おもしろい論文を書こう

これから卒業論文を書こうという学生諸君で、なにをどうやっていいかさっぱり判らないあなた! 
原稿用紙に換算して何十枚、何百枚になる長文を書ききることができるのかどうか我ながら自信がないというあなた! 
大学生活も残すところあと一年というあなたには、グズグズしているヒマはもうありません。
ここまできたら猪突猛進。どうせ書くなら、トコトン トットコ ハム太郎! 
論文を書くなんて、一生のうちに何度もあることではないのだから、自分なりに書けるところまで書いてみよう。

・・・というわけで、書いてみたいテーマはあるのだけれども、どうやって論文にするのかわからないという人にむけて、いくつか論文執筆のヒントを書 いてみました。

目標は、おもしろい論文を書き上げること。

「おもしろい」とか「つまらない」とかという判断は、読む人のたんなる主観にすぎない、とあなたは言うかもしれない。いや、まさにそのとおり。しか し、わずか数年とはいえ、これまで卒論審査に立ち会った経験からすると、大体、わたしが読んで「おもしろい」と思った論文は、ほかの先生方も「おもしろ い」と感じていらっしゃるようだ。敢えて言うならば、ある程度の普遍性を期待することができる主観的判断といったところだろうか。

「おもしろい」という感じについて、もう少し詳しく説明したい。

まず、「おもしろい」というのは、「よい」ということとは違う。おもしろい論文であっても、形式的に破綻していたり、論理的に支離滅裂であったり、 あるいは、文献調査が足りなかったりするならば、成績優秀とは認められないだろう。

満身創痍、欠陥だらけ、ボコボコに批判されてノックアウト寸前の論文でも、おもしろい論文はおもしろい。逆に、形式的にも、内容的にも、まったくソ ツなく書けていて、まったく批判する気が失せるようなつまらない論文もある。

もちろん、「おもしろく」て「よい」論文が書けるならば、それがいいに決まっている。しかし、そうなるためには、まず、おもしろくなければ駄目。お もしろくしようと精魂を傾けて書き込んでゆけば、よい論文にもなる。最初からよい論文を狙って書いていたのでは、おもしろい論文は書けない(と、わたしは 思う)。

「おもしろい」というのは、なにか読み手のウケを狙って書くということではない。
書くあなたが、あなた自身に徹底的に誠実であるからこそ、おもしろい論文になるのである。

もちろん、ドイツの言語と文化を専攻としているあなたが、卒業論文で書かなければならないのは、たとえば、環境問題だとか、ヒトラーだとか、ゲーテ だとか、であって、あなたの私生活ではない。しかし、そういった諸々のテーマに対するあなた独特の関心の持ち方が、論述に顕われてくるとき、読んでいる方 は、つくづく「おもしろいなー」と思うのである。

そして、これが肝心なことなのだが、おもしろい論文を書く人は、書く前からおもし ろいか、そうでなければ、書いているうちにおもしろい人になってゆくのである。

2004年2月16日

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