第九節 まとめ

 第一節から第八節まで、猫に関する記述を見てきた。その中でいくつかの作品に共通する叙述が見られた。一つは、猫が不思議な力を持っているということである。このことに関しては『猫の事件』『避暑地の猫』『黒猫亭事件』にかかれており、下線で示した部分である。二つ目は、人の後をどこへでもついていくという性質で、『猫は知っていた』と『黒猫』に書かれている。そして三つ目は、敵を威嚇するときに「シャーッ」とという声を出すという性質である。このことは、『猫の事件』と『柩の中の猫』に書かれている。

 ここで、猫の種類によって叙述に違いが見られるのかどうか比較を行ないたい。まずは、八作品中三作品に登場する黒猫と、二作品に登場するペルシャ猫についてである。黒猫は、『猫は知っていた』のチミと、『黒猫』のプルートー、『黒猫亭事件』の黒猫亭で飼われていた猫である。ペルシャ猫は、『避暑地の猫』に出てくるジョゼットと鍋野医師に飼われていた猫、そして『アーサー・カーマイクル卿の奇妙な事件』に登場する猫である。比較は、動作、毛並み、大きさ、鳴き声、目、口、尾、主人公との関係の八項目に分けて行なう。

 

<黒猫とペルシャ猫の比較>

 

黒猫

ペルシャ猫

動作 ・死体の頭上にいる(プルートー)

・気絶した夫人の体の上にのっかっている(チミ)

・のっしのっしと崖をおりて来た

・甘えてじゃれついた

・俊敏に身をひるがえし、森の中へ走ったのだ(ジョゼット)

大きさ ・稀に見るほど大きい(プルートー)

・おちびさん(チミ)

・巨大な黒猫

記述なし
毛並み ・全身真っ黒(プルートー)

・胸全体をほぼ覆っている輪郭ははっきりしないが大きい白い斑点があった(第二のプルートー)

・真っ黒なからす猫

・つやつやとした見事な黒毛が枯れ草の中から異様な光沢をはなっていた

・きれいな灰色の猫

・美しい猫

・銀色がかった灰色(ジョゼット)

・眼玉のない眼窩はすさまじい外観(プルートー)

・片目がえぐり取られている(第二のプルートー)

・青い目(チミ)

・しんちゅう色の眼を光らせて、じっとこちらをうかがっている

・左目は青緑色で右目は灰色
鳴き声 ・最初は子供の啜り泣きに似た、押し殺したような切れぎれの叫び声であったが、やがてまたたく間に、恐ろしく異様で、人の声とも思えぬ、長く尾を引く、甲高い、絶え間なくつづく悲鳴へと高まっていった――それは断末魔の苦しみに喘ぐ地獄の亡者どもと、彼らの地獄落ちを狂喜する悪鬼どもの咽喉から一時に出て来る、なかば恐れ、なかば勝ち誇るわめき声であり、悲痛な叫び声であった(第二のプルートー)

・人懐っこい声(第二のプルート)

・甘えるような声(第二のプルートー)

・子ネコでも鳴き声をきいただけでネズミがいなくなる(チミ)

・中に入れてくれと哀れっぽい声

・長く尾を引く威嚇するようなものすごい鳴き方

・真っ赤な口 記述なし
記述なし 記述なし
主人公との関係 わたしの大好きなペットであり、遊び仲間であった

その動物がわたしに与えた恐怖と不快感は、心に思い浮かべることのできるこの上もなく下劣な妄想のために、ますます募っていったのである

前には奥さまが飼っていらっしゃいました。お客さま。すてきなやつでしたが・・…始末しなければならなくなりましてね。きれいな猫でしたから、とてもかわいそうでした。

 

黒猫は、昔から魔女の使いなどと言われ、不吉なイメージを持たれている。実際に、『黒猫』の中に「根は少なからず迷信深いたちの妻は、黒猫はみな魔女が姿を変えたものだという昔からある俗言をしばしば引き合いに出した。」という記述がある。そして、三作品に登場する黒猫は、どれも作品の怖さを助長している。それが顕著に表れているのは、動作と毛並みである。動作では、全ての黒猫が死体と関わっている。『黒猫』では血糊の固まった妻の死体の頭上に坐っているし、『猫は知っていた』では、気絶している桐野夫人の上に乗っかっていた。また、『黒猫亭事件』では、黒猫そのものが死体となっている。「ものの見事にのどをかききられて、首の皮一枚で胴とつながっている」という恐ろしい状態で発見されるのである。読者は作品を読みながらその情景を想像する。その際、人間が倒れているだけよりも、黒猫がいるほうが、より迫力がある。もし、犬であったならどうであろう。ご主人と片時も離れたくないという気持ちは思い浮かんでも、怖さが増すことはないであろう。つまり、死体と共に登場する黒猫は、猫の持つ不気味なイメージをうまく生かした例なのである。次に、毛並みについてである。黒という色自体に暗く怖いイメージがあるが、そのなかでも、特徴ある記述は「異様な光沢をはなっていた」というものである。ペルシャ猫のほうは、「きれいな灰色」、「美しい猫」と書かれているのに対して、「異様な光沢」というのは不気味な雰囲気をかもし出している。

 

 しかし、黒猫の登場する作品とペルシャ猫の登場する作品は、内容が異なっている。そのため、作品の雰囲気が黒猫の叙述に影響を与えている可能性もあるので、同じような内容を扱った作品での比較も行うことにする。その内容は、猫が人間に復讐を遂げるというもので、作品は『黒猫』と『アーサー・カーマイクル卿の奇妙な事件』と『柩の中の猫』である。これらの作品にはそれぞれ、黒猫、ペルシャ猫、白猫が登場する。比較する項目は、先程の八項目に死体の様子を加えた九項目とする。

 

<人間に復讐する猫>

  柩の中の猫 黒猫 アーサー・カーマイクル卿
動作 ・素早かった。ララのように

・邪悪な小鬼のよう

・死体の頭上に忌わしい獣が坐っていた ・クッションが大きく幾すじにも引き裂かれ、引きちぎられていたのだ

・咽喉の皮膚がずたずたに引き裂かれ引きちぎられていた

大きさ 記述なし ・稀に見るほど大きい

・巨大な黒猫

記述なし
毛並み 純白のふかふかとした毛糸玉のような猫 全身真っ黒 ・きれいな灰色の猫

・美しい猫

死んだ魚のようにうつろになっていた ・片目を焔のように燃え立たせ 記述なし
鳴き声 ララは二度とあの愛くるしい鳴き声で鳴いてくれなかった。 ・最初は子供の啜り泣きに似た、押し殺したような切れぎれの叫び声であったが、やがてまたたく間に、恐ろしく異様で、人の声とも思えぬ、長く尾を引く、甲高い、絶え間なくつづく悲鳴へと高まっていった――それは断末魔の苦しみに喘ぐ地獄の亡者どもと、彼らの地獄落ちを狂喜する悪鬼どもの咽喉から一時に出て来る、なかば恐れ、なかば勝ち誇るわめき声であり、悲痛な叫び声であった ・ものすごい猫のうなり声
記述なし 真っ赤な口を大きく開き 記述なし
風にのってたなびく白いマフラー 記述なし 記述なし
主人公との関係 ・孤独なつがいの小鳥のようだった

・地球が滅び、、全人類が滅びた後、世界にたった二つだけ生き残った悲しい命のようだった

わたしの大好きなペットであり、遊び仲間であった

その動物がわたしに与えた恐怖と不快感は、心に思い浮かべることのできるこの上もなく下劣な妄想のために、ますます募っていったのである

前には奥さまが飼っていらっしゃいました。お客さま。すてきなやつでしたが・・…始末しなければならなくなりましてね。きれいな猫でしたから、とてもかわいそうでした。
死体の様子 目を大きく見開き、苦悶の表情で氷の破片の中に浮いているララの白い身体

大きく見開かれた目は、そのまま死んだ魚のようにうつろになっていた

白い表面に、まるで浅浮彫で彫りつけたように、巨大な猫の姿が見えるではないか。その彫像はまったく驚くべきほど精巧に形づくられていた。しかも、猫の首のまわりには一本の縄が巻きついていたのである。 「この猫がそうだ。はじめてここに来たときに見た猫だよ」

セトルは鼻をふんふんいわせた。甘酸っぱい巴旦杏の匂いがまだしている。

 

 この場合、共通の内容を持っていることをもとに比較を行なったため、動作の項目は、人間に復讐を遂げる場面だけに限った。

 『柩の中の猫』のララは、飼い主の桃子にはとてもかわいがられているのだが、別の人間に殺されてしまう。それに対して、『黒猫』と『アーサー・カーマイクル卿の奇妙な事件』の猫は、一時は愛されていた飼い主に殺されてしまう。ここに、残酷さの差が出る。猫が殺され、殺した人間が猫に復讐されるというストーリーから受ける恐怖は三作品に共通している。これら三作品において、猫は恐怖を助長する役割を果たしていると考えられる。しかし、感じる恐怖の度合いは同じではない。『柩の中の猫』では、事件は淡白にあっさりと描かれているような印象を受ける。これには、第四節で述べたように、ララが白猫で、文中でその白さが強調されていることが関係している。白は、清潔で爽やかなイメージを持った色である。そのため、あまり恐ろしさを感じさせない。例えば、死体の様子は「目を大きく見開き、苦悶の表情で氷の破片の中に浮いているララの白い身体」と描かれているが、恐ろしいというよりもむしろ、かわいそうという気持ちになる。

 それに対して『黒猫』は、黒猫の恐ろしさが前面に押し出されていて、非常な恐怖を感じる作品である。特に、血糊の固まった死体の上に、真っ赤な口を大きくあけて坐っている場面など、赤が強烈に印象に残り、すさまじい迫力を感じさせる。黒猫の、真っ黒で光沢のある毛並みは恐ろしい闇の世界を連想させるし、「焔のように燃え立たせた」目は、怒りと憎しみに満ちている。『黒猫』に登場する黒猫は、壮絶な姿をしている。

 また、ペルシャ猫は他の二作品と同様に、人間に復讐を遂げるのだが、幽霊なので姿が見えない。そのため、黒猫のような怖さはないが、「クッションが大きく幾すじにも引き裂かれ、引きちぎられていたのだ」や「咽喉の皮膚がずたずたに引き裂かれ引きちぎられていた」という事実から読者は幽霊の姿を想像する。幽霊の姿がペルシャ猫だということは明示されているが、その他に詳しい記述は見られない。だからと言って、ここで可愛らしい子ネコを想像する人はいないであろう。詳しく書かれていなければ、読者は想像の中で恐怖を味わうことになる。

 

以上のことをまとめると、次のようになる。

 

 推理小説に使われる猫の性質

  ・神通力のような不思議な力を持っている

  ・人の後をどこへでもついていく

  ・「シャーッ」という威嚇の声をあげる

 

猫の性質には、この他にも様々なものがあるが、今回扱った作品には上記の性質が描かれていた。

 

 猫は古代エジプトでは神として神聖視されていたし、魔女の使いとして恐れられていたこともある。これらは猫が備えている摩訶不思議な性格、神秘性によるものである。その不思議さゆえに、猫は推理小説によく登場する。そして、その役割の一つとして、作品の恐怖感を生み出すというのがある。本論で用いた作品の中では、この役割を果たすのは、黒猫とペルシャ猫であった。黒猫は、猫そのものの姿が明示されていることによって怖さを醸し出す。それに対して、ペルシャ猫は姿を見せず、読者に想像させることによって怖さを出す。

 

以上が、叙述分析の結果である。

 

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