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ドイツにおける国語科教育の課題領域の広がり

―教科固有の課題領域からの「逸脱」―

土山 和久

はじめに

 90年代になって,ドイツの多くの連邦州―ドイツ統一後新たに編成された5つの州は言うまでもなく―は,学習指導要領ないしはレールプランの改訂を開始し,ドイツ統一を経てヨーロッパ統合に向かう途にある現代ドイツの歴史的・政治的・経済的・社会的・文化的転換に応えることを試みている。

 このような状況下で,母語教育としてのドイツ語科教育(以下,国語科教育)はどのような課題(対象)に,どのように取り組んで(位置づけ)いるのかを,明らかにすることが本稿の目的である。つまり,問題となるのは国語科における教科(教育)内容であり,その扱われ方である。

 そこで本稿では,まずひとつの州の国語科カリキュラムを取り上げ,そこからドイツにおける国語科教育の課題領域の広がりを素描することから始めてみたい。 

 

1.バーデン・ヴュルテムベルク州【学習指導要領】に見られる国語科の課題領域

 ここで取り上げるバーデン・ヴュルテムベルク州【ギムナジウム学習指導要領】(注@)は,1994年に改訂・発効したものであり,国語科カリキュラムは分冊の形をとらず,各学年ごとに他の教科と並置されている。

 同学習指導要領の「総則編」に該当する部分には,次のような国語科の陶冶―教育目標が掲げられている(注A)。

これらは国語科固有の陶冶―教育目標を指し示すものであり,国語科カリキュラムを構成する次の3つの学習領域の中に組み込まれることになる。

 さらに,同学習指導要領では,「国語科のレールプラン(=カリキュラム)の中で特別には申し立てることのできない今日の生活の重要な諸問題は,適切な授業対象の連関の中で,場合によっては自立した主題的重点としても取り扱われるべきである」として,次のような問題領域を挙げている(注C)。

これらの問題領域を一瞥すると,「国語科固有の課題領域」に固執する人なら,すぐさま「逸脱」ないしは「越権」を主張するであろう。けれども,この「逸脱」・「越権」こそが,本稿の重大な関心事であり,以下ではこの問題に焦点を絞って考察を加えてみたい。

 

2.教科交差的テーマと国語科の関わり

 バーデン・ヴュルテムベルク州【学習指導要領】では,

生徒の人格に向けて方向づけられた,学校の全体的な教育―陶冶任務は,諸教科の意識的な協同を必要とし,それは特別に社会および教育に関連するテーマを統合することによって,明確に強調される。(注D)

として,初等および中等の全ての学校種それぞれに,複数の教科が単独の教科の枠では捉えることのできないテーマに与する「教科交差的テーマ(Faecherverbindende Themen)」(注E)が設定されている。例えば【ギムナジウム学習指導要領】では,

のようなテーマ領域が呈示され,さらにこれらに従って具体的なテーマが各学年に次のように振り分けられている(注G)。

 

【第5学年】

・テーマ1 互いに生活し,互いに祝い合う(*)

・テーマ2 自然に対する責任(*)

・テーマ3 テクストや音楽,絵画における主題(*)

・テーマ4 郷土の発見(*)

・テーマ5 新しい場所でのオリエンテーション(*)

 

【第6学年】

・テーマ1 理解と生活の連帯(*)

・テーマ2 シンメトリー(対称性)

・テーマ3 音楽と運動

・テーマ4 自由時間の形成(*)

・テーマ5 越冬と鳥の渡り

 

【第7学年】

・テーマ1 周辺やヨーロッパにおける古代ローマの痕跡(*)

・テーマ2 麻薬による健康の危機(*)

・テーマ3 旅行とギリシャ世界の旅行経験(*)

・テーマ4 情報を収集し,有効活用し,次の人に渡す(*)

・テーマ5 譲歩することと自分の意志を押し通すこと(*)

 

【第8学年】

・テーマ1 イスラム世界

・テーマ2 生態系としての森

・テーマ3 振動から音へ

・テーマ4 北アメリカの開拓

・テーマ5 オペラと舞台劇(*)

【第9学年】

・テーマ1 カルミナ・プラーナ(ラテン語とドイツ語で書か

れた中世の放浪詩人たちの詩集)             

・テーマ2 青年文化(*)

・テーマ3 自然科学,技術,社会的転換

・テーマ4 見ることと具象的表出

・テーマ5 ミュージカル

 

【第10学年】

・テーマ1 ドイツのユダヤ人(*)

・テーマ2 家庭教育と性教育(*)

・テーマ3 動的事象のシミュレーション

・テーマ4 「一つの世界」の中で生活し,分け合う(*)

・テーマ5 新聞(*)

 

【第11学年】  

・テーマ1 転換期にあるヨーロッパ(*)

・テーマ2 大気の保護

・テーマ3 倫理的行為の基礎づけ(*)

・テーマ4 フランス革命期の文化とプロパガンダ(*)

・テーマ5 人権―理念と実現

 

(第12・13学年には設定されていない)  

*印は国語科が関与することを示す。

 

 それでは,この「教科交差的テーマ」に国語科はどのよう関わっていくのであろうか。ひとつには,同【学習指導要領】が,

国語の授業は特別な仕方で,他の授業の対象を独自の活動に組み入れ,調和的授業あるいはプロジェクト授業の中で他の教科と協力するのに適している。(注H)

と,国語科を特徴づけていることから,全ての教科の基礎教科としての国語科の関わり方を頭に思い描くことができる。すなわち,テクスト―それが国語科以外の教科に関わるもの,例えば理科教材や社会教材であれ―を読んだり,書いたりする力,あるいは授業の中で言語を通して仲介されるものに対する傾聴性,ディスカッションや研究報告を行う際の口頭でのコミュニケーション能力を重点的に育成する教科としての国語科である。そしてこの観点は,基礎学校の【学習指導要領】に設定された「教科交差的テーマ」において顕著なものとなっている(注I)。

 これとは別に,国語科が他の教科と並置されている場合も考えられる。第6学年テーマ4「自由時間の形成」を引き合いに出してみよう(注J)。

 

目標設定:

 自由時間は,それが有意義に利用されないなら,大きな問題となる。それは過剰な提供物が流れ込み,自立的な自由時間の形成を困難にするからである。したがって,生徒たちは,創造的な自立性の能力を拡張し,社会の中にも関連づけることができるように,それらの提供物を吟味し,自身に責任をもって選択することを学ぶべきである。

 

テーマの幾つかの観点

留 意 点

・自由時間と自由空間

 

・独自の関心・目標の究明

 

 

・メディア提供による影響

 

・自由時間形成の可能性を探索し,評価する

 

 

 

 

 

 

 

・有意義な社会参加

暇な時間と個人的な自由時間。

 

基本的構想の省察,自己要求あるいは自己促進。

身体的能力と精神的能力,音楽―芸術的素質,社会的事象と行為。

 

テレビ,ラジオ放送。

 

文学,芸術,音楽,スポーツ,

図書館,メディア館,博物館,

音楽学校と芸術学校,

クラブ,

コンサートと演劇,

趣味についての報告,

旅行。

 

チームでの歌唱と演技,

自由音楽時間,演劇工房,

級友や他の興味をもった人と,企画を自発的に練り上げる,

集団行動やリーダーの仕事に対する考え。

 

関連する教科

国語科  学習領域1  報告文と説明文

学習領域2  自由時間の読書,自由時間に幅広いメディアに携わる

体育科  運動領域1  生涯の自由時間体育のためのスポーツの種類と用具入門

音楽科  学習領域3  音楽と今日の音楽生活

造形科  学習領域1   絵画や版画,視覚メディア作品,手跡,本の印刷を考察

学習領域2  様々なエポックや文化から取り出された例を考察

学習領域3  様々なエポックや文化の建物を考察

 

 この「教科交差的テーマ」の下では,国語科の他に3つの教科が参加している。このことによって,様々な視野からより大きな広がりの中で,テーマである「自由時間の形成」に臨むこと,そして,より全体的な展望をもって自由時間そのものに対する洞察を深めることが可能になるように思われる。国語の授業の中で重点的に「自由時間の読書」への動機づけを行うことは,たしかに重要ではあるが,それ自体が絶対化されてしまうと読書を無理強いすることになり,かえって読書の意欲はそがれてしまう。そうではなく,その他の可能性―スポーツや音楽鑑賞等々―を見渡すことから,自由時間の読書を可能性のひとつと相対的に捉えることによって,自発的に選択された自由時間の読書が,学習者にとって切実な課題となり得るのである。つまり,国語科にとっては,画定された国語科固有の課題領域に留まるだけでは見えてこないものが,より大きく全体的な教育―生活連関の中に位置づけられることによって,学習者の生活および彼らを取り巻く世界に近づけられ,彼らにそれに対する関心や学習の必然性が意識化されるのであり,逆に「教科交差的テーマ」の側から見ると,あるテーマ範囲がどのような構造を持ち,どのような重点形成によってそのテーマへの効果的な接近が可能になるのかが明確になるのである。

 この例の場合には,国語科は他の教科とほぼ対等な位置づけがなされているが,他の「教科交差的テーマ」の中には,その対象領域の性格に応じて,ひとつの教科に固有の課題領域により近いもの―その逆に疎遠なものも―があり,ひとつのテーマ内における教科の主従関係も見られる。国語科の立場から見ると,そのようなテーマは,第7学年テーマ4「情報を収集し,有効活用し,さらに次の人に渡す」や第10学年テーマ5「新聞」などである。

 

 以上のように,「教科交差的テーマ」に対する国語科の関わり方を「基礎型」と「並立型」に整理して考察してきたが,それを念頭に置いた具体的な授業実践はどのように構想されるのであろうか。ひとつの「教科交差的テーマ」を集中的に総合学習として取り扱うとするなら,例えば「週計画―授業(Wochenunterricht)」(注K)の形態も考えられよう。しかし,その一方で,国語科の授業の中でそのような類のテーマを取り扱う可能性はないのだろうか。

 冒頭で述べたように,90年代になってほとんどの連邦州が学習指導要領あるいはレールプランの改訂を行ってきたが,それに伴って,国語科教科書の改訂・新刊に各社が一斉に乗り出している。そこで,それらの中でも,ひときわ特徴的な中等国語読本を取り上げ,それが学習指導要領の要求にどのように応えているのかを考察してみたい。

 

3.中等国語読本[UNTERWEGS]

 ここで考察の対象として取り扱うドイツ中等国語読本[UNTERWEGS(回り道をして)](注L)は,ドイツ最大手の教科書出版会社クレットから,1992年以降順次刊行され,現在第5〜10学年の巻が既刊となっている。

 同教科書シリーズの目次(=単元構成)は次のとおりである(注M)。

 

第一部「テーマとテクスト」

第二部「授業単元とプロジェクト」

【第5学年】

・夢

・少年と少女

・いたずら者,愚か者,

・変わり者

・動物と人間

・季節,一日の時間

・どこか別の場所の子ども

・ローマ時代の名残

・想像力の海の上で

 

・読みの練習―エジプトの読書冒険旅行

・物語の理解―何が物語と関係あるのか

・言語ゲームと詩―絵,音,響き

・メルヘン―かつてあったこと,かつて一度もなかったこと

・本の世界―「本」そこには何が書かれているか

・絵を読む―話しかける絵

・プロジェクト―私たちの学校紹介

【第6学年】

・見なれないもの

・共に生きる

・樹木

・季節,一日の時間

・冒険につぐ冒険

・農民と騎士

・夢想の中で頭を働かせる

 

・読みの練習―読みの秘訣

・物語の理解―物語スライドと緊張検査器

・詩―韻文,押韻,連

・寓話―寓話の教え

・本の世界―本をかぎつける

・コミックスを読む―絵から絵へ

・プロジェクト―自由劇場 私たちは演技する

【第7学年】

・わたしはわたし

・友情

・働く父親,働く母親

・自然と人間

・インド―未知の世界

・英雄?

・不気味な出会い

 

・読みと学習の技術―コウモリの調査

・物語の理解―語り手と語り手の視点

・バラード―特殊な詩

・青年文学の理解―『豹のような影』

・劇場の世界―舞台裏をのぞく

・写真を見る―写真と理想像

・プロジェクト―様々なドイツ語

【第8学年】

・「あなたが私を愛していること」

・再会

・女性の生活,労働世界

・車社会

・他の世界との出会い

・魔女

・未知の惑星

 

・読みと学習の技術―飛行に関する絵とテクスト

・ショートストーリーの理解―特殊な物語

・詩の理解―「絵や写真に語らせる」

・戯曲テクストの理解―舞台の場面

・本の世界―ある女流作家の自己紹介Renarte Welsch

・プロジェクト―「美しい森よ,君は誰のものなのか」

 

【第9学年】

・大人になる

・裁判?

・何のために働くのか

・都市の経験

・アメリカへの旅立ち

・鉤十字のもとの青年

・何事も不可能ではない

 

・読みと学習の技術―テクストについて書かれたテクスト

・小説の理解―青年文学

・詩の理解―コトバ,行,詩

・本の世界―本の市場

・テレビの洞察―連続,連続,連続・・・・

・プロジェクト―全ての感覚を働かせて

 

 

3.1.同読本が呈する二重構造

 この一連の目次からわかるように,同教科書シリーズは,まず第一部「テーマとテクスト」と第二部「授業単元とプロジェクト」の2つから大きく構成され,それぞれには次のような特徴が与えられている。

 まず「テーマとテクスト」の部は主に,

(生徒たちが・引用者)自身の直接的な経験範囲から歩み出て,様々なアルタナティヴを体験し,行為の仕方や規範,価値体系を吟味し,独自の見解を持つようになり,自分の現実の時空的制約と交わることを支援し,(中略)青年の自己―世界理解を求める教育学的努力に用いられる。(注N)

ものであり,授業の中での扱いとしては,

どのテクストを,どのような目標をもって,どのような方法で,どのような順番で読むのかということは,その時どきに教師自身によって計画されるか,あるいは学習者と教師の間で相談することもできる。(注O)

とされている。つまり,固定的な規定のカリキュラムとは別に,教師あるいは学習者に自由空間が委ねられ,その開放性から,その時どきの学習者の読みの関心,彼らの具体的な学習―生活世界に柔軟に対応可能となることが意図されているのである。けれども,それは,ひとつのテーマに向けて編成される幾つかのテクストが恣意的に選択されることを意味するものではない。

幾つかの連邦諸州において,定評のある個々のテクストや作家にまでおよんでいるカリキュラム上の必須義務に対して,ふさわしい読みの提案を行う。(注P)

として,例えば第5・6学年に対しては,次のような選択の基準枠を示している(注Q)。

このことによって,もう一方の「授業単元とプロジェクト」の部の重点に対して,広がりのあるテクストが準備可能なものとなっているのである。

 さらに特徴的なのは,各学年に設定されているそれぞれの単元が,全学年を貫く幾つかの「中心的テーマ」の線上に位置づけられている点である。

同読本において指定されたそれらの具体的な言い表し(例えば第5学年の〈夢〉,〈ローマ時代の名残〉,第6学年の〈樹木〉)の地平の下には,学年段階を越えてテーマの多様性と代表性を守る,次のようないわゆる中心的テーマが位置しているのである。

これらの「中心的テーマ」が全学年を貫くことによって,漸層的かつ網羅的にテーマ範囲が学習者に呈示されることが推察される。また,これらの整理された中心的テーマを一瞥すれば,それらが,前節で示したバーデン・ヴュルテムベルク州の【学習指導要領】に見られる,「教科交差的テーマ」の幾つかの柱と直接的に対応することが看取できよう。

 一方,「授業単元とプロジェクト」の部においても,先の「テーマとテクスト」の「中心的テーマ」と同様に,次のような通学年的基準線が設定されている。

そしてこれらは,バーデン・ヴュルテムベルク州国語科カリキュラムに見られる国語科固有の課題領域に対応するものである。

 このように,同読本は,集中的に教科固有の課題領域に方向づけられた単元群と,それを「逸脱」した開放的単元群の二重構造を持ち,規定の義務的学習だけでなく,その時どきのクラスの状況や学習者の問題意識に応じた授業形成にも水路を設けているのである―【学習指導要領】の要求に応え,しかも読本教材が提示されることによって,開放的ではあっても,完全な自由ではないが―。

 

3.2.読みのコンテクストの形成

 中等読本[UNTERWEGS]が呈する二重構造を,「調和」と捉えるなら,一連の論述はここで打ち切りになるであろう。そうではなく,ここでは,「中心的テーマ」が示す問題領域を国語科に定位する積極的な基礎づけを考えてみたい。

 そもそも「中心的テーマ」は,「自分の現実の時空的制約と交わることを支援」するものであり,すなわちそこでは,学習者をとりまく歴史・社会・政治・文化・教育的現実との格闘が主題化されているのである。そしてそのような現実の中で,(文学的)テクスト自体も,読者としての受容の仕方も同様に制約を受ける。現実がテクストの中でその対象としてどのように文学的に加工されているのか,そして読者はその加工の仕方からどのような世界解明モデルを獲得するのか―このような問いを,現在という共時的地平に置くとき,文化的営為としての読書―それが自由な読みであれ,分析的な読みであれ―を支える同時代的なコンテクストが形成され,また,そこから翻って,学習者には現代の読者としての自分の位置を省察する契機が与えられるのである。

 ドイツにおける従来の読本では,前期中等教育段階においては文学のジャンルにしたがって,後期中等教育段階においては文学史の「エポック」にしたがって単元を構成するものが一般的であった。この意味で,[UNTERWEGS]の「中心的テーマ」および「テーマとテクストの部」は,読みの現代性の領域を開拓するものであると言えるのである。

 

おわりに

 本稿では,教科固有の役割領域とそれからの「逸脱」を軸に考察を展開してきたが,教科固有の役割領域は決して固定的なものではなく,それ自体も時代の要求に応じて変化するものである。例えば三十年前のバーデン・ヴュルテムベルク州の国語科カリキュラムには,現行のものに見られる「メディアとの交わり」や地域性を考慮に入れた「方言」および「地方文芸」の問題は存在していなかったし,また仮に国語科の課題を「ことばの教育」という名称に集約させたところで,その「ことば」自体の捉え方,すなわち言語観は―規範性から多様性へと―変容しているのである。 

 また,わが国においても,国語科の固有の課題領域を超えて,先に取り上げた[UNTERWEGS]の「中心的テーマ」に類似するテーマを掲げる単元学習の実践(報告)を多々目にすることができるが,それらは個別的な努力にとどまり,国語科への定着・体系化の点では,必ずしも十分とは言えない(注21)。このような問題に対して,先の一連の考察から幾つかの示唆を受け取ることができるように思われる。

 ドイツにおける国語科教育の課題領域の広がりを捉えるに際して,その広がりを生成する国語教授学の土壌に対する考察を行うことが本稿ではできなかった。国語教授学の学的体質がドイツの国語科教育の課題領域の広がりを決定するのでは,ということを仮説的に呈示して本稿の結びとしたい。

 

 

〈注〉

 

@“KULTUS UND UNTERRICHT”―‘Amtsblett des Ministeriums fuer Kultus und Sport Baden-Wuerttemberg’(1994)が総称。そこから初等,中等および特殊教育の学校種に応じて五巻の分冊の形をとる。

Aここに挙げているのは,「注@」の巻四【ギムナジウム学習指導要領(Bildungsplan fuer das Gymnasium)】の17ページに載せられている。

Bこの学習領域の分類はバーデン・ヴュルテムベルク州国語科カリキュラムに見られるもので,わが国の【学習指導要領】国語科の「表現」,「理解」,「言語事項」の領域にそれぞれほぼ対応する。また,学会レベルで議論する場合には,「口頭および文字によるコミュニケーション」,「テクスト(文学)との交わり」,「言語の省察」と称するほうが一般的である。

C 同「注A」18ページ。

D 同上10ページ。

Eこの概念についての説明は,J.OssnerとI.Esslingerの論文「統 合,ネットワーク化,体験社会,学校(Integration, Vernetzung, Erlebnisgesellschaft und Schule, In: Der Deutschunterricht 6/96)」の欄外注で次のようになされている。

教科統合的アプローチと教科交差的(分野間的)アプローチは,有意味に分離されなければならない。後者においては,幾つかの教科の内部で居場所のないようなテーマ,あるいはひとつの教科がひとつの観点しか取り扱うことができないようなテーマが設定される。そのようなテーマとは,環境とか平和教育などである。

F同「注D」。

G「注A」の【ギムナジウム学習指導要領】の各学年の該当個所から引用者がまとめたものである

H同「注C」。

Iバーデン・ヴュルテムベルク州【学習指導要領】第一分冊【基礎学校学習指導要領(Bildungsplan fuer die Grundschule】(1994)に見られる19の「教科交差的テーマ」のうち,18のテーマに国語科が協同している。なおテーマの一覧については,「[資料] ドイツ連邦共和国バーデン・ヴュルテムベルク州【国語科学習指導要領(1)―基礎学校編―】(土山和久訳・編,『兵庫教育大学近代文学雑誌第8号』所収)を参照のこと。

J同「注A」107ページ。

K「週計画―授業」については,例えばW.Klafkiの日本における講演をまとめた『教育・人間性・民主主義 ―W・クラフキ講演録(小笠原道雄編,玉川大学出版部,1992年)の中で,その枠組みが次のように呈示されており,赤マスが「週計画―授業」を示す。(121ページ)

 

月曜日

火曜日

水曜日

木曜日

金曜日

1時間目

週始めの会

 

 

 

 

2時間目

 

 

 

 

 

3時間目

 

 

 

 

 

4時間目

 

 

 

 

 

5時間目

 

 

週末の会

 

 

 

 

 

 

 

 

L“UNTERWEGS”(1992-, Klett). 編者 Elke Bleier-Staudt, Katrin Bothe, Guenter Lange, Jorg Urlich Meyer-Bothling, Karin Schroer, Eike Thurmann, Guenter Waldmann.挿し絵 Uwe Hantsch.

M既刊の巻五〜九をもとに,引用者がまとめたものである。

N 巻五『教師用指導書(Lehrerheft)』。同書において,教科書シリーズ“UNTERWEGS”全体の基本方針が呈示されている。引用は同6ページ。

O同上。

P同上9ページ。

Q同上。

R同上7ページ。

S同上9〜11ページ。

21本稿の問題意識と類似するものを,例えば鶴田清司氏の「文学の授業で何を教えるか ―教材内容・教科内容・教育内容の区別 ―」(全国大学国語教育学会編『国語科教育』第四十二集所収,1995年)に看ることができるが,鶴田氏は同論文において次のような確認をしている。

わが国の伝統的な国語教育の立場として,「単元学習」や「文学教育」という名称で行われている実践がある。これらは,広範囲にわたる〈教科内容〉を想定しているために,(中略)ともすると「教育的情念」が先行し,高邁で漠然としたねらい(全人的発達,人間教育など)を持つものとなりやすい。当然,実践の分析や評価にも困難が伴う。(91ページ)  

            

 

―付記―

 本稿は,兵庫教育大学凱風会編『凱風』第9集に収められている。オリジナルの書式が縦書きであったため,横書き転記にあたって,漢数字をアラビア数字に変更した。また,レイアウトの都合上,表などに一部オリジナルと異なる点がある。

 

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