第三章 起承転結・四百字基本形を利用した意見文の取り立て指導

1 授業のねらい

 本校、国際コミュニケーション科3年生3教科型コース(女子22名)を対象に、新聞のコラムを素材にして、起承転結・四百字基本形の方法を利用した意見文の取り立て指導を行った。起承転結・四百字基本形については、『文章の書き方・会得の12ポイント』酒井憲一著、丸善ライブラリー(平成九年十月二十日初版)を参考にした。
 この方法は、「導入・展開・反論・結び」の四段落構成を文章の型として四百字の中に設定し、それぞれの段落の行数も指定された枠組み作文を書く取り組みである。短作文で、意見文の型を練習できるところに最大の魅力を感じて、実践に取り組んだ。授業のねらいとしては、次の2点があげられる。

  1. 「導入・展開・反論・結び」の四段落の意見文の型に慣れる。
  2. 「確かに〜。しかし、…。」の語句を用いて、予想される反対意見への反論を行う。

2 起承転結・四百字基本形について

 起承転結・四百字基本形とは、どのような枠組み指定作文であるのか、まず酒井氏の説明、『文章の書き方・会得の12ポイント』(67P)を引用してみたい。

 起承転結を会得するには、いろいろな方法があります。そのなかで、四百字原稿用紙を起・承・転・結に分けて書く練習が、最も効果的だと思います。作家の久美紗織の本で知って以来、私も文章を教える基本にしています。最初の三行が起、次の九行が承、これにつづく五行が転、最後の三行が結という振り分けで書くのです。四百字原稿用紙に三、九、五、三の仕切の線を引いたのを練習用紙にするのです。
 三行の書き出し、つまり起は、頭から思わず読者を引きつけてしまう書き方が勝負です。行のなかでも、頭の一行が勝負です。それも硬い文はそれなりに、柔らかい文はそれなりにです。凛とした論文の書き出しにしても、アトラクテイブな書き方がベターです。ソフトなものは、より以上に人と違うカッコいい書き出し、魅力的な会話とか、リズミカルで気持ちのいい文章で始めたいところです。
 次の九行が本論というか、テーマの内容です。次の五行で反論、反省、別の見方や感じ方などを書きます。それを書くことで、異論は承知のうえですよと宣言し、合わせて気分転換、心機一転の場面転換にするのです。
 転はヤマをくっきり浮き上がらせ、説得力をもたせるために効かすのです。高等な文章においては、この転の効かせ方が最大の鑑賞どころになります。通常の文章では、主題すなわち承の裏返しの巧みな補強となります。
 転を新聞記事でいいますと、「一方の言い分だけで筆をとらない」ということになります。記者はそういう訓練を受けます。「こういう意見もあるが」が転です。記事で人や物事のいいことを書く場合、単なる雑報でない限り気働きで欠点にもちょっぴりふれ、客観性を出します。説得性といっていいでしょう。これが転です。反対に非難記事には、「こういういいところもあるが」と書いたりして客観性をもたせます。転です。
 三行の結は結びです。承・転・結はヘーゲルの弁証法の正反合ともいえます。反を抜きにした論証は論証になりません。合は反を踏まえて、正の主題を総合して肯定することです。ヘーゲルは、反を最重要と考えました。
 起承転結においては、承・転を踏まえてはじめて説得力のある結になります。余韻を残し、読者に印象を刻んで別れる重要な締めの箇所です。軽すぎてもよくありません。常套句で収めても、印象がありきたりになります。

起承転結・四百字基本形
起承転結・四百字基本形

 論理的な文章の構成を考える際には、「起承転結」という用語は誤解のもとになるので、「導入・展開・反論・結び」の四段落形式と呼んだ方がいいと思われる。酒井氏の説明にも見られるように、この枠組み指定作文では、ヘーゲルの弁証法である正反合の論証を短作文で行える魅力がある。ただ、四百字という少ない字数の中で四段落を設定しなければならないので、表現の無駄を省かなければ、枠に入りきれないという難しさがあると想定された。

3 授業の指導過程(4時間)

〈第一時〉 新聞のコラム「囲い込み」世代の若者たち≠読み上げ、プリントに記述させる。(日本語デイクテーション)
〈第二時〉 新聞コラムの文章の構成を解説し、論題を設定する。
  1. 文章展開を解説した、本文のプリントと要約文を配布して説明する。
  2. 論題を設定し、説明する。
    「課題文を読んで、今の若者たちに「囲い込み」傾向があるとする筆者の見解に対して、論ずること。ただし、筆者の意見に対して肯定か否定か自分の立場をはっきりさせて書くこと。」
  3. 『「型」書き小論文』から作品例を3例紹介する。
〈第三時〉 ブレーン・ストーミング表を配布し、起承転結・四百字基本形を説明する。
  1. あらかじめ作成しておいたブレーン・ストーミング表を配布して参考資料とする。
  2. ひな型を配布して、起承転結・四百字基本形の書き方を解説する。
  3. 原稿用紙を配布して、作成にかかる。
〈五月連休課題〉 五月連休課題として2作品を提出させる。
〈第四時〉 ABCの3段階評価を行い、生徒に返却する。その際、Aの判定をした作品を紹介して、評価のポイントを解説する。

4 授業の実際

(1)課題文について

 素材として用いたのは、朝日新聞のコラム(天声人語)である。現代の若者たちの、気のあった者同士でしか付き合おうとしないという「囲い込み」意識についてやや批判的に論じた文章になっている。次に、その全文と文章構成図、要約文を紹介してみたい。

「囲い込み」世代の若者たち ( 朝日新聞 天声人語 一九九六年六月二十四日より )

 いまの二十歳前後の若者たちの行動を形容するのに、「囲い込み」という言葉が使われているのに出くわした。「自分のまわりに囲いをつくる。仲間にしても、本当に気の合った者だけをボックスのように囲い込む」という。
 博報堂生活総合研究所が十九歳から二十二歳までの、いわゆる第2次ベビーブーム世代の意識と行動を調べたら、いろいろな特徴が浮かび上がった。その一つが、自分をも仲間をも囲い込む傾向だという。
 調査では、カラオケボックスが例示されている。「会話をせず、人の歌を聞くふりをしながら、自分の歌いたい曲をひたすら探す。」同じ場所に一緒にいるが、互いに干渉はしない。見知らぬ人から切り離された空間で、それぞれ個を優先させる時間を味わう……。
 自分の趣味にカラオケボックスをあげる若者が増えているそうだ。昼食の時にもカラオケボックスで食べる人が多い時代である。この種のボックス化の商売が様々な分野で増えるだろう、とも調査は予測している。
 「囲い込み」を含めて、この世代の特徴が五つの言葉で表されている。無理しない、がまんしない、対立しない、気にしない「自然体」。かつてのなまいきな若者とはちがう「よい子」。強い思い入れを持たず、さめていて現実的な「低温」。男女の区別を気にせぬ「無性化」。
 これらを一言で表現すると、「常識、自分の心、人との関係」について無意識に摩擦を避けようとする「摩擦回避世代」ということになろう、という。もっとも、多様な人々をひとしなみに見るわけにはゆくまい。その危険を承知の上で、著しい傾向をとらえての命名だろう。
 若者は、社会の産物でもある。今の日本社会には、ことによると、仲間だけで居心地のよい「囲い」にこもりたい、とでもいった潜在意識があるのかも知れない。彼らは、その意識の露頭なのだろうか。

文章構成の説明

 コラム、「囲い込み」世代の若者たち≠フ文章を、次のように説明した。
1 はじめ 導入今の若者たちには、「囲い込み」という現象が見られる。
2 なか展開1・具体例 「囲い込み」の例として、カラオケボックスがあげられる。
3 まとめ展開2・本論今の若者は、「摩擦回避世代」である。
4 むすび結び今の日本の社会には、仲間だけで居心地のよい「囲い」にこもりたい、といった潜在意識がある。

「囲い込み」世代の若者たち・要約文(田口作)
 最近の若者たちを形容するのに「囲い込み」世代という言葉がある。無理せず、がまんせず、対立しない「自然体」。強い思い入れを持たず、冷めていて現実的な「低温」。人との関係において無意識に摩擦を回避する傾向があるとして「摩擦回避世代」と命名されている。これは、今の日本社会に、仲間だけで居心地のよい「囲い」にこもりたいといった潜在意識があることの露頭なのかも知れない。

(2) 論題設定と記述前の指導

 囲い込み世代の若者たちについて論じた新聞コラムを素材に次のような論題を設定した。また、起承転結・四百字基本形の構成を利用して書く為に、題材集としてブレーン・ストーミング表を配布し、ひな形になる作品例を作成した。それらを次に紹介したい。

《論題》

 課題文を読んで、今の若者たちに「囲い込み」傾向があるとする筆者の見解に対して、自分の意見を述べよ。ただし、筆者の見解に対して肯定か否定か、自分の立場をはっきりさせて書くこと。
条件 
  1. 起承転結・四百字基本形の枠組みに沿って書くこと。
  2. 二十字以内のタイトルを必ず付けること。

 このコラムは、愛知県立大学児童教育学部の小論文の問題として出題されており、樋口裕一氏の『「型」書き小論文』(大学受験ポケットシリーズ・学習研究社、一九九七年十月初版)の中でもとりあげられている。樋口氏の提唱する小論文の「型」は、四段落構成であり、次のようになっている。

1 問題提起 設問の問題点を整理して、これから述べようとする内容に主題を導いてゆく。
2 意見提示自分の立場(イエス・ノー)をはっきりさせる。
3 展開 設問の背景、原因、歴史的経過、結果、背後にある思想などを書く。中心部。
4 結論 再度、全体を整理し、イエスかノーかをはっきり述べる部分。

 樋口氏の小論文の「型」では、予想される反対意見への反論を2段落目の意見提示の部分にもってくるように設定しており、酒井氏の提唱する起承転結・四百字基本形と対比すると、展開部と反論部が逆転していることになる。酒井氏の論を借りれば、樋口氏の小論文の「型」は、起転承結型の文章ということになるであろう。ただ、起承転結という用語は、漢詩のリズムや俳文の構想と混同して、混乱を招きやすいために、四段落形式と呼んだ方がいいと思う。
 小論文の「型」なるものは、一つに限らずさまざまな可能性がある。導入の段階では、ある「型」を練習しても、必ずしもそれにとらわれないように指導する必要がある。生徒には、四段落形式で書かれた樋口氏による作品例を紹介して、所謂、小論文とはどのような文章であるかを紹介した。次に樋口氏による例文を一つ引用する。

「囲い込み」は健全な個人主義への第一歩

1(問題提起)
 課題文は、会話をしないで、干渉もせず、摩擦を回避して、仲間たちと小さい囲いを作る行為を「囲い込み」と呼んで、それを否定的に説明している。では、本当に若者の「囲い込み」と呼ばれる行動は好ましくないのだろうか。
2(意見提示)
 もちろん、現代の若者の行動を全面的に肯定することはできない。小さい集団を作って、別の価値観の人々と交流しようとしないのは、自分たちの狭い価値観に閉じこもってしまって、開かれた社会を作らない。もっと、コミュニケーションをとる努力をする必要がある。しかし、たとえそうであったとしても、これは、かつての大集団で行動する日本人に比べれば、ずっと好ましいと思えるのである。
3(展開)
 現在の日本は、集団主義から個人主義への移行の時期にあると言えるだろう。かつての日本人は、何をするにも「みんな同じ」「みんなで一緒」という傾向が強かった。学校でも運動会や入学式の行列など、常に集団性を訓練されてきた。一つの学校全体、一つの会社全体、そしてある時期には一つの国家全体が、みんなおなじ価値観で行動することが美徳とされた。そのために、そこからはみ出す者が排除され、民主主義とはいえない状況にあった。だが、国際社会になり、民主主義が進んだ今、それが崩れつつある。
 価値観が多様化し、みんなが同じ価値観を持てなくなっている。つまり、「囲い込み」というのは、価値観が多様化して、一つにまとまらなくなっている状態なのだ。これは、個人主義へと進む第一歩として捉えることができるに違いない。
4(結論)
 繰り返すが、私は「囲い込み」を全面的に肯定はしない。それぞれの価値観を認め合い、別の価値観を持った人間と交流しあってこそ、健全な社会と言える。しかし、そうした社会へと移行する第一歩として、現在の傾向を捉えてもよいと私は考えるのである。

 樋口氏による例文を配布した後、ブレーン・ストーミング表を配布し、各自の作品の参考資料にするよう指示した。今回は、時間の関係でブレーン・ストーミングを実際に行わず、私が事前に作成した表を配布した。

ブレーン・ストーミング表(「囲い込み」世代の若者たち)
  1. 「囲い込み」について思いつくことを、一文の形で書き出す。
  2. 一つの文は、一つの内容だけとする。
  3. できるだけ数多く考え出し、それを箇条書きにする。
  4. くつろいだ雰囲気のなかで、問題の焦点を一つに絞り、思いついたことを書き留めていく。
    そのとき、アイデイアのあらさがしや妥当性の評価をしない。
    以上

 以上のようなブレーン・ストーミング表を配布して、起承転結・四百字基本形による意見文の作品を作成した。文章展開を詳しく解説することで、この型を条件とした作品を作りあげて連休課題として提出するよう指示した。次はその例文である。

文題  新しい仲間づくりをめざす若者たちに支援を(20字以内でタイトルをつけよう。)

起承転結・四百字基本形  ( 田口作 )
起 (問題提起・導入)
3行
 「囲い込み」意識には、オタク族的な雰囲
気があり、排他的なイメージが漂う。しかし
若者すべてが閉鎖的だとは思えない。
(展開・本論)
9行
  阪神・淡路大震災の際、若者たちのボラン
テイア活動がマスコミの話題となった。最近
の様々なボランテイア活動を見ていると、若
者たちの間で、新たな仲間づくりのネットワ
ークが育ちつつあると思う。大人たちの作る
大集団は会社が中心であり、集団を動かす力
は、お金と権力である。それに比べれば若者
たちの小集団の方が、はるかに価値観が多様
であり、自由である。
転 (反論)
5行
 確かに、今の若者たちは他人とコミュニケ
ーションをとるのが苦手で、人付き合いが下
手である。しかし、心の中では対話する相手
を切実に求めているのだ。携帯電話の普及は
それを雄弁に語っていると思う。
結 (むすび)
3行
 情報化社会の到来で、対話の質は激変した。
新しい仲間づくりを模索している若者たちを
温かい目で支援する心が必要である。
文章構成の解説(新しい仲間づくりをめざす若者たちに支援を)
1 起(問題提起・導入)筆者の指摘するように、若者すべてが閉鎖的だとは思えない。
2 承(展開・本論) 具体例 ボランテイア活動(阪神・淡路大震災)などに見られる、新たな仲間づくりのネットワーク
対比大人の大集団(お金と権力)VS若者の小集団
(価値観の多様化)
3 転(反論)予想される反対意見への反論
「確かに、〜 。 しかし、…。」
(確かに)若者たちは、人付き合いが下手。(しかし、)
(反論)対話の相手を切実に求めている。
4 結(むすび)主題文新しい仲間づくりを模索している若者たちを温かい目で支援する心が必要である。

5 生徒の実例

 5月の連休課題として、四百字の作品を2編提出するように指示し、ABC判定を付けて返却した。その際、A判定の作品を生徒たちに紹介して鑑賞の場を提供した。次に評価Aの作品を4編あげてみたい。
小集団による新しい時代  L・Y 女子生徒

 今の若者たちは気の合わない者とは我慢してまで付き合う意志がなく、内向的と思われがちだが、本当にそうなのだろうか。

 最近、TVや雑誌などで「インデイーズ」という言葉をよく目にする。同じような感性を持つ若者たちが集まり、独自のブランドを作り、自分達で製作・販売をしている。同じ道でそれぞれの信念を持ち、作業し合うのですばらしい物ができあがるのだ。個人では手の届かない事や、大集団ではできない細やかな仕事がある。よりすばらしい品質を求める現代に、この様な小集団は大事な存在なのだ。
 確かに、今の若者たちは大集団生活は苦手で、登校拒否という重大な問題も抱えている。しかし、情報化社会の到来と共に、パソコンなどのメデイアを使って世界とつながり、大集団を必要としない生き方もでてきた。
 新しい発想や思想が求められる現代社会には、若者がそれぞれに能力を発揮できる「小集団」が、きっと必要であろう。
「囲い込み」の本質とは   M・G 女子生徒

 課題文では、現代の若者達の傾向を「囲い込み」という言葉で形容している。私はこの「囲い込み」を否定的に受けとめている。

 日本人の意識には、そもそも集団主義的な傾向が強い。学校では全員参加の運動会でいくつかの集団に分かれて競い合い、会社ではやれ忘年会だ新年会だとほぼ強制的に大勢で飲みに連れていかれる。これは明らかな主体性の欠如だ。しかし、一方で私は、この恥ずべき集団主義から離れ、個人主義に目覚めかけているかのような若者たちの傾向に対しても嫌悪感を抱いている。
 確かに、若者たちの傾向が個人主義への覚醒ならば喜ばしいことだ。しかし、現実には女子高生たちは同じ様な格好や行動をする。これでは集団主義と変わりなく、かえって人との深い接触を避けていることになる。
 現代の若者たちの「囲い込み」傾向は、つまり個人主義とはかけ離れた、ただ傷つきたくない人種が生み出したものなのである。
社交性を身につけることの大切さ   M・H  女子生徒

 最近の若者には「囲い込み」意識があり、集団を形成するのが苦手である。しかし、若者すべてに囲い込む傾向があるとは限らない。

 現在でも兄弟姉妹が多く、他人にもまれた体験を持つ人には社交性があり、人と接することを嫌がる人は少ない。むしろ、自分から進んで人付き合いを持とうとする。一方で、プライバシーを重視し、仲間のプライベートな空間にはなるべく立ち入らず、親しくても一線を引いたつき合い方をしている人もいる。どちらがいいとは一概には言えないが、多様な人と交流することは人生の中で必要だ。
 確かに、少子化で兄弟姉妹も少なく、人にもまれずに育つ今の若者達は、社交性を身につける機会に乏しい。しかし、いつの時代でも相手とよりよいコミュニケーションをとろうとする気持ちは変わらないと思う。
 仲間と対人関係をつくるのが難しくなった今、若者達にとって社交性を身につける機会がより必要になってきていると思う。
「囲い込み」は自己中心的な発想   M・A 女子生徒

 会話をせず、囲いを作って個を優先させ、摩擦を回避しようとする傾向の強い現代の若者たちを、どう考えるべきだろうか。

 日本人はこれまで大勢で群れ、集団の和を重視して、個人を無言のうちに抑圧してきた。ところが現代では価値観が多様化して、大きな集団を作るのはもはや不可能である。そこで若者達は個と個の衝突のない居心地のよい小集団を作って、外の世界に干渉しようとしなくなった。これらの若者が他人と交渉を持とうとしない態度を、健全な個人主義が根づいたとして評価することができるだろうか。
 確かに、現代の若者の傾向は、ある意味で個人主義的になったということでもある。しかし、他人と対話し連帯しようとしない自分本位の利己的な個では、本当の意味で個が確立したとは言えない。
 仲間だけで居心地のよい囲いに閉じこもろうとするのは、自己中心的な発想であり、現在の若者の行動は好ましくないと言える。

6 まとめ

 起承転結・四百字基本形を利用することは、意見文の型を練習するには好都合と考えたが、生徒の実作を読んでいて優れた作品は少なかったというのが実感であった。生徒たちの意見では、四百字の中に四段落の構成を入れて書くのが窮屈で、語句の選択が非常に難しいという声が多かった。特に三段落目の反論部を作るのが一番、困難であると予想されたので、「確かに〜。しかし、…。」もしくは「もちろん〜。しかし、…。」という語句を段落の冒頭で使うように指示をした。生徒の作品では、ほとんどの者がこの語句を使っており、反論部がきちんと成立していた作品におおむねA判定をつけた。
 四百字という短い字数、しかも段落ごとの行数まで決まっているので、表現を簡潔にしなければ字数が収まらず、結果的に生徒たちにとっては難しい作業になったようである。しかし、段落意識をもって文章を書かせるには、非常によい短作文の訓練であったと思う。扱うテーマを身近で取り組みやすいものにすることで、意見文の一つの型を習得するいい練習になると確信した。特に予想される反対意見への反論を行わせる点で効果的なトレーニング方法であると思う。
 「導入・展開・反論・結び」の四段落形式で文章を書くということは、弁証法的な正反合のリズムで、文章を書いていくことの訓練になるとも考えられる。今回は残念ながら、ダイナミックなこの手法を指導することができず、あくまでも文章の型を教える指導として終わってしまった。
 この四段落形式を指導する際には、対立する両方の意見の価値を認めて、両方の融和・調和、または両者を越えた第三の所に真実があるとする「弁証法的止揚」によって意見を統合する方法を教えるべきであった。正反合といった弁証法的な論証による書き方を具体的に指導しなければ、反論部を設定するおもしろさが半減してしまうと考える。四百字という短作文で生徒たちも文章の流れ全体をつかむことが可能であるので、弁証法的な書き方をうまく指導できれば大きな効果が期待できるのではないかと思っている。
 大西道雄氏の意見文の生成過程モデルでは、統合想に相当するこの指導を具体的にどう行っていくかは、今後の検討課題である。またこの四段落形式で、自由なテーマに基づいた随想(エッセー)などを書かせてみるのも、取り組みやすい練習になるのではないかという思いが残った。あわせて今後の課題としたい。