北摂ソンディ研究会ホーム > Szondiana Hokusetsica > 追悼、Jacques Schotte
久しぶりにだいかいが開催される運びとなり、その流れの中で、これまた久しぶりにSzondi Forumにアクセスしてみた。
昨年の12月1日付の記事で、Jacques Schotteの訃報が伝えられていた。
彼が亡くなったことは全く知らなかった。
彼の考え方は、私が自分の理解を進めていく上で有用であったこと、そして、一度見たら忘れられないインパクトのある人物であったことから、追悼の気持ちを込めて筆をとることにした。
Schotteの思い出は、1996年に来日した際に、大塚先生のソンディ研究会で講演を聴いたことである。
確か、河合塾の企画で木村敏が呼んだらしく、その合間にソンディ研究会で講演をされたという流れ。
すでに『衝動病理学:増補版』の中で、Schotteの理論は紹介されており、大塚先生も大変評価をしておられ、私も興味を持っていた。
その本人が来日するということは、私にとって1つの事件であった。
さて、研究会当日。大塚先生は京女を定年退官しておられたはずなのに、会場は京女という不思議な点あり。それはさておくとして。
まず、Schotteの風貌。とてもインパクトがあった。
ダンガリーのシャツに、チノパン、皮のサンダルというお姿。
木村敏が「スコット先生は学会でもどこでもこの格好を貫いておられます」と苦笑しながら代わりに弁解するような紹介をしていた。
お顔は「ど根性ガエル」の梅さんのようなでかい顎。
このインパクトだけで、もうお腹一杯だった。
また、Schotteの経歴が紹介される中、若い頃にヨーロッパを渡り歩いて、Szondiだけではなく、Lacanにも師事していたことが紹介された。
YouTubeで、Lacanを検索していたら、ベルギーで講演した際の動画があり、そこに若い頃のSchotteが映っていた。
「Freudに帰れ」というLacanのテーゼは講演でも強調されていた。
Binswangerの現存在分析にも関心があったらしい。
ちなみに、ヨーロッパでは、Lacanが現れてから、現存在分析を志す者が現存在分析を離れてLacan派に流れるという風潮があったらしい。
思想の流れとしても、現象学から構造主義へのトレンドがあったわけだが、精神医学ないし精神病理学も同様だったようだ。
講演は英語で行われ、聞きやすく、内容もわかりやすかった。
自身の考え方を「Pathoanalysis」と呼んでいた。
これは、8つの因子記号から病理学を組み立てるという手法で、Szondiの考え方をさらに一歩進めたものであった。特に、4ベクターの病理を時間体験に当てはめて、4つの病態水準を読むという考え方は、Szondiの考え方だけではなく、Lacanの病態論の影響も受けており、ソンディ・テストだけではなく、広く病理学理論として使えるものであった。
彼の考え方については、『ソンディ・テスト入門』のコラム9と10に簡単に紹介したので参照していただきたい。
講演の中では、他にも面白い話が聞けた。
「Szondiは最初8因子ではなく、10因子で研究を進めていた」という衝撃的な話。
遺伝をキーワードにしている関係で、「天才」と「知的障害」の2つが加えられていたらしい。しかし、自由運命という考え方に照らせば、変容可能性が乏しいことから、削除されたという。
また、Szondiの衝動回転理論を修正したことについては、「回転してp-で終わるのがおかしい」と述べ、思索していた中で「夢の中で、無限大∞の記号が浮かんできて、これだ!と思った」というエピソードを語っていた。
はたまた8因子を自在に用いて記述し、「Maniaco-Hystero-何とか(失念)」と3つの因子を組み合わせて、病態を記述したりしていた。
こんな調子で講演中はノリノリで話しておられ、ホワイトボードマーカーのキャップをはずしたまま、聴衆に向かって指揮棒のように振りかざしていたため、大塚先生が途中で「キャップ!キャップ!」と演台に駆け寄るという一幕もあった。
講演後、京女近くの京都パークホテルにて懇親会が催され、Schotteと直接話をすることができた。
ちょうど私はm因子の研究をしていたので、自分の取ったデータについて<m±が多かったのだが>と尋ねると、「それは青年期を対象にしたからだろう」とあっさり回答された。
帰りがけ、「もしソンディを勉強したいなら、スイスではなく、ベルギーに来い」と強く言われた。
それだけ自身の考え方に自負があったようだ。
大学院生の頃からソンディを勉強して、自分の心理学的理解を確立しようと努力していたが、その中で、ドイツ流精神医学、精神分析学、現存在分析など広がりがもてたと思っている。
特に、あの時、Schotteの考え方に触れたことは、私には大きい出来事だった。
文末になったが、ご冥福を祈る。
付記
懇親会のあったホテルを確認しようと検索したら、京都パークホテルは廃業になっていた。あると思っていたものがなくなっていたというのはさびしいことである。時代の流れを感じた。
(2008/01/29)