大阪教育大学キャンパスことば(11
― 「キレる」考 
国語教育講座  井上博文
T.問題の所在
1―1 浅野内匠頭は「キレた」のか? 
 本稿は「キレる」という言葉を使用者の内省を資料に考えようとするものである。
 歌舞伎や映画でおなじみの義士の活躍する「忠臣蔵」の騒動の契機となる江戸城松の廊下の場面。勅使饗応のお役の件で、老獪な高家筆頭の吉良上野介のいじわるに、江戸詰めの忠臣たちのはたらきによってなんども窮地を切り抜けてきた播州赤穂の若殿浅野内匠頭が、とうとう上野介に刃傷におよぶ。歴史的な真相は当事者に尋ねてみなければ分からないが、芝居ではなるほど内匠頭の堪忍袋の緒がきれるのも当然だと同情する。一緒に斬りつけたくもなる。後ろから抱きとめた梶川にその手を離せとそそのかす。御法度に背き城内で小さ刀を抜いて「此間の遺恨覚えたるか」と斬りつけた、その刹那に彼は領地や家臣団を捨てた。内匠頭の積み重なったストレスと恨みの揮発性の燃料に、その場での上野介の嘲笑が火をつけて一気に爆発した。事情を知らぬ者の目には彼はキレたと映じたであろう。主君の無念をはらすべく艱難辛苦を耐えて用意周到な準備の後に仇討ち本懐を遂げた大石内蔵介たちの態度・行動とは対照的である。この物語の発端の一連の事情を知る観客は内匠頭に判官贔屓する。難儀したのは周囲の者たちであった。しかしながら、実に思い知ったのは内匠頭自身であったのかもしれない。時代は変わっても逆上とナイフとは組になっている。
 「ムカつく」が表現主体の感情の表出であるのに対して、「キレる」は身体的な具体的な行為を伴いやすい。キレたからお茶をおごるというわけにはいかず、そこには「暴力」が介在する危険がある。キレると相手も「逆ギレ」する。窮鼠猫を噛む。心の余裕があればキレはしない。ここ一発に「キレる」ことで箔がつく。その時にキレないと仲間うちでなめられる。
 問題となっている「キレる」とはどんな現象なのだろうか。マスコミが扇情的に書き立てる「キレる」を身近な例で考えてみたい。人によって同じく「キレる」という表現を用いていても内実は異なっている。口癖となって軽く使う者から最終段階の重い意味で使う者まで幅がある。総じて程度性が逓減する方向にある。
 「キレる」は意味的(アスペクトの観点から)には瞬間動詞である。[状態A]から[状態B]への移行の特定の一点のありさまを表現する。[状態A]は通常の理性のはたらく自分、[状態B]は通常の自分でない自分である。「キレる」は自動詞であり、意志によってそうなるのではなく、自然にそうなることを表す。一方でキレることで自分の主張を通そうとする「泣く子と地頭には勝てない」方式の作戦的なものが見られる。
 
1―2 資料
(1)平成10年度「小専国語」前期受講生90名(女性52名、男性38名)への
   アンケート調査
  @自分の「キレた」ときの状況と気持ちを200字程度で教えてください。ただし、
   さしさわりのあることは書かなくてもいいです。(実施日:1998.4.21
  A「キレる」に関係する言葉を教えてください。(実施日:1998.5.12
  Bあなたは「キレた」後にどういう行動をしますか。(実施日:1998.5.18
(2)聞き取り調査:1997.101998.526
 
U.「キレる」の関連語
 どんな関連語が「キレる」のまわりに蝟集しているのかを見てみる。「キレる」前段階には「イラツク・ムカツク・ハラタツ」状態があって、それをなんとか「ガマン」し、自分を「ヨクセイ(抑制)」しようとする。しかしあるガマンの限界点を越えるとき「ブチッ・プッツン」と「キレる」。頻用される「キレる」の程度性が小さくなると「マジギレ」が使われる。また程度副詞の「ホンマ、ムッチャ、バリ、チョー」などによって修飾されることになる。
 
    表1「キレる」の関連語
 
 発話の例にあるような「死ね!」「殺す!」と冷たく吐き捨てるのと、関西弁風に「豆腐の角で頭打って死んでみぃ 」「うどんで首つって死ね」「耳かんで死ね」と言うのとでは違いがある。後者の矛盾した言い回しの中にまだユーモアと余裕がある。
 
V.「キレる」場合
3―1「キレた」経験
 アンケートの回答の各自のキレた経験のいくつかを紹介する。
01) 私は短気な性格なのでわりとすぐにキレます。と言っても犯罪を犯すほど大げさなものはなく、ただ興奮 状態におちいる程度のキレ具合です。ではどんな時に私がキレたと思うかというと姉妹ゲンカや親との口論の 時です。なんだか頭の中でブチッという音がするように感じるのです。私はその時の状態を自分なりに「今キ レたわ」と感じています。でも、今、世間で問題になっているキレた状態と自分のそれとでは大きな差があるように思います。(2回生 女性) 
02)私がキレたのは高校2年の夏の、弟とのケンカの時だった。原因はテレビのチャンネルというとてもささいな ことだったが、弟がしつこくわがままな振る舞いをしたため、とうとう私がキレて、なぐりあいの大ゲンカになってしまった。当時、弟は3歳下の中学2年で、ちょうど私と弟の力関係が逆転しかけた頃でもあり、私は
 負けずと奮闘したのだが結局負けてしまった。ケンカしている間は弟に勝ちたいということしか頭になかった。
 他には何も考えられなかった。ケンカに負けた後、私はとてもくやしかったが、心が落ち着くと仕方がないな、 と弟に勝つことをあきらめたのだった。(1回生 女性) 
03)私が高校のとき、友達と遊びに行く約束をしていて、駅で時間通りに待っていたのに、その友達は20分たっても30分たっても駅に来なかった。だからその友達の家に電話をかけてみると、楽しそうな声で電話に出て「今日、急に行かれへんようになった」と言い、すぐに謝りもせずに電話を切ったとき。むかつくという 気持ちを通りすぎて切れた。その時の気持ちは表現できない。(1回生 男性) 
04)中学校1年生の時に、サッカー部だった僕は友達と一緒に部活に行ったところ、友達がこう言った。「鉄棒 にどっちが長くつかまってられるか勝負しよう」。僕はもちろんこの誘いにOKして2人同時に鉄棒につかまっ た。するとつかまって10秒とたたないうちに友達は鉄棒から落ちてしまった。僕は得意げにつかまったままでいた。そして友達は僕のうしろに回り込み僕のズボンを一気に下げた。その時にパンツまで一緒に下げてしまい、僕は13才という若さでグランド中にコカンをさらしてしまったのだ。僕は友達のこの行動にぶちキレた。 (1回生 男性)
05私はよく「めっちゃキレた!!」という言葉を日常生活の中でよく使うが、どうしてキレたのかと今思い出そうとすると、あまり思い出せないが、一つだけ思い出した事がある。高校生の時、合唱祭が毎年行われ、クラスごとに発表するまでの放課後の練習の場面であった。「1回だけ全員がいっぱいの声をだせて、今日の中で一番上手に歌えたら今日は終わろう」という先生の言葉に従って、たいていの子はがんばった。しかし、その 中でもがんばらない子(ふざけて口を開けず歌わない)もいた。そういう子にかぎって「早く帰りたーい」と言った。私は心の中で「お前が歌ったらみんな早く帰れるんじゃ」と思った。しかし、それを口には出せず心の中でずっとイラだっていたことが、最近の私がキレた時だと思う。そういう無責任な子に対して私はよくキレると思う。(1回生 女性)
06)私がキレたのは自分が一生懸命やった事(作品、勉強、スポーツなど)を何も分かってない人からバカにされたりけなされたりした時だった。ずっと練習を見に来ない部活の顧問が試合前だけ顔を出して説教をした事が今までの中で一番キレたことだった。(中略)。よく親がやかましく言うのに対してキレるという人が(私も
 言うけど)、よく考えてみれば、その程度のことはかわいらしいキレるであってキレるというにはふさわしくないように思えてきた。(1回生 女性)
07)私はアルバイトで塾の講師をしている。小学5年生を相手に授業をしていたときのことである。私はそれまで生徒をどなりつけて叱るといったことはしたことがなかった。教室がザワザワと落ち着きがない。私は普通のトーンで「うるさいぞ、静かにやれ」と注意した。この先生は怒らないそういう考えが生徒の中にあるの 
 だろう。私は不意に教卓をたたきつけ、「やかましい!!やる気あんのか、ないんかどっちや!!やる気ない奴は出ていけ!!」。感情をむき出しに声をあらげた。注意したのか、叱ったのか、怒ったのか、それともキレたのか 教室は一気に静まりかえった。体が熱いのを感じた。でも私の中で、これは単なる注意ではないような気がした。私はおそらくキレたのだろう。(2回生 男性)
08)私がキレたのは去年予備校に通うために駅で電車待ちをしている時に、1015人ぐらいの男子高校生の団体がぞろぞろやってきて割り込んできた時でした。あまりキレない私でも急いでいたということもあって、「割り込むな!」とどなりました。それ以来、駅で高校生の団体を見ると無性に腹がたってしかたありません。そのころ一緒に予備校に通っていた知り合いは、ちょっとしたことでもすぐにキレてしまうので、いったいどうしてということが多かったのだが、あまり体が大きくなく、ケンカも強くなかったので、キレるというよりは機嫌がよく悪くなるといった感じでした。(1回生 男性)
09)私が高校生の時、スーパーでバイトをしていたのですが、その時、閉店間際に買い物にやってきたお客様に思いきりキレたことをよく覚えています。閉店を告げる音楽も鳴り終わり、ホールには誰もいなくなっているにもかかわらず、彼女はゆっくりと店内を見て回りレジまでやってきました。そして「乾電池はどこにある
 の?」と、まだ入ったばかりのバイトの子にたずね、その子が答えられないと「なんでわからないのよ」とひどく怒りだしました。「申し訳ありません」と私がでていって謝ったのですが、聞く耳をもたないという感じで、しまいに私は「そちらも閉店時間がすぎているのに失礼ではないですか」と口ごたえしてしまい、言い合いになりました。キレてしまうと互いに良い気分にはなりません。自分を抑制する力をつけたいと感じた一場面でした。(1回生 女性)
10)一ヶ月ほど前に、アルバイト先で私はキレたと思った。会席のお客様のお部屋に料理を運んだ時に出した料理の名前や材料などを、そのお客様に聞かれたが、まだ料理の名前も覚えていなかったので答えられなかった。だから店のおかみさんや板前さんにいろいろ教えてもらって、メモを取ってお客様の部屋に戻って、説明を始
 めようとしたら、「そんなん冗談やのに、あんた本気にして聞きに行ったん?」と言い返された。お客様だったので顔にはださなかったが、心の中でとてもキレた。その時は悲しい気持ちになりました。(1回生 女性)
12)私の実家の方の近所には、幼稚園に通っている子がいて、その日は母親が子どもを道で遊ばせていました。ちょうど自転車で通りかかった私は、道のまん中に座っている子どもを見て、「あ、あぶないな、自転車を降りてついて行こうかな」と思っていました。するとその子の母親が「ひかれるで、あぶないからこっちおいで」と子どもに言いました。私はその母親の一言にキレました。普通、自分の子どもが、道のまん中で遊んでいたら「じゃまになるでしょ、どきなさいよ」っというふうに子どもに注意するのが当たり前ではありませんか?まさか、本当に私が自転車でひいていくとでも思ったのでしょうか。(後略)。(1回生 女性)
13)中学2年生の時、私が所属していたバレーボール部内で私と同じ学年の子と後輩の子がけんかをしました。そのけんかの原因はとてもしょうもないものでした。最初のうちは口げんかだけだったので私も冷静にとめていたのですが、そのうち髪の毛をひっぱったりしはじめたので思わずキレてしまいました。同じ部活をする仲間なのに仲良くできないことにとても腹が立ちました。また、私はキャプテンだったのでチームをまとめることができない自分にも腹が立ちました。この時が私が一番キレてしまった時です。(1回生 女性)
 
3−2「キレる」表
 誰にどんな時にキレるのかを整理して分類したものが表2の「キレた」経験である。(表のなかの「m」は男性、「f」は女性)。これを見るとほとんど切実な関係を持つ身近な者にキレることを知る。嫌なことがあっても逃げ出せない人間関係の場合である。自分にキレるという場合もある。
 
     表2「キレた」経験
 
 以下のような「キレる」ことについての内省がある。
14)自分で考えて正しく筋の通っていることだと思って物事に取り組んでいることに対して、何の理論・理由もなく自分の行動や考えを馬鹿にするように否定された時、その怒りをぶつけるやり場がなく、この怒りが、その否定された特定の人間に対してのものなのか、自分自身の考えている筋があまかったのか分からなくなり、とにかく怒りだけがこみ上げてくるという複雑な感情になる。(1回生 男性)
15)私は自分でキレたと思ったことはありません。怒ることはあるし、腹がたつこともあります。しかし、それは「キレる」ではなく「ムカツク」です。私の妹はよく「キレるわ」と言います。その時の状態は私の「ムカツク」という時の状態と同じだと思います。つまり、そのような状態の時にどのような言葉を使うかだと思
います。「キレる」という言葉は「堪忍袋の緒が切れる」の略だと思います。結局「キレる」とは「怒る」ことなのではないでしょうか。(1回生 女性)
16)高校三年生の時、受験勉強の時に学校でも家でも勉強しろ勉強しろと言われて心がいらだち親にキレてしまった。自分では抑えようと思っていても、どんどんどんどん心に圧力(プレッシャー)をかけられたら、自分の意志とは関係なく爆発してしまうものだと思う。しかもキレる状態が親であるということも自分が弱いことを表しているように思う。キレるという行為は悪いように思われがちだが、心の安定を保つ方法であるようにも思う。(1回生 男性)
 
W.「キレた」後の行動
 「キレる」のは心の内の出来事であるが、周囲の者は当人がキレたことをすぐさま知ることができる。表情(特に目つき)や言動、態度や行動によってただちに察知できる。[状態B]はその人の通常のさまと異なるのである。「キレた」後の行動を家族の場合とそれ以外の場合に分けて整理したものが「表3「キレた」後の行動である。
直截に暴力におよぶことは少ない。必ずしも「キレる」=暴力という図式はなりたたない。相手との正常な関係を保とうとする姿勢がなくなる。したがって、相手への暴力ばかりでなく、泣き出したり無視したりその場を立ち去ったりする。学年があがると「キレる」ことを恥ずかしいとする意見が多くなる。
 
   表3「キレた」後の行動
 
 
X. 「堪忍袋の緒がキレる」と「できぬ堪忍するが堪忍」と会話
 なぜ人は怒るのか。理不尽な仕打ちに対する抗議か。自分の名誉のためか。真に守るべきものはなんだろうか。仏教でもキリスト教でも、いずれの宗教、道徳でも「怒り」を戒めているほどに「怒り」は人間の感情にとって普遍なことであって、なんとかそれを鎮め、昇華させようと苦心する。誰のために憤り何に対していきり立ち、どうやって立ち向かうのか。「言論の上で解決する」ということを信じなければ悲惨な世の中が現前する。ホームルームや学級会の話し合い、議論の練習のディベートでもしだいに互いが感情的になって、当初の解決するはずだった問題は脇におかれてしまって、いつしか悪口やののしりあいになってしまう。「議論」の場は対立する側に対する人格の欠点を指弾しあう修羅場と化す。主張の対立点を明確にし、論証し相手を説得し妥協するという一連の知的な手続きは霧散する。人に説得されると負けたと感じてしまう。頭でわかっても心が従わない。すきあらば寝首をかこう、江戸のかたきを長崎で、と臥薪嘗胆の気持ちを腹にふくむ。「問答無用」の勇ましさ、数にものを言わせる(多数決の原理は十分な議論を前提とする)、事前の根回し(「根回し」自体がいつも悪とは限らないが)などつまづく要素が壁をつくる。問題を解決する手段としての言論はまわりくどく手間暇がかかる。なんなら「顔役」にとりいった方がよほど早くて実行力がある。接待の誘惑にかられる。私たちは対立することを怖れる。孤立することが恐くてしかたがない。長いものに巻かれて暮らしたい。それでも一寸の虫にも五分の魂で意地がひょっと顔を出す。人と人との間にあってちょうどよい距離をとりあうことの難しさがある。近すぎればうっとうしい、遠すぎれば淋しい。加えて自分と他者とで距離の期待と見定めが違う。
 「克己」という徳目には埃がかぶっている。自分を自分で抑制することは難しい。腹八分目に抑えれば太らないのに大食いして、ダイエットしなくてはといろいろと気をもむ。笑ってすませれば波風のたたない些細なことに意地をはって、もっと大事なことをやりそこなう。自分の堪忍袋の緒の太さと強さとはどれだけか。「キレる」現象が精神の問題ばかりでなく身体の問題でもあるならば、身体の基礎である食生活と関係しているのではないか。
 はや今宵の割り当てのワインはキレた。つまみもなくなった。
 
 
  井上博文 「若者層における動詞『ムカツク』の意味の記述」 大阪教育大学国語国文学研究室
 
       学大国文第40号 1997.2