Szondiana Hokusetsica

ちょっとラカンの話を(2)

内田 裕之

 相澤氏による日心臨第22回大会の心象スケッチを興味深く読ませていただいた。

 思えば、こうして日心臨のレポートが投稿されるのは、第19回大会以来で、京都で開催されることも何か関連しているのかもしれない。

 学究の場としての京都のイメージはさておき、私も先日学会のシンポジウムに参加たことを受けて、本誌に投稿をしたわけだが、相澤氏にしろ私にしろ学会参加後の未消化なもの、もう少し取り入れたかった空腹感に由来する投稿であった気がする。

 ここでまた、ラカンの話に持っていきたいのだが、土居健郎がラカンに寄せた原稿の中で、ラカンを読んだ日に見た自分の夢を分析している。その夢は「可愛がってくれたおじさんに空腹のまま寝かされる」という内容で、ラカンによって触発された退行として、ラカンに対する批判を書いている。

 口唇的な連想になるが、「空腹」「未消化」はそのままにしておくことができない不快感であり、充足や安定の方向に向かいやすい状態と言えよう。あるいは、満たされなかったことを逆恨みして攻撃に転じたり、自分はお腹なんて空いていないんだと否認することもあるかもしれない。

 ラカンは、短時間セッションを実践していた。これは面接時間50分をフルに使うことなく、途中で打ち切るというものである。しかも、いつ終了するかもわからない。ただ、何か重要なことばが出た時に、打ち切られるということである。ちなみに、この技法はラカンが国際分析協会から破門にさせる一因となった。

 セッションの途中で打ち切ることの是非はともかく、セッションの終了は難しい。日頃の人間関係では、時は金なりをモットーにするアメリカ人のビジネスでもない限り、一区切り付いた辺りか、一区切りつかないが時計を見て、「ああ、もうこんな時間ですね、そろそろ」という形で打ち切るのが通例である。

 しかし、心理療法は違う。時間を決めて会い、時間が来たら別れる。しかし、ご縁が切れてしまうのではなく、また次回に約束の時間になったら会う。言い換えれば、また会うために別れるといってもよいかもしれない。

 大学院時代に、子どものプレイセラピーで、終了しぶりがあり、困っている後輩をよく見かけた。〈お母さんが待ってるから〉〈他のお友達が使うから〉とよく耳にしたが、何を言うか、何と伝えるかは大切ではなく、むしろ、ラカンの短時間セッションのように、打ち切ることで次の展開を待つという考え方がなければ、積極的に終了にもっていくことはできないであろう。考えてみれば、ふとしたことで不安になりやすいからクライエントとして来談しているのであり、年齢的に対象の恒常性が揺らぐこともあり得るのだから、よけいに難しいのである。

 セッションを終了することと関連して、正規の精神分析療法でアクティングアウトを取り扱うことと、週に1回のいわゆるカウンセリングないし精神分析的心理療法でアクティングアウトを取り扱うことは、趣きが違うらしい。

 週に何回も会う面接ならば、すぐに次のセッションが来るので、次回まで持ちこたえることもできるが、週に1回の面接では、どうしても日々の生活の中でこぼれ落ちてしまうことが出てきてしまう。それゆえ、正規の精神分析療法では、アクティングアウトは社会的に問題を起こすことだけではなく、すぐにやってくる次のセッションまで持ちこたえられない肛門期の問題としても問題視されるわけである。

 週に1回の面接をルーチンとする臨床家としては、こぼれ落ちることがあると認識しつつ、面接をすることは重要な視点である。だからこそ、次回の面接の最初が〈どうですか〉という問いかけから始まり、あるいは、子どものプレイセラピーであれば、母子併行面接で母親面接の情報として、家での様子を聴くことも重要になってくると考えられる。

 ここで、ラカンの「シニフィアンの横滑り」という考え方を見てみよう。この考え方は、ユングの拡充と一見似ているが全く異なる。横滑りしていくシニフィアンは、どんどん意味がずれることであり、拡がりや充実とは程遠い様相を呈する。

 新宮一成は、シニフィアンが横滑りしてずれていく例として、こんな冗談を挙げている。

  “ある男が鍋を借りて穴をあけてしまった。それを責められて次のように弁明した。
  「私は鍋を無傷で返した」
 →「鍋は借りた時にすでに穴があいていた」
 →「第一私は鍋など借りた覚えはない」

 この例は日常的なこととしてわかりやすいし、よくあることでもある。

 あるいは、こんな具体例もしばしば目にする。

   ある人がソンディに関心を持った。それで、勉強したくて誰かソンディアンに接した。でもわからない。
  「ソンディは難しい」
 →「こんなものはわからなくていい」
 →「こんな変なものに関心を持っている内田は変わっている」etc.

 そう考えると、打ち切ることで、ラカンは、シニフィアンのさらなる横滑りを避けていたのかもしれない。この考え方からすると、ある時点で打ち切ることによって、それよりも時間が先行するところで生じた意味が再びクローズアップされることになる。こうしてクライエントのことばの意味を明確にする治療を行っていたのだろう。

 打ち切ることは、ソンディ的にはs因子の働きである。大塚先生もどこかで、面接を終了して面接室からクライエントを出す自分はサディストさながらである、という趣旨の文章を書いておられた。面接を展開させていくためには、h因子的な共感だけではなく、サディストにもならなければならないということであろう。そう考えると、ただ単に鞭をふるうことではなく、治療ごころのある愛の鞭といえるかもしれない。

 面接のセッションの後で起こること、研究会や学会の後で起こることも注目すべきであろう。後になってやっと、先に起こっていたことの意味がわかることも多いものである。

 たまたま学会期間中、中村くんと論文を書くことが話題になった。

 そう考えると、自分を権威づける行為としてだけではなく、論文を書くことで先行して生じていた現象の意味を明確化できることもあるのだろう。

 未消化なものを「わからなくていいや」と意味づけが横滑りしていくことなく、皆で精進していければと思う次第である。

【参考文献】

土居健郎 (1994) ラカンを読む.藤田博史編, imago,10月臨時増刊(vol.5-12):総特集 ラカン 精神分析の最前線.青土社.73-77.

新宮一成 (1990) ラカンと夢分析.小出浩之編, ラカンと臨床問題.弘文堂.3-36.

(2003/09/22)

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