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芦野 隆一・山本 鎭男 著:

ウェーブレット解析(共立出版)より

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ウェーブレットの歴史については

Hubbard, The World According to Wavelets, A K Peters, 1996

が数学的予備知識を必要とせず読み物として非常に面白い. また

Meyer, Wavelets: Algorithms and Applications, SIAM, 1993

Kahane and Lemarie-Rieusset, Fourier Series and Wavelets, Gordon and Breach Publisers, 1995

などは実際に理論をつくってきた人たちが歴史について述べているので重みがある. これらの本をもとに歴史を振り返ってみよう.


現在のウェーブレット理論の歴史は非常に浅く, 80 年代初めに現れたにすぎない. しかし,理論的アイデアにしても実際の応用にしても大部分は ウェーブレットが数学における新しい道具として現れるずっと以前から 知られていたことなのである. たとえば,メイエ(Meyer)は, 1930 年代の数学におけるウェーブレットのルーツ Levy and Brownian motion, Littlewood-Paley theory, Franklin system, wavelets of Lusin あるいはそれ以降の atomic decompositions, Stromberg's wavelets について述べている. また,信号理論におけるルーツとしてガボール(Gabor)やビル(Ville)の 時間周波数解析における仕事や画像処理におけるルーツとしてバート(Burt)と アデルソン(Adelson)による ピラミッドアルゴリズムなど,多くのルーツを述べている. それではなぜウェーブレットがこれほど熱狂的に研究されているのであろうか. Hubbard によれば, 1986 年に 23 歳のコンピュータ映像専攻の大学院生だった マラー(Mallat)が数学者のメイエに, メイエたちがやってることも電子工学のエンジニアがやってることも 画像処理の人たちがやってることも, みんな同じことを違う名のもとにやっているのだということを説明したのが発端で, マラーとメイエは多重解像度解析の枠組みを作り上げたということであるから, それまでは他の分野の人たちが自分と同じことをしているとは 誰も考えていなかったのである.

Mallat: Multiresolution approximations and wavelet orthonormal bases of L2(R), Trans. Amer. Math. Soc., 315 (1989), 69-87

気がついてみると, 科学の多くの分野で同じような研究がされていて, これらを統一して説明する理論としてウェーブレット理論はつくられてきた というのがひとつの大きな理由であろう. この統一して説明しようという動きは大きなうねりとなって非常に多くの分野で 共同研究が行われ,それぞれの分野の科学的理解に深い影響を与えて今日に至っている.


現在のウェーブレット理論は 1980 年代初頭にモルレー(Morlet)が 考えた "wavelets of constant shap" を使った新しい時間周波数解析に始まる とされている.時間周波数解析とはフーリエ解析のように 三角関数の波の重ね合せで関数(信号)を表現するのではなく, 短い波 "wavelets" の重ね合せで関数(信号)を表現するというものである. これはちょうど楽譜を思い浮かべてもらえばよい. ある周波数の音がある時間に演奏されて,その重ね合せが音楽になっている. 音楽を楽譜で表すことが時間周波数解析であると思えばよい. モルレー以前に "wavelets" という言葉は使われていたので モルレーは "wavelets of constant shape" という言葉を使ったことを注意しておく. 時間周波数解析には不確定性原理という大きな制限があって, 時間と周波数の両方の情報を同時に詳しく知ることはできないことが証明されている. 1946 年にガボールは短時間フーリエ変換という時間周波数解析を導入した.

Gabor: Theory of communication, Journ. IEE, 93 (1946), 429-457

ガボールは不確定性原理という制限の中では 理論的に最良のガウシアンと呼ばれる関数を使うことを提案したので, ガウシアンを使う短時間フーリエ変換を特にガボール変換と呼び, 多くのエンジニアが使っている. 次の図はガボール変換に使われる窓関数の概形である.

Gabor window functions




モルレーは 1975 年ごろガボール変換を使って石油探査を行うフランスの石油会社 Elf-Aquitaine のエンジニアであった. 石油探査の標準的方法は地中に振動や衝撃を与えてその反射波を解析するというもので, 反射波は直接反射してくる波や何度か反射を繰返してくる波が入り交じっていて 地層が数百もあるので解析は困難をきわめていた. 新しい強力なコンピュータを導入し,ガボール変換による詳しい時間周波数解析をしても なんら新しい結果を生み出さなかった. そこでモルレーは全く新しい発想のもとに, ひとつの波を拡大縮小して時間周波数解析の短い波 "wavelets" に使ったのである. モルレーはこの波を "wavelets of constant shape" と呼んだ. ウェーブレット変換の誕生である. 次の図はウェーブレット変換に使われるモルレーの関数の概形である.

Morlet fuctions

短時間フーリエ変換は波の続く時間は変えずに振動数を変えるというものであるので 短い波 "wavelets" の形は変わることを考えれば,全く逆の発想であるといえよう. しかし,同僚には信じてもらえず,1981 年にエコールポリテクニックの クラスメートであった物理学者のバリアン(Balian)に相談し, マルセイユの理論物理学者のグロスマン(Grossmann)を紹介され, マルセイユのグループ(この中には後にウェーブレット理論で 大きな仕事をするドベシィ(Daubechies)も 含まれていたのだが)は数値実験的には非常に効果があったモルレーのウェーブレット変換の理論的基礎を構築することになったのである.

Grossmann and Morlet: Decomposition of Hardy functions into square integrable wavelets of constant shape, SIAM J. Math. Anal., 15 (1984), 723-736


次の図はモルレーのウェーブレットを使って コッホ曲線(Koch curve)と呼ばれる曲線を MATLAB により連続ウェーブレット変換した 例である. 上がコッホ曲線であり,下がその連続ウェーブレット変換像である. コッホ曲線の自己相似性が連続ウェーブレット変換により強調されてはっきり読みとれる.

Koch curve

CWT of Koch



ウェーブレット解析が数学の分野に入ってきたのは Lemarie に よれば 1985 年のことで,メイエが同僚の物理学者ラスクー(Lascoux)に グロスマンとモルレーによるウェーブレット変換を紹介されたことに始まるようである. メイエはウェーブレット変換が数学ではすでに知られていた カルデロン(Calderon)の単位の分解と呼ばれている公式と深い関係があることを 見抜いたのだが, この公式が時間周波数解析に応用できるということは考えてもみないことだったのである. 深い感銘を受けたメイエはすぐにグロスマンに会うためにマルセイユ行きの列車に乗り, 共同研究することになったのである. ウェーブレット変換は 1 変数関数が 2 変数関数に変換されるので, 解析する信号の情報を過剰に含んでいる. もちろん,この情報の繰返しによってデータが解析しやすくなったり, パターンを認識しやすくなる利点があるが, 多くの情報を必要とするので効率的とはいえない. 効率的なウェーブレット変換という考え方を推し進めると, ウェーブレットによる正規直交基底が構成できるかという問題になり, 1985 年にメイエは時間周波数解析に応用できるような良い性質をもった ウェーブレットによる正規直交基底が存在しないことを証明しようとして, 逆に構成してしまったというから面白い. ウェーブレット展開の誕生である.

Meyer: Principe d'incertitude, bases hilbertiennes et algebres d'operateurs, Seminaire Bourbaki, 662 (1986), 209-223


1986 年にはすでに述べたようにマラーが数学,信号理論,画像処理における 共通性に気づき,ラプラシアンピラミッドアルゴリズムに基づき高速ウェーブレット 変換アルゴリズムを考えている. この新しいアルゴリズムは信号処理や画像処理においてはデータ圧縮等に, コンピュータ映像においてはエッヂの検出等に広く使われている. 当初はスプラインと呼ばれる関数から,バトル(Battle)と ルマリエ(Lemarie)が構成したウェーブレットを切落して使っていたので, 誤差がつきものであった. この切落し誤差を避けるにはコンパクト台をもつウェーブレット基底を 構成しなければならなかった. ドベシィは 1987 年にコンパクト台をもつウェーブレット基底を構成したのであるが, 信号理論における有限インパルス応答フィルタに関連した考察により, よく知られた関数や公式などを使って構成したのではなく, カスケードアルゴリズムという反復操作を無限回行った極限関数として構成し, まさしくコンピュータ時代の産物といえるものであった. 次の図はカスケードアルゴリズムにより, ドベシィのウェーブレット N=3 を描いた図である. 左は 1 回,右は 2 回カスケードアルゴリズムを繰り返している.

D3 cascade

Daubechies: Orthonormal bases of compactly supported wavelets, Comm. Pure Appl. Math., 41 (1988), 909-996


彼女のコンパクト台をもつウェーブレット基底を使った 高速ウェーブレット変換アルゴリズムにより, 多くの分野で広くウェーブレット解析が使われている. 次の図はドベシィのドベシィのウェーブレット N=3 を使って ジュリア集合(Julia set)と呼ばれる画像を MATLAB により画像処理した例である. 左がジュリア集合の原画像であり,右がウェーブレット分解画像である. 分解画像の左上の画像は原画像のデータ数を 1/4倍に圧縮した画像になる.

Julia Set


1988 年以降もウェーブレットに関する多くの仕事があるが, その中で代表的なものをいくつかあげると, 画像処理における対称性の要求から生まれた双直交(biorthogonal)ウェーブレット, 解析したい信号にあわせて基底を取り替えて時間周波数解析を行う ウェーブレットパケット(wavelet packet)などがある. これらの新しい理論はすでに応用されていて, 有名なところでは FBI の指紋検索システムに使われている. ウェーブレット理論の進歩はめざましく, 情報はインターネットを使い多くの人々の間で交換され, 新しい時代の共同研究をかいま見るようである.

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