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日心臨始末記

石橋 正浩

 9/13。前々日までの豪雨は嘘のようにおさまっていた。前日から伏見の友人宅に宿泊していた私はタクシーの中で「このへんはですねー、こないだの事件があったところなんですわー」などといった宇治案内を聞きながら会場に向かった。何千人もの老若男女が集うさまに「これ全部臨床やってるのかー」と私は寒気すら感じながらもその中の一人となった。

 ワークショップ。北ソン本部長として(笑)大塚義孝先生の『ソンディ学』に参加。独特の癖のある語り口も2回目ですでに心地よささえ感じられるようになっていた。大塚先生には資格関連のことばかりでなく、もっともっとソンディについて熱く語っていただきたいと強く願う。

 9/14。自分の発表と自主シンポでの話題提供との2本立てというハードスケジュール。午前中の自分の発表について言えば、フロアの反応は予想通りだった。「ロールシャッハ反応の文章型」というこのテーマ自体が「ちょっといい話」という類のものであることは否めないし、ある意味「どーでもいい話」である。しかし、その「ちょっといい話」が時には重大な情報をもたらすことだってあるのだ。これはほんとにささやかな私の臨床経験が教えてくれたことであり、揺るぎのない部分である。ただ、今回の発表の段階ではその個人的体験を他者に伝えて理解を得るだけの準備ができていなかったと現時点では振り返っている。これはまさに心理臨床の妥当性というテーマとダイレクトにつながってくる問題でもあり、考えさせられることの多い発表であった。以前、「おもしろいと思うのはおもしろいと思えるだけの理屈がそこにあるからだ。その理屈を理解していないのはわかっていないということだ」というようなことを辻悟先生に言われたことがあるが、蓋し名言。

 夜の自主シンポ。午前の発表でバーンアウト(ないしは0傾向)気味なのに加えてほんの2年前に内田さんに誘われて初めて参加させていただいた場所で自分が話題提供なんぞしているというどえらい状況であるが、「これも〈シクザール〉」と呟いてみると意外と楽になるものだ。大塚先生(再び)のコメントから4傾向のイメージが初めてありありとつかめたのは私にとって大きな収穫。

 ・0傾向(00):衝動が何も出てきてないので何もしようと思わない(欲求がないから動かない)
 ・4傾向(±±):衝動が全部出てきてどれも扱えずに固まってしまう(欲求がありすぎて動けない)

 9/15。まだ頭の中は0傾向気味。当会の事務的な事柄を引き受けていただいている相澤さんのポスター発表の終了間際に会場入り。質問紙でデータをとってというスタイルの研究も時には悪くないな、などと今さら思っていた。おもしろいテーマがあったら学生とつるんでやってみようかな。その後、内田さんたちと伏見で昼食。うまかった(何がって?言えません)。その後宝ヶ池まで移動。いくら電車1本で行けるからってこれは無茶だと思ってしまった。国際会議場にてJames Hillmanの講演。話のタネに生ヒルマン、くらいのつもりだったが、しっかり動かされた。おかげで(?)帰りの電車の中では彼岸に行きかけてしまった。

 そんなこんなで、それほど動き回ったわけでもないのにやたらと疲れた学会であったが、方法論を別にすればまったく頓珍漢なことをふれまわっているわけでもなさそうだと思うこともできた。支えてくださった皆様に感謝。これからもよろしく。

(2000/09/21受稿・受理)


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