hokusetikalogo

事務局を終えて

相澤 直樹

 このたび、私事により12月31日付けをもって事務局を退くこととなった。老松克博先生をお招きして開催した、20世紀最後を飾る第8回北摂ソンディ研究会のお世話を最後にさせていただいたことを大変うれしく思う。これを機に、串崎先生から投稿のご依頼をいただいた。私自身のこの研究会での経験を振返りって、思いつくままに書いてみたい。

 私は第一回からこの研究会に参加させていただいているが、 設立段階から関わっていたわけではない。何気なく先輩に声を かけていただいたのが始まりである。しかし、その後毎回参加 してきたが、常に何かしら私にほっとさせるものを感じさせて くれた。ソンディ・テストについて全くといっていいほどの素人であった私に、諸先輩方が丁寧に教えてくださったのを今でも覚えている。研究会の中では私がもっとも若年者であったので、そのときはそれゆえの気持ちだと思っていた。しかし、今にして思えば、それだけではないように思う。

  私は当時何かに縛られるようにして臨床を行っていた。ある人 が私の面接を見て「約束事が多すぎる」と指摘したことがある 。私の意識の中には「〜しなければならない」という規範性が強すぎたのではないかと思う。来談者を理解しなければならない、役に立たなければならない、行動化をとめなければならない・・・当然ながら私の臨床はそれと気づかず一つの壁に直面 していた。面接の前には寝られない日もあった。そのような私にこの研究会は Eros (情熱とか思いやりとか愛情と言われる)を示してくれたのではないかと思う。

 「この研究会は Eros が豊かである」と言ってしまうことにも抵抗を感じる。Eros のみでは Eros そのものも成り立たない。しか し、心理テストの研究会であるにかかわらず、「ロールシャッハテストは嫌いです」と断言する方が参加していること事態Erotic ではないだろうか。「心理テストを勉強しなければならない」 という規範さえ間接化されている。Eros がもたらす無秩序と混沌に一槌をもたらすのがLogos であるならば、Logos がもたらす硬直と停滞を打開するのが Eros の真骨頂であろう。私自身の経験で言えば、第7回でロールシャッハテストの事例を発表したときのことが思い出される。石塚氏に指定討論者の役をお願いしたこの会で、私は、かなり強烈な経験と共に「まあまあ」や「とりあえず」といった言葉で表現される Erotic な姿勢の重要性を痛感したのである。

 世の中一般に Eros の働きが軽視されつつあると感じるのは私だけだろうか。少年法の改正や性犯罪の増加などにその片鱗を見て取れるように感じる。臨床心理学の世界においても同様ではないだろうか。システムが整備されるに伴って、迷いや葛藤などを経験せずとも臨床家になれるようになってきている。心理テストを実施することにおいても Eros は欠かせないものだと思 う。もちろん、Logos がもたらす規範やシステムも重要だから 、それが悪いということではない。Etos が大切だと言って何もかも「まあまあ」とお茶を濁してしまうことになれば、現実原則が成り立たないだろう。しかし、それだけではやはり何事も乾ききって殺伐としてしまうのではないだろうか。

 以上思いのままに書かせていただいた。幸い本年からは、大阪大学の西村氏が事務局の役を引き受けてくださることになった 。私は、神戸特派員として今後も参加させていただく予定である。最後に、色々と支えていただいた会員の皆様に感謝の意を表して筆をおきたい。

(2001/01/17受稿・受理)


戻る

ホームへ