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Szondiana Hokusetsica

大塚先生の講演会を聴いて

内田 裕之

 去る8月1日夜に、勤務校で大塚義孝先生の公開講座があった。今年度の夏の集中講義で下関に来られた関係で、開催されることになったのだ。

 演題は「こころの時代:表と裏」だったのだが、話し始めれば、おなじみの大塚節が炸裂していた。副題が示唆するような裏話というより、表と裏の相補性として語られていたのが印象的であった。

 長年の資格問題のことと重ねて、臨床心理士の必要性について、衣食住が確保されない危機的状況を脱して豊かになった時代背景から「コミュニケーション・ロス」「リレーション・ロス」「リアリティ・ロス」が生じてきたことに端を発していることが語られ、一方で、震災後の衣食住が確保されない状況での援助にもつながりを持たせながら語られていた。これは戦前の生まれ、戦争体験者でなければ持てない視点だと感じた。

 その後、「臨床」という言葉の語源を説きながら、「臨床○○学」と称する多くの学問を連想的に語りながら、改めて「臨床」という言葉を関する「心理学」である臨床心理学について示唆された。

 続いて、臨床心理士の専門性について、「査定」「面接」「地域援助」「調査研究発表」という4点を挙げて、医学パラダイムと対比させながら話は進んでいった。

 まず、「診断から査定へ」というパラダイムの変換については、何からの価値観によって見分けることではなく、「査定される人の立場から見る」ことの重要性が語られた。

 次に、「治療から面接へ」というパラダイム変換については、英語表記のinterviewを引き合いに出しながら、“中へと”そして“漫然と見るのではない視点”が強調されていて、そのニュアンスが「面接」という言葉では出せないことが付け加えられていた。また、「Bio-Psycho-Socio-Spiritual」というホリスティックな視点を挙げながら、関わりとして、「treatment:処置」「therapy:療法」「interview:面接」「intervation:介入」「helping:援助」「holding:介護」に連続性があることを取り上げて、臨床心理士の活動の流動的なあり方が語られた。

 「公衆衛生から地域援助へ」というパラダイムの変換については、臨床心理士が「1対1の構造」ではなく「1対地域の構造」として臨むことが語られた。興味深い発言としては、コミュニティの訳語に「運命共同体」という言葉が当てられていた。個人がいかに運命を受容するかというソンディの考え方が、同じ地平に立つ人々が共同体としていかに運命を受容していくか、という考え方に展開していることが垣間見られた。

 そして「特殊な事例を発表することから臨床心理学的研究へ」というパラダイムの変換については、「事例を重ねていく」重要性を示す一方で、「一つの事例をみんなで検討する中で、砂の中から砂金を吸い上げる力を持った一人の人の見方が、その場に影響し、他の人をして砂金を一粒でも吸い上げせしめる影響力を及ぼす」という比喩的な表現で、臨床心理学的な事例研究法の独自性が強調されていた。

 最後には、資格関連の話題も語られたが、現状でのすっきりしない状況を説明しながら、k的に資格を考えるのではなく、p的に資質を向上させていくことを強調して、講演は終わった。

 ざっとあらすじを語っただけでは、「読書感想文」として質の低いものであるが、ここしばらく自分なりに考えている[資格」に関する見解に、一つ刺激が与えられた気がしている。

 後日、私なりの「資格」に関する論考を改めて論じることにして、ひとまず現場レポートを終わることにする。

(2005/08/03)

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