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Szondiana Hokusetsica

第19回大会を終えて

内田 裕之

 去る3/10に第19回大会が開催された。下関が本州の西端にあたり、串崎先生の生誕の地でもあるという場での開催となった。

 大会の内容を再現するよりは、その後の連想に比重が傾くが、少し文章化してみたくなった。

 今回のテーマは「心理査定における発達理論の意義」で、私から口火を切った。幼児のロールシャッハ反応の研究知見を概観して、いわば「反応未満の反応」「反応の先駆体」からいかにして「一人前の反応」が成立するようになるか、その通路をなぞってみた。その上で、検査者ないしセラピストとして寄り添う姿勢について、主として描画の研究の知見を紹介しながら、ロールシャッハにも応用できる点を取り上げてみた。

 発達が非可逆的であるという点からすれば、もはや我々は幼児と同じようにものを見ることができなくなっている。「いないいないばあ」は対象の恒常性が確立されつつある過程において、「いないいない」と顔を隠した大人が消滅してしまった不安を感じた後、「ばあ」と再出現することでの安心という流れが子どもにとっては面白いのであろう。こうして理論的翻訳をはさむことで、子どもの体験を少しは追体験できるが、これと全く同じ感触を味わうことは日常生活の中での大人では不可能である。

 「馬鹿馬鹿しい」「幼稚だ」「わけがわからない」と形態水準をマイナスに評定することも起こりうることだが、どうしてマイナスと評定しなければならないのか、その根拠が述べられなければならない。この点で、片口法のように一括してマイナス処理をする立場ではなく、Klopfer法のマイナスの4水準や阪大法の3つのレベルに分けることは、意義深いことである。面倒くさいと片付けず、丁寧に評定することが私は重要であると思う。

 その作業が、少なくとも「未知のもの」「わからないもの」「価値がないように思えるもの」に接した際に、検査者ないしセラピストが感じた不快に由来する価値低落ではなく、積極的な意味を見出せる工夫になると、これまでの査定の経験で感じてきた。

 先日提出した学位論文で「関係準備性」ということばを挙げた。これは、被検者ないしクライエントにおける関係性の内的な準備、メンタルセットを査定する試みである。こういう概念を提示することだけではなく、検査者ないしセラピストの側が“聴く耳を持つ”べく準備することが必要となる。それは、生半可な共感や受容ではなく、また、自分の主観や連想でわかった気になることでもない。むしろ、検査者ないしセラピストの側の「準備」にあたるものだろう。

 描画の知見から、はかなく消える対象を共に眺める姿勢(北山修)、2項関係から3項関係への移行(やまだようこ)を取り上げる一方で、成人を被検者にしたロールシャッハ状況において、被検者・ブロット・検査者という3項関係が成立していること、「了解」(藤岡喜愛)という関係性についても取り上げた。この視点による解釈例は、『ソンディ・テスト入門』での事例で既に取り上げた。

 理論をおさえることによって臨床的な姿勢へとつながるような工夫は、臨床家一人一人が心掛けなければならないことであろう。

 研究会当日は、私の発言を受けて、相澤先生から「発達は誰にでも起こっている」ことである点が指摘され、その上で「誰にでも起こっているが、全員に同じような経過が起こるわけではない」ことが強調されたと理解している。

 この発言にはずいぶんと考えさせられた。まだすっきりした返答はできないでいるが、現時点での連想を述べておきたい。

 発達障害の子どもを持つ親が自責の念に駆られること、神経症・人格障害のクライエントが親の仕打ちに対して自分にはどうしようもない欠損が親によって植え付けられたという不満や怒りを述べること、こうした光景はセラピストであれば、身近な話であろう。

 思うに、自我が未発達であれば、それだけ現実との接触において、中間に入る存在として、親の自我が使われることになる。それは、自分の与り知らぬところで、他者が介在していたということであり、そこで何らかのミスが生じていれば、ミスを犯した者は後悔することにつながるであろうし、知らないうちに勝手なことをされたと被害者の立場を取ろうとすることにつながるのであろう。

 精神分析は、こうした主体の与り知らぬところで生じていた問題を考えていくことに主眼を置いた。一方で、Szondiの運命分析は、主体の与り知らぬところを祖先の未解決な欲望(家族的無意識)として定位したといえる。しかし、いずれの立場も「親が悪い」「先祖が悪い」と合理化するための理論ではない。

 「あなたには、ともかくそうした不利なことが自我を獲得するまでに生じていた。さて、では、自我を持ったあなたはここからどう生きるのか」というあくまでも主体の問題が心理療法の中心的な問題となる。

 主体的に自分の問題を引き受けていくためには、中間に入る存在として、セラピストが必要なのであろう。その際に、やまだや北山が示した「寄り添い」は必要不可欠なことである。しかし、生半可な共感やわかった気ではなく、一方で形態水準をマイナスに評定しつつ、「わかる」という体験が重要であると、私は考えている。これは、河合隼雄が「相当変な反応でも見えました」と論じている記述が参考になったと感じている。こうした心理療法の原理に関する議論はまだまだ続けていかなければならないであろう。今後の本研究会における課題の一つであろう。

 蛇足ながら、ここで私が語らなければはかなく消えてしまうエピソードを一つ。

 研究会の次の日、下関観光をした。偶然のことだが、下関は串崎先生の生誕の地で、生地巡礼の旅に出た。「串崎城跡」という彼の祖先に関わる地を尋ね、彼の生まれた病院を訪れた(特別グラフ参照)。いわば家族的無意識と個人的無意識の旅でもあった。臨床家として大学教員として分離個体化した彼と一緒に過ごしながら、家族的無意識という場、個人的無意識という場とは別に、一個人として存在している彼の姿を見ていた。そこには、自分のルーツを見る眼を持った自我があった。個人の発達とは案外こういうことなのかもしれない、と思った。こんな連想をしつつ、旅を共にしたことも今回の研究会の意義だったかもしれない。

 今回の西の果てへの「方違え」を経て、研究会の生地である大阪大学で開催される第20回大会が盛会となることを祈念しつつ。

(2005/03/21)

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