人間の今昔

 柏原キャンパス周辺は飛鳥時代から奈良時代における大阪湾と奈良の古代

都市を結ぶ要衝の地にあたり、幾つもの古街道が交錯し、街道沿いの集落が

栄えた。その様子は古事記や万葉集にも歌われたものである。もちろん大和

も人と物資の行き交う水上の街道として当時から江戸期に入っても大きな役

割を長きにわたって果たした。                             

 柏原キャンパスは安堂付近から見ると、大和川の遠く二上山に連なる山々の

一画にまっすぐ望むことができる。大和川を往来する古代人たちも船上から美

しい山並みに心を和ませたに違いない。                       

 3世紀から6世紀にかけて古墳時代を迎えるが、キャンパス周辺には高井田

横穴古墳群をはじめ、応神天皇陵などの巨大古墳が多く、いずれも朝鮮半島

や中国大陸からの渡来文化の影響を色濃く残している。やがて聖徳太子に象

徴される仏教思想や、律令制度を取り入れた政治による中央集権国家への志

向が強まる飛鳥時代へと移行する。つまりこの地は古代文化の先進地域であ

り、日本文化の源流を探る最適の地である。                    



  「河内国細見小図」(1802)の一部

 柏原市域は江戸時代の大県郡・志紀郡・安宿郡からなる。「天保郷

帳」によると、大県郡に青谷・安堂・大県・雁多尾畑・太平寺・高井田・

峠・平野・北法善寺・南法善寺・本堂の11村、志紀郡に市村新田・柏原

の2村、安宿郡に北円明・南円明・片山・玉手・国分の5村の計18村が

あった。