フロムからニイルヘ 自由の教育に関する一考察

A Study on the Attitude of Teachers in the New Curriclum "Sougou Gakushuu"

氏名 青木 正文

キーワード 総合学習(該当語句なし)、ニイル(Neill)、自由(Freedom)


 本論文では、イキリスの教育実践家A・S・ニイルによる自由を尊重した教育実践例を手がかりに、新学習指導要領の完全実施がさし迫る中、総合的な学習の時問を効果的に活用するために、教師に求められる新たな資質とは何か、という論題を探求している。

 第1章では、A・S・ニイルのサマーヒル学園の実践について言及している。サマーヒル学園は「世界で一番自由な学校」として、70年以上の歴史を持つイギリスのフリー・スクールである。学習内容だけでなく各個人の授業への出欠席までもを、生徒個人個人の自由に任せている。ニイルのいう自由とは責任であり、また自分自身のことを自ら処さねばならないという意味であり、生徒個人個人に対して厳しい要求なのである。ニイルの実践では、特に入園間もない生徒が自らを処することを放棄しかけるとのことであるが、この自由に対する責任から逃避するというアイロニカルな側面は、工一リッヒ・フロムの論じる自由や権威主義の議論とよく似ている。それだけではなく、フロムはニイルの実践について2度寄稿している。その中でフロムは、二イルの実践がフロム自身が求めるところの「生命愛」に合致しているという意味で、大変高く評価しているのである。

 このニイルの実践を現代の日本に相応しい形に適応させて行っているのが、堀真一郎氏のきのくに子どもの村学園である。第2章では、実際にきのくに子どもの村学園に出かけた時のフィールドワークをもとに、二イルの実践と堀氏の実践の比較を行っている。結論的には、堀氏の実践は、学園開講当初より総合学習の先駆として公教育へのフィードバックを視野に入れており、子どもたち個人個人の自主性に任せていることが特徴的である。一斉教授形式の授業は絶対にあり得ない。なにを学ぶか、どのように学ぶかは子どもたちが決めることであり、教師はその手助けを行うのみである。この支援者という役割は、総合学習を行う教師は大いに学ぶべき論点なのである。
 
 現在、新学習指導要領の移行期間に相当するが、公教育でも、遅ればせなから実験的な試みがなされている。この様子を論じたのか第3章であり、大阪教育大学教育学部附属平野中学校を調査対象とした論述を行っている。国公立学校の中では先駆的な取り組みのなされてきた附属平野中ではあるか、拘束牲の薄い総合学習に対して、各教科は学習指導要領などによる教授内容や教科ごとに抱える悪印象(暗記教科であるなど)ヘの対応に追われている。この相異なる2つの形態の混在は、直接的に教師に求められる資質に影響を与えている。

 結論として、従来の「教える」という役割だけでなく、「支援する」という役割を新たに求められており、この一見相容れない二つを状況に応して演じ分けなければならないことが、支援するという新たな資質と同等以上に重要なことである。