きそうになるのをがまんしていました。
 やがてふねは、米倉こめぐらしたきしへつきました。みずぎわにあそんでいた、たくさんのあひるどもが、があがあなきながらおよぎにげました。
 おっかさんは林太郎りんたろうをとっておかがると、いまわたってきた入江いりえほう見返みかえってためいきをつきました。それから米倉こめぐらまえとおって母屋おもやにわへはいっていきました。
 母屋おもやえんには、おっかさんのおっかさん、つまり林太郎りんたろうにとってはおばあさんがめがねをかけて針仕事はりしごとをしていましたが、林太郎りんたろうたちの姿すがたると、めがねをはずしながら、
「おやおや、よくきた。林太郎りんたろうもよくきたな。」
と、よろこんで、にこにこしながらいいました。
「きょうはおまえのうちは仕事しごとやすみかい。林太郎りんたろう学校がっこうがおやすみかい?」
と、きました。
 けれどもそのは、林太郎りんたろうのうちでは仕事しごとやすみでもなかったし、林太郎りんたろう学校がっこうがおやすみでもなかったので、ふたりともなんともこたえませんでした。
 おっかさんは、ってきたふろしきづつみをえんうえへおくと、おばあさんのそばへこしをかけて、ひくいこえでなにかはなししだしました。はなしているうちにおっかさんのかおはだんだんうつむいてきました。おばあさんは、うんうんといいながらいていましたが、やがておばあさんのかおしたをむいてしまいました。
 林太郎りんたろうは、自分じぶんいてはわるいことをはなしているのだ、とおもいました。自分じぶんのあたまでっかちのことをはなしているのだな、ともおもいました。それで、おっかさんのそばをそろそろとはなれて、米倉こめぐらほうへとぼとぼとあるいてきました。
ろく
林太郎りんたろうや、とおくへいくんじゃないよ。」
と、おっかさんがうしろからこえをかけました。
「うん。」
林太郎りんたろうはふりむきもしないでこたえて、さっきおっかさんとのってきたふねがつないである水際みずぎわほうへおりていきました。そこにはさっきのあひるどもが、やっぱりがあがあなきながら、いかにもおもしろそうにおよぎまわっていました。林太郎りんたろうはそれをぼんやりながら、自分じぶんはとうとうひとりぼっちになってしまったような気持きもちになりました。
 すると、ほうで、おん、おん、おんというなにかのなきごえがしました。ふりむいてみると、ちいさなまっしろなむくいぬがいました。ひつじのようにむくむくした、ののびた前足まえあしまえへつっぱり、くりくりした茶色ちゃいろをきょとんとあけて、わん、わんというよりは、おん、おんというようなこえでほえたてています。
 いぬ大好だいすきな林太郎りんたろうは、いままでなきそうにしていたかおをきゅうにめいかるくいきいきとさして、そのにしゃがみながら片手かたてをさしだし、ちょっちょっとしたをならしてよびました。が、むくいぬはかえってあとしざりしながら、おん、おんとほえたてます。林太郎りんたろうはそれをつかまえてやろうとおもい、がっていきました。と、むくいぬはこんどはむこうをむいてばらんばらんとにげだしました。あんまりきゅうにかけだしたので、まえへのめってころんとひとつもんどりをうって、それからあわてておきがり、またかけだしました。
 子犬こいぬというものはみんなあたまでっかちなものですが、そのむくいぬはわけてもでっかちあたまえました。それできゅうにかけだしたりするとのめるのでしょう。林太郎りんたろうはおかしくなって、
「やあい、でっかちあたまあ……」
と、どなってやりました。しかしそれは、自分じぶんむらどもらからしょっちゅういわれていることでした。林太郎りんたろうはへんな気持きもちになりました。そしてそのむくいぬがとてもなつかしくなりました。自分じぶんのきょうだいぶんのようながしてきました。
 それから林太郎りんたろうは、なんとかしてそのむくいぬなずけようとかんがえました。くちをとんがらしてへたな口笛くちぶえをふいてみたり、なにかたべるものをくれるようにせかけたり、いっしょにあそぼうというようにみちばたのくさうえにねころんでせたりしました。むくいぬは、もうにげようとはしませんが、でっかちあたまをくるくるまわしたりして、おどけるようなまねをしながらも、なかなかそばへよってきませんでした。
「おまえのはなんちゅうんだい? なしのいぬころかい? しろいからしろだろう。そうだ、おれがをつけてやるよ。しろこうとつけてやるよ。……しろこうや、こっちへこいよ。おれのでしにしてやるよ。でしでいやなら、おとうとにしてやるよ。」
 しろこうはにこっとわらったように林太郎りんたろうにはえました。それから前足まえあしをちょいとあげて、ぼく、うれしいな、というようなようすもしました。が、それでも、そばへはよってきません。
 と、母屋おもやのおにわからおっかさんが、
林太郎りんたろうや、おひるだよお……」
とよびました。林太郎りんたろう残念ざんねんそうにそのをひきあげました。
なな
 林太郎りんたろうは、いろりのある台所だいどころで、おばあさんとおっかさんのあいだにすわって、おひるのごはんをたべていました。すると、さっきのしろこうが、いつのまにかそこの土間どまへきていて、みんながごはんをたべているのを、さもうらやましそうに、しっぽをふりながら見上みあげていました。林太郎りんたろうはびっくりしてよろこび、
「やあ、しろこうだ、しろこうだ。」
と、のびがっていいました。
「おやおや。」
と、おばあさんもしろこう見下みおろして、
林太郎りんたろうのうちのかい?」
「ううん、さっき、ひとりであそんでいたから、おれのおとうとにしてやったんだよ。」
「それじゃ、いぬかな?」
いぬであるもんか。しろこうというなまえがついてるんだもの。」
「あのいぬが、自分じぶんでそういったのかい?」
「……うん、そういった……」
 おばあさんは、
「ああ、そうかよ。」
と、それからこえをあげてわらって、
「それじゃ、なにかたべさしてやろうかな。」
「うん。おれ、くわしてやるよ。」
 やがて林太郎りんたろうは、おばあさんが、ねこのおわんへもってくれたしるかけめしをもって、土間どまへおりていきました。しろこうはよっぽどおなかがすいているとみえて、もうにげだすどころか、ちいさなしっぽをふりちぎりそうにうちふりながら、がつがつとくいつきました。
 それから林太郎りんたろうとしろこうはすっかりなかよしになりました。しろこうはまったくのおとうとになったように、林太郎りんたろうのいくところはどこへでもついてきました。林太郎りんたろうはもう、ひとりぼっちになってしまったような気持きもちを、きれいにわすれてしまいました。
 林太郎りんたろうはしろこうをつれて、おものまわりをかけまわりました。米倉こめぐらのまわりもかけまわりました。入江いりえのふちのみちもいったりきたりしました。ときどきだきあげてやると、しろこうはあんまりよろこびすぎて、おしっこをもらしたりします。くさうえへねころんでふざけると、しろこう夢中むちゅうになりすぎて、林太郎りんたろうあしあとがのこるほどかみつきます。そんなとき、
「しろこうのばか。をつけろよ。」
 そういってかるくあたまをぶってやると、しろこうをしょぼしょぼさせて、ごめんね、とでもいうように林太郎りんたろうこうをしゃりしゃりなめたりします。
 林太郎りんたろうはどうしていいかわからないほど、しろこうがかわいくなりました。
 そのうちに、晩春ばんしゅんのながいもくれかけました。けれど林太郎りんたろうは、それもらずにしろこうあそんでいると、おっかさんがそこへでてきて、
林太郎りんたろう、もううちへかえりなよ。」
と、いいました。
「おっかさんもいっしょにかえるんだろ?」
「おっかさんはきょうはかえれないよ。そのかわりともさんをつけてやるから、いいだろう。」
 ともさんというのは、おばあさんのうちの作男さくおとこでした。
ともさんでは、いやだ、いやだ。」
「そんなこといわないで、きょうだけおとなしくかえっておくれ。でないとおかっさんがこまるから。」
「………」
「それじゃ、そのしろこうもいっしょにつれていきな。林太郎りんたろうにはしろこうというおとうとができたんだもの、もうさびしかないだろう。」
「………」
 林太郎りんたろうはしろこうをだきながら、ゆびのつめをかんでいるばかりです。おっかさんはおおきなためいきをついて、
こまったなあ。」
と、また、うつむいてしまいました。
 林太郎りんたろうは、うわでおっかさんのようすをしげしげとていましたが、なにか決心けっしんしたように、
「そんじゃ、あしたきっと、おっかさんもかえってくる?」
「あした……」
と、おっかさんはちょっといいつまったが、
「そう、あした、かえるよ。」
と、ちいさなこえでいいました。
 林太郎りんたろうはそれがまたになりましたが、とうとう、
「じゃ、おれきょうかえるよ。」
と、こたえました。
はち
 林太郎りんたろうは、しろこうをつれ、作男さくおとこともさんにふねをおしてもらって自分じぶんのうちへかえりました。そしてそのよるは、しろこう寝床ねどこ土間どまのすみへわらでつくってやって、自分じぶんはおじいさんといっしょにねました。
 つぎのあさはいつもよりはやきだして、しろこうをつれていえうらおかうえへのぼり、入江いりえほうていました。が、おっかさんはかえってきませんでした。林太郎りんたろうにちがくれるまで、なんとなくそのおかへきてみましたが、やっぱりだめでした。
 そうしてつぎのも、またそのつぎのもおっかさんはかえってきません。林太郎りんたろうはおじいさんに、なぜおっかさんはかえらないのか、といちにちさんよんいてみましたが、おじいさんは
「そのうちに、かえるで、おとなしくしてるだよ。」
というばかりでした。
 よるになるとしろこうも、ひとりでねるのはさびしいというように、くんくんなきたてます。すると林太郎りんたろうもたまらなくさびしくなって、おじいさんのむねかおをおしつけて、しくしくなきました。おとっつあんはときどき、
林太郎りんたろうはこっちへきてねるんだぞ。」
と、いいましたが、林太郎りんたろうはそんなことはいつもきこえないふりをしていました。
 あるよる林太郎りんたろうは、おじいさんとねながら、とうとういいだしました。
「おじいさんよ。おれ、あたまでっかちだから、それでおとっつあんはおっかさんをおんしちまったんだろう?」
「ばか。おまえがあたまでっかちだって、おっかさんのつみではないんだよ。」
「そんじゃ、おれがわるいんだろう。……そんじゃ、おれ……んじまえばいいんだろう。」
「こら、なにをいうだ。」とおじいさんは林太郎りんたろうをまじまじと見守みまもっていましたが、「よしよし、おじいさんがおっかさんをつれてきてやるから、もう余計よけいなことをかんがえるでないぞ。」と林太郎りんたろうむねなかへだきこみました。
 つぎのにちおじいさんは、「さっぱせん」にのって、「むこうの」へでかけていきました。そして夕方ゆうがたくらくなってからやっぱりひとりでかえってきて、
「おっかさんはからだがすこわるいでな、なおったらすぐかえるといってたよ。」
と、いいました。
 だが、それから半月はんつきたってもひとつきたってもおっかさんのほうからはなんのおとさたもありませんでした。
きゅう
 そのうちに夏休なつやすみがきました。しろこうは、つれてきたときよりさんばいおおきくなり、よるはよくいえばんをし、昼間ひるま林太郎りんたろうのいうことをよくいて、いっしょにふざけながらあそんでもおしっこをもらしたり、あしをひどくかむようなことはしなくなりました。
 それに、しろこうはひじょうにりこうで、林太郎りんたろう夕方ゆうがたなどさびしそうにしていたりすると、ぴったりと林太郎りんたろうのそばにすりついて、はなれませんでした。それはまったく林太郎りんたろうのきょうだいのようでした。
 それで林太郎りんたろうもいつか、このしろこうといっしょなら、ひとりではできないこともできるようながしてきました。そして林太郎りんたろうは、ある、ひとりではできないことを、しろこうといっしょにりっぱにしてしまいました。それは、しろこうを、れいの「さっぱせん」にのせ、自分じぶんふねをこいで、とうとうおっかさんのおさとまで、入江いりえわたってしまったのです。
 おさとのおばあさんもそれにはびっくりして、
「まあ、林太郎りんたろうは、ほんとうにひとりでふねをこいできたのかい。」
と、なんべんもきました。
 林太郎りんたろうは、さすがにすこ顔色かおいろわっていましたが、元気げんきよく、
「おれ、ひとりじゃないよ。しろこうとふたりだよ。」とこたえて、「おっかさんをむかいにきたんだよ。おっかさんはどこにいるの?」と、きました。
 おばあさんは、これはこまったことになったぞ、というかおをしていましたが、
「おっかさんはな、まだからだがよくならないので、土浦つちうら病院びょういんへいってるのだよ。よくなって退院たいいんしたら、じき林太郎りんたろうのとこへかえしてやるから、きょうはがまんしてかえっておくれ。」
と、やさしくいいきかせました。
 林太郎りんたろうは、くちびるをくいしばっていていましたが、
「うん。」
と、ひとことこたえたきりでした。
 さてその林太郎りんたろうはしろこうをつれて、土浦つちうら病院びょういんまでおっかさんをたずねていこうと決心けっしんしました。土浦つちうらまではかすみうらのふちをぐるりとまわって、ちかくあります。おとなは自転車じてんしゃいちにち往復おうふくしましたが、やっと十一じゅういちさい林太郎りんたろうが、それもちいさなあしでぽつぽつあるいて、まだいちあるいたことのないみちをいこうというのですから、それはずいぶんの冒険ぼうけんでした。が、林太郎りんたろうはおっかさんにいたい一心いっしんから、もうあぶないこともこわいこともわすれてしまったのでした。
一〇いちれい
 林太郎りんたろうはしろこうをつれ、土浦つちうらへむかってあるきだしました。左手ひだりては、松林まつばやし雑木林ぞうきばやしがつづいています。そこには、ひぐらし、みんみん、あぶらぜみなどがにぎやかにないています。右手みぎて青々あおあおとしたたんぼで、かぜがわたるたびにあおなみがながれます。たんぼのむこうはかすみうらで、それは、いかにもなつみずうみらしくきらきらとひかっています。
 林太郎りんたろうは、まれてはじめてあるみちですが、そういう景色けしきをながめながらあるいていると、そんなにさびしいともかんじませんでした。それに、土浦つちうらへいきさえすれば、おっかさんにあえるとしんじてもいるので。
 ただ林太郎りんたろうにとってすここまったことは、しろこうをおともにつれてきたのに、しろこうはおともらしく神妙しんみょうにしてついてこないことでした。しろこうもはじめてあるみちなので、いつものように横道おうどうへそれたり、えなくなるほどさきほうはしっていったりはしませんが、みちばたにたっていつまでもくんくん、はなをならしていたり、電信柱でんしんばしらがあるごとに、その根元ねもとへおしっこをかけたり、ほかのいぬ姿すがたをみつけるととおくからにらめていたり、ちっともおちついていないのです。林太郎りんたろうは、
「しろこう、ばか。」
「しろこう、げんこつくわせるぞ。」
「しろこう、おとなしくあるかねえと、おっかさんのとこへつれてってやらねえぞ。」
 などと、しょっちゅうどなりつけながらあるいていました。
 そのうちに、きらきらひかっていたかすみうらがだんだんうすむらさきにけむってきました。おかうえでなきしきっていたせみのこえもいつしかしずまり、かなかなのこえだけ、ちいさなかねをたたくようにきこえて、あたりはゆうもやにつつまれてきました。がついてみると、あんなにさわぎまわっていたしろこうも、林太郎りんたろう足元あしもとにすりつくようにして、とぼとぼとあるいています。
 林太郎りんたろうはきゅうに心細こころぼそくなりました。
「もう、どのくらいあるいたろうな。土浦つちうらはまだかしら。」
 そうおもってゆくてをみると、しろみちゆうもやのなかへきえて、そのさきそらにはふたみっつ、ろいほしひかりだしているばかり。ときどきすれちがうひともなんだか気味きみわるく、うしろからだしぬけに自転車じてんしゃはしりぬけたりすると林太郎りんたろうはぎょっとしました。そこで林太郎りんたろうは、こんどはやさしいこえでしろこうはなしかけました。
「しろこう、くたびれたかい。」
「しろこう、おなかがすいたかい。」
「しろこう、おっかさんのとこへいったら、うんとうまいものをくわしてやるよ。」
一一いちいち
 そうして林太郎りんたろうとしろこうは、どのくらいのみちあるいたろうか。ふとげるとはるか右手みぎてのほうに、たくさんの電灯でんとうが、まるで野原のはらいちめんにさきみだれたはなのようにきれいにともっているのがえました。
「ああ、土浦つちうらだ、土浦つちうらだ!」
 林太郎りんたろうはとびがってよろこび、
「やいしろこう、おっかさんのいるまちがめえるじゃねえか。」
 けれどしろこうはやっぱりとぼとぼとあるいています。林太郎りんたろうはそのしろこう両手りょうてたかくさしあげて、
「それろよ。あれだよ。すてきだろう。」
 林太郎りんたろうはすっかりもとづき、はしるようにあるきだしました。
 だが、まちあかりはすぐそこにえていながらなかなかとおいのです。林太郎りんたろうちかづいていけばいくほど、まちのほうでとおくへにげていくようにもえます。それで林太郎りんたろうは、はあはあいいながら夢中むちゅうすすんでいきました。そしてやっとまち入口いりぐちへついたときは、あしぼうのようになり、あたまはぽうーっとなっていました。しろこうもすっかりまいったとみえ、しっぽをおなかのしたへまきこみ、ひょろひょろあるいています。
 このまちあかりとおくからながらくるときは、林太郎りんたろうにはこのまちがおとぎばなし竜宮りゅうぐうのようにうつくしいところにおもわれたのでした。が、きてみるとそれどころか、ちいさなみせがごちゃごちゃとならんで、いやなにおいがして、むしあつくて、どこにもうつくしいところがありません。それに、ひとをふきとばしそうなサイレンをならしている自動車じどうしゃ往来おうらいいっぱいになってがたがたはしってくる乗合のりあい自動車じどうしゃ、うるさくベルをならしながらとびまわる自転車じてんしゃなどで、うかうかとあるいてもいられません。林太郎りんたろうはしろこうといっしょに幾度いくどとなく往来おうらいのすみっこにたちまっては、
「まったく、やんなっちゃうなあ。」
と、ひとりごとをいいました。
 しかしそんなことをしていたら、いつまであるいていてもおっかさんにうことなどできません。林太郎りんたろうはある荒物屋あらものや店先みせさきち、学校がっこうでならったていねいな言葉ことばきました。
土浦つちうら病院びょういんはどこですか。」
土浦つちうら病院びょういん? それだけじゃ、わかんねえよ。」
 荒物屋あらものやのことばはらんぼうです。
土浦つちうら病院びょういんだよ。」
「このでっかちあたま、土浦つちうらには、病院びょういんがいくつもあるんだからな、その名前なまえいてこい。」
 林太郎りんたろうはおずおずとその店先みせさきをさりました。林太郎りんたろうは、このまちへきて「土浦つちうら病院びょういん」とさえいえばすぐわかり、それでまたおっかさんにもえるものとばかりおもってきたのです。林太郎りんたろうこまったなとおもいました。が、ひょっとしたらあの荒物屋あらものやはなんにもらないのかもしれないとおもいなおしました。で、またしばらくあるくと、ある乾物かんぶつまえへたって、
土浦つちうら病院びょういんはどこでしょうか。」
と、きました。
「へえ?」と、乾物かんぶつのおかみさんはわらいながら、「おまえさん、どこからきたの。」
「……」林太郎りんたろうはそれにはこたえず、「おれのおっかさんのいる病院びょういんだよ。」
「おや。いぬころとふたありで、おっかさんにいにきたのかね。だけど土浦つちうら病院びょういんだけじゃわからないよ。なんという病院びょういんだえ?」
と、おかみさんはやさしくいいます。
 そういわれると林太郎りんたろうはなんだかすこかなしくなり、きゅうにおろおろこえで、
土浦つちうら病院びょういんというんだよ。そんな病院びょういんないのけ?」
「なるほど、それじゃ、土浦つちうら病院びょういんのことだろう。それならね、これをまっすぐにいってつきあたったら、みぎへまがっていくと、左側ひだりがわにあるのがそうだよ。りっぱな西洋せいようかんだからすぐわかるよ。」
 林太郎りんたろうは、ああよかったとおもいました。それでそのおかみさんへぼうしをぬいでていねいにおじぎをして、おそわったとおりのみちあるいていきました。
 まちはだんだんとにぎやかになり、ならんでいるみせもりっぱになり、あるみせには、あかあお電灯でんとうが、つばきのはないとへさしたようにならべてあって、蓄音機ちくおんきおおきなこえうたをうたっています。林太郎りんたろうもそのまえではしばらくまって、
「やっぱり竜宮りゅうぐうみたいなところもあるなあ。」と感心かんしんしたりしました。
一二いちに
 病院びょういんはすぐわかりました。林太郎りんたろうはおそるおそるその玄関げんかんへはいって、まっしろまる天井てんじょうおおきな電灯でんとうがともっているもとち、
「こんちは、……こんちは……。」
と、いいました。すると受付うけつけとかいてあるところのまどがあいて、
「もうよるだからこんばんはというもんだよ。」というこえがして、しろふくをきたわかおんなかおをだし、「なあに、くすりをとりにきたの。」
「ううん、おれのおっかさんいるけ?」
「ほっほほ。おれのおっかさんて、おまえさんなんという?」
林太郎りんたろう……。」
「やな林太郎りんたろうじゃわかんないよ。なに林太郎りんたろうというの?」
川並かわなみ林太郎りんたろうというの。」
川並かわなみ……? おまえさんのおっかさんだね。」
「うん。」
「そんなおかた、うちには入院にゅういんしていないわ。」
「うそだあ。いるっていったよ。」
「だっていないんだもの。うそなんかいやしないよ。」
「……ほんとにいないの。」
 林太郎りんたろうはうらめしそうににらみました。
「おまえさん、病院びょういんをまちがえたんだろ。このまえひだりへいくと、むこうがわにもひとつ病院びょういんがあるから、そこへいってごらん。」
 林太郎りんたろうは、しおしおとそこをでて、おそわった、つぎの病院びょういんへいってみました。が、そこにもおっかさんはいませんでした。林太郎りんたろうはそこでもまたべつの病院びょういんおそわって、また、そこへいってみましたが、やっぱりおなじことでした。そこでは、
病院びょういんらずにあるいたってわかりっこないから、おうちへおかえり、でっかちあたまさん。」
と、いわれました。
 林太郎りんたろうはもうかおげられないほどかなしくなりました。それでただもうあしのむいたほうあるいていきました。まちあかりがちかちかひかってえます。なみだなかにいっぱいたまっているのでそうえるのですが、林太郎りんたろうはそんなことはがつきません。ただ町中まちなかがなんとなくおそろしくえてきて、はやくちかちかひかあかりのないところへたいとおもいながらあるいていました。
 そのうちやっとくらとおりへでました。それをどこまでもいくと、ひろはらっぱへでました。そこはかすみうらのふちで、いちめんなつそうがはえしげっています。なつそうには夜露よつゆがしっとりとおりています。林太郎りんたろうはそのくさをふみながら、またあてどもなくあるいていきました。
「しろこう、どこへいったらいいんだよ?」
 林太郎りんたろうは、いつか足元あしもとにすりついてあるいているしろこうへ、そうはなしかけていました。
「なあ、しろこう、おっかさんは、どこにいるんだよ?」
「なあ、しろこう、たのむからおまえがさがしてきてくれよ。」
「しろこう、おらなんだかとおくなってきたよ。」
「しろこうゆめみたいだなあ。」
 そういっていたかとおもうと、林太郎りんたろうくさうえにふらりとすわってしまいました。そこはみずうみきしで、すぐしたみずです。林太郎りんたろうはそこにすわったまましばらくはふらふらしていましたが、やがてずるずるとすべって、もうすこしでみずなかへすべりこむところを、そこにいっカ所かしょちょっとしたくぼみがあり、林太郎りんたろうのからだはそのなかへぐあいよくすぽりとはまりました。
 林太郎りんたろうはそこで、むしのようにまるくなってねむってしまったのです。かわいそうに林太郎りんたろうは、おっかさんのおさとてから、みずいってきまずにちかくのみちあるきつづけ、このまちへきてもなにひとつたべずに、あっちこっちの病院びょういんをたずねまわったので、もうからだもあたまもへとへとにつかれてこんなところにゆきだおれてしまったのです。
 しろこう林太郎りんたろうとおなじようにまずわずですから、もうすこしでへたばりそうになっていました。が、林太郎りんたろうがそんなにたおれてしまったのをみると、これは兄貴あにき一大事いちだいじとわかったらしく、しっかりとりょうみみをたてて、林太郎りんたろうのそばにきちんとすわっていました。主人しゅじんのためにはいのちをすてて主人しゅじん危険きけんすくいぬがよくありますが、しろこうもまたそういう忠実ちゅうじついぬにちがいありません。といってしろこうは、そこにゆきだおれてしまった林太郎りんたろうをどうしてすくうのでしょうか。
一三いちさん
 こちらは林太郎りんたろうのおとっつあんです。おとっつあんはそのがくれても林太郎りんたろう姿すがたえないので、これはてっきりおっかさんのおさとへいったにちがいないとおもい、さっぱせんにのっておさとへいってみました。と、林太郎りんたろうはおひるすぎにきはきたが、すぐいえへかえっていったとおばあさんのはなしです。
「それじゃ、どこへいったろう?」
「ひょっとしたら、おっかさんにいたい一心いっしんで、土浦つちうらまでいったかもしれないぞ。」
「でも、あんなどもがひとりでいけるだろうか。」
「いやいやいったかもしれぬ。そういえばきょうの林太郎りんたろうはいつもとちがって、くちびるをくいしばってなにか決心けっしんしたようなかおで、このうちをていったからな。」
「しろこうもいっしょだったか。」
「ああ、いっしょだった。」
「そんならやっぱりいったかもしれねえ。よし、じゃこれからむかいにいってくる。」
「ああすぐいっておくれ。それからひとつたのみがあるが。」
と、おばあさんはをしょぼしょぼさしていいます。
「どんなことでしょう?」
「ほかでもないが、林太郎りんたろうはじぶんのあたまがでっかちなので、そのためにおっかさんはおまえさんのいえからされたのだと、おもっているのだから、な。それをよくかんがえてやっとくれよ。」
「ああ、よくわかりました。すみません。」
 おとっつあんはそこで、そのいえ自転車じてんしゃり、それにのって、もうチェーンがきれるほどペタルをふんで土浦つちうらはしっていきました。で、わずかいち時間じかんばかりでまちへはいると、林太郎りんたろうのおかあさんが入院にゅういんしている病院びょういんへ、いきせききってはいっていきました。
 林太郎りんたろうさんのおっかさんは、もう病気びょうきもよくなり、すこしはそとへもでられるようになっていましたので、おとっつあんがたずねたというしらせをうけると、ひとりで玄関げんかんへでていきました。おとっつあんはまず、
林太郎りんたろうがきているかね。」
と、きました。
林太郎りんたろうが? きていませんが……」
「きていない。ああそれじゃまいになっているのだ。」
「どうしたのです?」
 おっかさんも顔色かおいろをかえました。おとっつあんはみじかに、じつはこれこれだと、林太郎りんたろうがいなくなったわけをはなしました。するとおっかさんはもう涙声なみだごえになり、
林太郎りんたろうはわたしのではないのに、わたしをほんとのおやのようにしたってくれるのです。あんないいをまいにしてしまってはたいへんです。わたしもいっしょにさがしますから。」
と、そとようとします。
「いや、おまえは病人びょうにんだからむりをしないでおくれ。わしがひとりでさがす。きっとさがしだしておまえのところへつれてくるから、をもまないでっていておくれ。」
 おとっつあんはそういいおいて、また自転車じてんしゃにとびのり、まちなかはしりだしました。
 それからおとっつあんは、無我夢中むがむちゅう町中まちなかはしりました。が、どこにもそれらしい姿すがたえないと、まちはずれを、ひがしへもみなみへも、きたへも西にしへもでてみました。だが、それでもあたりません。
 おとっつあんはもうがくるいそうになりました。それで、まっくらなはらっぱへたりすると、おおきなこえをだして、
林太郎りんたろうやあー……林太郎りんたろうやあー……。」
と、どなりました。
 そのうちによるはふけてきました。おとっつあんはもうこえもかれはてて、林太郎りんたろうをよぶこともできなくなりました。
一四いちよん
 そうして、あるまっくらなみちをよろよろとはしっているときでした。どこからかいっぴきのしろいぬはしりよってきたかとおもうと、おとっつあんのあしへかみつくようにしてほえたてるのです。るとそれはしろこうではありませんか。おとっつあんは自転車じてんしゃからびおり、
「ああ、しろこうだ、しろこうだ。林太郎りんたろうはどこにいるのだ?」
 と、しろこうをだいてさけびました。するとしろこうは、かなしいような、うれしいようなこえで、くうーんくうーんとなきながら、自分じぶんのからだをおとっつあんのむねへすりつけて、それからまっくらなみちはしりだしました。
「ああ、そっちか。ありがとう、しろこう。ありがとう、しろこう。」
 おとっつあんはいいながら、自転車じてんしゃでそのについていきました。
 しろこうは、そのようにして、林太郎りんたろうがゆきだおれているみずうみきしへ、おとっつあんをりっぱに案内あんないしたのです。おとっつあんは、たおれている林太郎りんたろうをだきあげると、
林太郎りんたろうやあ……林太郎りんたろうやあ……。」
 こえかぎりよびました。林太郎りんたろうはそのこえでやっとをあけました。そして、おとっつあんだとると、
「おれ、もうんじゃうんだよ。」
と、いいました。
「ばかなことをいうでねえ。」と、おとっつあんは林太郎りんたろうのからだをゆすぶり、「おとっつあんがむかいにきただ。もう、だいじょうぶだからしっかりするんだぞ。」
「おれ、おとっつあんなんぞいらない。おっかさんだ、おっかさんだ……」
「だから、おっかさんとこへつれていくだ。それで、あしたは、おっかさんと林太郎りんたろうとおとっつあんとさんにんで、うちへかえるだから、しっかりするんだぞ。」
「そんじゃ、おっかさんの病院びょういんわかったの?」
「ああわかったとも。おっかさんも林太郎りんたろうのくるのを一生いっしょうけんめいにってるだ。」
「そんじゃ、おとっつあん、もう、おっかさんをいじめねえかよ。」
「だれがいじめるもんか。林太郎りんたろうがしろこうをかわいがるようにかわいがってやるだ。」
「おれがあたまでっかちでも?」
林太郎りんたろうあたまも、もうはあでっかちじゃねえだ。それ、しろこうだって、いぬころのときでっかちあたまだったが、いまはそうじゃねえだろう。林太郎りんたろうもしろこうとおんなじよ。」
 おとっつあんは林太郎りんたろうくさうえたせ、そのまえへしゃがんで、
「さあ、おんぶしなよ。おっかさんとこへいくだ。」
ってよ、おとっつあん。」
「どうするだ。」
「おとっつあんはばかだなあ。しろこうわすれてるよ。」
「ああそうか。」と、おとっつあんはしろこうあたまをなでて、
「しろこう、ありがとうよ。われのおかげで林太郎りんたろうたすかったぞ。林太郎りんたろうのおっかさんもおとっつあんもたすかったぞ。」
 しろこうもうれしそうにしっぽをふっています。林太郎りんたろうは、しろこうまえへしゃがんで、
「それ、しろこう、おんぶしなよ。」
「なるほど、そうか、そうか。」
 おとっつあんはそこで、しろこうをだきげて林太郎りんたろう背中せなかへのせ、その林太郎りんたろうをおんぶして、そうして自転車じてんしゃへのり、ちょうど曲馬きょくばだん曲芸きょくげいのようなかっこうで、元気げんきよくおっかさんのところへはしりだしました。(あきら10・2〜4)

あほうとり
小川おがわ未明みめい

 若者わかものは、ちいさいときから、両親りょうしんのもとをはなれました。そしてしょしょながあるいていろいろな生活せいかつおくっていました。もはや、幾年いくとせ自分じぶんまれた故郷こきょうへはかえりませんでした。たとえ、それをおもして、なつかしいとおもっても、ただ生活せいかつのまにまに、そのそのおくらなければならなかったのであります。
 もう、十七じゅうななはちになりましたときに、かれは、ある南方なんぽう工場こうじょうはたらいていました。しかし、だれでもいつも健康けんこう気持きもちよく、らされるものではありません。この若者わかもの病気びょうきにかかりました。
 病気びょうきにかかって、いままでのように、よくはたらけなくなると、工場こうじょうでは、この若者わかものに、かねはらってやとっておくことをこころよくおもいませんでした。そしてとうとうあるのこと、若者わかものひまをやって工場こうじょうからしてしまったのです。
 べつに、たよるところのない若者わかものは、やはりみずから、つとめるくちさがさなければなりませんでした。
 かれは、それからというものは毎日まいにち、あてもなく、あちらのまちこちらのまちとさまよって、しょくもとめてあるいていました。
 そらいろのうすあかい、晩方ばんがたのことでありました。かれは、つかれたあしをひきずりながら、まちなかあるいてきますと、あちらにひとがたかっていました。
 何事なにごとがあるのだろう? とおもって、若者わかものはそのひとだかりのしているそばにいってみますと、きたならしい少年しょうねんをみんながとりかこんでいるのであります。
「さあ、あかとりんでみせろ。」と、ひとがいいますと、また、あちらから、
「さあ、しろとりんでみせろ!」とどなりました。
 きたならしいふうをした子供こどもだまってっていました。
「どんなとりでもんでみせるなんて、おまえは、うそをつくのだろう? なんで、そんなことがおまえにできてたまるものか!」と、人々ひとびと口々くちぐちにいって冷笑あざわらいました。
 するとかみびた、顔色かおいろくろい、ちくぼんだ子供こどもは、じろじろとみんなのかおまわしました。
わたしは、けっして、うそをつきません。やまにいて、いろいろほかの人間にんげんのできないことを修業しゅぎょうしました。ほんとうに、みなさんがあかとりんでほしいならば、どうか、わたしに、今夜こんやまるだけのかねをください。わたしは、すぐにんでみせましょう。」といいました。
 群衆ぐんしゅうなかには、さけったおとこがいました。
「ああ、んでみせろ! もし、おまえがんでみせたら、いくらでも、ほしいほどのかねをやるから。」といいました。
 子供こどもは、うなずいて、そらあおぎました。くもはちぎれちぎれにたからかにんでいました。そして、にちがまったくれてしまうのには、まだかんがあったのです。
 たちまち、するど口笛くちぶえのひびきが子供こどもくちびるからこりました。子供こどもは、ゆびげてそれをくちにあてると、いきのつづくかぎり、きならしたのであります。
 このとき、あかみがかった、西にしそらのかなたから、いってんくろちいさなかげくもをかすめてえました。やがて、そのくろてんは、だんだんおおきくなって、みんなのあたまうわそらんできたのです。そして、あちらのまち建物たてもの屋根やねまりました。
 それは、夕暮ゆうぐかた太陽たいようひかりらされて、いっそうあざやかにあか毛色けいろえる、あかとりでありました。
「さあ、このようにあかとりんでまいりました。」と、子供こどもはいいました。
「あんなとおくでは、あかとりだかなんだかわからない。もっとちかく、あのとりんでみせろ!」と、さけったおとこさけびました。
 子供こどもは、ふたたびたからかに、口笛くちぶえらしました。すると、あかとりは、すぐみんなのあたまうえ電信柱でんしんばしらにきてまりました。
「おい、あのとりつかまえてみせろ。」と、このとき、ていたひとがいいました。
わたしには、あのとりつかまえることもできますが、今日きょうはそんなことをいたしません。」と、子供こどもこたえました。
「なんで、おまえはつかまえてみせないのだ?」
わたしは、ただあかとりをここへんだばかりです。」
つかまえてみせなければ、かねをやらないぞ。」と、群衆ぐんしゅう口々くちぐちさけびました。
あかとりんでみせろというだけの約束やくそくであったのです」と、子供こどもこたえました。けれどみんなは、口々くちぐち勝手かってなことをわめいて、承知しょうちをしませんでした。
つかまえてみせなけりゃ、かねをやらない。」と、さけったおとこもいいました。
わたしは、おかねはいりません。そのかわり、今夜こんやこのまちへ、くろとりをたくさんんでみせましょう。」と、子供こどもはいいました。
 くろとりという言葉ことばは、なにか不吉ふきつなことのように、みんなのみみかれたのです。けれど、だれもこころから、ほんとうにしんずるものはありませんでした。なんでおまえにそんなことができるものか? このあかとりんできたのは、偶然ぐうぜんだったろうといわぬばかりのかおつきをして、このきたならしい子供こども姿すがた見守みまもっていました。
 そのとき、だれか、小石こいしひろって、電信柱でんしんばしらいただきまっているあかとりがけて、げました。あかとりおどろいて、くもをかすめて、ふたたび夕空ゆうぞら先刻せんこくきたほうへと、んでいってしまいました。
 子供こどもは、しょんぼりとそこをりました。このあわれなさま若者わかものは、群衆ぐんしゅうにくらしくおもいました。自分じぶんこまっていたのですけれど、まだわずかばかりのかねっていましたので、そのかねなかから幾分いくぶんかを、子供こどもめぐんでやりました。子供こどもは、たいそうよろこんでいくたびもれいをいいました。そして、わすれまいとするように、じっと若者わかものかお見上みあげていました。
 そのばんのことであります。そらはいい月夜つきよで、まちうえあかるく昼間ひるまのようにらしていました。どこからともなく、口笛くちぶえこえこりますとたちまちのあいだに、くろとりが、たくさんつきをかすめて、四方しほうからんできて、まち家々いえいえ屋根やねまりました。
 まちひとたちは、みんながいて、このくろとりをながめました。そして、こんなとりが、どこからんできたのだろうとあやしみました。
 しかし、今日きょうかたまちで、あのきたならしいふうをした、かみののびた子供こどもが、みんなからからかわれていたさまひとたちは、あの子供こどもがだまされたために、復讐ふくしゅうをしたのだろうということをりました。なんというとりか、だれも、このくろとりっているものがありませんでした。そのとりは、からすよりか、かたちちいさかったのであります。そのとりは、だまっていました。そのうちに、また、いちのこらずよるのうちに、どこへかんでいってしまいました。まちひとたちは、なにかわるいことがなければいいがと、おそれていました。
「あのきたならしいふうをした乞食こじきは、悪魔あくまだ。つけしだいにひどいめにあわせて、このまちなかからはらってしまえばいい。」と、ある人々ひとびとはいっていました。
 すうにちのこと、若者わかものは、やとわれくちさがしながらあるいていますと、先日せんじつきたならしいふうをした子供こどもが、職人しょくにんたいおとこにいじめられているのをました。
「おまえは、どこから、このまちへなどやってきたのだ。このごろはまちにろくなことがない。火事かじがあったり、方々かたがたでものをぬすまれたりする。なんでも、口笛くちぶえ子供こどもがあやしいといううわさだが、おまえは口笛くちぶえくか? はやく、どこかへいってしまえ。」と、おとこ子供こどもをにらみつけて、むねのあたりをいて、あちらへしやっていました。
 子供こどもは、だまって、うつむいていました。これを若者わかものはそばへやってきました。
「かわいそうなことをするものでありません。この子供こどもは、あなたにわるいことをしましたか? 口笛くちぶえくということが、どうしてわるいのですか?」と、若者わかものは、職人しょくにんたいおとこをなじりました。
 職人しょくにんたいおとこは、いて、
「このは、悪魔あくまです。この子供こどもまちにはいってからというもの、ろくなことがない。」といいました。
「そんな理由りゆうのあるはずがありません。わたしは、それをしんずることができません。」と、若者わかものはいいました。
 職人しょくにんたいおとこは、かえ言葉ことばがなく、あちらにいってしまいました。
 まもなく、ろくにんれの乱暴らんぼうしゃがやってきました。そして、いきなり、きたならしいふうをしたあわれな子供こどもをなぐりつけました。
「おまえだろう、口笛くちぶえいて、よるちゅうに、くろとりんだりするのは? をつけたのも、おまえにちがいない。また、方々かたがた泥棒どろぼうにはいったのも、おまえにちがいない。」と、かれらは口々くちぐちにののしりました。
 このとき、子供こどもは、なんといって弁解べんかいをしても、かれらはききいれませんでした。そして、つづけざまにに子供こどもをなぐりつけました。これを若者わかものは、あまりのことにおもって、
「なぐらなくてもいいでしょう。口笛くちぶえいて、とりんだことと、火事かじや、泥棒どろぼうとが、なんの関係かんけいがあるのですか? おおぜいで、こんな子供こどもをいじめるなんてまちがってはいませんか。」と、若者わかものは、かれらの乱暴らんぼうめようとしていいました。
 かれらは、これをくと、かえってますますおこりました。
「なにもおまえのったことじゃない。おまえは、このちいさいわるやつ仲間なかまなのか? 生意気なまいきやっこだからいっしょになぐってしまえ!」といって、かれらは、若者わかものや、あしや、かおや、あたまを、かまわずおもうぞんぶんになぐりつけました。
 若者わかものはなからは、ながれました。そして、子供こども若者わかもの二人ふたりは、これらの乱暴らんぼうしゃから、ひどいめにあわされました。かれらは、おもうぞんぶんに二人ふたりをなぐると、
「さあ、さっさとはやくこのまちから、どこへでもいってしまえ。まごまごしていると、またつけて、こんどはゆるしておかないから。」といいのこして、これらの乱暴らんぼうしゃってしまいました。
 子供こどもは、若者わかものたすけられましたので、どんなにか、ありがたくかんじたかしれません。若者わかものが、自分じぶんたすけるために、はなからしたことをると、ただすまなくおもって、いくたびもれいもうしました。
「そんなに、おれいをいわれるとこまります。わたしは、良心りょうしんが、不正ふせいゆるさないために、たたかいましたばかりです。」と、若者わかものこたえました。
 二人ふたりは、とぼとぼとはなしながら、まちはずれて、あちらにあるいていきました。
「これから、あなたは、どこへおゆきなさいますか。」と、子供こどもは、若者わかものにたずねました。
わたしはいままで、ある工場こうじょうはたらいていましたが、病気びょうきになったために、その工場こうじょうからされました。そしてがなく、毎日まいにちやとわれくちさがしているのです。」と、若者わかものこたえました。
 すると、子供こどもは、
わたしは、やまにいたとき、口笛くちぶえいて、いろいろなめずらしいとりを、つかまえることをおぼえました。そのめずらしいとりいちってあちらのにぎやかなみなとにいって、かねのあるひとたちにれば、こまらずにらしてゆくことができるのです。しかし、とりをほんとうにかわいがるひとすくないのです。とりがかわいそうでなりませんから、とりってることはいたしません。わたしは、ひとりでさびしいときには、いままで、いろいろなとりんで、そのこえをきくことをたのしみにしました。また、わたしは、これから西にしにゆきますと、ひろいりんごはたけがあって、そこでは人手ひとでのいることをっています。そのりんごはたけぬしを、わたしは、まんざららないことはありません、その主人しゅじんに、わたしは、あなたを紹介しょうかいしましょう。そして、わたしも、あなたといっしょにはたらいてもいいとおもいます。これから、二人ふたりは、そこへいってはたらこうじゃありませんか。」といいました。
 若者わかものは、これをきいて、たいそうよろこびました。そして、二人ふたりは、西にしほうにあるりんごはたけをさしてたびをいたしました。
 二人ふたりは、りんごじゅ手入ていれをしたり、栽培さいばいをしたりして、そこでしばらくいっしょにらすことになりました。二人ふたりのほかにも、いろいろなひとやとわれていました。若者わかものは、かねや、ぎんに、象眼ぞうがんをするじゅつや、また陶器とうきや、いろいろなばこに、樹木じゅもくや、人間にんげん姿すがたけるじゅつならいました。
 りんごはたけには、朝晩あさばんとりがやってきました。子供こどもは、よく口笛くちぶえいて、いろいろなとりあつめました。そして、とり性質せいしつについて若者わかものおしえましたから、若者わかものは、人間にんげんや、自然しぜん彫刻ちょうこくしたり、またえがいたりしましたが、とり姿すがたをいちばんよく技術ぎじゅつあらわすことができたのであります。
 しかし、二人ふたりは、幾年いくとせかのあとに、またわかれなければなりませんでした。子供こどもは、青年せいねんになりました。そして、若者わかものとしをとりましたから、二人ふたりは、もっとひろなかていって、おもった仕事しごとをしなければならなかったからです。
わたしは、きたならしいふうをして、まちなかをうろついていたときに、あなたにたすけられました。あなたは、自分じぶんわすれて、わたしすくってくださいました。」と、その時分じぶん子供こどもであった青年せいねんはいいました。
「ほんとうに、もうおもせば幾年いくとせまえのことであります。わたしは、病気びょうきをしてしょくうしなっているときに、あなたにあって、このりんごばたけへつれられてきました。そして、ここで幾年いくとせ月日つきひごしました。わたしは、ここにきたがためにいろいろの技術ぎじゅつおぼえることができました。これから、また方々かたがたわたって、もっといろいろのことをったり、たいとおもいます。」と、当時とうじ若者わかものは、もういいはたらざかりになっていて、こうこたえました。
「おたがいに、このなかから、うつくしい、よろこばしいことをりましょう。わたしは、あなたが、わたしのために乱暴らんぼうしゃからなぐられて、ながされたことを一生いっしょうわすれません。」
「いえ、いつかも、いいましたように、けっしてあなたのためではありません。たとえそのひとがあなたでなくても、だれであっても、よわいものを、ああして乱暴らんぼうしゃがいじめていましたら、わたしは、良心りょうしんから、いのちしてたたかったでしょう。」と、むかし若者わかものはいいました。
「みんなが、そのような、ただしいかんがえをっていましたら、どんなにこのなかがいいでしょう? わたしは、このはなしをみんなにらしたいとおもいます。わたしは、めずらしいとりをあなたにあげますから、いつまでもってやってください。そして、わたしわすれずにいてください。」と、むかし子供こどもはいいました。
 口笛くちぶえ上手じょうずかれは、やまほうへはいっていきました。そして、どこからか、いちめずらしいとりつかまえてきました。
「なんというとりですか。」と、年上としうえ若者わかものがきくと、
「どうか、あほうとりというをつけておいてください。このとりをあなたにさしあげます。」と、としわか子供こどもこたえた。
 二人ふたりは、ついにみなみきたわかれました。
 それから、幾十いくじゅうねん……たったことでしょう。あるまちかいりて、としとったおとこが、とり二人ふたりでさびしい生活せいかつをしていました。
 おとこあたまかみ半分はんぶんしろくなりました。とりとしをとってしまいました。おとこは、とりえがくことや、象眼ぞうがんをすることが上手じょうずでありました。終日しゅうじつかい一間ひとま仕事しごとをしていました。その仕事場しごとばだいまえに、いちつばさながとりがじっとしてっています。ちょうど、それは鋳物いものつくられたとりか、また、剥製はくせいのようにられたのでありました。
 おとこは、よるおそくまで、障子しょうじはなして、ランプのした仕事しごとをすることもありました。なつになると、いつも障子しょうじけてありましたから、そとあるひとは、このへや一部いちぶ見上みあげることもできました。
 ちょうどとなりいえかいには、中学校ちゅうがっこうへ、おしえに博物はくぶつ教師きょうしりていました。博物はくぶつ教師きょうしは、よく円形えんけい眼鏡めがねをかけて、かおしてこちらをのぞくのであります。
 博物はくぶつ教師きょうしは、あごにひげをはやしている、きわめて気軽きがるひとでありましたが、いつも剥製はくせいとりを、なんだろう? ついぞたことのないとりだが、とおもっていました。おとこが、むずかしいかおをして仕事しごとをしているので、ついくちさずにいましたが、あるのこと、教師きょうしは、
「あれは、なんというとり剥製はくせいですか?」と、唐突とうとつにききました。
 したいて仕事しごとをしていたおとこは、となり屋根やねから、こちらをいて、みょうなおとこかおしてものをいったので、むずかしいかおげてみましたが、きゅう笑顔えがおになって、
「やあ、おとなり先生せんせいですか。さあ、どうぞ、そこからおはいりください。」と、おとこはいいました。
 おとこは、そのひとが、学校がっこう先生せんせいであるのを、まえからものこそいわなかったけれど、っていたのです。
「なんというとりですか? めずらしいとりですな。」と、先生せんせいは、はいろうともせずにたずねたのであります。
「あほうとりといいます。」と、おとここたえました。
「あほうとり?」といって、先生せんせいは、いたことのないなので、びっくりしたようにまるくしました。
「なんにしてもいい剥製はくせいですな。」と、先生せんせいは、ためいきをもらしました。
「いや、剥製はくせいではありません。きているのです。もうとしをとったので、いつもこうしてねむっています。」と、おとここたえました。
 先生せんせいは、不思議ふしぎなことが、あればあるものだと、ふたたび、びっくりしました。この先生せんせいもどちらかといえば、あまりひと交際こうさいをしない変人へんじんでありましたが、こんなことから、となりおとこはなしをするようになりました。
 あるあさ、あほうとりきました。おとこは、なにかあるな? とむねおもいました。
 はたして、となり先生せんせいがやってきました。そして、大事だいじあつかうから、ちょっとあほうとり学校がっこうしてくれないかとたのみました。おとこは、あほうとりをひとり手放てばなすのを気遣きづかって、自分じぶん学校がっこうまで先生せんせいといっしょについていきました。
 こんなことから、おとこは、多数たすう生徒せいとらにかって、むかしみなみのあるまちあるいているときに、子供こどもたすけたこと、それから、その子供こどもといっしょにはたらいたこと、子供こどもは、どんなとりでも自分じぶんともだちにすることができたこと、このとりは、その青年せいねんわかれるときにくれて、いままでなが月日つきひあいだを、このとり自分じぶんは、いっしょに生活せいかつをしてきたことなどを、物語ものがたったのであります。
 それから、正直しょうじきな「とり老人ろうじん」として、このまち付近ふきんには評判ひょうばんされました。このひとの、とり象眼ぞうがんは、きゅうに、名人めいじん技術ぎじゅつだとうわさされるにいたりました。
 くらい、よるのことであります。このとしとったおとこは、ランプのした仕事しごとをしていますと、きゅうにじっとしていたあほうとりばたきをして、奇妙きみょうこえをたてて、しつなかをかけまわりました。いままでこんなことはなかったのです。
「おまえは、でもくるったのではないか!」と、おとこは、とりかっていいました。けれど、とりは、なかなかおちつくようすはありませんでした。
先生せんせいに、きてみてもらおう。」と、おとこは、もうこのごろでは、したしくなった、となり先生せんせいんだのでありました。
とりは、ものにかんじやすいというから、今夜こんやわったことがあるのかもしれない。あるいは地震じしんでもな……をつけましょう。」と、先生せんせいは、しきりにさわとりながらいいました。
 はたして、そのよる、このまち大火たいかこりました。そして、ほとんど、まち大半たいはん全滅ぜんめつして、また負傷ふしょうしたひとがたくさんありました。
 このさわぎに、あほうとり行方ゆくえが、わからなくなりました。おとこはどんなにか、そのことをかなしんだでしょう。かれは、あとって、終日しゅうじつ、あほうとりかえってくるのをっていました。しかし、とうとう、とりかえってきませんでした。けむりかれて、んだものか、みなみ故郷こきょうに、げていったものか、いずれかでなければなりません。
わたしは、べつに、このまちにいなければならないではないのです。もう一度いちどとりのすんでいたくににいってみようとおもいます。」と、おとこは、先生せんせいにいいました。
「そうですか、そんなら、わたしも、あなたといっしょにいって、その口笛くちぶえ名人めいじんについて、めずらしいとり研究けんきゅうをいたします。」と、先生せんせいがいいました。
 こうして、おとこ先生せんせいは、たびかけました。とおくのそらに、しろくもただよっていました。さんにんった、どんなはなしを、たがいにむつまじくかたうでありましょう。

あるおとこうしはなし
小川おがわ未明みめい

 あるおとこが、うしおも荷物にもつかせてまちかけたのであります。
「きょうのは、ちとうし無理むりかもしれないが、まあけるか、かせてみよう。」と、おとこは、こころなかおもったのでした。
 うしうまは、いくらつらいことがあっても、それをくちしてうったえることはできませんでした。そして、だまって人間にんげんからされるままにならなければなりませんでした。
 うしは、そのおもいとおもいました。けれど、いっしょうけんめいにちからして、おもくるまいたのです。
 街道かいどうをきしり、きしり、うしは、くるまいてまちほうへとゆきました。あせは、たらたらとうしからだからながれたのでした。松並まつなみには、せみが、のんきそうにうたをうたっていました。せみには、いまどんなくるしみをうしあじわっているかということをりませんでした。野原のはらうええ、そよそよといてくるすずしいかぜに、こずえにまっていているせみは眠気ねむけもよおすとみえて、そのこえたかくなったり、ひくくなったりしていました。
 うしは、こころのうちで、せめてこのなかまれてくるなら、なぜ自分じぶんは、せみにまれてこなかったろうとうらやみながら、いっ一歩いっぽまずにくるまいたのであります。
 おとこは、手綱たづなさきで、ピシリピシリとうしのしりをたたきましたが、うしは、ちからをいっぱいしていますので、もうそのうえはやあしはこぶことはできませんでした。さすがに、おとこも、こころのうちでは、無理むりをさせているとおもったので、そのうえひどいことはできなかったばかりでなく、またそのかいがなかったからです。
 それに、真夏まなつのことであって、いつうしみちうえたおれまいものでもないとおもったから、よけいに心配しんぱいもしたのでした。
 街道かいどうなかほどに茶屋ちゃやがあって、そこでは、いつも、うまそうなあんころもちをつくって、みせならべておきました。おとこは、酒呑さけのみで、あんころもちはほしくなかったが、うしが、たいそうそれをきだということをいていましたから、やがて、そのいえまえへさしかかると、
「どうか、この荷物にもつ無事ぶじ先方せんぽうとどけてくれ。そうすればかえりにあんころもちをってやるぞ。」と、おとこは、うしにいったのであります。
 その言葉ことばうしにわかったものか、うしおもそうなあしどりをせいいっぱいにはやめました。そして、その午後ごごまち目的もくてきくことができたのであります。
 おとこは、そこで賃金ちんぎんを、いつもよりはよけいにもらいました。こころのうちでほくほくよろこびながら、うしにもみずをやり、自分じぶんやすんでから、かえりにいたのでした。
うしもたいそうだし、自分じぶんほねだが、おおんでめないことはないものだ。すこしこうして勉強べんきょうをすれば、こんなによけいにおかねがもらえるじゃないか……。」と、手綱たづないてあるきながらかんがえました。
 まちてから、田舎道いなかみちにさしかかったところに居酒屋いざかやがありました。そこまでくると、おとこは、うしまえやなぎにつないで、みせなかへはいりました。かれは、いのさかなでいっぱいやったのでありました。そして、いい機嫌きげんになって、そこからたのであります。
 そのあいだうしは、居眠いねむりをして、じっとっていました。うしつかれていたのです。あか々として、太陽たいようは、西にしそらかたむきかけて、くもがもくりもくりと野原のはらうわそらにわいていました。
 おとこは、うしいて、やがてあんころもちをっているみせまえへかかりますと、その時分じぶんから、ゴロゴロとかみなりりはじめました。
「あ、夕立ゆうだちがきそうになった。ぐずぐずしているとぬれてしまうから、今日きょう我慢がまんをしてくれな。明日あしたは、きっとあんころもちをってやるから。」と、おとこうしにいいました。
 うしは、だまって、したいてあるいていました。おとこは、けっしてうそをいうつもりはなかったのでしょう。すくなくもあわれなうしにはそうしんじられたのでした。
 くるおとこは、昨日きのうおなじほどのおもかせたのです。うしは、あせしたたらしてくるまきました。そのうち、あんころもちをみせまえへさしかかると、おとこは、ちょっとみせほう横目よこめて、
今日きょうは、かえりにあんころもちをってやるぞ。だから、はやあるけよ。」といいました。
 昨日きのうおな時分じぶんに、まちきました。そして、おとこは、昨日きのうおなじように、よけいにかねをもらいました。おとこは、ほくほくよろこんだのであります。このおとこは、よけいにかねつと、なんで忍耐にんたいして、居酒屋いざかやまえ素通すどおりすることができましょう。やはり我慢がまんがされずに、みせへはいって、たらふくみました。そのあいだうしそとにじっとしてっていました。
 おとこは、いい機嫌きげんみせからると、うしいてゆきました。
 やがて、あんころもちをみせまえへさしかかりました。
「なに、畜生ちくしょうのことだ。人間にんげんのいったことなどがわかるものか……。」と、おとこは、ずうずうしくもらぬかおをして、うしいて、そのまえとおぎてしまいました。そのとき、うしは、
「モウ、モウー。」と、なきました。
「さ、はやあるけ!」と、おとこは、しかりつけて、ピシリとうしのしりを手綱たづなちからまかせにたたきました。すると、いままで、おとなしかったうしは、きゅうに、たけりたって、おとこかくさきにかけたかとおもうと、ろくかんもかなたのなかへ、まりをばすようにんでしまったのです。
 かれは、かお泥田どろたなかにうずめてもがきました。そのまに、うしは、ひとりでのこのことあるいていえかえってゆきました。
 おとこは、ようやくなかからはいがると、どろまみれになってむらかえりましたが、あうひとたちがみんなあやしんで、どうしたかときましたけれど、さすがに、うしにうそをいって、復讐ふくしゅうされたとはいえず苦笑にがわらいしていました。
 かれは、いえかえってから、だまっているうしが、なんでもよくわかっていることをさとって、こころから自分じぶんわるかったことをうししゃしたといいます。

ある午後ごご
小川おがわ未明みめい


しんしていえまえ二軒にけんつづきの長屋ながやがあった。最初さいしょわたしにはただこんな長屋ながやがあるというくらいにしかおもわれなかった。
ある新聞しんぶんしゃにいる知人ちじんから毎日まいにち寄贈きぞうしてくれる新聞しんぶんがこのしててから二三日にさんにちとどかなかったので、わたしはきっと配達はいたつにんこのいえ分らわかないためであろうとおもった。しかしわたしには代価だいかおくってもらっているということが、わざわざハガキを本社ほんしゃ出し転居てんきょほうずるのを差し控さ ひかえさせた。なんとなればそうするのがあまり厚顔あつがましいようにかんじられたからであった。たゞわたしはどうかしてこのことだけを配達はいたつらせたいとおもった。
新聞しんぶん午前ごぜん四時よじごろになると配達はいたつされるのでつね家内かないのものがねむっているうちに隙間すきまかられてくのがれいであった。わたしはもしこの時分じぶんきていえそとみちうえっていたなら、偶然ぐうぜんにこの新聞しんぶん配達はいたつ通り過とお すぎるのをないとはかぎらないとおもったので、あるあさわたしはやきていえそとた。
まだうすぐらかった、あかつきかぜは、灰色はいいろくもやぶって、ひがしほうからよるはほのりけかゝっていた。まだみちうえひととおったはいもしなかった。天地てんちかぜくより、寂々せきせきとしておとがなかった。たか木立こだちいただきにあかつきかぜは、自然しぜんねむりをます先駆せんくさけびのようにかれた。わたし世間せけんおおくの人々ひとびとが、このよるからあかつきになろうとしている瞬間しゅんかん自然しぜん景色けしきを、自分じぶんごとくこうしてそとってしたしくものいくにんあろうと考えかんがた。……わたしあたらしいざい見出みいだすことが出来できるようにおぼえて観察かんさつおこたるまいとおもった。
このときはじめてこのニ軒にけん長屋ながや一軒いっけんが、けてあるのをおどろいた。もうこのいえとっくきているとおもわれたからだ。わたしときからこのいえにはどういう人々ひとびとんでいるだろうかとおもった。わたしただちに生活せいかつ奮闘ふんとうしている人々ひとびとだとかんがえた。なんとなればこんなにあさ早くからはや起きているのをると、おおくの人々ひとびとがまだ安眠あんみんしている時分じぶんにも、生活せいかつため働いはたらいているのであろうとかんじたからであった。
わたし新聞しんぶん問題もんだいよりも、此の方こ ほうおおくの注意ちゅういいた。してのちいえ注目ちゅうもくしたが、だこのいえあるじらしいおとこたことがなかった。時々ときどきいえまえにななつやっつの青白あおじろかおおんなが、のみおぶってっているのをた。つまがそのおんなながら、
んだひとかおだってあんなにあおくはない。』とったことがある。
なんでもかおきは、極端きょくたん腎臓じんぞうびょうかかっているような徴候ちょうこうらしくあった。それだのにこうして医者いしゃにも見せずにしかも幼児おさなごおもりをさしてくのは畢竟ひっきょうまずしいがためではなかろうか。ひと境遇きょうぐうによって自然しぜん奮闘ふんとうするちから強弱きょうじゃくがある。このちご果してはたせい保ちたも得ようか?あるしず午後ごごである。このいえから老女ろうじょこえ若いわかおんなこえとがきこえた。老女ろうじょこえひくかった。わかおんなこえげきしていた。
はやこの死んでしまえばいゝのだ。』と若いわかおんなこえ言った。つづいて子供こども泣くこえがした。ある正午ひるごろおとこ大きなおおこえはなしをしていた。おとこ帰るかえときに、
護国寺ごこくじほう出るには、どう行きます……』と言っおんなみち聞いていた。
『そんなら、しなてから……よろしければ……』とおんな言った。すべてのことがわたしには見当けんとうがつかなかった。
れからすうじつのちであった。わたし散歩さんぽからいえ帰っかえ来る長屋ながやまえ荷車にぐるまがあった。それにいろいろのしょ道具どうぐ載せられていた。小さなちい箪笥たんすもあった。しかしすべて一だい足りたのである。軒下のきしたにはやつれたおんなのみ負っ悄然しょうぜん立っくるまについて行くところであった。其のから、其のいえしまって貸家かしやとなった。何処どこ行ったか知らない。
『あののみは、だれだろうか?』とわたし考えかんがた。

ある()先生(せんせい)子供(こども)
小川(おがわ)未明(みめい)

 それは、(さむ)()でありました。(ゆび)のさきも、(はな)(あたま)も、(あか)くなるような(さむ)()でありました。吉雄(よしお)は、いつものように、(あさ)(はや)くから()きました。
「お(かあ)さん、(さむ)()ですね。」と、ごあいさつをして(ふる)えていました。
火鉢(ひばち)に、()がとってあるから、おあたんなさい。」と、お(かあ)さんは、もう、(あさ)のご(はん)支度(したく)をしながらいわれました。
 吉雄(よしお)は、火鉢(ひばち)(まえ)にいって、すわって()(あたた)めました。(いえ)(そと)には、(かぜ)()いていました。そして(ゆき)(うえ)(こお)っていました。
「いま、(あつ)いお(しる)でご(はん)()べると、(からだ)があたたかくなりますよ。」と、お(かあ)さんは、いわれました。
 そのうちに、ご(はん)になって、吉雄(よしお)は、お(ぜん)()かい、あたたかなご(はん)とお(しる)で、朝飯(あさめし)()べたのであります。
番茶(ばんちゃ)がよく()たから、(あつ)いお(ちゃ)()んでいらっしゃい。(からだ)が、あたたかになるから。」と、お(かあ)さんは、吉雄(よしお)の、ご(はん)()わるころにいわれました。
 吉雄(よしお)は、お(かあ)さんのいわれたように、いたしました。すると、ちょうど、汽車(きしゃ)()(かん)(しゃ)石炭(せきたん)をいれたように、(からだ)じゅうがあたたまって、(きゅう)元気(げんき)()てきたのであります。
 吉雄(よしお)は、学校(がっこう)へゆく(まえ)には、かならず、かわいがって()っておいたやまがらに、(えさ)をやり、(みず)をやることを(おこた)りませんでした。
 (よる)(なか)は、(さむ)いので、毎晩(まいばん)、やまがらのかごには、(うえ)からふろしきをかけてやりました。そして、学校(がっこう)へゆく時分(じぶん)に、そのふろしきを()ってやったのです。
 その()も、吉雄(よしお)は、いつものごとくふろしきを()けて、かごを()してやりました。そして、(えさ)をやり、(みず)()えてやってから、(とり)かごを、戸口(とぐち)(はしら)にかけてやりました。
 太陽(たいよう)が、いちばん(はや)く、ここにかけてある(とり)かごにさしたからであります。けれども、あまり(さむ)いので、(とり)は、すくんで、(からだ)をふくらましていました。やがて、太陽(たいよう)が、かごの(うえ)をさす時分(じぶん)には、元気(げんき)()して、あちらに()まり、こちらに()まって、そして、もんどり()ってよくさえずるでありましょうが、いまは、そんなようすも()られませんでした。
 しかし、(とり)がそうする時分(じぶん)は、吉雄(よしお)は、学校(がっこう)へいってしまって、教室(きょうしつ)にはいって、先生(せんせい)から、お修身(しゅうしん)や、算術(さんじゅつ)(おそ)わっているころなのでありました。
 どこか、(とお)いところで、(たこ)のうなる(おと)()こえていました。そして、(かぜ)が、すさまじく、すぎの()(いただき)()いています。その(かぜ)は、また、かごの(なか)のやまがらの(あたま)(ほそ)(ちい)さな()をも(なみ)()てました。すると、やまがらは、ますますまりのように、(からだ)をふくらませたのであります。
 吉雄(よしお)は、こうしている(あいだ)に、(えさ)ちょくの(みず)(こお)ってしまったのを()ました。(かれ)は、また(あたら)しい(みず)()えてやりました。(こお)ってしまっては、やまがらが、(みず)()むのに、(こま)るだろうと(おも)ったからです。
 このとき、ふと、吉雄(よしお)は、さっきお(かあ)さんがおいいなされたことから、
「やまがらにも、あたたかなお()をいれてやったら、(からだ)があたたまって、元気(げんき)()るだろう。」と、(おも)いつきました。そこで、(かれ)は、こんど(えさ)ちょくの(なか)に、お()をいれてきてやりました。
「さあ、お()をのむと、(からだ)があたたかになるよ。」と、吉雄(よしお)は、やまがらに()かっていいました。
 やまがらは、くびをかしげて、不思議(ふしぎ)そうに、(えさ)ちょくから()ちのぼる湯気(ゆげ)をながめていました。そして、吉雄(よしお)が、そこに()ている(あいだ)は、まだお()をば()みませんでした。
 吉雄(よしお)は、学校(がっこう)へゆくのが、おくれてはならないと(おも)って、やがて、かばんを(かた)にかけ、弁当(べんとう)()げて()かけました。
 吉雄(よしお)は、学校(がっこう)へいってから、(とも)だちといろいろ(はな)したときに、自分(じぶん)今日(きょう)くる(まえ)に、やまがらにお()をやってきたということを(はな)しました。
 すると、その(とも)だちは、たまげた(かお)つきをして、
(きみ)、やまがらはお()など、()ませると、()んでしまうぞ。」といいました。
「だって、(さむ)いじゃないか。お()()むと、(からだ)があたたまっていいのだよ。」と、吉雄(よしお)はいいました。
「お()なんかやれば()んでしまう。(きみ)金魚(きんぎょ)だって、お()(なか)へいれれば()んでしまうだろう?」と、相手(あいて)少年(しょうねん)は、いいました。
 吉雄(よしお)は、なるほどと(おも)いました。いくら(さむ)くたって、金魚(きんぎょ)をお()(なか)にいれることはできない。そのかわり、たとえ(みず)がこおっても、金魚(きんぎょ)は、()きていることを、(おも)ったのであります。
 吉雄(よしお)は、たいへんなことをしたと(おも)いました。大事(だいじ)にして、かわいがっていたやまがらを、自分(じぶん)(かんが)(ちが)いから、(ころ)してしまっては()りかえしがつかないと(おも)いました。けれど、どうしてもやまがらにお()をやったことを、まだ、まったく、(わる)いことをしたとは(おも)われませんでした。なんとなく、金魚(きんぎょ)場合(ばあい)とは、(ちが)ったような()もして、(うたが)われましたので、先生(せんせい)()いてみることにいたしました。
 吉雄(よしお)は、(いち)年生(ねんせい)で、もうじき()(ねん)になるのでした。(かれ)は、先生(せんせい)のいなさるところへゆきました。
先生(せんせい)、やまがらにお()をやっても、()にませんでしょうか!」といって、吉雄(よしお)先生(せんせい)()きました。
小鳥(ことり)に、お()なんかやるものはない。」と、()()ちの先生(せんせい)はいわれました。
 すると、このとき、()()ちの先生(せんせい)(となり)に、(こし)をかけていた、やさしそうな、やはり(おとこ)先生(せんせい)がありました。
 吉雄(よしお)は、その先生(せんせい)をなんという先生(せんせい)だか()りませんでした。
 やさしそうな先生(せんせい)吉雄(よしお)(かお)()て、(わら)っていられました。そして、
「やまがらにお()をやったんですか? どうしてお()をやったのです。」と()かれました。
「あまり、(さむ)いものですから、お()()んで(からだ)があたたかになるように、やったのです。」と、吉雄(よしお)はきまり(わる)げに(こた)えました。
「おもしろい。」といって、やさしそうな先生(せんせい)は、()()ちの先生(せんせい)(かお)()わして(わら)われました。吉雄(よしお)には、どうしておもしろいのか、その意味(いみ)がわかりませんでした。
小鳥(ことり)は、人間(にんげん)とちがって、お()()んだからって、(からだ)があたたまるものではない。」と、()()ちの先生(せんせい)はいわれました。
 吉雄(よしお)は、どうして、人間(にんげん)小鳥(ことり)とは、そう(ちが)うのだろう。やはりその意味(いみ)がわかりませんでした。
 このとき、やさしそうな先生(せんせい)は、吉雄(よしお)(ほう)()いて、
小鳥(ことり)は、(やま)(なか)や、(たに)や、(はやし)(あいだ)にすんでいるのです。そして、どんな(さむ)いときでも、(そと)(ねむ)っています。()まれたときから、お()()むように(そだ)てられてはいません。ですから、(さむ)いことも、(みず)()むことも平気(へいき)です。(さむ)(くに)()まれた小鳥(ことり)は、もう子供(こども)時分(じぶん)から、(さむ)さに()れています。あなたの心配(しんぱい)なさるように、(さむ)さに(おどろ)きはしません。」といわれました。
 吉雄(よしお)は、なるほどと(こころ)に、うなずきました。
 また、先生(せんせい)は、
(とり)や、(けだもの)は、()でものを()いたり、(みず)()かしたりすることは、()っていません。()でものを()たり、(みず)()かしたりするものは、人間(にんげん)ばかりでありますよ。」といわれました。
 吉雄(よしお)は、なにもかもよくわかったような()がしました。そして、先生(せんせい)たちのいなさる(しつ)から()ました。けれど、やはり(あたま)(なか)に、心配(しんぱい)がありました。
「やまがらが、いま時分(じぶん)()()んで、(した)()いてしまわないか。」と、(かれ)(おも)いました。
 もし、(した)()いてしまったら、きっといまごろは、やまがらは、(くる)しんで、()んでしまったかもしれない。こう(おも)うと、(かれ)は、()()でなかったのであります。
 吉雄(よしお)不安(ふあん)のうちに、修身(しゅうしん)時間(じかん)を、(いち)時間(じかん)()ごしました。そして、(やす)時間(じかん)になったときに、(かれ)は、いつも、はっきりと先生(せんせい)に、()われたことを(こた)える、小田(おだ)()かって、
「やまがらに、(ぼく)は、お()をやったんだよ。」と、吉雄(よしお)はいいました。
「お()をやったのかい。」と、小田(おだ)は、()(まる)くして()いました。
「やまがらが、お()()んだら、(した)()くだろうかね。」と、吉雄(よしお)は、小田(おだ)にたずねました。
「お()()めば、(した)()くさ。」
()ぬだろうね?」
「ああ、()ぬかもしれないよ。」
 吉雄(よしお)は、もう、じっとしていることができませんでした。さっそく、教室(きょうしつ)へはいって、荷物(にもつ)()って(かえ)支度(じたく)をしました。
(きみ)(いえ)(かえ)るの?」と、小田(おだ)が、そばにきてたずねました。
「ああ、(ぼく)(いえ)(かえ)って、やまがらにお()をやったのを、(みず)()えてくるよ。しかし、もう()んでしまったら、たいへんだね。」と、吉雄(よしお)は、いいました。
 すると、りこうそうな、()のぱっちりした小田(おだ)は、吉雄(よしお)(なぐさ)めるように、
(きみ)、もう()んでしまったらしかたがない。そして、いま時分(じぶん)は、お()は、こんなに(さむ)いんだもの、(みず)になっているよ。(かえ)ってもしかたがないだろう。」といいました。
 吉雄(よしお)は、なるほどと(おも)いました。そして、(かえ)るのをやめました。
 この(はなし)を、だれか()()ちの先生(せんせい)に、したものがあります。すると、先生(せんせい)は、みんなの(まえ)で、
小田(おだ)のいうことはよくわかる。(あたま)がいいからだ。そして、いつまでもお()が、あついと(おも)ったり、やまがらに、お()をやるようなものは、(あたま)がよくないからだ。」といわれました。
 このとき、吉雄(よしお)は、(かお)()()にして、どんなにか()ずかしい(おも)いをしなければなりませんでした。
 しかし、()()ちの先生(せんせい)のいったことは、かならずしも(ただ)しくなかったことは、ずっと(あと)になってから、吉雄(よしお)有名(ゆうめい)なすぐれた学者(がくしゃ)になったのでわかりました。

あるよるほしたちのはなし
小川おがわ未明みめい

 それは、さむい、さむふゆよるのことでありました。そらは、青々あおあおとして、がれたかがみのようにんでいました。一片いっぺんくもすらなく、かぜも、さむさのためにいたんで、すすりきするようなほそこえをたてていている、あきのことでありました。
 はるか、とおい、とおい、ほし世界せかいから、したほう地球ちきゅうますと、しろしもつつまれていました。
 いつも、ぐるぐるとまわっている水車すいしゃじょうくるままっていました。また、いつもさらさらといってながれている小川おがわみずも、まってうごきませんでした。みんなさむさのためにこおってしまったのです。そして、おもてには、こおりっていました。
地球ちきゅううえは、しんとしていて、さむそうにえるな。」と、このとき、ほしひとつがいいました。
 平常へいじょうは、大空おおぞらにちらばっているほしたちは、めったにはなしをすることはありません。なんでも、こんなような、さむふゆばんで、くももなく、かぜもあまりかないときでなければ、かれらは言葉ことばわしわないのであります。
 なんでも、しんとした、みわたったよるが、ほしたちには、いちばんきなのです。ほしたちは、さわがしいことはこのみませんでした。なぜというに、ほしこえは、それはそれはかすかなものであったからであります。ちょうど真夜中まよなか一時いちじから、ごろにかけてでありました。よるなかでも、いちばんしんとした、さむ刻限こくげんでありました。
「いまごろは、だれも、このさむさに、きているものはなかろう。木立こだちも、ねむっていれば、やまにすんでいるけものは、あなにはいってねむっているであろうし、みずなかにすんでいるさかなは、なにかのものかげにすくんで、じっとしているにちがいない。きているものは、みんなやすんでいるのであろう。」と、ひとつのほしがいいました。
 このとき、これにたいして、あちらにかがやいているちいさなほしがいいました。このほしは、終夜しゅうやした世界せかい見守みまもっている、やさしいほしでありました。
「いえ、いまきているひとがあります。わたしいっけんまずしげないえをのぞきますと、二人ふたり子供こどもは、昼間ひるまつかれですやすやとよくやすんでいました。あねのほうのは、工場こうじょうへいってはたらいているのです。おとうとのほうのは、電車でんしゃとおみちかくって新聞しんぶんっているのです。二人ふたり子供こどもは、よくおかあさんのいうことをききます。二人ふたりとも、あまりとしがいっていませんのに、もうなかはたらいて、まずしい一家いっかのために生活せいかつたすけをしなければならないのです。母親ははおやは、いてやすんでいました。しかし、ちちとぼしいのでした。あかぼうは、毎晩まいばんなかになるとちちをほしがります。いま、おかあさんは、このなかきて、火鉢ひばち牛乳ぎゅうにゅうのびんをあたためています。そして、もうあかちゃんがかれこれ、おちちをほしがる時分じぶんだとおもっています。」
二人ふたり子供こどもはどんなゆめているだろうか? せめてゆめになりと、たのしいゆめせてやりたいものだ。」と、ほかのひとつのほしがいいました。
「いや、あねのほうのは、おともだちと公園こうえんへいって、みちあるいているゆめています。はるなので、いろいろの草花くさばなが、花壇かだんなかいています。そのはななどを、二人ふたりはなっています。ふとんのそとているかおに、やさしいほほえみがかんでいます。このあねのほうのは、いま幸福こうふくであります。」と、やさしいほしこたえました。
おとこは、どんなゆめているだろうか?」と、またほかのほしがたずねました。
「あのは、昨日きのう、いつものように、停留ていりゅうじょうって新聞しんぶんっていますと、どこかのおおきないぬがやってきて、ふいに、子供こどもかってほえついたので、どんなに、子供こどもはびっくりしたでしょう。そのことが、あたまにあるとみえて、いまおおきないぬいかけられたゆめてしくしくといていました。無邪気むじゃきなほおのうえなみだながれて、うすくら燈火ともしびひかりが、それをらしています。」と、やさしいほしこたえました。
 すると、いままでだまっていた、えんぽうにあったほしが、ふいにこえをたてて、
「その子供こどもが、かわいそうじゃないか。だれか、どうかしてやったらいいに。」といいました。
わたしは、そのが、をさまさないほどに、こしました。そして、それがゆめであることをらしてやりました。それから子供こどもは、やすやすと平和へいわねむっています。」と、やさしいほしこたえました。
 ほしたちは、それで、二人ふたり子供こどもらについては、安心あんしんしたようです。ただあわれな母親ははおやが、このさむよるにひとりきて、牛乳ぎゅうにゅうあたためているのを不憫ふびんおもっていました。
 それから、しばらく、ほしたちは沈黙ちんもくをしていました。が、たちまち、ひとつのほしが、
「まだ、ほかに、はたらいているものはないか?」とききました。
 そのほしは、えない、運命うんめいをつかさどるほしでありました。
 下界げかいのことを、いつも忠実ちゅうじつ見守みまもっているやさしいほしは、これにこたえて、
汽車きしゃが、よるじゅうとおっています。」といいました。
 ほんとうに、汽車きしゃばかりは、どんなさむばんにも、かぜばんにも、あめばんにも、やすまずにはたらいています。
汽車きしゃとおっている?」と、盲目もうもくほしは、ききかえしました。
「そうです、汽車きしゃが、とおっています。まちからさびしい野原のはらへ、野原のはらからやまあいだを、やすまずにとおっています。そのなかっている乗客じょうきゃくは、たいていとおいところへたびをする人々ひとびとでした。このひとたちは、みんなつかれて居眠いねむりをしています。けれど、汽車きしゃだけはやすまずにはしりつづけています。」と、下界げかいのようすをくわしくっているほしこたえました。
「よく、そうからだつかれずに、汽車きしゃはしれたものだな。」と、運命うんめいほしは、あたまをかしげました。
「そのからだが、かたてつつくられていますから、さまでこたえないのです。」と、やさしいほしがいいました。
 これをくと、運命うんめいほしは、身動みうごきをしました。そして、こわろしくすごいひかりはっしました。なにか、自分じぶんにいらぬことがあったからです。
「そんなに堅固けんごな、のほどのらない、てつというものが、この宇宙うちゅう存在そんざいするのか? おれは、そのことをすこしもらなかった。」と、盲目もうもくほしはいいました。
 てつという、堅固けんごなものが存在そんざいして、自分じぶん反抗はんこうするようにかんがえたからです。
 このとき、やさしいほしはいいました。
「すべてのものの運命うんめいをつかさどっているあなたに、なんで汽車きしゃ反抗はんこうできますものですか。汽車きしゃや、線路せんろは、てつつくられてはいますが、その月日つきひのたつうちにはいつかはしらず、磨滅まめつしてしまうのです。みんな、あなたに征服せいふくされます。あなたをおそれないものはおそらく、この宇宙うちゅうに、ただのひとつもありますまい。」
 これをくと、運命うんめいほしは、こころよげにほほえみました。そして、うなずいたのであります。
 また、しばらくときぎました。そらかぜたようです。だんだんあかつきちかづいてくることがれました。
 ほしたちは、しばらく、みんなだまっていましたが、このとき、あるほしが、
「もう、ほかにわったことがないか。」といいました。
 ちょうど、このときまで、熱心ねっしんした地球ちきゅう見守みまもっていましたやさしいほしは、
「いま、ふたつの工場こうじょう煙突えんとつが、たがいに、どちらが毎日まいにちはやるかといって、いいあらそっているのです。」といいました。
「それは、おもしろいことだ。煙突えんとつがいいあらそっているのですか?」と、ひとつのほしは、たずねました。
 新開地しんかいちにできた工場こうじょうが、ならってふたつありました。ひとつの工場こうじょう紡績ぼうせき工場こうじょうでありました。そしてひとつの工場こうじょうは、製紙せいし工場こうじょうでありました。毎朝まいあさ汽笛きてきるのですが、いつもこのふたつは前後ぜんごして、おな時刻じこくるのでした。
 ふたつの工場こうじょう屋根やねには、おのおのたか煙突えんとつっていました。ほしれのしたさむそらに、ふたつはたかあたまをもたげていましたが、このあさ昨日きのうどちらの工場こうじょう汽笛きてきはやったかということについて、議論ぎろんをしました。
「こちらの工場こうじょう汽笛きてきはやった。」と、製紙せいし工場こうじょう煙突えんとつは、いいました。
「いや、わたしのほうの工場こうじょう汽笛きてきはやかった。」と、紡績ぼうせき工場こうじょう煙突えんとつはいいました。
 結局けっきょく、このあらそいは、てしがつかなかったのです。
今日きょうは、どちらがはやいかよくをつけていろ!」と、製紙せいし工場こうじょう煙突えんとつは、おこって、紡績ぼうせき工場こうじょう煙突えんとつたいっていいました。
「おまえも、よくをつけていろ! しかし、二人ふたりでは、この裁判さいばんはだめだ。だれか、たしかな証人しょうにんがなくては、やはり、いいあらそいができておなじことだろう。」と、紡績ぼうせき工場こうじょう煙突えんとつはいいました。
「それも、そうだ。」
 こういって、ふたつの煙突えんとつはなっていることを、そらのやさしいほしは、すべていていたのであります。
ふたつの煙突えんとつが、どちらの工場こうじょう汽笛きてきはやいか、だれか、裁判さいばんするものをほしがっています。」と、やさしいほしは、みんなにかっていいました。
「だれか、工場こうじょうのあたりに、それを裁判さいばんしてやるようなものはないのか。」と、ひとつのほしがいいました。
 すると、あちらのほうから、
「このさむあさ、そんなにはやくからきるものはないだろう。みんなとこなかに、もぐりんでいて、そんな汽笛きてきおと注意ちゅういをするものはない。それを注意ちゅういするのは、まずしいいえまれておや手助てだすけをするために、はやくから工場こうじょうへいってはたらくような子供こどもらばかりだ。」といったほしがありました。
「そうです。あのまずしいいえ二人ふたり子供こどもも、もうとこなかをさましています。」と、やさしいほしはいいました。
 それからあとも、やさしいほしだけは、した世界せかいをじっと見守みまもっていました。
 あねも、おとうとも、とこなかをさましていたのです。
「もうじき、よるけますね。」と、おとうとは、あねほういていいました。
 また、今日きょう電車でんしゃ停留ていりゅうじょうへいって、新聞しんぶんらねばならないのです。おとうと昨夜さくやいぬいかけられたゆめおもしていました。
「いま、じきに、製紙せいし工場こうじょうか、紡績ぼうせき工場こうじょうかの汽笛きてきると、なんだから、それがったら、おきなさいよ。ねえさんは、もうきてごはん支度したくをするから。」と、あねはいいました。
 このとき、すでに母親ははおやきていました。そして、ねえさんのほうがきて、お勝手かってもとへくると、
今日きょうは、たいへんにさむいから、もっととこなかにもぐっておいで。いまおかあさんが、ごはん支度したくして、できたらぶから、それまでやすんでおいでなさい。まだ、工場こうじょう汽笛きてきらないのですよ。」と、おかあさんはいわれました。
「おかあさん、あかちゃんは、よくねむっていますのね。」と、あねはいいました。
さむいから、くんですよ。いまやっとったのです。」と、おかあさんは、こたえました。
 ねえさんのほうは、もうとこにはいりませんでした。そして、おかあさんのすることをてつだいました。
 うえは、しろしもにとざされていました。けれど、もうそこここに、ひとうごがしたり、物音ものおとがしはじめました。ほしひかりは、だんだんとってゆきました。そして、太陽たいようかおすには、まだすこしはやかったのです。

おおかみをだましたおじいさん
小川おがわ未明みめい

 きたくにの、さむ晩方ばんがたのことでありました。
 ゆきがちらちらとっていました。うえにも、やまうえにも、ゆきもって、あたりは、いちめんに、しろでありました。
 おじいさんは、ちょうど、そのひる時分じぶんでありました。やまに、息子むすこがいって、すみいていますので、そこへ、こめや、いもっていってやろうとおもいました。
「もう、なくなる時分じぶんだのに、なぜいえへもどってこないものか、やま小屋こやなか病気びょうきでもしているのではなかろうか。」といって、おじいさんは、心配しんぱいをいたしました。
「どれ、ゆきがすこしやみになったから、おれっていってやろう。」といって、おじいさんはむらからかけたのでありました。
 やまへさしかかると、ゆきは、ますますふかもっていました。小屋こやくと、息子むすこ達者たっしゃ仕事しごとをしていました。
「おまえは、達者たっしゃでよかった。もうこめや、野菜やさいがなくなった時分じぶんだのに、かえらないものだから、病気びょうきでもしているのではないかと、心配しんぱいしながらやってきた。」と、おじいさんはいいました。
 息子むすこは、たいそうよろこびまして、
わたしは、明日あしたあたり、むらかえってこようとおもっていましたのです。」と、おじいさんにおれいをいいました。
 それから、にんは、小屋こやなかでむつまじくかたらいました。やがて、だんだん日暮ひぐちかくなったのであります。
「おとうさん、また、ゆきがちらちらってきました。このぶんではみちもわかりますまい。今夜こんやは、この小屋こやなかまっておいでなさいませんか。」と、息子むすこはいいました。
 たばこをいながら、のそばに、うずくまっていたおじいさんは、あたまりながら、
おれは、やりかけてきた仕事しごとがたくさんあるのだから、そんなことはしていられない。今夜こんやは、わらじをそくつくらなければならないし、あすのあさは、さんばかりこめをつかなければならん。」と、おじいさんはいいました。
「いま時分じぶん、おとうさんをかえすのは、心配しんぱいでなりませんが。」と、息子むすこは、あんじながらいいました。
 すると、おじいさんは、からからとわらいました。
おれは、おまえよりもとしをとっている。それに、智慧ちえもある。まちがいのあるようなことはないから、安心あんしんをしているがいい。」といって、おじいさんは、小屋こやかけました。
 みちは、もうゆきにうずもれて、どこがやら、はたけやらわかりませんでした。しかし、おじいさんはわか時分じぶんから、ここのあたりは、たびたびあるきなれています。あちらにえる、とおかたもりあてに、むらほうへとあるいてゆきました。
 このとき、あちらから、くろいものが、こちらにかってあるいてきました。もとより、いま時分じぶん人間にんげんが、あるいてこようはずがありません。おじいさんは、なんだろうとおもっていますと、そのうちにちかづきました。おじいさんは、からだじゅうみずびたように、びっくりしました。それは、おおかみであったからです。
 おじいさんは、はじめて息子むすこのいったことをおもしました。「おお、息子むすこのいうことをきいて、今夜こんやまってかえればよかった。」とおもったのです。しかし、いまは、どうすることもできませんでした。
 おじいさんは、じっとして、おおかみのちかづいてくるのをっていました。そして、いいました。
「おまえは、おれみたいなやせた、ほねかわばかりの人間にんげんっても、なんにもならないだろう。もっとふとった、うまそうな人間にんげんのところへ、おまえをつれていってやるから、おまえは、だまって、おれあとからついてくるがいい。おれは、そのふとったうまそうな人間にんげんを、いえそとしてやるから。」といいました。
 おおかみは、だまっていました。そして、おじいさんに、びつこうとはしませんでした。おじいさんは、自分じぶんのいったことが、おおかみにわかったものかと、不思議ふしぎおもいながら、なるたけおおかみのそばをさけて、や、はたけなか横切よこぎりながら、あるいていきましたが、そのあいだきた気持きもちもなく、むらをさしていそぎました。すると、ずっとあとから、くろいおおかみは、やはり、こちらについてくるのでした。
 おじいさんは、ふところにあるだけのマッチをすっては、をつけて、たばこをふかしながらあるいてきました。けだものは、みんなをおそれたからです。
 やっと、おじいさんは、むらのはずれにきました。そこには、猟師りょうし平作へいさくんでいました。
平作へいさく――はやろ、おおかみがきたぞ!」と、おじいさんはどなりました。
 平作へいさくは、じゅうって、いえそとはしました。そして、おじいさんのほうて、「あれか。」といって、くろいものをねらってちました。
 しかし、たまは、急所きゅうしょをはずれたので、おおかみは、ゆきうえおどがって、げてしまいました。
 おじいさんは、自分じぶん智慧ちえしゃだろうと、いえかえってから威張いばっていました。
 一方いっぽう息子むすこは、こんな晩方ばんがた、おじいさんをひとりでかえしたのを後悔こうかいしました。
「どうか、まちがいがなければいいが。」と、心配しんぱいをして、じっとしていることができませんでした。それで、小屋こやて、父親ちちおやあとったのであります。
 もう、あちらに、むらとうえるところでありました。くろおおきなおおかみが、まっしぐらに、うなりながらけてきました。そしておおかみは、人間にんげんあうと、すぐにびついて、ころしてしまいました。
 そのことをあとからって、おじいさんは、どんなになげいたかしれません。そして、息子むすこをなくした、おじいさんは、さびしくらしたのであります。

ひめさまと乞食こじきおんな
小川おがわ未明みめい

 おしろ奥深おくふかくおひめさまはんでいられました。そのおしろはもうふるい、石垣いしがきなどがところどころくずれていましたけれど、くちにはおおきなげんめしいもんがあって、だれでもゆるしがなくては、はいることも、またることもできませんでした。
 おしろは、さびしいところにありました。にぎやかなまちるには、かなりへだたっていましたから、おおい、人里ひとざとからとおざかったおしろなかはいっそうさびしかったのであります。
 おしろなかには、どんなきれいな御殿ごてんがあって、どんなうつくしい人々ひとびとんでいるか、だれもったものがなかったのです。旅人たびびとは、おしろもんとおぎるときに、あしめておしろのあちらをあおぎました。けれど、そこからは、なにもることができませんでした。
「なんでも、きれいな御殿ごてんがあるということだ。」と、一人ひとり旅人たびびとがいいますと、
うつくしいおひめさまがいられて、いい音楽おんがく音色ねいろが、よるひるもしているということだ。」と、また一人ひとり旅人たびびとがいっていました。
 こうして、旅人たびびとは、いろいろなうわさをしながら、そのおしろもんまえってしまったのであります。
 おしろなかには、うつくしい御殿ごてんがありました。そして御殿ごてん一室いっしつに、うつくしいおひめさまがんでいられて、毎日まいにちうたをうたい、いい音色ねいろをたてて音楽おんがくそうせられ、そして、まどぎわによりかかっては、とおくのそらをながめられて、物思ものおもいにふけっていられました。そのことはだれもることができなかったのです。
 おひめさまは、このおしろなかおおきくなられました。そして、このおしろうちしかおりになりませんでした。おしろなかには、おおきなはやしがありました。また、おおきなほりがありました。はやしなかには、いろいろなとりがどこからともなくあつまってきて、いいこえでないていました。またおほりや、いけなかには、めずらしいさかながたくさんおよいでいました。そのほか、御殿ごてんなかには、このなかのありとあらゆるめずらしいものがかざられてありました。けれどおひめさまは、もはや、そんなものをることにきてしまわれました。
「ああ、わたしは、このおしろなかにばかりいることはきてしまった。このおしろなかからそとてみたいものだ。」と、おひめさまはおもわれました。
 このことをおつきのものにはなされますと、おつきのものは、びっくりして、まるくしていいました。
「それはとんでもないことです。このおしろうちほどいいところは、どこへいってもありません。おしろそとますと、それはきたないところや、くらいところや、またわる人間にんげんなどがたくさんにいまして安心あんしんすることができません。おしろのうちほど、いいところがどこにありますものですか。」ともうしました。
 しかし、おひめさまは、だれがなんといっても、やはり、おしろそとて、なかというものをたいとおもわれました。
なかというところは、どんなところだろう。そこには、にぎやかなまちがあるということだ。そのまちへいったら、きっと自分じぶんらないおもしろいことがたくさんにあるに相違そういない。そして、いろいろなうたかれるにちがいない。どうかして、わたしは、そのなかたいものだ。」と、おひめさまはおもわれたのであります。
 はやしなかには、いろいろな小鳥ことりがきてさえずっていましたけれど、その小鳥ことりは、もはやおひめさまにはめずらしいものではなかったのです。しかるに、あるとき、とおみなみほうからわたってきたという、あかみどりあお毛色けいろをした、めずらしいとり献上けんじょうしたものがありました。
 おひめさまは、このとりが、たいそうにいられました。そして、自分じぶん居間いまに、かごにいれてけておかれました。小鳥ことりは、じきにおひめさまになれてしまいました。しかし、小鳥ことりも、自身じしんまれた、とおくにのことをときどき、おもすのでありましょう。かごのなかのとまりまって、とおくのあおい、くもれのしたそらをながめながら、かなしい、ひく音色ねいろをたててなくのでありました。するとおひめさまもかなしくなって、なみだぐまれたのであります。そして、やはり、あちらのそらていられますと、しろくもゆめのようにんでゆくのでありました。
「おまえは、なにをそんなにかんがえているの? しかし、おまえはこんなにとお他国たこくにくるまでには、さだめしいろいろなところをてきたろうね。まちや、うみや、みなとや、野原のはらや、やまや、かわや、まためずらしいふうをした旅人たびびとや、そのひとたちのうたうたなどをいたり、たりしてきたにちがいない。しかし、わたしは、そんなものをくこともることもできない。」
 おひめさまは、こういってなげかれたのであります。
 おしろうちには、さびしいあきがきました。つぎにのことごとくちつくしてしまうふゆがきました。いろいろなあかじゅくし、それがちてしまうとゆきりました。そして、しばらくたつとまた、若草わかくさをふいて、陽炎かげろうのたつ、はるがめぐってきたのであります。
 おしろうちには、はなみだれました。みつばちは太陽たいようのぼまえから、はな周囲しゅういあつまって、はねらしてうたっていました。ほんとうに、のびのびとした、いい日和ひよりがつづきましたので、おしろ門番もんばんは、退屈たいくつしてしまいました。どこからともなく、やわらかなかぜはなのいいかおりをおくってきますので、それをかいでいるうちに、門番もんばんはうとうとと居眠いねむりをしていたのであります。
 ちょうど、そのとき、みすぼらしいようすをしたおんな乞食こじきがおしろうちはいってきました。おんな乞食こじき門番もんばん居眠いねむりをしていましたので、だれにもとがめられることがなく、草履ぞうりおともたてずに、若草わかくさうえんで、しだいしだいにおしろ奥深おくふかはいってきたのであります。
 おひめさまは、おりから、あやしげなようすをしたおんながこちらにちかづいてくるのをごらんになりました。そして、よくそれをごらんになると、自分じぶんおなとしごろのうつくしいむすめでありました。おひめさまはこんなにうつくしいむすめが、どうして、またこんなにきたならしいようすをしているのかとあやしまれたのです。
「おまえは、だれだ?」と、おひめさまは、おたずねになりました。
 するとおんな乞食こじきは、わるびれずに、
「わたしは、まずしい人間にんげんです。おやもありませんし、いえもないものです。こうして諸方しょほうあるいて、べるものや、るものをもらってある人間にんげんなのでございます。」とこたえました。
 おひめさまは、そのはなしいていられるあいだに、いくたび、びっくりなされたかしれません。そして、このおんなが、乞食こじきであることをはじめておりになりました。
「おまえは乞食こじきなの?」と、おひめさまはおいになされました。
「さようでございます。」と、きたならしいようすをしたおんなこたえました。
ひめさまは、つくづくとおんな乞食こじきをごらんになっていましたが、ちいさな歎息たんそくをなされました。
「なんという、おまえのうつくしいでしょう。」とおっしゃられました。
 おんな乞食こじきは、おひめさまを見上みあげて、
「そんなに、わたしのがよろしければ、あなたに、をさしあげましょう。」ともうしました。
 おひめさまは、なおつくづくとおんな乞食こじきをごらんなされていたが、ちいさな歎息たんそくをなされて、
「まあ、なんというおまえのかみうつくしいのだろう。」といわれました。
 おんな乞食こじきは、ながい、くろかみでかきあげながら、
「わたしのかみが、そんなによろしければ、あなたにさしあげましょう。」ともうしました。
 おひめさまは、前後ぜんごのわきまえもなく、おんな乞食こじききつかれました。
「ああ、なんというおまえのこころはやさしいのでしょう。かみもみんなおまえのもので、だれもおまえからることができはしない。わたしがどうして、これをおまえからもらうことができましょう。わたしは、それをほしいとはおもいませんが、どうか、おまえのきている着物きものをおくれ。そして、おまえは、わたしの着物きものをきて、わたしのかわりとなって、しばらく、このおしろうちんでいておくれ。わたしは、おまえになって、ひろなかてきたいから……。」と、おひめさまは、おんな乞食こじきにむかって、ねんごろにたのまれました。
 おんな乞食こじきは、したいて、しばらくかんがえていましたが、やがてかおげて、
「おひめさま、わたしは、なんでもあなたのおっしゃることをきます。しかし、わたしみたいなものが、おひめさまのかわりとなっていることができましょうか。」ともうしました。
 おひめさまは、かるくうなずかれ、
「わたしがよく、侍女じじょたのんでおきます。そして、そんなにながくはたたない。じきにもどってくるから、どうかわたしのいうことをいておくれ。ぜひおねがいだから……。」といわれましたので、おんな乞食こじきは、ついにうなずいて、おひめさまのいうことをきました。
 おひめさまは、侍女じじょをおびになって、そのことをはなされますと、侍女じじょは、びっくりしてまるくしました。
「おひめさま、そんなおかんがえをおこしになってはいけません。どんなまちがいがないともかぎりません。」と、おいさめもうしましたが、おひめさまは、どうかわたしの希望きぼうをかなえさせておくれ、きっとそのおんかえすからといって、ついに、おんな乞食こじき姿すがたをやつされました。そして、しろちいでられることになりました。
 門番もんばんつけたら、またひと災難さいなんであろうと、おひめさまは心配しんぱいをなされましたが、門番もんばんはこのときまで、まだいい心地ここち居眠いねむりをしていましたので、乞食こじきのふうをしたわかおんなが、自分じぶんまえしのあしとおぎたのをまったくらなかったのであります。
 おひめさまは、往来おうらいうえられました。そのみちあるいてゆくと、どこまでもみちはつづいています。そして、ゆきつきるということがありませんでした。おしろうちは、いくらひろくても、いちにちなかには、まわりつくしてしまうことができますのに、往来おうらいはどこまでいっても、はてしがなかったのです。そればかりでない、青々あおあおとした野原のはらや、はなはたけなどをみぎひだりることができました。緑色みどりいろそらは、まろやかにあたまうえかって、とお地平線ちへいせんのかなたへがっています。春風しゅんぷうは、とおくからいて、とおくへっていきます。百姓ひゃくしょう愉快ゆかいそうにはたらいています。おひめさまは、なにをてもめずらしく、こころも、ものびのびとなされました。
「ああ、なかというものは、なんというたのしいところだろう。」と、おひめさまはおもわれました。そして、いままでおしろうちでしていた生活せいかつは、なんという窮屈きゅうくつ生活せいかつであったろうとおもわれました。
 あるところでは、やまられました。また、あるところでは、大河たいがながれていました。そのかわにははしがかかっていました。おひめさまは、そのはしわたられました。すると、あちらに、にぎやかないろいろな建物たてもののそびえているまちがあったのであります。この乞食こじきのようすをした、おひめさまにあった人々ひとびとなかには、どくおもって、おひめさまのがわってきて、
「どうして、おまえさんは、そんなにわかいのに乞食こじきをするのですか?」と、いたものもありました。
 おひめさまは、こういってかれると、なんといってこたえたらいいだろうかとまどわれましたが、
「わたしには、両親りょうしんもなければ、またいえもないのです。」と、いつか乞食こじきおんながいったことをおもしてこたえられました。
 すると、そのひとは、たいそうおひめさまをどくおもって、ぜにしてくれました。
 おひめさまは、旅費りょひなどは用意よういしてきたので、べつにおかねはほしくもなかったが、こうしてしんせつにらぬひとがいってくれるのを、あだにおもってはならないとおもって、ふかくおれいもうされました。
 よるになったときに、おひめさまは、みんな自分じぶんのようなまずしいようすをした旅人たびびとばかりのまる安宿やすやどへ、はいってまることになされました。そこには、ほんとうに他国たこくのいろいろな人々ひとびとまりわせました。そして、めいめいに諸国しょこくてきたこと、またいたことのおもしろいはなしや、不思議ふしぎはなしなどをかたって、よるかしました。また、それらのなかには、自分じぶんおなとしごろのうたうたいがいて、マンドリンをらして、いろいろなうたをうたって、みんなをたのしませていました。
 おひめさまはもとからマンドリンをくことが上手じょうずであり、また、うたをうたうことが上手じょうずでございましたから、自分じぶんも、明日あしたからは、うたうたいとなって、たびをしようとおもわれました。よるけて、太陽たいようが、はないたようにそらかがやきわたりますと、その宿やどまったすべての人々ひとびとは、おもおもいにたびをつづけて、っていってしまいました。おひめさまは、それをかなしいことにも、また、たのしいことにもおもわれました。そこで、自分じぶんは、すっかりうたうたいのふうをして、このまちって、さらにとおとおい、自由じゆうたびをつづけることになされました。
 おしろうちに、おひめさまのかわりになってのこったおんな乞食こじきは、そのからは、なに不足ふそくなくらすことができましたけれど、退屈たいくつでしかたがありませんでした。
「いまごろ、おひめさまは、どうなさっていられるだろう。はやかえってきてくださればいい。」と、おもっていました。
 おんな乞食こじきは、ふたたび、ままなからだになって、はな野原のはらや、うみえる街道かいどうや、若草わかくさしげ小山こやまのふもとなどを、たびしたくなったのであります。
 おんなは、はしらにかかっている小鳥ことりをとめました。その小鳥ことりは、おひめさまがかわいがっていられたうつくしい小鳥ことりでありました。小鳥ことりは、かごのなかでじっとしてかんがえています。おんなは、かおをかごのそばに近寄ちかよせました。
小鳥ことりや、おまえもまれたふるさとがこいしいだろう。さあ、わたしが、いまおまえを自由じゆうにしてあげるから、はやんでおゆき。」と、おんなはいいました。
 そして、おんなは、おひめさまの大事だいじにしていられた小鳥ことりを、はなしてやりました。あかと、みどりと、あおはねしょくをしたうつくしい小鳥ことりは、いいこえでないて、おしろうえっていましたが、やがてくもをかすめてはるかに、どこへとなくってしまったのであります。
 おひめさまは、あしにまかせて、いっても、いっても、はてしのないとおくへといってしまって、かえろうとおもっても、そこがどこやらまったくわからなくなってしまったのです。おひめさまは、自分じぶんくにをばたずねても、だれもそのっているひとはなかったのです。
「そんなくにがどこか、とおいところにあるとはいたが、わたしどもはいってみたことも、またはたしてほんとうにあるのかさえもりません。」と、人々ひとびとこたえました。
 おひめさまは、かなしくなりました。たとえこうしていることが、どんなに自由じゆうであっても、ふるさとのことをおもさずにいられなかったのです。おひめさまは、いまは、ふるさとをこいしくおもわれました。晩方ばんがたくもるにつけ、そらんでゆくとりかげるにつけ、ふるさとをおもしてはなみだにむせばれていたのであります。
 あるのこと、おひめさまは、うみえるみなとのはずれで、ひとりマンドリンをき、ふるさとのうたをうたっていられました。そこは、ずっとあるしまみなみはしでありまして、気候きこうあたたかでいろいろなたか植物しょくぶつが、緑色みどりいろしげっていました。おんなひとは、派手はでな、うつくしいがさをさして、うすい着物きものからだにまとってみちあるいています。おとこひとは、しろふくて、かおりのたかいたばこをくゆらしてあるいていました。
 おひめさまは、太陽たいようかがやいた、うみめんをながめながら、こころをこめてうたうたっていられました。そのときおひめさまは、れた、なつかしい小鳥ことりこえみみにされたのであります。
 それもそのはずのこと、おひめさまの大事だいじにされていた小鳥ことりは、かごをて、自由じゆうになりますと、よるひるたびをして、自分じぶんまれたみなみほうしまかえってきたのです。
 そして毎日まいにち、のどかなそらに、いさえずりながらあそんでいますうちに、あるのこと、したほうみなとで、御殿ごてんにいた時分じぶん、おひめさまのよくうたわれたうたと、そしてまさしく、なつかしいおなこえとをいたから、そばのにおりてみたのであります。
 すると、まちがいなくおひめさまでありました。小鳥ことりはすぐに、おひめさまがくにかえりたいとおもっても、その方角ほうがくも、またみちもわからなくて、こまっていられるのをさっしたのでありました。
「おお、きれいな小鳥ことりだこと、あのとりは、わたしのっていたとりとよくている……。」と、おひめさまは、ざとくそのとりつけると、おもわれました。
 小鳥ことりは、すぐにおひめさまのそばまでやってきて、なつかしそうにくびをかしげてさえずっています。
「おお、おまえは、まさしくわたしの大事だいじにしていた小鳥ことりなのだ。どうして、ここへやってきたの? わたしは、くにかえりたいとおもっても、みちがわからなくてこまっています。どうか、わたしをつれていっておくれ?」と、おひめさまは、小鳥ことりかってはなされました。
 それから、おひめさまは、小鳥ことりについて、そのんでゆくままに、たびをされたのであります。
 小鳥ことりが、ふねのほばしらのさきまっていたときに、おひめさまは、ふねられました。そして、はるばると波路なみじられてゆかれました。小鳥ことりきしがって、まっていたときに、おひめさまは、ふねからがられました。そして、そこにやすんでいたろばにられて、砂漠さばくなかぎられました。
 おひめさまは、そのみちは、自分じぶんのきた時分じぶんとおったみちでないので、ほんとうに、故郷こきょうかえることができるだろうかと、不安ふあんおもわれましたが、小鳥ことりがどこまでもついていってくれるのをたよりにたびつづけられていますと、あるのこと、おひめさまは見覚みおぼえのあるおしろもりが、あちらにそびえているのをごらんになりました。
「おお、わたしはおしろかえってきた!」と、おひめさまはおぼえずさけばれました。
 小鳥ことりは、「いま、あなたは、なつかしいふるさとにおかえりなったのです。あなたが、わたしをかわいがってくださった、ごおんかえすために、ここまで、あなたをおつれもうしました。」といわんばかりに、えだまってないていました。
「ほんとうに、ありがとう。」と、おひめさまは、なみだかがやいたひとみげて、小鳥ことりをじっとごらんなさいますと、小鳥ことりは、やっと安心あんしんをしたように、そらたかがって、どこへともなく、くもとおったのであります。
 ちょうどおひめさまが、おしろられてから、さんたびめのはるがめぐってきたのでありました。そのあいだに、どうしたことか、門番もんばん姿すがたえませんでした。おひめさまは、乞食こじきおんなのことがにかかりながら、おしろうちへとしずみがちにあゆみをはこばれました。
「まあ、おひめさま、おかえりでございますか。」と、侍女じじょは、おひめさまの姿すがたると、にいっぱいなみだをためてきつきました。
「おまえも無事ぶじでよかったね。そしてあのおんなはどうしました?」と、おひめさまもなみだをためてかれました。
 侍女じじょは、こえしのんできました。そして、
「おひめさま、まことにかわいそうなことでございます。去年きょねんはる御殿ごてんにおきゃくがありまして、ご宴会えんかいのございましたときに、殿とのさまから、おひめさまにうたをうたってうようにとのご命令めいれいがありました。あのおんなは、そんなうたらなければ、またいもできませんでした。それをらぬというわけにもいかず、その前夜ぜんや井戸いどなかげてんでしまいました。」ともうしました。
 おひめさまは、あのおんなが、自分じぶんがわりになったばかりにんだことを、たいそうかわいそうにおもわれました。そして、おんなげてんだという井戸いどのそばへいって、ふかく、ふかく、わびられますと、その井戸いどのそばには、濃紫こむらさきのふじのはなが、いまをりにみだれていたのであります。

くま車掌しゃしょう
木内きうち高音たかね

 わたし尋常じんじょうよんねん卒業そつぎょうするまで、北海道ほっかいどうにおりました。そのころは、尋常じんじょうよんねんまでしかありませんでしたから、わたし北海道ほっかいどう尋常じんじょう小学しょうがく卒業そつぎょうしたわけです。
 いまから、ざっと二十にじゅうねんまえになります。いまでは小学校しょうがっこう読本とくほんは、日本にっぽんなかどこへいってもおなじのを使つかっておりますが、その当時とうじは、北海道ほっかいどうようという特別とくべつのがあって、わたしたちは、それをならったものです。茶色ちゃいろ表紙ひょうしあおいとじいと使つかい、ちゅうかみ日本にっぽん片面かためんだけにをすったのをふたりにしてかさねとじた、じゅん日本にっぽんしき読本とくほんでした。そのなかには、内地ないちひとらない、北海道ほっかいどうだけのおはなしがだいぶっていたようです。(わたしたちは、本州ほんしゅうのことを内地ないち内地ないちと、なつかしがって、んでいました。)
 たとえは、くま納屋なやしのんで、かずしたのを腹一杯はらいっぱいべ、のどかわいたのでかわみずむと、さあ大変たいへんです。おはらうちで、かずみずってうんとえたからたまりません。くまは、とうとう破裂はれつしてんでしまったというようなおはなしっていました。かずがどんなにみずけるとえるものかは、お母様かあさまかたにおきになればよくわかります。
 ――わたしは、またもうひと読本とくほんなかにあったくまをありありとおもいだすことができます。それは、おおきなくま後足あとあしって、えださけをたくさんとおしたのをかついでいくところです。さけかわのぼってくるころになりますと、かわさけ一杯いっぱいになり、さけたがいに身動みうごきもできないくらいになることがあるのだそうです。そういうときをねらって、くまかわきしにでて、つめにひっかけては、さけしいだけります。それからえだって、さけあごとおし、それをかついであなかえろうとするのですが、さすがのくまもそこまではがつかないとみえ、えださきめておかないものですから、さけは、みち々、ひとつずりふたちして、ようやくあなかえったころには、えだいっひきのこっていない。そうしたくまあるいたあととおりかかったひとこそしあわせで、くまおとしたさけひろあつめさえすれば大漁たいりょうになるというおはなしでした。
 こんなふうですから、ふだんでもくまはなしは、よくみみにしました。きょうは郵便ゆうびん配達はいたつが、くま出会であってあぶないところだったとか、どこどこへくまがふいにて、をただいちちになぐころしたとか、そういったはなし度々たびたびきました。
 いえちちは、あたらしく鉄道てつどうくために、やまなか測量そくりょうあるいていましたので、そのたんびアイヌじん道案内みちあんないたのんでいました。アイヌじんは、そんな縁故えんこから、くまにくを、よく、わたしいえってきてくれたものでした。
 北海道ほっかいどうくまといえば、こんなにも縁故えんこふかいのです。しかし、かずべすぎたり、さけをおとしてあるいたり、猛獣もうじゅうながら、どことなく、くまには滑稽こっけいな、可愛かわいいいところがあるではありませんか。
 さて、つぎにわたしがおはなししようとおもうのは、北海道ほっかいどうにはじめて鉄道てつどうができたころのことで、いまからざっと四十よんじゅうねんまえになりましょうか。その当時とうじ、まだ二十にじゅうだい青年せいねんで、あの石狩平野いしかりへいやはし列車れっしゃ車掌しゃしょうとしてりこんでいた叔父おじからいたはなしなのです。以下いかわたしとか自分じぶんとかいうのは、叔父おじのことです。
 ――なにしろ、そのころ鉄道てつどうといったら、ひと足跡あしあとどころか、北海道ほっかいどう名物めいぶつからすさえも姿すがたせないような原野げんやひらいてとおしたのだから、そのさびしさといったらなかった。さびしいどころではない。すごいといおうか、なんといおうか、いってもいっても、両側りょうがわには人間にんげんよりもたかあしかやがびっしりとしげっているばかりで、人間にんげんくさいものなんかひとつもありはしない。まったく夕方ゆうがたなんぞ、列車れっしゃ車掌しゃしょうしつから、一人ひとりぼっちでそとながめていると、きたくもけないような気持きもちだった。そういうときには、かわそばへさしかかって、水音みずおとくだけでもうれしかった。――くまなども、はじめは、汽車きしゃるとみょうけだものがやってきたぐらいにおもったらしい。機関きかんしゃまえへのこのこげようともしないので、汽笛きてきをピイピイらしてやっといはらったというようなはなしもあった。
 さて、わたしが、くまと、列車れっしゃなかだい格闘かくとうをしたというはなしも、まあ、そんな時分じぶんのことなのだ。
 あきのことだった。終点しゅうてんのIえきからでる最終さいしゅう列車れっしゃ後部こうぶ車掌しゃしょうつとめることになったわたしは、列車れっしゃはじめばんあと貨車かしゃについた三尺さんじゃくばかりしかない制動せいどうしつりこんだ。制動せいどうしつというのはブレーキがあるからそういうので、車掌しゃしょうしつのことだ。自分じぶんはそこのかたこしかけへこしろすと、薄暗うすぐらいシグナル・ランプをたよりに、かた鉛筆えんぴつめ、日記にっきをつけた。つぎの停車駅ていしゃえきまでは、やくいち時間じかんもかかる。全線ぜんせん一番いちばんなが丁場ちょうばだった。日記にっきをつけてしまうと、することもなくなったので、まどからくらそとかしてた。くろ立木たちきが、かすかによるそらけてえて、時々ときどき機関きかんしゃが、あかせんえがいてたかひくる。かぜ加減かげんで、機関きかんのザッザッポッポッというおとが、とおくなったりちかくなったりする。全線ぜんせんちゅう一番いちばん危険きけん場所ばしょになっているきゅう勾配こうばいのカーブにさしかかるにはまだだいぶあいだがあるので、わたし安心あんしんしてまたこしろすと、いろいろと内地ないちいえのことなどをおもいだして、しみじみとした気持きもちになっていた。
 ――ふと、かおをあげてると、貨車かしゃとの仕切しきりにはまったガラスまどに、人間にんげんかおがぼんやりとうつっている。わたしは、それが、自分じぶんかおだということはっていながら、なんだかともだちでもできたようなにぎやかな気持きもちになって、しきりに帽子ぼうしひさしげたり、げたり、いからしてみたり、くちげてみたりして、ひときょうがっていた。おわりいには、シグナル・ランプをかおまえしてみたりした。(その当時とうじは、客車きゃくしゃにさえ、うすくら魚油ぎょゆとうをつけたもので、車掌しゃしょうしつはただ車掌しゃしょうつシグナル・ランプでらされるばかりであった。そのに、蝋燭ろうそく不時ふじ用意よういとして、いつもってはいたが。)で、シグナル・ランプをかおのそばへってきてると、自分じぶんかおは、くらいガラスのなかに、くっきりとかびすようにうつってえた。
 と、自分じぶんは、はなあたまに、煤煙ばいえんであろう、くろいものがべっとりとついているのをつけて苦笑くしょうした。ゆびさきつばをつけて、はなあたまこすりながら、わたしは、いままで自分じぶんかおにむけていたランプをくるりむこうへまわすと、ガラスにうつっていた自分じぶんかげえて、サーチライトのようないなずまかたちひかりが、さっと、ガラスまどをとおして、貨車かしゃ内部ないぶんだ。その貨車かしゃには丁度ちょうど石狩川いしかりがわでとれたさけんであったので、自分じぶんは、キラキラと銀色ぎんいろひかうろこやま予想よそうしたのだったが、ランプのひかりは、ただ、ぼんやりとやみのなかにとけこんでしまって、なんにもえない。おかしいなとおもったので、自分じぶんは、がってガラスまどにはなをつけるようにしてのぞむと、おどろいた。さけやまは、乱雑らんざつくずされ、みにじりでもしたように、滅茶滅茶めちゃめちゃになっているのだ。
 さけぬすまれるということは、その季節きせつにはよくあることなので、自分じぶんは、さけ泥棒どろぼう貨車かしゃなかまでらしたのかとおもうと、おもわず、むッとして、手荒てあら仕切しきりのくるまけて、あしんだ。もちろん、まだ泥棒どろぼう貨車かしゃなか愚図ぐずついていようとはおもわなかったけれど、用心ようじんのために、そばにあった信号しんごういたのを、右手みぎてち、左手ひだりてにランプをたかげて、用心深ようじんぶかすすんだ。
 くるま動揺どうようのために、ともすると、蹌踉そうろうけそうになるのを、じっとこたえて、ランプを片隅かたすみしつけると、おおきな大入道おおにゅうどうのような影法師かげぼうしがうしろのいたかべに一杯いっぱいうつった。ぎょっとして、見張みはると、不意ふいに、すみほうでピカッとひかったものがある。自分じぶん瞬間しゅんかん、ぞおっとして、すくんでしまった。ひかりものはふたつ。ランプのひかりをうけて、爛々らんらんんとかがやき、ぐるぐるとほのおのように渦巻うずまいている。
くまだ!」
 そうがつくと、自分じぶんかえって、一時いちじ落着らくちゃくいたくらいであった。どうしてくまなぞがはいりこんだものか、そんな疑問ぎもんいだ余裕よゆうもなく、自分じぶんは、ランプをったを、ぐいと、くまほうにさしだして、いっ退しりぞいて身構みがまえた。くまおそれる、ということを咄嗟とっさあいだにも、おもしたものとみえる。
「ううううううう………。」
 くま不意ふいをうたれておどろいたらしく、ひくうなこえをあげながら、じりじりと尻込しりごみをしはじめた。
「このすきに、げなければ………。」
 ふっとがついて、ランプをしつけたまま、あとずさりに退しりぞはじめると、その拍子ひょうしに、ひどくくるまがゆれて、自分じぶんあしもとのさけあしすべらして、ドシンと横倒よこだおしにされてしまった。くまも、それと一緒いっしょに、いやっというほど、おおきなからだかべばんにぶっつけたらしく、はげしくおこって、一層いっそうものすごうなこえをたてた。自分じぶんあわてて、おとしたランプをひろい、なおった。しあわせにもランプはえなかったが、それといっしょに自分じぶんは、列車れっしゃれいきゅう勾配こうばいかろうとしているなとかんじて、ひやりとした。自分じぶんは、ブレーキをかなければならないのだ。
 あとずさりをして、羽目板はめいたにぶつかってしまったくまは、のがみちのないことをさとったものか、すご形相ぎょうそうをし、きばしてかりそうな身構みがまえをした。自分じぶん夢中むちゅうでランプをしつけたまま、あとずさりに戸口とぐちちかづき、はたっていたほううしろへまわして戸口とぐちさぐってみると、ぎくっとした。いつのにかまっているではないか、いまの列車れっしゃ動揺どうようのために、ひとりでにまったのに相違そういない。けようと、あせっても、なにしろまえくまをひかえて、片手かたてうしろにまわしての仕事しごとだからこまった。くまはいよいよきばし、いまにもびかかろうという気勢きせいせている。
「いつものところで、ブレーキをかけることをおこたったら、列車れっしゃ脱線だっせんするかもわからない。けわしいがけ中腹ちゅうふくはしっている列車れっしゃは、それと同時どうじ数十すうじゅうしゃくしたいわんでいる激流げきりゅうに、墜落ついらくするよりほかはない。」
 そうおもうと、自分じぶんは、もうじっとしていられなかった。おそろしさもわすれて、いきなり、さけひろげると、それをくまほうげつけておいて、そのひまをあけようとあせった。
「うわう……。」
 ものすごさけごえ列車れっしゃ騒音そうおんにもまぎれずに、ひびわたった。ガタピシとっかかって、うごこうともしない。自分じぶんかえりざま、また、気違きちがいのようにランプをまわした。くまは、後足あとあしがったままあかいランプのひかりおびえてか、つめねこのように、バリバリとそばの羽目板はめいたつめをたてた。
 一息ひといきついた自分じぶんは、咄嗟とっさ上部じょうぶのガラスまどやぶろうとかんがえた。いきなり、うしろをくと、にしたはたぼうでガラスをくだいた。ガラガラとガラスの破片はへんおと気味悪きみわるひびいた。同時どうじくるったくま一声いっせいたかくうなると、自分じぶんがけてびかかってきた。あぶないところでなおった自分じぶんは、夢中むちゅうで、よこざまにからだげだした。その拍子ひょうしに、シグナル・ランプは、ガチャンとはげしいおとをたててこわれてしまった。
 生臭なまぐさい、べとべとしたさけなかいつくばっている自分じぶんの、うしろのほうで、くまはううううと、うなっている。さいわいに、くまつめにはかからなかったが、たったひとつののがれみちである窓口まどぐちを、くまのために占領せんりょうされてしまったのである。
 列車れっしゃは、くま自分じぶんとをしんくらやみの貨車かしゃなかめたまま、なにもらずに、どんどんとはしっている。すこ速度そくどゆるんできたようだ。自分じぶんは、また、ブレーキのことをおもして、ぞっとした。
「うううううう。」
 くまはきゅうにまた、ものすごいうなりこえをたてはじめた。さて、どうしたら、自分じぶん制動せいどうしつへもどることができるであろうか?
「うわう……。」
と、一声いっせいすさまじいうなこえをあげたとおもうと、いきなりびかかってきたくまはらしたを、よこもぐけるようにからだしたので、あぶないところで、自分じぶんくまつめにかかることだけはのがれることができたのだが、さて、すこ落着らくちゃくいてくると、おそろしさと不安ふあんとが、まえばいになって自分じぶんむねにおしよせてきた。
 たったひとつののがみちだとおもったガラスまどは、くまおおきなからだで、すっかりふさがれてしまったのだ。自分じぶんくまは、さっきとはまったく、あべこべになったわけだ。自分じぶんはまるでくまおりれられたようなものだ。
 さっきまでは、とにかくげられそうな希望きぼうがあった。まど両手りょうてをかけてさえしまえば、飛越とびこしだい要領ようりょうででも、どうにか制動せいどうしつへからだをはこぶことができるとおもっていた。それがだめだとなると、自分じぶんはまったくもう、どうしていいかわからなくなってしまった。自分じぶんいのちあぶないばかりでなく、車掌しゃしょうとして重大じゅうだい任務にんむをはたすことができない。非常ひじょう信号しんごう? ――そういうものがあればいいのだが、なにしろ、むかしの開通かいつうしてまもなくの鉄道てつどうなのだから、そういう用意よういがまるでないのだ。
 ともかく、じっとしてはいられないから、そろそろからだこしてみた。つんばいになると、さっきげだした、シグナル・ランプのこわれがジャリジャリとのひらにさわる。なまぐさいさかなのにおいにまじって、こぼれた石油せきゆがプンとはなをうつ。――なによりも大事だいじな、たったひとつの武器ぶきともおもっていたランプが、メチャメチャになってしまったのである。
自分じぶんはなにをってくまたたかったらいいだろうか?」
 そうおもうと自分じぶんはまったく絶望ぜつぼうしてしまった。――それでも自分じぶんは、ガラスのかけらでらないように用心ようじんしながら、そろそろとあたりをかきさがしてみた。なんというあてもない、ただ自分じぶんは、むちゅうでそんなことをしていたのだ。
「うわう……。」
 くまは、またうなこえをあげた。自分じぶんは、ぎょっとして、そちらをすかしたが、しんくらやみのなかで、よくはえないが、くま戸口とぐち前足まえあしをかけたまま、うごかずにいるようだ。
 自分じぶんは、そのときみょうなことをかんがえた。――いや、かんがえたことがらは、みょうでもなんでもないのだが、そんな、切羽詰せっぱつまった場合ばあいに、よくも、あんな、暢気のんきなことをかんがえだしたものだと、それがみょうなのだ。
 それは、自分じぶんいままでにいたくまについての、いろんなめずらしいはなしなのだ。そんなものが、つぎからつぎへとあたまかんできた。
 ……そのうちのひとつは、ふいにやまなかくまにでくわしたひとはなしだった。そういう場合ばあいに、んだりをするということはだれでもっている。しかし、これは、それにしてもものすごはなしだった。――そのひとは、やはり、どうすることもできず、仕方しかたなしにたおれていきころしていたのだそうである。くまが、あたまのそばへきて、自分じぶんまわしているのが、はっきりとわかる。かれは、まったくんだようになって、心臓しんぞう鼓動こどうまでもめるようにしていた。もっとも、そんなときにはかえって心臓しんぞうはドキドキとはげしくったことだろうが……。冗談じょうだんはさておき、ふん……さんふん……そのうちにくま気配けはいがしなくなったようにおもわれた。そのおとこは、もういいだろうとおもって、かすかにうすをあいてたのだそうだ。――その瞬間しゅんかん、ザクンと一打いちだおおきなくまが、かれのみぎがくからあたまにかけてちおろされた。おとこは、むちゅうでバネ仕掛しかけのようにとびがって、あとはどうしたのか自分じぶんにはわからない。ともかくそのおとこたすかったそうである。大方おおかたくまもふいをうたれてびっくりしたのだろう。しかし、をあいてるまでの時間じかんは、わずかいっぷんふんだったのだろうが、そのおとこには、どんなにながかんじられたことだろう。――
 つい、はなし横道おうどうにそれた。――しかし、くまといっしょに貨車かしゃなかめられたまま、自分じぶんはまったく、そんな、ひとはなしなどをおもしていたのだからみょうではないか。
「ごーっ。」
というひびきが、列車れっしゃ全体ぜんたいつつむようにとどろわたった。
鉄橋てっきょうだ。」
おもうと、自分じぶんはもうじっとしていられなかった。かわわたってからやくマイルのところがれい難所なんしょなのだ。機関きかんも、十分じゅうぶん速度そくどおとしはするが、後部こうぶのブレーキは、どうしてもかなければならないことになっている。が、速度そくどのついた列車れっしゃが、機関きかんしゃのブレーキひとつでさされないとすると、脱線だっせん転覆てんぷく……か。わずかさんりょうではあるが、混合こんごう列車れっしゃのことなので客車きゃくしゃ連結れんけつされている。その乗客じょうきゃくたちの運命うんめいは、まったく、自分じぶんひとりのうでにあるといっていい。
 自分じぶんは、あしみしめてがった。と、不意ふいめいかるいひかり一筋ひとすじまえはしって、くら車内しゃないにななめのせんおとしている。
つきだ……つきひかりだ!」
 貨車かしゃ横腹よこばらにあるおおきな板戸いたどの、隙間すきまれていましがたがったとおもわれるつきんでたのであった。自分じぶんは、なんというわけもなくいさみたった。つきひかり辿たどってると、さけやまにかけられたむしろさんまい足元あしもとちている。
「これだ。」自分じぶんは、とっさにおもった。「だ、だ。」
 自分じぶんは、あせりにあせって、ポケットのマッチをさがそうとしたところが、どうしてもがポケットにはいらない。もどかしくおもって、ぐッとをおしこもうとすると、ポキリとれたものがある。ると、それはろうそくではないか。――さっき、ころんだひょうしにポケットからとびだしたのを、むちゅうで、さぐりでつかんでいたものとみえる。
 三本みもといっしょにマッチをすると、自分じぶんはまずそれを蝋燭ろうそくうつした。――やぶれたガラスまど片手かたてんだまま中腰ちゅうごしっているくま姿すがたが、きゅうめいかるくらしされた。にわかにくまは、ギロギロとくるいだしそうにひかった。
 自分じぶんは、むしろけた。メラメラとがったとおもうと、湿しめがあるとみえて、すぐにちからなくえそうになる。
 くまは、ひくながうなりだした。それは、さっきまでえたようなこえとちがって、大敵たいてき出会であった場合ばあいに、たがいにすきねらってにらっているような、不気味ぶきみなものだった。
 こっちの火勢かせいよわければ、いまにもびかかろうかという気配けはいえた。
 自分じぶんは、さっき石油せきゆがこぼれたとおもうあたりに、あししたちているむしろしやり、ったいちまいえかけたむしろを、たてのようにからだまえにかざしながら、あしさきで、むしろ石油せきゆませようと、ごしごしとしたむしろつづけた。
 くまは、まだうなりながら、自分じぶんにらえている。
 っているむしろが、えないうちに、手早てばや自分じぶんは、ゆかむしろをひろいげた。
 石油せきゆみたのか、むしろかわいていたのか、今度こんどは、いきおいよく一時いちじにパッとえついた。
 この機会きかいはずしてはと、自分じぶんは、もう、おそろしさもわすれて――じつは、おそろしさのあまりだが――がるむしろを、丁度ちょうど、スペインの闘牛とうぎゅう使つかあかいハンケチのようにりながら、じりじりと前進ぜんしんした。
 はなさきでえるては、くま我慢がまんができなかったのだろう。どしんとおおきなおとひびかせて、うしろへ退いた。
 それと一緒いっしょに、またまどガラスのくだけるおとがした。くま自分じぶんはじめとおな位置いちもどったわけだ。すみかべばん背中せなかこすりつけて、ったくまは、まるでまねねこみたいな格好かっこうだった。(あとになってわかったことだが、くまは、ガラスまどんだ拍子ひょうし片手かたて怪我けがをしたので、自然しぜんそんなつきをしたのだ。)
 このとき、だしぬけに汽笛きてきが、ヒョーとった。くだりのカーブにかかる合図あいずなのだ。
 自分じぶんでも、よく、それが、みみにはいったとおもう。――自分じぶんは、なにもかもわすれて、うしろのガラスまどへ上半身じょうはんしんをつっこんだ。
 しかし、どうしてもあしがぬけない。にものぐるいでもがいているうちに、さいわいに、が、ブレーキのハンドルにかかった。
 自分じぶんは、ちゅうにぶらさがったままでちからをこめてハンドルをまわした。
 ……それから、あとのことは自分じぶんなにおぼえていない。
 すぐつぎえきで、自分じぶんこしからした火傷かしょうをして、気絶きぜつしているところをたすけられた。
 ころんだときに、ズボンのうしろにませたあぶらいたものらしいが、なるほど、しりっぺたをやしていたのだから、くまも、かなかったわけではないか。――ただ、このあいだ二十にじゅうふん三十さんじゅうふんのことが、自分じぶんにはじつじつながいことにおもわれてならない。
 くまは、わけなくなまられた。始発駅しはつえきで、さけみをおわって、めるすきはいんだものだろうが、なにしろひとりで汽車きしゃりこんだくまめずらしいというので、駅員えきいんたちが大事だいじっていたが、ねんあまりでんでしまった。

とんまのろく兵衛べえ
下村しもむら千秋ちあき

 むかし、あるむら重吉じゅうきちろく兵衛べえという二人ふたり少年しょうねんんでいました。二人ふたり子供こども時分じぶんからだいなかよしで、いままでいちだって喧嘩けんかをしたこともなく口論こうろんしたことさえありませんでした。しかし奇妙きみょうなことには、重吉じゅうきちからはなけるほどの利口りこうもの でしたが、ろく兵衛べえ反対はんたいなにをやらせても、のろまで馬鹿ばかでした。また重吉じゅうきちいえむら一番いちばん大金持おおがねもちでしたが、ろく兵衛べえいえむら一番いちばん貧乏びんぼうでした。それでいて二人ふたり兄弟きょうだいのようになかがいいのですから、むら人々ひとびと不思議ふしぎおもったのも無理むりはありません。ろく兵衛べえは、そのまれつきの馬鹿ばかのために、仲間なかまからしょっちゅうからかわれて、とんまのろく兵衛べえというあだをつけられていました。
「とんまのろく兵衛べえさん、かわ鰹節かつおぶしをつりにかねえか。」
「おまえとおとうさんは、どっちがさきにまれたんだい。」
 こんなことをわれても、ろく兵衛べえいかりもせず、にやにやわらっているばかりでした。それをている重吉じゅうきちはつくづくろく兵衛べえがかわいそうになりました。そしてどうしたらろく兵衛べえ利口りこうにして、金持かねもちにすることが出来できるかと、そればかりをかんがえていました。それで、
ろくさんは金持かねもちになりたくないかい?」とたずねると、ろくさんは、
「うん、なりてえよ。」とこたえます。
利口りこうになりたくないかい?」とたずねると、
「うん、なりてえよ。」とって、いつものようににやにやわらっています。
 あるのこと、重吉じゅうきちはなにをおもったか、おとうさんが大切たいせつにしまっていたものを、そっとして、台所だいどころ片隅かたすみにかくしてしまいました。するとお正月しょうがつて、おとうさんがそのものとこへかけようとすると、いつもしまってある場所ばしょ見当みあたりません。おとうさんはびっくりして、家中いえじゅうさがまわりましたが、どうしてもつかりません。おとうさんはよわってしまいました。これをすまして重吉じゅうきちはおとうさんのまえって、
「おとうさん、わたし友達ともだちろくさんはうらないがうまいよ。だからもののある場所ばしょをうらなわせてみてごらんよ。」といました。
 すると、おとうさんはわらいながら、
「なに、とんまのろく兵衛べえがうらなうって? これほどさがしてもつからぬものを、あんな馬鹿ばかにどうしてわかるものかえ。」とって、まるでってくれません。
「おとうさんちがうよ。おとうさんはまだろくへいまもるさんのえらいことをらないんだ。ろく兵衛べえさんはうらないにかけては日本一にっぽんいちなんだよ。」
 あまり重吉じゅうきちがまじめにるので、おとうさんもついそのになって、
「じゃひとつうらなわせてみようか。」といましたので、とんまのろく兵衛べえは、いよいよおとうさんのもののありかをうらなうことになりました。
「あのとんまのろく兵衛べえうらないがたったら、あしたからおてんとうさま西にしかららあ。」と、むら人々ひとびとわらいました。
 使つかいのものにつれられてろく兵衛べえは、重吉じゅうきちいえにやってました。そして座敷ざしきのまんなかちつきはらってすわり、勿体もったいぶってかんがえていましたが、やがてぽんとひざをたたいて、とんまに似合にあわないおごそかなこえいました。
みなさん、もののありかはわかりました。こちらです。」とって台所だいどころほうをゆびさしました。そこで重吉じゅうきちのおとうさんは、その台所だいどころのあたりをさがしますと、たしてものました。ろく兵衛べえは、もとより重吉じゅうきちからもののありかをおしえられていたのですから、こんなことはわけもないことだったのです。でも重吉じゅうきちのおとうさんはじ人々ひとびとは、そんなことはりませんから、ろく兵衛べえうらないにびっくりしてしまいました。そして、
ろく兵衛べえは、すばらしいうらないの名人めいじんだ。」ということがやがていえからむらへ、むらから城下じょうかへとひろがって、ろく兵衛べえ重吉じゅうきちのちょっとした悪戯いたずら半分はんぶんのはかりごとのために、うらないのだい先生せんせいになってしまったのです。
 ちょうどそのころ、そのくに殿様とのさまのお屋敷やしきにつたわっている家宝かほう名刀めいとうが、だれかのためにぬすまれました。これはまったくの一大事いちだいじですから、殿様とのさまくにちゅう命令めいれいくだして、盗人ぬすっとさがさせましたが、どうしてもつけることが出来できませんでした。
 そのころまたちょうど、ろく兵衛べえ先生せんせい殿様とのさまのおみみたっしました。そこで殿様とのさま早速さっそくろく兵衛べえ先生せんせいをむかえて、名刀めいとうのありかをうらなわせることになりました。
 さすがのろく兵衛べえもこれにはおどろきました。あんまり重吉じゅうきち悪戯いたずらがすぎたために、とんだことになったと、内心ないしんびくびくしていますと、やがて殿様とのさまから使つかいがやってて、ろく兵衛べえははるばると殿様とのさまのおしろにつれられてました。ろく兵衛べえ心配しんぱいでたまりませんでした。どうしてうらなったらいいのかまるで見当けんとうもつきません。
 さて、いよいよ明日あした登城とじょうして、殿様とのさま御前おまえうらないをするというばんです。ろく兵衛べえはまんじりともせずかんがえこんでいましたが、なんにもいいかんがえはかんでません。そのうちにあたまがぼんやりしてたので、ろく兵衛べえあたまをひやすつもりでにわほうきました。と、そのときいちひきむしろく兵衛べえおおきなはなあなへとびこんだのです。そこでろく兵衛べえは、ちまえの大声おおごえをはりげて、
「ハックショ、ハックショ。」とくさめをしました。ところがだしぬけに、えにししたなにうものがありました。ろく兵衛べえは、
「だれだっ。」とおうとしましたが、はななかがくすぐったいので、またおおきなくさめをしました。と、こんどは、えにししたからおろおろこえで、
「ハイ、白状はくじょういたします。じつわたし殿様とのさま名刀めいとうぬすんだものでございます。名高なだかうらないの先生せんせいがうらなうということをきいて、どんなものかとおもって、いままでここにしのんでいたのでございます。ところが、あなたさまわたしがここにしのんでいることまでうらなてて、ただいま『白状はくじょう白状はくじょう』ともうされました。名刀めいとうは、おしろうらのいちばんおおきなまつ根元ねもとにうずめてありますから、どうぞいのちだけはおたすくださいまし。」
 ろく兵衛べえはこりゃすてきなことをきいたとおもい、だいよろこびで盗人ぬすっとはそのままがしてやりました。
 つぎろく兵衛べえは、まれてからいちとおしたことのない礼服れいふくをきせられ、おしろ参上さんじょうしました。ひゃくじょうしきもある大広間おおひろまには、たくさんの家来けらいがきらほしのようにずらりとながれています。ろく兵衛べえはとんまですからあまりおどろきませんでしたが、それでもおどおどしながら殿様とのさま御前おまえ平伏ひれふしました。
ろく兵衛べえとはそのほうか。御苦労ごくろう御苦労ごくろう。」と殿様とのさまこえをかけました。
「さて、いえつたわる名刀めいとうのありかについて、そのうらないをそのほうもうしつける。まさしく名刀めいとうのありかをはんてるならば、ぞんぶんの褒美ほうびらすぞ。」
 ろく兵衛べえはこれをきくと、あたまをあげてピョッコリとあいさつをして、
「はい、はい、ありがとうございます。」とこたえ、それから勿体もったいぶってかんがえこみました。ずらりとならんでいる家来けらいたちは、せきばらいひとつせず、ろく兵衛べえ振舞ふるまいています。すると、やがてろく兵衛べえはひざをぽんとたたいて、
殿様とのさま、わかりました。おいえ名刀めいとうはたしかに、おしろのうらのいちばんおおきなまつ根元ねもとにうずめてございます。」ともうげました。
 そこで、家来けらいたちがさっそくそのまつ根元ねもとってますと、たして宝物ほうもつ名刀めいとうました。
 ところが殿様とのさまは、だいよろこびとおもいのほか、ことのほかの立腹りっぷくでありました。
「さてはそのほう、あらかじめ自分じぶんぬすみ、まつ根元ねもとにかくしいたものにちがいあるまい。不届ふとどきものやっこ!」
 こううや、殿様とのさまはそばのかたなってこうとしました。とんまのろく兵衛べえも、これにはおどろき、がたがたふるえしました。
 すると、かたわらにすわっていた家来けらいいちにんが、
おそれながらもうげます。当人とうにんはあだをとんまのろく兵衛べえとかもうし、まれつきの馬鹿ばかしゃのゆえ、かかるものをっては殿とのかたなのけがれ、いかがなものでしょうか、もう一度いちどそとのことをうらなわせて、それでたらずば殿とのまえにて拙者せっしゃふたつにいたしましては。」
 殿様とのさまも、これにも一理いちりがあるとおもいましたのか、さっそくろく兵衛べえつぎうらないにりかからせました。
 殿様とのさまはこんどは、のひらになにやらきました。そしてそののひらをかたくにぎって、いました。
「こりゃろく兵衛べえなんじ盗人ぬすっとでない証拠しょうこせるために、のひらにいた文字もじててみよ。うまくはんてたならば、のぞみどおりの褒美ほうびをとらせよう。はんじそこねたときは、なんじくびなんじどうにはつけてかぬぞ。」
 さあこんどこそ、ろく兵衛べえにものぐるいです。どうかしてかんがそうとしましたが、もとよりのろまでとんまなのですから、とうていかんがせません。のろまのとんまでなくとも、これをはんてることはちょっと出来できないことでしょう。ろく兵衛べえきゅうかなしくなりました。このまま自分じぶん殿様とのさまころされるのかとおもうと、なみだました。
「コラ! はやはんてんか。」と殿様とのさま催促さいそくしました。
 いよいよ絶体絶命ぜったいぜつめいです。これももとはといえば重吉じゅうきち悪戯いたずらからたことです。おもえば重吉じゅうきちうらめしくなりました。で、とうとうろく兵衛べえはおろおろこえで、
重吉じゅうきちさんがうらめしい。」とおうとしましたが、なみだが、こみげてて、
じゅう……じゅう……」とどもってしまいました。
「なに、じゅうだと。ろく兵衛べえ、でかしたでかした。」
 殿様とのさまはさっとをひろげて、そうさけびました。
 どうでしょう。殿様とのさまのひらには、たしかにじゅうといういてあったのです。ろく兵衛べえはびっくりするやら、ホッとするやら、ゆめのようながしてぼんやりしてしまいました。が、やがてたくさんの褒美ほうびをいただいて、よろこいさんでむらかえってました。
 それからはだれも、ろく兵衛べえをとんまのろく兵衛べえぶものはありませんでした。

(あめ)チョコの天使(てんし)
小川(おがわ)未明(みめい)

 (あお)い、(うつく)しい(そら)(した)に、(くろ)(けむり)()がる、煙突(えんとつ)(いく)(ほん)()った工場(こうじょう)がありました。その工場(こうじょう)(なか)では、(あめ)チョコを製造(せいぞう)していました。
 製造(せいぞう)された(あめ)チョコは、(ちい)さな(はこ)(なか)()れられて、方々(かたがた)(まち)や、(むら)や、また都会(とかい)()かって(おく)られるのでありました。
 ある()(くるま)(うえ)に、たくさんの(あめ)チョコの(はこ)()まれました。それは、工場(こうじょう)から、(ちょう)いうねうねとした(みち)()られて、停車場(ていしゃじょう)へと(はこ)ばれ、そこからまた(とお)い、田舎(いなか)(ほう)へと(おく)られるのでありました。
 (あめ)チョコの(はこ)には、かわいらしい天使(てんし)(えが)いてありました。この天使(てんし)運命(うんめい)は、ほんとうにいろいろでありました。あるものは、くずかごの(なか)へ、ほかの(かみ)くずなどといっしょに、(やぶ)って()てられました。また、あるものは、ストーブの()(なか)()()れられました。またあるものは、泥濘(ぬかるみ)(みち)(うえ)()てられました。なんといっても子供(こども)らは、(はこ)(なか)(はい)っている、(あめ)チョコさえ()べればいいのです。そして、もう、()(ばこ)などに用事(ようじ)がなかったからであります。こうして、泥濘(ぬかるみ)(なか)()てられた天使(てんし)は、やがて、その(うえ)(おも)荷車(にぐるま)(わだち)()かれるのでした。
 天使(てんし)でありますから、たとえ(やぶ)られても、()かれても、また()かれても、()()るわけではなし、また(いた)いということもなかったのです。ただ、この地上(ちじょう)にいる(あいだ)は、おもしろいことと、(かな)しいこととがあるばかりで、しまいには、(たましい)は、みんな(あお)(そら)へと()んでいってしまうのでありました。
 いま、(くるま)()せられて、うねうねとした(なが)(みち)を、停車場(ていしゃじょう)(ほう)へといった天使(てんし)は、まことによく()れわたった、(あお)(そら)や、また木立(こだち)や、建物(たてもの)(かさ)なり()っているあたりの景色(けしき)をながめて、(ひと)(ごと)をしていました。
「あの(くろ)い、(けむり)()っている建物(たてもの)は、(あめ)チョコの製造(せいぞう)される工場(こうじょう)だな。なんといい景色(けしき)ではないか。(とお)くには(うみ)()えるし、あちらにはにぎやかな(まち)がある。おなじゆくものなら、(おれ)は、あの(まち)へいってみたかった。きっと、おもしろいことや、おかしいことがあるだろう。それだのに、いま、(おれ)は、停車場(ていしゃじょう)へいってしまう。汽車(きしゃ)()せられて、(とお)いところへいってしまうにちがいない。そうなれば、もう()()と、この都会(とかい)へはこられないばかりか、この景色(けしき)()ることもできないのだ。」
 天使(てんし)は、このにぎやかな都会(とかい)見捨(みす)てて、(とお)く、あてもなくゆくのを(かな)しく(おも)いました。けれど、まだ自分(じぶん)は、どんなところへゆくだろうかと(かんが)えると(たの)しみでもありました。
 その()(ひる)ごろは、もう(あめ)チョコは、汽車(きしゃ)()られていました。天使(てんし)は、()(くら)(なか)にいて、いま汽車(きしゃ)が、どこを(とお)っているかということはわかりませんでした。
 そのとき、汽車(きしゃ)は、野原(のはら)や、また(おか)(した)や、(むら)はずれや、そして、(おお)きな(かわ)にかかっている鉄橋(てっきょう)(うえ)などを(わた)って、ずんずんと東北(とうほく)(ほう)()かって(はし)っていたのでした。
 その()晩方(ばんがた)、あるさびしい、(ちい)さな(えき)汽車(きしゃ)()くと、(あめ)チョコは、そこで()ろされました。そして汽車(きしゃ)は、また(くら)くなりかかった、(かぜ)()いている野原(のはら)(ほう)へ、ポッ、ポッと(けむり)()いていってしまいました。
 (あめ)チョコの天使(てんし)は、これからどうなるだろうかと、(なか)(たよ)りないような、(なか)(たの)しみのような気持(きも)ちでいました。すると、まもなく、幾百(いくひゃく)となく、(あめ)チョコのはいっている(おお)きな(はこ)は、その(まち)菓子(かし)()(はこ)ばれていったのであります。
 (そら)が、(くも)っていたせいもありますが、(まち)(なか)は、(にち)()れてからは、あまり人通(ひとどお)りもありませんでした。天使(てんし)は、こんなさびしい(まち)(なか)で、幾日(いくにち)もじっとして、これから(なが)(あいだ)、こうしているのかしらん。もし、そうなら退屈(たいくつ)でたまらないと(おも)いました。
 幾百(いくひゃく)となく、(あめ)チョコの(はこ)(えが)いてある天使(てんし)は、それぞれ(ちが)った空想(くうそう)にふけっていたのでありましょう。なかには、(はや)(あお)(そら)(のぼ)ってゆきたいと(おも)っていたものもありますが、また、どうなるか最後(さいご)運命(うんめい)まで()てから、(そら)(かえ)りたいと(おも)っていたものもあります。
 ここに(はなし)をしますのは、それらの(おお)くの天使(てんし)(なか)一人(ひとり)であるのはいうまでもありません。
 ある()(おとこ)(はこ)(ぐるま)()いて菓子(かし)()店頭(てんとう)にやってきました。そして、(あめ)チョコを三十(さんじゅう)ばかり、ほかのお菓子(かし)といっしょに(はこ)(ぐるま)(なか)(おさ)めました。
 天使(てんし)は、また、これからどこへかゆくのだと(おも)いました。いったい、どこへゆくのだろう?(はこ)(ぐるま)(なか)にはいっている天使(てんし)は、やはり、(くら)がりにいて、ただ(しゃ)(いし)(うえ)をガタガタと(おど)りながら、なんでものどかな、田舎道(いなかみち)を、()かれてゆく(おと)しか()くことができませんでした。
 (はこ)(しゃ)()いてゆく(おとこ)は、途中(とちゅう)で、だれかと(みち)づれになったようです。
「いいお天気(てんき)ですのう。」
「だんだん、のどかになりますだ。」
「このお天気(てんき)で、みんな(せつ)()えてしまうだろうな。」
「おまえさんは、どこまでゆかしゃる。」
「あちらの(むら)へ、お菓子(かし)(おろ)しにゆくだ。今年(ことし)になって、はじめて東京(とうきょう)から()がついたから。」
 (あめ)チョコの天使(てんし)は、この(はなし)によって、この(へん)には、まだところどころ()や、(はたけ)に、(ゆき)(のこ)っているということを()りました。
 (むら)(はい)ると、木立(こだち)(うえ)に、小鳥(ことり)がチュン、チュンといい(こえ)()して、(えだ)から、(えだ)へと()んではさえずっていました。子供(こども)らの(あそ)んでいる(こえ)()こえました。そのうちに(くるま)は、ガタリといって()まりました。
 このとき、(あめ)チョコの天使(てんし)は、(むら)へきたのだと(おも)いました。やがて(はこ)(ぐるま)のふたが(ひら)いて、(おとこ)ははたして(あめ)チョコを()()して、(むら)(ちい)さな駄菓子(だがし)()店頭(てんとう)()きました。また、ほかにもいろいろのお菓子(かし)(なら)べたのです。
 駄菓子(だがし)()のおかみさんは、(あめ)チョコを()()りあげながら、
「これは、みんな(じっ)(せん)(あめ)チョコなんだね。()(せん)のがあったら、そちらをおくんなさい。この(あた)りでは、(じっ)(せん)のなんか、なかなか()れっこはないから。」
といいました。
(じっ)(せん)のばかりなんですがね。そんなら、(みっ)(よっ)()いてゆきましょうか。」と、(くるま)()いてきた(わか)(おとこ)はいいました。
「そんなら、(みっ)つばかり()いていってください。」と、おかみさんはいいました。
 (あめ)チョコは、(みっ)つだけ、この(みせ)()かれることとなりました。おかみさんは、(みっ)つの(あめ)チョコを(おお)きなガラスのびんの(なか)にいれて、それを(そと)から()えるようなところに(かざ)っておきました。
 (わか)(おとこ)は、(くるま)()いて(かえ)ってゆきました。これから、またほかの(むら)へ、まわったのかもしれません。(おな)工場(こうじょう)(つく)られた(あめ)チョコは、(おな)汽車(きしゃ)()って、ついここまで運命(うんめい)をいっしょにしてきたのだが、これからたがいに()らない場所(ばしょ)(べつ)かれてしまわなければなりませんでした。もはや、この()(なか)では、それらの天使(てんし)は、たがいに(かお)見合(みあ)わすようなことはおそらくありますまい。いつか、(あお)(そら)(のぼ)っていって、おたがいにこの()(なか)()てきた運命(うんめい)について、(かた)()()よりはほかになかったのであります。
 びんの(なか)から、天使(てんし)は、(いえ)(まえ)(なが)れている(ちい)さな(かわ)をながめました。(みず)(うえ)を、(にち)(ひかり)がきらきら()らしていました。やがて()()れました。田舎(いなか)(よる)はまだ(さむ)く、そして、(さび)しかった。しかし(よる)()けると、小鳥(ことり)(れい)木立(こだち)にきてさえずりました。その()もいい天気(てんき)でした。あちらの(やま)あたりはかすんでいます。子供(こども)らは、お菓子(かし)()(まえ)にきて(あそ)んでいました。このとき、(あめ)チョコの天使(てんし)は、あの子供(こども)らは、(あめ)チョコを()って、自分(じぶん)をあの小川(おがわ)(なが)してくれたら、自分(じぶん)は (みず)のゆくままに、あちらの(とお)いかすみだった山々(やまやま)(あいだ)(なが)れてゆくものを空想(くうそう)したのであります。
 しかし、おかみさんが、いつかいったように、百姓(ひゃくしょう)子供(こども)らは、(じっ)(せん)(あめ)チョコを()うことができませんでした。
 (なつ)になると、つばめが()んできました。そして、そのかわいらしい姿(すがた)小川(おがわ)(みず)(おもて)(うつ)しました。また(あつ)日盛(ひざか)りごろ、旅人(たびびと)店頭(てんとう)にきて(やす)みました。そして、四方(よも)(はなし)などをしました。しかし、その(あいだ)だれも(あめ)チョコを()うものがありませんでした。だから、天使(てんし)(そら)(のぼ)ることも、またここからほかへ(たび)をすることもできませんでした。月日(つきひ)がたつにつれて、ガラスのびんはしぜんに(よご)れ、また、ちりがかかったりしました。(あめ)チョコは、憂鬱(ゆううつ)()(おく)ったのであります。
 やがてまた、(さむ)さに()かいました。そして、(ふゆ)になると、(ゆき)はちらちらと()ってきました。天使(てんし)田舎(いなか)生活(せいかつ)()きてしまいました。しかし、どうすることもできませんでした。ちょうど、この(みせ)にきてから、(いち)(ねん)めになった、ある()のことでありました。
 菓子(かし)()店頭(てんとう)に、一人(ひとり)のおばあさんが()っていました。
「なにか、(まご)(おく)ってやりたいのだが、いいお菓子(かし)はありませんか。」と、おばあさんはいいました。
「ご隠居(いんきょ)さん、ここには上等(じょうとう)のお菓子(かし)はありません。(あめ)チョコならありますが、いかがですか。」と、菓子(かし)()のおかみさんは(こた)えました。
(あめ)チョコを()せておくれ。」と、つえをついた、(くろ)頭巾(ずきん)をかぶった、おばあさんはいいました。
「どちらへ、お(おく)りになるのですか。」
東京(とうきょう)(まご)に、もちを(おく)ってやるついでに、なにかお菓子(かし)()れてやろうと(おも)ってな。」と、おばあさんは(こた)えました。
「しかし、ご隠居(いんきょ)さん、この(あめ)チョコは、東京(とうきょう)からきたのです。」
「なんだっていい、こちらの(こころざし)だからな。その(あめ)チョコをおくれ。」といって、おばあさんは、(あめ)チョコを(みっ)つとも()ってしまいました。
 天使(てんし)(おも)いがけなく、ふたたび、東京(とうきょう)(かえ)っていかれることを(よろこ)びました。
 あくる()(よる)は、はや、(くら)貨物(かもつ)列車(れっしゃ)(なか)()すられて、いつかきた時分(じぶん)(おな)線路(せんろ)を、都会(とかい)をさして(はし)っていたのであります。
 (よる)()けて、あかるくなると、汽車(きしゃ)は、都会(とかい)停車場(ていしゃじょう)()きました。
 そして、その()昼過(ひるす)ぎには、小包(こづつみ)宛名(あてな)(いえ)配達(はいたつ)されました。
田舎(いなか)から、小包(こづつみ)がきたよ。」と、子供(こども)たちは、(おお)きな(こえ)()して(よろこ)び、(おど)(あが)がりました。
「なにがきたのだろうね。きっとおもちだろうよ。」と、母親(ははおや)は、小包(こづつみ)(なわ)()いて、(はこ)のふたを()けました。すると、はたして、それは、田舎(いなか)でついたもちでありました。その(なか)に、(みっ)つの(あめ)チョコがはいっていました。
「まあ、おばあさんが、おまえたちに、わざわざ()ってくださったのだよ。」と、母親(ははおや)は、(さん)(にん)子供(こども)(ひと)つずつ(あめ)チョコを()けて(あた)えました。
「なあんだ、(あめ)チョコか。」と、子供(こども)らは、(くち)ではいったものの(よろこ)んで、それをば()()って、(いえ)(そと)(あそ)びに()ました。

 まだ、(さむ)い、早春(そうしゅん)黄昏(たそがれ)(かた)でありました。往来(おうらい)(うえ)では、子供(こども)らが、(おに)ごっこをして(あそ)んでいました。(さん)(にん)子供(こども)らは、いつしか(あめ)チョコを(はこ)から()して()べたり、そばを(はな)れずについている、(しろ)(いぬ)のポチに()げてやったりしていました。その(なか)に、まったく(はこ)(なか)(から)になると、一人(ひとり)(から)(ばこ)(みぞ)(なか)()てました。一人(ひとり)は、(やぶ)ってしまいました。一人(ひとり)は、それをポチに()げると、(いぬ)は、それをくわえて、あたりを()びまわっていました。
 (そら)(いろ)は、ほんとうに、(あお)い、なつかしい(いろ)をしていました。いろいろの(はな)()くには、まだ(はや)かったけれど、(うめ)(はな)は、もう(かお)っていました。この(しず)かな黄昏(たそがれ)がた、(さん)(にん)天使(てんし)は、(あお)(そら)(のぼ)ってゆきました。
 その(なか)一人(ひとり)は、(おも)()したように、(とお)都会(とかい)のかなたの(そら)をながめました。たくさんの煙突(えんとつ)から、(くろ)(けむり)()がっていて、どれが(むかし)自分(じぶん)たちの(あめ)チョコが製造(せいぞう)された工場(こうじょう)であったかよくわかりませんでした。ただ、(うつく)しい()が、あちらこちらに、もやの(なか)からかすんでいました。
 青黒(あおぐろ)(そら)は、だんだん()がるにつれて(あか)るくなりました。そして、()()には、(うつく)しい(ほし)(ひか)っていました。

一房ひとふさ葡萄ぶどう
有島ありしま武郎たけお

 ぼくちいさいときくことがきでした。ぼくかよっていた学校がっこう横浜よこはまやまというところにありましたが、そこいらは西洋せいようじんばかりんでいるまちで、ぼく学校がっこう教師きょうし西洋人せいようじんばかりでした。そしてその学校がっこうきかえりにはいつでもホテルや西洋人せいようじん会社かいしゃなどがならんでいる海岸かいがんとおりをとおるのでした。とおりのうみいにってると、真青まっさおうみうえ軍艦ぐんかんだの商船しょうせんだのがいっぱいならんでいて、煙突えんとつからけむりているのや、ほばしらから万国旗ばんこっきをかけわたしたのやがあって、がいたいように綺麗きれいでした。ぼくはよくきしってその景色けしき見渡みわたして、いえかえると、おぼえているだけを出来できるだけうつくしくえがいてようとしました。けれどもあのきとおるようなうみ藍色あいいろと、しろ帆前船ほまえせんなどの水際みずぎわちかくにってある洋紅ようこうしょくとは、ぼくっている絵具えのぐではどうしてもうまくせませんでした。いくらえがいてもえがいても本当ほんとう景色けしきるようないろにはえがけませんでした。
 ふとぼく学校がっこう友達ともだちっている西洋せいよう絵具えのぐおも しました。その友達ともだちはり西洋せいようじんで、しかもぼくよりふたくらいとしうえでしたから、身長しんちょう見上みあげるようにおおきいでした。ジムというそのっている絵具えのぐ舶来はくらい上等じょうとうのもので、かるはこなか十二種じゅうにしゅ絵具えのぐちいさなすみのように四角しかくかたちにかためられて、二列にれつにならんでいました。どのいろうつくしかったが、とりわけてあい洋紅ようこうとは喫驚びっくりするほどうつくしいものでした。ジムはぼくより身長せいたかいくせに、はずっと下手へたでした。それでもその絵具えのぐをぬると、下手へたさえがなんだかちがえるようにうつくしくえるのです。ぼくはいつでもそれをうらやましいとおもっていました。あんな絵具えのぐさえあればぼくだってうみ景色けしき本当ほんとううみえるようにえがかいてせるのになあと、自分じぶんわる絵具えのぐうらみながらかんがえました。そうしたら、そのからジムの絵具えのぐがほしくってほしくってたまらなくなりました。けれどもぼくはなんだか臆病おくびょうになってパパにもママにもってくださいとねがになれないので、毎日まいにち々々その絵具えのぐのことをこころなかおもいつづけるばかりで幾日いくにちがたちました。
 いまではいつのころだったかおぼえてはいませんがあきだったのでしょう。葡萄ぶどうぶどうのじゅくしていたのですから。天気てんきふゆまえあきによくあるようにそらおくおくまですかされそうにれわたったでした。僕達ぼくたち先生せんせい一緒いっしょ弁当べんとうをたべましたが、そのたのしみな弁当べんとう最中さいちゅうでもぼくこころはなんだか落着おちつかないで、そのそらとはうらはらにくらかったのです。ぼく自分じぶん一人ひとりかんがえこんでいました。だれかががついてたら、かお屹度きっとあおかったかもれません。ぼくはジムの絵具えのぐがほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。むねいたむほどほしくなってしまったのです。ジムはぼくむねなかかんがえていることをっているにちがいないとおもって、そっとそのかおると、ジムはなんにもらないように、面白おもしろそうにわらったりして、わきにすわっている生徒せいとはなしをしているのです。でもそのわらっているのがぼくのことをっていてわらっているようにもおもえるし、なにはなしをしているのが、「いまにろ、あの日本人にっぽんじんぼく絵具えのぐるにちがいないから。」といっているようにもおもえるのです。ぼくはいやな気持きもちになりました。けれどもジムがぼくうたがっているようにえればえるほど、ぼくはその絵具えのぐがほしくてならなくなるのです。
 ぼくはかわいいかおはしていたかもれないがからだこころよわでした。そのうえ臆病者おくびょうもので、いたいこともわずにすますようなたちでした。だからあんまりひとからは、かわいがられなかったし、友達ともだちもないほうでした。ひる御飯ごはんがすむとほか子供こどもたち活溌かっぱつ運動うんどうじょうはしりまわってあそびはじめましたが、ぼくだけはなおさらそのへんこころしずんで、一にんだけ教場きょうじょう這入はいっていました。そとがあかるいだけに教場きょうじょうなかくらくなってぼくこころなかのようでした。自分じぶんせきすわっていながらぼく時々ときどきジムのテイブルほうはしりました。ナイフで色々いろいろないたずらきがりつけてあって、手垢てあか真黒まっくろになっているあのふたあげると、そのなかほん雑記ざっきちょう石板せきばん一緒いっしょになって、あめのようないろ絵具えのぐばこがあるんだ。そしてそのはこなかにはちいさいすみのようなかたちをしたあい洋紅ようこう絵具えのぐが……ぼくかおあかくなったようながして、おもわずそっぽをいてしまうのです。けれどもすぐまたよこでジムのテイブルほうないではいられませんでした。むねのところがどきどきとしてくるしいほどでした。じっとすわっていながらゆめおににでもいかけられたときのようにばかりせかせかしていました。
 教場きょうじょう這入はいかねがかんかんとりました。ぼくおもわずぎょっとして立上たちあがりました。生徒せいとたちおおきなこえわらったりったりしながら、洗面所せんめんじょほうあらいにかけてくのがまどからえました。ぼくきゅうあたまなかこおりのようにつめたくなるのを気味悪きみわるおもいながら、ふらふらとジムのテイブルところって、半分はんぶんゆめのようにそこのふたげてました。そこにはぼくかんがえていたとおり雑記ざっきちょう鉛筆えんぴつばことまじって見覚みおぼえのある絵具えのぐばこがしまってありました。なんのためだからないがぼくはあっちこちをまわりしてから、だれていないなとおもうと、手早てばやくそのはこふたけてあい洋紅ようこうとの二色にしょく取上とりあげるがはやいかポッケットのなか押込おしこみました。そしていそいでいつも整列せいれつして先生せんせいっているところはしってきました。
 僕達ぼくたちわかおんな先生せんせいれられて教場きょうじょう這入はいめいめい々のせきすわりました。ぼくはジムがどんなかおをしているかたくってたまらなかったけれども、どうしてもそっちのほうをふりくことができませんでした。でもぼくのしたことをだれのついた様子ようすがないので、気味きみわるいような、安心あんしんしたような心持こころもちでいました。ぼく大好だいすきなわかおんな先生せんせいおっしゃることなんかはみみ這入はいりは這入はいってもなんのことだかちっともわかりませんでした。先生せんせい時々ときどき不思議ふしぎそうにぼくほうているようでした。
 ぼくしか先生せんせいるのがそのかぎってなんだかいやでした。そんなふう一時間いちじかんがたちました。なんだかみんなみみこすりでもしているようだとおもいながら一時間いちじかんがたちました。
 教場きょうじょうかねったのでぼくはほっと安心あんしんして溜息ためいきをつきました。けれども先生せんせいおこなってしまうと、ぼくぼくきゅう一番いちばんおおきな、そしてよく出来でき生徒せいとに「ちょっとこっちにおいで」とひじところつかまれていました。ぼくむね宿題しゅくだいをなまけたのに先生せんせいゆびさされたときのように、おもわずどきんとふるえはじめました。けれどもぼく出来できるだけらないりをしていなければならないとおもって、わざと平気へいきかおをしたつもりで、仕方しかたなしに運動うんどうすみれてかれました。
きみはジムの絵具えのぐっているだろう。ここにたまえ。」
 そういってその生徒せいとぼくまえおおきくひろげたをつきしました。そういわれるとぼくはかえってこころ落着おちついて、
「そんなもの、ぼくってやしない。」と、ついでたらめをいってしまいました。そうすると三四人さんよにん友達ともだち一緒いっしょぼくそばていたジムが、
ぼく昼休ひるやすみのまえにちゃんと絵具えのぐばこ調しらべておいたんだよ。ひとつもくなってはいなかったんだよ。そして昼休ひるやすみがんだらふたくなっていたんだよ。そしてやすみの時間じかん教場きょうじょうにいたのはきみだけじゃないか。」とすこ言葉ことばふるわしながらいかえしました。
 ぼくはもう駄目だめだめだとおもうときゅうあたまなかながれこんでかお真赤まっかまっかになったようでした。するとだれだったかそこにっていた一人ひとりがいきなりぼくのポッケットにをさしもうとしました。ぼく一生懸命いっしょうけんめいにそうはさせまいとしましたけれども、多勢たぜい無勢ぶぜいとてもかないません。ぼくのポッケットのなかからは、るマーブルたまだま(いまのビーたまだまのことです)やなまりのメンコなどと一緒いっしょふたつの絵具えのぐのかたまりがつかされてしまいました。「それろ」といわんばかりのかおをして子供こどもたちにくらしそうにぼくかおにらみつけました。ぼくからだはひとりでにぶるぶるふるえて、まえ真暗まっくらになるようでした。いいお天気てんきなのに、みんなやすみ時間じかん面白おもしろそうにあそめぐっているのに、ぼくだけは本当ほんとうこころからしおれてしまいました。あんなことをなぜしてしまったんだろう。りかえしのつかないことになってしまった。もうぼく駄目だめだ。そんなにおもうと弱虫よわむしだったぼくさびしくかなしくなってて、しくしくとしてしまいました。
いておどかしたって駄目だめだよ」とよく出来できおおきな馬鹿ばかにするようなにくみきったようなこえって、うごくまいとするぼくをみんなでってたかって二階にかい引張ひっぱってこうとしました。ぼく出来できるだけくまいとしたけれどもとうとうちからまかせにきずられて梯子段はしごだんのぼらせられてしまいました。そこにぼくきな受持うけもちの先生せんせい部屋へやへやがあるのです。
 やがてその部屋へやをジムがノックしました。ノックするとは這入はいってもいいかとをたたくことなのです。なかからはやさしく「お這入はいり」という先生せんせいこえこえました。ぼくはその部屋へや這入はいときほどいやだとおもったことはまたとありません。
 なにきものをしていた先生せんせいはどやどやと這入はいって僕達ぼくたちると、すこおどろいたようでした。が、おんなくせおとこのようにくびのところでぶつりとったかみみぎなであげながら、いつものとおりのやさしいかおをこちらにけて、一寸ちょっとくびをかしげただけでなに御用ごようというふうをしなさいました。そうするとよく出来できおおきなまえて、ぼくがジムの絵具えのぐったことをくわしく先生せんせいいつけました。先生せんせいすこくもった顔付かおつきをして真面目まじめにみんなのかおや、半分はんぶんきかかっているぼくかおくらべていなさいましたが、ぼくに「それは本当ほんとうですか。」とかれました。本当ほんとうなんだけれども、ぼくがそんないやなやつだということをどうしてもぼくきな先生せんせいられるのがつらかったのです。だからぼくこたえるかわりに本当ほんとうしてしまいました。
 先生せんせいしばぼくつめていましたが、やがて生徒せいとたちむかってしずかに「もういってもようございます。」といって、みんなをかえしてしまわれました。生徒せいとたちすこものらなそうにどやどやとしたりていってしまいました。
 先生せんせいすこしのあいだなんともわずに、ぼくほうかずに自分じぶんつめつめていましたが、やがてしずかにってて、ぼくかたところきすくめるようにして「絵具えのぐはもうかえしましたか。」とちいさなこえおっしゃいました。ぼくかえしたことをしっかり先生せんせいってもらいたいので深々ふかぶかうなずいてせました。
「あなたは自分じぶんのしたことをいやなことだったとおもっていますか。」
 もう一度いちどそう先生せんせいしずかにおっしゃったときには、ぼくはもうたまりませんでした。ぶるぶるとふるえてしかたがないくちびるを、みしめてもみしめても泣声なきごえて、からはなみだがむやみにながれてるのです。もう先生せんせいいだかれたままんでしまいたいような心持こころもちになってしまいました。
「あなたはもうくんじゃない。よくかったらそれでいいからくのをやめましょう、ね。ぎの時間じかんには教場きょうじょうないでもよろしいから、わたしわたくしのこのお部屋へやらっしゃい。しずかにしてここにらっしゃい。わたし教場きょうじょうからかえるまでここにらっしゃいよ。いい。」とおっしゃりながらぼく長椅子ながいすながいすにすわらせて、そのときまた勉強べんきょうかねがなったので、つくえうえ書物かきものげて、ぼくほうていられましたが、二かいまどまでたかあがった葡萄ぶどうつるから、一房ひとふさ西洋せいよう葡萄ぶどうをもぎって、しくしくときつづけていたぼくひざうえにそれをおいてしずかに部屋へやきなさいました。
 一時いちじがやがやとやかましかった生徒せいとたちはみんな教場きょうじょうきょうじょうに這入はいって、きゅうにしんとするほどあたりがしずかになりました。ぼくさびしくってさびしくってしようがないほどかなしくなりました。あのくらいきな先生せんせいくるしめたかとおもうとぼく本当ほんとうわるいことをしてしまったとおもいました。葡萄ぶどうなどはとてもべるになれないでいつまでもいていました。
 ふとぼくかたかるくゆすぶられてをさましました。ぼく先生せんせい部屋へやへやでいつのにか泣寝入なきねいりをしていたとえます。すこやせて身長しんちょうたか先生せんせい笑顔えがおせてぼくおろしていられました。ぼくねむったために気分きぶんがよくなっていままであったことはわすれてしまって、すこはずかしそうにわらいかえしながら、あわててひざうえからすべちそうになっていた葡萄ぶどうふさをつまみげましたが、すぐかなしいことをおもしてわらいもなに引込ひっこんでしまいました。
「そんなにかなしいかおをしないでもよろしい。もうみんなはかえってしまいましたから、あなたはおかえりなさい。そして明日あしたはどんなことがあっても学校がっこうなければいけませんよ。あなたのかおないとわたしわたくしはかなしくおもいますよ。屹度きっとですよ。」
 そういって先生せんせいぼくのカバンのなかにそっと葡萄ぶどうふされてくださいました。ぼくはいつものように海岸かいがんどおりを、うみながめたりふねながめたりしながらつまらなくいえかえりました。そして葡萄ぶどうをおいしくべてしまいました。
 けれどもつぎるとぼく中々なかなか学校がっこうにはなれませんでした。おなかいたくなればいいとおもったり、頭痛ずつうがすればいいとおもったりしたけれども、そのかぎって虫歯むしばほんいたみもしないのです。仕方しかたなしにいやいやながらいえましたが、ぶらぶらとかんがえながらあるきました。どうしても学校がっこうもん這入はいることは出来できないようにおもわれたのです。けれども先生せんせいわかれのとき言葉ことばおもすと、ぼく先生せんせいかおだけはなんといってもたくてしかたがありませんでした。ぼくかなかったら先生せんせい屹度きっとかなしくおもわれるにちがいない。もう一度いちど先生せんせいのやさしいられたい。ただその一言ひとことがあるばかりでぼく学校がっこうもんをくぐりました。
 そうしたらどうでしょう、まずだい一にっていたようにジムがんでて、ぼくにぎってくれました。そして昨日きのうのことなんかわすれてしまったように、親切しんせつぼくをひいてどぎまぎしているぼく先生せんせい部屋へやれてくのです。ぼくはなんだかわけがわかりませんでした。学校がっこうったらみんながとおくのほうからぼくて「泥棒どろぼうのうそつきの日本人にっぽんじんた」とでも悪口わるぐちをいうだろうとおもっていたのにこんなふうにされると気味きみわるほどでした。
 二人ふたり足音あしおときつけてか、先生せんせいはジムがノックしないまえに、けてくださいました。二人ふたり部屋へやなか這入はいりました。
「ジム、あなたはいい、よくわたしわたくしのったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまってもらわなくってもいいとっています。二人ふたりいまからいいお友達ともだちになればそれでいいんです。二人ふたりとも上手じょうず握手あくしゅをなさい。」と先生せんせいはにこにこしながら僕達ぼくたちむか あわせました。ぼくはでもあんまり勝手かってぎるようでもじもじしていますと、ジムはいそいそとぶらげているぼく引張ひっぱしてかたにぎってくれました。ぼくはもうなんといってこのうれしさをあらわせばいいのかわからないで、ただはずかしくわらほかありませんでした。ジムも気持きもちよさそうに、笑顔えがおをしていました。先生せんせいはにこにこしながらぼくに、
昨日きのう葡萄ぶどうはおいしかったの。」とわれました。ぼくかお真赤まっかにして「ええ」と白状はくじょうするより仕方しかたがありませんでした。
「そんならまたあげましょうね。」
 そういって、先生せんせい真白まっしろなリンネルの着物きものにつつまれたからだまどからのびさせて、葡萄ぶどう一房ひとふさもぎって、真白まっしろまっしろいひだりうえこなのふいた紫色むらさきいろふさせて、細長ほそなが銀色ぎんいろはさみで真中まんなかからぷつりとふたつにって、ジムとぼくとにくださいました。真白まっしろひら紫色むらさきいろ葡萄ぶどうつぶかさなってっていたそのうつくしさをぼくいまでもはっきりとおもすことが出来できます。
 ぼくはそのときからまえよりすこしいいになり、すこしはにかみでなくなったようです。
 それにしてもぼく大好だいすきなあのいい先生せんせいはどこにかれたでしょう。もう二度にどとはえないとりながら、ぼくいまでもあの先生せんせいがいたらなあとおもいます。あきになるといつでも葡萄ぶどうふさ紫色むらさきいろいろづいてうつくしくこなをふきますけれども、それをけた大理石だいりせきのようなしろうつくしいはどこにもつかりません。

おに退治たいじ
下村しもむら千秋ちあき

いち
 あたま少々しょうしょう馬鹿ばかでも、うでっぷしさえつよければひとあたまっていばっていられるようなむかし時代じだいであった。常陸ひたち八溝山やみぞさんというたかやまふもとむら勘太郎かんたろうというおとこがいた。今年ことし十八じゅうはちさいであったが、あたま非常ひじょうによくって、寺子屋てらこやおそわるきそろばんはいつも一番いちばんであった。なにかんがえてもなにをしてもひとよりずばぬけていた。しかしその時代じだいにいちばん必要ひつよううでっぷしのちからがなかった。からだちいさくうであしはひょろひょろしていて、自分じぶんよりいつつもむっつも年下としした子供こどもとすもうをっても、たわいもなくばされてしまった。
 だから勘太郎かんたろう人前ひとまえるといつもちいさくなっていなければならなかった。勘太郎かんたろうかられば馬鹿ばかとしかおもわれないおとこが、ただ腕力わんりょくがあるばかりに勘太郎かんたろうをいいようにきまわしていた。勘太郎かんたろうはそれをはらうちでずいぶんくやしがりながらも、どうすることも出来できなかった。
 勘太郎かんたろうむらからじゅうちょうばかりはなれたところ光明寺こうみょうじというてらがあった。やますこのぼりかけたふか杉森すぎのもりなかにあって、真夏まなつ日中にっちゅうでもそこは薄寒うすらさむいほどくらくしんとしていた。このてらには年寄としよった住職じゅうしょく小坊主こぼうずいちにんんでいたが、住職じゅうしょくはついにんでしまい、小坊主こぼうずはそんなところにいちにんではんでいられないとって、むらげててしまった。
 それからよんねんあいだ、そのてられるままにまかせて、きつねむじなとなっていたが、それではこまるというので、むらひとたちは隣村りんそんてらからいちにんわかぼうさんをんでてそこの住職じゅうしょくとした。するとじゅうにちもたたないうちに、その住職じゅうしょく姿すがたをくらましてしまった。やっぱりわかいからいちにんではおそろしくてんでいられないのだろうとむらひとおもい、今度こんど五十ごじゅうぐらいのおぼうさんをそとてらからたのんでてそのてらまわせた。が、このおぼうさんはじゅうにちとたたぬうちにんでしまった。いやんだのではなくあたまだけのこしてどう手足てあしほねばかりになってころされていたのであった。おおかたなにかのけだものわれてしまったのだろうとむらひとたちはった。
 さんにんのおぼうさんがそとてらからたのまれてた。このおぼうさんはもと武士ぶしであったので、今度こんどけだもの餌食えじきになるような意気地いくじなしではなかろうと、むらひとたちは安心あんしんしていた。
 ところがろくにちしてこのぼうさんは、左腕さわんをつけところからなにかにられて、ながしながらむらげてた。
「どうしたのだ、何奴なにやつわれたのだ。」とむらひとたちはよってたかってきいた。
おにだ。あのてらにはおにんどる。くちみみまでけているあおおにあかおになんひきもいて、おれをこんなわしたのだ。」とぼうさんはくるしそうないきをしながらはなした。
 それをいたむらひとたちもびっくりしてしまった。
よんねんあいだ、あのてらにしといたので、そのあいだおにどもがをくったのだろう。」
「そうだ。最初さいしょ坊主ぼうず姿すがたえなくなったのも、番目ばんめ坊主ぼうずほねばかりになってんでいたのも、かいおににやられたのだ。えらいことになったものだ。」
 むらひとたちはそうはなった。このうわさはすぐに方々かたがたつたわったので、もうだれもこのてら住職じゅうしょくになろうというものがなくなってしまった。

 むらひとたちはいをやって相談そうだんをした。そして結局けっきょくむらひとなかで、てらおにどもを退治たいじしたものをてら住職じゅうしょくにしようということになった。そのてらには村中むらなかはたけわせたほどの田畑たはたがついているので、もちろんこのてら住職じゅうしょくになりたがらないものはいちにんもなかった。そればかりでなく、おに退治たいじしてみんなのまえでいばってやりたいというちから自慢じまん度胸どきょう自慢じまん若者わかものだいぜいいた。そこでみんなでくじをいて、くじにたったものが一番いちばんさきおに退治たいじかけることになった。ところで弱虫よわむし勘太郎かんたろうもそのくじを仲間なかまはいろうとすると、みんなはをたたいてわらいながら、
勘太郎かんたろうおに退治たいじをするとよ、ねずみねこりにくよりひどいや。阿呆あほもあのくらいになると面白おもしろいな。」とった。
 勘太郎かんたろうはくやしくてたまらなかったが、仲間なかまはいることはあきらめてしまった。
 くじにたったおとこ新平しんぺいというわか力持ちからもちのおとこだった。りょうって穴熊あなぐまりにしたことのあるおとこで、むらでも指折ゆびおりの度胸どきょうのいいおとこであった。新平しんぺいはもうてら自分じぶんのものにしたようなつもりで、大鉈おおなた一打いちだこしにぶちんだだけで、ともしがる若者わかものどもを尻目しりめにかけながらやまてらかけてった。
 が、新平しんぺい翌日よくじつがた、おしり背中せなかにくをさんざんにやぶられ、いのちからがらかえってた。新平しんぺいおどろきのあまり、んだようになって、おに退治たいじ様子ようすはなすことさえ出来できなかった。
 そこで度目どめのくじきがおこなわれて今度こんど力造りきぞうというおとこがくじにたった。このおとこむら一番いちばん強者つわもので、あるときむら一番いちばんつようし喧嘩けんかをして、そのうしかくをへしり、あばらぼね蹴破けやぶって見事みごとたおしてしまったことのあるおとこであった。だからむらひとたちもあのおとこおこなったら、さすがのおにどももどてっはらっこぬかれたり、くびたまっこかれたりしてしまうだろうとはなった。
 ところが、このおとこ退治たいじかけたつぎあさ片足かたあし半分はんぶんられ、おまけにはなみみほおっぺたまでかみられて、おいおいきながらべたをうようにしてかえってた。
 それをむらひとたちは、はじめはわれもわれもとおに退治たいじきたがったのに、いまはだれいちにんそれをすものもなかった。
「あのおとこでさえあんなにあってたんだから、おれなんか問題もんだいにならない。」と弱音よわねくものもた。
 もうだれもくじきをしようとはしなかった。
 このとき弱虫よわむし勘太郎かんたろうが、
「だれもけないなら、おれがおこなって立派りっぱ退治たいじしてせよう。」とした。
 それをいていたむらひとたちは、またわらした。
「おまえ出来できたら、このあついのにゆきるよ。」
「いやそのゆきたい。ひと退治たいじしてもらいたいもんだ。」
「おまえからだじゃおにべでがあるまいが、おにわないよりましだろう。ひと御馳走ごちそうをしてやるさ。」
 むらひとたちはてんでにそんなことをっては勘太郎かんたろうをひやかした。けれど勘太郎かんたろうはすましたかおをして、
馬鹿力ばかぢからさえあればおに退治たいじ出来できるとおもっているのがおかしいよ。おれはそんなちからはないからうでっぷしで退治たいじしようとはおもわん。まぁこのあたまひとつで首尾しゅびよくやっつけてせるさ。」といった。
「おまえ退治たいじ出来できたら、さんねんがあいだまずわずできてせる。」
「おまえ退治たいじ出来できたら、おれはみずなかにもぐってみっいてせる。」
「おまえ退治たいじ出来できたら、おひるまえのうちに江戸えどまでさん往復おうふくしてせる。」
 みんな勝手かってなことをって勘太郎かんたろうをからかったが、勘太郎かんたろうはそんなことはみみにもれず、じたくをすると獲物えものひとたずに光明寺こうみょうじかけてった。
 すべて怪物かいぶつは、ひるのうちはどこかに姿すがたかくしていて、よるになってあらわれてるものだということをっていたので、勘太郎かんたろうはまずあかるいうちにてらいて、どこかに自分じぶんかくしておこうとかんがえた。
 てらまでのみちにはなつそうがぼうぼうとえて、勘太郎かんたろうちいさいからだめるほどであった。山門やまとところからは杉森すぎもりくらいほどにしげり、おくくにしたがってはだがひやりとするようなさむかぜながれるようにいてた。大木たいぼくこずえからはあめっていないのにしずくがぽたりぽたりとれ、かぜもないのにこずえうえほうにはコーッというもりおとがこもっていた。
 やがててら本堂ほんどうへついた。おおきな屋根やねち、ひろ回廊かいろうかたむきかけ、ふとはしらいがみ、るから怪物かいぶつみそうなありさまに、勘太郎かんたろうはじめはうす気味ぎみわるくなった。しかしぐっと胆力たんりょくをすえて、本堂ほんどうなかはいってみた。そしてちゅう様子ようすくまなく調しらべた。それから廊下ろうかつづきの庫裡くりほうはいってった。そこもあめり、たたみくさり、天井てんじょうにはあながあき、そこらちゅうがかびくさかった。勘太郎かんたろう土間どまがりかまちのところにある囲炉裏いろりところおこなってみた。と、自在鉤じざいかぎかっているもとには、つい昨夜さくや焚火たきびをしたばかりのようにあたらしいはいもり、えだえさしがらばっていた。さらによくるとその炉端ろばたには、とり羽根はねや、けだものや、人間にんげんほねらしいものがらばっていた。
「なるほど、おにどもはってたえものをこの囲炉裏いろりいてうのだな。それじゃひとつ、このうえ天井てんじょうかくれて今夜こんや様子ようすてやろう。」
 勘太郎かんたろうはそうひとりごとをって、それから土間どまはしらをよじのぼって、ちょうど炉端ろばたがぐあいよくえるあなのあいている天井てんじょううえかくれた。
さん
 やがてれた。れるとみじかなつよるはすぐけていった。一寸いっすんさきえないくらてらなかはガランとして物音ものおとひとつしない。勘太郎かんたろういきころし、いまいまかとおにどものるのをっていた。
 するとよるちゅういちころであろうか。本堂ほんどうほう廊下ろうかあるおおきな足音あしおとがきこえてた。その足音あしおとすくなくもはちほんじゅうほんぐらいのあしみならすおとであった。もなくその足音あしおとは、勘太郎かんたろうかくれている天井てんじょうした炉端ろばたちかづいた。そしてどさりと炉端ろばたにあぐらをかくおとがする。えだおとがする。しかしくらなので勘太郎かんたろうはただみみ様子ようすをきくよりそとはなかった。
 と、同時どうじ囲炉裏いろりにはがめろめろとした。勘太郎かんたろう天井てんじょうあなをつけてしたのぞはじめた。めろめろとしたあかほのおは、炉端ろばたすわっているよんひきおにかおらした。土間どま正面しょうめん旦那だんなすわっているのがおに大将たいしょうであろう。こしのまわりにけだものかわいてだいあぐらをかいている。くち両端りょうたんからあらわれているきばほのおらされてきんきばのようにひかっている。勘太郎かんたろう一目ひとめて、なるほどこいつぁうっかりかかったら、あたまからひとかじりにやられそうだとおもった。
 家来けらいさんひきおに大将たいしょうほどおおきなきばえていないが、ひかるところをただけでも勘太郎かんたろうからだちゅうがすくむような気持きもちになった。勘太郎かんたろうは、ぴったりと天井てんじょうはらばったまま身動みうごきもせず、じっとした様子ようすていた。
 もなくおにどもははなしはじめた。まず家来けらいおにがいった。
今夜こんやみたいに不猟ふりょうなことはねえ。はらがへってやりきれねえよ。」
「ほんとにろくなばんじゃねえ。ひといっぴきつかまえなかった。はらむしがグーグーるわい。」とほか家来けらいあいつちった。
 すると大将たいしょうおにがみんなを見回みまわして、
「そのうちにむら若者わかものがやってる。ちついてっていろ。」とった。
「いや親分おやぶん、いくら人間にんげん馬鹿ばかだって今夜こんやるようなことはあるまい。もうこりてるはずだよ。」
「ところがきっとる。人間にんげんというやつは、自分じぶんたちが世界せかい一番いちばんつよいものだとおもっているんだからしようがない。村中むらじゅうやつらがみんなわれてしまうまでやってるにちがいないよ。」と大将たいしょうおに大将たいしょうだけにえらそうなことをいった。
「そりゃそうだな。ちからもろくにないうえに、知恵ちえりないとてるんだから人間にんげんもかわいそうなもんだ。」と家来けらいおにってはなたかくした。
「ところで人間にんげんがおれたちよりよわいとなると、世界中せかいじゅうでおれたちよりつよいものはなにだろう。」といままでだまってしていた家来けらいおにった。
なにもないよ。おれたちのてき世界中せかいじゅうにないんだよ。」とほか家来けらいがいばったかおをした。
「いや、ひとつあるよ。たったひとつおれたちよりつよいものがいる。」と大将たいしょうおにがまじめなかおをしていった。
なにだろう。」
「さぁなにだろう。」
「わからないかね。それは人間にんげんどもにわれているにわとりというけものだ。」
にわとり! はじめてだな。だが、いったいそれがどうしてそんなにつよいんだね。」
「それはこうだ。そのにわとりというやつはトッテクーとくのだ。ってうといたら最後さいご、どんなものでもってってしまうのだ。おそろしいやつだ。」
「なるほどそんなごえをするやつほかにはいない。そいつぁよっぽどつよやつだろう。」
 このはなし天井てんじょういていた勘太郎かんたろうは「しめた」とおもった。するとそのとき大将たいしょうおにはな天井てんじょうけてもがもがさせながら、
なんだかひとくさいぞ。」とした。
 ぐずぐずしていたら、あべこべにってわれるとおもった勘太郎かんたろうは、そこで寺中じちゅうひびくようなこえりあげて、
「トッテクー……」とさけんだ。
 さぁたいへん、おにどもはあわてふためきながらした。家来けらいいちひき土間どまへもんどりってころこしってしまった。ひき家来けらいはしらあたまをぶつけてあたまはちをぶちってしまった。大将たいしょうおに旦那だんなから一足飛いっそくとびに土間どまりようとして、囲炉裏いろりにかけた自在鉤じざいかぎはなあなっかけてしまった。すると、
にわとりにつかまった。ああ……にわとりにつかまった。」とさけびながら、もう手足てあしうごかそうともせず、自在鉤じざいかぎにぶらりとぶらがってしまった。
 勘太郎かんたろうはらかかえてわらいながら天井てんじょうからりてて、大将たいしょうおにってしまった。勘太郎かんたろうおにはなあなっかかっている自在鉤じざいかぎをそのままにして、のこりのつな両手りょうてをうしろにまわしてしばりあげ、さきあるかせながらむらかえってた。
 いままで勘太郎かんたろうをはずかしめた村中むらなかひとたちは、これを勘太郎かんたろうまえにみんな両手りょうてをついてあやまり、勘太郎かんたろうえら手柄てがらをほめた。そして勘太郎かんたろう一番いちばんつよえらいものとしてあがめたてまつった。
 勘太郎かんたろうてら住職じゅうしょくとなり、には知徳ちとくすぐれた名僧めいそうとなったということである。

牛女うしおんな
小川おがわ未明みめい

 あるむらに、たかい、おおきなおんながありました。あまりおおきいので、くびをれてあるきました。そのおんなは、おしでありました。性質せいしつは、いたってやさしく、なみだもろくて、よく、一人ひとり子供こどもをかわいがりました。
 おんなは、いつもくろいような着物きものをきていました。ただ子供こども二人ふたりぎりでありました。まだとしのいかない子供こどもいて、みちあるいているのを、むらひとはよくたのであります。そして、おおおんなでやさしいところから、だれがいったものか「牛女うしおんな」とづけたのであります。
 むら子供こどもらは、このおんなとおると、「牛女うしおんな」がとおったといって、めずらしいものでもるように、みんなして、うしろについていって、いろいろのことをいいはやしましたけれど、おんなはおしで、みみこえませんから、だまって、いつものようにしたいて、のそりのそりとあるいてゆくようすが、いかにもかわいそうであったのであります。
 牛女うしおんなは、自分じぶん子供こどもをかわいがることは、一通ひととおりでありませんでした。自分じぶん不具ふぐしゃだということも、子供こどもが、不具ふぐしゃだから、みんなにばかにされるのだろうということも、父親ちちおやがないから、ほかにだれも子供こどもそだててくれるものがないということも、よくっていました。
 それですから、いっそう子供こどもたいする不憫ふびんがましたとみえて、子供こどもをかわいがったのであります。
 子供こどもおとこで、母親ははおやしたいました。そして、母親ははおやのゆくところへは、どこへでもついてゆきました。
 牛女うしおんなは、おおおんなで、ちからも、またほかのひとたちよりは、いくばいもありましたうえに、性質せいしつが、やさしくあったから、人々ひとびとは、牛女うしおんな力仕事ちからしごとたのみました。たきぎをしょったり、いしはこんだり、また、荷物にもつをかつがしたり、いろいろのことをたのみました。牛女うしおんなは、よくはたらきました。そして、そのかね二人ふたりは、その、そのらしていました。
 こんなにおおきくて、ちからつよ牛女うしおんなも、病気びょうきになりました。どんなものでも、病気びょうきにかからないものはないでありましょう。しかも、牛女うしおんな病気びょうきは、なかなかおもかったのであります。そしてはたらくこともできなくなりました。
 牛女うしおんなは、自分じぶんぬのでないかとおもいました。もし、自分じぶんぬようなことがあったなら、子供こどもをだれがてくれようとおもいました。そうおもうと、たとえんでもにきれない。自分じぶん霊魂れいこんは、なにかにけてきても、きっと子供こどもすえ見守みまもろうとおもいました。牛女うしおんなおおきなやさしいなかから、大粒おおつぶなみだが、ぽとりぽとりとながれたのであります。
 しかし、運命うんめいには牛女うしおんなも、しかたがなかったとみえます。病気びょうきおもくなって、とうとう牛女うしおんなんでしまいました。
 むら人々ひとびとは、牛女うしおんなをかわいそうにおもいました。どんなにいていった子供こどものことにこころらたろうと、だれしもふかさっして、牛女うしおんなをあわれまぬものはなかったのであります。
 人々ひとびとあつまって、牛女うしおんな葬式そうしきして、墓地ぼちにうずめてやりました。そして、のこった子供こどもを、みんながめんどうをそだててやることになりました。
 子供こどもは、ここのいえから、かしこのいえへというふうにうつわって、だんだん月日つきひとともにおおきくなっていったのであります。しかし、うれしいこと、また、かなしいことがあるにつけて、子供こどもんだ母親ははおやこいしくおもいました。
 むらには、はるがき、なつがき、あきとなり、ふゆとなりました。子供こどもは、だんだんんだ母親ははおやをなつかしくおもい、こいしくおもうばかりでありました。
 あるふゆのこと、子供こどもは、むらはずれにって、かなたの国境こっきょう山々やまやまをながめていますと、おおきなやまはんはらに、はは姿すがたがはっきりと、しろゆきうえくろしてえたのであります。これをると、子供こどもはびっくりしました。けれど、このことをくちしてだれにもいいませんでした。
 子供こどもは、母親ははおやこいしくなると、むらはずれにって、かなたのやまました。すると、天気てんきのいいれたには、いつでも母親ははおやくろ姿すがたをありありとることができたのです。ちょうど母親ははおやは、だまって、じっとこちらをつめて、うえ見守みまもっているようにおもわれたのでありました。
 子供こどもは、くちして、そのことをいいませんでしたけれど、いつか村人むらびとは、ついにこれをつけました。
西にしやまに、牛女うしおんなあらわれた。」と、いいふらしました。そして、みんながいて、西にしやまをながめたのであります。
「きっと、子供こどものことをおもって、あのやまあらわれたのだろう。」と、みんなは口々くちぐちにいいました。子供こどもらは、天気てんきのいい晩方ばんがたには、西にし国境こっきょうやまほうて、
牛女うしおんな! 牛女うしおんな!」と、口々くちぐちにいって、そのはなしでもちきったのです。
 ところが、いつしかはるがきて、ゆきえかかると、牛女うしおんな姿すがたもだんだんうすくなっていって、まったくゆきえてしまうはるなかばごろになると、牛女うしおんな姿すがたられなくなってしまったのです。
 しかし、ふゆとなって、ゆきやまもりさとるころになると、西にしやまに、またしても、ありありと牛女うしおんなくろ姿すがたあらわれました。むら人々ひとびと子供こどもらはふゆあいだ牛女うしおんなのうわさでもちきりました。そして、牛女うしおんなのこしていった子供こどもは、こいしい母親ははおや姿すがたを、毎日まいにちのようにむらはずれにってながめたのであります。
牛女うしおんなが、また西にしやまあらわれた。あんなに子供こどもうえ心配しんぱいしている。かわいそうなものだ。」と、村人むらびとはいって、その子供こどものめんどうをよくてやったのす。
 やがてはるがきて、あたたかになると、牛女うしおんな姿すがたは、そのゆきとともにえてしまったのでありました。
 こうして、くるとしも、くるとしも、西にしやま牛女うしおんなくろ姿すがたあらわれました。そのうちに、子供こどもおおきくなったものですから、このむらからほどちかい、まちのある商家しょうかへ、奉公ほうこうさせられることになったのであります。
 子供こどもは、まちにいってからも、西にしやまこいしい母親ははおや姿すがたをながめました。むら人々ひとびとは、その子供こどもがいなくなってからも、ゆきって、西にしやま牛女うしおんな姿すがたあらわれると、母親ははおやと、子供こどもじょういについて、かたったのでありました。
「ああ、牛女うしおんな姿すがたがあんなにうすくなったもの、あたたかになったはずだ。」と、しまいには、季節きせつうつかわわりを、牛女うしおんなについて人々ひとびとはいうようになったのでした。
 牛女うしおんな子供こどもは、あるとしはる西にしやまあらわれた母親ははおやゆるしもけずに、かってにその商家しょうかからして、汽車きしゃって、故郷こきょう見捨みすてて、みなみほうくにへいってしまったのであります。
 むらひとも、まちひとも、もうだれも、その子供こどものことについて、そののことをることができませんでした。そのうちに、なつぎ、あきって、ふゆとなりました。
 やがて、やまにも、むらにも、まちにも、ゆきってもりました。ただ不思議ふしぎなのは、どうしたことか、今年ことしにかぎって、西にしやま牛女うしおんな姿すがたえないことでありました。
 人々ひとびとは、牛女うしおんな姿すがたえないのをいぶかしがって、
子供こどもが、もうまちにいなくなったから、牛女うしおんな見守みまも必要ひつようがなくなったのだろう。」と、かたいました。
 そのふゆも、いつしかぎてはるがきたころであります。まちなかには、まだところどころにゆきえずにのこっていました。あるよるのことであります。まちなかおおきなおんなが、のそりのそりとあるいていました。それを人々ひとびとは、びっくりしました。まさしく、それは牛女うしおんなであったからであります。
 どうして牛女うしおんなが、どこからきたものかと、みんなはかたいました。人々ひとびとはそのもたびたび真夜中まよなかに、牛女うしおんながさびしそうにまちなかあるいている姿すがたたのでありました。
「きっと牛女うしおんなは、子供こども故郷こきょうからていってしまったのをらないのだろう。それで、このまちなかあるいて、子供こどもさがしているのにちがいない。」と、人々ひとびとはいいました。
 ゆきがまったくえて、まちなかにはあとをもめなくなりました。木々きぎは、みんな銀色ぎんいろをふいて、よるもうすあかるくていい季節きせつとなりました。
 あるよるひと牛女うしおんなまちくら路次ろじって、さめざめといているのをたといいます。しかしその、だれひとり、また牛女うしおんな姿すがたたものがありません。牛女うしおんなはどうしたことか、もはやこのまちにはおらなかったのです。
 そのとし以来いらいふゆになっても、ふたたびやまには牛女うしおんなくろ姿すがたえなかったのであります。
 牛女うしおんな子供こどもは、みなみほうゆきらないくにへいって、そこでいっしょうけんめいにはたらきました。そして、かなりの金持かねもちとなりました。そうすると、自分じぶんまれたくにがなつかしくなったのであります。くにかえっても、母親ははおやもなければ、兄弟きょうだいもありませんけれど、子供こども時分じぶん自分じぶんそだててくれたしんせつな人々ひとびとがありました。かれは、そのひとたちや、むらのことをおもしました。そのひとたちにたいして、おれいをいわなければならぬとおもいました。
 子供こどもは、たくさんの土産物みやげものと、おかねとをって、はるばると故郷こきょうかえってきたのであります。そして、むら人々ひとびとあつくおれいもうしました。むらひとたちは、牛女うしおんな子供こども出世しゅっせをしたのをよろこび、いわいました。
 牛女うしおんな子供こどもは、なにか、自分じぶん事業じぎょうをしなければならぬとかんがえました。そこでむらひろ地面じめんって、たくさんのりんごのえました。おおきないいりんごのむすばして、それを諸国しょこくそうとしたのであります。
 かれは、おおくのひとやとって、肥料ひりょうをやったり、ふゆになるとかこいをして、ゆきのためにれないようにをかけたりしました。そのうちにはだんだんおおきくびて、あるとしはるには、ひろはたけいちめんに、さながらゆきったように、りんごのはなきました。太陽たいよう終日しゅうじつはなうえあかるくらして、みつばちは、あさからにちれるまで、はななかをうなりつづけていました。
 初夏しょかのころには、あおい、ちいさな鈴生すずなりになりました。そして、そのがだんだんおおきくなりかけた時分じぶんに、一時いちじむしがついて、はたけ全体ぜんたいにりんごのちてしまいました。
 めいくるとしも、そのめいくるとしも、おなじように、りんごのちてしまいました。それはなんとなく、子細しさいのあるらしいことでありました。むらのもののわかったじいさんは、牛女うしおんな子供こどもかって、
「なにかのたたりかもしれない。おまえさんには、こころあたりになるようなことはないかな。」と、あるとき、きました。牛女うしおんな子供こどもは、そのときは、なにもそれについておもすことはありませんでした。
 しかし、かれひとりとなって、しずかにかんがえたとき、自分じぶんまちからて、とおかたへいった時分じぶんにも、母親ははおや霊魂れいこん無断むだんであったことをおもいました。また、故郷こきょうかえってきてからも、母親ははおやのおはかにおまいりをしたばかりで、まだ法事ほうじいとなまなかったことをおもしました。
 あれほど、母親ははおやは、自分じぶんをかわいがってくれたのに、そして、んでからもああして自分じぶんうえまもってくれたのに、自分じぶんはそれにたいして、あまり冷淡れいたんであったことに、こころづきました。きっと、これはははいかりであろうとおもいましたから、子供こどもは、ねんごろに母親ははおや霊魂れいこんとむらって、ぼうさんをび、むら人々ひとびとび、真心まごころをこめて母親ははおや法事ほうじいとなんだのでありました。
 めいくるとしはる、またりんごのはなしろゆきのごとくきました。そして、なつには、青々あおあおみのりました。毎年まいとしこのころになると、わるむしがつくのでありましたから、今年ことしは、どうか満足まんぞくむすばせたいとおもいました。
 すると、そのとしなつ日暮ひぐかたのことであります。どこからとなく、たくさんのこうもりがんできて、毎晩まいばんのようにりんごはたけうえびまわって、わるむしをみんなべたのであります。そのなかに、いちぴきおおきなこうもりがありました。そのおおきなこうもりは、ちょうど女王じょおうのように、ほかのこうもりをひきいているごとく、えました。つきまるく、ひがしそらからのぼばんも、また、黒雲くろくもそとくらばんも、こうもりは、りんごはたけうえびまわりました。そのとしは、りんごにむしがつかずよくみのって、予想よそうしたよりも、おおくの収穫しゅうかくがあったのであります。むら人々ひとびとは、たがいにかたらいました。
牛女うしおんなが、こうもりになってきて、子供こどもうえまもるんだ。」と、そのやさしい、じょうふかい、心根こころねあわれにおもったのであります。
 また、つぎの、つぎのとしも、なつになると、いちぴきのおおきなこうもりが、おおくのこうもりをひきいてきて、りんごはたけうえ毎晩まいばんのようにびまわりました。そして、りんごには、おかげでわるむしがつかずによくみのりました。
 こうして、それからよんねんあとには、牛女うしおんな子供こどもは、この地方ちほうでの幸福こうふくうえ百姓ひゃくしょうとなったのであります。

(いぬ)(ふえ)
芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)

8:55 2013/08/11
(いち)

 (むかし)大和(やまと)(くに)葛城山(かつらぎさん)(ふもと)に、髪長(かみなが)(ひこ)という(わか)木樵(きこり)()んでいました。これは(かお)かたちが(おんな)のようにやさしくって、その(うえ)(かみ)までも(おんな)のように(なが)かったものですから、こういう名前(なまえ)をつけられていたのです。
 髪長(かみなが)(ひこ)は、(だい)そう(ふえ)上手(じょうず)でしたから、(やま)()()りに()(とき)でも、仕事(しごと)()()()()には、(こし)にさしている(ふえ)()して、(ひと)りでその(おと)(たの)しんでいました。するとまた不思議(ふしぎ)なことには、どんな鳥獣(ちょうじゅう)草木(くさき)でも、(ふえ)面白(おもしろ)さはわかるのでしょう。髪長(かみなが)(ひこ)がそれを()()すと、(くさ)はなびき、()はそよぎ、(とり)(けだもの)はまわりへ()て、じっとしまいまで()いていました。
 ところがある()のこと、髪長(かみなが)(ひこ)はいつもの(とお)り、とある(たい)(ぼく)()がたに(こし)(おろ)しながら、余念(よねん)もなく(ふえ)()いていますと、たちまち自分(じぶん)()(まえ)へ、(あお)勾玉(まがたま)沢山(たくさん)ぶらさげた、(あし)(いっ)(ほん)しかない大男(おおおとこ)(あらわ)れて、
「お(まえ)(なか)(ふえ)がうまいな。(おれ)はずっと(むかし)から山奥(やまおく)洞穴(どうけつ)で、神代(かみよ)(ゆめ)ばかり()ていたが、お(まえ)()()りに()(はじ)めてからは、その(ふえ)()(さそ)われて、毎日(まいにち)面白(おもしろ)(おもい)をしていた。そこで今日(きょう)はそのお(れい)に、ここまでわざわざ()たのだから、(なに)でも()きなものを(のぞ)むが()い。」と()いました。
 そこで木樵(きこり)は、しばらく(かんが)えていましたが、
(わたし)(いぬ)()きですから、どうか(いぬ)一匹(いっぴき)(くだ)さい。」と(こた)えました。
 すると、大男(おおおとこ)(わら)いながら、
(たか)(いぬ)一匹(いっぴき)くれなどとは、お(まえ)()(ぽど)(よく)のない(おとこ)だ。しかしその(よく)のないのも感心(かんしん)だから、ほかにはまたとないような不思議(ふしぎ)(いぬ)をくれてやろう。こう()(おれ)は、葛城山(かつらぎさん)(あし)(ひと)つの(かみ)だ。」と()って、一声(ひとこえ)(たか)口笛(くちぶえ)()らしますと、(もり)(おく)から(いっ)(ぴき)(しろ)(いぬ)が、落葉(おちば)蹴立(けた)てて()けて()ました。
 (あし)(ひと)つの(かみ)はその(いぬ)()して、
「これは()()げと()って、どんな(とお)(ところ)(こと)でも()()して()利口(りこう)(いぬ)だ。では、一生(いっしょう)(おれ)(かわ)りに、大事(だいじ)()ってやってくれ。」と()うかと(おも)うと、その姿(すがた)(きり)のように()えて、()えなくなってしまいました。
 髪長(かみなが)(ひこ)(おお)(よろこ)びで、この(しろ)(いぬ)(いっ)しょに(さと)(かえ)って()ましたが、あくる()また、(やま)()って、何気(なにげ)なく(ふえ)()らしていると、今度(こんど)(くろ)勾玉(まがたま)(くび)へかけた、()(いっ)(ほん)しかない大男(おおおとこ)が、どこからか(かたち)(あらわ)して、
「きのう(おれ)(あに)きの(あし)(ひと)つの(かみ)が、お(まえ)(いぬ)をやったそうだから、(おれ)今日(きょう)(れい)をしようと(おも)ってやって()た。(なに)()しいものがあるのなら、遠慮(えんりょ)なく()うが()い。(おれ)葛城山(かつらぎさん)()(ひと)つの(かみ)だ。」と()いました。
 そうして髪長(かみなが)(ひこ)が、また「()げにも()けないような(いぬ)()しい。」と(こた)えますと、大男(おおおとこ)はすぐに口笛(くちぶえ)()いて、(いっ)(ぴき)(くろ)(いぬ)()()しながら、
「この(いぬ)()()べと()って、(だれ)でも背中(せなか)()ってさえすれば百里(ひゃくり)でも千里(せんり)でも、(そら)()んで()くことが出来(でき)る。明日(あした)はまた(おれ)(おとうと)が、(なに)かお(まえ)(れい)をするだろう。」と()って、(まえ)のようにどこかへ()()せてしまいました。
 するとあくる()は、まだ、(ふえ)()くか()かないのに、(あか)勾玉(まがたま)(かざ)りにした、()(ひと)つしかない大男(おおおとこ)が、(かぜ)のように(そら)から()(くだ)って、
(おれ)葛城山(かつらぎさん)()(ひと)つの(かみ)だ、(あに)きたちがお(まえ)(れい)をしたそうだから、(おれ)()げや()べに(おと)らないような、立派(りっぱ)(いぬ)をくれてやろう。」と()ったと(おも)うと、もう口笛(くちぶえ)(こえ)(もり)(じゅう)にひびき(わた)って、(いっ)(ぴき)(ぶち)(いぬ)(きば)をむき()しながら、()けて()ました。
「これは()めという(いぬ)だ。この(いぬ)相手(あいて)にしたが最後(さいご)、どんな(おそろ)しい鬼神(おにがみ)でも、きっと(ひと)()みに()(ころ)されてしまう。ただ、(おれ)たちのやった(いぬ)は、どんな(とお)いところにいても、お(まえ)(ふえ)()きさえすれば、きっとそこへ(かえ)って()るが、(ふえ)がなければ()ないから、それを(わす)れずにいるが()い。」
 そう()いながら()(ひと)つの(かみ)は、また(もり)()()をふるわせて、(かぜ)のように()(のぼ)ってしまいました。

()

 それから四五(しご)(にち)たったある()のことです。髪長(かみなが)(ひこ)(さん)(びき)(いぬ)をつれて、葛城山(かつらぎさん)(ふもと)にある、(みち)三叉(みつまた)になった往来(おうらい)へ、(ふえ)()きながら()かかりますと、(みぎ)(ひだり)両方(りょうほう)(みち)から、弓矢(ゆみや)()をかためた、二人(ふたり)(とし)(わか)(さむらい)が、(たくま)しい(うま)(またが)って、しずしずこっちへやって()ました。
 髪長(かみなが)(ひこ)はそれを()ると、()いていた(ふえ)(こし)へさして、叮嚀(ていねい)におじぎをしながら、
「もし、もし、殿様(とのさま)、あなた(がた)一体(いったい)、どちらへいらっしゃるのでございます。」と(たず)ねました。
 すると二人(ふたり)(さむらい)が、(かわ)(がわ)(こた)えますには、
今度(こんど)飛鳥(あすか)大臣(おおおみ)(さま)御姫(おひめ)(さま)()(ふた)(かた)、どうやら鬼神(おにがみ)のたぐいにでもさらわれたと()えて、一晩(ひとばん)(うち)()行方(ゆくえ)()れなくなった。」
大臣(おおおみ)(さま)(たい)そうな()心配(しんぱい)で、(だれ)でも御姫(おひめ)(さま)(さが)()して()たものには、(あつ)()褒美(ほうび)(くだ)さると()(おお)せだから、それで我々(われわれ)二人(ふたり)も、()行方(ゆくえ)(たず)ねて(ある)いているのだ。」
 こう()って二人(ふたり)(さむらい)は、(おんな)のような木樵(きこり)(さん)(びき)(いぬ)とをさも莫迦(ばか)にしたように見下(みくだ)しながら、(みち)(いそ)いで()ってしまいました。
 髪長(かみなが)(ひこ)()(こと)()いたと(おも)いましたから、早速(さっそく)(しろ)(いぬ)(あたま)()でて、
()げ。()げ。御姫(おひめ)(さま)たちの()行方(ゆくえ)()()せ。」と()いました。
 すると(しろ)(いぬ)は、(おり)から()いて()(かぜ)(むか)って、しきりに(はな)をひこつかせていましたが、たちまち()ぶるいを(ひと)つするが(はや)いか、
「わん、わん、()(あねえ)(さま)御姫(おひめ)(さま)は、生駒山(いこまやま)洞穴(どうけつ)()んでいる(しょく)(しん)(じん)(とりこ)になっています。」と(こた)えました。(しょく)(しん)(じん)()うのは、(むかし)()(また)大蛇(おろち)()っていた、途方(とほう)もない悪者(わるもの)なのです。
 そこで木樵(きこり)はすぐ(しろ)(いぬ)(ぶち)(いぬ)とを、両方(りょうほう)(がわ)にかかえたまま、(くろ)(いぬ)背中(せなか)(またが)って、(おお)きな(こえ)でこう()いつけました。
()べ。()べ。生駒山(いこまやま)洞穴(どうけつ)()んでいる(しょく)(しん)(じん)(ところ)()んで()け。」
 その(ことば)(おわ)らない(うち)です。(おそろ)しいつむじ(かぜ)が、髪長(かみなが)(ひこ)(あし)(もと)から()(おこ)ったと(おも)いますと、まるで(ひと)ひらの()()のように、()()(くろ)(いぬ)(そら)()(のぼ)って、青雲(せいうん)(むこ)うにかくれている、(とお)生駒山(いこまやま)(みね)(ほう)へ、真一文字(まいちもんじ)()(はじ)めました。

(さん)

 やがて髪長(かみなが)(ひこ)生駒山(いこまやま)()()ますと、(なる)(ほど)(やま)中程(なかほど)(おお)きな洞穴(どうけつ)(ひと)つあって、その(なか)(きん)(くし)をさした、綺麗(きれい)御姫(おひめ)(さま)一人(ひとり)、しくしく()いていらっしゃいました。
御姫(おひめ)(さま)御姫(おひめ)(さま)(わたし)御迎(おむか)えにまいりましたから、もう()心配(しんぱい)には(およ)びません。さあ、(はや)く、()父様(とうさま)(ところ)()(かえ)りになる()仕度(したく)をなすって(くだ)さいまし。」
 こう髪長(かみなが)(ひこ)()いますと、(さん)(びき)(いぬ)御姫(おひめ)(さま)(すそ)(そで)(くわ)えながら、
「さあ(はや)く、()仕度(したく)をなすって(くだ)さいまし。わん、わん、わん、」と()えました。
 しかし御姫(おひめ)(さま)は、まだ()()(なみだ)をためながら、洞穴(どうけつ)(おく)(ほう)をそっと(ゆび)さして()()せになって、
「それでもあすこには、(わたし)をさらって()(しょく)(しん)(じん)が、さっきから御酒(ごしゅ)()って()ています。あれが()をさましたら、すぐに()いかけて()るでしょう。そうすると、あなたも(わたし)も、(いのち)をとられてしまうのにちがいありません。」と仰有(おっしゃ)いました。
 髪長(かみなが)(ひこ)はにっこりほほ()んで、
(たか)()れた(しょく)(しん)(じん)なぞを、(なん)でこの(わたし)(こわ)がりましょう。その証拠(しょうこ)には、(いま)ここで、(わけ)なく(わたし)退治(たいじ)して御覧(ごらん)()れます。」と()いながら、(ぶち)(いぬ)背中(せなか)(ひと)つたたいて、
()め。()め。この洞穴(どうけつ)(おく)にいる(しょく)(しん)(じん)(いち)()みに()(ころ)せ。」と、(いさ)ましい(こえ)()いつけました。
 すると(ぶち)(いぬ)はすぐ(きば)をむき()して、(かみなり)のように(うな)りながら、まっしぐらに洞穴(どうけつ)(なか)へとびこみましたが、たちまちの(なか)にまた()だらけな(しょく)(しん)(じん)(くび)(くわ)えたまま、()をふって(そと)()()ました。
 ところが不思議(ふしぎ)(こと)には、それと同時(どうじ)に、(くも)()まっている(たに)(そこ)から、一陣(いちじん)(かぜ)がまき(おこ)りますと、その(かぜ)(なか)(なに)かいて、
髪長(かみなが)(ひこ)さん。難有(ありがと)う。この()(おん)(わす)れません。(わたし)(しょく)(しん)(じん)にいじめられていた、生駒山(いこまやま)(こま)(ひめ)です。」と、やさしい(こえ)()いました。
 しかし御姫(おひめ)(さま)は、命拾(いのちびろ)いをなすった(うれ)しさに、この(こえ)(きこ)えないような()容子(ようす)でしたが、やがて髪長(かみなが)(ひこ)(ほう)()いて、心配(しんぱい)そうに仰有(おっしゃ)いますには、
(わたし)はあなたのおかげで命拾(いのちびろ)いをしましたが、(いもうと)今時分(いまじぶん)どこでどんな()()って()りましょう。」
 髪長(かみなが)(ひこ)はこれを()くと、また(しろ)(いぬ)(あたま)()でながら、
()げ。()げ。御姫(おひめ)(さま)()行方(ゆくえ)()()せ。」と()いました。と、すぐに(しろ)(いぬ)は、
「わん、わん、()(いもうと)(さま)御姫(おひめ)(さま)笠置山(かさぎやま)洞穴(どうけつ)()んでいる土蜘蛛(つちぐも)(とりこ)になっています。」と、主人(しゅじん)(かお)見上(みあ)げながら、(はな)をびくつかせて(こた)えました。この土蜘蛛(つちぐも)()うのは、(むかし)神武(じんむ)天皇(てんのう)(さま)()征伐(せいばつ)になった(こと)のある、一寸法師(いっすんぼうし)悪者(わるもの)なのです。
 そこで髪長(かみなが)(ひこ)は、(まえ)のように()(ひき)(いぬ)小脇(こわき)にかかえて御姫(おひめ)(さま)(いっ)しょに(くろ)(いぬ)背中(せなか)(またが)りながら、
()べ。()べ。笠置山(かさぎやま)洞穴(どうけつ)()んでいる土蜘蛛(つちぐも)(ところ)()んで()け。」と()いますと、(くろ)(いぬ)はたちまち(そら)()(のぼ)って、これも青雲(せいうん)のたなびく(なか)(そび)えている笠置山(かさぎやま)()よりも(はや)()(はじ)めました。

(よん)

 さて笠置山(かさぎやま)()きますと、ここにいる土蜘蛛(つちぐも)はいたって(わる)()()のあるやつでしたから、髪長(かみなが)(ひこ)姿(すがた)()るが(はや)いか、わざとにこにこ(わら)いながら、洞穴(どうけつ)(まえ)まで(むか)えに()て、
「これは、これは、髪長(かみなが)(ひこ)さん。遠方(えんぽう)御苦労(ごくろう)でございました。まあ、こっちへおはいりなさい。(ろく)なものはありませんが、せめて鹿(しか)(なま)(ぎも)(くま)(はらみ)()でも御馳走(ごちそう)しましょう。」と()いました。
 しかし髪長(かみなが)(ひこ)(くび)をふって、
「いや、いや、(おれ)はお(まえ)がさらって()御姫(おひめ)(さま)をとり(かえ)しにやって()たのだ。(はや)御姫(おひめ)(さま)(かえ)せばよし、さもなければあの(しょく)(しん)(じん)同様(どうよう)(ころ)してしまうからそう(おも)え。」と、(おそろ)しい(いきお)いで(しか)りつけました。
 すると土蜘蛛(つちぐも)は、(ひと)ちぢみにちぢみ(あが)って、
「ああ、()(かえ)(もう)しますとも、(なん)であなたの仰有(おっしゃ)(こと)に、いやだなどと(もう)しましょう。御姫(おひめ)(さま)はこの(おく)にちゃんと、(ひと)りでいらっしゃいます。どうか()遠慮(えんりょ)なく(なか)へはいって、()つれになって(くだ)さいまし。」と、(こえ)をふるわせながら()いました。
 そこで髪長(かみなが)(ひこ)は、()(あねえ)(さま)御姫(おひめ)(さま)(さん)(びき)(いぬ)とをつれて、洞穴(どうけつ)(なか)へはいりますと、(なる)(ほど)ここにも(ぎん)(くし)をさした、可愛(かわい)らしい御姫(おひめ)(さま)が、(かな)しそうにしくしく()いています。
 それが(ひと)()容子(ようす)(おどろ)いて、(いそ)いでこちらを御覧(ごらん)になりましたが、()(あねえ)(さま)()(かお)一目(ひとめ)()たと(おも)うと、
()(あねえ)(さま)。」
(いもうと)。」と、二人(ふたり)御姫(おひめ)(さま)一度(いちど)両方(りょうほう)から()けよって、(しばら)くは(たがい)()()ったまま、うれし(なみだ)にくれていらっしゃいました。髪長(かみなが)(ひこ)もこの気色(けしき)()て、(もら)()きをしていましたが、(きゅう)(さん)(びき)(いぬ)背中(せなか)()逆立(さかだ)てて、
「わん。わん。土蜘蛛(つちぐも)畜生(ちくしょう)め。」
(にく)いやつだ。わん。わん。」
「わん。わん。わん。(おぼ)えていろ。わん。わん。わん。」と、()(ちが)ったように()()しましたから、ふと()がついてふり(かえ)えると、あの狡猾(こうかつ)土蜘蛛(つちぐも)は、いつどうしたのか、(おお)きな(いわ)で、(いち)()(すき)もないように、(そと)から洞穴(どうけつ)入口(いりぐち)をぴったりふさいでしまいました。おまけにその(いわ)(むこ)うでは、
「ざまを()ろ、髪長(かみなが)(ひこ)め。こうして()けば、貴様(きさま)たちは、一月(ひとつき)とたたない(なか)に、ひぼしになって()んでしまうぞ。(なん)(おれ)(さま)計略(けいりゃく)は、(おそ)()ったものだろう。」と、()(たた)いて土蜘蛛(つちぐも)(わら)(こえ)がしています。
 これにはさすがの髪長(かみなが)(ひこ)も、さては(いっ)ぱい()わされたかと、一時(いちじ)口惜(くちお)しがりましたが、(さいわ)(おも)()したのは、(こし)にさしていた(ふえ)(こと)です。この(ふえ)()きさえすれば、鳥獣(ちょうじゅう)()うまでもなく、草木(くさき)もうっとり()()れるのですから、あの狡猾(こうかつ)土蜘蛛(つちぐも)も、(こころ)(うご)かさないとは(かぎ)りません。そこで髪長(かみなが)(ひこ)勇気(ゆうき)をとり(なお)して、()えたける(いぬ)をなだめながら、一心不乱(いっしんふらん)(ふえ)()()しました。
 するとその音色(ねいろ)面白(おもしろ)さには、悪者(わるもの)土蜘蛛(つちぐも)も、追々(ついつい)(われ)(わす)れたのでしょう。(はじめ)洞穴(どうけつ)入口(いりぐち)(みみ)をつけて、じっと()()ましていましたが、とうとうしまいには夢中(むちゅう)になって、一寸(いっすん)()(すん)大岩(おおいわ)を、(すこ)しずつ(わき)(ひら)きはじめました。
 それが(ひと)一人(ひとり)(とお)れるくらい、(おお)きな(くち)をあいた(とき)です。髪長(かみなが)(ひこ)(きゅう)(ふえ)をやめて、
()め。()め。洞穴(どうけつ)入口(いりぐち)()っている土蜘蛛(つちぐも)()(ころ)せ。」と、(ぶち)(いぬ)背中(せなか)をたたいて、()いつけました。
 この(こえ)(きも)をつぶして、一目散(いちもくさん)土蜘蛛(つちぐも)は、()()そうとしましたが、もうその(とき)()()いません。「()め」はまるで(いなずま)のように、洞穴(どうけつ)(そと)()()して、(なに)()もなく土蜘蛛(つちぐも)()(ころ)してしまいました。
 (ところ)がまた不思議(ふしぎ)(こと)には、それと同時(どうじ)(たに)(そこ)から、一陣(いちじん)(かぜ)()(おこ)って、
髪長(かみなが)(ひこ)さん。難有(ありがと)う。この()(おん)(わす)れません。(わたし)土蜘蛛(つちぐも)にいじめられていた、笠置山(かさぎやま)(かさ)(ひめ)です。」とやさしい(こえ)(きこ)えました。

()

 それから髪長(かみなが)(ひこ)は、二人(ふたり)御姫(おひめ)(さま)(さん)(びき)(いぬ)とをひきつれて、(くろ)(いぬ)()(また)がりながら、笠置山(かさぎやま)(いただき)から、飛鳥(あすか)大臣(おおおみ)(さま)()(いで)になる(みやこ)(ほう)へまっすぐに、(そら)()んでまいりました。その途中(とちゅう)二人(ふたり)御姫(おひめ)(さま)は、どう()(おも)いになったのか、()自分(じぶん)たちの(きん)(くし)(ぎん)(くし)とをぬきとって、それを髪長(かみなが)(ひこ)(なが)(かみ)へそっとさして()()きになりました。が、こっちは(もと)よりそんな(こと)には、()がつく(はず)がありません。ただ、一生懸命(いっしょうけんめい)(くろ)(いぬ)(いそ)がせながら、(うつく)しい大和(やまと)国原(くにはら)(あし)(した)見下(みおろ)して、ずんずん(そら)()んで()きました。
 その(なか)髪長(かみなが)(ひこ)は、あの(はじ)めに(とお)りかかった、()(また)(みち)(そら)まで、(いぬ)(すす)めて()ましたが、()るとそこにはさっきの二人(ふたり)(さむらい)が、どこからかの(かえ)りと()えて、また(うま)(なら)べながら、(みやこ)(ほう)(いそ)いでいます。これを()ると、髪長(かみなが)(ひこ)は、ふと自分(じぶん)大手(おおて)(がら)を、この二人(ふたり)(さむらい)たちにも()かせたいと()(こころ)もちが()って()たものですから、
()りろ。()りろ。あの(みっ)(また)になっている(みち)(うえ)()りて()け。」と、こう(くろ)(いぬ)()いつけました。
 こっちは二人(ふたり)(さむらい)です。折角(せっかく)方々(ほうぼう)(さが)しまわったのに、御姫(おひめ)(さま)たちの()行方(ゆくえ)がどうしても()れないので、しおしお(うま)(すす)めていると、いきなりその御姫(おひめ)(さま)たちが、(おんな)のような木樵(きこり)(いっ)しょに、(たくま)しい(くろ)(いぬ)(またが)って、(そら)から()(くだ)って()たのですから、その(おどろ)きと()ったらありません。
 髪長(かみなが)(ひこ)(いぬ)背中(せなか)()りると、叮嚀(ていねい)にまたおじぎをして、
殿様(とのさま)(わたし)はあなた(かた)()(わか)(もう)してから、すぐに生駒山(いこまやま)笠置山(かさぎやま)とへ()んで()って、この(とお)()(ふた)(かた)御姫(おひめ)(さま)()(たす)(もう)してまいりました。」と()いました。
 しかし二人(ふたり)(さむらい)は、こんな(いや)しい木樵(きこり)などに、まんまと(はな)をあかされたのですから、(うらやま)しいのと、(ねた)ましいのとで、(はら)()って仕方(しかた)がありません。そこで上辺(うわべ)はさも(うれ)しそうに、いろいろ髪長(かみなが)(ひこ)手柄(てがら)()()てながら、とうとう(さん)(ひき)(いぬ)由来(ゆらい)や、(こし)にさした(ふえ)不思議(ふしぎ)などをすっかり()()してしまいました。そうして髪長(かみなが)(ひこ)油断(ゆだん)をしている(うち)に、まず大事(だいじ)(ふえ)をそっと(こし)からぬいてしまうと、二人(ふたり)はいきなり(くろ)(いぬ)背中(せなか)へとび()って、二人(ふたり)御姫(おひめ)(さま)()(ひき)(いぬ)とを、しっかりと(りょう)(わき)(かか)えながら、
()べ。()べ。飛鳥(あすか)大臣(おおおみ)(さま)のいらっしゃる、(みやこ)(ほう)()んで()け。」と、(こえ)(そろ)えて(わめ)きました。
 髪長(かみなが)(ひこ)(おどろ)いて、すぐに二人(ふたり)へとびかかりましたが、もうその(とき)には大風(おおかぜ)()(おこ)って、(さむらい)たちを()せた(くろ)(いぬ)は、きりりと()()いたまま、(はるか)青空(あおぞら)(うえ)(ほう)()(のぼ)って()ってしまいました。
 あとにはただ、(さむらい)たちの()りすてた()(ひき)(うま)(のこ)っているばかりですから、髪長(かみなが)(ひこ)()(また)になった往来(おうらい)のまん(なか)につっぷして、しばらくはただ(かな)しそうにおいおい()いておりました。
 すると生駒山(いこまやま)(みね)(ほう)から、さっと(かぜ)()いて()たと(おも)いますと、その(かぜ)(なか)(こえ)がして、
髪長(かみなが)(ひこ)さん。髪長(かみなが)(ひこ)さん。(わたし)生駒山(いこまやま)(こま)(ひめ)です。」と、やさしい(ささや)きが(きこ)えました。
 それと同時(どうじ)にまた笠置山(かさぎやま)(ほう)からも、さっと(かぜ)(わた)るや(いな)や、やはりその(かぜ)(なか)にも(こえ)があって、
髪長(かみなが)(ひこ)さん。髪長(かみなが)(ひこ)さん。(わたし)笠置山(かさぎやま)(かさ)(ひめ)です。」と、これもやさしく(ささや)きました。
 そうしてその(こえ)(ひと)つになって、
「これからすぐに(わたし)たちは、あの(さむらい)たちの(あと)()って、(ふえ)をとり(かえ)して()げますから、(すこ)しも()心配(しんぱい)なさいますな。」と()うか()わない(なか)に、(かぜ)はびゅうびゅう(うな)りながら、さっき(くろ)(いぬ)()んで(おこな)った(ほう)へ、(くる)って()ってしまいました。
 が、(すこ)したつとその(かぜ)は、またこの()(また)になった(みち)(うえ)へ、(まえ)のようにやさしく(ささや)きながら、(たか)(そら)から(くだ)して()ました。
「あの二人(ふたり)(さむらい)たちは、もう()(ふた)(かた)御姫(おひめ)(さま)(いっ)しょに、飛鳥(あすか)大臣(おおおみ)(さま)(まえ)()て、いろいろ()褒美(ほうび)(いただ)いています。さあ、さあ、(はや)くこの(ふえ)()いて、(さん)(びき)(いぬ)をここへ()()びなさい。その(あいだ)(わたし)たちは、あなたが()出世(しゅっせ)(たび)(だち)を、(はずか)しくないようにして()げましょう。」
 こう()(こえ)がしたかと(おも)うと、あの大事(だいじ)(ふえ)(はじ)め、(きん)(よろい)だの、(ぎん)(かぶと)だの、孔雀(くじゃく)(はね)()だの、香木(こうぼく)(ゆみ)だの、立派(りっぱ)大将(たいしょう)(よそお)いが、まるで(あめ)(あられ)のように、(まぶ)しく()(かがや)きながら、ばらばら()(まえ)()って()ました。

(ろく)

 それからしばらくたって、香木(こうぼく)(ゆみ)孔雀(くじゃく)(はね)()背負(せお)った、神様(かみさま)のような(かみ)(なが)(ひこ)が、(くろ)(いぬ)背中(せなか)(またが)りながら、(しろ)(ぶち)()(ひき)(いぬ)小脇(こわき)にかかえて、飛鳥(あすか)大臣(おおおみ)(さま)御館(おやかた)へ、(そら)から()(くだ)って()(とき)には、あの二人(ふたり)(とし)(わか)(さむらい)たちが、どんなに(あわ)(さわ)ぎましたろう。
 いや、大臣(おおおみ)(さま)でさえ、あまりの不思議(ふしぎ)()(おどろ)きになって、(しばら)くはまるで(ゆめ)のように、髪長(かみなが)(ひこ)凜々(りり)しい姿(すがた)を、ぼんやり(なが)めていらっしゃいました。
 が、髪長(かみなが)(ひこ)はまず(かぶと)をぬいで、叮嚀(ていねい)大臣(おおおみ)(さま)()じぎをしながら、
(わたし)はこの(くに)葛城山(かつらぎさん)(ふもと)()んでいる、髪長(かみなが)(ひこ)(もう)すものでございますが、()(ふた)(かた)御姫(おひめ)(さま)()(たす)(もう)したのは(わたし)で、そこにおります()(さむらい)たちは、(しょく)(しん)(じん)土蜘蛛(つちぐも)退治(たいじ)するのに、(ゆび)(いっ)(ぽん)でも()(うご)かしになりは(いた)しません。」と(もう)()げました。
 これを()いた(さむらい)たちは、(なに)しろ(いま)までは髪長(かみなが)(ひこ)(はなし)した(こと)を、さも自分(じぶん)たちの手柄(てがら)らしく吹聴(ふいちょう)していたのですから、二人(ふたり)とも(きゅう)顔色(かおいろ)()えて、相手(あいて)(ことば)(さえぎ)りながら、
「これはまた(おも)いもよらない(うそ)をつくやつでございます。(しょく)(しん)(じん)(くび)()ったのも(わたし)たちなら、土蜘蛛(つちぐも)計略(けいりゃく)()やぶったのも、(わたし)たちに相違(そうい)ございません。」と、(まこと)しやかに(もう)()げました。
 そこでまん(なか)()った大臣(おおおみ)(さま)は、どちらの()(こと)がほんとうとも、()きわめが()つきにならないので、(さむらい)たちと髪長(かみなが)(ひこ)()見比(みくら)べなさりながら、
「これはお(まえ)たちに()いて()るよりほかはない。一体(いったい)(まえ)たちを(たす)けたのは、どっちの(おとこ)だったと(おも)う。」と、御姫(おひめ)(さま)たちの(ほう)()いて、仰有(おっしゃ)いました。
 すると二人(ふたり)御姫(おひめ)(さま)は、一度(いちど)()父様(とうさま)(むね)()すがりになりながら、
(わたし)たちを(たす)けましたのは、髪長(かみなが)(ひこ)でございます。その証拠(しょうこ)には、あの(おとこ)のふさふさした(なが)(かみ)に、(わたし)たちの(くし)をさして()きましたから、どうかそれを御覧(ごらん)(くだ)さいまし。」と、(はずか)しそうに()()いになりました。()ると(なる)(ほど)髪長(かみなが)(ひこ)(あたま)には、(きん)(くし)(ぎん)(くし)とが、(うつく)しくきらきら(ひか)っています。
 もうこうなっては(さむらい)たちも、ほかに仕方(しかた)はございませんから、とうとう大臣(おおおみ)(さま)(まえ)にひれ()して、
(じつ)(わたし)たちが(わる)だくみで、あの(かみ)(なが)(ひこ)(たす)けた御姫(おひめ)(さま)を、(わたし)たちの手柄(てがら)のように、ここでは(もう)()げたのでございます。この(とお)白状(はくじょう)(いた)しました(うえ)は、どうか(いのち)ばかりは()(たす)(くだ)さいまし。」と、がたがたふるえながら(もう)()げました。
 それから(さき)(こと)は、(べつ)()(はな)しするまでもありますまい。髪長(かみなが)(ひこ)沢山(たくさん)()褒美(ほうび)(いただ)いた(うえ)に、飛鳥(あすか)大臣(おおおみ)(さま)()婿(むこ)(さま)になりましたし、二人(ふたり)(わか)(さむらい)たちは、(さん)(びき)(いぬ)()いまわされて、ほうほう御館(おやかた)(そと)()()してしまいました。ただ、どちらの御姫(おひめ)(さま)が、髪長(かみなが)(ひこ)()(よめ)さんになりましたか、それだけは(なに)(ぶん)(むかし)(こと)で、(いま)でははっきりとわかっておりません。
(大正七年十二月)

ふるいはさみ
小川おがわ未明みめい

 どこのおいえにも、ふるくから使つかれた道具どうぐはあるものです。そしてそのわりあいに、みんなからありがたがられていないものです。えいちゃんのおうちのふるいはさみもやはりそのひとつでありましょう。
 えいちゃんの、いちばんうえのおねえさんがちいさいときに、そのはさみでがみったり、また、お人形にんぎょう着物きものつくるために、あかぬのむらさきぬのなどをるときに使つかいなされたのですから、かんがえてみるとずいぶんふるくからあったものです。
 その時分じぶんにはこんなくろいろでなく、ぴかぴかひかっていました。そしてもよくついていてうっかりすると、ゆびさきをったのであります。
「よくをつけて、おつかいなさい。おててをりますよ。」と、おかあさんが、よく、ご注意ちゅういなさったのでした。
 おねえさんは、おちついた性質せいしつで、お勉強べんきょうもよくできたほうですから、めったに、このはさみでゆびさきをるようなことはしませんでした。使つかってしまえば、はこなかに、ちゃんとしまっておきました。
 おねえさんが、まだじゅう十一じゅういちのころです。あるのこと、
「あれ、なあに。」と、ふいにおかあさんにききました。
「なんですか。」と、おかあさんは、おわかりになりませんでした。
「アカギタニタニタニって?」
「あああれですか、はさみ、ほうちょう、かみそりとぎという、とぎさんですよ。」と、おかあさんはおわらいになりました。
わたしっている、はさみといでもらっていい。」と、おねえさんがききました。
 このときの、アカギタニタニタニがいつまでもおいえわらばなしたねとなりました。
「ほら、アカギタニタニタニがきましたよ。」と、とぎさんが、まわってくると、おかあさんがわらっておっしゃいました。それからいくたびこのはさみは、とぎさんのにかかったでしょう。
 おねえさんは、女学校じょがっこう卒業そつぎょうなさると、おはりのけいこにいらっしゃいました。そのときには、このはさみは、もう、そんなやくにたたなかったので、あたらしい、もっとおおきなはさみをおもとめになりました。そして、いままでのはさみは、平常へいじょう、うちのひと使つかようとされてしまいました。けれど、ちょうど、えいちゃんのうえにいさんが、いたずらざかりであって、このはさみで、ボール紙をったり、またたけなどをったりしたのです。
 けれど、はさみは、不平ふへいをいいませんでした。あるときは、縁台えんだいうえわすれられたり、またつめたいいしうえや、まどさきにかれたままでいたことがありました。そんなときは、さすがにさびしかったのです。
「はやく、おいえへはいらないと、らぬひとにつれられていってしまうがな。」と、ほしひかりをながめて心細こころぼそおもったことがありました。
「また、はさみがえませんが、どこへいったでしょう。」と、あくるあさ、おかあさんが、つめをろうとして、はさみがつからないので、こうおっしゃいました。
「きのうまで、はこなかにはいっていたんですよ。また、太郎たろうさんが使つかって、どこかへわすれたのでしょう。」
 ねえさんは、方々かたがたおさがしになりました。そして、子供こどもたちがあそぶごもんいしうえいてあったのをつけなさいました。
「まあ、こんなとこにいてあって、よくひとひろわれなかったこと。」
 そういって、おねえさんは、子供こども時分じぶんからのはさみをなつかしそうに、ごらんなさいました。すると、った記憶きおくがつぎつぎとかんできたのです。
ながくあるはさみね、だいじにしなければならないわ。」
 おねえさんは、なくならないように、あかいひもをはさみにおつけになりました。
 しかし、はさみは、もうとしをとって、たいしたやくにはたちませんでした。
れない、はさみだなあ。」と、太郎たろうさんが、かんしゃくをこしてたたみうえしても、はさみは自分じぶんれないのをよくっていましたから、がまんをして、あきらめていたのであります。そしてこのごろは、げたの鼻緒はなおてたり、つめをったりするときだけにしか使つかわれなかったけれど、としとったはさみは、わかいころ、おじょうさんが人形にんぎょう着物きものをつくるときに、うつくしい千代紙ちよがみや、がみったり、また、おかあさんが、お仕事しごとをなさるときに使つかわれた、いくつかのはなやかなおもかべて、せめてものなぐさめとしていたのでした。
 あるときのことです。いつもの、とぎさんがやってくると、
「アカギタニタニタニがきた、はさみといでもらっていいでしょう。」と、太郎たろうさんは、おかあさんにいいました。とぎさんのことを、いつか、アカギタニタニタニとしてしまったのでした。
 おかあさんが、いいとおっしゃったので、とぎさんにたのむと、おじいさんは、しみじみとはさみをながめて、
「もう、ふるくなって、こしがよわくなりましたから、といでもそうれませんよ。」といいました。人間にんげんおなじように、はさみのこしがまがって、よわってしまったのでした。
 ちょうどその時分じぶん、いちばんちいさいえいちゃんが学校がっこうがりました。そして学校がっこう手工しゅこうにはさみがいることになりました。
えいちゃんがっていくのに、ちょうどあぶなくなくてこのはさみがいいでしょう。」と、おかあさんが、あかいひものついているはさみをおしになりました。
 はさみはまたふでれのなかにいれられて、そのえいちゃんのおともをすることになりました。おうちひとはこのはさみならとみんな安心あんしんしていました。なんでもすべてふるくからのものには、こうしたあい安心あんしんしたしみがあるものです。

最後さいごの一まい

The Last Leaf

オー・ヘンリーさく
結城ゆうきひろしやく

 ワシントン・スクエア西にしにあるしょう地区ちくは、道路どうろ狂っくる たように入り組んい く でおり、「プレース」と呼ばよ れる区域くいき小さくちい 分かれわ ておりました。この「プレース」は不可思議ふかしぎ角度かくど曲線きょくせん描いえが ており、一、二かい自分じぶん自身じしん交差こうさしている通りとお があるほどでした。かつて、ある画家がかは、この通りとお 貴重きちょう可能かのうせい持っも ていることを発見はっけんしました。例えばたと かみやキャンバスの請求せいきゅうしょにした取り立てと た 考えかんが てみてください。取り立てと た は、このみち歩き回っある まわ たあげく、ぐるりともとのところまで戻っもど てくるに違いちが ありません。一セントも取り立てると た ことができずにね。
 それで、芸術家げいじゅつかたちはまもなく、奇妙きみょう古いふる グリニッチ・ヴィレッジへとやってきました。そして、きた向きむ まどと十八世紀せいき切りき つまとオランダふう屋根裏やねうら部屋へや安いやす 賃貸ちんたいりょう探しさが てうろついたのです。やがて、彼らかれ は しろめせいのマグやこんろ付きつ 卓上たくじょうなべを一、二、六ばんがいから持ち込みも こ 、「コロニー」を形成けいせいすることになりました。
 ずんぐりした三かい建てだ 煉瓦れんが造りづく 最上階さいじょうかいでは、スーとジョンジーがアトリエを持っも ていました。「ジョンジー」はジョアンナの愛称あいしょうです。スーはメインしゅうの、ジョンジーはカリフォルニアしゅう出身しゅっしんでした。二にんは八ばんがいの「デルモニコのみせ」の定食ていしょく出会いであ 芸術げいじゅつと、チコリーのサラダと、ビショップ・スリーブの趣味しゅみがぴったりだとわかって、共同きょうどうのアトリエを持つも ことになったのでした。
それが五月ごがつのことでした。十一月じゅういちがつ入るはい と、冷たくつめ 見えみ ないよそ者 ものがそのコロニーを巡りめぐ 歩きある はじめました。そのよそ者 もの医者いしゃから肺炎はいえん呼ばよ れ、こおりのようなゆびでそこかしこにいるひと触れふ ていくのでした。この侵略しんりゃくしゃひがしたんから大胆だいたん歩きある まわり、なんにんもの犠牲ぎせいしゃ襲いかかりおそ  ました。しかし、狭くせま 苔むしこけ た「プレース」の迷宮めいきゅう通るとお ときにはさすがのかれ足取りあしど 鈍りにぶ ました。
 肺炎はいえん騎士きしみち精神せいしん満ちみ ろう紳士しんしとは呼べよ ませんでした。いき荒くあら にまみれた持っも 年寄りとしよ のエセしゃが、カリフォルニアのそよ風 かぜ血の気ち け薄くうす なっている小柄こがら婦人ふじん相手あいて取ると などというのは フェアプレイとは言えい ますまい。しかし肺炎はいえんはジョンジーを襲いおそ ました。その結果けっかジョンジーは倒れたお 自分じぶん描いえが てあるてつのベッドによこになったまま少しすこ 動けうご なくなりました。そして小さなちい オランダふうまどガラスごしに、となりにある煉瓦れんが造りづく いえなにもないかべ見つめみ つづけることになったのです。
 あるあさ灰色はいいろ濃いこ まゆをした多忙たぼう医者いしゃがスーを廊下ろうか呼びよ ました。
助かるたす 見込みみこ は  そう、十に一つですな」 医者いしゃは、体温計たいおんけい水銀すいぎん振りふ 下げさ ながら言いい ました。「で、その見込みみこ はあのが『生きい たい』と思うおも かどうかにかかっている。こんなふう葬儀そうぎがわにつこうとしてたら、どんなくすりでもばかばかしいものになってしまう。あのお嬢さん じょう は、自分じぶんはよくならない、と決めき ている。あのなにこころにかけていることはあるかな?」
「あのは  いつかナポリわん描きえが たいって言っい てたんです」とスーは言いい ました。
描きえが たいって?  ふむ。もっとばいくらいのあることは考えかんが ていないのかな  例えばたと おとこのこととか」
おとこ?」スーは びあぼんのつるおとみたいな鼻声はなごえ言いい ました。「おとこなんて  いえ、ないです。先生せんせい。そういうはなしはありません」
「ふむ。じゃあそこがネックだな」医者いしゃ言いい ました。「わたしは、自分じぶんちからのおよぶ限りかぎ のこと、科学かがくができることはすべてやるつもりだ。でもな、患者かんじゃ自分じぶん葬式そうしき来るく くるまかず数えかぞ 始めはじ たら、くすり効き目き め半減はんげんなんだよ。もしもあなたがジョンジーに、ふゆにはどんな外套がいとうそで流行るはや のか、なんて質問しつもんをさせることができるなら、望みのぞ は十に一つから五に一つになるって請け合うう あ んだがね」
医者いしゃ帰るかえ と、スーは仕事しごと部屋へや入っはい 日本にっぽんせいのナフキンがぐしゃぐしゃになるまで泣きな ました。やがてスーはスケッチブックを持ちも 口笛くちぶえでラグタイムを吹きふ つつ、むね張っは てジョンジーの部屋へや入っはい ていきました。
 ジョンジーはシーツをかけてよこになっていました。しわ一つもシーツに寄せるよ ことなく、かおまど向けむ たままでした。ジョンジーが眠っねむ ていると思いおも 、スーは口笛くちぶえをやめました。
 スーはスケッチブックをセットすると、雑誌ざっし小説しょうせつ挿絵さしえをペンとインクで描きえが はじめました。若いわか 作家さっか文学ぶんがくみち切り開くき ひら ために雑誌ざっし小説しょうせつ書きか ます。若きわか 画家がか芸術げいじゅつみち切り開くき ひら ためにその挿絵さしえ描かえが なければならないのです。
 スーが、優美ゆうびうまのショーようのズボンとかた眼鏡めがね主人公しゅじんこうのアイダホしゅうカウボーイのために描いえが ているとき、低いひく こえすうかい繰り返しく かえ 聞こえき ました。スーは急いいそ でベッドのそばに行きい ました。
 ジョンジーは大きくおお 開いひら ていました。そしてまどそとながらかず数えかぞ て  逆順ぎゃくじゅんかず数えかぞ ているのでした。
「じゅうに」とジョンジーは言いい 少しすこ のちに「じゅういち」と言いい ました。それから「じゅう」「く」と言いい 、それから「はち」と「なな」をほとんど同時にどうじ 言いい ました。
 スーはいぶかしげにまどそとました。なに数えかぞ ているのだろう? そこにはくさもなく わびしいにわ見えるみ だけで、煉瓦れんがいえなにもないかべは二十フィートも向こうむ なのです。根元ねもとふしだらけで腐りくさ かかっている、とても、とてもいつたがその煉瓦れんがかべなかほどまで這っは ていました。冷たいつめ あきかぜは つたの吹き付けふ つ て、もうはだか同然どうぜんとなったえだ崩れくず かかった煉瓦れんがにしがみついているのでした。
「なあに?」スーは尋ねたず ました。
「ろく」とジョンジーはささやくようなこえ言いい ました。「早くはや 落ちお てくるようになったわ。三にちまえひゃくまいくらいあったのよ。数えかぞ ているとあたま痛くいた なるほどだったわ。でもいまは簡単かんたん。ほらまた一まい。もう残っのこ ているのは五まいだけね」
なにが五まいなの? スーちゃんに教えおし てちょうだい」
葉っぱは よ。つたの葉っぱは 最後さいごの一まい散るち とき、わたしも一緒いっしょ行くい のよ。三にちまえからわかっていたの。お医者いしゃさんは教えおし てくれなかったの?」
「まあ、そんな馬鹿ばかはなし聞いき たことがないわよ」スーはとんでもないと文句もんく言いい ました。「いつたの葉っぱは と、あなたが元気げんきになるのと、どんな関係かんけいがあるっていうの? あなたは、あのつたをとても大好きだいす だったじゃない、おばかさん。そんなしょうもないこと言わい ないでちょうだい。あのね、お医者いしゃさんは今朝けさ、あなたがすぐによくなる見込みみこ は  えっと、お医者いしゃさんが言っい たとおりの言葉ことば言えい ば 「一に十だ」って言うい のよ。それって、ニューヨークで電車でんしゃ乗るの とか、建設けんせつちゅうのビルのそばを通るとお ぐらいしか危なくあぶ ないってことよ。ほらほら、スープを少しすこ 飲んの で。そしてこのスーちゃんをスケッチに戻らもど せてね。そしたらスーちゃんは編集へんしゅうしゃにスケッチを売っう てね、病気びょうきのベビーにはポートワインを買っか てね、はらぺこの自分じぶんにはポークチョップを買えるか でしょ」
「もう、ワインは買わか なくていいわ」まどそと向けむ たまま、ジョンジーは言いい ました。「ほらまた一まい。ええ、もう、スープもいらないの。残りのこ は たったの四まい暗くくら なるまえ最後さいごの一まい散るち のをたいな。そしてわたしもさよならね」
「ジョンジー、ねえ」スーはジョンジーのうえにかがみ込んこ 言いい ました。「お願い ねが だから閉じと て、わたし仕事しごと終わるお までまどそとないって約束やくそくしてくれない? このは、明日あしたまでに出さだ なきゃいけないのよ。描くえが のに明かりあ がいるの。でなきゃよけを降ろしお てしまうんだけど」
部屋へやでは描けえが ないの?」とジョンジーは冷たくつめ 尋ねたず ました。
「あなたのそばにいたいのよ」とスーは答えこた ました。「それに、あんなつたの葉っぱは なんかてほしくないの」
終わっお たらすぐに教えおし てね」とジョンジーは言いい 閉じと 倒れたお ぞうのように白いしろ かおをしてじっとよこになりました。「最後さいごの一まい散るち のをたいの。もう待つま のは疲れつか たし。考えるかんが のにも疲れつか たし。自分じぶんがぎゅっと握り締めにぎ し ていたものすべてを放しはな たいの。そしてひらひらひらっと行きい たいのよ。あの哀れあわ で、疲れつか 木の葉こ はみたいに」
「もうおやすみなさい」とスーは言いい ました。「ベーアマンさんのところまで行っい て、年老いとしお 穴倉あなくら隠遁いんとんしゃのモデルをしてもらわなくっちゃいけないの。すぐに戻っもど てくるわ。戻っもど てくるまで動いうご ちゃだめよ」
 ベーアマン老人ろうじんはスーたちのしたの一かい住んす でいる画家がかでした。六十は越しこ ていて、ミケランジェロのモーセのあごひげが、カールしつつもりかみサチュロスのあたまからしょうおにからだ垂れ下がった さ ているという風情ふぜいです。ベーアマンは芸術げいじゅつてきには失敗しっぱいしゃでした。四十年間ねんかん絵筆えふでをふるってきましたが、芸術げいじゅつ女神めがみころものすそに触れるふ ことすらできませんでした。傑作けっさくをものするんだといつも言っい ていましたが、いまだかつてをつけたことすらありません。ここすう年間ねんかんは、ときおり商売しょうばい広告こうこく使うつか へたな以外いがいには まったくなに描いえが ていませんでした。ときどき、プロのモデルを雇うやと ことのできないコロニーの若いわか 画家がかのためにモデルになり、わずかばかりの稼ぎかせ ていたのです。ジンをがぶがぶのみ、これから描くえが 傑作けっさくについていまでも語るかた のでした。ジンを飲んの でいないときは、ベーアマンは気むずかしいき   小柄こがら老人ろうじんで、だれであれ、軟弱なんじゃくやつに対して たい はひどくあざ笑い わら 自分じぶんのことを、階上かいじょう住むす 若きわか 二人ふたり画家がか守るまも 特別とくべつなマスチフしゅ番犬ばんけんだと思っおも ておりました。
 ベーアマンはジンのジュニパーベリーの香りかお をぷんぷんさせて、階下かいか薄暗いうすぐら 部屋へやにおりました。片隅かたすみにはなに描かえが れていないキャンバスが画架がか乗っの ており、二十五ねんものあいだ傑作けっさく最初さいしょ一筆いっぴつ下ろさお れるのを待っま ていました。スーはジョンジーの幻想げんそうをベーアマンに話しはな ました。この世 よに対する たい ジョンジーの関心かんしんがさらに弱くよわ なったら、彼女かのじょ自身じしんが一まい木の葉こ はのように弱くよわ もろく、はらはらと散っち てしまうのではないか…。スーはそんな恐れおそ もベーアマンに話しはな ました。
 ベーアマン老人ろうじんは、赤いあか をうるませつつ、そんなばかばかしい想像そうぞうに、軽蔑けいべつ嘲笑ちょうしょう大声おおごえ上げあ たのです。
「なんだら!」とベーアマンは叫びさけ ました。「いったいぜんたい、葉っぱは が、けしからん つたから散るち から死ぬし なんたら、ばかなこと考えかんが ているひとがいるのか。そんなのは聞いき たこともないぞ。あほ隠居いんきょののろまのモデールなんかやらんぞ。何でなん らそんなんたらつまらんことをあののあたまに考えかんが させるんだら。あのかわいそうなかわいいヨーンジーに」
病気びょうきがひどくて、からだ弱っよわ ているのよ」とスーは言いい ました。「高熱こうねつのせいで、気持ちきも 落ち込んお こ でて、おかしな考えかんが あたまがいっぱいなのよ。えーえ、いいわよベーアマンさん。もしもわたしのためにモデルになってくれないなら、しなくて結構けっこうよ。でも、あなたはいやな老いぼれお  の  老いぼれお  のコンコンチキだわ」
「あんたもおんなってわけだ」とベーアマンは叫びさけ ました。「モデールにならんとだれ言っい たらんか。いいかね。あんたと一緒いっしょぎょうくったらさ。モーデルの準備じゅんびはできてると、三十ふんものあいだ言おい うとしたったらさ。ゴット! ここは、ヨーンジーさんみたいな素敵すてきお嬢さん じょう 病気びょうき寝込むねこ ところじゃないったら。いつか、わしが傑作けっさく描いえが たらって、わしらはみんなここをていくんだら。ゴット! そうなんだら」
 じょうかい着いつ たとき、ジョンジーは眠っねむ ていました。スーはよけをまどのしきいまで引っ張りひ ぱ おろし、ベーアマンをべつ部屋へや呼びよ ました。そこで二にんはびくびくしながらまどそとのつたを見つめみ ました。そして一言ひとことこえ出さだ ず、しばし二にんしてかお見合わせみあ ました。ひっきりなしに冷たいつめ あめ降り続きふ つづ 、みぞれまじりになっていました。ベーアマンは青いあお シャツをて、ひっくり返し  かえ たなべを大岩おおいわたて、穴倉あなくら隠遁いんとんしゃとして座りすわ ました。
 つぎあさ、一時間じかんねむったスーが覚ますさ と、ジョンジーはどろんとした大きくおお 開いひら て、降ろさお れたみどりよけを見つめみ ていました。
よけをあげて。たいの」ジョンジーはささやくように命じめい ました。
 スーはしぶしぶ従いしたが ました。
 けれども、ああ、打ち付けるう つ あめ激しいはげ かぜ長いなが よるあいだ荒れ狂っあ くる たというのに、つたのが一まい煉瓦れんがかべ残っのこ ておりました。それは、最後さいごの一まいでした。くきのつけねは深いふか みどりで、ぎざぎざのへりは黄色きいろがかっておりました。その勇敢ゆうかんにも地上ちじょう二十フィートほどのたかさのえだ残っのこ ているのでした。
「これが最後さいごの一まいね」ジョンジーが言いい ました。「昨晩さくばんのうちに散るち 思っおも ていたんだけど。風の音かぜ おと聞こえき ていたのにね。でも今日きょう、あの散るち 一緒いっしょに、わたし死ぬし 
「ねえ、お願い ねが だから」スーは疲れつか かおまくらほう近づけちか 言いい ました。「自分じぶんのことを考えかんが ないっていうなら、せめてわたしのことを考えかんが て。わたしはどうしたらいいの?」
 でも、ジョンジーは答えこた ませんでした。神秘しんぴ満ちみ 遠いとお 旅立ちたびだ への準備じゅんびをしているたましいこそ、この世 よ最ももっと 孤独こどくなものなのです。という幻想げんそうがジョンジーを強くつよ とらえるにつれ、友人ゆうじん地上ちじょうとのきずなは弱くよわ なっていくようでした。
 ひる過ぎす 、たそがれどきになっても、たった一まい残っのこ た つたのは、かべをはうえだにしがみついておりました。やがて、よる来るく とともに北風きたかぜ再びふたた 解き放たと はな れる一方いっぽうあめまど打ち続けう つづ 低いひく オランダふうのひさしからは雨粒あまつぶがぼたぼたと落ちお ていきました。
 ちょう明るくあか なると、ジョンジーは無慈悲むじひにも、よけを上げるあ ようにと命じめい ました。
 つたのは、まだそこにありました。
 ジョンジーはよこになったまま、長いなが ことそのていました。やがて、スーを呼びよ ました。スーはチキンスープをガスストーブにかけてかき混ぜ ま ているところでした。
「わたしは、とても悪いわる だったわ、スーちゃん」とジョンジーは言いい ました。「なにかが、あの最後さいご散らち ないようにして、わたしがなに悪いわる ことを思っおも ていたか教えおし てくれたのね。死にし たいと願うねが のは、つみなんだわ。ねえ、スープを少しすこ 持っも てきて、それからちゅうにワインを少しすこ 入れい たミルクも、それから  ちがうわ、まずかがみ持っも てきて。それからまくらなんわたし後ろうし 押し込んお こ で。そしたらからだ起こしお て、あなたが料理りょうりするのがられるから」
 それから一時間じかんたって、ジョンジーはこう言いい ました。
「スーちゃん。わたし、いつか、ナポリわん描きえが たいのよ」
 午後ごごにあの医者いしゃがやってきました。帰り際かえ ぎわ、スーも廊下ろうかました。
五分五分ごぶごぶだ」と医者いしゃはスーの細くほそ 震えふる ているをとって言いい ました。「よく看病かんびょうすればあなたの勝ちか になる。これからわたしはしたかいにいるべつ患者かんじゃなければならん。ベーアマンと言っい たな  画家がか、なんだろうな。この患者かんじゃ肺炎はいえんなんだ。もう高齢こうれいだし、からだ弱っよわ ているし、急性きゅうせいだし。かれほうは、助からたす んだろう。だが今日きょう病院びょういん行っい て、もう少し すこ らくになるだろう」
 つぎ医者いしゃはスーに言いい ました。「もう危険きけんはない。あなたの勝ちか だ。あと必要ひつようなのは栄養えいよう看病かんびょう  それだけだよ」
 その午後ごご、スーはベッドのところにました。ジョンジーはそこでよこになっており、とても青くあお 全くまった 実用じつようてきじゃないウールのショルダースカーフを満足まんぞくげに編んあ でおりました。スーは、まくら何もかもなに  全部ぜんぶまとめて抱きいだ かかえるように回しまわ ました。
「ちょっと話しはな たいことがあるのよ、しろねずみちゃん」とスーは言いい ました。「今日きょう、ベーアマンさんが病院びょういん肺炎はいえんのためお亡くなりな  になったの。病気びょうきはたった二にちだけだったわ。一にちあさした自分じぶん部屋へや痛みいた のためどうしようもない状態じょうたいになっているのを 管理かんりじんさんが見つけみ たんですって。くつふくもぐっしょり濡れぬ ていて、こおりみたいに冷たくつめ なっていたそうよ。あんなひどいばんにいったいどこに行っい てたのか、はじめは想像そうぞうもできなかったみたいだけど、まだ明かりあ のついたランタンが見つかっみ  て、それから、もと場所ばしょから引きずり出さひ  だ れたはしごが見つかっみ  たのよ。それから、散らばっち  ていたふでと、みどり黄色きいろ混ぜま られたパレットも。それから、 ねえ、まどそとてごらんなさい。あのかべのところ、最後さいごの一まいのつたのて。どうして、あのかぜ吹いふ てもひらひら動かうご ないのか、不思議ふしぎ思わおも ない? ああ、ジョンジー、あれがベーアマンさんの傑作けっさくなのよ  あのは、ベーアマンさんが描いえが たものなのよ。最後さいごの一まい散っち よるに」

秋空あきぞられて
吉田よしだ甲子太郎きねたろう

 いち
「まったくでござんす、親方おやかた御覧ごらんとおりのせっぽちじゃござんすが、これで案外あんがいきもだまはしっかりしてますんで。いままでってましたふねでも、こいつぐらい上手じょうずにマストへのぼるやつはなかったそうでござんす。まるでさるみたいなやっこだなんていわれてたくらいで――たかいところの仕事しごとにはもっていの餓鬼がきです。どうでしょう、ひとつあっしと一緒いっしょにリベット(びょううち)のほうへでも、ためしにお使つかいんなってはいただけねえでしょうか」
 ガラガラ、ガラガラとウィンチ(まきあげ)の廻転かいてんするおと、ガンガンと鉄骨てっこつたた轟音ごうおん、タタタタタとリベット(びょう)をひびき、それにけないように、石山いしやま平吉へいきちわがにもなく怒鳴どなるような大声おおごえ一息ひといきおわると、心配しんぱいそうなをして監督かんとくかおのぞんだ。なかなか仕事しごとはないし、出来できることなら自分じぶんもとではたらかせたい――そうおもうと平吉へいきちは、どうしても一生懸命いっしょうけんめいにならずにいられなかった。
 監督かんとく腕組うでぐみをしたままの姿すがたで、平吉へいきちならんですこえみふくんで自分じぶんほうっている少年しょうねんうつした。息子むすこ一男かずおえみふくんでいたのは、父親ちちおやのいうことをいていると、つまりはこの自分じぶん父親ちちおや自慢じまんしていることになるのがおかしかったからである。
 なるほど、一男かずお十七じゅうななという年齢ねんれいにあわせては、小柄こがらなばかりでなくせているほうだった。しかし、潮風しおかぜにやけたその面魂つらだましいには、どこかしっかりしたところがあった。すこ茶色ちゃいろがかったしずかなひとみ、きちんとむすんだくちびる、どっちかというと柔和にゅうわかおたてだったが、まゆのあたりにけぬえて、かお全体ぜんたいめていた。それになによりも監督かんとくおどろかしたのは、こんな場所ばしょっていながら、その少年しょうねんこしつきがすこしもふらついていないことだった。にもこわがっているらしいおどおどしたいろはまるであらわれていない。
 いまさんにんおとこ立話たちばなしをしている場所ばしょは、地上ちじょうから二十五にじゅうごメートルもはなれた空間くうかんだ。足場あしばがわりに鉄骨てっこつはりうえわたしただけのなんまいかのいたうえっているのだった。したのぞけば、地下ちかしつをつくるためにりさげられた地底ちていまで三十さんじゅうメートルはあるだろう。よほどれたものでも、なにかにつかまらなければがくらくらしてのぞいてはいられないたかさだ。
 監督かんとくはあらためて一男かずお少年しょうねんかおなおした。平然へいぜんとしている。わざと平気へいきかおをしているのではない。
「ひょっとすると親爺おやじのいうのはうそではないかもれない」
 監督かんとくはそうおもった。それにかれ全体ぜんたいいちなん様子ようすったのだ。監督かんとく満足まんぞくそうなつきでそれがかる。
 そこで平吉へいきちはすかさずもう一度いちどたのんだ。
岸本きしもとさん、たのみます。使つかってみてやってくださいよ」
 監督かんとくは、「うん」と曖昧あいまい返事へんじをしてなおかんがえている様子ようすだったが、やがてかんがえがきまったとえて、平吉へいきちにいいつけた。
山田やまだんでてくれ」
 山田やまだというのは平吉へいきちくみ職工しょっこうあたまだった。
 山田やまだると監督かんとくいちなんをひきあわせた。
石山いしやませがれだそうだ。このあいだ見習みならいいちにんいるようにっていたが、使つかってやったらどうだ」
 平吉へいきちいちなんおもわず山田やまだかおつめた。このひと返事へんじひとつで運命うんめいがきまるのだ。
 ずばぬけてたか山田やまだは、見下みくだすようにいちなんながめていたが、遠慮えんりょなしにはっきりこたえた。
「こんな子供こどもじゃやくちません。いれるだけ無駄むだです」
「だが、山田やまださん、ちいさいけど――」
 平吉へいきちがせきんでいかけるのを監督かんとくがとめた。
石山いしやま山田やまだがいけないというものをやとうわけにはかないよ。じかに使つかうのは山田やまだなんだからな」
 平吉へいきちいちなんくちをつぐまなければならなかった。
 山田やまだは、じつ自分じぶん知合しりあいいちにんいれたかったのだ。おり監督かんとくたのもうとおもって、まず見習みならいいちにんいるということをほのめかしておいたのだ。いちなんをここでやとったら自分じぶん計画けいかく駄目だめになってしまう。
 ちょっとのあいだよんにんまずいおもいでつっっていた。
石山いしやまどくだが仕方しかたがない。さア、にんとも仕事しごとにかかってくれ」
たいらさん、わるくおもわないでくれ。このとしじゃまだ無理むりだよ」
 山田やまだがまずった。
 石山いしやま親子おやこ監督かんとくれいって、そのるほかなかった。
 
 十七じゅうななといってもいちおとこは、両親りょうしんのおかげ中学校ちゅうがっこうかよわせてもらっている幸福こうふく少年しょうねんたちのように、呑気のんきではなかった。こん自分じぶん仕事しごとつからなければ、いえがどんなにこまることになるかということがちゃんとかっていた。
 だからいまことわられたことをかなしむ気持きもちは、あるい父親ちちおや平吉へいきち以上いじょうだったかもれない。
 一男かずおいちねんはんほどまえから、近海きんかい航路こうろ貨物かもつせん水夫すいふをしていた。としとしだからむろん給仕きゅうじんだのだが、ふね補助ほじょ機関きかん設備せつびした帆船はんせんだったため、その身軽みがるなところを見込みこまれて、箇月かげつとたたないうちに水夫すいふ採用さいようされた。実際じっさいかれぐらいらく々とマストにのぼってをあやつることの出来でき水夫すいふはなかった。どんなにかぜいてもマストがしなうほどれようが、かれ平気へいき軍歌ぐんかをうたいながらそのてっぺんではたらいた。かれふねじょうくらしをすこしもつらいとはおもわなかった。みなから快活かいかつ性質せいしつあいされながら、自由じゆうおとこらしいその仕事しごとをむしろたのしんでいた。それに水夫すいふになってからは給料きゅうりょうもよく、いえへも十分じゅうぶんきんおくることが出来できた。
 ところが、九月くがつなかころ大荒おおあらうみをのりってふね大阪おおさかこうはいったとき一通いっつう電報でんぽうかれけていた。
 「ハハ ビヨウキ カエレ」
 かれわかれをしんでくれる大勢おおぜい兄貴あにきぶんたちをふねのこして、くらおもいで大阪おおさかえきから汽車きしゃった。
 夕方ゆうがた本所ほんじょのごみごみしたまちの、とある路地ろじおくにある、うみうえでもいちにちとしてわすれたことのないなつかしいはいると、すぐしたいもうと十五じゅうごになるすみが、ぜんかけきながらしてた。
 おくろくじょう薄暗うすぐら電灯でんとうしたている母親ははおやまくらもとへいちなんすわると、にんおさな弟妹ていまいたちがものめずらしげにかれをとりかこんだ。
 はは病気びょうき脚気かっけだった。あし醤油しょうゆたるのようにむくみ、心臓しんぞうくるしがった。無理むりをして御飯ごはんごしらえ、洗濯せんたくから大勢おおぜい子供こどもたちの世話せわまで、このあいだまでつづけてたのだが、いまではっていることも出来できなかった。すみが工場こうじょうつとむをやめてははかわりにはたらくほかなかった。だが、そうなると母親ははおやはすっかりよわくなって、ここ半月はんつきぐらいのあいだ毎日まいにちいちなんのことばかりした。はじめは相手あいてにしなかった主人しゅじん平吉へいきちも、さすがに病人びょうにん心持こころもち可哀かわいそうになった。それほどにいたがっている一男かずお一目ひとめわせてやったら、あるい病気びょうきはやくなおるのではあるまいかとおもわれした。
 それで、電報でんぽうつことになったのだ。
一男かずおか、よくかえっててくれた」
 そそけかみあたまをあげて、はは幾日いくにちゆめえがきつづけた一男かずおかおを、じっとながめた。なみだ一滴いってき、やつれたほおつたって、まくらぬのぬらした。
「もう大丈夫だいじょうぶぼくどこへもきはしませんよ」
 一男かずおむね一杯いっぱいになっておもわずそうった。かれはなおくほうへんいたくなってるのをかんじた。
 だが、一男かずお突然とつぜんひょうきんなかおいもうとのすみのほうへふりむけた。
「ところで船長せんちょう、おかえりはまだかい」
船長せんちょう?」
 あっにとられているいもうとをからかうように一男かずおはつづけた。
「わが石山いしやままる船長せんちょうさ。おとっつぁんはまだかってんだよ」
「まア、にいさんたらおいえふねいちしょにして――」
ふねさ、ふねだとも、荒波あらなみいさましくふねだよ。――だが、この機関きかんちょうはらってるんだがなア」
「もう、おとっつぁんもかえ時分じぶんよ」
「そうか、じゃ水夫すいふども、甲板かんぱん掃除そうじだ」
 一男かずおのちひかえたおとうといもうとりかえった。
「あっちの部屋へや綺麗きれいにしろよ」
「ようし、甲板かんぱん掃除そうじだ」
「あたち、水夫すいふよ」
 ちいさなおとうといもうとたちはきゅう元気げんきになって、がやがやのぼった。
 しばらくぶりでこのまずしいいえにもえみかえってた。病人びょうにんはまだしりなみだのたまったままのかおで、くちびるみをかべていた。
「さア、おかあさんも元気げんきしたと――、もう大丈夫だいじょうぶですよ。じきなおります。ぼくがきっとなおしてせます」
 このいちなん言葉ことばが、母親ははおやには、医者いしゃ保証ほしょうされたよりたのもしくひびいたのであった。
 おぜんるまでには父親ちちおやかえってた。玄関げんかんけん居間いま四畳半よじょうはんに、平吉へいきちろくにん子供こどもたちが食卓しょくたくかこんですわると、ふね食堂しょくどうよりもっと窮屈きゅうくつだった。発育はついくざかりのおとうといもうと次々つぎつぎ茶碗ちゃわん様子ようすは、出帆しゅっぱん準備じゅんびをするときよりもっとせわしなかった。一男かずおはそのなかちちから母親ははおや病気びょうき様子ようすをきいた。
 いのちには別状べつじょうはあるまいが、ながくかかるだろうという医者いしゃたてだった。てばかりいるせいか、ものべたがらないのがこまるということだった。
 一男かずおは、いえおくるほかに、しょうづかいを倹約けんやくしてめておいたきん父親ちちおやまえへおいた。いままでは、医者いしゃのいうとおりにもなかなか出来できなかったらしい。
「これで出来できるだけの養生ようじょうをさせてげてください」
 平吉へいきちだまっていつまでも息子むすこかおていた。
 翌日よくじつからいちおとこは、だれわずらわさずに母親ははおや看護かんごいちにん引受ひきうけた。病人びょうにんのあるいえともえず、あかるい笑声しょうせいえなかった。そのためかどうか、おそらく一男かずおかえってたという安心あんしんのせいもあったのだろう、はは病気びょうきはほんのすこしずつよくなってくようにえた。
 しかし、石山いしやま一家いっかは、いつまでこうしているわけにはかなかった。すみが工場こうじょうかせいできんはいらなくなった。いちなん送金そうきんなくなったわけだ。そのうえ病人びょうにんのために不断ふだんよりは余計よけい費用ひようがかさむのだ。
 あるばん子供こどもたちがろくじょうほう寝静ねしずまったとき平吉へいきち一男かずおとはながいこと相談そうだんした。いまいちなんふねってうみるようなことをすれば、また病人びょうにんはわるくなるにきまっている。だが一男かずおいまのように看護かんごかわりをしていたのでは、病人びょうにん薬代くすりだいおろか、べいだいもつづかないのだ。
 翌日よくじついちおとこ父親ちちおやについて、かれいまはたらいている建築けんちくじょうおこなってることになったのであった。
 さん
 平吉へいきちいちなん板張いたばりはずれへれてって、監督かんとくをむけてった。
こまったな」
「なんかつかるよ、おとっつぁん」
 いちなんにもこれというとうはなかったけれども、わざとかえすようにかれこたえた。
 平吉へいきち監督かんとく背中せなかられているのをかんじた。はや自分じぶん仕事しごとにかからなければならない。ゆっくり相談そうだんしているひまはないのだ。
「じゃ、今夜こんやかえってから相談そうだんすることにしよう。をつけてかえれよ」
 平吉へいきちはさっきから人待顔ひとまちがおにすぐまえくだっていたふとくさりさきかぎかる右足みぎあしをかけてくさり全身ぜんしんたくした。ウィンチをおとはげしくきこえて、くさりげた起重機きじゅうきさいふく平吉へいきちを、蜘蛛くもいとにぶらくだった蜘蛛くものように空中くうちゅうげた。それから起重機きじゅうきはグーッとまわって、平吉へいきちからだいままでのところより五六ごろくメートルたか屋上おくじょうてつはりうえにぽとりとくだした。するとほとんかんをおかずに、そこからてつびょうむリベット・ハンマー(びょうつち)のおとがタタタタタときこえはじめた。いちなんにはのせいかそのおとが、ほかのおとより元気げんきがないようながした。
 よし、かえりに新聞しんぶんって広告こうこく就職しゅうしょくぐちをさがしてやろう。つけるといったらつけずにはおかないから――
 一男かずおは、縦横じゅうおうげられた鉄材てつざいあいだから、とおんだそらはなった。上総かずさ房州ぼうしゅう山波さんばがくっきりと、んだような輪廓りんかくせている。品川しながわうみかんでいるお台場だいばが、ひとふたみっつ、いつむっならんで緑色りょくしょく可愛かわい置物おきもののようだ。銀座ぎんざしばあたりのまち小人こびととうのようだし、芝浦しばうら岸壁がんぺき碇泊ていはくしている汽船きせんはまるで玩具おもちゃだ。すぐちかくの日比谷公園ひびやこうえんは、飛行機ひこうきから見下みくだすように、たちじゅ建物たてものしつぶされたようにひらったくえる。
 かぜがさわやかにいていた。
「なアに、なんとかなるさ。ならなきゃしてせるまでだ」
 かれきゅうにはればれとした気持きもちになって、シャツのえりをはだけてにちにやけたむねした。まるでうみかえったようだ。
 そのとき、うしろにっていた岸本きしもと監督かんとくは、一男かずお無造作むぞうさあるしたのをて、はっとした。少年しょうねんいままでっていた板張いたばりからはずれると、ことさらに平均へいきんをとる様子ようすもなく、両足りょうあしをならべてはばもないてつはりつたって、ひょいとビルディングの一番いちばん外側そとがわになっているてつけたあしをのせた。そこでかれはポケットにつっんだまんま、した二十五にじゅうごメートルのところをしろながれている大通だいつう見下みくだした。自動車じどうしゃ自転車じてんしゃ往来おうらいでもながめているのだろう。かれ無心むしんにいつまでも見下みくだしている。
 監督かんとく大声おおごえしたくなったのを、やっとのことで我慢がまんした。あしはずしたらどうするというのだ。かれはそのときいちなんをひきずりたおしてなぐりつけたいほどじりじりすると同時どうじに、また一方いっぽうでは、その面憎つらにくいまでちつきはらったきもだまふとさに、おもうさま拍手はくしゅおくりたくなったのだった。
「うむ、たいしたきもだ。しいもんだな」
 岸本きしもと監督かんとくのどおくでひとりうめいた。
 そのうち、あたりにはたらいている職人しょくにんたちのうちにも、なんにんかそのあぶないところにっている一男かずお姿すがたづいたものがあった。彼等かれらはその姿すがたづくといちしょにもうをはなすことが出来できなかった。仕事しごとをつづけることもわすれて、あっにとられてつめたっきりになってしまった。ややうつ加減かげん一男かずおちいさい姿すがたは、はるかにあおわたった帝都ていと大空おおぞらにくっきりとかんで、銅像どうぞうかなんかのように微塵みじんうごきそうにない。ている職人しょくにんたちの膝頭ひざがしらがかえってがちがちうごきはじめてた。そしてどのこころなかにも、「えらい!」と大声おおごえ怒鳴どなってやりたいような気持きもちうごきはじめた。
 そのとき、まったく不意ふいに――とているほう連中れんちゅうにはおもえたのだ――少年しょうねんあたまげると、くるりとむかいえて、ぶらぶらと監督かんとくのいるほうかえってた。みなはらうちではらはらしていたことなんか、かれはまったくらないのだ。あらしのうみふねのマストにのぼって仕事しごとをすることにくらべれば、ガッチリげられた鉄骨てっこつはりうえあるくことなどは、それがたとえどんなにたかかろうと、なにでもないことだ。
 いちなんがもう一度いちど板張いたばりうえかえってて、「お邪魔じゃましました」と挨拶あいさつしてからまるで平地ひらちあるくような様子ようすきゅう段階だんかいりて姿すがたを、監督かんとくのこしそうな見送みおくっていた。
 よん
 まがまがって細々こまごま地獄じごくそこまでつづきそうな階段かいだんを、一男かずお平気へいきで、ポケットへれたまま、きょろきょろよそをしながらゆっくりりてった。だが、かれかいぶんほど階段かいだんりたときだった。あたりのさわがしい物音ものおときぬけて、ガーンと鉄材てつざい鉄材てつざいにぶつかるこわしい音響おんきょうつよ鼓膜こまくをうった。あたましんまでひびいてた。けたたましい人声ひとごえきこえたようなもした。一男かずおちどまってうえほう見上みあげた。
 がつくと、仕事場しごとばちゅう物音ものおと一斉いっせいにとまっていた。さっとかぜいて一切いっさい物音ものおとをさらってってしまったあとのようだ。へん気味きみわるくしずまりかえっている。そのなかから監督かんとくさけこえがハッキリきこえてた。
「あいつをめろ! もどせ! いま子供こどもめるんだ!」
 だれかが、どたんどたんと階段かいだんりてきたるらしく、かすかな震動しんどういちなんからだつたわってた。
「おい、きみ!」
 ややはなれたところからばれてかえった一男かずおに、あおざめた監督かんとくかおてつわくあいだから自分じぶん熱心ねっしんつめているのがうつった。
もどってくれ! 故障こしょうだ、怪我けがじんだ」
 なんにんかの職人しょくにんたちが一度いちどにどっと監督かんとくのまわりへったが、先頭せんとうっていたのはいちなんだった。かれはあっというに、もう、さっきまでいたななかい板張いたばりゆかうえ監督かんとくならんでっていた。
 監督かんとくって、あたまうえ見上みあげた一男かずおかおからもえた。
 十五じゅうごメートルもあろうかとおもわれる、途方とほうもなくおおきなてつはりが、起重機きじゅうきから、わずかにいちほんくさりあやうはすささえられて、ふらりふらりとさがっているのだ。どうした間違まちがいか、もういちほんくさりはずれたのだ。その拍子ひょうしに、人夫にんぷたちのたぐりせていた引綱ひきづなも、彼等かれらからぐいっとってゆかれて、すべりちてしまったのだ。平均へいきんうしなったそのてつはりは、いまにもずるずるとすべって、骨組ほねぐみだけのはちかいけんのそのだい建築けんちくを、てっぺんからぶちいて、がらがらとちてきそうだった。
 はやくなんとかしなければ――だが、そのとき一男かずお少年しょうねんおもわずぐっとつばをのみんだ。かれいちにん職工しょっこう一番いちばんたかはりうえにまたがったまま、ぐったりとうつぶしているのをつけしたのだ。はずれたくさりのさきが、おおきくれるときかれあたまったものに相違そういない。かれあきらかにうしなっている。そのうえかれまたががっているはり片端かたはしは、さしんであった支柱しちゅうからぐいとはずれている。ったくさりはずれた途端とたんこんはすにぶらくだっているあのはりが、その職人しょくにんまたががっているはり衝突しょうとつしたのだ。あのガーンというおそれしい音響おんきょうは、そのときいちなんみみったのであった。かめのように空中くうちゅうくびっているあのおおきなはりが、かれっているはりにもう一度いちどゴツンとでもれてろ! 一男かずおをつぶった。
 
 だが、岸本きしもと監督かんとくはさすがにちつきをとりもどして、機敏きびんあたまはたらかせていた。いまこそいちなん使つかときだ! 大人おとながのればあのはりちる。だが子供こどもなら……そうだ、いちなんなら大丈夫だいじょうぶだ。
きみ怪我けがじんたすけにってくれ。たのむ!」
 その言葉ことばよりはやく、いちなんくつんだ。監督かんとくにしたつなかれくびにかけた。最初さいしょふといのを、つぎほそいのを。
「いいか、さきに、怪我けがじんはりへしばりつけるんだ。それからあのふらふらしている鉄材てつざいふとほうつなをかけてい。ちついてやれ。はずしたらおしまいだぞ。あわてるなよ」
 一男かずおは、うえにらみながらきしほん監督かんとく言葉ことばいていた。かった。あそこでああして、ここでこうして――かれ仕事しごと手順てじゅんを、もう一度いちど自分じぶんはらへたたみんだ。ふかいきをのみんで、ぐっとむねった。よし! かれくだっているロープにびついた。まったくさるだった。するすると一男かずおからだしばたあいだにのぼってった。そして気絶きぜつしたひとたおれているはり支柱しちゅうまれているかくがとどくと、ぐいと一度いちどからだまるめてやんわりとはりうえうつった。りょうはかすかにふるえていた。うしなっているひとからだまでははちメートルある。りょうはば十二じゅうにセンチにもりない。そしてあしした三十さんじゅうメートルもあるうつろの空間くうかんだ。
だまってろ! やることはかってるんだ」
 だれかがしたから指図さしずしようとしたとき岸本きしもと監督かんとくひくこえさえた。
 一男かずおはじっと怪我けがじんをつけたまんま、じりじりとすすんだ。かれは、時々ときどきはりのゆるぎをめるためにちどまらなければならなかった。
 いつのにかかぜつよくなっていたらしい。いちなん鳥打帽とりうちぼうがさっとかぜきあげられて、いがぐりあたまむきしになったときには、熱心ねっしん見物人けんぶつにんたちはしらずうめいた。帽子ぼうし鉄骨てっこつにぶつかりぶつかりながくかかってちてった。
 さんメートル、メートル、一男かずおうしなっているひと接近せっきんしてった。これからがあぶないところだ。片一方かたいっぽう支柱しちゅうだけでやっとささえられているはりだ、ぐんとはずれたらそれまでだ。
 あといちメートル――。
 みな一度いちどいきをついた。一男かずおはゆっくりとはりうえをつき、やがてはりうまのりになって、まず自分じぶんからだ安定あんていさせた。が、それからの仕事しごと手早てばやかった。かれほそほうつなくびからはずすと、んだようになっているひとからだにのりかかって、機敏きびんなわをかけた。あっというに、怪我けがじんからだはりにしっかりとむすびつけられていた。
 見上みあげている連中れんちゅうは、ここでなんとかこえがかけたかった。だが、岸本きしもと監督かんとくはすぐに様子ようすさっしてみなせいした。
「まて、あいつがなんとかいうまでだまっていろ」
 しかし、一男かずおくちもきかず、みんなのほうようともしなかった。かれにはまだ仕事しごとのこっていた。だいいち怪我けがじん様子ようすをたしかめなければならない。それから、起重機きじゅうきくさりからあやうくぶらさがっている物騒ぶっそうはりに、たくみ引綱ひきづなをしばりつけなければならないのだ。
 一男かずお怪我けがじん背中せなかをつき、戦闘帽せんとうぼうがた帽子ぼうしをぬがせた。そしてのぞんだかれうつったものは意外いがいにも職工しょっこうあたま山田やまだかおだった。ニベもなくさっき自分じぶんことわったあの職工しょっこうあたまかおだった。なんともいえぬ厳粛げんしゅくなものがかれむねった。いのちにかかわるようなひどい怪我けがではありませんように――かれいのるような気持きもち丁寧ていねい山田やまだあたま調しらべた。ていない、ほねくだけている様子ようすもない。どうもつよたれたためにうしなっているだけのことらしい。よかった、よかった。――と、かれ右足みぎあし足場あしばをさぐり、左足ひだりあして、そろそろこしかしはじめた。ているひとたちは今度こんどはぐっといきをつめた。一男かずお真直まっすぐにたってからゆっくりむかいをかえた。しずかにしずかに、はりのゆるぎをころしながら、もとほうきかえす。すすときよりもくばっている様子ようすだ。右手みぎてをのばした。だい支柱しちゅうのところまでもう二三にさんだ。ああ、きついた。かれ右手みぎてはしっかりと支柱しちゅういだきかかえたのだ。そして、一男かずおははじめてみなほう見下みくだして、った。おそれしいような歓呼かんこがあがって、すぐやんだ。一男かずお猶予ゆうよなくつぎ仕事しごとにとりかかったからである。
 だが、あとの仕事しごとらくだった。重々おもおもしく々しくれまわっているてつはりにはなんなく引綱ひきづなむすびつけられた。そして一男かずおのこったつなのたまを、監督かんとく中心ちゅうしんむらがっているひとたちの真中まんなか手際てぎわよくくだした。何十なんじゅうほんかの夢中むちゅうでそれをつかんだ。これで引綱ひきづな完全かんぜんにつけられたわけだ。はなづらは、しんすぐちても差支さしつかえのない場所ばしょしずかにきよせられた。
 おおきなバケット(おけ)をさげた起重機きじゅうきがぐうっとのぼっていちなんはなさきでとまった。かれがひょいとそれにりうつると、今度こんどはバケットがはりにしばりつけられた怪我けがじんのそばへってった。もう危険きけんなふらふらしたくさりにつられた鉄材てつざいがわきへのけられていたから平気へいきでそばにれるのである。いちなんかぜのようにはやうごいて職工しょっこうあたまをしばってある細引ほそびきをほどいて、そのぐったりしたからだりょううでいだいた。からだおもさで、かれはバケットのなかでよろめいた。起重機きじゅうきはすぐにバケットをぐうっとうえちあげ、ゆるくみぎほう廻転かいてんしはじめた。
 そのときいままで職工しょっこうあたまをのせていたりょうささえきれなくなって、がらがらとあっちにぶつかりこっちにぶつかり、真逆様まっさかさま墜落ついらくしてった。ているひとたちのかみはさかった。
 にんせたバケットが自分じぶんとうまえまでさがってとき監督かんとくをはじめ板張いたばりゆかうえっている人々ひとびとは、にもあらず、一斉いっせい歓声かんせいをあげた。そのなか平吉へいきちこえもまじっていた。かれ監督かんとくとならんで、バケットのなか山田やまだいだいているせがれかお一心いっしんつめていた。平吉へいきちにはなみだがあふれていた。
 それをるといちなんなにかぐっとこみげてて、わけのからないなみだほおつたって、いだいているひとかおちた。と、きゅういだいている山田やまだからだおもくなったようながした。かれがぽっかりをあけたのだ。かれはまず不思議ふしぎそうにいちなんかおた。それからあたりをきょろきょろまわしていた。
がつきましたか」
 いながらいちおとこ山田やまだをバケットのそこたせた。
 その瞬間しゅんかんひらめくように山田やまだあたまには一切いっさいかった。
きみは、きみは――くんぼくたすけてくれたのか。き、きみが――」
 山田やまだ両手りょうていちなん両手りょうてをしっかりとつかんでいた。その様子ようすてみんなはもう一度いちど物凄ものすごほどこえまんさいさけんだ。
 一男かずおなにかに感謝かんしゃしたいようながしてをつぶった。いままでていたちちかおが、すうっとははかおかわった。まぶたのうらでははかおはうれしそうにわらった。
 秋空あきぞらたかわたり、つよかぜさからうように、とびいちピンとつばさって悠々ゆうゆうえがいていた。

わらわなかった少年しょうねん
小川おがわ未明みめい

 あるのこと、学校がっこう先生せんせいが、生徒せいとたちにかって、
「あなたたちはどんなときに、いちばんおとうさんや、おかあさんをありがたいとおもいましたか、そうかんじたときのことをおはなししください。」と、おっしゃいました。
 みんなは、をかがやかして、をあげました。最初さいしょにさされたのは、竹内たけうちでありました。
わたしが、病気びょうきでねていましたとき、おとうさんは毎晩まいばんめしあがるおきなさけもおみになりませんでした。そして、おかあさんは、ごはんもあまりめしあがらず、よるもねむらずにまくらもとにすわって、こおりまくらのこおりがなくなれば、とりかえたりしてくださいました。ぼくは、コツ、コツとこおりくだけるおとをきいて、しみじみとありがたいとかんじました。」と、こたえました。
 先生せんせいは、これをきくと、おうなずきになりました。ほかの生徒せいとたちも、みんなだまって、おとなしくきいていました。そのつぎに、さされたのは、佐藤さとうでありました。佐藤さとうが、ちあがると、みんなは、どんなことをいうだろうかと、かれかお見守みまもっていました。
ぼくも、やはり竹内たけうちくんとおなじのであります。いおうとおもったことを、竹内たけうちくんがみんなはなしてくれました。」
 佐藤さとうこたえは、ただそれだけでありました。先生せんせいは、こんど、小田おだをおさしになりました。かれは、くみじゅうでの乱暴らんぼうしゃでした。そればかりでなく、いえ貧乏びんぼうとみえて、いつもやぶれたふくて、やぶれたくつをはいてきました。くつしたなどは、めったにはいたことがないのです。みんなの視線しせんは、たちまち、小田おだかおうえあつまったのはいうまでもありません。
 かれは、がると、
わたしのおかあさんは、おかねのないときは、自分じぶんのだいじなものもって、ぼくのためにいろいろなものをってくださいます。そんなとき、わたしはじつにすまないとかんじます。」といいました。すると、先生せんせいは、
「いろいろなものとは、どんなものですか。」と、おききになりました。小田おだは、そのこたえにこまったらしく、しばらく、うついてだまっていましたが、やっとかおげると、
ぼく月謝げっしゃや……また、どこかへ帽子ぼうしをなくしたときには、おかあさんは、自分じぶん着物きものって、ってくださいました。」と、こたえました。
 この言葉ことばは、みんなにすくなからず動揺どうようをあたえました。なかには、また、くすくすわらうものさえありました。しかし、先生せんせいが、わらうものをおしかりなさったので、すぐにしずかになったけれど、小田おだは、そのとき、みんなから、なんだか侮辱ぶじょくされたようながして、かおあかくなりました。
 そのとき、ひとりとなりならんでこしをかけている北川きたがわだけは、わらいもしなければ、じっとしてまゆひとつうごかさず、まじめにきいていました。小田おだは、こころなかで、かれ態度たいどをありがたくおもったのです。
 小田おだのおとうさんは、もうんでしまって、ありませんでした。ひとりおかあさんが、手内職てないしょくをして、母子ぼしは、その、そのまずしい生活せいかつをつづけていました。
 かれは、学校がっこうからかえると、今日きょうのおはなしをおかあさんにしたのでした。そのあったことは、なんでもかえってからおかあさんにはなすのがつねでありました。これをきくと、おかあさんは、
「あんまり、おまえがいえのことを正直しょうじきにいったものだから、みんなにわらわれたのですよ。」と、なみだをためて、おっしゃいました。
「おかあさんが、ぼくのために、自分じぶん大事だいじになさっているものもなくして、ってくださるのを、ぼくがありがたくおもっているといって、いけないのですか。」
「いえ、正直しょうじきにいって、すこしもわるいことはないんですけど……。」
 こういって、おかあさんは、またをおふきになりました。
「だが、おかあさん、わらったやつもあったけど、わらわないものだってありましたよ。わらったやつは、こんどなぐってやるのだ。」と、小田おだが、いいました。
「そんなことをしてはいけません。おまえが、乱暴らんぼうだから、みんなが、こんなときにわらうのです。どちらがただしいかわかるときがありますから、けっして、そんな乱暴らんぼうをしてはいけません。」と、おかあさんは、おいましめになりました。
 小田おだは、かんがえていましたが、
「ねえ、おかあさん、いつか、いえあそびにきたことのある、北川きたがわくんなどは、だまってきいていましたよ。」といいました。
「よくもののわかる、おりこうなおさんですね。」と、おかあさんは、いって、また、なみだをおふきになりました。
 それから、さんにちしてからです。小田おだは、学校がっこうへゆく途中とちゅうで、あちらからきた、北川きたがわくんにぐうしました。かれは、今年ことしから学校がっこうがったという、ちいさなおとうとといっしょでありました。
「おはよう。」
「いっしょにいこうよ。」
 たがいに、こえをかけって、さんにんが、ならんであるきました。そして、学校がっこうもんをはいったときであります。
「ひとりで、パンがえる?」と、北川きたがわくんが、まって、やさしくおとうとかおをのぞくようにして、きいていました。
 ちいさなおとうとは、だまって、うなずきました。
「もし、おかねとしたら、にいさんのところへいってくるのだよ。」と、北川きたがわくんは、いっていました。
 兄弟きょうだいたない小田おだは、このなかのいいにんのようすをて、こころからうらやまずにはいられなかったのです。
ぼくたち、おかあさんが、かぜをひいてねているので、今日きょうは、弁当べんとうってこなかったんだ。」と、北川きたがわくんが、小田おだかって、はなしました。
 そのとき、小田おだは、また自分じぶんのおかあさんのことをおもわずにはいられませんでした。
「いまごろ、おかあさんは、いっしょうけんめいで、お仕事しごとをなさっているだろう……。」
 そうおもうと、おかあさんの、お仕事しごとをなさっている姿すがたが、にありありとかんできて、しぜんとあつなみだがわいてくるのでした。
 その、ちょうど、おひるまえやす時間じかんでありました。北川きたがわおとうとさんが、しきりににいさんをさがしているのをつけましたから、小田おだは、おおきなこえで、
北川きたがわくん!」と、んで、らせたのです。
 北川きたがわは、すぐにはしってきました。そして、おとうとのそばへいって、なにかいうのをきいていましたが、
「だから、をつけるようにいったじゃないか。」というこえがきこえたかとおもうと、ちいさなおとうとは、しくしくときだしました。
 小田おだは、おとうとが、パンのおかねとしたのだなとさとりました。しかし、いってたずねるまもなく、
かんだって、いいのだよ。」といって、北川きたがわが、自分じぶんっているおかねをやって、おとうとあたまをなでると、おとうとは、くのをやめて、きゅうに、もとづいて、あちらへしてゆきました。
「なんて、ほがらかな兄弟きょうだいだろう。」と、小田おだは、このさまて、感心かんしんしました。
 そのうちに、はな時間じかんもなく、ベルがってお教室きょうしつはいり、授業じゅぎょうがはじまりました。
 いよいよおひるになって、みんながお弁当べんとうべるときとなったのです。ひとり、北川きたがわだけはつくえかって、宿題しゅくだいをしていました。
 小田おだには、なにもかもわかっていました、自分じぶんが、パンをべずに、おとうとにパンをってやったことも。このこころがあればこそ、このあいだも、自分じぶんはなしをまじめにきいていてくれたのだと、小田おだは、おもいました。
「これが、ほんとうの同情どうじょうというものだ。」
 そう小田おださとると、自分じぶん行為こういまでがかえりみられて、これから、自分じぶんも、ほんとうのただしい、つよ人間にんげんになろうと決心けっしんしたのでした。

雪子(ゆきこ)さんの泥棒(どろぼう)よけ
夢野(ゆめの)久作(きゅうさく)

 (よる)(ちゅう)雨戸(あまど)のところでゴリゴリと(おと)(はじ)まりました。家中(いえじゅう)雪子(ゆきこ)さんがたった一人(ひとり)()をさまして、(なに)だろうと(おも)いました。(ねずみ)ではなく、どうしても人間(にんげん)(なに)かしているとしか(おも)われませんでした。雪子(ゆきこ)さんは(いそ)いでお(とう)さんとお(かあ)さんをゆすり(おこ)しましたが、なかなかお()きになりません。そのうちにゴリゴリと(もの)(けず)(おと)(いち)そう(たか)くなったようです。雪子(ゆきこ)さんはどうしようかと(おも)いました。
 (おと)のするところへ(おこな)って()ると、雨戸(あまど)掛金(かけきん)のところを(そと)から泥棒(どろぼう)()(やぶ)っているのです。雪子(ゆきこ)さんがそこらを()まわしますと、玩具(おもちゃ)のバケツがありましたから、そっとそこへ()()てました。
 そのうちに泥棒(どろぼう)雨戸(あまど)()(やぶ)って()ると、(なに)(かた)いものがあります。小刀(こがたな)()いて()るとカンカン(おと)がします。雪子(ゆきこ)さんはおかしくなりました。
 泥棒(どろぼう)がどこかへ(おこな)ったと(おも)ったら、今度(こんど)台所(だいどころ)(ほう)(おと)(まわ)りました。雪子(ゆきこ)さんは(また)、そこへジッと()()てて()っていました。泥棒(どろぼう)(また)カンカンと()(もの)()(あた)りました。
馬鹿(ばか)用心(ようじん)のいい(いえ)だナ。まさか家中(いえじゅう)(きん)()ったるんじゃあんめえ」
 と()いながら、今度(こんど)はお座敷(ざしき)(とこ)()(かべ)のまん(なか)をゴリゴリ(はじ)めました。
 この(とき)、お(とう)さんとお(かあ)さんは()をさまして御覧(ごらん)になると、雪子(ゆきこ)さんは寝床(ねどこ)(なか)にいません。そして(とこ)()()ると、玩具(おもちゃ)のバケツを(かべ)()()てています。(そと)からはゴリゴリと(かべ)(やぶ)(おと)……。
 お(とう)さんとお(かあ)さんは、(はじ)めはビックリしましたが、すぐに(やく)がわかり、雪子(ゆきこ)さんの勇気(ゆうき)(だい)そう感心(かんしん)しました。なおも様子(ようす)をジッと()ていますと、泥棒(どろぼう)はとうとう(あつ)(かべ)()()いて、もういいと(おも)って小刀(こがたな)(さき)()いて()ると、どうでしょう。(かべ)のまん(なか)でもやはりカンカンカンと(おと)がします。泥棒(どろぼう)(こし)()かさんばかりに(おどろ)きました。そしてため(いき)をして()いました。
「これは(おどろ)いた。家中(いえじゅう)すっかり(きん)()りだ」
 (いえ)(なか)で、雪子(ゆきこ)さんとお(とう)さんとお(かあ)さんとが(いち)どきに(わら)()しました。
「アハハハハハハ」
「オホホホホホホ」
「ウフフフフフフ」
 泥棒(どろぼう)夢中(むちゅう)になって()()すと、すぐに(とお)りがかりの巡査(じゅんさ)さんに(つか)まりました。

大力(だいりき)物語(ものがたり)
菊池(きくち)(ひろし)

(いち)

 (むかし)朝廷(ちょうてい)では毎年(まいとし)七月(しちがつ)相撲(すもう)(せち)()(もよお)された。日本(にっぽん)全国(ぜんこく)から、代表(だいひょう)(てき)力士(りきし)()された。(むかし)角力(すもう)は、()()()げるといったように、ほとんど格闘(かくとう)(ちか)乱暴(らんぼう)なものであった。武内宿彌(たけのうちのすくね)当麻(たいま)のくえはやとの勝負(しょうぶ)(ちか)いものだ。
 だから、国々(くにぐに)から(えら)ばれる力士(りきし)も、その(くに)無双(むそう)強者(つわもの)だったのである。
 ある(とき)越前(えちぜん)佐伯氏長(さえきのうじなが)が、その(くに)選手(せんしゅ)として相撲(すもう)(せつ)(かい)()されることになった。途中(とちゅう)近江(おうみ)(くに)高島(たかしま)(ぐん)石橋(いしばし)(とお)っていると、(かわ)(みず)()んだ(おけ)(あたま)にいただいて(かえ)ってくる(おんな)がいた。
 田舎(いなか)(めずら)しい色白(いろじろ)美人(びじん)である。()(ちょう)は、(こころ)がうごいて(うま)から()りると、その(おんな)(おけ)をささえている(ひだり)()をとった。すると、(おんな)はニッコリ(わら)って、それを(いや)がりもしないので、いよいよ(じょう)(おぼ)えてその()をしっかとにぎると、(おんな)(ひだり)()をはずして、(みぎ)()(おけ)をささえると、(ひだり)()()(ちょう)()をわきにはさんだ。()(ちょう)はいよいよ(えつ)(はい)って、いっしょに(ある)いたが、しばらくして()一度(いちど)ぬこうとしたが、(はな)さない。
 越前(えちぜん)(はじめ)強力(きょうりょく)といわれる()(ちょう)(ちから)をこめて()こうとしても()けないのである。()(ちょう)は、おめおめとこの(おんな)について()(そと)はなかった。(いえ)()くと、(おんな)(みず)(おけ)をおろしてきて()(ちょう)()をはずして、(わら)いながら、「どうしてこんな(こと)をなさるのです。あなたは一体(いったい)どこの(ほう)ですか」という、(ちか)()って()ると、いよいよ(うつく)しい。
「いや、自分(じぶん)越前(えちぜん)(もの)であるが、今度(こんど)相撲(すもう)(せつ)(かい)()されて(まい)るものである」というと、(おんな)はうなずいて「それは(あぶな)いことである。王城(おうじょう)()はひろいからどんな大力(だいりき)(ひと)がいるかもしれない。あなたも、至極(しごく)甲斐性(かいしょう)なしと()うわけではないが、そんな大事(だいじ)場所(ばしょ)()ける器量(きりょう)ではない。こうしてお()にかかるのも、()(えん)だからもし時間(じかん)がゆるせば、(わたし)(いえ)三七(さんなな)(にち)逗留(とうりゅう)したらどうか。その(あいだ)に、あなたをきたえて()げましょう」と、いうた。
 三七(さんなな)(にち)とは、三七二十一(さんななにじゅういち)(にち)である。その(くらい)日数(にっすう)は、余裕(よゆう)はあったので、()(ちょう)はこの(いえ)逗留(とうりゅう)することにした。

    ()

 ところがこの(おんな)鍛錬(たんれん)(ほう)というのが(はなは)だおかしい。その(ばん)から、強飯(こわめし)をたくさん(つく)って()べさした。(おんな)みずからにぎりめしにして()べさしたが、かたくて(はつ)はどうしても()()ることが出来(でき)なかった。(はつ)(なな)(にち)は、どうしても()いわることが出来(でき)なかった。(ちゅう)(なな)(にち)は、ようよう()いわることが出来(でき)たが、最後(さいご)(なな)(にち)には見事(みごと)()()ることが出来(でき)た。すると、(おんな)はさあ()へいらっしゃい、こうなればあなたも相当(そうとう)なことは出来(でき)るだろうといって、()()たした。この二人(ふたり)情交(じょうこう)をむすんだか、どうかはくわしく()かれていない。この(おんな)は、高島(たかしま)大井(おおい)()という大力(だいりき)(おんな)である。()などもたくさん()って、自分(じぶん)(つく)っていた。
 ある(とし)(みず)(あらそ)いがあって村人(むらびと)(たち)大井(おおい)()()(みず)をよこさないようにした。すると大井(おおい)()(よる)にまぎれて(ひょう)のひろさ(ろく)(なな)(しゃく)もある大石(おおいし)を、水口(みずぐち)によこさまに()いて、(みず)自分(じぶん)()(なが)()むようにした。翌日(よくじつ)になると、村人(むらびと)(おどろ)いたが、その(いし)(うご)かすには(ひゃく)(にん)ばかりの人足(にんそく)必要(ひつよう)である。その(うえ)、そんな多人数(たにんずう)()れたのでは、()滅茶滅茶(めちゃめちゃ)()(あら)されてしまう。それで、村人(むらびと)相談(そうだん)して大井(おおい)()(ところ)(おこな)って(あやま)った。
 今後(こんご)思召(おぼしめし)(かな)うべきほど(みず)をお使(つか)(くだ)さい。その(かわ)りに、どうかあの(いし)だけは、とりのけて(いただ)きますといった。すると、大井(おおい)()(よる)(あいだ)にその(いし)()きのけてしまった。その()水論(すいろん)はなくなってしまったが、この(いし)大井(おおい)()水口(みなぐち)(いし)といって、後代(こうだい)まで(のこ)っていた。この事件(じけん)で、大井(おおい)()大力(だいりき)(はじ)めて()れたのである。
 ところが、近江(おうみ)(くに)にはもう一人(ひとり)大井(おおい)()などよりもっと有名(ゆうめい)大力(だいりき)(おんな)がいた。それは近江(おうみ)のお(かね)である。この(おんな)のことは江戸(えど)時代(じだい)芝居(しばい)所作事(しょさごと)などにも()ているし、()草子(そうし)にも(えが)かれている。
 この(おんな)は、琵琶湖(びわこ)沿()うたかいづの(うら)遊女(ゆうじょ)である。彼女(かのじょ)は、ひさしくある法師(ほうし)(つま)となっていた。(つま)とはいっても、遊女(ゆうじょ)(つま)もおかしいから、(いま)でいえば(めかけ)である。

    (さん)

 ところが、この法師(ほうし)浮気(うわき)(もの)であったとみえ、近頃(ちかごろ)(おな)遊女(ゆうじょ)仲間(なかま)一人(ひとり)に、(こころ)をうつして、しげしげ(とお)っているという(うわさ)が、お(けん)(みみ)(つた)わって()た。お(けん)は、(やす)からず、(おも)っていた。ある(ばん)、ひさしぶりに法師(ほうし)がやって()た。いっしょに物語(ものがた)りしている(あいだ)、お(けん)(なに)もいわなかった。いよいよ(とこ)(はい)ってから、お(けん)はその弱腰(よわごし)両足(りょうあし)でぐっとはさんだ。法師(ほうし)は、(はじ)めたわむれだと(おも)って「はなせはなせ」といったが、お(けん)はいよいよ(ちから)をいれたので、法師(ほうし)真赤(まっか)になってこらえていたが、やがて蒼白(そうはく)になってしまった。すると、お(けん)は「おのれ、法師(ほうし)め、(ひと)馬鹿(ばか)にして、相手(あいて)もあろうに(おな)遊女(ゆうじょ)仲間(なかま)(おんな)手出(てだ)しをする。(すこ)(おも)()らしてやるのだ」といって、(いち)しめしめたところ、法師(ほうし)(あわ)()いて気絶(きぜつ)した。それで、やっと(あし)をはずしたが、法師(ほうし)はくたくたとなったので、(みず)()っかけなどして、やっと蘇生(そせい)させた。
 その(ころ)東国(とうごく)から大番(おおばん)京都(きょうと)守衛(しゅえい)(やく))のために上京(じょうきょう)する武士(ぶし)(たち)が、()(たか)(ころ)に、かいづに(とま)った。そして、()って()(うま)どもの(あし)を、湖水(こすい)(ひや)していた。すると、その(なか)のかんの(つよ)(うま)(いち)(とう)(ぶつ)(おどろ)いたと()え、口取(くちとり)(おとこ)をふり()って、(はし)()した。
 たくさんの(おとこ)が、(あと)()いかけたがどうにも()におえない。(ちゅう)には、()きづなに()りすがる(もの)もいたが(みな)()(はな)されてしまう。ちょうど、そこへお(けん)(とお)りかかった。彼女(かのじょ)(たか)いあしだをはいていたが、(かたわら)をかけ(とお)ろうとする(うま)()きづなのはずれを、あしだでむずとふまえた。すると(うま)(いきおい)をそがれてそのまま()まった。人々(ひとびと)はそれを()てあれよあれよと()をおどろかした。
 さすがにあしだは砂地(すなじ)に、足首(あしくび)のところまで、()まっていた。これ以来(いらい)、お(けん)大力(だいりき)世間(せけん)()られたのである。(つね)に、()(ろく)(にん)()(おとこ)(あつ)まっても、(わたし)自由(じゆう)出来(でき)ませんよ、といった。(いつ)つの(ゆび)ごとに、(ゆみ)(いち)(はり)ずつはらせたことがある。(ゆみ)は、二人(ふたり)(ちょう)(さん)(にん)(ちょう)などいうから、(ゆび)(いち)(ほん)でもたいした(ちから)である。

    (よん)

 (むかし)美濃(みの)(くに)小川(おがわ)(いち)力強(ちからづよ)(おんな)があった。身体(からだ)人並(ひとなみ)はずれて(おお)きく百人力(ひゃくにんりき)といわれていた。仇名(あだな)美濃(みの)(ぎつね)といった。(よん)代目(だいめ)先祖(せんぞ)が、(きつね)結婚(けっこん)したと()うことであった。(きつね)大力(だいりき)とは(べつ)関係(かんけい)はないわけだが、(きつね)兇悪(きょうあく)性質(せいしつ)()けたと()え、現在(げんざい)闇市(やみいち)親分(おやぶん)のように、商人(しょうにん)をいじめては、いろいろな品物(しなもの)(うば)いとっていた。ところが、(おな)(とき)尾張国(おわりのくに)(かた)()(さと)力強(ちからづよ)(おんな)がいた。この(おんな)は、きわめて小柄(こがら)(おんな)であった。大力(だいりき)(きこ)(たか)元興寺(がんこうじ)道場(どうじょう)法師(ほうし)(まご)(あた)っていた。この尾張(おわり)(おんな)が、美濃(みの)(きつね)のことを()いて、一度(いちど)(ため)してやろうと()うので、(はまぐり)(くま)(つづら)(つく)ったねり(かわ)とを(ふね)()んで、小川(おがわ)()へやって()た。こういう他国(たこく)(しゃ)新顔(しんがお)を、(いた)めつけることは(むかし)(いま)暴力団(ぼうりょくだん)(てき)顔役(かおやく)仕事(しごと)である。美濃(みの)(きつね)は、早速(さっそく)尾張(おわり)(おんな)(ふね)(おこな)って、(はまぐり)()(おさ)えて、「お(まえ)は、一体(いったい)、どこの(もの)だ。(だれ)にことわってここで商売(しょうばい)をするのか」といった。尾張(おわり)(おんな)は、だまっていたが、(よん)度目(どめ)に(どこから()たか(おお)きなお世話(せわ)だ)と、返事(へんじ)した。すると、美濃(みの)(きつね)(おこ)って、尾張(おわり)(おんな)()とうと()()すと、尾張(おわり)(おんな)はその()(とら)えて、(くま)(かずら)のねり(かわ)()った。すると、あまりに(ちから)(つよ)いので、そのねり(かわ)(にく)がくっついて()た。(かえ)すがえす()つと、その(たび)(にく)がついた。さすがの美濃(みの)(きつね)も、()()げて(あやま)った。すると、尾張(おわり)(おんな)は、以後(いご)商人(しょうにん)(たち)(なや)ますなと、いましめてから(ゆる)してやった。その()美濃(みの)(きつね)は、小川(おがわ)()()なくなったので、(いち)(びと)(たち)(みな)(よろこ)()って、(ひら)かな交易(こうえき)がつづいた。
 この尾張(おわり)(おんな)は、そうした大力(だいりき)にも似合(にあ)わず、その姿(すがた)(かたち)は、ねり(いと)のようにしなやかであった。そして、その(ぐん)大領(だいりょう)(ぐん)(ちょう))の(おく)さんであった。あるとき、主人(しゅじん)(ぐん)(ちょう)のために、(あさ)(ぬの)()って、それを着物(きもの)仕立(した)てて()せた。それは現在(げんざい)上布(じょうふ)のようなものでしなやかで、すこぶる(しな)のよい着物(きもの)であった。ところがこの(ぐん)(ちょう)がそれを()て、国司(こくし)(ちょう)()くと、国司(こくし)が、それを()て、ほしくなったと()え、「その着物(きもの)をわしによこせ。お(まえ)()るのにはもったいない」と、()って()()げたまま(かえ)さない。

    ()

 (ぐん)(ちょう)(いえ)(かえ)ると、今朝(けさ)()せてやった着物(きもの)()ていない。(つま)である尾張(おわり)(おんな)がそのわけを(たず)ねると国司(こくし)にまき()げられたと()う。(つま)は、あなたはあの着物(きもの)(こころ)から()しいと(おも)うかと()いた。すると、良人(おっと)(きわ)めて()しいと(おも)うと(こた)えた。すると、尾張(おわり)(おんな)翌日(よくじつ)国府(こくふ)()かけて()って、国司(こくし)面会(めんかい)(もと)めて(かえ)してくれと()った。すると国司(こくし)は、うるさがって、この(おんな)()()せと、役人(やくにん)(たち)()いつけた。多勢(たぜい)役人(やくにん)が、()ってたかって()()そうとするが、ビクとも(うご)かない。たちまち、役人(やくにん)()りはらって国司(こくし)(ちか)づくと、片手(かたて)国司(こくし)()(たお)すと、そのまま()きずって、国府(こくふ)門外(もんがい)()()した。国司(こくし)は、(あお)くなって、「(かえ)(がえ)す」と、悲鳴(ひめい)()げた。この(おんな)は、呉竹(くれたけ)をねり(いと)のように、くしゃくしゃにする(くらい)(つよ)かった。ところがこうした(つよ)(おんな)も、封建(ほうけん)(てき)家庭(かてい)制度(せいど)には(かな)わない。良人(りょうじん)父母(ちちはは)()うには、国司(こくし)()ごめにした(おんな)(つま)にしていては、お(まえ)はこの(さき)()()るわけはない。(わたし)(たち)にも、どんなめいわくが、かかるかもしれない、早速(さっそく)離縁(りえん)すべきだと。それで主人(しゅじん)(ぐん)(ちょう)は、元々(もともと)意気地(いくじ)なしだったと()え、父母(ちちはは)(きょう)(したが)って、たちまち(つま)離縁(りえん)した。
 尾張(おわり)(おんな)仕方(しかた)なく、故郷(こきょう)(かえ)って()んでいた。ある(とき)故郷(こきょう)(なが)れている(かわ)(みなみ)(あたり)(おこな)って、洗濯(せんたく)をしていると、(おり)から荷物(にもつ)()んだ(ふね)(とお)りかかった。(ふね)人々(ひとびと)がこの(おんな)をからかった。あまり、しつこいので、「(おんな)だと(おも)って馬鹿(ばか)にすると、()っぺたをなぐるぞ」と、いった。すると、(ふね)人々(ひとびと)()んでに(もの)を、(おんな)()げつけた。
 すると、(おんな)(おこ)って、(かわ)(なか)へはいると、(へさき)をぐっと(みず)(なか)()()れた。荷物(にもつ)(みず)びたしになった。(ふね)連中(れんちゅう)は、(ひと)(やと)って荷物(にもつ)(りく)にあげ、(みず)をかい()して、荷物(にもつ)()んで、(うご)()そうとしてまた、(おんな)悪口(わるぐち)をいった。(おんな)(ふたた)(おこ)ると、今度(こんど)はその(ふね)()をかけて、(ひと)荷物(にもつ)ものせたままグングン(りく)(うえ)()きあげ、(いち)(まち)ばかり()きずって()った。(ふね)連中(れんちゅう)は、(あお)くなって、ひたあやまりにあやまった。(おんな)はやっと、機嫌(きげん)をなおして、また(ふね)(かわ)まで、()きずりもどしてやった。

    (ろく)

 もう一人(ひとり)(おんな)大力(だいりき)は、相撲(すもう)(びと)大井(おおい)(ひかり)(とお)(いもうと)である。(ひかり)(とお)は、(よこ)ぶとりの力強(ちからづよ)(あし)(はや)角力(すもう)であった。(いもうと)は、(かたち)有様(ありさま)尋常(じんじょう)(うつく)しい(おんな)であった。(ひかり)(とお)とは、(すこ)(はな)れた(いえ)()んでいた。ある()村人(むらびと)(ひかり)(とお)(ところ)()()けて()て(たいへんです、(いもうと)さんが、盗人(ぬすびと)人質(ひとじち)にとられました)と()った。(ひかり)(とお)は、それをきいたが、(すこ)しも(おどろ)かず((おと)にきく(むかし)薩摩(さつま)氏家(うじいえ)なら(いもうと)(しつ)にとられようが)と、すましている。村人(むらびと)は、拍子(ひょうし)ぬけがして、(いもうと)(いえ)(ほう)()(かえ)して()た。先刻(せんこく)盗人(ぬすっと)村人(むらびと)(たち)()われて()(そん)い、(ひかり)(とお)(いもうと)(いえ)(はし)()んで、(この女房(にょうぼう)人質(ひとじち)()った。()(ちか)づく(もの)あらば、この女房(にょうぼう)をさし(ころ)すぞ)と、村人(むらびと)(たち)宣言(せんげん)したのである。それでその(なか)一人(ひとり)が、あわてて(にい)さんの(いえ)()らせに()ったのであった。
 (あに)相手(あいて)にしないので、その村人(むらびと)一体(いったい)どんな容子(ようす)かと(いえ)(なか)をのぞいて()た。すると、盗人(ぬすっと)(ひかり)(とお)(いもうと)背後(はいご)から両足(りょうあし)()いて、その(むね)逆手(さかて)()った短刀(たんとう)をさしあてている。(ひかり)(とお)(いもうと)は、(はずか)しいと()えて、(そで)(かお)をかくしているが、だんだん退屈(たいくつ)して()たと()(いた)()(あら)づくりの()(たけ)()三十(さんじゅう)ちらばってるのをいじっていたが、それを(いた)()におしつけると(いち)(ほん)ずつわらをにじるように、にじりつぶしている。のぞいていた村人(むらびと)が、びっくりしたが、盗人(ぬすっと)もそれに()()いたと()え、顔色(かおいろ)(きゅう)(あお)ざめたと()ると、たちまち人質(ひとじち)(はな)して()()した。いったん怖気(おじけ)づいただけに、たちまち村人(むらびと)(とら)えられてしまった。その(おとこ)村人(むらびと)(たち)は、(ひかり)(とお)(いえ)()れて()って(ころ)しましょうかと()うと、(ひかり)(とお)(わら)って(もし(いもうと)がその(おとこ)太刀(たち)()()(ぎゃく)にねじあげたら、その(おとこ)(かた)(ほね)はたちまち(くだ)けただろう。(あぶな)()()っていたのは、(いもうと)でなくてその(おとこ)だったのだ。(ころ)すわけはないではないか)と、()って()がしてやった。そして、言葉(ことば)をつづけた。((いもうと)は、わしより()(ばい)(つよ)い。(おとこ)(うま)れたら、日本(にっぽん)(ちゅう)相手(あいて)はないのだが……)と、嘆息(たんそく)した。

    (なな)

 (おんな)大力(だいりき)物語(ものがたり)のついでに、(おとこ)(ほう)()(さん)(にん)()いておく。叡山(えいざん)西(さい)(とう)(じつ)(いん)僧都(そうず)という(ひと)がいたが、この(ひと)無類(むるい)大力(だいりき)であった。ある()宮中(きゅうちゅう)()加持(かじ)()って、()()けて退出(たいしゅつ)すると、(なに)かの手違(てちが)いで、(とも)(もの)一人(ひとり)もいない。仕方(しかた)なく衛門(えもん)(じん)()ようとすると、軽装(けいそう)した(おとこ)一人(ひとり)()って()て(お(とも)がいないのですか。(わたし)()って()しあげましょう)と()う。それはありがたいと、()って()われると、大宮(おおみや)()(じょう)(つじ)まで()って、(ここで()りてくれ)と()う。僧都(そうず)が(いや、わしの()(さき)は、ここではない)と、()うと、その(おとこ)(こえ)()らげて((いのち)()しくないのか。その(きぬ)()いで、どこへでも勝手(かって)()け)と、いった。すると、僧都(そうず)()われながら(あし)でその(おとこ)(こし)をぐっとしめつけた。まるで、(こし)()れそうである。(おとこ)は、びっくりして(失礼(しつれい)(こと)(もう)しました。お(のぞ)みのところへ(まい)ります)と、()った。すると、僧都(そうず)は((うたげ)松原(まつばら)(おこな)って月見(つきみ)をしたい)というと、(おとこ)はそこまで()って()った。そして、どうぞ()りて(くだ)さいといったが、()りようとしない。ゆうゆうと(つき)にうそぶいてから(右近(うこん)馬場(ばば)(こい)しくなった。あすこへ()け)と、いうと、(おとこ)は(そんなには、(まい)れません。もう、()かんべんを)と()うと、僧都(そうず)はまた(あし)をぐっとしめつけた。すると(おとこ)は((まい)ります。(まい)ります)と悲鳴(ひめい)をあげたので、僧都(そうず)(あし)をゆるめた。(おとこ)仕方(しかた)なく、右近(うこん)馬場(ばば)(おこな)った。そこで、(うた)など(くち)ずさんでから、今度(こんど)()(つじ)馬場(ばば)(ある)けといった。そして、僧都(そうず)宿所(しゅくしょ)まで()われて()たときはもう(あかつき)(ちか)くで、(おとこ)はへたへたになっていた。僧都(そうず)(おとこ)背中(せなか)から()りてから、その(おとこ)(ころも)をぬいでやったが、(おとこ)地面(じめん)にうずくまったまま、しばらくの(あいだ)()(のぼ)れそうにもなかった。
 もう一人(ひとり)もやはり僧侶(そうりょ)で、広沢(ひろさわ)寛朝僧正(かんちょうそうじょう)という(ひと)である。大僧正(だいそうじょう)になった(ひと)で、仏教(ぶっきょう)(ほう)でも有名(ゆうめい)であり、宇多天皇(うだてんのう)皇子(おうじ)式部(しきぶ)(きょう)(みや)御子(みこ)である。この(ひと)は、広沢(ひろさわ)()んでいたが、同時(どうじ)仁和寺(にんなじ)別当(べっとう)をも()ねていた。別当(べっとう)というのは、検非違使(けびいし)長官(ちょうかん)をも()うのだが、神社(じんじゃ)仏寺(ぶつじ)事務(じむ)総長(そうちょう)をも()うのである。ある(とき)仁和寺(にわじ)修理(しゅうり)工事(こうじ)(はじ)めていた(ころ)(はなし)である。
 ある夕方(ゆうがた)(ひろし)(ちょう)僧正(そうじょう)は、もう工事(こうじ)がどの(くらい)(すす)んだか()たくなって、一人(ひとり)(たか)足駄(あしだ)をはき、(つえ)をついて、工事(こうじ)現場(げんば)視察(しさつ)していた。現場(げんば)には、足場(あしば)のために、(こう)いやぐらが()んである。その(はしら)をくぐりながら()ていると、烏帽子(えぼし)()()れて()(おとこ)が、つかつかと()って、僧正(そうじょう)(まえ)()った。()ると(なか)ばかくすようにではあるが、(かたな)をぬいて、それを逆手(さかて)()っている。
 僧正(そうじょう)、これを()て((なに)(よう)ぞ)ときくと、(おとこ)(かた)(ひざ)をついて、(自分(じぶん)御存(ごぞん)じないものである。あまりに(さむ)さに()えないので、お()しになっている(ころも)(ぶつ)(ひと)(ふた)(たまわ)りたいのである)と、()ったが、(いま)にも()びかかりそうである。
 僧正(そうじょう)は(それはわけもないことだが、なぜ素直(すなお)(たの)まないのか。そのやり(かた)()しからないではないか)と、いうと、(よこ)()(まわ)ったかと(おも)うと、(おとこ)(しり)をハタと()った。すると、(おとこ)はたちまち姿(すがた)()えなくなった。僧正(そうじょう)はおかしいと(おも)いながら周囲(しゅうい)()たが、どこにもいない。それで、庫裡(くり)(ほう)(おこな)って、(ひと)()んだ。法師(ほうし)(たち)()()ると、((いま)、わしを()ごうとする(もの)がいたのだが、(きゅう)()えなくなった。(あかり)をともしてさがしてくれ)と、()いつけた。(じゅう)(にん)ばかりの(そう)が、()()(あかり)()ってさがしまわっていたが、そのうちの一人(ひとり)(うえ)をさして(やあ、あすこにいる)と()うので(みな)見上(みあ)げると、一人(ひとり)(くろ)装束(しょうぞく)をした(おとこ)が、足場(あしば)のために(つく)ったやぐらの(はしら)(はしら)(あいだ)に、はさまれて身動(みうご)きが出来(でき)ずに、むくむく(うご)いているのであった。()(さん)(にん)(のぼ)って()るとさすがに、(かたな)だけは()っていたが、ぼんやりした(かお)をして、()ばかりパチパチさしていた。僧正(そうじょう)のところへ()れて()ると、僧正(そうじょう)は((ろう)法師(ほうし)とても馬鹿(ばか)にしてはいけないぞ。また、わるいことは今後(こんご)やらない(ほう)がいい)と()って()ていた(ころも)綿(めん)(あつ)いのを()いでその(おとこ)(あた)えた。
 これらの大力(だいりき)物語(ものがたり)のいずれも誇張(こちょう)(ちが)いないが、その誇張(こちょう)(そら)とぼけていて、ほほえましいものである。この(はなし)なども、()られて、()んであった材木(ざいもく)(うえ)にのっかっていた程度(ていど)であろうが、それを(はな)しているうちに、だんだんやぐらの(うえ)にのせてしまったのであろう。

だんうら鬼火おにび
下村しもむら千秋ちあき

いち
 天下てんか勢力せいりょく一門いちもんあつめて、威張いばっていた平家へいけも、とうとう源氏げんじのためにほろぼされて、安徳天皇あんとくてんのうほうじて、だんうら藻屑もくずえてからというもの、このだんうら一帯いったいには、いろいろの不思議ふしぎことがおこり、奇怪きかいものが、あらわれるようになりました。
 海岸かいがんに、まわっているかにで、その甲羅こうらが、いかにもうらみをんだ無念むねんそうなひとかおかたちをしたものが、ぞろぞろとるようになりました。これはたたかいにやぶれて、うみそこしずんだひとびとが、残念ざんねんのあまり、そういうかにに、まれわってきたのだろうと、ひとびとはいました。それで、これを「平家蟹へいけがに」とよび、いまでも、あのへんへけば、このかにが、たくさんられます。
 それからまた、つきのないくらよるには、このだんうら浜辺はまべうみうえに、かずしれぬ鬼火おにび、――めろめろとしたあおおともなくまわり、すこかぜのあるよるは、なみうえから、源氏げんじ平家へいけとがたたかったときの、なんともいわれない戦争せんそう物音ものおときこえてきました。また、そうしたよるなど、ふねでこのうみわたろうとすると、いくつものくろかげなみうえかびがり、ふねまわりにあつまっててそのふねしずめようとしました。
 土地とちひとびとは、もうよるになるとうみわたることはもちろん、海岸かいがんることさえできなくなりました。しかし、それではこまるというので、みんなって相談そうだんをして、だんうらちかくの赤間あかませきいま下関しものせき)に安徳天皇あんとくてんのうみささぎ平家へいけ一門いちもんはかをつくりました。それからそのそばに、阿弥陀寺あみだじをたてて、とくたかぼうさんを、そこにまわせ、あさゆうにおきょうをあげていただいて、うみそこしずんだひとびとのれいなぐさめました。
 それからというもの、あお鬼火おにびも、戦争せんそう物音ものおとも、ふねしずめるくろかげも、あらわれなくなりました。しかしまだ時々ときどき不思議ふしぎなことがこりました。平家へいけひとびとのれいは、まだ充分じゅうぶんには、なぐさめられなかったとみえます。つぎの物語ものがたりはこの不思議ふしぎなことのひとつであります。
   
 そのころ赤間あかませきに、ほういちという琵琶びわ法師ほうしがいました。この法師ほうしまれつきめくらでしたので、どものときから、琵琶びわをならい、十二じゅうに三才さんさいのころには師匠ししょうけないようになりました。そして、いまでは天才てんさい琵琶びわ法師ほうしとしてだれでもそのっているようになりました。
 さて、おおくの琵琶びわうたなかで、この法師ほうしがいちばん得意とくいだったのは、だんうら合戦かっせんいっきょくでありました。ひとたび法師ほうし琵琶びわはじし、そのうたうたはじめると、なんともいえないあわれさ、かなしさがひびわたり、おにでさえもかずにはいられないほどでありました。
 この法師ほうしは、だれ一人ひとりよりもなく、また、ひどく貧乏びんぼうでした。いかに、琵琶びわ名人めいじんとはいえ、そのころは、まだそれでらしをたてるわけにはいきませんでした。すると、平家へいけはかのそばにある阿弥陀寺あみだじぼうさんが、それをきいて、たいへん同情どうじょうをし、また自分じぶん琵琶びわきだったので、この法師ほうしをおてらり、らしには、なに不自由ふじゆうのないようにしてやりました。法師ほうし非常ひじょうよろこびました。そして、しずかなよるなどは、得意とくいだんうら合戦かっせんうたってはぼうさんをなぐさめていました。
 それははるよいでありました。ぼうさんは法事ほうじへいって留守るすでした。法師ほうし自分じぶん寝間ねままえの、縁側えんがわて、きな琵琶びわきながら、ぼうさんのかえりをっていました。が、ぼうさんはよるけてもなかなかかえってきませんでした。法師ほうしえないそらにむけ、なんとはなし、ものおもいにふけっていました。と、やがて裏門うらもんちかづくひと足音あしおとがして、だれもんをくぐると、裏庭うらにわとおって法師ほうしほうちかづいてました。ぼうさんの足音あしおとにしては、すこしへんだとおもいながら、みみかたむけていると、突然とつぜんふとこえで、ちょうど武士ぶしが、家来けらいぶように、
ほういち。」
と、びかけました。法師ほうしはぎょっとして、すぐ返事へんじもできずにいると、かさねて、さらふとこえで、
ほういち。」
「はい……わたしは、めくらでございます。おびになるのは、どなたでしょうか。」
 法師ほうしは、やっとそうこたえることができました。
「いや、おどろくにはおよばぬ。」
と、こえあるじは、すこやさしい調子ちょうしになり、
「わしは使つかいのものじゃ。わしのご主君しゅくんは、それは高貴こうきなおかたではあるが、おおくの、立派りっぱなおともをおれになり、いま赤間あかませきに、おとどまりになっていられる。さて、ご主君しゅくんは、そのほうの琵琶びわ名声めいせいをおきになり、今夜こんや是非ぜひ、そのほうの、得意とくいだんうらいっきょくいて、むかししのぼうとされている。されば、これより、わしと一緒いっしょにおいでくだされたい。」
 この当時とうじは、武士ぶし言葉ことばに、そう無闇むやみそむくわけにはいきませんでしたので、ほういちはなんとなく気味悪きみわるおもいながらも、琵琶びわかかえて、その案内あんないしゃをひかれててらをでかけました。案内あんないするひとのは、まるでてつのように、かたくつめたく、そして大股おおまたに、ずしりずしりとあるいていきます。そのようすからさっすると、そのひとは、いむめしいよろいかぶとにつけた、戦場せんじょう武士ぶしのようにおもわれました。
 やがて、その武士ぶしまりました。そこは、おおきな立派りっぱなごもんまえのようにおもわれました。しかし、このあたりには、それほどにおおきな、立派りっぱなごもんは、阿弥陀寺あみだじ山門さんもんよりほかにはないはずだが、と法師ほうしはひとりおもいました。
開門かいもん。」
 武士ぶしは、こうたからかにいいました。と、なかかんぬきはずおとがして、おおきなとびらしずかににひらかれました。武士ぶし法師ほうしをとって、ちゅうはいりました。しっとりとしたにわを、しばらくと、またおごそかな、立派りっぱだい玄関げんかんおもわれるまえに、まりました。武士ぶしはそこで、またたからかにいいました。
「ただいま、琵琶びわ法師ほうしほういちれてまいりました。」
 だい玄関げんかんうちでは、ふすまけるおと大戸おおどけるおとがして、やがて、やさしいおんなたちのはなごえきこえてきました。そのこえさっすると、そのおんなたちは、この高貴こうきなお屋敷やしきの、召使めしつかいであることがわかりました。その召使めしつかいのおんなのひとりが、法師ほうしやわらかにとると、こちらへと、だい玄関げんかんのうちへ案内あんないしました。それから、すべるようにみがんだ、なが廊下ろうかいくがりかして、かぞえきれないほどの、部屋へやべやのまえをすぎて、やがて大広間おおひろま案内あんないされました。そこには、かなり大勢おおぜいひとびとがいきひそめて、居並いならんでいることが、その気配けはいでわかりました。やわらかな衣擦きぬずれのおとが、もりうようにきこえました。
 法師ほうしは、大広間おおひろまとこと、反対はんたいがわおもわれるところに、ふっくらとした座布団ざぶとんうえすわらせられました。法師ほうしはきちんとすわり、って琵琶びわせると、耳元みみもと老女ろうじょらしいこえがしました。
平家へいけ物語ものがたり――だんうらだんじてください。」
   さん
 法師ほうししずかに琵琶びわげました。大広間おおひろまのうちは、みずをうったようにしんとなりました。はじめは小川おがわのせせらぎのように、かすかにかすかにりだし、ついで谷川たにがわいわくだける水音みずおとのようにひびきだして、法師ほうしあわれにも、ほがらかなこえが、はじめました。そのこえ一段いちだんごとにちからし、くがように、むせぶがようにひびわたりました。そのこえにつれてだんずる琵琶びわおとは、また縦横じゅうおうにつきすす軍船ぐんせんおとひびき、かっちゅうおとけんり、軍勢ぐんぜいわめこえ大浪おおなみうなり、だんうら合戦かっせんそのままの有様ありさまあらわしました。法師ほうしはもはやわすれてうたっていました。
「なんという名手めいしゅでしょう……ひろくにじゅうにも、これにまさものはありますまい。」
「まことに、わたしもまれてはじめてきます。」
 そういうささやこえが、そちこちからきこえました。
 法師ほうしは、ますますこえげ、ますます、たくみに琵琶びわきました。平家ひらか一門いちもん運命うんめいも、いよいよきわまり、安徳天皇あんとくてんのういただいたあま水底みなぞこふかしずだんになると、いままでみずをうつたようにしんとしていた広間ひろまには、一斉いっせいかなしげなくるしげなこえがりました。そのこえは、だんだんとたかまって、はては大声おおごえきさけぶこえさえ、きこえてきました。
 法師ほうしはなんともいえない気持きもちたれながら、しずかにいちきょくわりました。広間ひろまひとびとのこえは、それでもまだしばらくのあいだなげかなしみつづけていましたが、いつかながれがえるようにえていくと、今度こんどはまた、おそろしいほどのふかふか沈黙ちんもくと、静寂せいじゃく広間ひろまいっぱいにかごもりました。
 しばらくしました。と、さっきの老女ろうじょこえが、また法師ほうしみみもとでしました。
「かねていてはいましたが、そなたの琵琶びわには、こころから感服かんぷくしました。ご主君しゅくんも、ことのほかおよろこびになりました。おれいに、なにかいものをおあげしたいが、たびのことで、なにもなくおどくです。けれどこれからあとろくにち滞在たいざいちゅう毎夜まいよて、今宵こよい物語ものがたりかしてくだされば、がたいことです。あすのばんも、おなじ時刻じこく使つかいのものをあげますから、どうぞおいでくださいまし。なお、ねんのためもうえますが、ご主君しゅくんは、ただいま、おしのびのたびをなされていられるのですから、このことは、どのようなことがあっても、一切いっさい秘密ひみつに、だれ一人ひとりにもはなさぬよう、くれぐれもおたのもうします。」
 まもなく法師ほうしは、またおんな案内あんないされ、だい玄関げんかんました。そこにはまえ武士ぶしっていて、法師ほうし阿弥陀寺あみだじまでおくっててくれました。
   よん
 法師ほうしてらかえったのは、よるあけちかくでありました。おぼうさんも、よるおそくかえってましたので、法師ほうしはもう、ていることとおもい、法師ほうし部屋へやにもかなかったのでした。それで法師ほうしのそのよるのことは、だれもしらずにしまいました。もちろん法師ほうしは、なにもはなしませんでした。
 つぎよるでありました。法師ほうしれいのとおり、寝間ねままえの、縁側えんがわにいると、昨夜さくやのとおり、おも足音あしおと裏門うらもんからはいってて、法師ほうしれてきました。だい玄関げんかんまえ召使めしつかいの案内あんないなが廊下ろうか大広間おおひろま、そして、しんと居並いならひとびとのまえ、そこで法師ほうし昨夜さくやとおなじように、だんうら物語ものがたりをひきました。そうして、ひとびとは、またもき、むせび、かなしみました。法師ほうしふか感激かんげきにうたれて、てらかえってました。
 すると、てらではめくら法師ほうしが、だれ案内あんないもなしにてらしていることをりました。
 つぎのあさ法師ほうしはおぼうさんのまえばれて、やさしくかされました。
「えらく心配しんぱいしましたぞ。めくら一人ひとりをするのは、わけてもなかるのは、なによりあぶないことじゃ。どういうわけで、ていくのか。わしは寺男てらおとこにさんざんさがさせたのじゃ。いったいどこへいきなさるのだね。」
「これはもうげられませぬ。手前てまえ勝手かって用事ようじしにでかけたのです。どうもほかの時刻じこくでは、都合つごうわるいものですから。」
 法師ほうしはただそうこたえました。
 おぼうさんは、法師ほうしのようすがあまりへんなので、これはすこあやしい、もしかしたら悪霊あくりょうにでもかれたのかもしれない、とおもって、それ以上いじょうは、そうとしませんでした。そのわり、ひとりの寺男てらおとこに、ひそかに法師ほうしのようすをはらせることにして、もしなかそとくようなことがあったら、あとをつけろとけておきました。
 すると、はたしてそのよるも、法師ほうし琵琶びわって、てらをひとりていきました。寺男てらおとこ提灯ちょうちんあかりをいれて、そのあとをつけていきました。そのよるは、あめもよいの陰気いんきくらばんでありました。しかし、めくら法師ほうしは、まるであきのようにさっさとあるき、いつかとしよりの寺男てらおとこをあとに、くらがりのなかえてしまいました。寺男てらおとこは、そのようにはやある法師ほうしを、不思議ふしぎにも気味悪きみわるくもおもいました。
 寺男てらおとこ法師ほうしりそうないえを、いちけんいちけんさがまわりました。が、どこにもいませんでした。寺男てらおとここまって、ひとり、ぼつぼつ浜辺はまべづたいにてらほうかえってきました。と、おどろいたことには、くるったようにらす琵琶びわおとが、どこからかきこえてくるではありませんか。しかも、その琵琶びわおとは、間違まちがいなく法師ほうしくものでありました。
 寺男てらおとこは、ただ意外いがいおもいながら、おとのするほうちかづいてきました。ったところ平家へいけ一門いちもん墓場はかばでありました。いつかあめりだしていました。一寸いっすんさきえぬ闇夜やみよ寺男てらおとこは、両足りょうあしが、がくがくふるえましたが、勇気ゆうきをつけて、琵琶びわおとのする墓場はかばなか這入はいっていきました。そして、提灯ちょうちんあかりたよりに、法師ほうしさがしました。するとこれはまた意外いがいのことに、法師ほうしがただひとり、安徳天皇あんとくてんのうみささぎまえ端座たんざして、われわすれたように、一心不乱いっしんふらんに、琵琶びわだんじ、だんうら合戦かっせんきょくぎんじているのでありました。そうして、法師ほうし左右さゆうには、かずしれぬあお鬼火おにびがめらめらと、えていたのでありました。寺男てらおとこは、こんなにおおさかんな鬼火おにびを、まれてはじめてるのでありました。寺男てらおとこ一時いちじこえないほどおどろきましたが、やっと、こころけて、
ほういちさん、ほういちさん、あなたは、なにかにかされていますよ。しっかりしなさい。」
と、耳元みみもといました。
 しかし、法師ほうしは、寺男てらおとこ言葉ことばれるどころか、ますます一心いっしんに、ますますたからかなこえで、ぎんつづけています。
ほういちさん、ほういちさん、どうなされたんです。こんなところで、なに真似まねをしているんです?」
 すると、法師ほうしおこったように寺男てらおとこせいして、
しずかになさい。だまっていてくれ。高貴こうき方々かたがたまえだ、ご無礼ぶれいにあたるぞ。」
 寺男てらおとこは、これには、呆気あっけにとられるばかりでした。もう、しようがないので、寺男てらおとこちからずくで法師ほうして、そのをしっかりにぎって、無理矢理むりやりに、てらっぱってました。
 てらぼうさんは、びしょれになっている法師ほうし着物きもの着替きがえさせ、あたたかいものをべさせて、できるだけこころかせました。なにかにこころうばわれたようになっていた法師ほうしは、そこでようやくわれかえりました。そして、おぼうさんや寺男てらおとこが、自分じぶんために、どんなに心配しんぱいをし、ほねったかをり、大変たいへんまないようにおもい、そこで、なにもかも、おぼうさんにけてしまいました。
 おぼうさんはそれをくと、
ほういちさん、それは、おまえの不思議ふしぎほどに、たくみな琵琶びわ腕前うでまえが、おまえをそういうところみちびいたのじゃ。芸事げいごとおくたっすると、そういうことがあるもので、これはおまえの芸道げいどうためには、よろこばしいことじゃが、しかし、あぶないところじゃった。昨夜さくや、おまえは平家へいけ墓場はかばまえで、あめれて、すわっていたそうじゃ。おまえは、なにまぼろして、そうしていたのじゃろうが、いつまでも、そうしていたら、平家へいけ亡者もうじゃなかまれ、ついにはきにされてしまうところじゃった。もう、どこへもいってはならぬぞ。わしは、今夜こんや法事ほうじで、留守るすをするが、おまえが使つかいのものに、れてかれないように、今夜こんやは、おまえのからだを、よくまもっておかねばならぬわい。」
 そこで、法師ほうしはだかにして、がたい、般若心経はんにゃしんきょう経文きょうもんを、あたまからむねどうからからあし、はては、あしうらまでいちめんすみくろ々とけました。そしてまた、着物きものせて、おぼうさんは、
「わしは、もなくかけるが、おまえはいつもの縁側えんがわすわっていなされ。やがて、れい武士ぶして、おまえのぶだろうが、おまえは、どんなことがあっても、だんじて返事へんじをしてはならぬ。万一まんいち返事へんじをしたなら、おまえのからだは、かれてしまうのだ。またひとたすけをんでもならぬぞ。だれたすけることはできぬのだからな。そうして、おまえが立派りっぱに、わしのけをまもりおおせたなら、もう、おまえのからだから、危険きけんなことはえさってしまう。おまえはもう、おそろしいまぼろしを、ないようになるのじゃ。」
と、ねんごろにってかせました。
   
 ほういちは、けられたとおりに、縁側えんがわすわっていました。と、いつもの時刻じこくがきて、いつもの武士ぶしが、裏門うらもんから這入はいってました。
ほういち。」
 しかし、ほういちいきころしていました。
ほういち。」
 度目どめこえは、おどすようにきこえました。が、法師ほうしかたくちむすんでいました。
ほういち。……こりゃ返事へんじがないぞ。いないのか。」
と、武士ぶしは、縁側えんがわってました。
「おや、ここに琵琶びわだけある。が、ほういちはいない。返事へんじのないのも無理むりはない。が、みみだけがあるぞ。使つかいに証拠しょうこに、これをっていこう。」
 こう武士ぶしつぶやくと、法師ほうしりょうみみは、いきなり鉄棒てつぼうのような指先ゆびさきで、せんられていました。けれど法師ほうしは、こえせませんでした。
 武士ぶしは、それでいってしまいました。
 よるがふけて、おぼうさんはかえってました。そして法師ほうしが、りょうみみからながれでるなかすわっているのをつけました。
 しかし法師ほうし身動みうごひとつせず、きちんとすわっています。おぼうさんは、吃驚びっくりしながら、
ほういち、このありさまはどうしたのじゃ?」
と、さけびました。法師ほうしはそこで、はじめてわれににかえり、今夜こんやのできごとをはなしました。
「ああ、そうじゃったか。いや、それはわしの手落ておちじゃった。おまえのみみばかりへは、経文きょうもんくのをわすれたのじゃ。これはあいまぬ。が、できたことはしかたがない。このうえは、はやきずなおすことじゃ。それだけの災難さいなんで、いのちびろいをしたとおもえば、あきらめがつく。もう、これでおまえのからだから、悪霊あくりょうったのじゃから、安心あんしんするがよい。」
 おぼうさんは、そういいました。
 それから、この法師ほうしには、「みみなしほういち」という渾名あだながつき、琵琶びわ名手めいしゅとして、ますます名声めいせいたかくなりました。

茶碗ちゃわん
寺田てらだ寅彦とらひこ

 ここに茶碗ちゃわんひとつあります。ちゅうにはあつがいっぱいはいっております。ただそれだけではなんの面白味おもしろみもなく不思議ふしぎもないようですが、よくをつけてていると、だんだんにいろいろの微細びさいなことがにつき、さまざまの疑問ぎもんこってるはずです。ただいっぱいのこのでも、自然しぜん現象げんしょう観察かんさつ研究けんきゅうすることのきなひとには、なかなか面白おもしろ見物みものです。
 だいいちに、めんからはしろ湯気ゆげっています。これはいうまでもなく、あつ水蒸気すいじょうきえて、ちいさなしずくになったのが無数むすうむらがっているので、ちょうどくもきりおなじようなものです。この茶碗ちゃわんを、縁側えんがわ日向ひなたして、日光にっこう湯気ゆげにあて、こうがわくろぬのでもおいてかしてると、しずくの、つぶおおきいのはちらちらとえます。場合ばあいにより、つぶがあまりおおきくないときには、日光にっこうかしてると、湯気ゆげなかに、にじのような、あかあおいろがついています。これはしろうすくもつきにかかったときにえるのとたようなものです。このいろについてはおはなしすることがどっさりありますが、それはまたいつかべつのときにしましょう。
 すべてまった透明とうめいなガスたい蒸気じょうきしずくになるさいには、かならなにかそのしずくしんになるものがあって、そのまわりに蒸気じょうきってくっつくので、もしそういうしんがなかったら、きり容易よういにできないということが学者がくしゃ研究けんきゅうでわかってました。そのしんになるものは通例つうれい顕微鏡けんびきょうでもえないほどの、非常ひじょうこまかいちりのようなものです、空気くうきちゅうにはそれが自然しぜんにたくさん浮遊ふゆうしているのです。空中くうちゅうかんでいたくもえてしまったあとには、いまったちりのようなものばかりがのこっていて、飛行機ひこうきなどでよこからすかしてると、ちょうどけむりひろがっているようにえるそうです。
 茶碗ちゃわんからがる湯気ゆげをよくると、あついかぬるいかが、おおよそわかります。ったしつで、ひとうごまわらないときだとことによくわかります。あつですと湯気ゆげ温度おんどたかくて、周囲しゅうい空気くうきくらべてよけいにかるいために、どんどんさかんにのぼります。反対はんたいがぬるいといきおいがよわいわけです。温度おんどはか寒暖計かんだんけいがあるなら、いろいろ自分じぶんためしてみると面白おもしろいでしょう。もちろんこれは、まわりの空気くうき温度おんどによってもちがいますが、おおよその見当けんとうはわかるだろうとおもいます。
 つぎ湯気ゆげがるときにはいろいろのうずができます。これがまたよくているとなかなか面白おもしろいものです。線香せんこうけむりでもなんでも、けむりるところからいくらかのたかさまではぐにのぼりますが、それ以上いじょうけむりがゆらゆらして、いくつものうずになり、それがだんだんにひろがりみだれて、しまいにえなくなってしまいます。茶碗ちゃわん湯気ゆげなどの場合ばあいだと、もう茶碗ちゃわんのすぐうえからおおきくうずができて、それがかなりはやまわりながらのぼってきます。
 これとよくうずで、もっとおおきなのがにわうえなぞにできることがあります。春先はるさきなどのぽかぽかあたたかいには、前日ぜんじつあめでもって湿しめっているところへ日光にっこうたって、そこからしろ湯気ゆげつことがよくあります。そういうときによくをつけてていてごらんなさい。湯気ゆげは、えんした垣根かきね隙間すきまからつめたいかぜむたびに、よこなびいてはまたのぼります。そして時々ときどきおおきなうずができ、それがちょうど竜巻たつまきのようなものになって、地面じめんからなんしゃくもある、たかはしらかたちになり、非常ひじょうはやさで回転かいてんするのをることがあるでしょう。
 茶碗ちゃわんうえや、庭先にわさきこるうずのようなもので、もっとおお仕掛しかけなものがあります。それは雷雨らいうのときに空中くうちゅうこっているおおきなうずです。陸地りくちうえのどこかのいち地方ちほう日光にっこうのために特別とくべつあたためられると、そこだけは地面じめんから蒸発じょうはつする水蒸気すいじょうきとくおおくなります。そういう地方ちほうのそばに、割合わりあいつめたい空気くうきおおわれた地方ちほうがありますと、まえった地方ちほうの、あたたかい空気くうきがってあとへ、はいわりにまわりのつめたい空気くうきしたからんでて、おおきなうずができます。そしてひょうったりかみなりったりします。
 これは茶碗ちゃわん場合ばあいくらべると仕掛しかけがずっとおおきくて、うずたかさもいちさととか二里にりとかいうのですからそういう、いろいろなわったことがこるのですが、しかしまた見方みかたによっては、茶碗ちゃわんとこうした雷雨らいうとはよほどよくたものとおもってもつかえありません。もっとも雷雨らいうのできかたは、いまったような場合ばあいばかりでなく、だいぶ模様もようちがったのもありますから、どれもこれもみんな茶碗ちゃわんくらべるのは無理むりですがただ、ちょっとただけではまるで関係かんけいのないようなことがらが、原理げんりうえからはおたがいによくたものにえるというひとつのれいに、かみなりをあげてみたのです。
 湯気ゆげのおはなしはこのくらいにして、今度こんどのほうをることにしましょう。
 しろ茶碗ちゃわんはいっているは、日陰ひかげてはべつわった模様もようなにもありませんが、それを日向ひなたして直接ちょくせつ日光にっこうて、茶碗ちゃわんそこをよくてごらんなさい。そこにはみょうなゆらゆらしたひかったせん薄暗うすぐらせん不規則ふきそく模様もようのようになって、それがゆるやかにうごいているのにがつくでしょう。これはよる電燈でんとうひかりててると、もっとよくあざやかにえます。夕食ゆうしょくのおぜんうえでもやれますからよくてごらんなさい。それもおがなるべくあついほど模様もようがはっきりします。
 つぎに、茶碗ちゃわんのおがだんだんにえるのは、表面ひょうめん茶碗ちゃわん周囲しゅういからねつげるためだとおもっていいのです。もし表面ひょうめんにちゃんとふたでもしておけば、やされるのはおもににまわりの茶碗ちゃわんれた部分ぶぶんだけになります。そうなると、茶碗ちゃわんせっしたところではえておもくなり、したのほうへながれてそこのほうへかってうごきます。その反対はんたいに、茶碗ちゃわんなかのほうではぎゃくうえのほうへのぼって、表面ひょうめんからは外側そとがわかってながれる、だいたいそういうふうな循環じゅんかんこります。よく理科りか書物しょもつなぞにある、ビーカーのそこをアルコール・ランプでねっしたときのみずながれとおなじようなものになるわけです。これはなかかんでいる、ちいさないとくずなどのうごくのをていても、いくらかわかるはずです。
 しかし茶碗ちゃわんふたもしないでいた場合ばあいには、表面ひょうめんからもえます。そしてそのかたがどこもおなじではないので、ところどころ特別とくべつつめたいむらができます。そういう部分ぶぶんからは、えたみずしたりる、そのまわりの割合わりあいあつ表面ひょうめんみずがそのあとかってながれる、それがりたみずあととど時分じぶんにはえてそこからりる。こんなふうにして表面ひょうめんにはみずりているところとのぼっているところとが方々ほうぼうにできます。したがってなかまでも、あついところと割合わりあいにぬるいところとがいろいろにみだれてできてます。これに日光にっこうてるとあついところとつめたいところとのさかいひかりがるために、そのひかり一様いちようにならず、むらになって茶碗ちゃわんそこらします。そのためにさきにったような模様もようえるのです。
 にちたったかべ屋根やねをすかしてると、ちらちらしたものがえることがあります。あの「陽炎かげろう」というものも、この茶碗ちゃわんそこ模様もようおなじようなものです。「陽炎かげろう」がつのは、かべ屋根やねねつせられると、それにせっした空気くうきあつくなって膨脹ぼうちょうしてのぼる、そのときにできる気流きりゅうのむらがひかりげるためなのです。
 このようなみず空気くうきのむらを非常ひじょう鮮明せんめいえるようにくふうすることができます。その方法ほうほう使つかって鉄砲てっぽうたま空中くうちゅうんでいるときに、前面ぜんめん空気くうきしつけているありさまや、たまうしろに渦巻うずまきこしてすすんでいる様子ようす写真しゃしんにとることもできるし、また飛行機ひこうきのプロペラーが空気くうきっている模様もよう調しらべたり、そのほかいろいろの面白おもしろ研究けんきゅうをすることができます。
 茶碗ちゃわんのおはなしは、すればまだいくらでもありますが、今度こんどはこれくらいにしておきましょう。

注文ちゅうもん多いおお 料理りょうりてん
宮沢みやざわ賢治けんじ

 二人ふたり若いわか 紳士しんしが、すっかりイギリスの兵隊へいたいのかたちをして、ぴかぴかする鉄砲てっぽうをかついで、白熊しろくまのようないぬ二疋にひきつれて、だいぶ山奥やまおくの、木の葉こ はのかさかさしたとこを、こんなことを云いい いながら、あるいておりました。
「ぜんたい、ここらのやましからんね。とりけもの一疋いっぴきやがらん。なんでも構わかま ないから、早くはや タンタアーンと、やってたいもんだなあ。」
鹿しか黄いろき 横っ腹よこ ぱらなんぞに、二三はつお見舞 みまいもしたら、ずいぶん痛快つうかいだろうねえ。くるくるまわって、それからどたっとたおれるだろうねえ。」
 それはだいぶの山奥やまおくでした。案内あんないしてきた専門せんもん鉄砲てっぽう打ちう も、ちょっとまごついて、どこかへ行っい てしまったくらいの山奥やまおくでした。
 それに、あんまりやま物凄ものすごものすごいので、その白熊しろくまのようないぬが、二疋にひきいっしょにめまいを起こしお て、しばらくうなって、それからあわいて死んし でしまいました。
「じつにぼくは、二千にせん四百よんひゃくえん損害そんがいだ」と一にん紳士しんしが、そのいぬぶたを、ちょっとかえしてみて言いい ました。
「ぼくは二千にせん八百はっぴゃくえん損害そんがいだ。」と、もひとりが、くやしそうに、あたまをまげて言いい ました。
 はじめの紳士しんしは、すこしかおいろを悪くわる して、じっと、もひとりの紳士しんしの、顔つきかお ながら云いい ました。
「ぼくはもうもどろうとおもう。」
「さあ、ぼくもちょうど寒くさむ はなったしはらいてきたし戻ろもど うとおもう。」
「そいじゃ、これで切りあげよき  う。なあに戻りもど に、昨日きのう宿屋やどやで、山鳥やまどりじゅうえん買っか 帰れかえ ばいい。」
うさぎもでていたねえ。そうすれば結局けっきょくおんなじこった。では帰ろかえ うじゃないか」
 ところがどうも困っこま たことは、どっちへ行けい 戻れるもど のか、いっこうに見当けんとうがつかなくなっていました。
 かぜがどうといてきて、くさはざわざわ、木の葉こ ははかさかさ、はごとんごとんと鳴りな ました。
「どうもはらいた。さっきから横っ腹よこ ぱら痛くいた てたまらないんだ。」
「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。ああ困っこま たなあ、なにかたべたいなあ。」
べたいもんだなあ」
 二にん紳士しんしは、ざわざわ鳴るな すすきのなかで、こんなことを云いい ました。
 そのときふとうしろをますと、立派りっぱ一軒いっけん西洋せいよう造りづく いえがありました。
 そして玄関げんかんには
 
RESTAURANT
 西洋せいよう料理りょうりてん
 WILDCAT HOUSE
 山猫やまねこけん
 
というふだがでていました。
きみ、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けあ てるんだ。入ろはい うじゃないか」
「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかくなに食事しょくじができるんだろう」
「もちろんできるさ。看板かんばんにそう書いか てあるじゃないか」
「はいろうじゃないか。ぼくはもうなにべたくて倒れたお そうなんだ。」
 二人ふたり玄関げんかん立ちた ました。玄関げんかん白いしろ 瀬戸せと煉瓦れんが組んく で、実にじつ 立派りっぱなもんです。
 そして硝子がらす開き戸ひら どがたって、そこにきん文字もじでこう書いか てありました。
 
「どなたもどうかお入りはい ください。決してけっ 遠慮えんりょはありません」
 
 二にんはそこで、ひどくよろこんで言いい ました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中よ なかはうまくできてるねえ、きょう一にちなんぎしたけれど、こんどはこんないいこともある。このうちは料理りょうりてんだけれどもただでご馳走 ちそうするんだぜ。」
「どうもそうらしい。決してけっ 遠慮えんりょはありませんというのはその意味いみだ。」
 二人ふたりおして、なかへ入りはい ました。そこはすぐ廊下ろうかになっていました。その硝子がらす裏側うらがわには、きん文字もじでこうなっていました。
 
「ことにふとったお方 かた若いわか お方 かたは、だい歓迎かんげいいたします」
 
 二人ふたりだい歓迎かんげいというので、もうおおよろこびです。
きみ、ぼくらはだい歓迎かんげいにあたっているのだ。」
「ぼくらは両方りょうほう兼ねか てるから」
 ずんずん廊下ろうか進んすす 行きい ますと、こんどはみずいろのペンキりのとびらがありました。
「どうもへんいえうちだ。どうしてこんなにたくさんがあるのだろう。」
「これはロシアしきだ。寒いさむ とこややまなかはみんなこうさ。」
 そして二にんはそのとびらをあけようとしますと、うえ黄いろき でこう書いか てありました。
 
とうけん注文ちゅうもん多いおお 料理りょうりてんですからどうかそこはご承知しょうちください」
 
「なかなかはやってるんだ。こんなやまなかで。」
「それあそうだ。たまえ、東京とうきょう大きなおお 料理りょうりだって大通りおおどお にはすくないだろう」
 二人ふたり云いい ながら、そのとびらをあけました。するとその裏側うらがわに、
 
注文ちゅうもんはずいぶん多いおお でしょうがどうか一々いちいちこらえて下さいくだ 。」
 
「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士しんしかおをしかめました。
「うん、これはきっと注文ちゅうもんがあまり多くおお 支度したく手間取るてまど けれどもごめん下さいくだ ういうことだ。」
「そうだろう。早くはや どこかへやなかにはいりたいもんだな。」
「そしてテーブルにすわりたいもんだな。」
 ところがどうもうるさいことは、またとびらが一つありました。そしてそのわきにかがみがかかって、そのしたには長いなが のついたブラシが置いお てあったのです。
 とびらには赤いあか で、
 
お客 きゃくさまがた、ここでかみをきちんとして、それからはきもの
 のどろ落しおと てください。」
 
書いか てありました。
「これはどうももっともだ。ぼくもさっき玄関げんかんで、やまのなかだとおもって見くびっみ  たんだよ」
作法さほう厳しいきび いえだ。きっとよほどえらひとたちが、たびたび来るく んだ。」
 そこでふたりふたりは、きれいにかみをけずって、くつどろ落しおと ました。
 そしたら、どうです。ブラシをいたうえ置くお いなや、そいつがぼうっとかすんで無くなっな  て、かぜがどうっとへやなか入っはい てきました。
 二人ふたりはびっくりして、たがいによりそって、とびらをがたんと開けあ て、つぎへや入っはい 行きい ました。早くはや なにあたたかいものでもたべて、元気げんきをつけて置かお ないと、もう途方とほうもないことになってしまうと、二にんとも思っおも たのでした。
 とびら内側うちがわに、またへんなことが書いか てありました。
 
鉄砲てっぽう弾丸だんがんをここへ置いお てください。」
 
 見るみ とすぐよこ黒いくろ だいがありました。
「なるほど、鉄砲てっぽう持っも てものを食うく というほうはない。」
「いや、よほど偉いえら ひとが始終しじゅうているんだ。」
 二にん鉄砲てっぽうをはずし、帯皮おびかわ解いと て、それをだいうえ置きお ました。
 また黒いくろ とびらがありました。
 
「どうか帽子ぼうし外套がいとうくつをおとり下さいくだ 。」
 
「どうだ、とるか。」
仕方しかたない、とろう。たしかによっぽどえらいひとなんだ。おくているのは」
 二にん帽子ぼうしとオーバーコートをくぎくぎにかけ、くつをぬいでぺたぺたあるいてとびらなかにはいりました。
 とびら裏側うらがわには、
 
「ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡めがね財布さいふその他 た金物かなものるい
 ことにとがったものは、みんなここに置いお てください」
 
書いか てありました。とびらのすぐよこにはくろ塗りぬ 立派りっぱ金庫きんこも、ちゃんとくち開けあ 置いお てありました。かぎまでえてあったのです。
「ははあ、なにかの料理りょうり電気でんきをつかうと見えるみ ね。金気かなけかなけのものはあぶない。ことに尖っとが たものはあぶないと云うい んだろう。」
「そうだろう。して見るみ 勘定かんじょう帰りかえ にここではらうのだろうか。」
「どうもそうらしい。」
「そうだ。きっと。」
 二人ふたりはめがねをはずしたり、カフスボタンをとったり、みんな金庫きんこのなかに入れい て、ぱちんとじょうをかけました。
 すこし行きい ますとまたとびらがあって、そのまえ硝子がらすつぼが一つありました。とびらには書いか てありました。
 
つぼのなかのクリームをかお手足てあしにすっかり塗っぬ てください。」
 
 みるとたしかにつぼのなかのものは牛乳ぎゅうにゅうのクリームでした。
「クリームをぬれというのはどういうんだ。」
「これはね、そとがひじょうに寒いさむ だろう。へやのなかがあんまりあたたかいとひびがきれるから、その予防よぼうなんだ。どうもおくには、よほどえらいひとがきている。こんなとこで、案外あんがいぼくらは、貴族きぞくとちかづきになるかも知れし ないよ。」
 二人ふたりつぼのクリームを、かお塗っぬ 塗っぬ てそれから靴下くつしたをぬいであし塗りぬ ました。それでもまだ残っのこ ていましたから、それは二人ふたりともめいめいこっそりかお塗るぬ ふりをしながらべました。
 それから大急ぎおおいそ とびらをあけますと、その裏側うらがわには、
 
「クリームをよく塗りぬ ましたか、みみにもよく塗りぬ ましたか、」
 
書いか てあって、ちいさなクリームのつぼがここにも置いお てありました。
「そうそう、ぼくはみみには塗らぬ なかった。あぶなくみみにひびを切らすき とこだった。ここの主人しゅじんはじつに用意ようい周到しゅうとうだね。」
「ああ、細かいこま とこまでよく気がつくき  よ。ところでぼくは早くはや なにべたいんだが、どうもうどこまでも廊下ろうかじゃ仕方しかたないね。」
 するとすぐそのまえつぎがありました。
 
料理りょうりはもうすぐできます。
 十五分じゅうごふんとお待たま せはいたしません。
 すぐたべられます。
 早くはや あなたのあたまびんなか香水こうすいをよくふりかけてください。」
 
 そしてまえには金ピカきん 香水こうすいびん置いお てありました。
 二人ふたりはその香水こうすいを、あたまへぱちゃぱちゃ振りかけふ  ました。
 ところがその香水こうすいは、どうものようなにおいがするのでした。
「この香水こうすいはへんにくさい。どうしたんだろう。」
「まちがえたんだ。下女げじょ風邪かぜでも引いひ てまちがえて入れい たんだ。」
 二にんとびらをあけてちゅうにはいりました。
 とびら裏側うらがわには、大きなおお 書いか てありました。
 
「いろいろ注文ちゅうもん多くおお てうるさかったでしょう。お気の毒き どくでした。
 もうこれだけです。どうかからだちゅうに、つぼなかしおをたくさん
 よくもみ込んこ でください。」

 なるほど立派りっぱ青いあお 瀬戸せとしおつぼ置いお てありましたが、こんどというこんどは二人ふたりともぎょっとしてお互にたがいクリームをたくさん塗っぬ かお見合せみあわ ました。
「どうもおかしいぜ。」
「ぼくもおかしいとおもう。」
沢山たくさんたくさんの注文ちゅうもんというのは、向うむこ がこっちへ注文ちゅうもんしてるんだよ。」
「だからさ、西洋せいよう料理りょうりてんというのは、ぼくの考えるかんが ところでは、西洋せいよう料理りょうりを、ひとにたべさせるのではなくて、ひと西洋せいよう料理りょうりにして、食べた てやるうちとこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えい ませんでした。
「その、ぼ、ぼくらが、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、もうものが言えい ませんでした。
げ……。」がたがたしながら一人ひとり紳士しんしはうしろのおそうとしましたが、どうです、はもう一分いちぶ動きうご ませんでした。
 おくほうにはまだ一枚いちまいとびらがあって、大きなおお かぎあなが二つつき、ぎんいろのホークとナイフのかたち切りき だしてあって、
 
「いや、わざわざご苦労 くろうです。
 だいへん結構けっこうにできました。
 さあさあおなかにおはいりください。」
 
書いか てありました。おまけにかぎあなからはきょろきょろ二つの青いあお たまがこっちをのぞいています。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
 ふたりは泣きな 出しだ ました。
 するとなかでは、こそこそこんなことを云っい ています。
「だめだよ。もう気がついき  たよ。しおをもみこまないようだよ。」
「あたりまえさ。親分おやぶん書きか ようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文ちゅうもん多くおお てうるさかったでしょう、お気の毒き どくでしたなんて、けたことを書いか たもんだ。」
「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、ほね分けわ くれやしないんだ。」
「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいってなかったら、それはぼくらの責任せきにんだぜ。」
呼ぼよ うか、呼ぼよ う。おい、お客 きゃくさんかた早くはや いらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。おさら洗っあら てありますし、菜っ葉な ぱももうよくしおでもんで置きお ました。あとはあなたがたと、菜っ葉な ぱをうまくとりあわせて、まっ白 しろなおさらにのせるだけです。はやくいらっしゃい。」
「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはおきらいですか。そんならこれから起しおこ てフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」
 二人ふたりはあんまりこころ痛めいた たために、かおがまるでくしゃくしゃの紙屑かみくずのようになり、お互にたがい そのかお見合せみあわ 、ぶるぶるふるえ、こえもなく泣きな ました。
 なかではふっふっとわらってまたさけんでいます。
「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いな ては折角せっかくのクリームが流れるなが じゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くはや いらっしゃい。」
早くはや いらっしゃい。親方おやかたがもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりした  して、お客 きゃくさまがた待っま ていられます。」
 二人ふたり泣いな 泣いな 泣いな 泣いな 泣きな ました。
 そのときうしろからいきなり、
「わん、わん、ぐゎあ。」というこえがして、あの白熊しろくまのようないぬ二疋にひきとびらをつきやぶってへやなか飛び込んと こ できました。鍵穴かぎあなだまはたちまちなくなり、いぬどもはううとうなってしばらくへやなかをくるくるまわりまわっていましたが、また一声いっせい
「わん。」と高くたか えて、いきなりつぎとびら飛びつきと  ました。はがたりとひらき、いぬどもは吸い込ます こ れるように飛んと 行きい ました。
 そのとびら向うむこ のまっくらやみのなかで、
「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」というこえがして、それからがさがさ鳴りな ました。
 へやはけむりのように消えき 二人ふたりさむさにぶるぶるふるえて、くさなか立った ていました。
 見るみ と、上着うわぎくつ財布さいふやネクタイピンは、あっちのえだにぶらさがったり、こっちのもとにちらばったりしています。かぜがどうとふいてきて、くさはざわざわ、木の葉こ ははかさかさ、はごとんごとんと鳴りな ました。
 いぬがふうとうなってもどもどってきました。
 そしてうしろからは、
旦那だんなあ、旦那だんなあ、」と叫ぶさけ ものがあります。
 二人ふたりにわか元気げんきがついて
「おおい、おおい、ここだぞ、早くはや 来いこ 。」と叫びさけ ました。
 みの帽子ぼうしをかぶった専門せんもん猟師りょうしが、くさをざわざわ分けわ てやってきました。
 そこで二人ふたりはやっと安心あんしんしました。
 そして猟師りょうしのもってきた団子だんごをたべ、途中とちゅう十円じゅうえんだけ山鳥やまどり買っか 東京とうきょう帰りかえ ました。
 しかし、さっき一ぺん紙くずかみ のようになった二人ふたりかおだけは、東京とうきょう帰っかえ ても、お湯 ゆにはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
 

杜子春とししゅん
芥川あくたがわ竜之介りゅうのすけ

    一

 ある春の日暮ひぐれです。
 とうみやこ洛陽らくようの西の門の下に、ぼんやり空をあおいでいる、一人の若者わかものがありました。
 若者わかものは名は杜子春とししゅんといって、元は金持かねもち息子むすこでしたが、今は財産ざいさんつかつくして、その日のくらしにもこまくらいあわれ身分みぶんになっているのです。
 何しろそのころ洛陽らくようといえば、天下にならぶもののない、繁昌はんじょうきわめたみやこですから、往来おうらいにはまだしっきりなく、人や車が通っていました。門一ぱいに当っている、あぶらのような夕日の光の中に、老人ろうじんのかぶったしゃ帽子ぼうしや、土耳古トルコの女の金の耳環みみわや、白馬にかざった色糸の手綱たづなが、えずながれて行く容子ようすは、まるで画のようなうつくしさです。
 しかし杜子春とししゅんあいかわらず、門のかべもたせて、ぼんやり空ばかりながめていました。空には、もう細い月が、うらうらとなびいたかすみの中に、まるでつめあとかと思うほど、かすかに白くうかんでいるのです。
「日はれるし、はらるし、その上もうどこへ行っても、めてくれるところはなさそうだし――こんな思いをして生きているくらいなら、いっそ川へでもげて、んでしまった方がましかも知れない。」
 杜子春とししゅんはひとりさっきから、こんなりとめもないことを思いめぐらしていたのです。
 するとどこからやって来たか、突然とつぜんかれの前へ足を止めた、片目かためすがめ老人ろうじんがあります。それが夕日の光をびて、大きなかげを門へおとすと、じっと杜子春とししゅんの顔を見ながら、
「お前は何を考えているのだ。」と、横柄おうへい言葉ことばをかけました。
わたしですか。わたしは今夜ところもないので、どうしたものかと考えているのです。」
 老人ろうじんたずね方がきゅうでしたから、杜子春とししゅんはさすがにせて、思わず正直な答をしました。
「そうか。それは可哀かわいそうだな。」
 老人ろうじんはしばらく何事なにごとか考えているようでしたが、やがて、往来おうらいにさしている夕日の光をゆびさしながら、
「ではおれがいいことを一つ教えてやらう。今この夕日の中に立って、お前のかげが地にうつったら、その頭に当るところを夜中にって見るがいい。きっと車に一ぱいの黄金がまっているはずだから。」
「ほんとうですか。」
 杜子春とししゅんおどろいて、せていたげました。ところさら不思議ふしぎなことには、あの老人ろうじんはどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、かげも形も見当りません。そのかわり空の月の色は前よりもなお白くなって、休みない往来おうらいの人通りの上には、もう気の早い蝙蝠こうもりが二三ひきひらひらっていました。

    二

 杜子春とししゅんは一日の内に、洛陽らくようみやこでも唯一ゆいいつ人という大金持かねもちになりました。あの老人ろうじん言葉ことば通り、夕日にかげうつして見て、その頭に当るところを、夜中にそっとって見たら、大きな車にもあまくらい、黄金が一山でてきたのです。
 大金持かねもちになった杜子春とししゅんは、すぐに立派りっぱな家を買って、玄宗げんそう皇帝こうていにもけないくらい贅沢ぜいたくくらしをしはじめました。蘭陵らんりょうさけを買わせるやら、桂州けいしゅう竜眼肉りゅうがんにくをとりよせるやら、日に四色のかわ牡丹ぼたんにわえさせるやら、白孔雀くじゃくを何羽も放飼はなしがいにするやら、玉をあつめるやら、にしきわせるやら、香木こうぼくの車をつくらせるやら、象牙ぞうげ椅子いすあつらえるやら、その贅沢ぜいたくを一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならないくらいです。
 するとこういううわさを聞いて、今まではみちで行き合っても、挨拶あいさつさえしなかった友だちなどが、朝夕あそびにやって来ました。それも一日ごとに数がして、半年ばかりつ内には、洛陽らくようみやこに名を知られた才子や美人びじんが多い中で、杜子春とししゅんの家へ来ないものは、一人もないくらいになってしまったのです。杜子春とししゅんはこの御客おきゃくたちを相手あいてに、毎日酒盛さかもりをひらきました。その酒盛さかもりのまたさかんなことは、中々口にはつくされません。ごくかいつまんだだけをお話しても、杜子春とししゅんが金のさかずき西洋せいようから来た葡萄酒ぶどうしゅんで、天竺てんじく生れの魔法使まほうつかいが刀をんで見せるげいに見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠ひすいはすの花を、十人は瑪瑙めのう牡丹ぼたんの花を、いずれもかみかざりながら、ふえことふし面白おもしろそうしているという景色けしきなのです。
 しかしいくら大金持かねもちでも、金には際限さいげんがありますから、さすがに贅沢ぜいたく家の杜子春とししゅんも、一年二年とつ内には、だんだん貧乏びんぼうになり出しました。そうすると人間は薄情はくじょうなもので、昨日きのうまでは毎日来た友だちも、今日は門の前を通ってさへ、挨拶あいさつ一つして行きません。ましてとうとう三年目の春、また杜子春とししゅん以前いぜんの通り、一文なしになって見ると、広い洛陽らくようみやこの中にも、かれ宿やどそうという家は、一軒いっけんもなくなってしまいました。いや、宿やどところか、今ではわん一杯いっぱいの水も、めぐんでくれるものはないのです。
@@@  そこでかれはある日の夕方、もう一度いちどあの洛陽らくようの西の門の下へ行って、ぼんやり空をながめながら、途方とほうれて立っていました。するとやはりむかしのように、片目かためすがめ老人ろうじんが、どこからか姿すがたあらわして、
「お前は何を考えているのだ。」と、声をかけるではありませんか。
 杜子春とししゅん老人ろうじんの顔を見ると、はずかしそうに下をいたまま、しばらくは返事へんじもしませんでした。が、老人ろうじんはその日も親切そうに、同じ言葉ことば繰返くりかえしますから、こちらも前と同じように、
わたしは今夜ところもないので、どうしたものかと考えているのです。」と、恐恐おそ おそるる返事へんじをしました。
「そうか。それは可哀かわいそうだな、ではおれがいいことを一つ教えてやらう。今この夕日の中へ立って、お前のかげが地にうつったら、そのむねに当るところを、夜中にって見るがいい。きっと車に一ぱいの黄金がまっているはずだから。」 
 老人ろうじんはこう言ったと思うと、今度こんどもまた人ごみの中へ、すようにかくれてしまいました。
 杜子春とししゅんはその翌日よくじつから、たちまち天下だい一の大金持かねもちかえりました。と同時にしょうかわらず、つかまつ放題ほうだい贅沢ぜいたくをしはじめました。にわいている牡丹ぼたんの花、その中にねむっている白孔雀くじゃく、それから刀をんで見せる、天竺てんじくから来た魔法使まほうつかいすべてがむかしの通りなのです。
 ですから車に一ぱいあった、あのおびただしい黄金も、また三年ばかりつ内には、すっかりなくなってしまいました。

    三

「お前は何を考えているのだ。」
 片目かためすがめ老人ろうじんは、三杜子春とししゅんの前へ来て、同じことをいかけました。もちろんかれはその時も、洛陽らくようの西の門の下に、ほそぼそとかすみやぶっている三日月の光をながめながら、ぼんやりたたずんでいたのです。
わたしですか。わたしは今夜ところもないので、どうしようかと思っているのです。」
「そうか。それは可哀かわいそうだな。ではおれがいいことを教えてやらう。今この夕日の中へ立って、お前のかげが地にうつったら、そのはらに当るところを、夜中にって見るがいい。きっと車に一ぱいの
 老人ろうじんがここまで言いかけると、杜子春とししゅんきゅうに手をげて、その言葉ことばさえぎりました。
「いや、お金はもう入らないのです。」
「金はもう入らない? ははあ、では贅沢ぜいたくをするにはとうとうきてしまったと見えるな。」
 老人ろうじんしんしそうなつきをしながら、じっと杜子春とししゅんの顔を見つめました。
「何、贅沢ぜいたくきたのじゃありません。人間というものに愛想あいそがつきたのです。」
 杜子春とししゅん不平ふへいそうな顔をしながら、突慳貪つっけんどんにこう言いました。
「それは面白おもしろいな。どうしてまた人間に愛想あいそきたのだ?」
「人間はみな薄情はくじょうです。わたしが大金持かねもちになった時には、世辞せじ追従ついしょうもしますけれど、一旦いったん貧乏びんぼうになって御覧ごらんなさい。やわらしい顔さえもして見せはしません。そんなことを考えると、たとい一度いちどもう大金持かねもちになったところが、何にもならないような気がするのです。」
 老人ろうじん杜子春とししゅん言葉ことばを聞くと、きゅうににやにやわらい出しました。
「そうか。いや、お前はわかもの似合にあわず、感心かんしんもののわかる男だ。ではこれからは貧乏びんぼうをしても、やすらかにくらして行くつもりか。」
 杜子春とししゅんはちょいとためらいました。が、すぐに思い切ったげると、うったえるように老人ろうじんの顔を見ながら、
「それも今のわたしにはできません。ですからわたしはあなたの弟子になって、仙術せんじゅつ修業しゅうぎょうをしたいと思うのです。いいえ、かくしてはいけません。あなたは道徳どうとくの高い仙人せんにんでしょう。仙人せんにんでなければ、一夜の内にわたしを天下だい一の大金持かねもちにすることはできないはずです。どうかわたしの先生になって、不思議ふしぎ仙術せんじゅつを教えて下さい。」
 老人ろうじんまゆをひそめたまま、しばらくはだまって、何事なにごとか考えているようでしたが、やがてまたにっこりわらいながら、
「いかにもおれは峨眉山がびさんに生んでいる、てつかんむり子という仙人せんにんだ。はじめお前の顔を見た時、どこかものわかりがさそうだったから、二まで大金持かねもちにしてやったのだが、ほどそれ仙人せんにんになりたければ、おれの弟子にとり立ててやろう。」と、こころよがんれてくれました。
 杜子春とししゅんよろこんだの、よろこばないのではありません。老人ろうじん言葉ことばがまだおわらない内に、かれは大地にがくをつけて、何てつかんむり子に時宜じぎをしました。
「いや、そう御礼おれいなどは言ってもらうまい。いくらおれの弟子にしたところで、立派りっぱ仙人せんにんになれるかなれないかは、お前次第しだいできまることだからな。が、うさぎも角もまずおれといっしょに、峨眉山がびさんおくへ来て見るがいい。おお、こう、ここに竹つえが一本ちている。では早速さっそくこれへって、一飛ひとっとびに空をわたるとしよう。」
 てつかんむり子はそこにあった青竹を一本拾上ひろ あいげると、口の中に呪文じゅもんとなえながら、杜子春とししゅんといっしょにその竹へ、馬にでもるようにまたがりました。すると不思議ふしぎではありませんか。竹つえはたちまちりゅうのように、ぜいよく大空へい上って、晴渡は わたれった春の夕空を峨眉山がびさんの方角へんで行きました。杜子春とししゅんたんをつぶしながら、恐恐おそ おそるる下を見下しました。が、下にはただ青い山々が夕明りのそこに見えるばかりで、あの洛陽らくようみやこの西の門は、(とうにかすみまぎれたのでしょう。)どこをさがしても見当りません。その内にてつかんむり子は、白いびんの毛を風にかせて、高らかに歌をうたい出しました。

朝に北海にあそび、くれには蒼梧そうご
そでうらの青へびたんあらなり。
三たびだけに入れども、人らず。
朗吟ろうぎんして、すごほらにわみずうみ

    四

 二人をせた青竹は、間もなく峨眉山がびさんい下りました。
 そこはふかい谷にのぞんだ、はばの広い一枚岩いちまいいわの上でしたが、よくよく高いところだと見えて、中空にれた北斗ほくとの星が、茶碗ちゃわんほどの大きさに光っていました。元より人跡じんせきえた山ですから、あたりはしんと静返しず かえまりって、やっと耳にはいるものは、後の絶壁ぜっぺきに生えている、まがりくねった一かぶまつが、こうこうと夜風に鳴る音だけです。
 二人がこの岩の上に来ると、てつかんむり子は杜子春とししゅん絶壁ぜっぺきの下にすわらせて、
「おれはこれから天上へ行って、西王母ににかかって来るから、お前はその間ここにすわって、おれの帰るのをっているがいい。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性ましょうあらわれて、お前をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことがおころうとも、けっして声を出すのではないぞ。もし一言でも口をいたら、お前は到底とうてい仙人せんにんにはなれないものだと覚悟かくごをしろ。いいか。天地がけても、だまっているのだぞ。」と言いました。
大丈夫だいじょうぶです。けっして声なぞは出しはしません。いのちがなくなっても、だまっています。」
「そうか。それを聞いて、おれも安心あんしんした。ではおれは行って来るから。」
 老人ろうじん杜子春とししゅんわかれをげると、またあの竹つえまたがって、夜目にもけずったような山々の空へ、一文字にえてしまいました。
 杜子春とししゅんはたった一人、岩の上にすわったまま、せいに星をながめていました。するとかれこれ半時ばかりって、深山ふかやまの夜気が肌寒はださむうす着物きものとおり出したころ突然とつぜん空中に声があって、
「そこにいるのは何者なにものだ。」としかりつけるではありませんか。
 しかし杜子春とししゅん仙人せんにんの教通り、何とも返事へんじをしずにいました。
 ところがまたしばらくすると、やはり同じ声がひびいて、
返事へんじをしないと立所た どころちに、いのちはないものと覚悟かくごしろ。」と、いかめしくおどかしつけるのです。
 杜子春とししゅんはもちろんだまっていました。
 と、どこからのぼって来たか、らん々とを光らせたとらが一ひき忽然こつぜんと岩の上におどり上って、杜子春とししゅん姿すがたにらみながら、一声高くたけりました。のみならずそれと同時に、頭の上のまつえだが、はげしくざわざわれたと思うと、後の絶壁ぜっぺきいただきからは、四たるほど白蛇しろへびが一ひきほのおのようなしたいて、見る見る近くへ下りて来るのです。
 杜子春とししゅんはしかし平然へいぜんと、眉毛まゆげうごかさずにすわっていました。
 とらへびとは、一つ餌食えじきねらって、かたみすきでもうかがうのか、しばらくは合いの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春とししゅんびかかりました。が、とらきばまれるか、へびしたまれるか、杜子春とししゅんいのちまばたく内に、なくなってしまうと思った時、とらへびとはきりのごとく、夜風とに消失き うえせて、後にはただ、絶壁ぜっぺきまつが、さっきの通りこうこうとえだを鳴らしているばかりなのです。杜子春とししゅんはほっと一息ひといきしながら、今度こんどはどんなことがおこるかと、心待こころまちにっていました。
 すると一陣いちじんの風がって、すみのような黒雲が一めんにあたりをとざすやいなや、うすむらさき稲妻いなづまがやにわにやみを二つにいて、すごじくかみなりが鳴り出しました。いや、かみなりばかりではありません。それといっしょにのような雨も、いきなりどうどうと降出ふ だりしたのです。杜子春とししゅんはこの天変てんぺんの中に、おそれ気もなくすわっていました。風の音、雨のしぶき、それから絶間た まえない稲妻いなづまの光、しばらくはさすがの峨眉山がびさんも、くつがえるかと思うくらいでしたが、その内に耳をもつんざくほど、大きな雷鳴らいめいとどろいたと思うと、空に渦巻うずまいた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱ひばしらが、杜子春とししゅんの頭へちかかりました。
 杜子春とししゅんは思わず耳をおさえて、一枚岩いちまいいわの上へひれしました。が、すぐにひらいて見ると、空は以前いぜんの通り晴渡は わたれって、むこうにそびえた山山の上にも、茶碗ちゃわんほど北斗ほくとの星が、やはりきらきらかがやいています。して見れば今の大あらしも、あのとら白蛇しろへびと同じように、てつかんむり子の留守るすをつけこんだ、魔性ましょう悪戯あくぎちがいありません。杜子春とししゅんようや安心あんしんして、がく冷汗ひやあせぬぐいながら、また岩の上にすわり直しました。
 が、そのいきためがまだえない内に、今度こんどかれすわっている前へ、金のよろい下した、身丈み たけの三たけもあろうという、おごそかなかみしょうあらわれました。しんしょうは手に三叉みつまたっていましたが、いきなりそのの切先を杜子春とししゅんむねもとへけながら、らせてしかりつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何ぶつだ。この峨眉山がびさんという山は、天地開闢かいびゃくむかしから、おれが住居じゅうきょをしているところだぞ。それもらずたった一人、ここへ足を踏入ふ いみれるとは、よもやただの人間ではあるまい。さあいのちしかったら、一刻いっこくも早く返答へんとうしろ。」と言うのです。
 しかし杜子春とししゅん老人ろうじん言葉ことば通り、黙然もくぜんと口をつぐんでいました。
返事へんじをしないか。しないな。し。しなければ、しないで勝手かってにしろ。そのかわりおれの眷属けんぞくたちが、その方をずたずたにってしまうぞ。」
 しんしょうを高くげて、むこうの山の空をまねきました。その途端とたんやみがさっとけると、おどろいたことには無数むすうしんぺいが、雲のごとく空にたかしちて、それがかいやりや刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻寄せ よめせようとしているのです。
 この景色けしきを見た杜子春とししゅんは、思わずあっとさけびそうにしましたが、すぐにまたてつかんむり子の言葉ことばを思い出して、一生懸命いっしょうけんめいだまっていました。しんしょうかれおそれないのを見ると、おこったのおこらないのではありません。
「このつよしじょうしゃめ。どうしても返事へんじをしなければ、約束やくそく通りいのちはとってやるぞ。」
 しんしょうはこうわめくが早いか、三叉みつまたひらめかせて、一きに杜子春とししゅんころしました。そうして峨眉山がびさんもどよむほど、からからと高くわらいながら、どこともなくえてしまいました。もちろんこの時はもう無数むすうかみへいも、わたる夜風の音といっしょに、ゆめのように消失き うえせた後だったのです。
 北斗ほくとの星はまたさむそうに、一枚岩いちまいいわの上をらしはじめました。絶壁ぜっぺきまつも前にかわらず、こうこうとえだを鳴らせています。が、杜子春とししゅんはとうにいきえて、仰向あおむけにそこへたおれていました。

    五

 杜子春とししゅんの体は岩の上へ、仰向あおむけにたおれていましたが、杜子春とししゅんたましいは、せいに体から抜出ぬ だけして、地獄じごくそこへ下りて行きました。
 このと地獄じごくとの間には、やみあな道という道があって、そこは年中くらい空に、こおりのようなつめたい風がぴゅうぴゅう吹荒ふ すさきんでいるのです。杜子春とししゅんはその風にかれながら、しばらくはただ木葉こ はののように、空をただよって行きましたが、やがて森殿どのというがくかかった立派りっぱ御殿ごてんの前へ出ました。
 御殿ごてんの前にいた大勢たいせいおには、杜子春とししゅん姿すがたを見るやいなや、すぐにそのまわりをいて、かいの前へ引きえました。かいの上には一人の王様おうさまが、まっ黒なほうに金のかんむりをかぶって、いかめしくあたりをにらんでいます。これはねてうわさに聞いた、大王にちがいありません。杜子春とししゅんはどうなることかと思いながら、恐恐おそ おそるるそこへひざまずいていました。
「こら、その方は何のために、峨眉山がびさんの上へすわっていた?」
 大王の声はかみなりのように、かいの上からひびきました。杜子春とししゅん早速さっそくそのといに答えようとしましたが、ふとまた思い出したのは、「けっして口をくな。」というてつかんむり子のいましめの言葉ことばです。そこでただ頭をれたまま、おしのようにだまっていました。すると大王は、っていたてつしゃくげて、顔中のひげ逆立さかだてながら、
「その方はここをどこだと思う? そく返答へんとうをすればし、さもなければ時をうつさず、地獄じごく呵責かしゃくわせてくれるぞ。」と、だけ高にののしりました。
 が、杜子春とししゅんそうかわらずくちびる一つうごかしません。それを見た大王は、すぐにおにどもの方をいて、荒々あらあらしく何か言いつけると、おにどもは一度いちどかしこって、たちまち杜子春とししゅんを引き立てながら、森殿どのの空へい上りました。
 地獄じごくにはだれでも知っている通り、けんの山や血池ち いけのの外にも、焦熱しょうねつ地獄じごくというほのおの谷や極寒ごっかん地獄じごくというこおりの海が、真暗まっくらな空の下にならんでいます。おにどもはそういう地獄じごくの中へ、代代かわ がわるる杜子春とししゅんほうりこみました。ですから杜子春とししゅん無残むざんにも、けんむねつらぬかれるやら、ほのおに顔をかれるやら、したかれるやら、かわがれるやら、てつきねかれるやら、あぶらなべられるやら、毒蛇どくへび脳味噌のうみそわれるやら、熊鷹くまたかを食われるやら、そのくるしみを数へ立てていては、到底とうてい際限さいげんがない、あらゆる責苦せめくぐうはされたのです。それでも杜子春とししゅん我慢強がまんづよく、じっとを食いしばったまま、一言も口をきませんでした。
 これにはさすがのおにどもも、呆返あき かえれってしまったのでしょう。一度いちどもう夜のような空をんで、森殿どのの前へ帰って来ると、さっきの通り杜子春とししゅんかいの下に引きえながら、御殿ごてんの上の大王に、
「この罪人つみびとはどうしても、ものを言う気色がございません。」と、口をそろえて言上しました。
 大王はまゆをひそめて、しばらく思案しあんれていましたが、やがて何か思いついたと見えて、
「この男の父母は、畜生道ちくしょうどうちているはずだから、早速さっそくここへ引き立てて来い。」と、一ひきおににいいつけました。
 おにはたちまち風にって、地獄じごくの空へい上りました。と思うと、また星がながれるように、二ひきしし駆立か たりてながら、さっと森殿どのの前へ下りて来ました。そのししを見た杜子春とししゅんは、おどろいたのおどろかないのではありません。なぜかといえばそれは二ひきとも、形は見すぼらしいせ馬でしたが、顔はゆめにもわすれない、んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山がびさんの上にすわっていたか、まっすぐに白状はくじょうしなければ、今度こんどはその方の父母にいたい思いをさせてやるぞ。」
 杜子春とししゅんはこうおどかされても、やはり返答へんとうをしずにいました。
「この不孝ふこうしゃめが。その方は父母がくるしんでも、その方さえ都合つごうければ、いいと思っているのだな。」
 大王は森殿どのくずれるほどすごじい声でわめきました。
て。おにども。その二ひき畜生ちくしょうを、肉もほね打砕う くだちいてしまえ。」
 おにどもは一斉いっせいに「はっ」と答えながら、てつむちをとって立ち上ると、四方八方から二ひきの馬を、未練みれんしゃくなくちのめしました。むちはりゅうりゅうと風を切って、ところきらわず雨のように、馬の皮肉ひにく打破う やぶちるのです。馬は、畜生ちくしょうになった父母は、くるしそうにもだえて、にはなみだうかべたまま、見てもいられないほどいななき立てました。
「どうだ。まだその方は白状はくじょうしないか。」
 大王はおにどもに、しばらくむちの手をやめさせて、一度いちどもう杜子春とししゅんの答をうながしました。もうその時には二ひきの馬も、肉はほねくだけて、いき絶絶た だええにかいの前へ、たおしていたのです。
 杜子春とししゅん必死ひっしになって、てつかんむり子の言葉ことばを思い出しながら、をつぶっていました。するとその時かれの耳には、声とはいえないくらい、かすかな声がつたわって来ました。
心配しんぱいをおしでない。わたしたちはどうなっても、お前さえ仕合しあわせになれるのなら、それより結構けっこうなことはないのだからね。大王が何とおっしゃっても、言いたくないことはだまって出で。」
 それはなつかしい、母親の声にちがいありません。杜子春とししゅんは思わず、をあきました。そうして馬の一ひきが、力なく地上にたおれたまま、かなしそうにかれの顔へ、じっとをやっているのを見ました。母親はこんなくるしみの中にも、息子むすこの心を思いやって、おにどものむちたれたことを、うらむ気色さえも見せないのです。大金持かねもちになれば世辞せじを言い、貧乏人びんぼうにんになれば口もかない世間せけんの人たちにくらべると、何という有難ありがたこころざしでしょう。何という健気けなげ決心けっしんでしょう。杜子春とししゅん老人ろうじんいましめもわすれて、ころぶようにそのがわへ走りよると、両手りょうてに半の馬のけいいだいて、はらはらとなみだおとしながら、「お母さん。」と一声をさけびました。……

    六

 その声に気がついて見ると、杜子春とししゅんはやはり夕日をびて、洛陽らくようの西の門の下に、ぼんやりたたずんでいるのでした。かすんだ空、白い三日月、絶間た まえない人や車のなみすべてがまだ峨眉山がびさんへ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人せんにんにはなれはすまい。」
片目かためすがめ老人ろうじん微笑びしょうふくみながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかしわたしはなれなかったことも、ってうれしい気がするのです。」
 杜子春とししゅんはまだなみだうかべたまま、思わず老人ろうじんの手をにぎりました。
「いくら仙人せんにんになれたところが、わたしはあの地獄じごくの森殿どのの前に、むちけている父母を見ては、だまっているわけには行きません。」
「もしお前がだまっていたら」とてつかんむり子はきゅうげんな顔になって、じっと杜子春とししゅんを見つめました。
「もしお前がだまっていたら、おれは即座そくざにお前のいのちってしまおうと思っていたのだ。お前はもう仙人せんにんになりたいというもちっていまい。大金持かねもちになることは、元より愛想あいそがつきたはずだ。ではお前はこれから後、何になったらいいと思うな。」
「何になっても、人間らしい、正直なくらしをするつもりです。」
 杜子春とししゅんの声には今までにない晴れ晴れした調子ちょうしっていました。
「その言葉ことばわすれるなよ。ではおれは今日かぎり、二度にどとお前にはわないから。」
 てつかんむり子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、きゅうにまた足を止めて、杜子春とししゅんの方を振返ふ かえりると、
「おお、こう、今思い出したが、おれは泰山たいざんの南のふもと一軒いっけんの家をっている。その家をはたけごとお前にやるから、早速さっそく行ってもうがいい。今頃いまごろはちょうど家のまわりに、ももの花が一めんいているだろう。」と、さも愉快ゆかいそうにつけくわえました。
(大正九年六月)

二人(ふたり)兄弟(きょうだい)
島崎(しまざき)藤村(とうそん)

   (いち) 榎木(えのき)()

 (みな)さんは(えのき)()()(ひろ)ったことがありますか。あの()()ちて()()(した)(おこな)ったことがありますか。あの(こう)ばしい()()(あつ)めたり()べたりして(あそ)んだことがありますか。
 そろそろあの(えのき)()()()ちる時分(じぶん)でした。二人(ふたり)兄弟(きょうだい)はそれを(ひろ)うのを(たのし)みにして、まだあの()(あお)くて()べられない時分(じぶん)から、(はや)(あか)くなれ(はや)(あか)くなれと()って()って()ました。
 二人(ふたり)兄弟(きょうだい)(いえ)には奉公(ほうこう)して(はたら)いて()正直(しょうじき)()いお(じい)さんがありました。このお(じい)さんは(やま)へも()()りに()くし(はた)へも野菜(やさい)をつくりに()って、(なに)でもよく()って()ました。
 このお(じい)さんが兄弟(きょうだい)子供(こども)(もう)しました。
「まだ(えのき)()()(しぶ)くて()べられません。もう(すこ)しお()ちなさい。」とそう(もう)しました。
 (おとうと)()(みじか)子供(こども)で、(えのき)()()(あか)くなるのが()って()られませんでした。お(じい)さんが()めるのも()かずに、馳出(かけだ)して()きました。この子供(こども)()()(ひろ)いに()きますと、(たか)(えだ)(うえ)()(いち)()橿鳥(かしどり)(おお)きな(こえ)()しまして、
(はや)()ぎた。(はや)()ぎた。」と()きました。
 ()(みじか)(おとうと)は、(えだ)()って()るのを()(おと)すつもりで、(いし)ころや(ぼう)(ひろ)っては()げつけました。その(たび)に、(えのき)()()()一緒(いっしょ)になって、パラパラパラパラ()ちて()ましたが、どれもこれも、まだ(あお)くて()べられないのばかりでした。
 そのうちに今度(こんど)(あに)子供(こども)出掛(でか)けて()きました。(あに)(おとうと)(ちが)って気長(きなが)子供(こども)でしたから「大丈夫(だいじょうぶ)(えのき)()()はもう(あか)くなって()る。」と安心(あんしん)して、ゆっくり(かま)えて出掛(でか)けて()きました。(あに)子供(こども)()()(ひろ)いに()きますと、(たか)(えだ)(うえ)()橿鳥(かしどり)がまた(おお)きな(こえ)()しまして、
(おそ)()ぎた。(おそ)()ぎた。」と()きました。
 気長(きなが)(あに)は、しきりと()(した)(さが)(まわ)りましたが、(あか)(えのき)()()(ひと)つも()つかりませんでした。この子供(こども)がゆっくり出掛(でか)けて()くうちに、()(した)()ちて()たのを(みん)(ほか)子供(こども)(ひろ)われてしまいました。
 二人(ふたり)兄弟(きょうだい)がこの(はなし)をお(じい)さんにしましたら、お(じい)さんがそう(もう)しました。
一人(ひとり)はあんまり(はや)()ぎたし、一人(ひとり)はあんまり(おそ)()ぎました。丁度(ちょうど)()()()らなければ、()(えのき)()()(ひろ)われません。(わたし)がその丁度(ちょうど)()(とき)(おし)えてあげます。」と(もう)しました。
 ある(あさ)、お(じい)さんが二人(ふたり)子供(こども)に、「さあ、(はや)(ひろ)いにお(いで)なさい、丁度(ちょうど)()(とき)()ました。」と(おし)えました。その(あさ)(かぜ)()いて、榎木(えのき)(えだ)()れるような()でした。二人(ふたり)兄弟(きょうだい)(いそ)いで()(した)()きますと、橿鳥(かしどり)(たか)(えだ)(うえ)からそれを()()まして、
丁度(ちょうど)()い。丁度(ちょうど)()い。」と()きました。
 榎木(えのき)(した)には、(あか)(ちい)さな(たま)のような()が、そこにも、ここにも、(いっ)ぱい()ちこぼれて()ました。二人(ふたり)兄弟(きょうだい)()周囲(まわり)(まわ)って、(ひろ)っても、(ひろ)っても、(ひろ)いきれないほど、それを(あつ)めて(たのし)みました。
 橿鳥(かしどり)(くび)(かし)げて、このありさまを()()ましたが、
「なんとこの榎木(えのき)(した)には()()()ちて()ましょう。沢山(さわやま)(ひろ)いなさい。(ついで)に、(わたし)(ひと)()褒美(ほうび)()しますから、それも(ひろ)って()って(くだ)さい。」と()いながら(あお)()(はい)った(ちい)さな(はね)(たか)(えだ)(うえ)から(おと)してよこしました。
 二人(ふたり)兄弟(きょうだい)(えのき)()()ばかりでなく、橿鳥(かしどり)(うつく)しい(はね)(ひろ)い、おまけにその(おお)きな榎木(えのき)(した)で、「丁度(ちょうど)()(とき)」までも(おぼ)えて(かえ)って()ました。

   () ()りの(はなし)

 ある()、お(じい)さんは二人(ふたり)兄弟(きょうだい)()りの道具(どうぐ)(つく)って()れると()いました。
 いかにお(じい)さんでも()りの道具(どうぐ)は、むずかしかろう、と二人(ふたり)子供(こども)がそう(おも)って()()ました。この兄弟(きょうだい)(うち)周囲(まわり)には釣竿(つりざお)(いっ)(ぽん)()(みせ)がありませんでしたから。
 お(じい)さんは何処(どこ)からか釣針(つりばり)(さが)して()ました。それから(ほそ)(たけ)()って()まして、それで()(ほん)釣竿(つりざお)(つく)りました。
(はり)竿(さお)出来(でき)ました。今度(こんど)(いと)(ばん)です。」とお(じい)さんは()って、(くり)()()栗虫(くりむし)から(いと)()りました。丁度(ちょうど)(かいこ)さまのように、その栗虫(くりむし)からも(しろ)(いと)()れるのです。お(じい)さんは栗虫(くりむし)から()れた(いと)()()けまして、それを(なが)引延(ひきのば)しました。その(いと)(にち)(かわ)いて(かた)くなる(ころ)には、兄弟(きょうだい)子供(こども)(ちから)()いても()れないほど丈夫(じょうぶ)立派(りっぱ)なものが出来(でき)(のぼ)りました。
「さあ、()りの道具(どうぐ)(そろ)いました。」と()って兄弟(きょうだい)()れました。
 二人(ふたり)子供(こども)はお(じい)さんが(つく)った釣竿(つりざお)()()げまして、(だい)(よろこ)びで小川(おがわ)(ほう)出掛(でか)けて()きました。小川(おがわ)(きし)には胡桃(くるみ)()()えて()場所(ばしょ)がありました。兄弟(きょうだい)(かじか)()そうな(いし)(あいだ)見立(みた)てまして、胡桃(くるみ)()のかげに(こし)()けて()りました。
 半日(はんにち)ばかり、この二人(ふたり)子供(こども)小川(おがわ)(きし)(あそ)んで(うち)(ほう)(かえ)って()きますと、丁度(ちょうど)(じい)さんも()(いっ)ぱい()(しょ)って(やま)(ほう)から(かえ)って()たところでした。
()れましたか。」とお(じい)さんが()きますと、兄弟(きょうだい)子供(こども)はがっかりしたように(くび)()りました。(かしこ)いお(さかな)(いち)(ぴき)二人(ふたり)釣針(つりばり)(かか)りませんでした。
 その(とき)兄弟(きょうだい)子供(こども)はお(じい)さんに()りの(はなし)をしました。(あに)はゆっくり(かま)えて()って()たものですから釣針(つりばり)にさした(えさ)(みん)(かじか)(たべ)られてしまいました。
 (おとうと)はまたお(さかな)()れるのが待遠(まちどお)しくて、ほんとに()れるまで()って()られませんでした。つい(みず)(なか)(まわ)(かきまわ)すと、(かじか)(みん)(おどろ)いて(いし)(した)(かく)れてしまいました。
 お(じい)さんは子供(こども)()りの(はなし)()いて、正直(しょうじき)(ひと)()さそうな(こえ)(わら)いました。そして二人(ふたり)兄弟(きょうだい)にこう(もう)しました。
一人(ひとり)はあんまり()(なが)()ぎたし、また、一人(ひとり)はあんまり()(みじか)()ぎました。()りの道具(どうぐ)ばかりでお(さかな)()れません。」

納豆(なっとう)合戦(かっせん)
菊池(きくち)(ひろし)

(いち)

 (みな)さん、あなた(かた)は、納豆(なっとう)(うり)(こえ)を、()いたことがありますか。朝寝坊(あさねぼう)をしないで、(はや)くから()をさましておられると、(あさ)(ろく)()(なな)()(ごろ)(ふゆ)ならば、まだお日様(ひさま)()ていない薄暗(うすぐら)時分(じぶん)から、
「なっと、なっとう!」と、あわれっぽい(ふし)()けて、()りに()(こえ)()くでしょう。もっとも、納豆(なっとう)(うり)は、田舎(いなか)には(あま)りいないようですから、田舎(いなか)()んでいる(ほう)は、まだお()きになったことがないかも()れませんが、東京(とうきょう)(まち)々では毎朝(まいあさ)納豆(なっとう)(うり)が、一人(ひとり)二人(ふたり)は、きっとやって()ます。
 (わたし)は、どちらかといえば、寝坊(ねぼう)ですが、それでも、時々(ときどき)(あさ)まだ(くら)いうちに、(ゆか)(なか)で、()をさましていると、
「なっと、なっとう!」と、いうあわれっぽい(おんな)納豆(なっとう)(うり)(こえ)を、よく()きます。
 (わたし)は、「なっと、なっとう!」という(こえ)()(たび)に、(わたし)がまだ小学校(しょうがっこう)(おこな)っていた(ころ)に、納豆(なっとう)(うり)のお(ばあ)さんに、いたずらをしたことを(おも)()すのです。それを、(おも)()(たび)に、(わたし)(はずか)しいと(おも)います。(わる)いことをしたもんだと後悔(こうかい)します。(わたし)は、(いま)そのお(はなし)をしようと(おも)います。
 (わたし)が、まだ十一二(じゅういちに)(とき)(わたし)(いえ)小石川(こいしかわ)(たけ)島町(じまちょう)にありました。そして小石川(こいしかわ)伝通院(でんずういん)のそばにある、(れき)(せん)学校(がっこう)(かよ)っていました。(わたし)が、近所(きんじょ)のお友達(ともだち)四五(しご)(にん)と、(つぶて)(かわ)学校(がっこう)()(みち)で、毎朝(まいあさ)納豆(なっとう)(うり)盲目(めくら)のお(ばあ)さんに()いました。もう、六十(ろくじゅう)()しているお(ばあ)さんでした。貧乏(びんぼう)なお(ばあ)さんと()え、(ふゆ)もボロボロの(あわせ)(かさ)ねて、足袋(たび)もはいていないような、()(かあい)そうな姿(すがた)をしておりました。そして、納豆(なっとう)(つと)を、二三十(にさんじゅう)()ちながら、あわれな(こえ)で、
「なっと、なっとう!」と、()びながら()(ある)いているのです。(つえ)()いて、ヨボヨボ(ある)いている可哀(かわい)そうな姿(すがた)()ると、大抵(たいてい)(いえ)では()ってやるようでありました。
 (わたし)(たち)(はじ)めのうちは、このお(ばあ)さんと()(ちが)っても、(だれ)もお(ばあ)さんのことなどはかまいませんでしたが、ある()のことです。(わたし)(たち)仲間(なかま)で、悪戯(いたずら)大将(たいしょう)()われる豆腐(とうふ)()(きち)(こう)という()が、(むこ)うからヨボヨボと(ある)いて()る、納豆(なっとう)()りのお(ばあ)さんの姿(すがた)()ると、(わたし)(たち)(ほう)()いて、
「おい、(おれ)がお(ばあ)さんに、いたずらをするから、()ておいで。」と()うのです。
 (わたし)(たち)はよせばよいのにと(おも)いましたが、(なに)しろ、十一二(じゅういちに)という悪戯(いたずら)(ざかり)りですから、一体(いったい)(よし)(こう)がどんな悪戯(あくぎ)をするのか()ていたいという心持(こころもち)もあって、だまって(よし)(こう)(あと)からついて()きました。
 すると(よし)(こう)はお(ばあ)さんの(そば)へつかつかと(すす)んで(おこな)って、
「おい、お(ばあ)さん、納豆(なっとう)をおくれ。」と()いました。すると、お(ばあ)さんは(くち)をもぐもぐさせながら、
(いち)(せん)(つと)ですか、()(せん)(つと)ですか。」と()いました。
(いち)(せん)のだい!」と(よし)(こう)(しか)るように()いました。お(ばあ)さんがおずおずと一銭(いっせん)藁苞(わらづと)()しかけると、(よし)(こう)は、
「それは(いや)だ。そっちの(ほう)をおくれ。」と、()いながら、いきなりお(ばあ)さんの()(なか)にある()(せん)(つと)を、()ったくってしまいました。お(ばあ)さんは、()(かあい)そうに、()()えないものですから、一銭(いっせん)(つと)(かわ)りに、()(せん)(つと)()られたことに、()()きません。(よし)(おおやけ)から、一銭(いっせん)()()ると、
「はい、有難(ありがと)うございます」と、()いながら、(また)ヨボヨボ(むこ)うへ(おこな)ってしまいました。
 (よし)(こう)は、お(ばあ)さんから()った()(せん)(つと)を、(わたし)(たち)()せびらかしながら、
「どうだい、(いち)(せん)()(せん)(つと)を、まき()げてやったよ。」と、自分(じぶん)悪戯(あくぎ)自慢(じまん)するように()いました。(いち)(せん)のお(かね)で、()(せん)(もの)()るのは、悪戯(いたずら)というよりも、もっといけない(わる)いことですが、その(ころ)(わたし)(たち)は、まだ(なに)(かんがえ)もない子供(こども)でしたから、そんなに(わる)いことだとも(おも)わず、(よし)(こう)がうまく()(せん)(つと)を、()ったことを、(なに)かエライことをでもしたように、感心(かんしん)しました。
「うまくやったね。お(ばあ)さん(なに)()らないで、ハイ有難(ありがと)うございます、と()ったねえ、ハハハハ。」と、(わたし)()いますと、みんなも(こえ)(そろ)えて(わら)いました。
 が、(よし)(こう)は、お(ばあ)さんから、うまく()(せん)納豆(なっとう)をまき()げたといっても、(なに)学校(がっこう)()って()って、()べるというのではありません。学校(がっこう)()くと、(よし)(こう)(わたし)(たち)に、納豆(なっとう)(いち)(つか)みずつ(わた)しながら、
「さあ、これから、(いくさ)ごっこをするのだ。この納豆(なっとう)鉄砲丸(てっぽうだま)だよ。これのぶっつけこをするんだ。」と、()いました。(わたし)(たち)(ふた)(くみ)(わか)れて、雪合戦(ゆきがっせん)をするように納豆(なっとう)合戦(かっせん)をしました。キャッキャッ()いながら、納豆(なっとう)(てき)()げました。そして面白(おもしろ)(せん)ごっこをしました。
 あくる(あさ)(また)(わたし)(たち)は、学校(がっこう)()(みち)で、納豆(なっとう)(うり)のお(ばあ)さんに()いました。すると、(よし)(こう)は、
「おい、(だれ)一銭(いっせん)()っていないか。」と()いました。(わたし)は、昨日(きのう)納豆(なっとう)合戦(かっせん)面白(おもしろ)かったことを、(おも)()しました。(わたし)は、早速(さっそく)()っていた(いち)(せん)を、(よし)(おおやけ)(わた)しました。(よし)(こう)は、昨日(きのう)(おな)じようにして、(いち)(せん)()(せん)納豆(なっとう)(だま)して()りました。その()も、学校(がっこう)面白(おもしろ)納豆(なっとう)合戦(かっせん)をやりました。

    ()

 その翌日(よくじつ)です。(わたし)(たち)は、(また)学校(がっこう)()(みち)で、納豆(なっとう)(うり)のお(ばあ)さんに()いました。その()は、(きち)(こう)ばかりでありません。(わたし)もつい面白(おもしろ)くなって、(いち)(せん)()(せん)(つと)(だま)して()りました。すると、(ほか)友達(ともだち)も、
(おれ)にも、(いち)(せん)のをおくれ。」と、()いながら、みんな()(せん)(つと)を、(だま)して()りました。お(ばあ)さんが、
「はい、有難(ありがと)うございます。」と、()っているうちに、お(ばあ)さんの()(なか)()(せん)(つと)は、()()(ふた)(みっ)つになってしまいました。
 そのあくる()も、そのあくる()も、(わたし)(たち)はこのお(ばあ)さんから、()(せん)(つと)(だま)して()りました。(ひと)()いお(ばあ)さんも、(うち)(かえ)って売上(うりあ)(だか)を、勘定(かんじょう)して()ると、お(かね)()りないので、(わたし)(たち)(だま)されるのに、()がついたのでしょう。そっと、交番(こうばん)のお巡査(まわり)さんに、()いつけたと()えます。
 お(ばあ)さんが、お巡査(じゅんさ)さんに()ったとは、(ゆめ)にも()らない(わたし)(たち)は、ある(あさ)、お(ばあ)さんに()くわすと、いつもの(よし)(こう)が、
「さあ、今日(きょう)(てつ)砲丸(ほうがん)()わなきゃならないぞ。」と、()いながら、お(ばあ)さんの(そば)()ると、
「おい、お(ばあ)さん、(いち)(せん)のを(もら)うぜ。」と、()いながら、何時(いつ)ものように、()(せん)(つと)()ろうとしました。すると、丁度(ちょうど)その(とき)です。(きゅう)に、グッグッという(くつ)(おと)がして、お巡査(じゅんさ)さんが、(いそ)いで()けつけて()たかと(おも)うと、()(せん)(つと)(にぎ)っている(よし)(こう)(みぎ)手首(てくび)を、グッと(にぎ)りしめました。
「おい、お(まえ)は、いくらの納豆(なっとう)()ったのだ。」とお巡査(まわり)さんが、(おそろ)しい(こえ)()きました。いくら餓鬼大将(がきだいしょう)(よし)(おおやけ)だといって、お巡査(じゅんさ)さんに()っちゃ(たま)りません。(あお)くなって、ブルブル(ふる)えながら、
(いち)(せん)のです、(いち)(せん)のです。」と、()(ごえ)()いました。すると、お巡査(じゅんさ)さんは、
(ふと)(やつ)だ。これは()(せん)(つと)じゃないか。この(かん)(ちゅう)から、このお(ばあ)さんが、納豆(なっとう)(ぬす)まれる(ぬす)まれると、こぼしていたが、お(まえ)(たち)が、こんな悪戯(いたずら)をやっていたのか。さあ、交番(こうばん)()い。」と、()いながら、(よし)(おおやけ)()きずって()こうとしました。(よし)(こう)は、おいおい()()しました。(わたし)(たち)も、(よし)(こう)(おな)(わる)いことをしているのですから、みんな(あお)くなって、ブルブル(ふる)えていました。すると、(よし)(こう)はお巡査(じゅんさ)さんに()きずられながら、「(わたし)一人(ひとり)じゃありません。みんなもしたのです。(わたし)一人(ひとり)じゃありません。」と()ってしまいました。するとお巡査(まわり)さんは、(こわ)()で、(わたし)(たち)(にら)みながら、
「じゃ、みんなの名前(なまえ)()ってご(らん)。」と()いました。そう()われると、(わたし)(たち)はもう(たま)らなくなって、
「わあッ。」と、(いち)ぺんに()()しました。
 すると、(そば)にじっと()っていた納豆(なっとう)(うり)のお(ばあ)さんです。(わたし)(たち)が、一緒(いっしょ)()()(こえ)()くと、(きゅう)盲目(めくら)()を、ショボショボさせたかと(おも)うと、お巡査(じゅんさ)さんの(ほう)へ、()さぐりに()りながら、
「もう、旦那(だんな)さん、(かん)(にん)して(くだ)さい。ホンのこの(ぼっ)ちゃん(たち)のいたずらだ。悪気(わるぎ)でしたのじゃありません。いい加減(かげん)に、(かん)(しのぶ)してあげてお()んなさい。」と、まだ()(ひか)らしているお巡査(じゅんさ)さんをなだめました。()ると、お(ばあ)さんは、()一杯(いっぱい)(なみだ)(たた)えているのです。お巡査(じゅんさ)さんは、お(ばあ)さんの言葉(ことば)()くと、やっと(きち)(おおやけ)()(はな)して、
「お(ばあ)さんが、そう()うのなら、勘弁(かんべん)してやろう。もう一度(いちど)、こんなことをすると、承知(しょうち)をしないぞ。」と、()いながら、(むこ)うへ(おこな)ってしまいました。すると、お(ばあ)さんは、やっと安心(あんしん)したように、
「さあ、(ぼっ)ちゃん(かた)、はやく学校(がっこう)へいらっしゃい。今度(こんど)から、もうこのお(ばあ)さんに、悪戯(いたずら)をなさるのではありませんよ。」と()いました。(わたし)は、お(ばあ)さんの()()えない(かお)()ていると(あな)(なか)へでも、這入(はい)りたいような(はずか)しさと、(わる)いことをしたという後悔(こうかい)とで、(こころ)(うち)一杯(いっぱい)になりました。
 このことがあってから、(わたし)(たち)がぷっつりと、この悪戯(いたずら)()めたのは、(もう)(まで)もありません。その(うえ)餓鬼大将(がきだいしょう)(よし)(おおやけ)さえ、(まえ)よりはよほどおとなしくなったように()えました。(わたし)は、納豆(なっとう)(うり)のお(ばあ)さんに、恩返(おんがえ)しのため(なに)かしてやらねばならないと(おも)いました。それでその()学校(がっこう)から、(うち)(かえ)ると、
(いえ)では、納豆(なっとう)(すこ)しも()わないの。」と、お(っか)さんに、ききました。
「お(まえ)は、納豆(なっとう)()べたいのかい。」と、お(っか)さんがきき(かえ)しました。
()べたくはないんだけれど、()(かあい)そうな納豆(なっとう)(うり)のお(ばあ)さんがいるから。」と()いました。
「お(まえ)が、そういう(こころ)(かけ)()うのなら、時々(ときどき)()ってもいい。お父様(とうさま)は、お()きな(ほう)なのだから。」と、お(っか)さんは()いました。それから、毎朝(まいあさ)、お(ばあ)さんの(こえ)(きこ)えると、お(かね)(もら)って納豆(なっとう)()いました。そして、そのお(ばあ)さんが、()なくなる(とき)まで、(わたし)大抵(たいてい)毎朝(まいあさ)、お(ばあ)さんから納豆(なっとう)()いました。

(しろ)
芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)

 ある(はる)(ひる)()ぎです。(しろ)()(いぬ)(つち)()()ぎ、(しず)かな往来(おうらい)(ある)いていました。(せま)往来(おうらい)両側(りょうがわ)にはずっと()をふいた生垣(いけがき)(つづ)き、そのまた生垣(いけがき)(あいだ)にはちらほら(さくら)なども()いています。(しろ)生垣(いけがき)沿()いながら、ふとある横町(よこちょう)(まが)りました。が、そちらへ(まが)ったと(おも)うと、さもびっくりしたように、突然(とつぜん)()(どま)ってしまいました。
 それも無理(むり)はありません。その横町(よこちょう)七八(しちはっ)(けん)(さき)には印半纏(しるしばんてん)()(いぬ)(ごろ)しが一人(ひとり)(わな)(うしろ)(かく)したまま、一匹(いっぴき)(くろ)(いぬ)(ねら)っているのです。しかも(くろ)(いぬ)(なに)()らずに、(いぬ)(ころ)しの()げてくれたパンか(なに)かを()べているのです。けれども(しろ)(おどろ)いたのはそのせいばかりではありません。見知(みし)らぬ(いぬ)ならばともかくも、(いま)(いぬ)(ごろ)しに(ねら)われているのはお(となり)(かい)(いぬ)(くろ)なのです。毎朝(まいあさ)(かお)(あわ)せる(たび)にお(たがい)(はな)(におい)()()う、(だい)(なか)よしの(くろ)なのです。
 (しろ)(おも)わず大声(おおごえ)に「(くろ)(くん)! あぶない!」と(さけ)ぼうとしました。が、その拍子(ひょうし)(いぬ)(ごろ)しはじろりと(しろ)()をやりました。「(おし)えて()ろ! 貴様(きさま)から(さき)(わな)にかけるぞ。」――(いぬ)(ごろ)しの()にはありありとそう()(おどか)しが(うか)んでいます。(しろ)(あま)りの(おそ)ろしさに、(おも)わず()えるのを(わす)れました。いや、(わす)れたばかりではありません。一刻(いっこく)もじっとしてはいられぬほど、臆病(おくびょう)(かぜ)()()したのです。(しろ)(いぬ)(ごろ)しに()(くば)りながら、じりじり(あと)すざりを(はじ)めました。そうしてまた生垣(いけがき)(かげ)(いぬ)(ごろ)しの姿(すがた)(かく)れるが(はや)いか、可哀(かわい)そうな(くろ)(のこ)したまま、一目散(いちもくさん)()()しました。
 その途端(とたん)(わな)()んだのでしょう。(つづ)けさまにけたたましい(くろ)()(ごえ)(きこ)えました。しかし(しろ)()(かえ)すどころか、(あし)()めるけしきもありません。ぬかるみを()()え、(いし)ころを()()らし、往来(おうらい)どめの(なわ)()()け、五味(ごみ)ための(はこ)()っくり(かえ)し、()()きもせずに()(つづ)けました。御覧(ごらん)なさい。(さか)()けおりるのを! そら、自動車(じどうしゃ)()かれそうになりました! (しろ)はもう(いのち)(たす)かりたさに夢中(むちゅう)になっているのかも()れません。いや、(しろ)(みみ)(そこ)にはいまだに(くろ)()(ごえ)(あぶ)のように(うな)っているのです。
「きゃあん。きゃあん。(たす)けてくれえ! きゃあん。きゃあん。(たす)けてくれえ!」


 (しろ)はやっと(あえ)(あえ)ぎ、主人(しゅじん)(いえ)(かえ)って()ました。(くろ)(べい)(した)(いぬ)くぐりを()け、物置(ものおき)小屋(こや)(まわ)りさえすれば、(いぬ)小屋(こや)のある裏庭(うらにわ)です。(しろ)はほとんど(かぜ)のように、裏庭(うらにわ)芝生(しばふ)()けこみました。もうここまで()げて()れば、(わな)にかかる心配(しんぱい)はありません。おまけに(あお)あおした芝生(しばふ)には、(さいわ)いお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんもボオル()げをして(あそ)んでいます。それを()(しろ)(うれ)しさは(なに)()えば()いのでしょう? (しろ)尻尾(しっぽ)()りながら、一足(いっそく)()びにそこへ()んで()きました。
「お(じょう)さん! (ぼっ)ちゃん! 今日(きょう)(いぬ)(ごろ)しに()いましたよ。」
 (しろ)二人(ふたり)見上(みあ)げると、(いき)もつかずにこう()いました。(もっともお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんには(いぬ)言葉(ことば)はわかりませんから、わんわんと(きこ)えるだけなのです。)しかし今日(きょう)はどうしたのか、お(じょう)さんも(ぼっ)ちゃんもただ呆気(あっけ)にとられたように、(あたま)さえ()でてはくれません。(しろ)不思議(ふしぎ)(おも)いながら、もう一度(いちど)二人(ふたり)(はな)しかけました。
「お(じょう)さん! あなたは(いぬ)(ころ)しを御存(ごぞん)じですか? それは(おそ)ろしいやつですよ。(ぼっ)ちゃん! わたしは(たす)かりましたが、お(となり)(くろ)(くん)(つか)まりましたぜ。」
 それでもお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんは(かお)見合(みあわ)せているばかりです。おまけに二人(ふたり)はしばらくすると、こんな(みょう)なことさえ()()すのです。
「どこの(いぬ)でしょう? 春夫(はるお)さん。」
「どこの(いぬ)だろう? (ねえ)さん。」
 どこの(いぬ)? 今度(こんど)(しろ)(ほう)呆気(あっけ)にとられました。((しろ)にはお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんの言葉(ことば)もちゃんと()きわけることが出来(でき)るのです。我々(われわれ)(いぬ)言葉(ことば)がわからないものですから、(いぬ)もやはり我々(われわれ)言葉(ことば)はわからないように(かんが)えていますが、実際(じっさい)はそうではありません。(いぬ)(げい)(おぼ)えるのは我々(われわれ)言葉(ことば)がわかるからです。しかし我々(われわれ)(いぬ)言葉(ことば)()きわけることが出来(でき)ませんから、(やみ)(なか)見通(みとお)すことだの、かすかな(におい)()()てることだの、(いぬ)(おし)えてくれる(げい)(ひと)つも(おぼ)えることが出来(でき)ません。)
「どこの(いぬ)とはどうしたのです? わたしですよ! (しろ)ですよ!」
 けれどもお(じょう)さんは不相変(あいかわらず)気味悪(きみわる)そうに(しろ)(なが)めています。
「お(となり)(くろ)兄弟(きょうだい)かしら?」
(くろ)兄弟(きょうだい)かも()れないね。」(ぼっ)ちゃんもバットをおもちゃにしながら、(かんが)(ふか)そうに(こた)えました。
「こいつも(からだ)(じゅう)まっ(くろ)だから。」
 (しろ)(きゅう)背中(せなか)()(さか)()つように(かん)じました。まっ(くろ)! そんなはずはありません。(しろ)はまだ子犬(こいぬ)(とき)から、牛乳(ぎゅうにゅう)のように(しろ)かったのですから。しかし(いま)前足(まえあし)()ると、いや、――前足(まえあし)ばかりではありません。(むね)も、(はら)も、後足(あとあし)も、すらりと上品(じょうひん)()びた尻尾(しっぽ)も、みんな鍋底(なべぞこ)のようにまっ(くろ)なのです。まっ(くろ)! まっ(くろ)! (しろ)()でも(ちが)ったように、()(あが)ったり、()(まわ)ったりしながら、一生懸命(いっしょうけんめい)()()てました。
「あら、どうしましょう? 春夫(はるお)さん。この(いぬ)はきっと狂犬(きょうけん)だわよ。」
 お(じょう)さんはそこに()ちすくんだなり、(いま)にも()きそうな(こえ)()しました。しかし(ぼっ)ちゃんは勇敢(ゆうかん)です。(しろ)はたちまち(ひだり)(かた)をぽかりとバットに()たれました。と(おも)うと()度目(どめ)のバットも(あたま)(うえ)()んで()ます。(しろ)はその(した)をくぐるが(はや)いか、元来(もとき)(ほう)()()しました。けれども今度(こんど)はさっきのように、(いっ)(ちょう)()(ちょう)()()しはしません。芝生(しばふ)のはずれには棕櫚(しゅろ)()のかげに、クリイム(いろ)()った(いぬ)小屋(ごや)があります。(しろ)(いぬ)小屋(ごや)(まえ)()ると、(ちい)さい主人(しゅじん)たちを()(かえ)りました。
「お(じょう)さん! (ぼっ)ちゃん! わたしはあの(しろ)なのですよ。いくらまっ(くろ)になっていても、やっぱりあの(しろ)なのですよ。」
 (しろ)(こえ)(なん)とも()われぬ(かな)しさと(いか)りとに(ふる)えていました。けれどもお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんにはそう()(しろ)(こころ)もちも()みこめるはずはありません。(げん)にお(じょう)さんは(にく)らしそうに、
「まだあすこに()えているわ。ほんとうに図々(ずうずう)しい野良犬(のらいぬ)ね。」などと、()だんだを()んでいるのです。(ぼっ)ちゃんも、――(ぼっ)ちゃんは小径(こみち)砂利(じゃり)(ひろ)うと、(ちから)(いっ)ぱい(しろ)()げつけました。
畜生(ちくしょう)! まだ愚図(ぐず)愚図(ぐず)しているな。これでもか? これでもか?」砂利(じゃり)(つづ)けさまに()んで()ました。(なか)には(しろ)(みみ)のつけ()へ、()(にじ)むくらい(あた)ったのもあります。(しろ)はとうとう尻尾(しっぽ)()き、(くろ)(べい)(そと)へぬけ()しました。(くろ)(べい)(そと)には(はる)()(ひかり)(ぎん)(こな)()びた紋白蝶(もんしろちょう)(いち)()気楽(きらく)そうにひらひら()んでいます。
「ああ、きょうから宿無(やどな)(いぬ)になるのか?」
 (しろ)はため(いき)()らしたまま、しばらくはただ電柱(でんちゅう)(した)にぼんやり(そら)(なが)めていました。


 お(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんに()()された(しろ)東京(とうきょう)(じゅう)をうろうろ(ある)きました。しかしどこへどうしても、(わす)れることの出来(でき)ないのはまっ(くろ)になった姿(すがた)のことです。(しろ)(きゃく)(かお)(うつ)している理髪(りはつ)(てん)(かがみ)(おそ)れました。(あま)(あが)りの(そら)(うつ)している往来(おうらい)(みず)たまりを(おそ)れました。往来(おうらい)若葉(わかば)(うつ)している(かざり)(まど)硝子(ガラス)(おそ)れました。いや、カフェのテエブルに(くろ)ビイルを(たた)えているコップさえ、――けれどもそれが(なに)になりましょう? あの自動車(じどうしゃ)御覧(ごらん)なさい。ええ、あの公園(こうえん)(そと)にとまった、(おお)きい(くろ)()りの自動車(じどうしゃ)です。(うるし)(ひか)らせた自動車(じどうしゃ)車体(しゃたい)(いま)こちらへ(ある)いて()(しろ)姿(すがた)(うつ)しました。――はっきりと、(かがみ)のように。(しろ)姿(すがた)(うつ)すものはあの(きゃく)(まち)自動車(じどうしゃ)のように、(いた)るところにある(わけ)なのです。もしあれを()たとすれば、どんなに(しろ)(おそ)れるでしょう。それ、(しろ)(かお)御覧(ごらん)なさい。(しろ)(くる)しそうに(うな)ったと(おも)うと、たちまち公園(こうえん)(なか)()けこみました。
 公園(こうえん)(なか)には(すず)(かか)若葉(わかば)にかすかな(かぜ)(わた)っています。(しろ)(あたま)()れたなり、木々(きぎ)(あいだ)(ある)いて()きました。ここには(さいわ)(いけ)のほかには、姿(すがた)(うつ)すものも見当(みあた)りません。物音(ものおと)はただ(しろ)薔薇(ばら)(むら)がる(はち)(こえ)(きこ)えるばかりです。(しろ)平和(へいわ)公園(こうえん)空気(くうき)に、しばらくは(みにく)(くろ)(いぬ)になった()ごろの(かな)しさも(わす)れていました。
 しかしそう()幸福(こうふく)さえ()(ふん)(つづ)いたかどうかわかりません。(しろ)はただ(ゆめ)のように、ベンチの(なら)んでいる(みち)ばたへ()ました。するとその(みち)(まが)(かど)(むこ)うにけたたましい(いぬ)(こえ)(おこ)ったのです。
「きゃん。きゃん。(たす)けてくれえ! きゃあん。きゃあん。(たす)けてくれえ!」
 (しろ)(おも)わず()(ぶる)いをしました。この(こえ)(しろ)(こころ)(なか)へ、あの(おそ)ろしい(くろ)最後(さいご)をもう一度(いちど)はっきり(うか)ばせたのです。(しろ)()をつぶったまま、(もと)()(ほう)()()そうとしました。けれどもそれは言葉(ことば)(どお)り、ほんの一瞬(いっしゅん)(あいだ)のことです。(しろ)(すさま)じい(うな)(こえ)()らすと、きりりとまた()(かえ)りました。
「きゃあん。きゃあん。(たす)けてくれえ! きゃあん。きゃあん。(たす)けてくれえ!」
 この(こえ)はまた(しろ)(みみ)にはこう()言葉(ことば)にも(きこ)えるのです。
「きゃあん。きゃあん。臆病(おくびょう)ものになるな! きゃあん。臆病(おくびょう)ものになるな!」
 (しろ)(あたま)(ひく)めるが(はや)いか、(こえ)のする(ほう)()()しました。
 けれどもそこへ()()ると、(しろ)()(まえ)(あらわ)れたのは(いぬ)(ごろ)しなどではありません。ただ学校(がっこう)(かえ)りらしい、洋服(ようふく)()子供(こども)二三(にさん)(にん)(くび)のまわりへ(なわ)をつけた茶色(ちゃいろ)子犬(こいぬ)()きずりながら、(なに)かわいわい(さわ)いでいるのです。子犬(こいぬ)一生懸命(いっしょうけんめい)()きずられまいともがきもがき、「(たす)けてくれえ。」と()(かえ)していました。しかし子供(こども)たちはそんな(こえ)(みみ)()すけしきもありません。ただ(わら)ったり、怒鳴(どな)ったり、あるいはまた子犬(こいぬ)(はら)(くつ)()ったりするばかりです。
 (しろ)(すこ)しもためらわずに、子供(こども)たちを()がけて()えかかりました。不意(ふい)()たれた子供(こども)たちは(おどろ)いたの(おどろ)かないのではありません。また実際(じっさい)(しろ)容子(ようす)()のように()えた()(いろ)()い、刃物(はもの)のようにむき()した(きば)(れつ)()い、(いま)にも()みつくかと(おも)うくらい、(おそ)ろしいけんまくを()せているのです。子供(こども)たちは四方(しほう)()()りました。(なか)には(あま)狼狽(ろうばい)したはずみに、(みち)ばたの花壇(かだん)()びこんだのもあります。(しろ)二三(にさん)(げん)()いかけた(のち)、くるりと子犬(こいぬ)()(かえ)ると、(しか)るようにこう(こえ)をかけました。
「さあ、おれと(いっ)しょに()い。お(まえ)(うち)まで(おく)ってやるから。」
 (しろ)元来(もとき)木々(きぎ)(あいだ)へ、まっしぐらにまた()けこみました。茶色(ちゃいろ)子犬(こいぬ)(うれ)しそうに、ベンチをくぐり、薔薇(ばら)()()らし、(しろ)()けまいと(はし)って()ます。まだ(くび)にぶら(さが)った、(なが)(なわ)をひきずりながら。

    ×     ×     ×

 二三(にさん)時間(じかん)たった(のと)(しろ)(まず)しいカフェの(まえ)茶色(ちゃいろ)子犬(こいぬ)(たたず)んでいました。(ひる)薄暗(うすぐら)いカフェの(なか)にはもう(あか)あかと(でん)(とう)がともり、(おと)のかすれた蓄音機(ちくおんき)浪花節(なにわぶし)(なに)かやっているようです。子犬(こいぬ)得意(とくい)そうに()()りながら、こう(しろ)(はな)しかけました。
(ぼく)はここに()んでいるのです。この大正(たいしょう)(けん)()うカフェの(なか)に。――おじさんはどこに()んでいるのです?」
「おじさんかい?――おじさんはずっと(とお)(まち)にいる。」
 (しろ)(さび)しそうにため(いき)をしました。
「じゃもうおじさんは(うち)(かえ)ろう。」
「まあお()ちなさい。おじさんの()主人(しゅじん)はやかましいのですか?」
()主人(しゅじん)? なぜまたそんなことを(たず)ねるのだい?」
「もし()主人(しゅじん)がやかましくなければ、今夜(こんや)はここに(とま)って()って(くだ)さい。それから(ぼく)のお(かあ)さんにも命拾(いのちびろ)いの御礼(おれい)()わせて(くだ)さい。(ぼく)(いえ)には牛乳(ぎゅうにゅう)だの、カレエ・ライスだの、ビフテキだの、いろいろな御馳走(ごちそう)があるのです。」
「ありがとう。ありがとう。だがおじさんは(よう)があるから、御馳走(ごちそう)になるのはこの(つぎ)にしよう。――じゃお(まえ)のお(かあ)さんによろしく。」
 (しろ)はちょいと(そら)()てから、(しず)かに敷石(しきいし)(うえ)(ある)()しました。(そら)にはカフェの屋根(やね)のはずれに、三日月(みかづき)もそろそろ(ひか)()しています。
「おじさん。おじさん。おじさんと()えば!」
 子犬(こいぬ)(かな)しそうに(はな)()らしました。
「じゃ名前(なまえ)だけ()かして(くだ)さい。(ぼく)名前(なまえ)はナポレオンと()うのです。ナポちゃんだのナポ(こう)だのとも()われますけれども。――おじさんの名前(なまえ)(なに)()うのです?」
「おじさんの名前(なまえ)(しろ)()うのだよ。」
(しろ)――ですか? (しろ)()うのは不思議(ふしぎ)ですね。おじさんはどこも(くろ)いじゃありませんか?」
 (しろ)(むね)(いっ)ぱいになりました。
「それでも(しろ)()うのだよ。」
「じゃ(しろ)のおじさんと()いましょう。(しろ)のおじさん。ぜひまた(ちか)(うち)一度(いちど)()(くだ)さい。」
「じゃナポ(こう)、さよなら!」
御機嫌(ごきげん)()う、(しろ)のおじさん! さようなら、さようなら!」


 その(のち)(しろ)はどうなったか?――それは一々(いちいち)(はな)さずとも、いろいろの新聞(しんぶん)(つた)えられています。(おお)かたどなたも御存(ごぞん)じでしょう。度々(たびたび)(あやう)人命(じんめい)(すく)った、(いさ)ましい(いっ)(ぴき)(くろ)(いぬ)のあるのを。また一時(いちじ)()(けん)』と()活動(かつどう)写真(しゃしん)流行(りゅうこう)したことを。あの(くろ)(いぬ)こそ(しろ)だったのです。しかしまだ不幸(ふこう)にも御存(ごぞん)じのない(かた)があれば、どうか(した)引用(いんよう)した新聞(しんぶん)記事(きじ)()んで(くだ)さい。
 東京日日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)(さく)十八(じゅうはち)(にち)五月(ごがつ)午前(ごぜん)(はち)()四十(しじっ)(ふん)奥羽線(おううせん)(のぼ)急行(きゅうこう)列車(れっしゃ)田端(たばた)(えき)附近(ふきん)踏切(ふみきり)通過(つうか)する(さい)踏切(ふみきり)番人(ばんにん)過失(かしつ)()り、田端(たばた)一二三(ひふみ)会社(かいしゃ)(いん)柴山(しばやま)鉄太郎(てつたろう)長男(ちょうなん)実彦(さねひこ)()(さい))が列車(れっしゃ)(とお)線路(せんろ)(ない)()()り、(あやう)轢死(れきし)()げようとした。その(とき)(たくま)しい(くろ)(いぬ)(いっ)(ぴき)稲妻(いなづま)のように踏切(ふみきり)()びこみ、目前(もくぜん)(せま)った列車(れっしゃ)車輪(しゃりん)から、見事(みごと)実彦(さねひこ)(すく)()した。この勇敢(ゆうかん)なる(くろ)(いぬ)人々(ひとびと)(たち)(さわ)いでいる(あいだ)にどこかへ姿(すがた)(かく)したため、表彰(ひょうしょう)したいにもすることが出来(でき)ず、当局(とうきょく)(おお)いに(こま)っている。
 東京(とうきょう)朝日新聞(あさひしんぶん)軽井沢(かるいざわ)避暑(ひしょ)(ちゅう)のアメリカ富豪(ふごう)エドワアド・バアクレエ()夫人(ふじん)はペルシア(さん)(ねこ)寵愛(ちょうあい)している。すると最近(さいきん)同氏(どうし)別荘(べっそう)(なな)(しゃく)(あま)りの大蛇(だいじゃ)(あらわ)れ、ヴェランダにいる(ねこ)()もうとした。そこへ()()れぬ(くろ)(いぬ)(いっ)(ぴき)突然(とつぜん)(ねこ)(すく)いに()けつけ、二十(にじゅう)(ふん)(わた)奮闘(ふんとう)(のち)、とうとうその大蛇(だいじゃ)()(ころ)した。しかしこのけなげな(いぬ)はどこかへ姿(すがた)(かく)したため、夫人(ふじん)五千(ごせん)(ドル)賞金(しょうきん)()け、(いぬ)行方(ゆくえ)(もと)めている。
 国民(こくみん)新聞(しんぶん) 日本(にっぽん)アルプス横断(おうだん)(ちゅう)(いち)()行方(ゆくえ)不明(ふめい)になった第一高等学校(だいちこうとうがっこう)生徒(せいと)(さん)(めい)七日(なのか)八月(はちがつ)上高地(かみこうち)温泉(おんせん)(ちゃく)した。一行(いっこう)穂高(ほたか)(やま)(やり)(たけ)との(あいだ)(みち)(うしな)い、かつ過日(かじつ)暴風雨(ぼうふうう)天幕(テント)糧食(りょうしょく)(とう)(うば)われたため、ほとんど()覚悟(かくご)していた。(しか)るにどこからか(ぐろ)(いぬ)(いっ)(ぴき)一行(いっこう)のさまよっていた渓谷(けいこく)(あらわ)れ、あたかも案内(あんない)をするように、(さき)()って(ある)()した。一行(いっこう)はこの(いぬ)(あと)(したが)い、(いち)(にち)(あま)(ある)いた(のち)、やっと上高地(かみこうち)(ちゃく)することが出来(でき)た。しかし(いぬ)()(した)温泉(おんせん)宿(やど)屋根(やね)()えると、一声(ひとこえ)(うれ)しそうに()えたきり、もう一度(いちど)もと()熊笹(くまざさ)(なか)姿(すがた)(かく)してしまったと()う。一行(いっこう)(みな)この(いぬ)()たのは神明(しんめい)加護(かご)だと(しん)じている。
 時事新報(じじしんぽう) 十三(じゅうさん)(にち)九月(くがつ)名古屋(なごや)()大火(たいか)焼死(しょうし)(しゃ)十余(じゅうよ)(めい)(およ)んだが、横関(よこせき)名古屋(なごや)市長(しちょう)なども愛児(あいじ)(うしな)おうとした一人(ひとり)である。令息(れいそく)(たけ)(のり)(さん)(さい))はいかなる家族(かぞく)()(おち)からか、猛火(もうか)(なか)()(かい)(のこ)され、すでに灰燼(かいじん)となろうとしたところを、(いっ)(ぴき)(くろ)(いぬ)のために(くわ)()された。市長(しちょう)今後(こんご)名古屋(なごや)()(かぎ)り、野犬(やけん)撲殺(ぼくさつ)(きん)ずると()っている。
 読売新聞(よみうりしんぶん) 小田原(おだわら)(まち)城内(きうち)公園(こうえん)連日(れんじつ)人気(にんき)(あつ)めていた宮城(みやぎ)巡回(じゅんかい)動物(どうぶつ)(えん)のシベリヤ(さん)(おお)(おおかみ)二十五(にじゅうご)(にち)十月(じゅうがつ)午後(ごご)()()ごろ、突然(とつぜん)巌乗(がんじょう)(おり)(やぶ)り、木戸(きど)(ばん)()(めい)負傷(ふしょう)させた(のち)箱根(はこね)方面(ほうめん)逸走(いっそう)した。小田原(おだわら)(しょ)はそのために非常(ひじょう)動員(どういん)(おこな)い、(ぜん)(ちょう)(わた)警戒(けいかい)(せん)()いた。すると午後(ごご)()時半(じはん)ごろ(みぎ)(おおかみ)十字(じゅうじ)(まち)(あらわ)れ、(いっ)(ぴき)(くろ)(いぬ)()()いを(はじ)めた。(くろ)(いぬ)悪戦(あくせん)(すこぶ)(つと)め、ついに(てき)()()せるに(いた)った。そこへ警戒(けいかい)(ちゅう)巡査(じゅんさ)()けつけ、(ただ)ちに(おおかみ)銃殺(じゅうさつ)した。この(おおかみ)はルプス・ジガンティクスと(しょう)し、(もっと)兇猛(きょうもう)(しゅ)(ぞく)であると()う。なお宮城(みやぎ)動物(どうぶつ)(えん)(しゅ)(おおかみ)銃殺(じゅうさつ)不当(ふとう)とし、小田原(おだわら)署長(しょちょう)相手(あいて)どった告訴(こくそ)(おこ)すといきまいている。(とう)(とう)(とう)


 ある(あき)真夜中(まよなか)です。(からだ)(こころ)(つか)()った(しろ)主人(しゅじん)(いえ)(かえ)って()ました。勿論(もちろん)(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんはとうに(とこ)へはいっています。いや、(いま)(だれ)一人(ひとり)()きているものもありますまい。ひっそりした裏庭(うらにわ)芝生(しばふ)(うえ)にも、ただ(たか)棕櫚(しゅろ)()(こずえ)(しろ)(つき)一輪(いちりん)(うか)んでいるだけです。(しろ)(むかし)(いぬ)小屋(こや)(まえ)に、(つゆ)()れた(からだ)(やす)めました。それから(さび)しい(つき)相手(あいて)に、こういう独語(ひとりごと)(はじ)めました。
「お(つき)(さま)! お(つき)(さま)! わたしは(くろ)(くん)見殺(みごろ)しにしました。わたしの(からだ)のまっ(くろ)になったのも、(おお)かたそのせいかと(おも)っています。しかしわたしはお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんにお(わか)(もう)してから、あらゆる危険(きけん)(たたか)って()ました。それは(ひと)つには(なに)かの拍子(ひょうし)(すす)よりも(くろ)(からだ)()ると、臆病(おくびょう)(はじ)じる()(おこ)ったからです。けれどもしまいには(くろ)いのがいやさに、――この(くろ)いわたしを(ころ)したさに、あるいは()(なか)()びこんだり、あるいはまた(おおかみ)(たたか)ったりしました。が、不思議(ふしぎ)にもわたしの(いのち)はどんな強敵(きょうてき)にも(うば)われません。()もわたしの(かお)()ると、どこかへ()()ってしまうのです。わたしはとうとう(くる)しさの(あま)り、自殺(じさつ)しようと決心(けっしん)しました。ただ自殺(じさつ)をするにつけても、ただ一目(ひとめ)()いたいのは可愛(かわい)がって(くだ)すった()主人(しゅじん)です。勿論(もちろん)(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんはあしたにもわたしの姿(すがた)()ると、きっとまた野良犬(のらいぬ)(おも)うでしょう。ことによれば(ぼっ)ちゃんのバットに()(ころ)されてしまうかも()れません。しかしそれでも本望(ほんもう)です。お(つき)(さま)! お(つき)(さま)! わたしは()主人(しゅじん)(かお)()るほかに、(なに)(ねが)うことはありません。そのため今夜(こんや)ははるばるともう一度(いちど)ここへ(かえ)って()ました。どうか(よる)()次第(しだい)、お(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんに()わして(くだ)さい。」
 (しろ)独語(ひとりごと)()(おわ)ると、芝生(しばふ)(あご)をさしのべたなり、いつかぐっすり寝入(ねい)ってしまいました。

    ×     ×     ×

(おどろ)いたわねえ、春夫(はるお)さん。」
「どうしたんだろう? (ねえ)さん。」
 (しろ)(ちい)さい主人(しゅじん)(こえ)に、はっきりと()(ひら)きました。()ればお(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんは(いぬ)小屋(こや)(まえ)(たたず)んだまま、不思議(ふしぎ)そうに(かお)見合(みあわ)せています。(しろ)一度(いちど)()げた()をまた芝生(しばふ)(うえ)()せてしまいました。お(じょう)さんや(ぼっ)ちゃんは(しろ)がまっ(くろ)(かわ)った(とき)にも、やはり(いま)のように(おどろ)いたものです。あの(とき)(かな)しさを(かんが)えると、――(しろ)(いま)では(かえ)って()たことを後悔(こうかい)する()さえ(おこ)りました。するとその途端(とたん)です。(ぼっ)ちゃんは突然(とつぜん)()(あが)ると、大声(おおごえ)にこう(さけ)びました。
「お(とう)さん! お(かあ)さん! (しろ)がまた(かえ)って()ましたよ!」
 (しろ)が! (しろ)(おも)わず()()きました。すると()げるとでも(おも)ったのでしょう。お(じょう)さんは両手(りょうて)()ばしながら、しっかり(しろ)(くび)(おさ)えました。同時(どうじ)(しろ)はお(じょう)さんの()へ、じっと(かれ)()(うつ)しました。お(じょう)さんの()には(くろ)(ひとみ)にありありと(いぬ)小屋(こや)(うつ)っています。(たか)棕櫚(しゅろ)()のかげになったクリイム(いろ)(いぬ)小屋(こや)が、――そんなことは当然(とうぜん)(ちが)いありません。しかしその(いぬ)小屋(こや)(まえ)には(こめ)(つぶ)ほどの(ちい)ささに、(しろ)(いぬ)(いっ)(ひき)(すわ)っているのです。(きよ)らかに、ほっそりと。――(しろ)はただ恍惚(こうこつ)とこの(いぬ)姿(すがた)見入(みい)りました。
「あら、(しろ)()いているわよ。」
 お(じょう)さんは(しろ)()きしめたまま、(ぼっ)ちゃんの(かお)見上(みあ)げました。(ぼっ)ちゃんは――御覧(ごらん)なさい、(ぼっ)ちゃんの()()っているのを!
「へっ、(ねえ)さんだって()いている(くせ)に!」

大正(たいしょう)十二(じゅうに)(ねん)七月(しちがつ)
不思議ふしぎ帽子ぼうし
  豊島とよしま 与志雄よしお

 ある大都会とかいの大通りの下の下水道に、悪魔あくまあくまが一ひきんでいました。まっくらな中でねずみやこうもりなんかと一緒いっしょに、下水の中の汚物おぶつなどをあさってらしていました。ところがある時、下水道の中に上の方から明るい光がさしていましたので、何だろうと思ってってゆくと、下水道の掃除そうじ口が半分ばかりひらいているのです。悪魔あくまは何の気もなくその掃除そうじ口につかまって、そっと外をのぞいてみて、びっくりしました。まち中に明るく燈火あかりがともっていて、大勢おおぜいの人がぞろぞろ通っていて、おもしろい蓄音機ちくおんきの音までも聞こえています。
「ほほう、まっくらきたないこの下水道の上に、こんな立派りっぱにぎやかな通りがあろうとは、今までゆめにも知らなかった。何ときらきら光ってる燈火あかりだことか。何と大勢おおぜいうつくしい人間どもが通ってることか。何というにぎやかさはなやかさだ。下水の掃除そうじ人がこの掃除そうじ口をわすれてるのをさいわいに、おれも少しこのにぎやかな通りを散歩さんぽしてみるかな」
 そしてこののん気な悪魔あくまは、下水道からひょいとして、小さな犬にけて、街路樹がいろじゅかげをうそうそと歩き出しました。昼のように明るい街路がいろうつくしいにぎやかな人通り、宮殿きゅうでんのようにきらびやかな店先、うまそうな食物たべものにおい、楽しい音楽のひびき、そんなものに悪魔あくまは気がぼーっとして、いつまでもうろついていました。
 そのうちに夜はだんだんふけてきて、人通りも少なくなり、商店しょうてんまどもしめられ、にぎやかだった街路がいろさびしくなりはじめました。悪魔あくまはふと気がついて、自分が飛出したあの下水の掃除そうじ口のところへ、大急おおいそぎにもどってゆきました。ところが、いつのまにか掃除そうじ人がもどってきたとみえて、大きなてつふたがかっちりられています。
「ほい、これはとんだことをした」
 そして悪魔あくまは、方々の掃除そうじ口をさがして歩きましたが、どこもここもみな、頑丈がんじょうてつふたってあって、下水道へはいり隙間すきまもありません。
「弱ったな。どうしたら下水道へもどってゆけるかしら」
 思いまよってふらふら歩いていると、っぱらいの男や商店しょうてん子僧こぞうなどから、野良犬のらいぬだといっておどかされたりっぱらわれたりしますし、巡査じゅんさががちゃがちゃけんを鳴らしてやって来たりするものですから、悪魔あくまはすっかりしょげかえりました。そしてどこかもぐりすみでもないかと、きょろきょろさがまわってるうちに、ある立派りっぱ帽子ぼうしの店がのこされてるのを見つけました。店の中にはだれもいないで、おくの方に番頭ばんとうが一人ねむりをしています。
「しめたぞ。今夜はこの店の中にかくれるとしよう」
 そーっとはいりんで、陳列ちんれつだなの上にがって、ひょいと帽子ぼうしけて素知そしらぬ顔をしていました。間もなく、おく部屋へやから二三人の子僧こぞうが出て来て、おもて戸締とじまりをして、電気をして、またんでいきました。
 悪魔あくまはほっといきをついて、やれやれたすかったと思うと、きゅうつかれが出て、帽子ぼうしけたまま、ぐっすりねむってしまいました。>  さてその翌朝よくあさ悪魔あくまますと、もう明るく日がさしていて、店の中には大勢おおぜいの番頭ばんとうや子僧こぞうたちが、掃除そうじをしたり帽子ぼうしならべ直したりしていました。
「おや、寝過ねすごしたのかな。きたない下水道の中とちがって、あまり具合ぐあいがよかったものだから、早くますのをわすれていた。今逃出に だげせば見つかるし、まあいいや、も少しここにじっとしていたら、そのうちに逃出に だげすすきがあるだろう」
 ところが、そのすきがなかなかありませんでした。店の中にはいく人もの店員てんいんひかえひかえていますし、おもてには大勢おおぜいの人が通っています。とうとう昼ごろになりました。
 その時、すてきにハイカラな洋服ようふくて、むねに金くさりをからましている紳士しんしが、帽子ぼうしを買いにはいって来ました。そして番頭に案内あんないされて、陳列ちんれつたな帽子ぼうしを見てまわりました。
「しめたぞ」と悪魔あくまは考えました。「一番上等じょうとう帽子ぼうしけて、あの男に買われて、ともかくも外に出てみるとしよう。ここにこうしていたんでは、窮屈きゅうくつ仕方しかたがない」
 その考えがうまくあたって、金くさり紳士しんしは、悪魔あくまけてる帽子ぼうしぼうしにをとめました。
「この帽子ぼうしはすてきだな、格好かっこうといい色つやといい、どうも……めずらしいよい帽子ぼうしだ。これにしよう。いくらだね」
 番頭ばんとうはその帽子ぼうしを手にって、小首をかしげてながめました。自分の店にあるのだが、どうも見馴みなれないすてきな帽子ぼうしなんです。でも、高く買ってさえもらえばそんはないわけですから、とびはなれた高いで売りつけました。紳士しんしはその帽子ぼうしがよほど気に入ったとみえて、たくさんのお金をはらい、古い帽子ぼうしててしまって、新しい帽子ぼうしを頭にかぶって外に出ました。
 悪魔あくまはおかしさをこらえてましてきっていましたが、今こうして、ハイカラな洋服ようふく紳士しんしの頭にのっかって、にぎやかな大通りを通ってるうちに、非常ひじょう愉快ゆかい得意とくい気持きもちになって、ぐっとかえりながら、すのもわすれてしまいました。
 やがて紳士しんしは、ある立派りっぱ洋食ようしょくへはいって昼の食事しょくじはじめました。悪魔あくま帽子ぼうしがよほど気に入ったとみえて 入口のくぎにもかけずに、ちゃんと食卓しょくたくの上にのせておきました。
 次々つぎつぎ見事みごと料理りょうりさらはこばれました。食卓しょくたくの上に帽子ぼうしとなってひかえてる悪魔あくまはなにも、うまそうなにおいがぷーんとつたわってきました。すると悪魔あくまきゅう空腹くうふくおぼえました。考えてみると、昨日きのうばんから何にも食べていなかったのです。
「うまそうな料理りょうりだな。下水の中にながれてくるものなんかとは、くらべものにならない。ああいいにおいがしてる。それにおれはらはぺこぺこだ……かまうもんか、少しぬすいをやれ」
 そして悪魔あくまは、紳士しんしがビールのコップを手にとって、ぐーっとんでるすきすきに、さらの中の料理りょうりをぺろりとほおってしまいました。それにあじをしめて、つぎさらのもそのつぎさらのも、大きい口でぺろりと頬張ほおばってしまいました。
 紳士しんしはビールを一口んで、さて料理りょうりを食べようとすると、さらの中にはもう何にもありません。
「おかしいな。どうも……」
 つぎさらもそうなものですから、しまいに紳士しんしりょううでをくんで考えこみました。
「今日はへんな日だな。ゆめでもみてるのかしら」
 こつんとひたいを一つたたいて、それからいそいで勘定かんじょうをして外にしました。大事だいじ帽子ぼうしを頭にのせることはわすれませんでした。
 空はやはりからりと晴れて、日がっていました。けれど、いつしか風が出て、大通りをさっさっとぎていました。それでも悪魔あくまは、うまい料理りょうりはらがいっぱいになって、紳士しんしの頭にのっかったまま、ついうつらうつらとねむはじめました。
 しばらくたってひらくと、そこもやはりにぎやかな大通りで、ハイカラ洋服ようふく紳士しんしはステッキをりながらへんなしかめ顔をして歩いていました。きっとはらいてるんだな、と思うと悪魔あくまは、きゅうにおかしくなって、ははははとわらい出しました。がその声に自分でもびっくりして、首をちぢみこめるとたんに、何だかさむくなって、うつらうつらしてる間に風邪かぜかぜをひいたとみえ、大きなくしゃみが出てきました。
 紳士しんしおどろいて立ち止まりました。頭の上で笑声わら ごえいがして、つぎにくしゃみの音がしたのです。まさか、悪魔あくまけてる帽子ぼうしをかぶってるとは思わないものですから、あたりを見廻みまわしたり空をあおいだりして、きょとんとした顔つきで考えました。
へんだな」
 その時またさっと風がいてきました。悪魔あくまはそれにま正面しょうめんからきつけられて、くしゃんと、も一つくしゃみをしました。
「おや」
 こんどは紳士しんしも頭の帽子ぼうしに気がついたとみえて、手をあげて帽子ぼうしろうとしました。もう悪魔あくま絶対ぜったい絶命ぜつめいです。手にって見現みあらわされたら大変たいへんです。どうしようと思ったとたんに、ふといいことを考えついて、紳士しんしの頭がよこかたむいた拍子ひょうしに、風にばされたふうをして、ふーっと往来おうらいいにりて、ころころところがってはじめました。
 紳士しんし大事だいじ帽子ぼうしが風にばされたのを見て、後をっかけてきました。悪魔あくまにとっては、つかまえられたら一大事いちだいじです。一生懸命いっしょうけんめいころがってげました。
紳士しんしはどんど18:29 2013/04/27っかけてきます。そのうちに、立派りっぱ紳士しんし帽子ぼうしとがけっこをしてるのを見て、大勢おおぜいの人がおもしろがってついて来ました。
「よくころがる帽子ぼうしぼうしだな」
「まるで生きてるようだな」
「おかしな帽子ぼうしだな」
「つかまえてやれ、つかまえてやれ」
 大勢おおぜいの人が紳士しんし一緒いっしょになってっかけてきます。つかまったら最後さいごだ、と悪魔あくまは思って、くるくるくるくるまわりながら、一生懸命いっしょうけんめいしました。あまりころがったのでがまわって、めくら滅法めっぽうげてるうち、あるはしのところへやってきて、道をあやまったものですから、あっというまに川の中へみました。
「川にっこった、川にっこった」
「ぽかんとしていてやがる」
竿さおって来い、竿さおを」
 大勢おおぜいの人ががやがやさわてました。
 悪魔あくまは川にっこって、を白黒さしていましたが、やがて気がしずまると、きらきら光ってる太陽たいようが見えます。きしに立ってさわいでる大勢おおぜいの人が見えます。うらめしそうな顔をしてるハイカラ紳士しんしも見えます。
「はてどこへげたらいいかしら」>  そう思って見廻みまわすと、川のきし石垣いしがきに、大きな円いあなが口をいて、きたない水が中からながています。かぎなれたくさいにおいがしています。
「これだ」と悪魔あくまは心の中でさけびました。「おれ住居すまいだ。下水道の出口だ」
 そして、帽子ぼうしぼうしが水にながされるようなふうをして、つーっとおよぎだして、下水道の口の中にびこみました。
 それを見て、きしうえでは大変たいへんさわぎになりました。
帽子ぼうしおよいだ」
「下水道の中にんだ」 「おけの帽子ぼうしだ、おけだ」
不思議ふしぎ帽子ぼうしだ」
 わいわいさわてて下水道の口をのぞいています。しかしいつまでたっても、もう帽子ぼうし二度にどと出て来ませんでした。
 帽子ぼうしはもうちゃんともとの悪魔あくま姿すがたになって、下水道の口からちょっとのぞいて大勢おおぜいの人を見ると、こそこそと中の方へはいってゆきました。
「あぶないところだった。だがここまでくればもう大丈夫だいじょうぶだ。どうもへんさむい。めずらしいごちそうを食べて、あの男の頭の上でねむりをしたので、風邪かぜでも引いたのかな」
 そしてそこの下水道のおくのまっくらな中で、悪魔あくまは、また大きなくしゃみをしました。

不死ふしくすり
小川おがわ未明みめい

いち
 あるなつよるでありました。さんにん子供こどもらがむらなかにあったおおきなかしのしたあつまってはなしをしました。昼間ひるまあつさにひきかえて、よるすずしくありました。ことにこのしたかぜがあってすずしゅうございました。
 あか西にしやまにちしずんでしまって、ほんのりとあかくもがいつまでもえずに、はやしあいだのこっていましたが、それすらまったくえてしまいました。よるそらふかぬまなかをのぞくように青黒あおぐろえました。そのうちに、だんだんほしひかりがたくさんになってえてきました。
「さあ、またなにかおとぎはなしをしようよ。」
おつがいいました。
今日きょうへいばんだよ。」
こうがいいました。
 このさんにんおなむら小学校しょうがっこうへいっている、おなとしごろの少年しょうねんで、いたってなかがよく、いろいろのあそびをしましたが、このなつばんには、このかしのしたにきて、自分じぶんらがいたり、おぼえていたりしているいろいろのおとぎはなしをしあってあそびました。
 このとき、かしのが、さらさらといって、青黒あおぐろいガラスのようなそらりました。さんにんはしばらくだまっていましたが、おつへいかって、
「さあきみ、なにかはなしてくれたまえ。」
といいました。
 さんにんなかのもっとも年下とししたへいは、そらかんがえていました。このとき、とおきたかたうみ汽笛きてきおとがかすかにこえたのでありました。さんにんはまたそのおといてこころなかでいろいろの空想くうそうにふけりました。
「さあはなすよ。」
へいはいった。そのりこうそうなくろいかわいらしいほしひかりがさしてひらめきました。
「ああ、くよ、はやはなしたまえ。」
こうおつもいいました。
 へいは、つぎのようなはなしをしました。……
 むかしに、ある天子てんしさまがあって、すべてのくにをたいらげられて、りっぱな御殿ごてんてて、栄誉えいよ栄華えいがおくられました。天子てんしさまはなにひとつ自分じぶんおもうままにならぬものもなければ、またなにひとつ不足ふそくというものもないにつけて、どうかしてできることなら、いつまでもなずに、せんねんまんねんもこのきていたいとおもわれました。けれど、むかしからひゃくねんながくこのなかきていたものがありませんので、天子てんしさまはこのことを、ひじょうにかなしまれました。
 そこであるとき、巫女ふじょんで、どうしたら自分じぶん長生ながいきができるだろうかとわれたのであります。巫女ふじょ秘術ひじゅつをつくしててんかみさまにうかがいをたてました。そしていいましたのには、これからうみえてひがしにゆくとくにがある。そのくにきたかた金峰きんぽうせんというたかやまがある。そのやまみねのところに、自然しぜんいわでできたさかずきがある。そのさかずきてんいてささげられてある。ほし夜々よよにそのやまみねとおるときに、一滴いってきつゆとしてゆく。そのつゆせんねんまんねんと、そのさかずきなかにたたえられている。このきよらかなみずむものは、けっしてなない。それはにもまれな、すなわち不死ふしくすりである。これをめしあがれば、けっしてということはないと、天子てんしさまにもうしあげたのでありました。

きみ! 金峰きんぽうせんって、あのやまかい。」
といっておつは、あちらにえるやまほうしてへいいました。
「ああ、あのやまだって、んだおじいさんがいったよ。」
へいこたえました。
きみはそのはなしをおじいさんからいたのかい。」
こういました。
「ああ。」
と、へいかるくそれにこたえて、またはなしつづけました。
 天子てんしさまは家来けらいをおあつめになって、だれかそのくすりってきてくれるものはないかともうされました。みなのものはかお見合みあわして容易よういにそれをおけいたすものがありません。するとそのなかいちにんとしろうった家来けらいがありまして、わたしがまいりますともうました。天子てんしさまは、ごろから忠義ちゅうぎ家来けらいでありましたから、そんならなんじにその不死ふしくすりりにゆくことをめいずるから、なんじひがしほううみわたって、絶海ぜっかい孤島ことうにゆき、そのくに北方ほっぽうにある金峰きんぽうせんのぼって、不死ふしくすりり、つつがなくかえってくるようにと、くれぐれもいわれました。
 その老臣ろうしんは、つつしんで天子てんしさまのいのちほうじて、御前おまえをさがり、妻子さいし親族しんぞく友人ゆうじんらにわかれをげて、ふねって、ひがしして旅立たびだちいたしましたのであります。その時分じぶんには、まだ汽船きせんなどというものがなかったので、かぜのまにまになみうえただよって、よるひるひがししてきたのでありました。
 老臣ろうしんふねうえで、よるになればそら星影ほしかげあおいでふねのゆくえをり、またあさになれば太陽たいようのぼるのをてわずかに東西とうざい南北なんぼくをわきまえたのであります。そのほかはなにひとつまるものもなく、どこをても、ただ茫々ぼうぼうとした青海原あおうなばらでありました。あるときはかぜのためにおもわぬ方向ほうこうふねながされ、あるときはなみられてあやうくいのちたすかり、いくつきいくつきうみうえただよっていましたが、ついにあるのこと、はるかの波間なみましまえたのでおおいによろこび、こころはげましました。
 その家来けらいしまがりますと、おもったよりもひろくにでありました。そこでそのくにひとかって金峰きんぽうせんというやまはどこにあるかといってたずねましたけれど、だれひとりとしてっているものがなかったのです。
 その時分じぶん大昔おおむかしのことで、まだこのあたりにはあまりんでいるものもなく、みちけていなかったのでありました。家来けらい幾年いくとせとなくそのくにじゅうをさがしてあるきました。そして、ついにこのくににきて、金峰きんぽうせんというやまのあることをいて、艱難かんなんおかして、そのやまにのぼりました。
「そんなとしろうった家来けらいが、どうしてあんなたかやまにのぼったのだい。」
こう不思議ふしぎそうにしてへいいました。
「ほんとうに、あのやまへはだれものぼれたものがないというよ。」
おつこえをそろえていいました。
「いつであったか、探検たんけんたいのぼって、そのうちでちてんだものがあったろう。それからだれものぼったものがないだろう。」
こうがいいました。
「だけれど、その家来けらいはいっしょうけんめいになって、のぼったんだって、おじいさんがいったよ。」
へいがいいました。
「そうかい。それからどうなったい。」
熱心ねっしんおつこうにんいました。へいはまたかたつづけました。
 やまのぼると、巫女ふじょがいったようにいしさかずきがありました。そしてそのなかきよらかなみずがたまっていました。家来けらいたずさえてきたちいさな徳利とっくりなかにそのみずれました。そしてはやくこれをたずさえて、くにへもどって天子てんしさまにさしあげようとおもって、やまくだりました。
 家来けらいやまくだって、海辺うみべへきて、毎日まいにちその海岸かいがんとおふねていたのであります。けれど、いちそうもにとまりません。毎日まいにち毎日まいにちおきほうては、とおふねていますうちに、そのかいもなく、ふとやまいにかかって、それがもとになって、とお異郷いきょうそらでついにくなってしまいました。
さん
「それからどうなったい。」
と、こうへいたずねました。
「これで、もうおはなしわったんだよ。」
 へいほしれのしたそらをながめてこたえました。
「その家来けらいんでしまったから、天子てんしさまもんでしまったんだね。」
おつがいいました。
「それはそうさ、天子てんしさまも不死ふしくすりむことができなかったから、やはりとしおいってんでしまいなされたろう。」
へいがいいました。
「ばかだね、その家来けらい自分じぶんもそのくすりんで、そして天子てんしさまへも徳利とっくりなかれてってゆけばよかったのに。そうすればにんともななかったろうに。」
と、おつかんがえながら家来けらい智慧ちえのないのをわらっていいました。
「だって、天子てんしさまよりさきむのは不忠ふちゅうおもったかもしれないさ。」
こうがいいました。
 さんにんは、かしのしたこしろして、西南せいなん国境こっきょうにある金峰きんぽうせんほうながら、まだあのたかやまみねには不死ふしいずみがあるだろうかというようなことをはなして空想くうそうにふけりました。ほしれのしたよるそらたかやまのとがったみねくろくそびえてえます。そのみねうえにあたってひと金色きんいろほしがキラキラとかがやいています。
 さんにん子供こどもらは、よく祖母そぼや、母親ははおやから、よるごとにてんからろうそくがってくるとか、またしたかいで、このやまかみさまにいのりをささげるろうそくのが、そらおよいでやまみねのぼるとかいうような不思議ふしぎはなしむねなかおもしました。
かみさまというものはあるものだろうか。」
と、もっとも年少ねんしょうへいが、たまらなくなってためいきをしながらいいました。
学校がっこう先生せんせいはないといったよ。」
と、おつ教師きょうしのいったことをおもしていいました。
先生せんせいはどうして、ないことをっているだろう。」
と、こうおつのいったことにうたがいをはさみました。
ぼくはあるとおもうよ。そんなら、だれがあのほしや、やまや、この地球ちきゅうや、人間にんげんつくったのだろう。」
と、へいかがやひとみほしけてなみだぐみました。よるかぜかれて、かしのがサワサワとっています。
「そして、だれがこの人間にんげんつくったんだろう。」
と、へいこえふるわせてさけびました。
 さんにんはしばらくだまって、ふかおもいにしずんでいましたが、
不思議ふしぎだ。」
といいいました。
 すでに北国きたぐになつよるはふけてみえました。

ぼくにいさんだ
小川おがわ未明みめい

「おかあさん、ここはどこ?」
 おかあさんは、おとうとあかちゃんに、おちちませて、新聞しんぶんをごらんになっていましたが、よしちゃんが、そういったので、こちらをおきになって、絵本えほんをのぞきながら、
「さあ、どこでしょう。きれいなまちですね。よしちゃんもおおきくなったら、こんなところへいってごらんなさい。」と、おっしゃいました。
「おかあさん、このおおきなおさかなは、なんというの?」と、よしちゃんが、またききました。おかあさんは、
「このおさかなですか。これは、たらといって、きたさむうみにすんでいるのですよ。」と、おっしゃいました。よしちゃんが、おとうさんからっていただいた、絵本えほんをねっしんにていますと、もうおちちをたくさんんだあかちゃんは、こちらをて、不思議ふしぎそうなかおつきをして、きれいなごほんていましたが、かわいらしいすと、ごほんをしっかりとつかんでしまいました。
「おかあさん、たいへん、ぼく大事だいじなごほんしげるさんが、ってしまった。」と、よしちゃんは、わめきました。
 おかあさんは、びっくりして、どうかして、ちいさなしげるさんのをごほんからはなさせようとしましたが、なんといってもしげるさんは、はなしませんでした。
「いいだから、よしちゃん、すこしかしておいてくださいね。いまじきにはなすから。」と、おかあさんは、おっしゃいました。
 しげるさんは、ごほんをめずらしそうにながめていましたが、そのうちこれをおくちれてなめようとしました。
「あ、おかあさん、なめますよ。ぼく、もうきたなくしちゃったからいやだ。」といって、無理むりにそのごほんをひったくりました。すると、今度こんどあかちゃんは、大声おおごえげてしてしまいました。おかあさんは、おこまりになりました。
「さあ、チンチンゴーゴーをてきましょうね。」と、さけぶ、あかちゃんをいだいてがられました。
「おかあさん、どこへゆくの?」と、よしちゃんは、もはやごほんどころではありません。それよりも、やはりおかあさんといっしょに、電車でんしゃにゆきたかったのです。
しげるさんが、きげんをわるくしたから、すこしそとへつれていってくるのですよ。あなたは、おいえ留守るすをして、ごほんていらっしゃい。」と、おかあさんは、おっしゃいました。
 よしちゃんは、自分じぶんがわるくないのに、なぜこんな結果けっかになったのだろう。ごほんることよりは、おかあさんとごいっしょに、そとへいってみたほうが、どれほどおもしろいかしれぬとおもいましたから、
「いやだ、ぼくもいっしょにゆくんだよ。」と、よしちゃんは、しそうになりました。
こまりましたね。じゃ、あんたもいっしょにいらっしゃい。ごほんをちゃんとしまっておいでなさい。」と、おかあさんは、おっしゃいました。
 そとると、ふゆは、あたたかそうにくさらしていました。あるいえよことおると、まえはたけにさくがしてあって、にわとりがたくさんあそんでいました。
 もう、おかあさんにいだかれている、ちいさいおとうとしげるさんも、からついてきた、よしちゃんも、うれしそうなかおつきをして、元気げんきでありました。しばらくまって、にわとりあそんでいるようすをていますと、けんかをせずに、ひとつのえさつけても、たがいにつつきって、なかよくそれをべていました。
 これをよしちゃんは、
「おかあさん、おりこうのにわとりさんですね。」と、感心かんしんして、いいました。
「それごらんなさい。あかちゃんは、ちいさいのだから、らぬことがあっても、しかってはいけませんよ。」と、おかあさんは、おっしゃいました。なんにもわからない、ちいさいしげるさんは、ただ、にわとりうごくのをてうれしそうに、きゃっきゃっとよろこんでいました。
 それから、まちて、電車でんしゃました。
「チンチン、ゴーゴー。」といって、あかちゃんは、いつまでもかえろうとはしませんでした。よしちゃんは、はやくおいえかえってごほんたくなりました。やがて、かえってから、あかちゃんが、よしちゃんの大事だいじなおもちゃや、ごほんをいじっても、いままでのようにおこらずに、わらってていましたから、
「なんて、よしちゃんは、いいおにいさんでしょう。」と、おかあさんは、おほめになりました。
「そうだ、ぼくにいさんだもの。」と、よしちゃんは、はじめてつよこころおもいました。

あかるき世界せかい
小川おがわ未明みめい

いち ちいさな
 ちいさなつちやぶって、やっと三寸さんずんばかりのたけびました。は、はじめてひろ野原のはら見渡みわたしました。大空おおぞらくもかげをながめました。そして、小鳥ことりごえいたのであります。(ああ、これがなかというものであるか。)とかんがえました。
 どれほど、このなかることをねがったであろう。あのかたつちしたにくぐっている時分じぶんには、おなじような種子たねはいくつもあった。そして、くらつちなかで、みんなはいろいろのことをかたったものだ。
はやく、あかるいなかたいのだが、みんながいっしょにられるだろうか。」と、ひとつの種子たねがいうと、
「それはむずかしいことだ。だれがるかしれないけれど、あとはくさってしまうだろう。しかしたものは、んだ仲間なかまぶんきのびてしげって、幾十いくじゅうねんも、幾百いくひゃくねん雄々おおしく々しく太陽たいようかがやしたはなやかにらしてもらいたい。もし、ふたつなり、みっつなりが、いっしょにあかるい世界せかいることがあったら、たがいにってちからとなってらしそうじゃないか。」と、種子たねこたえました。
 みんなは、その種子たねのいったことに賛成さんせいしました。しかしみんながあかるい世界せかいしたったけれど、そのかいがなく、つちうえることをたものは、ただひとつだけでありました。
 こうして、いちほんは、この世界せかいたが、るもの、くものにこころおびやかされたのであります。みんなの希望きぼうまで、自分じぶん生命せいめいなか宿しゅくして、大空おおぞらたかえだひろげて、幾万いくまんとなくむらがったひとひとつに日光にっこうびなければならないとおもいましたが、それはまだとおいことでありました。
 最初さいしょ、このえたのをつけたものは、そらわたくもでありました。けれど、ものぐさな無口むくちくもは、ぬふりをして、そのあたまうえ悠々ゆうゆうぎてゆきました。
 は、とりをいちばんおそれていたのです。それは、代々だいだいからの神経しんけいつたわっている本能ほんのうてきのおそれのようにもおもわれました。あのいい音色ねいろうたとりは、姿すがたもまたうつくしいには相違そういないけれど、みずみずしいつけると、きっと、それをくちばしでつついて、ってしまうからです。そのくせ、とりおおきくなってしげったあかつきには、かってにそのえだつくったり、またよるになると宿やどることなどがありました。そんなことを予覚よかくしているようなは、小鳥ことり自分じぶん姿すがたいだされないように、なるたけいしかげや、くさかげかくれるようにしていました。
 くちやかましい、そして、そそっかしいかぜが、つぎにつけました。
「おお、ほんとうにいいだ。おまえは、まつには大木たいぼくとなるばえなんだ。おまえのれたとしろうったおやは、よくこの野原のはらなかおれたちと相撲すもうったもんだ。なかなか勇敢ゆうかんたたかったもんだ。この世界せかいひろいけれど、ほんとうにおれたちの相手あいてとなるようなものはすくない。はじめからんでいるも同然どうぜんまち建物たてものや、人間にんげんなどのつくったいえや、堤防ていぼうやいっさいのものは、打衝ぶつかっていっても、ほんとうにんでいるのだからいがない。そこへいくと、おまえたちや、うみなどは、きているのだから、おれ打衝ぶつかってゆくとさけびもするし、また、たたかいもする。おれは、じっとしていることはきらいだ。なんでもけまわっていたり、あらそったりみついたりすることが大好だいすきなのだ。」
 は、まだうえまれてから、幾日いくにちもたたないので、ものをてもまぶしくてしかたがないほどでありましたから、こう、かぜにおしゃべりをされると、ただそらこわろしいような、はんふんばかり意味いみがわかって半分はんぶん意味いみがわからないような、どきまぎとした気持きもちでいたのであります。
「しかし、おまえは、大木たいぼくになるばえだとはいうものの、それまでには、おおかみにまれたり、きつねにまれたりしたときには、れてしまおう。そうすれば、それまでのことだ。だからからだきたえなければならない。」と、宇宙うちゅう浮浪ふろうしゃであるかぜは、かたってかせました。
 あわれなは、かぜのいうことをともかくも感心かんしんしていていましたが、
「それなら、どうしたら、わたしつよくなるのですか。」と、は、かぜいました。
 かぜは、いちだんと悲痛ひつう調子ちょうしになって、
「それには、おれがおまえをきたえるよりしかたがない。いまおまえは、まだちいさくておしえてもうたえまいが、いんまにおおきくなったらおれおしえた『曠野あらのうた』と、『放浪ほうろううた』とをうたうのだ。」と、かぜは、にむかっていいました。
無窮むきゅうから、無窮むきゅう
ゆくものは、だれだ。
おまえは、その姿すがたたか、
魔物まものか、人間にんげんか。
くろ着物きものをきて
やぶれた灰色はいいろはたがひるがえる。
 かぜは、うたってかせました。そして、つよく、つよしました。ばかりでなく、野原のはらえていた、すべてのくさや、はやしが、おどろいてさわしました。ちゅうにも、このちいさなは、やわらかなあたまをひたひたとさして、いまにもちぎれそうでありました。
 粗野そやで、そそっかしいかぜは、いつやむとえぬまでにいて、いてつのりました。は、もはやをまわして、いまにもたおれそうになったのであります。
 このとき、太陽たいようは、るにかねて、かぜをしかりました。
「なんで、そんなにちいさいをいじめるのだ。おまえがさわくるいたいとおもったなら、たかやまいただきへでも打衝ぶつかるがいい、それでなければ、よるになってから、だれもいないうみなかなみ相手あいてたたかうがいい。もうこのちいさなをいじめてくれるな。」と、太陽たいようはいいました。
 かぜは、太陽たいようかってびつきそうに、そらおどあががりました。そうしてさけびました。
わたしは、このちいさなをいじめるのではありません。つよく、つよく、つよくならなければ、どうしてこの曠野あらのなかでこのちましょう。そうするにはわたしが、を、つよくするようにきたえなければならないのです。」
 太陽たいようは、あきれたようなかおつきをして、しばらくぼんやりと見下みおろしていましたが、
わたしのいうことをまもらんと、おまえを三千さんせん四千よんせんとおかたいやってしまうぞ。これから、おおきくなるまで、おまえはけっして、あんなにはげしくいてはならない。」と、太陽たいようかぜめいじました。
 かぜは、こえひくく、「放浪ほうろううた」をうたいながら、うみほうをさしてってしまいました。で、太陽たいようあわれなをじっとながめたのであります。
「もうおどろくことはない。おまえをくるしめたかぜとおくへってしまった。これからあとは、わたしがおまえを見守みまもってやろう。」と、太陽たいようはいいました。
 は、まれてなか予想よそうをしなかったほど、複雑ふくざつなのにあたまなやましました。そして、空恐そらおそろしさにふるえていました。
「おまえはさむいのか。なんでそんなにふるえているのだ。」と、太陽たいようは、あやしんできました。
 は、かぜかれて、からだがたいへんにつかれてきました。そして、のどがこのうえもなくかわいていたので、ただあめってくれることをのぞんでいましたが、しかし、そんなことをくちしていいもされずに、不安ふあんにおそわれてふるえていたのです。
「かわいそうに、おまえは、ものがいえないほどさむいのか。それで、ふるえているのだろう。もう安心あんしんするがいい。かぜは、あちらへいってしまった。わたしが、おまえをおもいきってあたためてやるから。」と、太陽たいようはいいました。
 そして、太陽たいようは、きゅうねつひかりをましました。そのねつくもさんじてしまいました。そして、やっとうえびたばかりのは、ちいさながしぼんで、ほそみきかわいて、ついにれてしまいました。
 太陽たいようは、そのことにはづかずに、日暮ひぐかたまで下界げかいらしていました。
 幸福こうふくしま
 あるくににあったはなしです。人々ひとびとは、ながあいだはんしたような生活せいかつつかれていました。毎日まいにちおなじようなことをして、あさになるとはねきて、はたらき、い、そしてにちれるとねむることにもきてしまいました。
 みんなは、なかよくらすことを希望きぼうしていましたけれど、どうしても、このことばかりはできなかったというのは、あるひとがたくさんかねがもうかったときには、一方いっぽうではまたたいへんにそんをするというようなぐあいで、みんなの気持きもちがいつもひとつではなかったから、おこるものもあれば、またよろこぶものがあり、ちゅうにはくものまたわらうものがあるというふうで、そのあいだ嫉妬しっと嘲罵ちょうばえるひまもなかったのでありました。
「ああ、なんでおれたちは、まれてきたのだろう。まれたかいがないというものだ。毎日まいにち、こんなようなおなじことをかえしてんでしまわなければならないのか?」と、人々ひとびとはためいきをついていいました。
 はるになると、はなきました。ちょうどそのくに全体ぜんたいはなかざられるようにみえました。なつになると、青葉あおばでこんもりとしました。そして、あきがくる時分じぶんには、どこのはやしも、おかも、もりも、黄色きいろになってかぜのまにまにそれらのりはじめました。ふゆぎ、またはるがめぐってくるというふうにかえされたのであります。
 このくにには、むかしからのことわざがありまして、なつ晩方ばんがたうみうえにうろこくものわいたに、うみなかげると、そのひとかいまれわる。また、さんねんもたつと、うみうえにうろこくもがわいたに、そのかい白鳥はくちょうわってしまう。白鳥はくちょうになると自由じゆうそらぶことができる、白鳥はくちょうとおい、とおい、おきのかなたにある「幸福こうふくしま」へんでゆくというのであります。
幸福こうふくしまがあるというが、それはほんとうのことだろうか。」
 あるひとが、このくにでいちばん物知ものしりといううわさのたかひとむかっていました。物知ものしりはもうだいぶとしをとった、白髪はくはつのまじった老人ろうじんでありました。
「それはほんとうのことだ。幸福こうふくしまへゆけば、いまこのくにでまちがっているようなことは、たとえようとおもってもられない。そのうえ、やまへゆけばがしげっている。つちればいいみずがわいてくる。いわやぶれば、きんぎんどうてつなどがひかっている。野原のはらにははなみだれ、や、はたけにはしぜんと穀物こくもつしげっている。そこへさえゆけば、ひとねむっていてらく生活せいかつがされるから、たがいにあらそうということをらない。ただ、しかしその幸福こうふくしまへいくのが容易よういでない。なみあらいし、おそろしいかぜく、また、ふかうみなかには魔物まものがすんでいて、とおふねくつがえしてしまう。だれも、まだそのしまにいったものがないが、しまには、人間にんげんんでいるということだ。また幸福こうふくしまおんなは、天使てんしのようにうつくしいということだ。むかしから、そのしまへいってみたいばかりに、かみがんをかけてかいとなったり、さんねんあいだうみなか修業しゅうぎょうをして、さらに白鳥はくちょうとなったり、それまでにして、このしまあこがれてんでゆくのであった。しろとりは、そのしまにゆくと、はないている野原のはらうえうのである。またあるときは、いつもみどりいろわらないはやしなかうたい、あるときは、うつくしいおんなかたまってあいされもするというが、じつに不思議ふしぎなことだ。」
 物知ものしりの老人ろうじんこたえました。このはなしいたひとは、をみはりました。そしておどろきました。
「なぜ、こんな不思議ふしぎはなしをもっとはやく、みんなにかせてはくださらなかったのですか。」と、老人ろうじんかっていいました。
「こういうはなしは、なかさわがせるものだから、あまりしないほうがいいとおもったのだ。」と、物知ものしりはこたえました。
 このはなしは、いつかくにじゅうにつたわりひろまったのであります。
 生活せいかつ興味きょうみうしなっているわか人々ひとびとなかでは、毎日まいにちうなだれてしずんでいるものもありましたが、一命いちめいけても、幸福こうふく世界せかいいだしたいとおもったものもありました。そして、なつうみのかなたにかたむいて無数むすうのうろこくもうつくしく花弁かべんのようにそらりかかったときに、げてんだものもありました。
 こうして、んだ人々ひとびとたいしては、だれもかなしいというようなかんじをいだきませんでした。このままこのくにちてしまってつちとなるよりは、まれわって幸福こうふくしまへゆくことがどれほどたのしい愉快ゆかいなことであるかしれなかったからです。
 そして、うみなかげてぬほどの勇気ゆうきもなく、いたずらに、みにくとしってれるようにんでしまうことが、そのうつくしいくらべたら、どんなにか陰気いんきで、またくら事実じじつでありましたでしょう?
 にちしずむころになると、毎日まいにちのように、海岸かいがんをさまよって、あおい、あおい、そして地平線ちへいせんのいつまでもくらくならずに、あかるいうみあこがれるものがいくにんとなくありました。うみは、永久えいきゅうにたえず美妙びみょううたをうたっています。そのうたこえにじっとみみをすましていると、いつしか、青黒あおぐろそこほうめられるような、なつかしさをかんじました。
 まれには、つきひかりが、なみうえしずかにらすよるになってから、かんがきわまって、とつぜんうみなかおどらしたものもあったのです。
 まれわるという信仰しんこうが、どれほど味気あじけない生活せいかつ活気かっきをつけたかしれません。「」ということがこんなに、このときほど意義いぎのあることにおもわれたかわかりません。
なずに幸福こうふくしまわたれないものだろうか。」
 おおくの人々ひとびとなかには、うみげてしまって、はたして、ふたたびまれわるだろうかといううたがいをもったものもおります。その人々ひとびとなずに、どんな冒険ぼうけんでもやってみて、そのしまへたどりきたいものだとおもいました。そして、そのことをとしよりの物知ものしりにたずねました。
「ゆけないこともあるまいが、なにしろとおい。そのしまわたるまでにはこわろしいふういているところがある。また、大波おおなみ渦巻うずまいているところがある。魔物まもののすんでいるふかうみをもとおらなければならない。その用意よういじゅうふんできるなら、ゆけないこともないだろう。」と、なんでもっている老人ろうじんこたえました。
 かんがふかい、また臆病おくびょうひとたちは、たとえその準備じゅんび幾年いくとせついやされても十分じゅうぶん用意よういをしてから、とお幸福こうふくしまわたることを相談そうだんしました。
 それからというものは、みんなははたらくことにいをました。あるものは、うみわたふねについて工夫くふうらしました。あるものは、いろいろな器具きぐについてかんがえました。またあるものは、そのしまについてからのことなどを研究けんきゅうしてあたまなやましました。しかしそのなやみは、すえ幸福こうふくることのために愉快ゆかいでありました。はやく、その未知みちしまにゆきたいものだとみんなはこころおもいました。どんな困難こんなん辛苦しんくがこのあとあってもそれをけてゆこうという勇気ゆうきがみんなのこころにわいたのであります。
 太陽たいようは、あかく、かたになるとうみのかなたにしずみました。そのとき、ほのおのようにえるくも地平線ちへいせん渦巻うずまいていました。
幸福こうふくしまは、あのくもしたのあたりにあるのだろう。」と、みんなはそのほうのぞみながら、いいました。やがて、にちがまったくしずんで、そらいろがだんだんくらくなると、地平線ちへいせんなみあらわれて、くもいろえてゆくのをしんだのであります。
 あるのこと、人々ひとびとがいつものごとく、海岸かいがんっておきほうをながめていました。そのとき、なにかひとくろてんのようなものが、夕空ゆうぞらをこなたにかってだんだんちかづいてくるようにえたのであります。みんなはしばらく、をみはってそのものにをとられていました。
「あれは、なんだろうか。こちらにかってこいでいるようだ。」
幸福こうふくしまから、さきがけをして、こちらのくにへやってきたのではないか。」
「なんにしても、いまにいたら、すこしぐらいおきのようすがわかるだろう。」と、みんなは、くびをばしてくろいもののこのきし近寄ちかよるのをっていました。
 だんだんとそのくろいものはちかづいたのであります。すると、ちいさなふねで、それにはさんにんのものがっていたのであります。やっとそのふねなぎさきました。ふねからりたさんにんのものは、ばかりするどひかって、ひげはくろく、頭髪とうはつはのびて、ほとんど、ほねかわばかりにやせおとろえていたのです。
「みんなおれたちのかおをばわすれてしまったろう。じゅうねんばかりまえにおきて、大風おおかぜのためにとおくへながされたものだ。」と、そのなかのいちばんたかおとこがいいました。
 人々ひとびとは、じゅうねんばかりまえにあっただい暴風雨ぼうふううよるのことを記憶きおくからこしました。そして、さんにんのものがいまだに行方ゆくえ不明ふめいであることをおもしたのであります。
「よくかえってきた。もうみんなはんだものとおもっていた。おまえたちは、幸福こうふくしまにでもすくわれていたのか?」と、群集ぐんしゅうなかから、いちにんがいいました。
幸福こうふくしま?」と、そのとき、さんにんなかいちにんが、自分じぶんみみあやしむように、おおきなこえしました。
「そうだ。幸福こうふくしまながあいだんでいたかとくのだ。」と、群集ぐんしゅうなかからいちにんこたえました。
「ばかにするのか? 地獄じごくから、やっとしてきたおれたちにかって、幸福こうふくしまとはなんのことだ?おまえがたは、久々ひさびさかえってきたものを侮辱ぶじょくするつもりなのか。」と、さんにんは、あおかおをしておこりました。
 みんなは、意外いがいなできごとにおどろいて、さんにんをやっとのことでなだめました。
「ちょうど、ここからると、あの太陽たいようしずむ、渦巻うずまほのおのようなくもしただ。そのしまくと、さんにんはひどいめにあった。あさからばんまで、けだものぶつのように使役しえきされた。おれたちはどうかしてこのしまからしたいものだとおもったけれど、どうすることもできなかった。にちれると海辺うみべては、をたいて、もしやこの火影ほかげつけたら、すくいにきてはくれないかと、あてもないことをねがった。さんにんは、ついにおかうえ獄屋ごくやれられてしまった。そして、ながあいだ、その獄屋ごくやのうちで月日つきひおくったのだ。たまたまつきかげが、まどからもれると、そのつきとおうみのかなたのふるさとをしのんだ。あるばんのこと、さんにんは、そのまどからした。そして、ようようのおもいで、たすかってここまでげてきたのだ。」と、さんにんは、くわしく物語ものがたりました。みんなは、年寄としよりの物知ものしりにあざむかれたことをいきどおりました。
「ああ、おれたちはばかだった。あの老人ろうじんが、自分じぶんでいきもしない『幸福こうふくしま』などというものをっているはずがなかったのだ。あの老人ろうじんを、だれがいったい物知ものしりなどといったのだ。そして、あの老人ろうじんのおかげでいくにんうみなかげてんだかしれない。」
 みんなは、老人ろうじん海岸かいがんへひきずってきました。そして、みんなをあざむいたことをなじりました。すると、老人ろうじんは、案外あんがい平気へいきかおをしていいました。
むかしは、『幸福こうふくしま』だったのだ。しかし、それがいま『わざわいしま』にわってしまったのだ。それをだれがっていよう。けっして、わたしつみじゃない。」
 けれど、みんなは老人ろうじんのいうことを承知しょうちしませんでした。そしてついに老人ろうじんさんにんってきた小船おぶねせて、おきほうながしてしまいました。みんなは、これで復讐ふくしゅうがとげられたとおもいました。もうこれからは、みんな物知ものしりなどというものがいなくて、このくに人々ひとびとまよわされる心配しんぱいのないのをよろこびました。しかし、そうしたよろこびもつかのまのことでありました。
 みんなは、また、まえのようにきているのぞみをうしなってしまいました。なんのために、自分じぶんらは、こうして味気あじけない生活せいかつをつづけなければならぬのか。
わざわいしまでもいいからいってみたい。」といって、まれにはふねしていくものもありました。
 未知みち世界せかいあこがれるこころは、「幸福こうふくしま」でも、また、「わざわいしま」でも、極度きょくどたっしたときはわりがなかったからです。とにかく、みんなは、たがいに欲深よくふかであったり、嫉妬しっとしあったり、あらそったりする生活せいかつ愛想あいそをつかしました。そして、これがほんとうの人生じんせいであるとは、どうしてもしんしんじられなかったのであります。

夕焼ゆうや物語ものがたり
小川おがわ未明みめい

いち
 さんにんむすめらは、いずれもあまりんでいるいえ子供こどもでなかったのです。
 あるはるすえのことでありました。むらにはおまつりがあって、なかなかにぎやかでございました。
 さんにんむすめらも、いっしょにうちつれておみやほうへおまいりにゆきました。そうして、あそんでやがてにちれかかるものですから、さんにん街道かいどうあるいていえほうへとかえってゆきました。
 すると、あちらの浜辺はまべほうから、一人ひとりのじいさんがひとつのちいさな屋台やたいをかついで、こっちにあるいてくるのにあいました。それはよく毎年まいとしはるからなつにかけて、この地方ちほうへどこからかやってくる、からくりをせるじいさんにていました。
 さんにんむすめらはたがいにかお見合みあって、ひとつのぞいてみようかと相談そうだんいたしました。
「おじいさん、いくらでせるの?」
と、むすめ一人ひとりがいいますと、じいさんはかついでいた屋台やたいろして、わらって、
「さあさあごらんなさい、おかねいちせん。」
といいました。
 さんにん一人ひとりずつその屋台やたいまえって、ちいさなあなをのぞいてみました。すると、それには不思議ふしぎな、ものすごい光景こうけいうごいてました。よくおばあさんや、おじいさんからはなしいているひとせんひめさまがさらわれて、白帆しらほってあるふねせられて、くらい、荒海あらうみなかおにのような船頭せんどうがれてゆくのでありました。さんにんは、それをわってしまうと、
「ああ、こわい。かわいそうに。」
と、ちいさなためいきをもらしていいました。
 そのとき、じいさんは、さんにんむすめらをて、わらっていましたが、
「おまえさんがたは、いずれも正直しょうじきな、おとなしい、しんせつないいだから、わたしがいいものをあげよう。このかみになんでも、おまえさんがたのしいとおもうものをいて、夕焼ゆうやけのした晩方ばんがたうみながせば、れることができる。」
といって、じいさんはさんまいあかちいさなかみきれをして、さんにんむすめわたしたのでありました。さんにんは、それをいちまいずつもらってかえりました。
 さんにんむすめらは、みんなの希望きぼうを、そのあかかみきました。一人ひとりは、
「どうかきれいなくしと、いい指輪ゆびわをください。」
きました。一人ひとりは、
「わたしにオルガンをください。」
きました。もう一人ひとりむすめは、かみすくない、ちぢれたでありました。そのむすめは、いたって性質せいしつ善良ぜんりょうな、なさけのふかでありました。彼女かのじょは、んだねえさんのことをおもわないとてなかったのであります。なんでも希望きぼうけば、それをかみさまがきとどけてくださるというものですから、むすめは、そのあかかみに、
「どうかねえさんにあわしてください。」
きました。
 さんにんむすめは、それぞれ自分じぶんらののぞみをいたかみって、ある夕焼ゆうやけのうつくしい晩方ばんがた浜辺はまべにまいりました。きたうみいろさおで、それに夕焼ゆうやけのあかいろながしたようにいろどってうつくしさはたとえるものがなかったのです。
 さんにんはあるいわうえちまして、きれいなたいまいしょくくもそらんでいました。むすめらはっているあかかみちいさないしつつんで、それを波間なみまめがけてげました。やがてあかかみだい海原うなばらなみあいだしずんでしまって、えなくなったのであります。
 さんにんいえかえって、やがてそのよるゆかについてねむりました。そうして、くるあさひらいてみますと、不思議ふしぎにも、一人ひとりむすめのまくらもとには、みごとなくしと、ひかった高価こうか指輪ゆびわがありました。また一人ひとりむすめのまくらもとには、いいオルガンがありました。そうして、もう一人ひとりのちぢれかみむすめのまくらもとには、あかいとこなつくさがありました。そのむすめは、不思議ふしぎおもって、そのはなにわえました。そうして、朝晩あさばんはなみずをやって、彼女かのじょはじっとそのはなまえにかがんで、そのはな見入みいりました。すると、ありありとねえさんの面影おもかげが、その、かがやいたとこなつの花弁かべんなかるのでありました。
 少女しょうじょは、こえをあげんばかりにおどろき、かつよろこびました。そして、いつでもねえさんをおもすと、彼女かのじょはそのはなまえにきて、じっとながめたのであります。そのねえさんの姿すがたは、ものをこそいわないけれど、すこしもむかしのなつかしい面影おもかげわりがなかったのです。
 少女しょうじょは、毎日まいにち毎日まいにち、そのはなまえにきてすわっておりました。

 またほかの二人ふたりむすめらは、一人ひとりは、うつくしいくしをあたまし、きれいな指輪ゆびわをはめています。一人ひとりは、いい音色ねいろのするオルガンをらしてうたをうたっています。あるのこと、ちぢれかみ少女しょうじょは、ともだちにあってみますと、一人ひとりは、うつくしいくしと指輪ゆびわっているし、一人ひとりは、いい音色ねいろのするオルガンをっていますので、なんとなく、それをこころのうちでうらやみました。
 彼女かのじょいえかえると、ひとりで、はなまえって、
「ああ、わたしも、あんな指輪ゆびわとオルガンがしいものだ。」
と、ちいさなこえでいったのであります。
 このとき、どこからともなく、しろとりんできました。そして、不意ふいにわいているとこなつのはなをくわえて、どこへとなくんでいってしまいました。
 少女しょうじょは、このさまおどろきました。そして、そこにきくずれました。
「ああ、わたしがわるかった、のものなどをうらやんだものだから……かみさまにたいしてすまないことをした。ああ、どうしたらいいだろう。」
といって、してわめきました。けれど、もはやどうすることもできません。
 いくらねえさんにあいたいたって、もはや、とこなつのはなはなかったのであります。もう二度にどと、そのはなまえって、なつかしいねえさんのかおることができなかったのです。
 少女しょうじょはどうかして、あのとこなつとおなじいはなはどこかにいていないかとおもって、毎日まいにちのように浜辺はまべさがしてあるきました。浜辺はまべにはいろいろなあおや、しろや、むらさきや、空色そらいろはななどがたくさんにいていました。けれどあのあかいとこなつとおなじいはなつかりませんでした。少女しょうじょねえさんの面影おもかげおもしては、こいしさのあまりきました。そして、そのくるも、また彼女かのじょ浜辺はまべては、草原くさはらなかさがしてあるきました。
 夕焼ゆうやけはいくたびとなく、うみのかなたのそらめてしずみました。少女しょうじょいわかどって、なみだながらにそれをながめたのでありました。
 あるのこと、彼女かのじょは、いつかあかかみいしつつんでげたいわうえにきて、うみのぞみながら、かみさまにわせて、しずかにいのりました。
「どうぞもう一度いちど、あのとこなつのはなをくださいまし。わたしがほかのものをうらやみましたのはあくうございました。どうぞおゆるしください。」
といいました。
 すると、夕焼ゆうやけのしたかなたのそらほうから、またしろいちとりんできました。そして、少女しょうじょのすわっているあたまうえにきて、くわえてきたいちほんのとこなつのはなとしました。少女しょうじょはそれをて、ゆめかとばかりよろこんで、これをひろいあげました。それは、いつかにわえておいたはなとまったくおなじでありました。彼女かのじょは、そのはな接吻せっぷんしてかみさまにおれいもうしました。しかし、そのはなにはがなかったのであります。
 少女しょうじょは、せっかくしろとりがくわえてきてくれたはなのないのをかなしみました。けれど、彼女かのじょはどうかして大事だいじにして、いつまでもそのはならさないようにしなければならぬとおもって、かみしていさんでいえかえりました。すると、はなはいつのまにやら、まったくしおれていました。少女しょうじょはあまりのかなしさに、はなかかえてこえをあげてきました。
 みんなは、少女しょうじょくもので、どうしたのかとおもってはいってきてみてびっくりしました。
「まあ、どうしておまえさんは、まれわったようにかみがたくさんになって、しかもくろくなって、うつくしくなったのか。」
といってさわぎました。
 少女しょうじょはこれをきますと、そんなら自分じぶんすくない、ちぢれたあかいろかみわったのだろうかとおもって、あたまげてれてみますと、なるほど、ふさふさとしてたくさんになっています。これはゆめでないかとおどろきまして、さっそくかがみまえにいってうつった姿すがたますと、くろなつやつやしたかみがたくさんになって、そのうえ自分じぶんかおながら、見違みちがえるようにうつくしくなっていました。少女しょうじょは、これをると、いままでいていたかなしみはわすれられて、おもわずほほえんだのでありました。
 ごろから、このむすめはおとなしい、なさぶかい、やさしい性質せいしつのうえに、きゅうにこのようにうつくしくなったものですから、むら人々ひとびとからはそのますますほめられ、あいされたということであります。

(なし)()
小山内(おさない)(かおる)

 (わたし)がまだ(むっ)つか(なな)つの時分(じぶん)でした。
 (ある)()近所(きんじょ)天神(てんじん)さまにお(まつり)があるので、(わたし)乳母(ばあや)をせびって、一緒(いっしょ)にそこへ()れて()ってもらいました。
 天神(てんじん)(さま)境内(けいだい)大層(たいそう)人出(ひとで)でした。飴屋(あめや)()ています。つぼ(しょう)()()ています。切傷(きりきず)()(なお)膏薬(こうやく)()っている(みせ)があります。見世物(みせもの)には猿芝居(さるしばい)山雀(やまがら)曲芸(きょくげい)、ろくろ(くび)山男(やまおとこ)地獄(じごく)極楽(ごくらく)のからくりなどという、もうこの(ころ)ではたんと()られないものが(のき)(なら)べて()ていました。
 (わたし)乳母(うば)()()かれて、あっちこっちと()(ある)(うち)に、ふと(しゃ)裏手(うらて)()()大勢(おおぜい)(じん)(あつ)まっているのを()つけました。
 (そば)()って()ると、そこには小屋(こや)(がけ)もしなければ、日除(ひよけ)もしてないで、(ただ)野天(のてん)平地(ひらち)親子(おやこ)らしいお(じい)さんと(おとこ)()()っていて、それが大勢(おおぜい)見物(けんぶつ)()()かれているのです。
 (わたし)(まえ)大人(おとな)大勢(おおぜい)()っているので、よく()えません。そこで、乳母(うば)背中(せなか)におぶさりました。すると、そのお(じい)さんのしゃべっている(こと)がよく(きこ)えて()ました。
「ええ。お()()いの。わたくしは皆様(みなさま)(かた)のお(のぞ)みになる(こと)なら、どんな(こと)でもして御覧(ごらん)()れます。大江山(おおえやま)(おに)()べたいと(おっ)しゃる(ほう)があるなら、大江山(おおえやま)(おに)酢味噌(すみそ)にして()()げます。足柄(あしがら)(やま)(くま)がお入用(いりよう)だとあれば、(ただし)ぐここで足柄(あしがら)(やま)(くま)をお(わん)にして()()げます……」
 すると見物(けんぶつ)一人(ひとり)が、(おお)きな(こえ)でこう(どな)りました。
「そんなら(じじい)い、(なし)()()って()い。」
 ところが、その(とき)(ふゆ)で、地面(じめん)(うえ)には二三(にさん)(にち)(まえ)()った(ゆき)が、まだ方々(かたがた)(しろ)(のこ)っているというような(とき)でしたから、(じい)さんはひどく(こま)ったような(かお)をしました。この(ふゆ)真最中(まっさいちゅう)(なし)()()って()いと()われるのは、大江山(おおえやま)(おに)酢味噌(すみそ)()べたいと()われるより、足柄(あしがら)(やま)(くま)のお(わん)()いたいと()われるより(つら)いというような(かお)つきをしました。
 (じい)さんは(しばら)(ぐち)(なか)で、(なに)かぶつぶつ()ってるようでしたが、やがて(なに)(かんが)えが(うか)んだように、(にわか)にニコニコとして、こう(もう)しました。
「ええ。(かしこま)りました。だが、この寒空(さむぞら)にこの土地(とち)(なし)()()()れる(こと)出来(でき)ません。(しか)し、わたくしは(こん)(なし)()沢山(たくさん)になっているところを()っています。それは」
(そら)(ゆび)さしまして、
「あの天国(てんごく)のお(にわ)でございます。ああ、これから天国(てんごく)のお(にわ)(なし)()(ぬす)んで(まい)りますから、どうぞお()()められて()一覧(いちらん)(ねが)います。」
 (じい)さんはそう()いながら、(そば)()いてある(はこ)から(なが)(つな)(おお)きな(たま)になったのを()()しました。それから、その(たま)をほどくと、(つな)(ひと)つの(はじ)()って、それを(いきおい)よく(そら)()()げました。
 すると、()()げた(あみ)(うえ)(ほう)(かぎ)(なに)かに()っかかりでもしたように、もう(した)()りて()ないのです。それどころではありません。(じい)さんが(つな)(たま)段々(だんだんに)々にほごすと、(つな)はするするするするとだんだん(そら)(ほう)へ、()ぐられでもするように、()がって()くのです。とうとう(つな)(さき)(ほう)は、(くも)(なか)(かく)れて、()えなくなってしまいました。
 もうあといくらも(つな)手許(てもと)(のこ)っていなくなると、(じい)さんはいきなりそれで子供(こども)(からだ)(ばく)りつけました。
 そして、こう()いました。
坊主(ぼうず)()って()い。(おれ)()くと()いのだが、(おれ)はちと(おも)()ぎる。ちっとの()辛抱(しんぼう)だ。()って()い。()って(なし)()(ぬす)んで()い。」
 すると、子供(こども)()きながら、こう()いました。
「お(じい)さん。御免(ごめん)よ。()(つな)()れて(たか)(ところ)から()っこちると、あたい()んじまうよ。よう。後生(こうせい)だから勘弁(かんべん)してお()れよ。」
 いくら子供(こども)がこう()っても、(じい)さんは()きませんでした。そうして、(ただ)(はや)くしろ(はや)くしろと子供(こども)をせッつくばかりでした。
 子供(こども)為方(しかた)なしに、()()(そら)から()がっている(つな)(さる)のように(のぼ)(はじ)めました。子供(こども)姿(すがた)段々(だんだん)(たか)くなると一緒(いっしょ)段々(だんだん)(ちい)さくなりました。とうとう(くも)(なか)(かく)れてしまいました。
 みんなは(くち)()いて、(あき)れたように(そら)(ほう)()ていました。
 そうすると、やがて不意(ふい)に、(おお)きな(なし)()()ちて()ました。それはそれは(いま)までに()(こと)もないような(おお)きな(なし)()でした。西瓜(すいか)ぐらい(おお)きな(なし)()でした。
 すると、(じい)さんはニコニコしながら、それを(ひろ)って、自分(じぶん)()(そば)()っている見物(けんぶつ)一人(ひとり)に、おいしいから()べて御覧(ごらん)なさいと()いました。
 途端(とたん)に、(そら)から(なが)(あみ)がするすると()ちて()ました。それが、()ている()に、するするするすると()ちて()て、(たちま)(じい)さんの()(まえ)(やま)のようになってしまいました。
 すると(じい)さんが(あお)くなって(さけ)びました。
「さあ、大変(たいへん)だ。(まご)はどうしたのでございましょう。(まご)はどうして()りて()るのでございましょう」
 そう()ってる途端(とたん)に、どしんという(おと)がして(なに)(そら)から(おっ)こって()ました。
 それは子供(こども)(あたま)でした。
「わあ、大変(たいへん)だ。(まご)はきっと天国(てんごく)(なし)()(ぬす)んでるところを庭師(にわし)(つか)まって、(くび)()られたに(ちが)いない。ああ、わしはどうして(まご)をあんな(おそ)ろしい(ところ)()ったんだろう。なぜ、皆様(みなさま)(かた)(なし)()()しいなどと無理(むり)(こと)(おっ)しゃったのです。()(かわい)そうに、わたくしのたった一人(ひとり)(まご)は、こんな(むご)たらしい姿(すがた)になってしまいました。ああ、可哀(かわい)そうに。可哀(かわい)そうに。」
 (じい)さんはこう()って、わあわあ()きながら、子供(こども)(くび)()きしめました。
 そうしてる(うち)に、()両方(りょうほう)ばらばらになって()ちて()ました。(みぎ)(あし)(ひだり)(あし)とが別々(べつべつ)()ちて()ました。最後(さいご)子供(こども)(どう)が、どしんとばかり(そら)から()っこって()ました。
 (わたし)はもう(はじ)(くび)()っこって()(とき)から、(こわ)くて(こわ)くてぶるぶる(ふる)えていました。
 大勢(おおぜい)見物(けんぶつ)もみんな顔色(かおいろ)(うしな)って、(だれ)一人口(ひとりくち)()(しゃ)がないのです。
 (じい)さんは()きながら、()(あし)胴中(どうなか)(あつ)めて、それを(はこ)(なか)(しま)いました。そして、最後(さいご)に、子供(こども)(あたま)をその(なか)()れました。それから、見物(けんぶつ)(ほう)()くと、こう()いました。
「これはわたくしのたった一人(ひとり)(まご)でございます。わたくしは何処(どこ)(まい)るにも、これを()れて(ある)きましたが、もうきょうからわたくしは一人(ひとり)になってしまいました。
 もうこの商売(しょうばい)()めでございます。これから(まご)(ともら)いをして、わたくしは(やま)へでも這入(はい)ってしまいます。お()()いの。(まご)はあなた(かた)()注文(ちゅうもん)(あそ)ばした(なし)()(ため)(いのち)()えたのでございます。どうぞ(ともら)いの費用(ひよう)多少(たしょう)なりともお(めぐ)(くだ)さいまし。」
 これを()くと、見物(けんぶつ)(おんな)(たち)一度(いちど)にわっと()()しました。
 (じい)さんは両手(りょうて)(まえ)()して、見物(けんぶつ)一人一人(ひとりひとり)からお(かね)(もら)って(ある)きました。
 大抵(たいてい)(ひと)財布(さいふ)(そこ)をはたいて、それを(じい)さんの()にのせて()りました。(わたし)乳母(ばあや)巾着(きんちゃく)にあるだけのお(かね)をみんな(つか)ってしまいました。
 (じい)さんは(きん)をすっかり(あつ)めてしまうと、さっきの(はこ)(そば)(おこな)って、その(うえ)(ふた)(みっ)つコンコンと(たた)きました。
坊主(ぼうず)坊主(ぼうず)(はや)()()て、お客様(きゃくさま)(かた)にお(れい)(もう)()げないか。」
 (じい)さんがこう()いますと、(はこ)(なか)でコトンという(おと)がしました。
 すると、(はこ)(ふた)がひとりでにヒョイと()いて(ちゅう)から子供(こども)飛出(とびだ)しました。(くび)()(あし)もちゃんと(つい)ていて、怪我(けが)(ひと)つしていない子供(こども)が、ニコニコ(わら)いながら、みんなの(まえ)()ちました。
 やがて、子供(こども)(じい)さんは(はこ)(つな)(かつ)いで、いそいそと(ひと)(こみ)(なか)(かく)れて()ってしまいました。