35回大阪教育大学国語教育学会

199912月4日()    

大阪教育大学 柏原キャンパス

A−215教室 

 

 

 

 

    芦田 恵之助

『尋常小学綴方教授書 (巻四)(大正10)の考察

子どもの文章の変化とその指導をめぐって

 

 

 

 

                  発表:国語教育第2ゼミナール

伊藤愛 江口直樹 佐藤優子 新海伸朗

田中絵里子 橋本奈都子 南公美子 吉永佳世

 

                  指導教官:田中俊弥

 

 

    目次

     はじめに…………………………………………………… 2

     1.芦田恵之助…………………………………………… 2

     2.『尋常小学綴方教授書(巻四)』……………………  3

     3.芦田恵之助の綴り方教育観…………………………  7

     4.芦田恵之助の指導実践と子どもの文章の変化

   第一学期……………………………………………  8

   第二学期…………………………………………… 12

   第三学期…………………………………………… 26

     5.総合考察……………………………………………… 30

     おわりに…………………………………………………… 32

 


 

 

 

はじめに

 

 私たち国語教育第2ゼミナールでは、野名龍二先生の『綴方教育論』を読み、子どもたちの文章に興味を持った。そこで、それまでの主流であった、課題主義・文型主義に対して随意選題を主張し、綴り方教育の新しい方向を示した芦田恵之助に注目した。その著書の中でも、随意選題を中心とした実践が収められた『尋常小学綴方教授書』を取り上げ、考察していくことにした。芦田によると「尋常四年生はまさに変化の時」とあり、1919(大正8)年度に行われた尋常四年生の授業実践が収められている巻四を中心に考えていくことにした。

 『尋常小学綴方教授書』をみていくと、芦田恵之助の綴り方教授は随意選題を中核とする「記述」中心になされている。そこで、子どもの書いた文章とそれに対する芦田恵之助の指導を中心にみることにより、芦田恵之助による綴方教育法を探ろうと考え、研究を進めた。

なお、引用に際しては、旧字体、旧仮名遣い、踊り字は、新字体および現行の仮名遣いに改めた。また、明らかな誤字・脱字については、これを改めた。

 

 

1.芦田恵之助(18731951

 

 1873(明治6)年1月、兵庫県氷上郡竹田村に生まれる。1889(明治22)年、竹田簡易小学校の授業生(代用教員)となり、教職生活を始めた。以来、京都で授業生、訓導などとして勤め、意欲的に実践に取り組んだ。

 1898(明治31)年、教育学者樋口勘次郎を頼って上京、東京高等師範学校附属小学校に准訓導として勤めた。1901(明治34)年から3年間は、姫路小学校に助教諭として勤めた。1904(明治37)年、再び上京、東京高等師範学校附属小学校に復職する。翌年、訓導となる。

 『綴り方教授』(1913)、『綴り方教授に関する教師の修養』(1915)、『尋常小学綴方教授書』四巻(191821)、『読み方教授』(1916)等をあらわす。

 1921(大正10)年、東京高等師範学校附属小学校を退職、朝鮮総督府編修官となり、『朝鮮国語読本』、『南洋群島 国語読本』を編纂した。

 1925(大正14)年、公職を退き、全国各地を教壇行脚してまわった。1951(昭和26)年に至る、26年間、教壇修行に打ち込んだ。この間、1930(昭和5)年に、雑誌『同志同行』を創刊した。

 1951(昭和26)年12月、郷里の法楽寺で病没。79歳。

(『国語教育研究大辞典』1988 明治図書、『生活綴方事典』1958 明治図書、『民間教育史研究事典』1975 評論社 より)

 

 

 

2.『尋常小学綴方教授書(巻四)』

 

 『尋常小学綴方教授書』全四巻は、芦田恵之助が東京高等師範学校附属小学校において行った綴り方教授の実践が収められている。大正中期に、四ヶ年にわたって行われた実践は、毎週二回設けられた「綴り方」の時間を全面的にあてて試みられた意欲的なものである。

 

 その刊行は以下の通りである。

     『尋常小学綴方教授書(巻一)』 1918(大正7)年6月18日 育英書院

     『尋常小学綴方教授書(巻二)』 1919(大正8)年3月1日  育英書院

     『尋常小学綴方教授書(巻三)』 1919(大正8)年3月1日  育英書院

     『尋常小学綴方教授書(巻四)』 1921(大正10)年2月5日 育英書院

 

 ただし、引用は、『芦田恵之助国語教育全集(全25巻)』によった。

 

     『芦田恵之助国語教育全集(全25巻)』

       第5巻 綴り方実践編 その四 1987年 明治図書

       第6巻 綴り方実践編 その五 1987年 明治図書

 

 当時、芦田恵之助は、机上案として作成された「綴り方教授細目」に従って綴り方の授業を展開していくことに否定的で、自ら綴り方教授の新しい実践的指導系統を探り当てようとしていた。

 『尋常小学綴方教授書』は、尋常一年から尋常四年までの実践経過を示し、また、子どもたちの綴り方を掲載していることから、その実践の成果も見ることができる。

 巻四には、1919(大正8)年度の第四学年における授業実践が収められている。芦田はその実践について以下のように述べている。「綴方の全時間が六十八時間、前学年及び前々学年と全く同一である。それは勿論偶然であるが、奇異の感がおこらぬでもない。その六十八時間中行った作業を類別してみると、随意選題が三十四回、文話したことが十回、課題が十三回、批正が十一回、範文が三回、その他清書・文題調などが四回である。之を前学年の随意選題四十二回に較べると、八回を減じているが、文話の数が多くなっておる。これはこの学年に指導を要することが多かった事実を語っておるのである。」(p.41)

 

 本書では、以下のような指導がなされていた。

 

随意選題:子どもが自由に題をつけて綴ること。

課  題:教師から与えられた題目について綴ること。

文  話:教師が、綴り方の心構えや、綴り方そのものについて話をすること。

批  正:文(言葉)の誤りや、照応の悪い部分を正すこと。また、文章を読み、その美点や欠点を見つけ出すこと。

範  文:立派な文を見せること。

 

 

作品一覧

第一学期

   410()  随意選題  「きのうまで」「かなしい事」「どうかして」              

     15()  随意選題  「おじい様とおばあ様にさしあげる手紙」(課題文)

                          「ありのこんきに驚いた」「蟻」

          課題     4月中に手紙の文

    17()  随意選題  「松方侯爵のため」「めざまし時計」「お人形」

     22()  随意選題  「広橋君にあげる手紙」(課題文)

                         「美恵子さんにあげる手紙」(課題文)

                         「京都へおくる手紙」(課題文)

     24()  随意選題  「うれしいうれしい」「国技館」

                         「おば様へ上げるお手紙」(課題文)

     29()  随意選題  「竹の子」「うまくいくといい」「朝おき」

         文話    課題の二様

  5 1()  欠課    (靖国神社の臨時大祭)

      6()  課題    森岡さんのお墓にまいったこと

                         「なくなった森岡さん」「森岡さんのお墓にまいった時」   

                         「森岡さんのお墓にまいった」

      8()  随意選題  「文集をかえしていただいたこと」「梅の木」「思い出」

     13()  随意選題  「やっと出た出た」「いちご」

                         「人というものは我がままである」

     15()  文話    文を長く綴ったときの注意

               「大国祭」

     20()  課題    運動会

                        「スタートを切った」「選手競争」

                        「負けるものか勝たせるものか」

     22()  批正    「徒歩競争」

     27()  随意選題  「蚕」「食べる時分が来た」「出来るまでは」

     29()  課題    電車

                        「電車の便利なこと」「このごろの電車」

                        「電車の中の広告を見て」

  6 3()  文話    課題を出されたときの心構え

          随意選題  「一人まえの人間になって」「日本と英国」                  

                        「うさぎのおはか」

      5()  範文    「キューピー」(芦田が綴ったもの)

     10()  文話及び記述「キューピーぞろい」「ほしかった」「キューピ−」

     12()  批正    「運のよいキューピー」

     17()  範文    「安全週間」(芦田が綴ったもの)

     19()  課題    安全週間

                           「きずした電車」「安全週間」

         随意選題  「うちのももの木」

     24()  随意選題  「もとのペスと今度のペス」「時無大根」「月の間の雲が」

     26()  文話    三種の文題

                         「うれしい72日」「せわがやける日」

  7 1()   欠課      (理由不明)

     3()    文話      成績の向上について

     8()    随意選題  「外国のお話」「春の遊」「日時計」「七夕」

         (成績考査) 「しようのない人間は私だ」「妹」

    10()    清書

第二学期    

 9 2()    随意選題  「泳げるようになった」「伊勢神宮」「僕の仕事」

                「のこぎり山へのぼった事」

     4()    批正

      9()    随意選題   「木戸から帰って来た時」「夏の夜」「猫退治」

     11()    文話       想の組立て方について

    16()    課題      この教室をきれいにするには

                「お当番」「この教室をきれいにするには」

     18()    批正     「当番」

     23()    文話      想の組立ての応用

           随意選題  「くつわ虫」「何を見てもさびしい秋」「朝の鴻の台」

      25()    随意選題  「安東家の由来」「ちゃー坊」「夜の鴻の台」

    30()    文題調

 10 2()    随意選題  「廃兵」「秋の月」「春夏秋冬」「星」

     7()    随意選題  「妹」「江戸川の夕暮」「お月見」

     9()    批正    「あばれ馬」

    14()    文話     物の見方について

          随意選題  「山道」「かわいいこすもすの花」

                「僕のこしらえた水道」

    16()    随意選題  「妹の誕生日」「タンク(一)」「大長茄子」

    21()    随意選題  「タンク(二)」「学校」「鶉」

    23()    欠課      (理由不明)

    28()    欠課      (理由不明)

    30()    欠課      (記念日) 

 11 4()  文話     文題が多く出来た時の心持ち

         随意選題  「職人」「野間(一)」「メタル」

    6()  欠課      (大掃除)

    11()   文話      文章修養の道

         随意選題  「菊の花」「寒さと暑さ」「野間(二)」

    13()   課題     副級長選挙

    18()  批正     「副級長選挙」(四篇)

    20()  欠課      (遠足)

    25()  随意選題   「野間(三)」「森岡さんを思い出して」

               「ハンカチにもみじをそめたこと」

               「僕の集めている切手」

    27()  課題      私のすきな遊び場所

               「私のすきな遊び場」「僕のすきな遊び場」(二篇)

 12 2()  批正     「私のすきな遊び場」

    4()  随意選題  「大佐になったお父様」「日々」「図書館」「羽子板」

        (成績考査) 「とよ子さんに上げる手紙」「雀」

    9()  学芸会の予選

    11()  学芸会の予選

    16()  随意選題  「赤ちゃん」「冬らしくなった」「お正月のたのしみ」

第三学期

  113()  随意選題  「東京児童の綴り方」「お書初をした時」「野間(四)」

    15()  批正      「冬休中の驚」

    20()  課題      嘉納先生をおもう

               「嘉納先生に対するお礼の言葉」「嘉納先生」

    22()  欠課      (感冒流行)

    27()  欠課      (感冒流行)

    29()  欠課      (感冒流行)

  2 3()  範文      「嘉納先生」(尋六の子どもが綴ったもの)

    5()  随意選題  「昨日」「葬式(一)」「野間(五)」

    10()  批正     「林檎」

    12()  随意選題  「料治先生とのお別れ」「野間(六)」「葬式(二)」

    17()  批正      「富士山」

    19()  随意選題  「うつり気」「野間(七)」「小鳥の行くえ」

    24()  課題      雪 

               「雪」(二篇)

    26()  批正     「雪」

    27()  番外     服部先生に贈る記念文 

                (随意選題) 「ぼくが大人になったら」「五七日」

               「つけひもを縫った事」「弟のお友達」

  3 2()   随意選題  「思い出」「こっけいなお話」「思い出」「昔と今」

         (成績考査) 

    4()  課題      湯(成績物散逸)

    9()  随意選題  「本庄町」「感心したこと」「叔父様」

    11()  課題      今日 

               「つまらない遠足」「今日の有様」

    16()  課題      綴方について

               「長い文を書きおえた時」「雑誌に文がのった時」

               「私の文集」「文の林に対するお母様の批評」

               「私の小さい時の文」「題がない時の心」

               「世界一の名人になろう」

 

 

3.芦田恵之助の綴方教育観

 

 実践を見る前に、芦田恵之助の綴方に対する基本的な考えを知るために、三つの観点についてまとめた。

 

 「綴らんとする心の培養」

「随意選題に入る前に、または随意選題によって文を綴らしめつつも、常に覚醒しなければならぬ一事」(p.17)として芦田は綴らんとする心をあげている。それは、「文を綴っていく中に培われるものであるがそれ以前に既に萌芽」(p.17)しているのだ。芦田は「入学当初の児童の何かを学ばんとする心」(p.17)がそれであるといっている。では、この向上発展したいという内的動機をどのように覚醒させるのであろうか。芦田は「教師が自ら学ばんとする心に充実」(p.17)すべきだとしている。教師側も何かを学ぼうと常に緊張感を持って授業に臨まねば児童もついてこないということだ。その心が児童の内に醒めてきたら「環境のすべてが指導の働きを生じ」(p.18)るとあるように、この心を芦田が綴り方でいかに大切にしたかがわかる。子どもの中に、すでに芽生えている「綴らんとする心」に気づかせ、育てていこうと芦田はしていたのだ。

 

 「生活即文章」と随意選題

 芦田は随意選題を「体験による発見発明」(p.16)と意義付けている。生活で体験した様々な発見や発明を自分の中で選んで綴ること、つまり「必要に応じて筆をとり、感動して文を綴る」(p.16)という文章生活と同じだとしているのだ。随意選題というのは、方法ではなく、文章生活そのものなのだ。ここから芦田が随意選題を重んじた理由が見えてくる。随意につまり自由に子どもは題目を選ぶ。その題目は児童の生活の中にあると考えられる。生活即ち文章になるということを芦田は言っている。

 

 尋四の変化

芦田は尋一から尋三までを「見たこと聞いたこと行なったことを何等工夫を用いないでそのまま書く」(p.19)としている。尋四では、そこに「所感」が加わる。「所感を附記し、全事実の中心点を明らかにする」(p.19)ような傾向が表れてくると見ている。さらに、「事実と離れた概念」(p.19)も見えてくるのだ。だんだんと、事実そのままから自分の中で選んで綴れてきているということだろう。事実そのままではなく感情を中心にしたり、概念を入れたりして幅広い文章が綴れてくる時期なのだといえる。

 またこの時期は、文章の内容だけでなく、「配列を工夫するようになる」(p.20)とあるように、文章の組立てにも気を使うようになる。

 これらの指導の実際はこれから見ていくが、芦田は「想の変化」「想の取り扱い」「描写法の工夫」などを尋四で見ていたというのがわかる。

 

 

 

4.芦田恵之助の指導実践と子どもの文章の変化

 

 私たちは、芦田の綴方教育観をまとめて、「尋四の変化」の中で挙げられている、想について興味を持った。本書を読み進める中で、芦田は想を自分のうちにある漠然と書きたいと思っているものとしていると私たちは捉えた。二学期に想の組立て方についての指導がなされていることから、二学期における芦田の指導実践と、子どもの文章の変化を考察することにした。その前段階としての一学期の子どもの文章を分析することで、二学期の想の組立て方の指導に入るまでの変化と特徴を考察した。

 

 

 第一学期

 

 一学期の初めのうちはすっきりしない文が見られた。そこでその例を挙げておく。

 

 

417日 随意選題 「めざまし時計」 p.47

この頃はずいぶん朝ねになった。けれどもお母様のいらっしゃったころは、わりあい早起だった。それはなぜかというと、毎朝めざまし時計をかけておいて下さった

けれどもこの頃はずいぶんずるくなったと見えて、めざまし時計をかけておかない。そのために目ざまし時計は弟にこわされてしまった。もういくらめざまし時計をつかおうと思っても、もう使えない。おばあさまにもう一つ目ざまし時計を買っていただきたいようだが、しかられそうでいわれない。

だからこれからは時計を相手にせず、一人でおきようと思っている。

 

 この文、最後の一段で人生に深い交渉をもつことになっている。傍線を施した「なぜかというと」は省くがよい「下さった」の下に「からである」となくては、照応がわるい。「もう」「目ざまし時計」は重複の感がつよい。

 

 芦田は「最後の一段で人生に深い交渉を持つ」と言っている。確かに一人で朝起きようとしているのは自立への一歩であるが、「深い交渉」とまではいえないだろう。

 文章としてみると、芦田が指摘しているように、照応の悪い所があり、もたつきを感じる。五文目に「そのために」とあるが、因果関係がはっきりせず、わからない。しかし朝寝坊な自分を振り返り、これからに生かそうとしている姿勢は、前向きである。

 

 

 一学期の初めには上にあげたような文章も見られたが、私たちは、一学期全体の発達の特徴として、題に沿って書くことができるようになっていくと考えた。4・5月の段階では、題に沿って書かれていないものが多く見られたので、その例として二篇、6月にはいると、題に沿って書けるようになってきたので、その例として二篇取り上げた。

 

 

417日 随意選題 「松方侯爵のため」 p.46

僕のお父様は毎朝五時に起きて、おにわのそうじをして、そのあとで体操をなさいます。それが学校の体操とはちがって、すわって体操するのです。一番初に手をたたいて、おいなりさまに何かおねがいして、それから手をのばしたり、さすったりするのである。それからおにわをはきながら「松方侯爵はね、朝五時にお起きになるんですって」などいいながら、僕たちの所で「おね坊さん」などといって、おからかいになります。そのためにお母様はね坊が出来なくってこまっていらっしゃいます。僕たちはあさ早くおきられるのでよろこんでいます。松方侯爵のために、みんな早起になりました。今では五時頃にはもうみんなおきます。

 

父の緊張した生活振がよくあらわれている。文にも余裕があって範文として優良なもの、一人の善行が一家一卿を化して、ついに天下に及ぶ義も明かによまれる。

 

父親が朝五時に起きて、庭の掃除をすること、座って体操をすること、家族を「おね坊さん」とからかうことなど、父親の行動が詳しくかかれている。また、母親が寝坊できなくて困っていること、この子自身が早起きできることを喜んでいることなどを書いていて、父親に対する反応もわかる。父親の生活ぶりと、それに対する家族の反応が書かれていて、この家族の生活の一部を見ることができる文章である。

この文章は、父親の生活ぶりと、それに影響を受けた家族の生活ぶりが中心になっていて、その様子はしっかりと表されている。しかし、この文の書きたい中心は松方侯爵のために早起きになったということである。書きたい中心は、題には合っているが、書かれている中心は少しずれている。

 

 

58日 随意選題 「梅の木」 p.58

私のうちのお庭に、梅の木が一本あります、もう実が一枝に十一くらいなっています。今年は去年よりたくさんなりましたから、毛虫がたくさんいます。お父様は学校からかえると、ぼうで毛虫をおとしています。私もこの間お父様のまねをして、毛虫をおとしましたら、げたの上におちました。私はびっくりして、ぼうではじいてしまいました。そこへ弟が来て、こんどは弟の足の上にのぼりましたので、弟はないてしまいました。

 

 この文は庭の梅に実が沢山なったことから、毛虫の多くいることにうつり、父の毛虫駆除から、自分も是にならって、ついに弟の泣くのに終っている。題は梅の木とあるけれども、むしろ梅の毛虫などしたらよいかと思う。傍線を施した「今年は去年よりたくさんなりましたから、毛虫がたくさんいます。」は無関係の事実に関係をつけたものである。きりはなして「たくさんなりました。」ときって、「毛虫もたくさん云々。」としなければならぬ。この文は批正の料として面白い取扱が出来る。

 

芦田の言うように、一文目に自分の家の庭に梅の木があることを書いているが、二文目からは、毛虫にまつわる出来事を書いている。この子ははじめから毛虫にまつわる出来事を書きたかったのだろうか。それとも、途中で書きたいことが毛虫のことに変わってしまったのだろうか。

父親のまねをして毛虫を落としてみたものの、自分の下駄の上に落ちてしまい、びっくりして棒ではじいてしまったという表現から、慣れない手つきで毛虫駆除をする姿が目に浮かぶ。

題は「梅の木」だが、毛虫の方に話題がずれてしまった。

 

 

610日 課題 「ほしかった」 p.75

私は三年の時、四年の方がずいぶんかわいいキューピーをもっていらっしゃいましたから、私はずいぶんほしくなりました。家へかえって、お母様に「キューピーを買って下さい。」といいましたら、お母様が買ってあげますとおっしゃった時は、何より嬉しくなって、おちついてごはんがたべられなかった事がありました。そのあした、学校に来て遊ぶ時も、キューピーの事をかんがえていました。それから家へかえって、二階にいって見ると、私の机の上に三つかわいいのばっかりならべてありました。私はあんまり嬉しくなってしまいましたから、とびまわっていますと、しまいにはころがってしまいました。私はその時の喜びが何よりも一番嬉しゅうございました。

 

 キューピーに関する思い出である。これが今回の成績中の最優良文である。生活の明かにあらわれている文である。

 

 母親がキューピーを買ってあげるといったとき、嬉しくて落ち着いてご飯が食べられなかったこと、学校にいるときもキューピーのことを考えていたこと、机の上にキューピーが並べてあったので嬉しくて飛び回り、転んでしまったことなどが書かれている。これらは、この子どもが、とてもキューピーを欲しがっていたことを表している。「私はそのときの喜びが何よりも一番嬉しゅうございました。」と書くことで、キューピーを手に入れたときの喜びの度合いがわかり、キューピーを欲しがっていたことが強く伝わってくる。

 この文章は、「ほしかった」という題に沿って、キューピーを欲しかった気持ちが綴られている。

 また、これは、「キューピー」という課題であるが、ただキューピーについて書くのではなく、キューピーを欲しかったことを中心に書いている。この子どもが課題の中にも自分の自由を見出していることがわかり、その点がすばらしい。

 

 

624日 随意選題 「もとのペスと今度のペス」 p.80

もと僕の家が水道橋にあったころ、大きな犬がかってあった。その顔はやさしいようだけれど、おこった時ときたら、家の人も何とも出来ない。それがため隣の家の女中はこの犬を見ると、いそいでいってしまう位。けれども人になれやすくて、交番の巡査もこの犬のあそびあいてである。僕はこの犬がすきで、毎日いっしょにあそんでいた。それから今いる所へひっこした時、その犬を山田という人にあげてしまった。それきり僕のあそびあいてというものはなんにもなかった。ところが今度又その犬の子が僕の家に来るのである。僕はもとの犬と同しぐらいに、たくましくてやさしい犬だろうと思う。

 

 生活と少しのすきもない。子犬に対して、親犬と同じ期待は面白い。これあるがために、この文が出来たのである。範文として十分の価値がある。

 

題の言いまわしが工夫されていて、しかも、その題からは内容が想像しにくい。だから、内容に興味がわき、読んでみたいと思う。犬がいなくなってから「僕のあそびあいてというものはなんにもなかった」という表現から、この子どもが犬をかわいがっていたことが伝わってくる。次の犬の名前をペスにしようとは書かれていないのだが、前の犬が大好きだったために、また同じ名前をつけるのだな、同じような犬を期待しているのだな、ということが想像できる。以前飼っていたペスと、今度来るペスのことが書かれており、題に沿っている。

 

 

 一学期を見ると、4月・5月の段階では題について意識していないためか、題に沿って書かれていないものが多い。しかし6月に入ると、題に沿って書かれている文章が多くなり、工夫された題も見られるようになった。また、題に沿って文がまとまってきた。

 次に、一学期に行われた芦田の指導についてみていく。

 

 

429日 文話:題には、自分の生活を見つめて、書くことがらを集めるものと、生活をそのままに書くのではないようなものの二通りあることを示し、題について考えるように指導した。

 

5月  6日 課題:4月29日の文話の成果が現れていないので題について意識させるために課題を与えた。

 

6  3日 文話:題を与えられたときは、その題の中に自分を打ち込んで自分の働きというものを見せなければならないと、課題を出されたときの心構えを話す。

 

6  5   課題:ここでは、 芦田が題に沿った模範文を示したあとで、 子どもにそれと

     10        同じ題で綴らせている。これは、模範文で題に沿っている文章の具体例を示すことで、子どもに題に沿って書くことがどのようなことなのかを、理解させようとしている。

 

626日 文話:子どもが題について無関心であるように見えたから、題には綴方の本にある題と、先生から出された題と、自分の選定している題の三種類あると話した。また、題の種類によって綴る時の難易度も違ってくるので、そのことについて考えてみるとよいと話した。

 

 

以上、一学期の指導として、芦田が子どもたちに題について意識させ、題に沿って文章が書けるように指導していたことがわかる。そして、一学期の中ごろからは、子どもの文章は題に沿って書かれるようになっている。

 

 

第二学期

 

一学期で子どもたちは題に沿って文が書けるようになってきた。その例として次の文を取り上げた。

 

 

◎9月2日 随意選題 「のこぎり山へのぼった事」 p.91

私は保田ののこぎり山に、お兄様と私とおねえ様と三人でのぼりました。家を出たのは朝の十時頃でした。うちを出てから、三人でとぼとぼといなか道をあるくのは、まことによい気持でした。だんだん行くうちにもうのこぎり山が目の前に見えて来ました。

まずお茶屋で地図を買いました。そこからはらかん道でした。そしてどんどんのぼって行くと、百合だのなでしこだのれんげ草などが、道ばたにうるわしく咲きみだれていました。

私はほしいほしいと思いながらのぼって行きました。あんまりつかれたので日かげで休みました。少し休んで、又どんどんのぼって行くと、池がありました。そこには橋が七つあるので、七つ橋という名がついています。それから少しそこで休んで行きますと、日本寺に着きました。日本寺でお守りを二つ買ってから、かめの石を見ました。そこは大そう涼しゅうございました。こんどはいよいよ頂上につきました。頂上はかなり高うございますから、人家がはこにわのようでした。又みうら半島も富士山も、水の中から頭をつき出しているように見えました。青い海は一そうのこぎり山を引きたてるように見えました。その時涼しい風が吹いてきて、何ともいわれない気持でした。

 

たしかな文である。一学期末からかようにまとまり始めて、かようにたしかな文になったのだ。傍線を施した「人家がはこにわのようでした。」とある上に、「麓の」などなくては迷い易い。四篇ともに尋四としてはすっきりとした文である。

 

のこぎり山へのぼったときの事を時間の経過に従って書いている。ただ事実ばかりを書くのではなく、「うるわしく咲きみだれていた」、「たいそう涼しゅうございました」など、要所要所に自分の感興をおりまぜながら書いている。事実を書くにしろ、感興を書くにしろ、だらだらと書くのではなく、一文一文を短く、端的にまとめている。このような淡々とした書きぶりに対して芦田は「すっきりとした文」であると評価しているのではないか。また、この作品に対するコメントとして、「たしかな文である」ということも書かれている。これは、「のこぎり山へのぼった」という一日の出来事に書きたい中心が定められており、順序よく書かれていることから出たことばであろう。

 

 

 題に沿って書けるようになってきたので、次の段階として芦田は、想の組立てについての指導を行っている。私たちは、子どもの文章の変化と芦田の指導を見ていくことで、その関わりがどのようなものであったかを明らかにしようと考えた。

 そこで、芦田の実践の中でも注目すべき作品を取り上げ、指導と合わせて考察した。

二学期の初めには、芦田は以下のような指導を行っている。

 

9月 4日 批正:前回の成績物の中にあった誤文を板書し、推敲の不十分なことを注意する。暑中休暇中に弛緩した後も見えるので、必ずこのような誤りを再びしないよう戒める。

 

9月11日 文話:想の組立て方の指導をするために、「この教室をきれいにするためには。」という問題について、書くべき事項をまとめる。

 

9月16日 課題:前回の想の組立て方を復習し、「思想を整頓して書き始めなければならない」ということを話し、掃除についての文を綴らせる。

 

9月23日 文話:これまでに掃除について想の組立て方に関することを指導したので、それを随意選題の上に応用する。「一.まず書こうとする中心を決めよ。二.想をまとめよ。三.順序を決めて記述せよ。」ということを話す。

 

 

◎9月23日 随意選題 「何を見てもさびしい秋」 p.101

この間理科で秋の花というのをしらべました。先生が「秋の花は春の花よりよほどさびしい。」とおっしゃったので、私のむねの中にあったうれしい事がぬけたような気になってしまいました。

このように秋ははぎの花を見ても、こおろぎがなくのをきいても、なんとなくかなしくなって来ます。

ああそうそう去年の今ごろはお母様がいらっしゃったのにと思うと、はぎの花も一そうかなしく見えるし、こおろぎの鳴くこえも私のむねをけずるようにきこえます。

これを思うと、秋はかなしい時となづけてもよいでしょう。

 

 「秋の花は春の花よりもさびしい。」といった私の言から、秋のさびしさを感じはじめ、母の死を思い出でて、さらに之をつよめる。而して「秋はかなしい時となづけてよいでしょう。」とは秋にする対この児の結論、全文を引きしめている。立派な文だ。

 

 秋の花についての芦田の一言をきっかけに、この子どもが秋を「かなしい時」と名づけるまでの心の動きが綴られている。何気ない教師の一言から、それまで何とも思っていなかったであろう、はぎの花やこおろぎの声を秋のさびしさを誘うものとして意識し、それに自分が母をなくしているということを重ねてその意識をより深いものにしている。自分の生活を重ねていることで、秋をさびしいと感じるこの子どもの気持ちがより強く伝わってくる。

 秋を「かなしい時」と名づけるほど秋に対する思いを深めていった点で、芦田はこの文を「立派な文」と評価しているのだろう。

 

 

◎9月25日 随意選題 「ちゃー坊」 p.103

家のちゃー坊は小さいくせにずいぶん生意気だ。僕のことを「忠義」とよびつけする。そのかわりに僕が「こらっ」というと、ふるえながらかけだして、僕の姉さんにかじりつく。僕は面白がってからかうと、お母様にお目玉をもらう。僕がちゃー坊をおぶって、書斎につれていって台へこしかけさせ、そっと床の間へかくれた。するとちゃー坊は「気味がわるいや」といったので、僕は笑った。ちゃー坊は三つで、僕のおいだ。

 

 軽妙な筆である。名文といってもよいかと思う。この短い文中に、これだけの想をたたみこむことは容易のことでない、私は之を幾度も幾度も読んでみたが、そのたびそのたびに調子のあった児童の文に敬服する。

 

ちゃー坊と僕との関わりの中での出来事をありのままに綴っている。事実ばかりを書いているのだが、その関わり合いの中から、この子どもがちゃー坊をかわいいと思っている気持ちが伝わってくる。ちゃー坊とのことが次から次へと書かれており、そのテンポのよさに勢いを感じ、惹き付けられる。次々と書いているという点に、ちゃー坊をかわいいと思い、ちゃー坊のことを書きたいというこの子どもの気持ちが表れている。「ちゃー坊は三つで、僕のおいだ。」という説明が最後に来ているのは、ちゃー坊と自分との間で起こったことをまず書こうとしたために、ちゃー坊と自分との関係を書き忘れていたのだろう。或いは、こんなにかわいいちゃー坊が“実は僕のおいなんだ”という嬉しさをあらわすためにあえて最後にしたのだろうか。

どちらにしても、ちゃー坊をかわいいと思っている気持ちが伝わってくる。

 

 

107日 随意選題 「妹」 p.110

僕の妹は羊の年でまだ一つである。

妹は今年の二月二日生れたのであるが、まだ八月にしかならないのにはいはいをする。色々の紙があればはいはいして取ってはしゃぶる。その紙を取ると、又向うにある紙を見つけて取る。いくらかくしてもかくしても見つけて取る。其時は僕の方がまけてしまう、多美ちゃんが一生懸命ではいはいしている時、わきから大きい弟がじゃまをしてだいていってしまう。又僕がだいてくると、小さい弟が、

「多美ちゃんがはんぶんになっちゃうじゃないか。」

といったので、僕も大きい弟も笑った。

 

 妹の無邪気な有様がよくあらわれている。二人の兄が之をとりあうのは、妹の無邪気さを裏書したものといってもよい。傍線を施した「生れたのであるが」は「生れで」とした方がつづきがよいように思う。

 

 前半は紙を取りに行く妹の様子、後半は妹を取り合う兄弟の様子が書かれている。この二つの出来事を通して、妹をかわいいと思う気持ちが伝わってくる。まず前半では、妹の行動についてありのままに書いており、その一生懸命な様子が描かれている。後半には、妹の取り合いを弟とするのだが、これは兄たちが妹をかわいいと思う気持ちから起こったことであろう。ただ事実を書いているだけなのだが、妹の行動をまず書くこと、妹をめぐる兄弟の様子から、“かわいい妹”を効果的に伝えている。

 

 

109日 批正 「あばれ馬」 p.112

きのうのことである。僕が門の上にのってあそんでいると、むこうからあばれ馬が全速力でかけて来る。よこから急にたこを持った男の子が家の門の方にかけてくる。僕は見ていると、馬はだんだんと近くなってその子どもとやく一間ばかりのあいだになった。やっと気がついた男の子は、いっしょうけんめいにかけたが、もうおそい。たちまち馬にけとばされてしまった。あばれ馬はどんどん行ってしまった。子供はきぜつしてしまったようである。するとそこいらの人があつまって来て、その子をだいていってしまった。

 

 通読させて、まず美点をいわせてみると、児童の眼も甚だたしかになって来た。「全部が美点だ。」という、真にその通りである。各の語句が適当な場所におかれて、しっくりとその任をつとめているから、一語を除くことも、一句を加えることも出来ない。私は「多少ありそうなものではないか。」と刺激を与えて見たが、「ない」という。私はうれしかった。欠点のないものを、ないと見る眼は、欠点を見つける眼と同一の力である。批正といえば、批評訂正の略語て、多少でもなおすということがなければならぬようにいうけれども、これは誤りである。立派な文を立派だと観破するのも、批正の重大な仕事である。児童は「完全な文」として、このあばれ馬をとおそうとする。私はそこで「作者はいかにも冷たい人だ。」といって、「僕は見ていると。」という句を「僕ははらはらして見ていると。」となおして、児童の様子を見ていると皆破顔微笑した。私は又「文は一語で活き、一語で死ぬ。気をつけなさい。」と着語して教授を終わった。

  

子どもが綴った「あばれ馬」を取り上げ、美点と欠点を鑑識させる。「全部が美点だ。」という子どもに対して、芦田は「真にその通りだ。」「児童の目も甚だたしかになって来た。」「立派な文を立派だと観破するも批正の重大な仕事である。」と述べている。最後に、芦田は「作者はいかにも冷たい人だ。」と言って、「僕は見ていると」を「僕ははらはらして見ていると」に直して、「文は一語で活き、一語で死ぬ。気をつけなさい。」と子どもたちに話す。

今回の批正が今までに扱った文と違う点に、欠点がないということが挙げられる。今までは良い文でも批正で扱っているものには欠点があった。今回も今まで通り「美点と欠点を挙げよ」といっているが、子どもは「全部が美点だ。」と答える。この事から芦田も言っている様に、自信を持って批正できる「確かな目」が子どもの中に育ってきたことが分かる。

「はらはらして」を入れたことでこの文は活きたのか死んだのか考えてみた。

 この文章の中では、作者は視点としての存在でしかなく、心の動きなどは一切書かれていない。あばれ馬が走って来ようと子どもとぶつかろうと、気絶しようと、人間として当然の驚きや恐怖がかかれていない。それを芦田は「冷たい人」と言っているのだろう。「はらはらと」という一語を加えることで、人格が誕生し、この文は活きてくる。

この文章は、はじめから終わりまで事実のみを書くことで一貫している。従って、ここに「はらはらして」と心の動きを入れることで、その一貫性が失われてしまい、この文は死んでしまう。

このように二通りの読み方ができる。

 

 

1014日 文話:物の見方には「研究的」「利用的」「鑑賞的」の三通りあるということを話す。そして、「自分が今書いている事柄は、どの見方によってまとめたものであるかを知らなければならぬ。」と文を書く上での新しい視点を与える。

 

 

1014日 随意選題 「山道」 p.114

僕は夏休に木曽川の水力電気の発電所へいった。僕たちは六時半に家を出発して、川やたんぼの間にある細道を通って山道にさしかかると、おじ様が「ここからまだ二里あるよ。」とおっしゃった。僕はどんどん山のおくへおくへとあるいて行くと、いつしか山のとうげに出た。見下すと一方はがけで、一方は谷になっていた。みんなが上りつくと、こんどは下り道だからわけはない。さっそくくたびれた足をひきずりながらおりて行くと、道の左右にみなれない草花がきれいにさきみだれて、時々鳥のこえがきこえる。こういう所はあまりみない。僕は山ゆりの花をとろうとすると、清水やつゆが足にかかって、くつしたがびしょぬれになった。発電所へついていろいろのきかいを見てかえって来た。家へかえると行く道で取った草花を瓶にいけた。ばんになると、死んだようにねむった。

 

 なだらかに事実を書いたのが、この文の長所。やや報告的の傾がある。「こういう所はあまり見ない」というに、感想は加わっているが、全体は事実が主だ。こういう文はわざとらしくなく、冗漫でない所に働きを見なければならぬ。

 

発電所に行くまでの道のりを時間の経過にしたがって順序良く書いている。感情が全くと言っていいほど表れておらず、少し物足りなさも感じるのだが、一貫して事実でまとめられているのですっきりしているとも言える。一文一文が短くまとめられているので分かりやすい。

 

 

1016日 随意選題 「大長茄子」 p.117

僕は八月の半ごろ大曲の花屋で、大長茄子の種を一ふくろ買った。家へかえると、さっそく栽培法にある通りに一晩中お湯につけておいた。それからあくる日、馬ふんを道から取って来て、その中へ種をいれた。十日ばかりたって、馬ふんをどけて見ると、その中には無数に小さい白色の根が見えた。家の人たちは、「どうせ今頃種をまいても、きっと実はならない。」といっていた。僕は「どうしても大きくして見せる。」といって油かすをおけからたくさんかけてやった。

そのかいがあって、今ではこいむらさき色の長い実がなっている。

 

 これが自由農業だ。こういう所から発達する研究心を助長すれば、生活はただちに教育の義となるのである。範文として尊い文である。

 

大長茄子の種を買ってから、実がなるまでのことを良く整理して書いている。「どうせ今頃種をまいても、きっと実はならない。」という家族の言葉に、「どうしても大きくして見せる」と「油かすをおけからたくさんかけてやった」とある。ここから、絶対に大長茄子を大きくすると意気込んで、大切に世話をする子どもの様子が思い浮かぶ。最後の一文には、気持ちを表す言葉はないのだが、うれしさや、家族に対する“してやったり”の気持ちが伝わってくる。

想がしっかりと組立てられていること、また、なすびの種を買ったことをきっかけに、どうしたらうまく育てることができるかを考え、行動する姿を評価して、芦田はこの文を「範文」としたのであろう。

 

 

1111日 文話:「一度書こうと考えたことは、必ず書きあげなければならぬ。しかしその想に書こうとする中心が鮮明に見えていなくてはならぬ。」と、文を綴る姿勢についてや、想についての話をする。

 

 

1125日 随意選題 「ハンカチにもみじをそめたこと」 p.129

私は日曜日に井之頭へ行って、もみじを取ってきました。そしてかえってからハンカチにもみじを染めました。まず取って来た中から、一番赤いのをより、それをハンカチのはしのところにおきました。そしてその上に半紙をおいてから、木づちでとんとんとたたきました。すると紙に色が出て来ました。それからすっかりもみじの形の色が出てきたので紙を取り、もみじを取って見ると、きれいに赤くそまっていました。私はうれしいので、お母様にお見せすると「大そうきれいですね。」とおっしゃいました。

 

 人間は何等かの機会に原始的の生活を繰返すものである。これもその一つだ。こういうことが種々なる工夫の基礎をなすものと思う。範文として好適のものである。

 

ハンカチにもみじを染めた手順を、簡潔に書いている。「そして」、「まず」、「すると」、「それから」という接続語が多く使われていることから、子どもが、順序良く、分かりやすいように書こうと意識していることが分かる。最後の「大そうきれいですね。」という母の一言が、自分の気持ちとぴったりだったので、この言葉で文を締めくくったのだろう。

 

 

1127日 課題:随意選題も一時のような勢が見えなくなったことから、「私のすきな                                 遊び場所」という題を課す。参考として、記述の事項を、「一、どういうことから書きはじめるか 二、遊び方 三、好きな理由と感じ」と         示す。

 

1127日 課題 「僕のすきな遊び場」 p.131

僕のすきな遊び場は占春園の笹薮の所である。中でも一番いい所は、右側の平たい所の上の方である。あそこは笹が三尺ぐらいあって、人の目に立たない所である。そこの上にねころがって、ころころ笹の中をころがって行く時に、何ともいわれない面白さがある。ちょうどころがってしまった所に、一つの手洗い鉢があって、それが木内君と永野君と僕の秘密である。その名前は谷中の墓地という名だ、そこはころがって手のきたなくなった時あらう所だ、占春園は見晴しがよく、木がたくさんあるから次第に空気がよくて遊び場所には実によい所だ。

 

 占春園は遊ぶことの禁ぜられておる所である。そこをすきな遊び場として選題したこの児の無邪気さが思われる。私はひそかにこの表裏なき態度が、文の上に尊いことだと思う。私はいまだかつて文の上から児童の罪状を摘発したことはない。人はとやかくいうが、ここに至るまでの赤心を児童の腹中におくことは、二三年はたしかにかかる。傍線を施した「次第に」は省くがよい。

 

 遊ぶことの禁じられている占春園のことを素直に書いている。この子どもの中に、“綴り方にこんな事を書いてはいけない”という考えはなく、“文はありのままの自己を綴るもの”ということが根づいていたことがうかがえる。

この文には、この子どもの好きな遊び場である占春園のことが詳しく書かれており、占春園の良さをみんなに言いたい、という気持ちがとても良く伝わってくる。課題であるが、芦田の出した題の中に自分を打ち込んで、しっかりとまとめることができている。

 

 

1127日 課題 「僕のすきな遊び場」 p.131

僕のすきな遊び場は機械体操の所である。それは機械体操も出来るし、又相撲及び砂遊も出来るからである。機械体操と相撲とは力をくらべ、又砂遊は智恵を出すのである。そのほか走りはば飛もやはり力をくらべるのである。どちらも遊びではあるが、砂遊は勉強の方にちかく、機械体操相撲走りはば飛びは体操にちかい。

 

 この文は私の示した要項が害をしたのかとも思う。起筆と理由は明かであるが、そこでする遊び方に力を用いすぎたかと思う。しかし「こんな遊びをする所だから好きだ。」という意にもなる。とにかく問題となる文だ。批正の料として面白かろう。

 

まず、これを読んで、課題であったせいか、子どもが乗り気でないように感じた。一文目で、好きな遊び場は「機械体操の所」であると書いており、その理由も、次の文で言っている。しかし、「機械体操の所」への思い入れは感じられない。そして、途中から遊び方の説明にかわって、そのまま終わってしまっている。

しかし、普段する遊びを分析している点は、工夫が見られる。

 

 

1216日 随意選題 「赤ちゃん」 p.139

僕の組には一人赤ちゃんがある。

それは小城君である。皆が「あかちゃんあかちゃん。」というものだから、小城君もいい気になって、大へんあまえてこまる。僕達が小城君に何かいうと、すぐ「アッポアッポと」いう。それから鶏が大すきで、僕たちに向かって「トロットットトロットット」というので、僕たちが「よしたまえ。」といっても、何といっても、しつこくやって来る。それで僕たちはそうだんをして、小城君に向かって、手を合せたらよすようにしてもらった。又泣くまねが上手で、僕たちがいじめると、すぐ泣くまねをする。あまり上手なので、ほんとうに泣いたのかと思ってあやまると、急に笑いだす。僕たちもしゃくにさわるので、此の頃はあやまらなくなった。

赤ちゃんは電車ごっこもすきで、帰る時は自分で車掌になって、笛をふいてかけだしては面白がっている。

此の大きな赤ちゃんは、皆からかわいがられている。

 

 友の批評もこれほど虚心で、これほど同情があれば、こうしたうつくしい文になるのだ。何の批評でも、一点私心が蟠ると、それから読むに堪えないものとなってしまう。

 

 一文目が「僕の組には赤ちゃんがある。」となっているが、四年生の組には赤ちゃんがいるはずもなく、何故いるのかと興味を持ち、この文に惹きつけられる。その後は、小城君が赤ちゃんと呼ばれる理由が、僕たちの小城君との関わりの中で、テンポよく、しかもわかりやすく書かれている。しかし、それを書くだけにとどまらず、「皆からかわいがられている」と書くことで、学級の仲間に小城君が受けいれられていることがわかる。文章が小城君、僕たち、小城君、僕たちというようになっており、テンポよく文章が書かれている。

 

 

《二学期の考察》

1)子どもの文章の変化

子どもの文章の変化を見て、まず気づいたことは、文章がまとまってきたということである。923日の「何を見てもさびしい秋」では、秋のさびしさ、925日の「ちゃー坊」では、この子どもがちゃー坊をかわいいと思う気持ち、107日の「妹」では、妹のかわいらしさが中心になっており、書きたい中心が明確になっている。そして、書きたい中心に合った文を順序良く組み立てていることから、文章がまとまってきたと言える。

次に気づいたことは、子どもがより的確にその状況を表せるようになったことである。「山道」に「死んだように眠った」とあるように、表現力が豊かになり、自分の様子をより表せている。

 

 ここで、特定の子どもの文章を見ることで、実際どのように変化しているのかを明らかにしたいと考えた。

 しかし、この文献の中にある子どもの綴方は名前が伏せられているため、特定の子どもの綴方の変化を比較することができるのは、7月(一学期)と12月(二学期)に行われた成績考査の綴方十二篇だけであった。この十二篇は、男女各三名の綴方が同じ順序で二回ずつ掲載されている。このうち男女各二名の綴方を取り上げ、子どもの文章の変化を考察した。

 

 

〔男子A〕

 

◎7月8日 随意選題 「外国のお話」 p.85

お父様とゆうべはじめて家内のものが一所にあつまって、長いお話をお父様からうかがった。その話の中に一同がわらったのは、まだおぼえている。それはお父様が出雲の司令官やその外の方と英国に上陸した時のことである。皇帝から招待してくださったので、ぞろぞろ宮中へいくと司令官はさきにはいっていた。そのあとへお父様がまっさきについたら、一しつに若い人がいすにこしかけて、佐藤司令官と何か話していた。お父様はまさかこれが皇帝とは知らないから、手をとって「グウドモーニング」といってよく見たら、英国の皇帝だった。あとから来た人は司令官がきをつけのしせいをしたから、これが皇帝だなとわかったが、お父様だけは自分の友だちのようにやってしまった。だから家についてすぐこのことを第一にお話なすった。

 

 久しぶりに逢った父の第一の話をつづったのである。雑然と話されたことを、これだけにまとめるのは、よほどの工夫を要することである。聞書の好模範。

 

 一文目に「お父様」が重複している。文脈からみて、最初の「お父様」は必要がない。このように重複してしまったのは、外国に行っていた「お父様」と久しぶりに逢うことができて嬉しかったためだと考えられる。

 五文目の「そのあとへお父様がまっさきに」とあるところは、「そのあと」と「まっさきに」が、照応が悪い。これは四文目からのつながりで考えると、「司令官」が「さきにはいった」あと、“一番に”「お父様」が入ったと書きたかったためだと思われる。しかし聞書であるため、思い出しながら書き、上手に表現できなかったのであろう。聞書としては、多くの事柄をまとめ上げている点で優れている。

 

 

 

12月4日  随意選題  「大佐になったお父様」    p.133

僕のお父様はこの間大佐になった。二日の朝新聞の表を見ると、新任大佐と書いてある所に、安東昌喬と初めに書いてあった。ああ又お父様は一番で大佐におなりになったかと思うと、自分の事でもないのに、なんとなくうれしいかんじがする。お父様にあてた祝電や手紙は、毎日門のわきにある郵便箱の中に入ってくる。それをいちいちあけて見ては、お父様のかわりになって読んでいるのだ。これが近頃のたのしみの一つとなっている。

 

 父の栄進を喜ぶ児の心情、まことにこうであろう。父は航海中、その留守に祝電や祝文を代りになって読むことが楽しいという所、子供でなくては書けないこと。児童は行動そのままが奇抜な文である。

 

 一文が短く、文の始めから終わりまでがきっちり照応している。

 題になっている「大佐になったお父様」と、一文目の「僕のお父様はこの間大佐になった。」というところから、書きたいことは“お父様の昇格”だとわかる。

 また、「お父様」が大佐になったことについて、「なんとなくうれしいかんじがする。」と、素直な感情が書かれている。

 

 〈Aの文章の変化〉

 7月の「外国のお話」よりも12月の「大佐になったお父様」の方が一文が短くなっている。文の照応の悪さもなくなり、読みやすい。また、12月の「大佐になったお父様」は、7月の「外国のお話」とは違って、自分の感情を「うれしいかんじがする。」と表現している。

 

 

〔女子B〕

 

◎7月8日 随意選題 「七夕」 p.86

きのうは大そう雨がひどかったので、せっかくの七夕もだめでした。私はもし七夕の日お天気がよければ、歌をかいて、竹へさげようと思って前から色々の歌を考えておりました。けれどもあいにくの大雨だったので、竹を立てる事も出来ませんでした。それに引きかえ今日は大そうよいお天気なので、あべこべになればよいような気がします。けれどもお父様が天の川のお話をしてくださったのでおもしろうございました。そしてお父様はおしまいに、「七夕の時に遠くの方に白い川のような物が見えるでしょう、あれは皆が天の川だといいますが、あれは皆星です。そして年に一ど織姫ともう一人男の神様(牽牛)とがかささぎにはしをかけてもらってそのはしを渡ってあうのだそうです。」とおっしゃいました。

 

 これも聞書の一例である。雨の七夕をかこち之に父の話を附記したのである。傍線を施した所に「七夕の夜に」などありたいと思う。

 

 七夕の様子が、“雨が降って残念だったこと”と“お父様の話を聞いておもしろかったこと”の二つの出来事を通して書かれている。

 前半の「今日は大そうよいお天気なので、あべこべになればよいような気がします。」という表現にはこの子どもが七夕をとても楽しみにしていたという気持ちが表れている。しかし、後半で、お父様の話が中心になっているため、この気持ちが伝わりにくくなり、文章全体としてもまとまりが弱くなっている。

 “七夕の出来事”という点で内容は一致しているのだが、二つの出来事がそれぞれ詳しく書かれているので、一番書きたいことが何なのかわかりにくい。

 

12月4日 随意選題 「羽子板」 p.135

私の今日持って来た羽子板は、去年の暮にお父様からいただいたのです。きれじは黄色のうすいので、もようは葉のない木の下にしな人がこしかけているところです。ところどころに金色のぽつぽつした点が星の出たようにうき出ていて、ほんとに冬がれた有様があらわれています。この絵は清方さんが文展にお出しになった絵で、妹のは私ときれじは同じですが、もようは全くちがいます。これは昔の人のもようであたまにはぺらぺらのたくさんついているくしをさしていて、たいそうきれいなもようです。

このほかまだたくさんほかにも羽子板はもっていますが、私は今持っているのが一番すきです。

 

 説明文である。この種の文は尋二三頃にもよく出て来るが、想の布置などにあらそわれぬ進歩のあとが見える。この境をすぎて、やがて純説明文の天地に入るのであろう。

 

 自分の持っている羽子板について詳しく説明されていること、最後の一文が「私は今持っているのが一番すきです。」となっていることから、この子どもが自分の羽子板がどれだけ素敵なものなのかを書きたかったということがわかる。

 しかし、自分の羽子板についての説明から、自分と同じ布地で作られている妹の羽子板が登場し、それについての説明に話が移ってしまっている。この子どもの書きたかったことは“自分の羽子板”なので、妹の羽子板のことまで詳しく述べる必要はなかったのではないか。

 

 〈Bの文章の変化〉

 7月の「七夕」では、一つの文章の中に、書きたい中心が二つあり、文章がまとまっていない。しかし、12月の「羽子板」では、書きたい中心が一つになり、文章がまとまっている。このように、7月から12月の間に、この子どもは、書きたい中心を一つに決めることができるようになっている。

 

 

〔男子C〕

 

◎7月8日 随意選題 「日時計」 p.86

僕はこの間日のてっている時、日時計をつくった。その夜だしっぱなしにしてわすれたら、雨がふって、ぬれてたおれてしまった。僕は又こんどは大きな時計を作って、いつでもその時計を見て家の時計がくるったらなおそうと思っている。

 

 理科の時間に日時計のことを話した、それを家庭に於て実験したのである。短いけれどもまとまった文である。

 

 日時計を作ったこと。濡れて倒れてしまったこと。また今度作って、家の時計を直そうと思っていること。一文一文は分かりやすい文章になっているが、ただ書きたいことを書いたという感じがする。それは説明が少なく、文と文とに関連が薄いからだろう。だから、全体としての書きたいことがどれなのか分かりにくくなっている。

 特に文に関連が要ると感じたのは、二文目と三文目の間だ。二文目で失敗が書かれているにもかかわらず、三文目の次に作る日時計に、それが活かされていない。    そして、家の時計を直すことへと話が変わってしまっている。ここに何か失敗に対する反省や改善が加えられていれば、もう少しまとまったのではないだろうか。 

 

 

12月4日 随意選題 「図書館」 p.134

僕の級では図書館を作った。木内君が一部へ行ったので、それで机が一つあいた。それに菊池君が初尋常三学年の本を入れた。その次に僕が大正お伽噺の本を入れた。その後へ小城くんや生田くんや沖君が他の本を入れた。その本をみんなが持って帰って読んで、明日持って来て、又ほかの本を持って行く。読方の時先生が、

「五年になったら、標本の棚を半分図書館にして上げる。」

とおっしゃいました。菊池君や僕は、

「いいなあ。」

といいながら、にこにこしていた。早く五年になりたい。

 

 この種の計画も尋四になって著しく発達する。この図書館が中々に活躍したが、尋五になっては尋六と複式であるがために、手をひかえてしまった。

 

 どのようにして図書館ができたのかということから、それをみんながよく利用していること、そして五年になると新しく図書館を作れるのを心待ちにしていることをうまくまとめて書けている。

 「その本をみんなが持って帰って読んで、明日持って来て、又ほかの本を持って行く。」というところは、テンポがよく、みんなが次々と図書館の本を読んでいることをよくあらわしている。また、最後の二文からは、早く五年になって図書館を作りたいという気持ちが伝わってくる。

 全体が本を好きで、図書館を作りたいという気持ちで一貫していて、そのことを順序よくあらわせている。

 

 〈Cの文章の変化〉

 7月の文では、日時計を作ったこと、それが壊れてしまったこと、今度は大きいのを作って、それで家の時計を直そうと思っていることを書いている。

 12月の文では、学級で図書館を作ったこと、その作られた経緯、利用状況、五年になったら新しく図書館を作れることを書いている。

 どちらも、何かを作ったことから、文章を始めている。しかし、7月では、文と文とのつながりが弱く違和感を覚えるのに対し、12月の文章はすんなりと読める。また、12月の文章からは、本が好きで早く図書館を作りたいという気持ちが伝わってくる。

 7月と12月の間で、自分の書きたいことがきちんと組立てられるようになった。

 

〔女子D

 

◎7月8日 随意選題 「妹」 p.88

私のうちの妹はずいぶんやさしゅうございます。この間私が妹とあそんでいると、おむこうの清子さんがあそびに来て、うちの妹とけんかをしてしまいました。そしたらお母様が出ていらっしゃってとめましたら清子さんはおこって、家へかえってしまいました。こうしてから私と妹とあそんでいると清子さんとみきおさんが二人で、私の家へ石をぶつけに来ましたから、お母様が「こら」とおっしゃったら、みんなにげていってしまいました。清子さんとみきおさんは、家の妹ばかりいじめていますので、お母様は「おむこうの人たちとあそばせない。」といっていらっしゃいました。私はおむこうの人はずいぶんいけない人だとおもっています。きのうも妹は清子さんになかされてかえって来ましたのでお父様は「ずいぶんいやな子だ。」といっていらっしゃいました。私は妹がすきなこともきらいなこともありますが、清子さんにいじめられるとずいぶん心細くなります。私は清子さんとみきおさんが一ばんきらいです。お母様もお父様も「みきおさんは、ずいぶんいやな人だ。」といっていらっしゃいます。妹は二人に毎日いじめられては、ないて家へかえってくるのですから、かわいそうに思います。

 

 自分の妹、妹の敵、終りに妹に対する感想を書いたのがこの文である。もうすこし締めて書くことは出来ると思うが、とにかく意のある所を十分に尽した文である。

 

 一文目と、最後の文で妹のことについて書いており、また、題も「妹」になっているところから、この子どもの書きたい中心は、妹のことだと考えられる。しかし、二文目からは、清子さんとみきおさんが妹をいじめること、両親が清子さんとみきおさんを嫌っていること、自分が清子さんとみきおさんを嫌っていることなど、清子さんとみきおさんのことが中心に書かれている。

   最後に、妹がかわいそうだと妹のことを書いて、文章を締めくくっているのだが、

  ほとんどの文が妹のことではなく、清子さんとみきおさんのことについて書いてい

  るため、まとまった文章になっていない。

 しかし、「私は妹がすきなこともきらいなこともありますが、清子さんにいじめられるとずいぶん心細くなります。」という一文から、妹を思う姉の心情が伝わってくる。

 

 

 

 

12月4日  随意選題  「雀」 p.136

此の間私が学校からかえって遊んでいると、妹が急に「お母さん、蛙が台所の水の中でばちゃばちゃといっている。」とかけてきました。私とお母さんと伯父様と三人でいそいで見に行きますと、それは雀でした。伯父様は笑って、出してざるを持ってきて、そこにわらをしいて、入れてやりました。雀はさもうれしそうにちゅうちゅうといってないています。妹は雀のようにちゅうちゅうとまねてよろこんでいました。その中にお父様がおかえりになったので、そのことをはなしたら「そんならあしたおにがしなさい。」とおっしゃいました。朝おきて見ると、雀はちゅうちゅうちゅうとないています。

私と妹とお父様とつかんでおもてへにがしてやりますと、雀は私たちの方をむいて、ちゅうちゅうちゅうとおれいをしてとんで行きました。あとでお父様は「雀というものはほんとうにかわいらしい。」といっていらっしゃいました。

 

 立派な文である。之を三位におくことは躊躇するが、それでも何から見ても三位は三位だ。しかし生にふれたすすみ方をすれば、こうまでのびるのは奇蹟ではないか。私は今の諸教科の教授に大なる疑問をもっている。私は劣等児の定義を、「生に響かない事柄を記憶し、研究する程の余裕なきもの。」と改める要はあるまいかと思う。

 

 雀を見つけてから、逃がしてやるまでのことを、時間の経過にそって書いている。雀を助けたことという書きたい中心がしっかりしており、簡潔にまとめて順序良く組立てることができている。このため二日間の様子がよく分かる。

 最後の一文で、この子どもは雀のかわいらしさを言いたかったのかもしれないが、父の言葉をただ書いているだけで、この子どもの気持ちは伝わってこない。従って、この一文をなくすか、自分の言葉で書いたほうがよい。このことが三流といわれる理由であろう。

 「雀はさもうれしそうにちゅうちゅうといってないています。」や「雀は私たちの方をむいて、ちゅうちゅうちゅうとおれいをしてとんで行きました。」という表現から、雀のことをしっかりと見ていることが分かり、雀に対する子どもの思いがよく伝わっている。   

 

 〈Dの文章の変化〉

 7月の「妹」では、書きたい中心は妹のことであるにもかかわらず、妹のことを書くための一要素にすぎない、清子さんとみきおさんのことを詳しく書いており、書きたい中心に沿って、想をまとめることができていない。しかし12月の「雀」では、雀のことで文章が一貫しており、書きたい中心に沿って想をまとめることができている。

 

 芦田は、9月111623日に、想の組立て方について指導を行っている。四人の子どもの文章、計八篇を比較することにより、私達はこの7月から12月にかけての変化は、想の組立て方の変化によるものではないかと考えた。芦田は、綴方における子どもの発達段階を的確に捉え、適切な時期に想の組立ての指導を行ったため、子どもの理解へとつながり、綴方においてこのような変化が生まれたと考えられる。

 

2)芦田の指導

一学期の終わりごろからまとまりはじめ、92日の「のこぎり山へのぼった事」からも分かるように、二学期に入ると自分の書きたい事柄について順序良く書けるようになってきている。このことから、想の組立てができはじめていることが分かる。しかし、子どもは無意識にそれを行っている。そこで、芦田は、911日の文話、916日の課題、923日の文話で想の組立てについて指導し、子どもにこれを意識させた。

その後に書かれた923日の「何を見てもさびしい秋」や、925日の「ちゃー坊」、107日の「妹」などから分かるように、書きたい中心に沿って、想の組立てをすることができるようになった。そこで、芦田は1014日の文話により、文章を書くうえでの新しい視点として物の見方を示した。

その後、随意選題で自由に綴らせることで子どもの変化を見たが、文章に勢いがないと芦田は考えたので、1127日に課題を与えている。その課題での成績物を見て、芦田は随意選題と課題の違いを改めて感じている。そして、二学期のその後の二回は随意選題を行っている。全体として二学期をみると、想を組立てて書けるようになっている。

 

第三学期

 

 一学期では、題に沿って書くこと、二学期では想の組立て方についての指導がなされた。しかし三学期では、文の誤りを正す批正は行われているが、綴方そのものに対する指導というよりも綴る内容についての指導が行われた。四回行われている批正の中で、二回は主に文の誤りを批正するもの、残りの二回は、主に文を批評するものであった。そこで、それぞれから一篇ずつ取り上げ、三学期の批正がどのようなものであったのかを見ていくことにした。また、課題ではどのようなことを取り扱っているのかを考えることにした。

 

217日 批正 「富士山」 p.155

富士山の高さは一万二千四百六十七尺である。本土で一番高い山であったが、台湾が我が国のものなったので、新高山が日本一の高い山になった。外国にはもっと高い山がある

富士山は人々にあがめられている。どうしてかというと、すがたがけだかくて、形が好いからである。日本男児は富士山みたいな人にならなければならない。

 

 この文富士山のことを略叙し、自分の理想のあらわれとしてながめているのが尊い。こういう傾向は尋四になって著しく濃厚になって来るから、一面にはその傾向の代表として、一面には批正の好資料として、之をうつさせたのである.

. 「本土で」の上に「もとは」などなくてはならぬ「本土で」というも、「我が国で」などあるが正確だ。

二.   「我が国のもの」は「我が領土」となおすがよい。

三.   「なったので」は「なったから」とすべきである。

四.   「外国にはもっと高い山がある」は不要思想だ。

五.   第二段はこの文の出来たもとである。着眼がきわめて面白い「形が好い」は「形が端正」の義であるが、言葉が不完全である。

 

 芦田のいうように、「本土」としていると「日本列島」でという意味になり、台湾は入らないのでおかしい。だから、ここは「我が国で」とした方が良い。この批正では、言葉の意味を正確にしたり、文のつなぎを適切にしたりするように指導している。また、書きたい中心からはずれた想は書かないようにも指導している。

 

226日 批正 「雪」 p.160

僕は今朝とんだ目にあった。それは僕が朝早くから目がさめていた。雪がつもっているから、家の中もあかるくなって、ちょうど六時頃に見えた。今は女中の起きる時刻だけれど、まだ起きていない。学校がおくれるとたいへんと思ってさむいのに御苦労様に女中部屋に行って、女中をよびおこしたが「はい」ともいわない。しゃくにさわったので、障子をどんどんたたくと、お母様がいらっしゃって「まだ早いですよ。ねていらっしゃい。」とおっしゃったので、時計を見ると五時であった。

 

 雪明りに時をちがえた事実が、雪という課題にあらわれたのは、奇抜である。私はこの取材の点に範を認めてうつさせたのである。

一.   「僕は今朝とんだ目にあった。」という記事は、読者の心を引締めて、動くことを許さないほどの力がある。

二.   「御苦労様に」という一句は自ら嘲笑している気分が十分にあらわれている。文は事実を綴ると共に、書く時から見て事実に対する批評も加わるのである。

三.   「時計を見ると五時であった。」というに、失敗の事実がいよいよ鮮明になって来る。

四.   「それは僕が朝早くから目がさめていた。」は照応がちがう。ここは「それは僕が朝早くから目がさめたからだ。」となくてはならぬ。

 こんな点を批評した。よい文は首尾のきわだってよいのが共通であるが、要するに想に一貫したところがあるから、自然こうなるものと思う。

 

芦田が、書き出しの文が読者を惹きつけると言っている通り、この文を読むと、「とんだ目」とはいったいどのようなことなのだろうかという気にさせられる。

二文目は「それは」と書き出したのならば「さめていた」では、文がおかしい。芦田が言うように「さめたからだ」とすると、朝早く起きたからとんだ目にあったとなり、意味も通る。けれども、「それは」は、「とんだ目というのは」という意味にも受け止められるので、「とんだ目というのは〜からだ。」というのではおかしくなってしまう。「とんだ目というのはこういうことです。」として一度文をきって、「僕は、朝早くから目がさめました。」などとつなげるとよい。

最後の文は、事実のみを書いているだけであるが、この文があることでこの子どもの勘違いが明らかにされ、「とんだ目」のことがよくわかる。

 この批正では、照応が悪いという文法的な訂正がなされているが、そのほかは、表現のよいところの批評がなされており、題や想のまとまりのまずさなどは指摘されていない。ここから、一、二学期の指導の成果がうかがえる。

 

 

120日 課題:嘉納校長が辞職なさるということで、「嘉納先生を思う」という題で綴らせる。

224日 課題:雪がよく降り、前日からも雪であるので「雪」というかだいにした。

3 4日 課題:「湯」という難題をいかにきりぬけるかということで課題をした。

311日 課題:微妙な天気で予定していた遠足が中止になった。そこで「今日」という

                 課題をした。

316日 課題:三学期に入ってから子どもたちに言っていた「綴方について」、自分の思いを綴らせた。

 

 

 これらの課題は、その時々の子どもの生活に直接的に関わることを取り扱っている。これは、芦田が身近な生活を綴らせようとしているのだろう。

 また、この時期になると、文章に対する姿勢が子どもたちの文の中に表れるようになってきていることから、気がうつったことで、文が書けたことを綴った「うつり気」、雑誌にのったうれしさを綴った「雑誌に文がのった」を取り上げ、見ていくことにした。

 

219日 随意選題 「うつり気」 p.156

どうして私はこんなに気がかわるのでしょう。ほんとに自分ながらこんなうつり気の私がいやになってきました。今の時間も気がまよってこまりました。一等初めは私は筆箱の事を綴ろうと思っていましたが、なんだか一二年が書くような文で、面白みがないと思いました。その次に思ったのは電車の証明書の事です。そうそう私はこの間からお母様に「今日こそは忘れずに、証明書をもらっていらっしゃい。」と毎日のようにいわれていたのですが、いまだにもらって来ていません。そうだその事を綴ればりっぱな文が出来るだろうと思いました。けれどもこの間文の林に書いたから、これもだめだと又気がうつりだしました。

するとそのとき先生が、

「岡松さんは。」

とおたずねになりました。私はふいにいわれたので、何とこたえていいかわかりません。どの題にしようかとまよっているうちに、そうそう自分は今まで気がうつっていたのだ。うつり気という題にしようと思って、思いきって、

「うつり気。」

と答えました。

けれども私は気がうつったおかげで、こういう文が出来たのだと思いました。

 

文は自分を見ればいつでも綴れると話していることから、こうして想がまとまって来るのは、その態度がうつくしい。この点から見て尊い文だと思う。

 

はじめは「うつり気の私がいやになってきました。」とあり、いろいろと気が移ってしまう自分がつくづくいやになったということが表れている。そこから、綴り方の時間に文題を何にするかということで気が移った様子を書き、自分がどんなに移り気なのか表そうとしている。

 「そうそう私はこの間からお母様に『今日こそは忘れずに、証明書をもらっていらっしゃい。』と毎日のようにいわれていたのですが、いまだにもらって来ていません。」という文は「そうそう」という言葉を除かなければすっきりしない。

 題に迷ったすえに「思い切って」、「うつり気」にしたところから、この子どもがこんなことが文の題になるのかどうか不安に感じていることがわかる。しかしこの、今のことを題にしようと思いつく姿勢は“文は自分を見ればいつでも綴れる”という芦田の考え方が実りを見せ始めたことの表れである。

また、「気がうつったおかげで、こういう文が出来た。」とこの子どもが、自分のいやだと思っていることでも、文になること、つまりは、どんなことでも文の材料になることに気づいた点がよい。

   最終文の接続語「けれども」は、どの部分を受けての接続かはっきりしない。

 

316日 随意選題 「雑誌に文がのった時」 p.174

雑誌に自分の文がのった時は実にうれしい。此の間「東京児童の綴方」に僕が書いた文が出た。その時は実にうれしかった。そしてみんなが僕のことを「にこにこにこにこ」とはやした。僕は「東京児童の綴方」に二度のった。一ばんはじめにのった時の文題は、とんぼとりというのである。次に出たのは僕の作った凧である。とんぼとりというのは「美まる」であったが、児童の綴方にのった。僕の作った凧は「美上」であった。はじめのにつけてあった評には、終の「僕はそれでまんぞくした」という一句が力づよいというので、次のは自分の製作したり、考案したことは、文のよい材料となるというのであった。僕は雑誌に文がのるのは、実にうれしいと思う。

 

 この児は内に文をすすめる道を見ないで、外に之を見ている。これも亦文章修養の一工夫である。

 

はじめの一文がこの子どもの書きたい中心である。最終文も、このはじめの文とほとんど変わらないことを書いており、はじめと終わりを同じことでまとめてある。また、二文目と三文目でも同じようなことを言っている。よほど、雑誌に文が載るのがうれしいと思っているのだろう。

 うれしいと書いている部分以外は、みんながはやすこと、雑誌に文が載ったことをそのままに書いてあるのみで、なぜ、どのようにうれしいかには、まったく触れられていない。しかし、雑誌に文が載ったときの文題、評価、批評を覚えており、それを文章に書くというほど、この雑誌に文が載った二つの文に対する思い入れが強いことがわかる。

 芦田は、この文に対する批評で「内に文をすすめる道を見ないで、外に之を見ている」といっている。これは、この子どもが書く動機を、自分が書きたいからというのではなく、雑誌に載りたいからという点に見つけているということである。しかし、「これも亦文章修養の一工夫である」と言っており、前に述べたように、本来は内的な動機から綴らなければならないと考えている芦田が、この時期には、外的な動機であっても、とにかく綴ることを求めているとわかる。

 

 

《三学期の考察》

 一学期、二学期では、題や想の組立ての指導が行われていたが、三学期では綴り方そのものに対する芦田の働きかけはあまりない。しかし、課題で生活と文章を密着して考えさせる指導を行っている。これは、芦田の綴方教育観で述べた「生活即文章」の実践であろう。このような実践がなされ、子どもの文章に対する姿勢は、少しずつではあるが変化してきている。「うつり気」からわかるように、芦田は、子どもの、どんなことでも文の材料になるという気づきを大切にしている。また「雑誌に文がのった時」で、文章を書く動機が外的であれ、文章修養の一工夫であると認めていることから、この時期には、動機はどうであれ、とにかく文を綴ることを大切にしていることがわかる。

 

5.総合考察

 

 一年を通じて、芦田の実践を見ていく中で、芦田は子どもの文章の変化に合わせて、随意選題や課題などを使い分けていることが分かった。そこで、私たちは、芦田がこれらの指導をどのように捉え、どのように行っているかを考え、まとめた。

 

随意選題:自由に題を選ばせ、自由に綴らせるもの。何度も書くことで、新しい力の定着、応用を進める。また教師側としては、子どもの変化を見ることもできる。

課  題:教師側が設定した題で綴らせる。その題の中で子どもが自由を見つけることを理想としている。

文  話:教師が、文を綴る上での姿勢や心構えについて話すもの。新たな知識をただ子どもに植えつけるのではなく、子どもの中に無意識に身についていることを意識化させる。また、子どもが一つのことにとらわれることのないよういろいろな視点を与えている。

批  正:語句の重複を正したり、照応の悪い表現をわかりやすくしたり、と訂正するもの。また他の人の文を読み、よい点や欠点を見つける批評をするものでもある。正しい文を書く力、他の人の文の美点や欠点を見抜く力、わかりやすい文章を組立てる力を身につけるためのものである。

範  文:子どもの生活に関係の深い材料を集めて順序良く綴ってある文章を読ませたり、写させたりするもの。子どもに刺激を与え、文章とはどのように綴るものかということを理解させる。

 

それでは、どのように芦田は一年間の指導を行ったのだろうか。

 

      四年生の最初で文章のかたちはできてきている。また色々なものごとについて綴ることもできてきている。

      一学期では芦田は題についての指導を行っている。そこで題とはどのようなものか、またどんな意義があるのかを考えてみた。

 題とは書きたい中心、または書きたい中心を表すものであると捉えた。例えば「のこぎり山へのぼった事」や「何を見てもさびしい秋」は書きたい中心そのものであり、「ちゃー坊」「大長茄子」は書きたい中心を表すものである。従って題に沿って書くことが書きたい中心を書くことになる。

「梅の木」(58  p.58)では梅の木にいる毛虫のことが中心となっているが、これは最初から毛虫のことを考えていたのなら「梅の木」という題名を付けたときの失敗である。文章として完成していても、この題に対してのよい文章ではなくなってしまう。読み手は「梅の木」という題から梅の木そのものについて書いてあるだろうと予想して読むため、毛虫のことばかり書いてあるとしっくりいかない。また、書いている途中で毛虫のことに移っていってしまったのなら、題を意識せずに書いていることになる。

 題を意識して書けばこのようなことにはならないだろう。ゆえに、題について指導することで、子どもは書きたい中心を意識しながら書くことができてきた。

 「松方侯爵のため」(417 p.46)では、書きたい中心は松方侯爵のために早起き    になったことである。しかし、この文章で中心に書かれていることは、父親とその家族の生活ぶりである。このことから書きたい中心は題に沿っているが、中心に書かれていることは題に沿っていない。一方、「ほしかった」(610 p.75)では書きたい中心も、中心に書かれていることも、キューピーがほしかったという気持ちである。このように、題に沿って書くことは、書きたい中心と中心に書かれていることが一致することである。

 想というのは、自分の内にある漠然と書きたいと思っているものと私たちは捉えた。だから、想は芦田の言う「綴らんとする心」から生まれてくるものだと考えた。その想の中に書きたい中心を見つけて、その中心にとって必要なものやいらないものを選別したり、整理したりして想をまとめる。そして、分かりやすいように並べたり、展開させたりして組立てる。ここまできたら、言葉を使って文章化していく。

 これを私たちが文章を書くときに当てはめてみよう。「遠足のこと」と漠然と思う。漠然としているときの想は、お弁当を食べたこと、朝早く起きたこと、向こうで遊んだことなど様々である。その中心として、例えば向こうで遊んだことと決める。そうしたら、次に中心に合う、何をして遊んだか、誰と遊んだか、楽しかったかということは必要、朝の早起きは不要というように想をまとめる。そして、まとめた想の順序や展開を考え、組立てる。ここまできて、文章を書きはじめる。

 文を綴るためには、子どもの内に綴らんとする心がなければならない。すでに子どもはその心を持っており、想はここから生まれる。つまり子どもの中には漠然としながらも想はできており、芦田はそれを受けて、題についての指導をし、書きたいものの中心を意識させる。中心がはっきりしたら、子どもは想をまとめられるようになってくる。その変化を受けて、芦田は想の組立ての指導をした。「何を見てもさびしい秋」(923日 p.101)では、芦田の言葉をきっかけに想が起こり、それを効果的に展開させている。これを見ても分かるように、子どもは想の組み立てができるようになってきている。

そして三学期になると、その変化を受けて、今度は想の中身を充実させようとした。その指導として、芦田は生活に密着した課題を与えている。

このように、芦田は、子どもの変化をしっかりと捉え、それに合わせた指導をしていることがわかった。

 また、四年生の文章は、事実だけをうまくまとめているもの、聞いた話を書いているもの、感情を主として書いているものなど色々なものがある。これは芦田が言うように尋四が「幅広い文章が書けてくる時期」ということだろう。また、一年間で想の組立てができるようになったという大きな変化を遂げている。これは芦田が子どもの変化を的確に捉えそれに合わせて指導したことの成果であろう。

 

 

 

おわりに

 

 これまで、芦田の指導と子どもの文章の変化を読み取るために『尋常小学綴方教授書(巻四)』を見てきた。その中で、芦田が「綴らんとする心」「綴らせて導く」ということを大切にしていることがわかった。随意選題で自由に綴らせることで「綴らんとする心」を育て、「綴らせて導く」という考えに基づき何度も綴らせて、経験を積むことで発達させている。

 また、子どもはのびのびと文章を綴っている。私達が受けてきた作文教育は行事の後に書くというものがほとんどで、自分が書きたいと思って書くものではなかった。「綴らんとする心」を見事に子どもたちの中に芽生えさせた。この実践は魅力的である。また、芦田の子どもの変化を確実に捉える目は素晴らしい。私達も子どもの文章を数多く読んで、そのような確かな目を養いたい。

 本研究では、随意選題と課題を行う時期や、その目的の違いの一端は見ることができたが、すべてを明らかにすることはできなかった。これを明らかにしていくことを今後の課題としたい。