| 学校安全のための情報システムにおいて考慮すべき問題点について考えます。 |
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児童の携帯電話所持の是非
携帯電話所持の問題点
携帯電話を子供に持たせるべきかどうか、現在のところ否定的な意見が多いようです。生徒が携帯電話を学校内で使用することは多くの学校で禁止されています。現状では教育上のマイナス面があることは否めません。しかし、何か困った時には、いつでも、どこでも連絡がとれるようにしておきたいという親の強い希望があります。容易にできる状況にありながら、これを敢えて禁止することは余程の理由が無い限り困難な事です。冷静に時代の流れを考えると、おそらくそう遠くない将来、殆どの子供が携帯電話を所持するようになると思われます。懸念される問題点を注意深く解決していけば、コミュニケーションの道具としての長所を最大限に活かすことも可能です。
現在、主な問題点としては次のような事が考えられます。
- メールやゲームに熱中して、学習の妨げになる。
- 悪質な情報サイトや詐欺メールなどの被害にあう可能性がある。
- 非行を助長したり、悪用する可能性がある。
- コミュニケーション能力の発達に悪影響を与える可能性がある。
- 高価である。
- 限度を超えた使い方をして、高額料金を請求される可能性がある。
- 持つか持たざるかによって子供同士の人間関係を悪くする可能性がある。
- 紛失や盗難など余計な事件が増える。
- 細かい画面を長時間見続けることで視力が低下する可能性がある。
- 電磁波による健康被害が懸念される。
この他にも各国の事情に応じた問題点がいくつかあるようです。例えば、米国では、携帯電話が学校内でテロの道具に利用されたり、事後対策として組織的な活動を行なう際に情報が錯綜して統制が乱れる可能性があるという理由で使用禁止にすべきだとの意見もあります。
なお、これらの問題点は生徒の年齢や生活環境によって大きく異なると思われますので、全ての人に当てはまるわけではありません。
携帯電話の改善策
対策案としては、子供の発達段階に応じて利用制限を行い、適切な使用法を教育することが基本になります。具体的にはサービス提供者側の対策と利用者側の対策がそれぞれ必要です。
- サービス提供者側
- 機能制限、アクセス管理機能を充実する。
- 教育に有益な良質のコンテンツを増やす。
- 低価格化を推進する。
- 電磁波の低出力化、人体防護策など、機器の改良を進める。
- 子供専用機種を開発する
- 緊急操作に配慮したユーザインターフェースを工夫する。
- 利用者側
- 情報機器・システムの仕組みや問題点を理解する。
- 推奨されている使用方法があれば、それに従う。
- 利用者としての責任を自覚する。
- 子供に対し適切な使用法を教育する。家庭教育が難しい内容については学校で教育する。
なお、携帯電話料金については今後とも低下していく傾向にあります。贅沢品であることに起因する問題点はある程度まで次第に解消されるものと期待されます。
参考情報
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個人情報の取り扱いに関する問題
学校安全に関わる個人情報
学校安全の目的で取り扱う個人情報としては、生徒の氏名、年齢、住所、保護者の氏名と連絡先、学籍番号などが考えられます。この他、出欠記録、健康状態、安全管理のために取得した位置情報や映像記録なども含まれるかもしれません。その他の学業成績などについては、学校安全情報システムでは取り扱いません。
氏名、住所、電話番号などは誰かと互いに連絡を取るためにはなくてはならない基本情報です。昔は、特別な事情がある場合を除いて、これを公表する事にためらいを感じることはあまりなかったと思います。現在でも、自分の連絡先を相手に知らせなければ受けることのできない日常的なサービスが沢山あります。小売店のポイント会員登録とか懸賞応募など、結構、自ら進んで個人情報を提供している場合が多いのではないでしょうか。しかし、昨今ではこれらの情報が密かに悪徳業者に渡って、悪質な電話勧誘やダイレクトメール、さらには詐欺にまで発展する事例が増えてきました。そのため、多くの人が不安を抱き、できるだけ隠しておきたいという人が大勢を占めるようになってきました。
個人情報管理に関する現状動向
個人情報の取り扱いに関しては、住民基本台帳ネットワークシステムの導入に伴って法整備が進められた結果、取り扱い事業者の義務や罰則が細かく規定され、2005年度から施行されています。法律が整っただけで情報漏洩が完全に防止されるわけではありませんが、各事業者が情報漏洩を防止する具体的な施策を実行するようになりました。
もっとも、個人情報の管理強化により、過剰なまでに個人情報を隠蔽する傾向も出てきました。氏名、性別、生年月日、住所については今のところ住民基本台帳で公開されていますが、非公開とすることも検討されています。これまで当然の如く学校から配布されていた学級名簿や住所録、緊急電話連絡網などが作成されなくなった事例もあるようです。関係者全員の同意を得れば問題はないと思われますが、その手間や責任を考えると、作成を躊躇するのも仕方のないことかもしれません。小学生の名札も昔は登校中から付けて行くのが普通でしたが、現在は校外で着用しないように指導しているところもあります。
今後の課題
本来、情報システムは情報流通・共有を促進し、コミュニケーションの質的・量的向上を図る有用性の高いものです。ただ、見えない相手とのコミュニケーションが増加し、悪意の蔓延を容易にした結果、不信感の増大を招いてしまいました。その反動で、悪用を防ぐために、従来以上に情報が遮断されるという皮肉な結果を生じています。悪用を恐れて個人情報を秘匿しようとすると、新たな問題が出てきます。例えば、子供がどこかで事故に遭ったとき、保護者の連絡先が簡単に分からないようでは困った事になります。子供が救急病院に収容された場合、保護者が電話で確認しようとしてもすぐには教えてもらえないかもしれません。そのとき、自分が本当の保護者であることを、病院の受付にどのようにして証明しなければいけないのでしょうか。
情報の内容によってそれを公開すべきか秘匿すべきか、双方のメリットとデメリットを慎重に比較検討する必要があります。そして、どの情報を誰と共有するのか、適切に情報の流れをコントロールする仕組みをつくっておくことが大事です。ただし、細かくコントロールしようとすると結構な手間と費用がかかります。上記の例え話でも、電話の相手が誰なのか、ICカードや個人認証などの情報技術を駆使すれば、即座に確認する方法をつくることはできます。しかし、本当にそこまでしなければいけないと考えるべきかどうか。これまでと同じように、生徒の氏名、保護者の氏名と連絡先については原則として公開情報であると割り切れば、回りくどい事をしなくてもすみます。その場合はもちろん別の悪用対策を考えなければいけませんが。 悪用を防ぐためのコストと悪用されて生じる被害の見積り、情報共有の利便性と悪用の危険性など、できるだけ定量的な評価をしてトレードオフを決める必要があると思われます。
参考情報
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プライバシーに関する問題
学校安全におけるプライバシー
学校安全においては、「子供を守る」という目的のために、保護者や教職員は生徒に異常がないかどうかをいつも見守る必要があります。また、加害者になる可能性のある不審人物を見張る必要もあります。生徒や教職員がその対象になる可能性もないとは言えません。生徒は常に行動を監視されていることになります。生徒がプライバシーの侵害を主張したとき、それを認めるべきかどうか、保護者としての権利や義務、教職員の安全管理義務との兼ね合いはどうすべきでしょうか。容易に結論することのできない微妙で難しい問題があります。
学校は私的生活の場ではないからプライバシー侵害にはならないということが言えるかもしれません。しかし、トイレの中まで監視するわけにはいきません。でも、その一方で、殆どの悪事は人目につかない隠れたところで行なわれます。プライバシー保護が悪用されることもあります。トイレが非行の温床になっていたとしたら放置するわけにはいきません。
高齢者の福祉療養施設などでは、トイレで倒れた場合の対策として、人がいるかどうかだけを知らせる人感センサーを利用することがあります。情報機器をうまく活用すると、情報を必要最小限に絞ることでプライバシーに配慮しつつ、安全性を高める工夫ができます。
RFIDタグも同じ目的で利用する事が出来ます。もっとも、RFIDタグによるプライバシー侵害を危惧する声もあります。問題になっているRFIDは各種の商品に付けられているバーコードを無線で読み書きできるように電子化したもので、主に物流管理で利用されます。その商品の識別番号を無線読取機を持った悪者にこっそり盗み取られると、最悪の場合、インターネットで漏洩した個人情報を必死でかき集めれば、個人を特定される危険性があるというわけです。そういうものを子供に持たせるとその子が誰だか分かってしまうので、持たせるべきではないという意見もあります。ただ、RFIDの識別番号から個人が特定される事が危険であるとすれば、顔や服装から個人が特定されることも危険だという事になります。黒いベールで子供の全身を覆わなければならないほどの危険が今あるのでしょうか。
プライバシーと個人情報
プライバシー保護については、近年、前述の個人情報保護法との関係でも論じられることが多くなりました。しかし、制定された個人情報保護法は特定の事業者が大量の個人情報を扱う際の管理のあり方を規制するものです。少数の個人情報の管理や個人の私的行為まで規制するものではありません。また、プライバシー保護を悪用して不正の隠蔽を図ったり、言論抑圧に利用される可能性もありますので、そのような悪用を防ぐため、報道機関は適用対象外とされています。プライバシーは政治家や芸能人などの有名人とマスメディアとの間でその過剰報道を巡って争われる事がよくありますが、この法律はそのような問題にまで及ぶものではありません。
プライバシーとは何か
プライバシーとは何か。ここで改めてよく考える必要がありますが、実際のところ明確な定義はないようです。「個人の尊厳」などの曖昧な抽象的概念が根底にあるためか、簡単には定義できないというのが実情のようです。情報メディアの発達とともにその概念も変わりつつあると言われています。一応、ここでは「個人の私生活において、法律に違反しない限り、合意のない他人からの干渉を受けない権利を有する」という観点で考えます。といっても、どのような行為が干渉にあたるのか判断の分かれるところです。例えば、盗聴や盗撮が違法だとすると、防犯カメラも違法なのでしょうか。実際には盗聴も盗撮もそれ自体が違法であるとはみなされていません。公序良俗に反する行為についてはプライバシー権とは異なる法的根拠で犯罪とみなされています。逆に、公安目的の盗聴についてはむしろ合法性を明文化しようとする動きさえあります。
監視カメラについて
監視カメラはプライバシーを侵害し、さらに言論や表現の自由を抑圧する道具に悪用されかねないとの危惧から、これに嫌悪感を抱く人が少なくありません。監視と自由とが相対立する概念として受け取られています。確かに、国家権力や企業経営者など、一部の人間が集団全体を支配しようとして一方的な監視社会を作り上げることが現実によくありますので、その気持ちは無理もないことです。しかし、逆に、自由を守るためには権力者を監視する必要があると考えれば、監視すること自体を悪とは決め付けられません。一般庶民が自分達の権利保護のために非行を監視することも悪いことではありません。
現在、監視カメラは至る所に設置されています。実際にその効果で犯罪件数が減少し、防犯に役立っているところもあるようです。安全を重視するために自由を犠牲にしたとの見方もありますが、現状の日本では、公道や公共の施設に監視カメラがあったとしても、そのために自由が束縛されたと受け止める人は少なく、むしろ安心だと思う人の方が多いようです。
映像を記録に留めておけば、何か犯罪が起こった時には犯人の特定が容易になります。無実の人が無用な疑いを受けることも少なくなります。場合によっては無実の証拠となって冤罪から身を守ってくれることさえあるかも知れません。無名の一般人がプライバシー侵害で最も大きな被害を受けるとすれば、それは無実にも拘わらず容疑者として報道される時ではないでしょうか。そういうことを防いでくれるのであれば、逆説的ですが、監視カメラがプライバシー保護に役立つこともあるといえます。記録の改竄や偽造の恐れがあるとしても、多元的にさらに多くの情報を記録しておけば、全てを矛盾なく改竄する事は困難になりますし、いろいろな人がそれを検証できるように、できるだけオープンにすることで安全性が高まるかもしれません。
個人の選択権の尊重
プライバシーにもいくつかレベルがあって、他人には許せないが、家族や友人には許せるというものもあります。プライバシー問題は実は信頼関係の問題であったりします。監視が忌み嫌われるのも、相手が信頼できないから監視したい、その逆に信頼できない相手には監視されたくない、という不信感が大きく影響しています。そこに監視カメラを使うと、カメラは相手を区別しませんので、監視の対象ではない人にまで自分が監視されているかもしれないというを不快感を与えます。その上、監視者に情報を一方的に流すだけで監視者の様子が見えないため、余計に不信感を増すことになります。このような不信感を緩和するには、監視される側に対して監視者の情報を表示したり、解像度の調整や情報配信、記録抹消の選択権を持たせるなど、監視される側の状況に応じて柔軟に運用することが大切であると思われます。
プライバシーは売り物として扱われることもある程、人によって価値観が大きく異なります。一つの判断基準では対処できません。監視を受け入れるかどうかも各個人の自由な裁量に委ねるのが妥当だと思われます。監視カメラも配置を工夫すれば、監視を拒否する人と保護を受けたい人との棲み分けは可能です。その上で、監視によって守られたいと考える人がいれば、そのための安全地帯を作ることはやはり必要なことだと思われます。
参考情報
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見守りと監視について
「見守りは良いが、監視はだめ」、「人の目は良いが、機械の目はだめ」という意見を聞く事がありますが、見守りと監視の違いは何なのでしょうか。人の目と機械の目の違いは何なのでしょうか。
見守りは良いが、監視はだめ?
情報システムが情報を取得、記録、伝達するという基本動作においては、見守りも監視も特に区別はできません。形式的には同じ事です。見守りと監視に違いがあるとしたら、情報を受け取る人の目的や心情などの内面的な違いや、受け取った後の行為の違いだと思われます。情報システムの利用者の問題です。「人の目は良いが、機械の目はだめ」と言われても、機械が読み取った情報は最終的に人の目に届けられます。今のところ、情報システムは通常では見えないものを見ることが出来るようにする便利な望遠鏡といった程度のものに過ぎません。目の敵にするほどの意志を持っているわけではありません。逆に、人の視線の方が冷たいこともあれば、機械を通して暖かい人の気持ちが伝わってくる事もあるはずです。
テレビ電話が技術的に可能であるにも関わらず、なかなか普及しない要因として、自分の顔や部屋の様子を相手に見せたくないといった羞恥心があると言われています。本当の自分の姿を隠しておきたい場合もあるかもしれません。音声だけを伝える通常の電話はその点でちょうどよい情報伝達の道具になっています。匿名で悩みを打ち明ける事の出来る「命の電話」はその好例です。情報の質と量をうまくコントロールすることで、すぐれたコミュニケーションの道具になります。いまのところ、そのような機械の耳と口に対して冷たいと文句を言う人はあまりいないようです。
機械の目が冷たいという感じがどこから来るのか。おそらく、ほとんどのカメラが無言で見ているだけだからではないでしょうか。しかも、機械の向こうで本当に見ている人が誰かわからないところも不気味です。一方で、同じ機械の目でも、相手が人型ロボットとなると人の受け取り方が変わってきます。まるで、ペットのように親しみを抱く人が多いようです。機械の目に表情があって、その上、動きや音声などで好意的な反応があれば、人はたやすく受け入れる事が出来ます。本来ならば、本当に監視している人の反応を返すべきですが、単に記録されているだけで人が見ていない場合も多いので、とりあえず監視カメラに動く眉毛をつけ、時には瞬きしたり、居眠りしたりするだけでも、感じが変わるかもしれません。もっとも、あまりにも人間そっくりに作られていると、逆に気味が悪いと敬遠されるようですので、人の心理は難しいものですが。
監視 ≠ 束縛
監視は人の自由を奪うもの。確かにその通りの場合もありますが、逆に自由を与えるためにある場合もあります。入退室管理システムではIDカードの提示や指紋認証などを用いて人の出入を制限します。誰がいつ出入したかを記録します。これはセキュリティ強化策として使われる場合が多いのは事実ですが、管理を機械化することによって、鍵の管理者を置かなくても事前に許可された人はいつでも自由に出入りできます。不正な利用を排除しつつ、正当な利用者により多くの自由を与える目的で使う事もあります。自由が与えられる代償として、不正や事故を防止するための最低限の監視はあってしかるべきと言えそうです。
子どもの安全についても同様です。例えば、遊園地でRFIDを子どもに身に付けさせるところがあります。子どもを束縛するためではなく、保護者による束縛から解放し、子どもだけで自由に園内を遊びまわる事が出来るようになっています。保護者にはRFIDの信号から子どもの現在位置が知らされ、どこでどのように遊んでいるのかがわかりますので、安心して放任できます。徘徊老人に持ってもらう場合もあります。施設の内部では自由に行動させてもらえますし、外出して行方不明になっても容易に探し出せれば、介助の負担も軽減されます。もしこの仕組みが無ければ、人手の少ない施設ではもっと強い束縛を受けることになることは容易に想像がつきます。
最近の世相で、保護者の不安が高まりすぎて、子どもの行動の自由を束縛するような事があるとすれば、それは残念なことです。外で体を思い切り動かして元気に遊んでほしいという親の願いとは裏腹に、親の目が届く範囲で無難な遊びをさせようとする風潮が垣間見えます。凶悪事件が怖いといっても、それに巻き込まれる可能性は今のところ極めて低いようです。はるかに負傷者が多いと思われる交通事故に関して昔とさほど事情が変わっていないとすれば、稀に起こる凶悪事件への反応は過剰とも思われます。登下校での道草やちょっと危険な冒険もあった方が子どもの活力を刺激するように思われます。少なくとも、家の中でテレビゲームに夢中になられるよりははるかに健康的ではないでしょうか。もし、外にいる子供の様子が手にとるようにわかるだけで保護者が安心できるならば、そのような仕組みを作って、子どもがより自由に遊べるようにしたいものです。
人と技術
文字の存在は文明の証拠の一つとみなされています。文化を伝承することを本分の一つとする教育の根幹にも関わっています。特に、海外の書物から外来文化を吸収する事で発展してきた日本の場合、書き言葉の方が話し言葉に優る高尚なものという印象があります。本を読む事が非常に重要であると思われています。ところで、書き物を留める手段に乏しかった遠い昔、文字や書き言葉は人の音声を記録する新技術の一つでしたが、哲学者プラトンはその著書『パイドロス』において「文字は人間の思考力や記憶力を低下させるもの」という否定的な意見を登場人物に語らせています。話し言葉こそ本物であって、書き言葉はその影にすぎず、人に好ましからざる影響を及ぼすことを述べています。弁論を重視する西欧文明の特色を表しているのかもしれません。もっとも、プラトンが文字という技術を使いこなしたからこそ、現在に名を残しているということは皮肉な話です。しかし、偉大な哲人の言葉だけあって、批判の内容に間違いがあるわけではありません。その欠点に優る十分な価値が文字にはあったと言う事だと思います。そして、それよりももっと面白い事は、「文字」を「IT」に置き換えると、現在のIT批判に通じるところでしょうか。細かい点ではいろいろ違うかもしれませんが、大体において歴史は繰り返すように思われます。批判は十分に傾聴すべきですが、過剰な不安は単なる杞憂に終る可能性もあります。
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情報システムの運用について
情報システムの運用上の問題としては、前述の個人情報漏洩問題以外にも、犯罪への悪用の危険性、その他、折角導入したにも拘らず十分に利用されずに期待された効果が得られないという場合もあります。
情報システムの悪用
情報機器の悪用については、携帯電話を使った不正受験とか、さらには起爆装置に至るまで、様々な危険性が指摘可能ですが、悪用の危険性は情報機器に限った事ではありません。例えば、人を救うための医療機器や薬でさえ悪用されることがあります。自動車もまた走る凶器とまで呼ばれ、毎年毎年多くの人命を損ないながらも、廃絶されるどころか益々隆盛を極めています。そして、そこに一定の秩序が保たれているということは社会の中にある程度の信頼関係が成り立っていることも示しています。情報システムの中の仮想社会(サイバースペース)は車社会とは性質が異なりますが、利便性と危険性の得失を計りながら、同様の発展を続けるのではないかと思われます。
情報システムの不信と過信
情報システムに対する不信や過信があるために、適切に運用されない場合があります。その原因は機器の誤動作であったり、誰が監視しているか分からないという人間不信や人任せの過信や慢心もあるかもしれません。それから、情報機器は情報の収集や伝達を支援する道具に過ぎません。情報の内容を判断するのはあくまで人間の役目です。最終責任は人が負うことになります。
情報システムに誤動作は付き物です。機器の故障やプログラム・エラー、データ入力のミスなどがあります。火災報知機や非常ベルなどでは機器の誤動作以外にもイタズラによる誤報もよく問題になります。誤報に嫌気が差して装置を止めたために、本当に災害が発生した時に活用できなかったという事例も少なくありません。こうした問題を避けるためには、警報一つに頼らずに、複数の方法で異常を検知して総合的に判断できるようにするとよいと思われます。例えば、監視カメラで詳細な状況を即座に確認できれば、誤報か否かを迅速に判断し、不要な警報はすぐに解除できます。
道具が役立つかどうかは、日常の手入れや使い方の善し悪しで決まります。非常時にしか使わないものになると、肝心な時に使えないということが良く起こります。操作法の誤解やうろ覚えはもとより、一部の担当者しか操作法を知らないとか、装置の保管場所がわからずに探し回ったとか、知らないうちに電池切れになっていたというようなものまで含めて、様々な人為的ミスが障害になりかねません。このようなことを避けるためには定期的な保守や訓練が必要になります。といっても、それだけで人為的ミスが簡単になくなるわけではありませんので、人はミスを犯すものということを前提に、そうした人の特性に配慮したシステム設計が重要課題になっています。あるいは、日常的に利用できるシステムにしておくということが重要かもしれません。
情報システムの役割
情報システムが本当に安全に役立つのかどうか、疑問に思う人もいるかもしれません。役立つこともあれば、役立たないこともあります。ただ、万能ではないからといって全く無駄ということにはなりません。突発性の事件や事故を直接防ぐことはできませんが、予知・予測可能な災害に対しては避難誘導などに有効です。防犯カメラは、直接犯行を止めることは出来ませんが、抑止効果が効く場合もあります。携帯電話の場合も、子供の位置や状況が把握できても、その場で誘拐や傷害事件を止めることはできませんが、事件の解決に有効な情報であれば、第2、第3の犯行を防止したり、その後の対策に役立つこともあります。正確な事実を把握し、問題点を解明することは重要なことだと思われます。また、安全確保に直接寄与しない場合でも、不安に悩む保護者に安心を与えるだけでも価値があるかもしれません。もちろん、安心と安全は区別して考える必要がありますが。
もし、自分が事件や事故の現場に居合わせたときに、目の前に負傷者がいて、その場に自分以外に誰もいないとしたら、まず何をすべきでしょうか。昔は、自分一人でなんとか救助すべきか、その場を離れて誰かの助けを呼びにいくべきか、負傷者の状況、自分の能力、助けを呼ぶ時間、被害拡大の予測など、様々なトレードオフを瞬時に判断しなければならない場合があったはずです。しかし、現在では携帯電話を持っていれば、その場で応援を頼む事ができるようになりましたし、専門家の助言を受けながら応急処置を施す事も出来ます。携帯電話の有無で雲泥の差が生じます。
事故や災害の規模が大きくなると、当事者の数が多くなり、誰が何をしているのか分からなくなります。こうした時、どのような情報ネットワークを組むべきかは難しいところです。中央集権的に統制の取れた組織的な活動が良いと思われるかもしれませんが、現場の十分な情報がない場合に正しい指示命令が下されるとは限りません。かといって分散した各現場での自立的な活動では大局的な判断が出来ません。様々な情報が交錯し、混乱を招く可能性もあります。学校安全のための情報ネットワークの中に生徒や保護者をどのように組み込むべきかについては、よく検討する必要があります。いずれにせよ、情報連絡の重要さに変わりはありません。正しい情報を迅速に全体で共有できるネットワークの構築が望まれます。
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電磁波環境問題
電磁波による健康被害の可能性
交流を利用する電気製品は多かれ少なかれ電磁波を出します。この電磁波が人体に悪影響を及ぼす可能性が指摘されています。いまのところ、日常的に浴びている程度の電磁波によって健康被害が起きるということは公的に証明されてはいませんが、全く安全であるとの証明もありません。まれに電磁波過敏症と呼ばれる症状に悩まされている人もいるようです。もし、健康被害があるとすれば、成長期の子供の方が影響を受けやすいと考えられていますので、子供にはできるだけ電磁波を浴びることのないように配慮した方がよいと思われます。
携帯電話は頭のすぐ近くで比較的強いマイクロ波を出すため、要注意と考えられている機器の一つです。PHSの電磁波強度は携帯電話の1割程度ですので、比較的、影響は少ないはずです。アクティブRFIDに至っては電波の及ぶ範囲が数十m程度ですので、ほとんど問題外といえます。ただし、パッシブRFIDの場合は、無線読取機が強い電磁波を出すものがあります。
参考情報
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