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第6回投映法フォーラム参加報告

石橋 正浩

 最近投稿が少ないので、編集子自ら去る7月22日におこなわれた「弟6回投映法フォーラム」の参加記を書いてみようと思う。

 そもそもは4月に関西ロールシャッハ研究会の福永先生より「行ってくれません?」と言われたことから始まった。他の先生方のキャリアとは明らかに釣り合わないことを理由に断っていたのだが、とうとう断り切れずに引き受けた。力動的解釈・名大法・阪大法のそれぞれの立場からシンポジストを立てディスカッションをしようという企画自体への興味はあったが、自分が雛壇に登るなどとは夢にも思わなかった。

 前日に名古屋入りし、内田さんと夕食をともにする。内田さんは私の体を案じてくれ、早々に宿に戻るよう勧めてくれたわけだが、もう1軒つきあっていただいた。名古屋名物の一つらしい「手羽先」は唐揚げにされた手羽先をタレにからめたもので「あまがら」かった。

 当日は少し遅れて会場入りした。いつもならば単なるフロアの客として入るところなのだが、今回はなにせ「シンポジスト」。「大阪教育大の石橋です」と受付で言うのは少し気恥ずかしく多少勇気がいったのだが一度では通じず、案内のプリントを出しながら「これなんですけど」と自分の名前を指しながら言ってしまった。

 午前中は福岡家裁の桑原先生による「夢の木」と山梨大学の吉川先生による「ハンドテスト」の講演。高校以来朝が弱い質でボーッとしていたが、ハンドテストはなかなかおもしろい。運動表現の内容分析のようなことが基礎になっているらしいが、〈どんな場面〉という教示を入れ投影を起こさせることでバリエーションを増やしていくところに独自性があるように思われた。ちなみに、桑原先生とは昼食後会場の外で煙草をすっているときにお話をする機会があり、両眼の視力差がベンダーゲシュタルト描画に与える影響の話や、「バウムテスト模写機」(!)開発の話ならびにその模写機を使っての体験やエピソードなどの話をおうかがいし、こう言っては先生にはまことに失礼なのだが、個人的には講演より数倍おもしろかった。やはり学問はp的関与がその人の基盤にないとつまらないものだ。

 いよいよシンポジウム。プロトコル自体が難しく、8割程度の準備状態で雛壇に上がったわけであるが、事前の打ち合わせでは好きなように話してよいということだったので気は楽になっていた。前のお二方がそれぞれどちらかと言えば内容分析的な話を中心にされていたこともあり、筆者の話はフロアにとってはかなり異質な話に聞こえたかもしれない。30分という持ち時間をどう持たせようかと思っていたのだが、結果的に2回分のプロトコルをきっちり見て話していくのには短かった。可能な限り阪大法のタームを使わないでとなるとかなり遠回りが必要である(「複合」すらなかなか通じないのだから)。アウェーだからしょうがないというのはあるにせよ、まだまだ自分の力不足を感じる。

 休憩後のディスカッションでは、やはり筆者に質問が集中した(アウェーだし)。馬場先生の質問でそれまで話題に上っていなかったサイコグラムの話が突然出てきたのには慌てた。おかげで自分の継時性が発動してしまった。継時性の説明にはいい実例となったが。

 質疑を通して、II、VI、IXのいわゆる「輻輳カード」群のカード毎による特徴というのも大きな検討材料となるのだということを再認識した。IIカードのレベルとIXカードのレベルの違いというのは意外と大きい。

  • IIカード:2色しかない
  • IXカード:3色

     IIカードで最も失敗しているようなプロトコルでIXカードが一見すっきりおさまっているという印象をもつことは案外少なくない。IIカードで失敗した人がなぜIXカードで「すっきり」しているのか。ここで思い起こされたのが、中学か高校のときの国語で読んだ「1−2−たくさん」という数概念をもつ文化のことである。そう、3以上になると操作しない/できないということもあり得るのだ。この図式で言えば2色の輻輳であるIIカードが最も困難なカードとなり3色以上あるIXカードは「たくさん」なのでかえって困難でないのかもしれない。もしかすると、エディパール文脈における「3」者関係のトピックとも重なっていたりするかもしれない。2者関係でトラブルを抱える人が3者以上の関係をうまく扱えるかというと、おそらく困難であろう。筆者は分析プロパーではないが、ふとそんな連想をしてみた。

     最後に、終了後スタッフの方々を含め数名の方に「おもしろかった」と言っていただいたのだが、どうおもしろく思っていただいたのか、後学のためにも聞いて帰ることができればよかったと思う。

    (2001/08/02受稿;2001/12/20改稿)


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