実験機器と科学史と


科学史を学ぶこと。
科学は進歩しており、その経緯を学ぶのが科学史である。
・・・が、人によっては「過去のことを学んで何になるのか」と言うかも知れない。

しかし、たとえば数学の公式は丸覚えするのではなく、順序立てて理解した方がずっと面白く、また身につく。
物理も同様に、その時、誰が、どのような時代背景で、どのように考え、どのように発展させてきたかを考えれば、ずっと面白い・・・ハズ。

確かに「物理は難しい」という先入観は依然としてあるが、「物理は嫌い」と言っている人でも、螺旋揚水機を見ると「えっ、なんで?」と原理を考え、尋ねてくる。
いきなり現在の物理学から学ぶのではなく、順を追って物理を学んで行く必要があるのではないだろうか。

科学史を学ぶことによって、現在、問題となっている「理科離れ」や「物理嫌い」が少しでも解消されればと思う。


実験機器
多数の実験機器がまとまって保存されていることで有名なのは四高(旧制第四高等学校)と三高(旧制第三高等学校)であり、物理学史の資料であるとともに貴重な文化財となっている。
しかし、他では保管場所の問題などもあって、ほとんど破棄されてしまい残されていないようである。

大阪教育大学では「師範学校」と呼ばれていた時代からの実験機器が多数存在しており、現在、調査を行っている。

昔の実験機器はとても丈夫にできている。
実は、学生実験で使われている現役・実験機器の中にも古いモノはゴロゴロしており、「大阪學芸大學」と書いてあるのはごく普通。

それくらい丈夫なため、
→新しいモノを購入する必要が無い。
→売れない
→企業は収益の為に値段を高くする
→高いから買わない・・・。
と、イタチゴッコが展開される。

ちなみに「光のてこ」で使われる「鏡」は7000円前後であり、ひとつの実験機器一式を購入するとなると万単位の支出となる。

・戦争と物理
また戦前は物理教育も盛んであり、物理実験機器も数多く生産され、同じ値を計測するのにも、多種類の実験機器が存在した。
(戦前・戦中は軍事目的もあり、理科の分野を大きく進歩させる必要があった。)

・シンプル
昔の実験機器は至ってシンプルなモノが多く、分かりやすい。
「螺旋模型」は時計回りに廻すとネジが沈んで行く、というもので、ネジの仕組みを理解した。
(現在では当たり前となった「ネジ」も日本にやってきたのは最近らしい。
日本はそれまで「釘」を使っていたため、入ってきた当初は「螺旋模型」なども用いてその仕組みを理解したようだ。

・島津製作所
大阪教育大学にある師範学校時代からの実験機器は「島津製作所」のものが多い。
高い外国のものを安く日本で作ろうとしたようである。
しかし四高と三高は、島津製作所が「理化学器械製造の業を開始」した1875年よりも歴史が古いため、外国の物が多いようである。