Szondiana Hokusetsica

第14回大会を終えて
−d因子の意義を知る−

相澤 直樹

 去る3月23日、北摂ソンディ研究会第14回大会が神戸で開催された。会として久しぶりの(筆者としては初の)ブラインドアナリシス大会となり、筆者の狭い研究室で活発な討論が行われた。大会委員長として緊張の連続であり、めまぐるしく過ぎ去った一日であったが、閉幕していざ研究室を見渡すになぜか漠とした郷愁におそわれる。その思いを収めずにはおれず筆をとることとした。

 今にして思えば、今回のブラインドアナリシスは筆者に多くの示唆を与えてくれるものであった。端的に言えば、それはd因子の意義に集約される。当日発表された2つのケースがともにd因子に大きな特徴が見られたことにここでは注目したい。その中で、筆者は2つの点で大変重要な経験をできたと思う。

 一つは1回法に示されたd±を、d−からd+への動きと見るか、d+からd−に至る動きと見るかの議論であった。いずれと見るかでプロフィール全体の印象がたいそう変わる。そうして、ソンディテストに習熟している参加者がこの点で議論を交わし始めると、明らかに生き生きとした人格像が目に浮かぶのに感動した。正直なところ、今まで筆者はこのd因子にあまり注目してこなかった。この研究会に参加し始めたころ、d因子についてはd−=“執着・固着”、d+=“物質獲得・新規追求”と単純にとらえていた。しかし、最近になってようやく、d+因子の一般的現象形態が“探求への欲求”にあり、d−の反対に位置づく“古い(近親相姦的な)対象の喪失”と相表裏の関係にあって、d+の過負荷が“うつ病”の症状的形態となりうることを知った。しかし、その後も、m因子の理解しやすさに比して、なぜd因子と抑うつとの関係がこんなに複雑なのか、とずっと疑問に思ったままであった。

 しかし、今回の経験は、改めてd因子の重要性を気づかせてくれるものとなった。ソンディがm因子に並列して抑うつ感情などの因子を直接置かず、このd因子を見出したのは大変示唆深い。それは、抑うつ感情や喪失感情が決してそのものとして本質的でも決定的でもないことを教えている。仮に抑うつ感情が衝動の一つに過ぎないとしたら、抑うつに陥った人は“抑うつ感情衝動が強い”と位置づけられるだけでなんら救いがないのである。それに対して、獲得したものを保持しようとする衝動、そして、その一般的現象形態としての古いものに執着しようとする衝動と、その破綻を補おうとする過剰な探求の衝動、そのさらなる破綻としての抑うつ状態、つまり、このd−→d±→d+!となる変遷とそこから生じる抑うつという流れは、理論的補償像としてd−!が背景に控えていることを考慮したとき、抑うつ状態がしばしば今までの自己を見つめなおす(d−)契機を内包している事実を教えてくれる。同時に、衝動運命全体そのものが人間にとって最も古く与えられたもの(対象ではないが)である、という関係を理解すると、このd−をいかに生きるかの契機がその後の新たな変化(衝動因子全体の構造の変化、あるいは、権限形態の変化)の可能性を内包しているという関係も理解できるのである。

 もう一つ印象深い体験は、“分かる”から“分からない”への変動であった。今回のブラインドアナリシスでは、参加者のすべてが“分かった”と思った瞬間に、新たな情報が飛び出してきて“分からなくなる”というプロセスの繰り返しに関与することとなった。しかも会の雰囲気はそれをもってしても絶望とはならなかった。むしろ、余計に議論は白熱し、筆者も普段よりも多く話した。クライアントの目の前で同じように“分からなく”なったとき、自分はこのように振舞えるだろうか、という疑問がおのずと脳裏をかすめた。

 若干話が飛ぶが、筆者の臨床姿勢はまさにこの“分からない”という体験の前で行き詰まりを経験している。それは抑うつ的なクライアント(多く身体化障害から移行した抑うつであるが)をまえにして生じた。彼らの多くは、面接の始めに“何もかわりません”と言ったまま沈黙する。そうして、どのような話の向け方をしても面接の場で生じていることが分からなくなる。面接の中で“分からなくなる”という見立てを失う経験は、ある意味筆者にとっては根本的な喪失体験にほかならなかった。ところが、今回のブラインドアナリシスでは“分からない”ということが根本的な喪失として絶望にはつながらない不思議な場が存在した。

 このような体験がd因子の議論と同時に生起していたことの意義を改めて感じ入る。そして、このことは、前述の行き詰まりに新たな可能性を示してくれるように思う。それは、抑うつ感情や喪失感情をそれそのものとして絶対的なものと位置づけるのではなく、それを衝動因子の変遷の一つに位置づける姿勢と言える。そして、この行き詰まりの体験がd−への変転を内包して、再度自身とクライアント、それまで確立されてきた面接過程を振り返る契機になりうる可能性を意味している。その中で、喪失の体験を排斥するのではなくきちんと生き抜くこと(会の中で、d−!を生き抜くことの大切さが指摘されたことを改めて思い出す)が新たなるものをもたらしてくれる可能性を知ることができる。

 振り返れば、以前筆者はErosに関する文章を投稿したことがある。これは紛れもなくm因子に関する自分の意見を述べたものである。そうして、今回のブラインドアナリシスではSchベクターに関する(と筆者が思う)事例を持って臨んだ。残念ながら時間の関係上、その事例を討議する機会はなかったが、予想外に今までほとんど注目してこなかったd因子に目が向く結果となった。右から順にと考えると、当然視野に入るべき因子であったが、いまだ十分に理解できたとはいえない。“Schベクターいまだ遥かなり”といった観である。しばらくは先を急ぐのではなく、自身のd因子とその動きについて研究会の中で深めていければと思う今日この頃である。

(2003/03/29)

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