中島敦 「悟浄出世」論

大阪教育大学近代文学ゼミナール





【 序論 】

 1、遍歴に出るまで

 2、悟浄の変化について

 3、悟浄はどのように救済された

【 結論 】


【 序論 】

 「悟浄出世」は、昭和17(1942)年11月15日、中島敦の第2創作集である単行本『南島譚』(今日の問題社)に収められ刊行された。『文学界』(昭和17年2月号)に「山月記」・「文字禍」が掲載されたデビュー当初から中島敦の作品が注目されていたことは、デビューした年の上半期芥川賞に、「光と風と夢」(『文学界』・昭和17年5月)が候補として挙げられたことからわかる。しかし、持病の喘息が悪化し、同年(昭和17年)12月には34歳でこの世を去る。この夭折による極めて短期間であった作家生活に加えて、戦時下という悪条件が重なって戦争終了時までの論評は少ない。しかし、近年になって資料は整備され、研究者も増加し、中島敦の研究は、充実してきたといえる。以下、「悟浄出世」に対する各研究者の論を確認したい。

 〈事実、渠は病気だった〉の記述からわかるように、作品は悟浄の病んだ姿の描写から始まる。そして、〈妖怪の世界にあっては、身体と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分かれてはいなかったので、心の病は直ちに烈しい肉体の苦しみとなって悟浄を責めた〉ため、堪えがたくなった悟浄は意を決して遍歴へと出発する。作品では、悟浄の数年にわたる遍歴の過程が描かれている。

 悟浄が病に苦しみ遍歴に出た以上、当然遍歴によって病が癒され救いを得たのか、という点が作品を読む上で大きな意味を持ってくる。しかし、悟浄の病が〈心の病〉であるために、治療法は定めがたく、救済された状態というのも一つには限定できない。そのため先行研究の論者によって救済されたか否かについての意見がわかれている。

 高良留美子氏は、〈作者が悟浄に解答として与えているかに見える(行動)〉は〈自己意識の地獄からの救済〉という1時的なものであり〈より優れた者への帰依〉によって、〈自己意識の解消〉がもたらされ、真の意味での救済が果たされるとしている(注1)。また山下真史氏は、〈共通する行動の規範〉である〈宗教、あるいはイデオロギー〉が存在しなくなった時〈人は自分の行動の正当性を保証する確固たるものを持たず、絶えず自分の行動を監視し、その正当性を吟味し続けなければならなくなる〉。そして、その正当性は〈自分によってしか保証されない〉ため〈自意識が過剰になり、かつ、自意識から抜け出すことが不可能となり、行動も起こせなくなる〉として、〈自意識過剰から抜け出すのに必要なのは、なんらかの絶対的なイデオロギーあるいは「神」への「信仰」〉であるとしている。さらに、山下氏は悟浄のすむ妖怪世界は〈「神」が不在の世界〉であるとし、〈自意識過剰〉に苦しむ悟浄は遍歴後、〈意識の働く暇のないような行動の世界にふみこみはじめる〉が、〈そのような生き方に自足できていない〉、つまり〈心のなかで密かに「神」を求めていた〉と述べている(注2)。その他帰依と救済とを結び付け、帰依によって救済されたとする論者は西谷博之氏である(注3)。いずれの論者も〈行動〉を悟浄の過剰な〈自意識〉を停止させるうえで重要な働きを果たすものとしているが、〈行動〉によって〈自意識〉が無くなることはなく〈自意識〉を解消するには〈より優れた者=神もしくは玄奘法師〉への〈信仰心〉によらなければならないとしている。

 前述の流れに対し、〈帰依〉を否定し、遍歴と救済とを切り離して考える論に佐々木充氏の論がある。佐々木氏は悟浄の求めたものは帰依ではなく、〈より優れた者の批判的摂取〉であるとしている。なぜなら〈帰依〉というのは、作中で悟浄が言う〈〈骨折り損を避ける〉早道〉であるからだと述べている。自己を反省し〈骨折り損を厭わない所にまで昇華された〉悟浄が〈帰依〉という〈(骨折り損を避ける)早道〉を選ぶのはおかしいというのだ。よって佐々木氏は遍歴を〈直接に我身を益するものを手に入れて(あが)ろうというのではなく〉〈おのれの前途に一筋の道を選び出すための多から一を選ぶ勇気を貯えるための方途〉であるとしている。つまり、悟浄の遍歴自体に意味があり、その先にある何かを得ることが救済ではないとしている(注4)

 奥野政元氏も同様に高良留美子氏の言う〈自己意識の解消〉としての〈帰依〉に対し、悟浄が最終的に得た〈行為〉は〈救いや、何らかの価値実現へと直接的に結びつかないものである〉としている(注5)。佐々木・奥野、両者ともに〈帰依〉を否定し遍歴を救済の手段としていない点で共通しているといえる。

 一方、これら二つの流れに対し悟浄が救済されていないとする立場がある。悟浄が救済されるためには〈動くことそれ自体の中にこそ意味はうまれてくる。思念を捨て観念の遊戯をたって行為者となることが第一に必要〉であるとしている。しかし、悟浄の〈懐疑は完全には解消されておらず〉(真の救済や悟りには程遠い)と平林文雄氏は述べている(注6)。同様に濱川勝彦氏も〈行為〉を悟浄の救済の方法とするが、結局は救済されていないという立場をとる(注7)

 つまり、悟浄が〈帰依〉によって救済されたという立場、それに対し、〈帰依〉を否定し、遍歴を救済の手段とはせず、遍歴自体に意味をみいだしている立場、〈行為〉が救済の方法ではあるものの、結局悟浄は救済されていないとする立場、以上三つの流れがあるのである。

 以上に挙げた三つの流れに対して、服部裕子氏は初めて〈帰依〉以外の方法によって悟浄が救済されると論じた。これまでに悟浄が救済されるとした論は〈帰依〉によって救われるとするもののみであったのに対して、服部氏の述べる救済の方法は、前述の〈行為〉と同じ〈行為〉といえども、〈思索〉に対比する動作すべてを指す〈行為〉とは少し異なる点を持ち、本能の赴くままの〈行為〉は含まない〈人間愛〉の伴った条件付きの〈行為〉である(注8)。服部氏は「悟浄出世」のみでなく続く「悟浄歎異」をふまえて論じている。よって、「悟浄出世」に限って見た場合「生まれ変わる予感」をみているだけにとどまっている。

 以上の先行研究の流れをふまえ、わたしたちは「悟浄出世」だけをとりあげ、悟浄は救済されたとし、なおかつ、その救済方法も何者かを心のよりどころとする〈帰依〉によるのではなく、悟浄自身に変化が起こったためであると考える。また、その変化についても多くの論者が述べる、〈思考〉から〈行為〉へという変化のみによるのではなく、悟浄自身の自己の捉え方の変化が関わると考える。その理由を以下に述べる。わたしたちは「悟浄出世」に続く「悟浄歎異」を「悟浄出世」と切り離して考えるため、「悟浄出世」のみをみた場合、作品中で「行動」は実行されていない。仮に「行動」を救済の方法であるとしても、「心の病」の原因である「思考」の1時的停止にはなるが、1時的停止はいわゆる対処療法的なもので、悟浄の「心の病」が治療された事にはならないと考えたからである。わたしたちの考える救済とは、悟浄の「心の病」が解決され身体の痛みから開放されることである。また、わたしたちは先行研究でさほど重要視されていない「人間と成りかわる」ことは、悟浄にとって大きな意味を持つと考える。他の妖怪と異なる点あるいは妖怪の特質と相反する点を多く持ち、妖怪世界で孤立しがちであった悟浄が、〈人間と成りかわり〉玄奘法師について新しい遍歴の旅に出発することには、単に「行動」の実践という意味のほかに別の意味がふくまれると考えたからである。以上述べてきたように、わたしたちは先行研究で論じられていない「自己の捉え方の変化」という観点で悟浄は救済されたという立場をとり、悟浄が〈人間と成りかわる〉ことについての意味についても考察していきたい。


*注1高良留美子 『全集 現代文学の発見』第7巻
学芸書林 昭和42年12月初版
*注2西谷博之 中島敦〈物語の誕生〉―「わが西遊記」から「狐憑」へー
笹淵友一編『物語と小説―平安朝から近代までー』
明治書院 昭和59年4月
*注3山下真史 中島敦『わが西遊記論』―自意識過剰をめぐってー
『国語と国文学』68巻第12号 平成3年12月
*注4佐々木充 「悟浄出世」―その志向―
『近代の文学・1巻 中島敦の文学』
桜楓社 昭和48年6月初版
*注5奥野政元 「悟浄出世」論
国文学年次論文集『近代V』 昭和58年6月
*注6平林文雄 中島敦『わが西遊記』の世界
『日本文学の研究 ― 重友毅博士領寿記念論文集 ―』
文理書院 昭和49年7月
*注7濱川勝彦 「悟浄出世」
『中島敦の作品研究』
明治書院 昭和51年9月発行
*注8服部裕子 『悟浄歎異』・『悟浄出世』論 ――「行為」をめぐって――
『岐阜大学 国語国文学』第22号 平成6年12月



1、遍歴に出るまで 

 序論で述べたとおり、私たちは遍歴を通じて起こった悟浄の変化の意味を見ていきたい。そこでまず、悟浄が遍歴に出た理由について見ていきたい。

 遍歴に出る以前の悟浄は妖怪たちの中にあって特異な存在である。そこで、妖怪の持つ性質と、それに対する悟浄の特異な点を明らかにしておきたい。まず、妖怪の特徴として、或る一つの部分が突出して発達し、そしてそのために他人の考え方や意見を受け入れられないということが挙げられる。そのことがうかがえる叙述を次に引用する。

何故、妖怪は妖怪であって、人間でないか? 彼らは自己の属性の一つだけを、極度に他との均衡を絶して、醜いまでに、非人間的なまでに、発達させた不具者だからである
(略)
彼らはいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知らなかった。他人の考の筋道をたどるにはあまりに自己の特徴が著しく伸長し過ぎていたからである。
(全集295頁5行目〜10行目)

 妖怪世界において、思想は重んじられていたが、自分の思想に疑いを持つ者はいない。それは、彼らがあまりに自己の性向に固執するため、他人の意見を受け止め自分の思想を見直すということが出来ないからである。賢人たちにはそれぞれ自己についての理解があるが、それらは彼らの思想から導き出された結果である。沙虹陰士の「世界とはな、自己が時間と空間との間に投射した幻じゃ」という理解は「世はなべて空しい」とする思想から、坐忘先生の「長く食を得ぬときに空腹を覚えるものが倆じゃ」と言う理解は「感じるものの実際の感じ以外に」事物の存在の確かさをはかるものは無いとする思想から導き出された結果である。そしてそれらの理解は他の自己についての理解の仕方と比較され、考え直されるという機会が無いために、本人のみの思想に止まり、そのことに誰も不都合を感じていない。

 しかし、悟浄は他の妖怪とは違い、自己とは何かという疑問について考え、その疑問の万人に通用する解答も求めている。それは、妖怪世界では、病とみなされていた。その病に冒されていることが妖怪世界において悟浄の特異な点である。悟浄を診た一人の「老いたる魚怪」は、悟浄の症状を以下のように述べている。

やれ、いたわしや。因果な病にかかったものじゃ。
(略)
この病に侵された者はな、全ての物事を素直に受け取ることができぬ。何を見ても、何に出会うても『何故』とすぐに考える。究極の・正真正銘の・神様だけがご存知の『何故』を考えようとするのじゃ。そんなことを思うては生物は生きて行けぬものじゃ。
(略)
殊に始末に困るのは、この病人が『自分』というものに疑いを持つことじゃ。何故俺は俺を俺と思うのか? 他の者を俺と思うても差し支えなかろうに。俺とは一体なんだ?こう考え始めるのが、この病の1番悪い徴候じゃ。
(全集293頁3行目〜10行目)

 この魚怪の言によれば、「『自分』というものに疑いを持つ」のは病のせいということになるが、悟浄がこのような病にかかった1因として、自己卑下の意識も影響していると考えられる。悟浄には自己卑下の感情がある。常に自己に不安を感じ、後悔し続け、自己呵責の念に襲われている。そのため彼は、「俺は莫迦だ」「どうして俺はこうなんだろう」といった言葉をつぶやき続け、そのために自分というものの存在する理由を考えるようになったと考えられる。このように常につきまとう自己卑下の感情によって自己に対する疑問が生じ、悟浄は自分の存在理由を探求するようになったと考えられる。しかし、悟浄は自己卑下の感情をきっかけに〈自分自身〉に疑いを持ち、そこから自分について考える事ができるようになったが、同時に自己卑下の感情によって、現実の自分(ここでは〈自分自身〉と言う語であらわすことにしたい。)を見つめる事を避け自己とは何かという疑問に対する万人に当てはまる解答を求めるようになってしまった。それは魚怪の言う「神様だけがご存知の『何故?』」である。

 悟浄は「神様だけがご存知の『何故』」を考えるなかで何故現在あるように自分が存在するのかを考えるようになった。その一環として悟浄は妖怪世界の常識となっている「生まれ変わりの説」に疑いを持っている。

天上界で五百年前に捲簾大将をしておった者が今の俺になったのだとして、さて、その昔の捲簾大将と今のこの俺とが同じものだと言っていいのだろうか? 第1、俺は昔の天上界のことを何一つ記憶してはおらぬ。その記憶以前の捲簾大将と俺と、何処が同じなのだ。体が同じなのだろうか? それとも魂が、だろうか? ところで、一体、魂とは何だ?
(全集292頁3行目〜6行目)

 ここでは捲簾大将とその生まれ変わりと言われている自分とのかかわりを考える中で自分というものの存在について考えていくうちに「魂とは何だ?」という疑問に行き着いている。悟浄はこの疑問を突き詰めていくうち、何故自分と、自分を取り巻く世界が現在あるように存在するのか、という疑問にたどり着く。このような疑問は魚怪が「神様だけがご存じの『何故』」と表現したように容易に答えの出ないものであり、普通妖怪はそのようなことは考えない。この「神様だけがご存じの『何故』」を考える悟浄は、妖怪世界にあって特異な存在であるといえる。このような悟浄の姿勢は他の妖怪には理解しがたいものであり、嘲笑の的にされている。では、悟浄自身は自分が抱く疑問や考えることをどう思っているのであろうか。

 先に述べたように、悟浄には自分自身を卑下する感情がある。しかし悟浄は単に自分を他に対して低いものと考えている訳ではなく、自分の考えや疑問に対しては卑下することなく、自信を持っている。悟浄と他の妖怪の意見が食い違っているところに次のような記述がある。

渠に言わせると、(略)九人の骸顱が自分の首の周囲について離れないのだそうだが、他の妖怪らには誰にもそんな骸顱は見えなかった。「見えない。それはおまえの倆の気の迷だ」と言うと、渠は信じがたげな眼で、1同を見返し、さて、それから、何故自分はこうみんなと違うんだろうといった風な悲しげな表情に沈むのである。
(全集291頁7行目〜11行目)

 この場面において、悟浄は他の妖怪と違うことを悲しみながらも諦めの気持ちを持って受け入れている。彼は〈考えること〉については他と異なることを気にしていない。かえって自信を持っているようでさえある。他の妖怪には見えないものが見えることについて不安を感じず、「それはおまえの気の迷だ」と言う妖怪の言葉にも耳を傾けない。このように自己を卑下してばかりいる中で〈考えること〉には自信を持ち、それ以外に優れているところも無いと思っている悟浄は、〈考えること〉を自らの依り所とし、考える姿勢を維持し続けることで矜持を保とうとしていたのである。

醜く・鈍く・馬鹿正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄は、こうした知的な妖怪どもの間で、いい嬲りものになった。
(全集294頁8行目〜9行目)

 これは悟浄と哲学者たちの関係を示した文章である。ここで悟浄が馬鹿にされながらも「愚かな苦悩」を隠そうとしていないのは考える姿勢が真摯であることを自他に示すことで矜持をたもとうとしているのだと考えられる。こうして〈考えること〉に自信を持っている悟浄にとって、〈考えること〉によって答えを求めるための疑問は他の妖怪とは異なるもののほうが良いであろう。それだけ自分を特別な存在と感じることが出来るからである。このように「神様だけがご存知の『何故』」を考えるのは悟浄にとって自尊の感情を守るために必要なものだったのである。

 こうして悟浄には「神様だけがご存知の『何故』」を考える必要が生じた。そして先にも述べたようにこの問題はそれ自体容易に答えの出せるものではなく、加えて悟浄は〈考える〉ことに自信を持ち、考える姿勢を維持することで無意識に矜持を保とうとしているので、性急に答えを出そうとせずその問題について考える姿勢を維持し続けようとする。ここで悟浄の行っている、〈考える姿勢を維持するために「神様だけがご存じの『何故』」について考え続けること〉を〈思索〉という語で表すことにしたい。

 悟浄が行っている〈思索〉はその内容・姿勢が他の妖怪の〈考えること〉とは異なっている。それはむしろ人間的なものである。なぜなら〈思索〉する内容に普遍性を求めることが妖怪的ではないからである。

 この悟浄の人間的な態度を裏付けるものとして文字の理解がある。妖怪たちは人間世界からもたらされた文字を知っていたが、軽蔑し、文字を解しようとしなかった。妖怪たちが、悟浄が文字を解するものと考えているのは彼らが悟浄に、人間的側面を見ているからであろう。悟浄が普遍的な思想を求めるのは、抽象的な思想が文字により普遍化できるということを文字を解することで知っているからであると考えられる。

 このようにその性質が人間的なものであったため、他者を受け入れることのない妖怪世界において1層理解されることのない悟浄であったが、先に述べたように自分の〈思索〉には自信を持っていた。しかしこの〈思索〉は、答えが容易に出ない疑問について考え続けねばならないという点で「心の病」といえるのである。そして、妖怪世界においては体と心が不分明であったため、「心の病」は肉体的な苦痛となって悟浄を苦しめるようになった。

 妖怪の世界にあっては、身体と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分れてはいなかったので、心の病は直ちに烈しい肉体の苦しみとなって悟浄を責めた。堪えがたくなった渠はついに意を決した。「この上は、如何に骨が折れようと、また、如何に行く先先で愚弄され晒われようと、とにかく1応、この河の底に栖むあらゆる賢人、あらゆる医者、あらゆる占星師に親しく会って、自分に納得の行くまで、教を乞おう」と。
(全集294頁17行目〜295頁2行目)

 悟浄はこの苦しみから救われるには「神様だけがご存知の『何故』」の答えを知るしかないと考え、その答えを求めて遍歴の旅に出る。だが、〈思索〉を得意とする悟浄と他の賢人たちとでは考えの内容・方法にも隔たりがあるため、悟浄が求める答えを他の賢人から得ることはできない。そして〈思索〉することを依り所とする以上、答えを知ったところで〈思索〉することを止められないであろう。

 もう一点、賢人たちに直接的な答えを得ることが出来なかったことの根拠として、他人の意見を受け入れられない妖怪の性質を悟浄も持っていることがある。彼も他人の意見・助言を聞くことができず、魚怪の助言「この病には薬もなければ医者もない。自分で直すよりほかは無いのじゃ」と言う言葉を考慮することもせず、他人による治癒を求めて遍歴の旅に出てしまうのである。


2、悟浄の変化について

 遍歴の過程で悟浄は変化していく。その変化が、悟浄が救われたかどうかを考察する上で重要な観点となると考えられる。よって、悟浄がどのように変化していったかについて、悟浄の自分自身に対する捉え方、悟浄にとっての思索の意味を中心に考察していきたい。

 前章で考察したように、自分自身に対しては否定的な悟浄であるが、自分の考えや疑問に対しては、不安を感じることも卑下することも無く、絶対といっていいほどの自信を持っている。自分自身には自信が無いものの、自分の思索には絶大な自信を持つ悟浄は、他の妖怪が個人の幸福の追求のみに固執し、考えようとしない「神様だけが御存知の『何故?』」という、より高次の「無用の思索」に耽ることができる自分に自尊の念を抱き、その他大勢の妖怪とは違う、より高等な存在なのだと自分を捉えようとしたのである。しかし、そのような実生活から離れた「無用の思索」に耽っているために、悟浄は自分自身を顧みることをせず、自分の思想を持つことができなかった。そのために悟浄は思索の泥沼に陥って苦しむことになったのである。そのことを「老いたる魚怪」に指摘されても、思索している自分に優越感を持ち、苦悩を満足感を持って受け入れる悟浄は、思索を止めようとはしない。

「この上は、如何に骨が折れようと、また、如何に行く先々で愚弄され哂われようと、とにかく1応、この河の底に栖むあらゆる賢人、あらゆる医者、あらゆる占星師に親しく会って、自分に納得の行くまで、教えを乞おう」
(全集294頁17行目〜295頁2行目)

 悟浄は、心の病からくる肉体の痛みを堪えがたく思い遍歴に出ることを決意するが、その目的はこのように、心の病をいやすことではなく「無用の思索」の追求であることである。これほどまでに悟浄は思索を重視している。

 悟浄が最初に訪ねたのは黒卵道人である。黒卵道人は「高名な幻術の大家」であり、幻術を用いて敵を欺いたり、宝を手に入れるというような実用的なことばかりを考えている。

「病を癒すべき智慧」、つまり「神様だけが御存知の『何故?』」の答えを求めていた悟浄は、「無用の思索」の相手が得られず失望する。そして次に訪れた沙虹隠士のところでは、三月の間この老隠士の「深奥な哲学」に触れることになる。しかしその哲学もまた、悟浄の望む「無用の思索」ではなく「個人の幸福」、「不動心の確立」についてのものであった。「自己及び世界の究極の意味」について知りたいと悟浄は求めるが、沙虹隠士は独自の世界観を持っており、悟浄の望む答えは得られなかった。また、五十日に一度しか目を覚まさない坐忘先生には、まず『我』とは何かと問う。すると、「長く食を得ぬときに空腹を覚えるものが〓じゃ。冬になって寒さを感ずるものが〓じゃ。」という答えが返る。悟浄には、この坐忘先生の思想は満足がいかず、立ち去ることになる。悟浄の求めるものは、思索により「自己及び世界の究極の意味」を考えることであり、坐忘先生の思想は、思索ではなく生活から感じられた、感覚的な自己の捉え方である。思索に価値を信じ、自己の拠所とする悟浄には受け入れられなかったのである。

 次に悟浄は、流沙河で最も繁華な4辻に立つ高貴な風姿の「白皙の青年」に出会う。「白皙の青年」は神を愛し、全体のためにのみ自己を生きよと激しく説く。悟浄は「確かにこれは聖く優れた魂の声だ」と思い「白皙の青年」に魅かれながらも、「自分の今饑えているものが、このような神の声ではない」と感じる。「自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどという事を知らな」いという妖怪の特質通りに、あくまで自分が求めているのは「神様だけが御存知の『何故?』」の答えであると考え、教えを請うにはいたらない。思索に固執し、他人の考えを受け入れようとはしないのである。

 このように遍歴の初期の悟浄は、「無用の思索」により「神様だけが御存知の『何故?』」の答えを出すことのみが目的であり、それ以外の事には少しも興味を示さない。自分自身に対してもそうであり、自分自身を見つめずにいるのである。「無用の思索」に耽ることのみが悟浄の自尊心を満たすものであり、それゆえに悟浄の思考のほとんど全ては「神様だけが御存知の『何故?』」に占められているのである。

 その後悟浄は路傍で「乞食」に会う。その醜い風貌に思わずため息を漏らした悟浄に対して、「乞食」は次のようにいう。

 このような形にしたからとて、造物主をわしが怨んどるとでも思っていなさるのじゃろう。どうしてどうして。逆に造物主を讃めとる位ですわい、このような珍しい形にしてくれたと思うてな。
(全集300頁16行目〜301頁1行目)

 悟浄がこの時「この言葉が本物だとすれば大したものだ。しかし、この男の言葉や、態度の中に何処か誇示的なものが感じられ、それが苦痛を忍んで無理に壮語しているのではないかと疑わせた」と感じているように、仮にこの「乞食」、子輿の言葉が虚勢であったとしても、子輿は、醜い自分自身と向き合い、苦しみながらも受け入れているのである。自分自身に自信が無く、思索に逃げた悟浄とは対照的である。この点に、悟浄が子輿に心を惹かれた理由がある。今までの悟浄は、「白皙の青年」の時のように、如何にその思想に感心し納得しようと、自分が求めている「神様だけが御存知の『何故?』」についての思索でなければ教えを請おうとしなかった。「乞食」の子輿に会うことで初めて、他人の思想に惹かれたのである。これは悟浄の変化の第1歩であるが、まだ悟浄は自分自身を見つめることに気付いただけで、自分自身を見つめるに至ってはおらず、いまだ考えの大部分を占めるのは「神様だけが御存知の『何故?』」である。しかし、「自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどという事を知らな」いという妖怪の特質を考えれば大きな変化であると言える。

 乞食の言葉への疑いと、「生理的な反撥」から乞食の子輿に仕えることはしなかったものの、子輿の思想に惹かれた悟浄は、その子輿の師である女〓氏に教えを請うためにさらに旅を続け、途中の目ぼしい道人修験者の類の門を叩くことにする。

この魚だが、この魚が、何故、わしの眼の前を通り、而して、わしの餌とならねばならぬ因縁をもっているか、をつくづくと考えてみることは、如何にも哲仙にふさわしき振舞じゃが、鯉を捕える前に、そんな事をくどくどと考えておった日には、獲物は逃げて行くばっかりじゃ。まず素早く鯉を捕え、これにむしゃぶりついてから、それを考えても遅うはない。鯉は何故に鯉なりや、鯉と鮒との相異についての形而上学的考察、等々の、莫迦莫迦しく高尚な問題にひっかかって、いつも鯉を捕えそこなう男じゃろう、お前は。
(全集302頁8行目〜12行目)

 「貪食と強力とを以て聞こえる」〓髯鮎子はこのように、悟浄の思索は生活から遊離していることを指摘する。それに対して悟浄は、「確かにそれに違いない」と頭を垂れる。「隣人愛の教説者として有名な」無腸公子の講筵に列した時は、無腸公子が饑に駆られて、自分の子供を無意識に食べるのを見て、悟浄は次のように考える。

ここにこそ俺の学ぶべき所があるのかも知れないぞ、と、悟浄はへんな理窟をつけて考えた。俺の生活の何処に、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。渠は、貴き訓を得たと思い、跪いて拝んだ。いや、こんな風にして、一々概念的な解釈をつけて見なければ気の済まない所に、俺の弱点があるのだ、と、渠は、もう1度思い直した。教訓を、缶詰にしないで生のままに身につけること、そうだ、そうだ、と悟浄は今一遍、拝をしてから、うやうやしく立ち去った。
(全集303頁10行目〜14行目)

 ここでは「自分の学ぶべき所」、「俺の弱点」について考え、積極的に自分自身を見つめるようになっている。〓髯鮎子の具体的な問いかけによって、悟浄は自分自身を見つめるきっかけを与えられ、そのことによって、自分が思索にとらわれていたと考えたのである。そして無腸公子の時に、それが、自分の弱点であると考えるようになったのである。

 「乞食」の子輿に会ってから、悟浄は目に見えて変化して行く。以前は「神様だけが御存知の『何故?』」を考え「無用の思索」に耽るあまり自分自身を見つめず、自分の求めるもの以外に興味を示さず、何も他人から学びとろうとしなかった。子輿に会い、自分自身見つめるきっかけを得てから、悟浄は自分自身を顧み、見つめるようになっている。

 続いて訪れた蒲衣子は、「自然の秘鑰」の探究者であり、陶酔者である。悟浄は、この庵室が、「自分にとって場違いであるとは感じながら」も、「彼らの静かな幸福に惹かれたため」に一月の間滞在する。ここにいても「神様だけが御存知の『何故?』」に対する答えは得られないことも、自分にとって場違いであることもわかっていながら、悟浄は幸福に惹かれて滞在を続ける。これは、自分自身を見つめるようになった悟浄には、すでに「神様だけが御存知の『何故?』」に対する答えを求めることが全てではなくなり、以前ほど固執しなくなった証拠である。

 次に訪れた、「肉の楽しみを極めることを以て唯1の生活信条としていた」班衣〓婆という老女怪は、容姿端麗な若者を集め、肉の楽しみに耽っている。その若者達は、毎年百人ずつ困憊のために死んでいくのであるが、悟浄は、「醜いが故に、毎年死んでいく百人の仲間に加わらないで済んだことを感謝」する。醜さは悟浄にとって、以前であれば自己卑下の対象となるものである。しかし自分自身を見つめるようになった悟浄は、それを卑下する事なく、むしろ感謝するという肯定的な見方をしている。

 自分自身を見つめることが出来るようになり、「神様だけが御存知の『何故?』」に対する思索以外のことも学び取ることが出来るようになってきた悟浄は、思索に耽るだけでは良くないとを考え出した。にもかかわらず、依然として思索をし続け、賢人達に「我とは何ですか?」と聞き続けているのは、思索を止めてどうするべきかがわかっていないからである。

 五年に近い遍歴を経て、「悟浄は結局自分が少しも賢くなっていないことを見出し」、「何かしら自分がフワフワした(自分でないような)訳の分からないものに成り果てたような気が」している。遍歴によって変わった自分を、「まるで重量のない・吹けば飛ぶようなもの」、「外から色んな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるで無いもの」になったと考えている。これは、賢人達の訓を受け入れるようにはなったが、受け入れるだけで自分の考えとなるまでに至っていないからであり、「昔の自分は愚かではあっても、少くとも今よりは、しっかりとしたそれはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有っていたように思う」のは昔の悟浄が自分自身を見つめることをせず、思索に耽ることが全てだと考えていたからである。そういう意味で「まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった」と自分を捉えることが出来るようになったのは進歩である。「神様だけが御存知の『何故?』」について考えることしかしなかった遍歴当初の悟浄が、このように、自分自身を見つめ、自分自身を理解するようになっているのである。そして、「思索による意味の探索以外に、もっと直接的な解答があるのではないか、という予感」にまでたどり着く。思索を止めることを考え始めるのである。

 女〓氏の許にたどり着いた悟浄に、女〓氏がかけた言葉は、「賢者が他人について知るよりも、愚者が己について知るほうが多いもの故、自分の病は自分で治さねばならぬ」というものであった。これは、自分自身を見つめよということである。また、「自分の凡て予見し得る全世界の出来事が、何故に(経過的な如何にしてではなく、根本的な何故に)その如く起こらねばならぬか」を考えたために、惨めな死に至った魔物の話と、熱心に「或る小さな鋭く光ったもの」を探し求め、そのために生き、そのために死んでいった極めて幸福な一生をおくった小妖精の話をし、次のように説く。

聖なる狂気を知る者は幸じゃ。彼は自らを殺すことによって、自らを救うからじゃ。聖なる狂気を知らぬ者は禍じゃ。彼は、自らを殺しも生かしもせぬことによって、徐々に亡びるからじゃ。愛するとは、より高貴な理解の仕方。行なうとは、より明確な思索の仕方であると知れ。
(全集309頁15行目〜17行目)

それに対して悟浄は、「師の教は、今殊に身にしみて良く理解される。実は、自分も長年の遍歴の間に、思索だけではますます泥沼に陥るばかりであることを感じて来たのであるが、今の自分を突破って生れ変ることが出来ずに苦しんでいる」と答える。自分が思索のみを繰り返してきたことを悟浄はすでに考えており、それが心の病の原因であることも考えていた。しかし、それでは思索のみにとらわれず、どのように変われば良いのかが悟浄にはわからないために、悟浄は遍歴を続けてきたのである。

 女〓氏は「物凄い生の渦巻の中で喘いでいる連中が、案外、はたで見るほど不幸ではない(少なくとも懐疑的な傍観者より何倍もしあわせだ)」と、傍観者の立場にいても決して幸福ではないことを説く。この様な師の教に、悟浄は「骨髄に徹して」有難さを感じる。しかし「それでもなお何処か釈然としないものを残しながら」女〓氏の許を去るのである。遍歴によって自分自身を見つめ、理解し始めるようになってきた悟浄であるが、まだ自分自身を受け入れることが出来ないために女〓氏の教えはわかりながら、納得行かないのである。

 悟浄は遍歴を終え、帰途につきながら、「自分は今まで自己の幸福を求めて来たのではなく、世界の意味を訪ねてきたと自分では思っていたが、それはとんでもない間違いで、実は、そういう変った形式の下に、最も執念深く自己の幸福を探していたのだ」と考える。悟浄が、「神様だけが御存知の『何故?』」を考えていたのは、無意識にそれが幸せにつながると考えていたからである。つまりほかの妖怪が考えない「神様だけが御存知の『何故?』」を考えることで、自分がほかの妖怪より優れた存在であると確認したかったのである。しかし、遍歴の過程で悟浄は、自分自身を見つめるようになることでそのような方法が有効であるとは思わなくなり、「無用の思索」が自分にとってそれほど重要ではなくなっていく。さらに自分自身を理解するに至って悟浄は「無用の思索」がむしろ自分の幸せの妨げになっていると考えるのである。そして「自分は、そんな世界の意味を云々するほど大した生きものでないこと」に、「卑下感を以てでなく、安らかな満足感を以て」感じ、自分自身を受け入れることが出来た今、ようやく思索にとらわれずに「自己を試み展開」する事が決意できるのである。これらの悟浄の変化の過程は、実は遍歴の途上で出会った妖怪達が再3説いてきたことだった。従って悟浄が変ったのは賢人の訓を受けたからではなく、それを契機として悟浄自身の自己の捉え方が少しずつ変わっていき、自分で感じ取ってようやく身についたからだと言えよう このように、悟浄は遍歴によって自己卑下の対象であった自分自身を理解し受け入れられるように変化していったのである。


3、悟浄はどのように救済されたのか

 私たちは、序論で述べたように、悟浄は救済されたと考える。ここでは何故そのように考えるのかを述べていきたい。

 悟浄は菩薩に会い、その後玄奘の力によって人間となった。そのため「身体と心とが、人間の世界におけるほどはっきりと分かれてはいない」という妖怪の特質から解放された。これにより、悟浄の遍歴の直接の原因となった肉体の痛みが消えることとなる。この痛みの解消こそが悟浄が望んでいたものだった。ゆえに最初の願いであった肉体の痛みの解消が行なわれ、その意味では救われたと言える。

 では何故悟浄が人間になったのかを考えていきたい。

 1章で述べられたように、悟浄は〈思索〉する姿勢の真摯さを自他に示すことにより心の安定を得ていた。しかし、2章で述べたように、〈自分自身〉を受け入れたことにより、〈思索〉を行う必要がなくなる。

 そのような悟浄が「夢とも幻ともつかない世界にはいって行った」ときに、悟浄の前に現れ菩薩が次のような言葉を垂れる。

 悟浄よ、諦らかに、我が言葉を聴いて、よくこれをきいて思念せよ。(略)まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打ち込め。身のほど知らぬ『何故』は向後一切捨てることじゃ。これをよそにして、爾の救いは無いぞ。さて、今年の秋、この流沙河を東から西へと横切る三人の僧があろう。西方金長老の転生、玄奘法師と、その二人の弟子どもじゃ。(略)悟浄よ、爾にふさわしく、疑わずして、ただ努めよ。
(314頁6行目〜315頁1行目)

 だが悟浄は菩薩に会った後に、とりとめなく次のようなことを考える。 

今の夢の中の菩薩の言葉だって、考えてみりゃ、女〓氏や蚪髯鮎子の言葉と、ちっとも違ってやしないんだが、今夜はひどく身にこたえるのは、どうも変だぞ。そりゃ俺だって、夢なんかが救済になるとは思いはしないさ。しかし、何故か知らないが、もしかすると、今の夢の御告の唐僧とやらが、本当に通るかも知れないなというような気がして仕方がない。そういう事が起こりそうな時には、そういう事が起るものだというやつでな。
(全集315頁6行目〜10行目)

 悟浄自身の言葉にあるように、菩薩の言葉は、悟浄が遍歴前に会った老いたる魚怪達のいっていることと大差ないものである。それにも拘わらず菩薩の言葉を悟浄が聞き入れ、救われたのは、何故だったのだろうか。

 次の引用文は、女〓氏の許を去った直後の悟浄の様子であるが、ここに菩薩の言葉を受け入れられるようになった理由が示されている。

女〓氏の許に滞在している間に、しかし、渠の気持も、次第に一つの方向へ追詰められてきた。初めは追詰められていたものが、しまいには自ら進んで動きだすものに変わろうとして来た。
(全集311頁10行目〜11行目)

 この悟浄の変化は、女〓氏の訓だけに導かれたものではなく、今までの遍歴の中で培われてきたものである。その後、「もはや誰にも道を聞くまいぞ」と思う悟浄は、今までの、他人による治癒を求めて、教えを乞いつつも、その教えに納得せず、次から次へと賢人間を渡り歩いてきた彼ではない。悟浄は誰にも道を尋ねないときめることによって、他人の意見を耳にしてはことごとくうちすててきた姿勢を捨てたのである。今までに会ってきた賢人たちの意見を考え、自分の中でそれを意味付けていく作業を行い、初めて他者の意見を自分の中に取り込んでいこうとしているのだ。

 つまり、他人の意見を自分の中に取り込むことができるようになって、自分の考えをつくりだし、「自己を試み展開していこうとする勇気」を持つことができるようになったのだ。

 このように「自己を試み展開していこうとする勇気」をもった上で、当初何に出会っても「何故?」と考えていた悟浄は、遍歴後の或日、「全く、何もかも忘れ果てた昏睡」をする。そして、昏睡から目を覚ました悟浄は「さっぱりした気持ちに提げた瓢の酒を喇叭飲みにして「旨かった」と感想を述べる。

 2章で述べたように、蚪髯鮎子に「鯉は何故鯉なりや、鯉と鮒との相違についての形而上学的考察、等々の、莫迦莫迦しく高尚な問題にひっかかって、いつも鯉を捕えそこなう男じゃろう」といわれていた悟浄だが、彼はここではそんなことは考えてはいない。彼は思うままに動き、酒を飲んでいる。悟浄は「哲仙らしい振舞」をする必要がなくなったのである。悟浄が、菩薩の言葉が、「今夜はひどく身にこたえる」というのは、彼が、以前とは違い、他者の言葉をきき、自分の中で意味付けていく作業ができるようになったからである。そして自分から進んで動きだそうとする姿勢を身につけることに抵抗感がなくなってきたからである。だからこそ、悟浄の前に菩薩はあらわれたのではなかろうか。

 菩薩が現れても、以前の悟浄であれば、菩薩という存在自体に先ず疑問を抱き、具体的な途、玄奘の1行についていく旅を選択することもなく、「永遠の泥濘である途」つまり流沙河の中で一生を思索に過ごす途を選んだはずである。

 先に述べたような変化を得られたからこそ、悟浄の前に菩薩は現れたのである。

 遍歴によって悟浄は他者に向け、その言葉を自分のうちにとりいれて自分なりに意味づけていくことができるようになるのである。

 その結果、悟浄は妖怪らしさ、失っていったことがわかる。このことで遍歴に出る前に悟浄が感じていた他者と自分とのズレとはまた別の形のズレが生じていく。つまり身体は妖怪であるのに、心は人間性を帯びていることである。しかし、そのことで悟浄は悩んだりしている様子はみられない。それは、そのズレができる過程で生じたなんらかのものが悟浄の様子を変えていったからである。

自分は今まで自己の幸福を求めていたのではなく、世界の意味を尋ねてきたのだと自分では思っていたがそれはとんでもない間違いで、実はそういった形式の下に、最も執念深く自己の幸福を探していたのだ ということが、悟浄に解りかけて来た
(全集311頁11行目〜13行目)

 ここで悟浄は今までの遍歴で学んだことをもとに〈自分自身〉を捉えなおしている。これは妖怪にはできない「他との討論の結果、より高い結論に達する」ことに他ならない。悟浄は妖怪の特質から解放されようとしているのである。悟浄は、他人の意見を受け入れる事により、その心が徐々に人間らしさを帯びていきつつあるともいえる。だから今までのように悩むことがないのだ。

 確かに、悟浄はまだ悩んでいるふしがある。それは次の引用文からうかがえる。どうもへんだな。どうも腑に落ちない。分からないことを強いて尋ねようとしなくなることが、結局、分ったということなのか? どうも曖昧だな! 余り見事な脱皮ではないな!フン、フン、どうもうまく納得が行かぬ。とにかく、以前ほど、苦にならなくなったのだけは有り難いが
(全集316頁1行目〜3行目)

 これは懐疑的な悟浄の独言である。しかし、悟浄がこのように思うことは他人の意見を聞き入れて生活していく中に起こる実生活に結びついた疑問であって、決して「無用の思索」ではないことに注意しておきたい。

悟浄は人間になることによって救われたの。悟浄が人間になった直接の原因は、玄奘の力によるものであったが、その玄奘の力を得られたのは、今まで述べてきたように、悟浄自らの〈自分自身〉への考え方の変化によるためであった。その変化により、悟浄の他者への接し方も変化し、菩薩の言葉を受け入れることによって、人間となる機会を得ることができるようになったのである。

このように悟浄は救済されたのだが、その救済の前には、遍歴を通しての悟浄自身の変化が不可欠だったのである。


【 結論 】

 悟浄は「無用の思索」に耽ることで「心の病」に陥り、その「心の病」がもとで、肉体の痛みに苦しんだ。そして、その苦しさに耐え難くなった悟浄は病を癒すため遍歴に出た。遍歴当初、悟浄は、自分の病を癒すには「無用の思索」の解答を求めることが必要であると考えていた。しかし、遍歴を通じて「無用の思索」を求める矛盾に気付いた。その矛盾とは、病を癒すために必要と考えていた「無用の思索」の解答を求めることが、「心の病」を悪化させており、そればかりでなく、実は「無用の思索」の解答を求め〈思索〉に耽ることが「心の病」元凶であったということである。さらに、「無用の思索」に耽る自分を自尊の念をもって捉えていた悟浄であるが、〈思索〉に耽ることは、「骨折り損をさけるため」の「決定的な損亡へしか導かない途に留」ることであったという事にも気付いた。このように「心の病」の元凶である「無用の思索」の正体を捉えた悟浄は、自分を苦しめた「無用の思索」を停止しようと決意した。そうして、悟浄は「心の病」から解放された、また、同時に身体の苦しみからも解放された。

 しかし、これだけでは、完全に、救済されたとはいえない。なぜなら、依然として懐疑癖の強い悟浄は、「無用の思索」の停止を決意したにもかかわらず、疑い、〈思索〉する事を完全には停止できていないからだ。

 その上、遍歴を通じて悟浄に新たな問題が生じてきたのである。それは、人間的側面の強い心と、妖怪の肉体とのズレである。前述のとおり遍歴前から悟浄は、人間的側面を持ち合わせていた。それは、悟浄が人間世界から伝わった文字を解すると、他の妖怪たちから信じられていた事からわかる。文字は妖怪世界では軽蔑されていたにもかかわらず、その文字を悟浄は解すると信じられていた。それはつまり、他の妖怪が悟浄に人間的側面を見ていたということである。

 さらに、悟浄は、遍歴を通じて別の人間的側面をも身につけた。その人間的側面とは他者の意見を取り入れ、自分なりに意味付けする態度のことである。この態度は遍歴前半には見られなかったものである。なぜなら、遍歴当初は、悟浄も「自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどという事を知らな」いという妖怪の特質が強かったからである。

 ところが、遍歴を重ねるうちに彼は自己の捉え方を変化させ、それと同時に他者の意見に対する彼の姿勢も変化した。つまり、「無用の思索」に固執する自分に気付き、「無用の思索」への固執が自分の弱点であると認識した悟浄は、弱点を克服しようとして「無用の思索」から離脱した結果、他者の考えを取り入れることができるようになった。それに伴って「自己の性向・世界観に固執」するという妖怪の特質は薄れ、悟浄は他の考えの筋道をたどるという人間的側面を強めたといえる。

 以上から、もとより人間的側面を持っていた悟浄が、遍歴によってその人間的側面をさらに強めたことがわかる。人間的特徴を多分に帯びた心と、妖怪の肉体とでは、心と身体のズレから、いずれは、正常に機能することができなくなる。したがって、このズレを解消すること、すなわち人間の肉体を持つことが、悟浄出世における悟浄の完全な救済には必要である。

 また、前述のとおり、依然として懐疑癖の強い悟浄が「身体と心とが、人間世界におけるほどはっきりと分れてはいな」い妖怪世界で暮らしていては、身体の痛みからも完全に解放されない。

 よって、私達は悟浄の完全な救済には「人間と成りかわる」ことが必要であり、「人間と成りかわる」ことで悟浄は完全に救済されたという結論に達した。


付記