日本海タワーを出た後は、徒歩でぶらぶらと海岸にある公園に向かいました。松林を抜けた先にある日本海は、きれいな砂浜の海岸を予感させます・・・

が、期待はずれ!特に見るべきものもない、どうってことない海岸でした・・・

 

気を取り直して、松林の公園の中の道を行くと、武士の銅像が・・・この人は江戸時代の初代新潟奉行だそうです。

 

さらに松林の中の道を行くと、ちょっと変わった建物と大砲がありました。これはドン山と呼ばれるもので、時計が普及していなかった明治・大正時代に、この大砲を撃って人々に時間を知らせたそうです。
当初、大砲は市内に向けて撃たれていた(もちろん空砲?)そうですが、近くに学校で来て授業の邪魔になったため、海に向けられたとのことです。

 

海岸から市街地に戻ってきて、「北方文化博物館」というところに入りました。何があるのか全く知らなかったのですが、どうやら新潟の文人「会津八一」という人の業績を保存する博物館だったようです。この建物(登録有形文化財)も住居として使われていたものをそのまま使用しています。

 

 

昔の雰囲気を保った風情のある建物でした。

 

博物館を出て、ちょっと変わった建物や、昔ながら(?)のタバコ屋さんを横目で見て、「地獄極楽小路」に着きました。

 

この奇妙な名前の由来は、昔この小路を挟んで料亭街と刑務所があったからだそうです。今ではレンガ造りの小さな刑務所入口だけが復元されています。

 

さて、ここでもう一度循環バスにのり、本日最後のポイントのみなとぴあに向かいます。

 

ここには石造りの歴史博物館、旧銀行の建物を改造したレストランや、税関跡などがあります。
今回まわった中では、本当にここだけが観光地らしい観光地でした・・・

 

 

歴史博物館はきれいな建物で、なかの展示も興味深かったのですが、特に関心深かったのは下にある終戦直前の知事布告です。

  

一般にはあまり知られていませんが、新潟市は、第二次大戦中「広島」「長崎」に次ぐ原子爆弾の攻撃対象だったそうです。8月6日広島に、9日に長崎に原爆が実際に落とされた直後の10日、市民への緊急避難命令を出したのがこの知事布告です。

 

みなとぴあからは朱鷺メッセも良く見えます。おしゃれなレストランがあったので、ちょっと早めの夕食を食べました。

 

古い銀行を改造したというレストランには、昔の銀行の窓口が残っています。ここのワインは期待通りのものでした。昨晩の不味いワインの口直しができました。