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『ソンディ・テスト入門』刊行に事寄せて

石橋 正浩

 文字通り,「ついに」同書の刊行が叶った。監修者の奥野哲也先生の還暦を祝うという趣旨で最初に本書の企画があがったのが2003年の4月。そこをスタートと考えると,約1年半を要した作業となった。企画の段階から刊行までのプロセスに携わった者の一人として,素直に嬉しさを感じている。本書の紹介については出版元のナカニシヤ出版さんのホームページを始め,筆者を除く2名の編者による紹介もそれぞれのホームページに掲載されている。ここでは,本書の刊行を通して感じた今後の展望という点について,現時点での考えを簡潔にまとめてみたい。

 作業を通して痛感していることは,「衝動」を言語化することの困難さである。衝動は,そのものとして確認することがほぼ不可能な仮説体である。そのものとして確認することができないという特徴に加え,言語の成立すなわち認識の成立以前にすでに活動しているものとしての衝動を,認識の側から記述することは容易なことではない。

 ソンディの衝動論の重要な示唆とは,おそらく社会的存在としての人間の要素と,生物学的存在としてのヒトの要素,この両者を合わせて人の全体性が構成されている視点を提供している点にある,と最近の筆者は考えている。こうした対置は,たとえば辻(2003)の原体験論を引き合いに出すと,合理的認識の重要性を知りそれにもとづいて判断・選択・決定をおこなう認識的な経験領域と,合理的認識に体する妥当性がそもそも問われる位置にない原体験的経験領域という対置にも見ることができる。どちらの領域も人間の経験領域であるということを知り,両者の複合的展開において新たな意味を作り出していくことこそが人間らしさの発露と言うこともできよう。認識的経験のみに価値をおき,認識の範疇に収まりきれない経験を排斥してしまうことは,そのまま経験の狭窄化と結びついている。ソンディの論においては,複合に相当する用語として「架橋」がある。橋を架けるためには,当然ながら橋の接地点である両岸の存在が不可欠であり,こころにおいてはこのことに気づくことがきわめて重要である。その意味で,ソンディ・テストは,h因子が+だから同性愛,などという単純なものではなく,8つの因子からなる一つの全体性という視点を提供する,一つの枠組である。

 ただし,残念ながら,なぜ因子が8つなのか,といった素朴な疑問は,ロールシャッハ検査の図版がなぜ10枚なのかと同様,確実な資料が存在していない以上確認不可能な状況ではあるにせよ,依然として残ったままである。解釈の参照元である大塚(1993)のデータも,特に標準データとなるべき非臨床群のサンプリング等に,十分であるとは言いがたい点が残されている。本書第11章にローラッヘルの批判について記載された箇所があるが,これをローラッヘルの理解不足として安易に棄却し,既存の枠組を死守するか,それとも客観的な形で確認できないからと言ってローラッヘルのようにソンディの枠組自体をすべて棄却するかという二者選択をおこなう前に,大塚(1993)の知見を地道に確認していく作業が必要であるということが,本書の刊行を通して多少は明らかにできたのではないだろうかとも考える。エヴィデンス隆盛のこのご時世に本書が生まれた意味は,このへんにあるのかもしれない。

 『ソンディ・テスト入門』,ナカニシヤ出版より,本体価格2800円で発売中です。

[文献]
・大塚義孝(1993)衝動病理学[増補]. 誠信書房.
・辻悟(2003)こころへの途. 金子書房.

(2004/11/20)

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