国語表現ゼミナール
山上孝治
指導教官 野浪正隆先生
桂枝雀『らくごDE枝雀』(筑摩書房 1993)の中に、次のような一節がある。落語作家の小佐田定雄とと落語家・桂枝雀との出会いについての話の途中、枝雀が小佐田の作品を初めて読んだときの感動を語っている。
枝雀 けど、あの原稿読ましてもろた時嬉しおましたで。わたしのねろてた「落語」とピタッと合うてまんねんからね。まず思たんは、噺の運びに無理がない、落語というものがよほど好きで形としてよくとらえてはるっちゅうこってんなァ。
小佐田 ウーン、そない言うていただくとはずかしいんですけど、確かに落語という芸の型が好きでしてね、大学の落研時代はよう米朝師匠のとこへおじゃまして古い噺とか珍しい演出について教えていただきましたんや。そのおかげで、なんとか型にはめることはできますねんけど、逆にそれが歯止めになって新しい型破りなことができまへん。(以下略)
これを読み、「落語の型」とは一体どのようなものだろう、という疑問を持ったのが、今回の研究につながる動機である。
新作落語の中にも、古典落語から型を受けついだものや古典の型を脱しようとしたものがあるように思える。枝雀のいう「落語の型」とはどのようなものか、また、新作落語独特の型や表現の仕方などがあるのではないだろうか。そのような興味から、今回研究を始めた。
ひとくちに「落語」といっても、大きく二種類ある。現在、東京を中心として語られている「落語」と、京阪神、古くは上方と呼ばれた地域で主に語られる「上方落語」との二種である。「上方落語」と区別するために関東の方の落語を「東京落語」や「江戸落語」と呼ぶこともある。以下、この論では、「落語」とのみの表記は、関東のものと関西のものとの総称を指すものとする。関東のもののみを指す場合にはあえて「東京落語」と表記する。上方落語は「上方落語」と表記する。また、「代書屋」や「火焔太鼓」など、一篇の落語を指す場合は「咄」という語を用いる。
「古典落語」「新作落語」という区別もなされる。主に作られた年代によっての区別になる。「創作落語」という特殊な呼び名もある。「創作落語」は桂三枝が自身の作った咄に冠した呼び名であるが、ここでは「新作落語」の一種として扱う。「新作落語」と「古典落語」との境は非常にあいまいである。しっかり明確に区切る基準がない。例えば誰が作ったのかわかっていれば「新作」なのかというとそうでもない。桂米団治作の「代書屋」は昭和のはじめに成立した咄であるが、古典とも新作とも言える。三遊亭円朝作の「牡丹燈篭」を新作であるという人はまずいないだろう。作者が現役かそうでないかで区別する、とも一概には言いがたい。桂米朝作の「一文笛」などは「新作」であるとも言えるし、またすでに「古典」であるともいえる。その咄の扱われ方、咄の知名度、なども「新作」か「古典」かの峻別に関わっているといえる。いずれにせよ、「古典落語」と「新作落語」の境は、はっきりとは決めがたいものがある。
この論では現在の上方新作落語の書き手として、桂三枝・小佐田定雄・中島らもの三者を取り上げる。三枝は自作自演を行う落語家であり、小佐田は20年以上に渡って主に桂米朝一門の落語家に新作を書き下ろしている落語作家であり、中島は落語以外の、戯曲・小説・エッセイ等の分野でも活躍する作家である。三者三様の立場から書かれ、1980−90年代に発表されてきた、紛れも無い「新作落語」を対象に考察を進める。
落語は物語の形をとる。一度始まってしまうと後戻りができない。たとえば漫才なら、一つのギャグが終わると、「そんなあほなことあるかい」などの台詞によって、ギャグの前の状態から話をやり直すことができる。落語はそうではない。八公が殿様相手に大変無礼な口をきいたあとで、家老が「なにを申される」といさめれば、八公の発言が無かったことになる、などということはありえない。となると、咄が始まる時の状態、つまり物語の展開する場やそこで動き回る人物によって咄の質・聞き手への効果が大きく変わるのではないか、と考え、本論では咄の設定と筋の流れというごく大きめの視点での分析を試みた。もっと細かい視点での分析のなされた研究に、金沢裕之「落語における笑いをめぐって−古典と新作とを比較して−」(言語生活 398 p.69-77 筑摩書房 1985)や野村雅昭『落語のレトリック』(平凡社 1996)などがある。前者は古典落語と新作落語とにおける「笑い」の分析を個々のクスグリごとに行い、それらを(A)言葉の誤解に由来するもの(B)ことばのイメージに由来するもの(C)会話のやりとりに由来するもの(D)登場人物の認識に由来するもの(E)演者の演技や演出に由来するもの、の五つに分類し、古典と新作とでの比較をおこなっている。後者では、おもに古典落語を研究の対象とし、落語に現れるさまざまなレトリックの解説を行っている。
本論は、次のような構成を取る。
この節に続く序章第二節では、落語の聞き手が得る楽しみを「笑い」と「驚き」および「的中」との二つに分け、整理・解説を行う。
第一章では、落語の「人物」と「背景」との設定に関しての分類・整理、および序章第二節で述べる聞き手の楽しみとの関係の解説を行う。
第二章では、咄の筋の流れの中から「繰り返し」に関する部分を取り出し、分類・整理および聞き手の楽しみとの関係の解説を行う。
終章では、第一章・第二章で見た「設定」と「繰り返し」とが、「上方新作落語」「上方古典落語」「東京古典落語」のそれぞれに、どのていど現れるかを見る。
落語は周知のごとく、「話芸」であり「笑芸」である。演者の語りと仕草をもって、聴衆に笑いをもたらせる。まずは、この「笑い」について、考えを整理してみたい。
「笑い」と一口に言っても、生活の中で生じる「笑い」は、実に種々様々ある。『人はなぜ笑うのか』(志水彰,角辻豊,中村真・著 講談社 1994)では、人間の「笑い」を次のように分類している。
(志水・同書 p.45 図2-1)
個々の分類項目の説明を簡単に行う。
「快の笑い」とは、人が快感を感じたときに生じる笑いである。快感の原因により、「本能充足の笑い」「期待充足の笑い」「優越の笑い」「不調和の笑い」「価値逆転・低下の笑い」の五つに下位分類される。
「本能充足の笑い」とは、たとえば赤ん坊が乳を飲んでお腹が一杯になったときに微笑む、のような人間の本能に関わる欲求が満たされたとき生じる、いわば、もっとも原始的な笑いである。
「期待充足の笑い」とは、たとえば野球等の試合で勝ったときや入学試験に合格が決まったときなどに生じる笑いである。「願望成就の笑い」と言い換えたほうが分かりやすいかも知れない。
「優越の笑い」とは、誰か他の人間よりも笑い手が優位な地位にあるときに生じる笑いである。目の前で突然人が転んだ、というようなときに生じる笑いでもある。この場合、転んだ者=失敗者となり、見ている者=失敗をしていない者、となる。失敗をした者を、失敗をしていない者が、「失敗をしていない」という上の立場から見下し、笑いが生じる。「嘲笑」と呼ぶと分かりやすい。
「不調和の笑い」とは、ある常識の中で起こるべきでないことや、予想もされなかったことに遭遇した時に生じる笑いである。例としては、「武士が太刀の鞘を払うと、中から小刀が出てきた」という「予想外れ」のギャグなどが挙げられる。
「価値逆転・低下の笑い」のうち、「価値逆転の笑い」とは、チャップリンの『モダン・タイムス』のように、人間が使うべき機械に、人間が使われる、といった「常識で考えられる上下関係」が逆転したときに生じる笑いである。「価値低下の笑い」とは、「逆転」とまではいかないが、「朝礼での挨拶を終えた校長先生が台から滑り落ちた」等、他者の価値が急に低いほうに転じたときに生じる笑いである。
次の「社交上の笑い」は、笑いのでる状況、笑いの狙う効果により、四つに下位分類される。
「協調の笑い」とは、周囲の人間に自分が敵対者でないことを知らせるための笑いである。挨拶と同じに発せられる微笑や、会話中、周囲に合わせて笑い声を立てたりするときの笑いである。
「防御の笑い」とは、自分の考えや正直な思い等を相手に悟られたくないときなどに浮かべる笑みを指す。
「攻撃の笑い」は、自分が笑われないために人を笑う、という笑いである。風刺による笑いもこれにふくまれる。
「価値無化の笑い」とは、目の前で起こった、あるいは起こした出来事を無かったことにしたいときに浮かべる笑いであり、いわゆる「笑ってごまかす」という笑いがこれに含まれる。
「緊張緩和の笑い」は、笑いの原因となる緊張の強弱により、二つに下位分類される。
以上が志水による笑いの分類である。日常我々が発する笑いは、この中のいずれかの要因、あるいはいくつかの要因が組合わさって生じるものだと考えられる。上記のように分類された「笑い」のなかで、落語の聞き手が発するものとしては、「優越の笑い」「不調和の笑い」「価値逆転・低下の笑い」、風刺としての「攻撃の笑い」および「緊張緩和の笑い」の四種が挙げられよう。
次に、落語作家でもある織田正吉の『笑いとユーモア』(筑摩書房 1979)を見ていきたい。この中で、織田は「笑い」を大きく三種、「人を刺す笑い―ウィット」「人を楽しませる笑い―コミック」「人を救う笑い―ユーモア」に分け、それぞれの解説をしている。
「ウィット」は、主に風刺や嘲笑を指す。志水の分類では「優越の笑い」と「価値逆転・低下の笑い」の中の「低下の笑い」、そして「攻撃の笑い」が含まれよう。
「コミック」は、喜劇を見たり漫才を聞いたりしたときに発する滑稽な出来事に反応する笑いを指す。志水の分類による「不調和の笑い」「価値逆転・低下の笑い」の中の「価値逆転の笑い」がこれにあたる。
「ユーモア」は、「ウィット」と「コミック」とは少し位置付けが異なり、笑う主体の感覚によって分類される。他者の失敗を見て笑うとき、それをただ笑い飛ばせば、「嘲笑」となり、「ウィット」に分類される。「嘲笑」では、失敗した他者を見放して笑いの対象にするわけである。逆に、「自分にも有りうることだ」と受け止め、失敗した他者を笑うと同じに同じ失敗をするであろう自分をも笑いの対象とするときがある。このような笑いを織田は「ユーモア」「人を救う笑い」と位置付ける。「ウィット」「コミック」と、外見上の笑いの要因は同じであるが、笑い手の感情としてはまったく違った「笑い」ということである。以下の論では、この「ユーモア」を「共感の笑い」と呼ぶことにする。
織田は、『笑いとユーモア』で扱う「笑い」を「なんらかの“おかしみ”を感じて発するもの」と定義づけている。そのため、笑いの要因が生理的なものである「本能充足の笑い」や笑い手のおかれている状況に笑いの要因が大きく依存した「社交上の笑い」の多くと「期待充足の笑い」「緊張緩和の笑い」等の志水の分類項目は『笑いとユーモア』では扱われていない。
ここまでの論で出てきた中から、落語に関わっているであろう「笑い」を今一度整理しておく。
これまでに出てきたのは、
の六種である。
ここで、「価値逆転・低下の笑い」の中の「価値低下の笑い」と「攻撃の笑い」とを、「他者よりもなんらかの意味で上の立場にたったときに生じる笑い」という共通項により、「優越の笑い」の中へと組み込む。また、「共感の笑い」はさきにも述べたとおり、「優越の笑い」と近い関係にあると考えられる。
「不調和の笑い」を「展開される出来事が普通に予想されるものではなかったときに起こる笑い」と言いかえるとするなら、「価値逆転の笑い」は同様に「普通に予想される出来事と反対の方向に出来事が進んだときの笑い」と言いかえることができる。「価値逆転の笑い」は「不調和の笑い」に統合することが可能である。
これらのことを踏まえ、上記の六項目は、次のようにまとめなおすことができる。
「笑い」をこれら三種に分類したうえで、つぎに進む。
落語は笑いを生む芸ではあるが、それだけではない。
落語は「落としばなし」、つまり、話の最後には「サゲ」を用意し、それまでに話してきた世界を一瞬にしてぶち壊し、聞き手を現実にひきもどす、という形式がそもそもの形である。この「アッ、やられた」という驚きもまた、落語の楽しみのひとつである。この「やられ」方は、おおよそ次の二つに分けることができる。
1を「クズシ型」、2を「ウラギリ型」と呼ぶことにする。どちらの場合にも、聞き手にとって「常識」「普通」となっていた状態から離れたことを提出することになる。前項で書いた「不調和の笑い」が生じることになる。
「クズシ」は、当然のことながら、ひとつの咄の中ではたった一度だけ、最後にしか使えない。「クズシ」によって咄の世界は崩壊するのだから、先を続けるわけにはいかない。古典の「千両みかん」で「番頭、みかんの房三つもってドロンしよった」のあとは無いわけである。聞き手は「そんなアホなことはありえない」と判断し、咄の世界は崩壊する。落語本来の楽しみはこの「クズシ」にあったのだろうが、「千両みかん」のサゲのような上々の表現がそう多くあるわけでもない。
聞き手に「アッ」と言わせる二つ目のものとして、「ウラギリ」がある。こちらは咄の世界を崩壊させるわけではないので、ひとつの咄のり中で幾度も使うことができるし、「クズシ」よりは力が劣るものの聞き手に「アッ」と言わせる点で、サゲにもなりうる。
「クズシ」が働く前提としては、当然聞き手を咄の世界に引き込むことが肝要である。「ウラギリ」が働くには、聞き手が咄の先を予想する、しかも間違った予想を立てることが必要となる。
しかし、咄が予想通り進む場合もまた聞き手は快く感じる。聞き手は咄を聞いている間、「次はこうなるのではないか」という予想を立て、予想が裏切られたときには「不調和の笑い」を催すことは先に述べた。この予想が当たった場合はどうなるのだろう。
聞き手が咄の次を予想している状態は心理的には聞き手の予想通りに咄が進むと、聞き手は一種の安心感を覚える。聞き手が咄の先を予想している間は、聞き手の心は一種の不安定状態にある。予想が当たった場合、予想している間の“不安”状態が“安心した”状態に変わる。「笑い」の項の視点でいうならば、「弱い緊張が緩和された」状態になり、「緊張緩和の笑い」が生じることになる。
つまり、落語の聞き手は立てた予想が当たった場合も外れた場合もある種の快感を得る。咄には聞き手の予想を誘う仕掛けが施されていると考えられる。聞き手は咄の先を予想し、咄が予想通りに展開した場合は「的中」の楽しみを得、予想が大きく外れた場合には「ウラギリ」の楽しみを得ることになる。
落語は一種の物語である。物語の設定要素として「背景」「人物」「事件」の三種が挙げられる。ここではそのうちの「背景」と「人物」とを重点に新作落語の仕掛けを見ていく。
それぞれを以下のように定義しておく。
背景…語られる物語が動く「場」である。時間と空間とを主な基準とする。
人物…物語の中で行動する主体である。「人物」とは書いたが、人とは限らない。この論では発話した人物を考察の対象とする。つまり、発話者の目の前にいるということになっている人物でも、その人物が発話をしていない場合は、考察の対象外とする。発話のない人物は、たとえ他の発話者によって行動の描写がなされていても、人物特性がつかみにくいからである。
人物の設定により、咄の内容は大きく変わる。人物に現実味があるものの場合、聞き手は咄にリアリティーを感じやすくなる。現実離れした人物を登場させた場合は、現実と咄の中の出来事との開きが大きくなり、「不調和の笑い」を生じさせやすくなる。登場人物が現実にいそうな人物か、そうでないかによって、咄の質は大きく変わる。具体例を挙げて説明する。
新作落語の登場人物は、その現実感により、およそ三種に分けることができる。第一はさも現実にいそうなタイプ、第二は現実にいそうな人物のある面を誇張したタイプ、第三は非常に現実離れした言動をとるタイプ、である。
「現実味のある」タイプの人物は、その発言や行動の大半に常識が感じられる。聞き手に安心感と共感とを与えやすい。また、誇張された人物や現実離れした言動をとる人物と組み合わせた際に、聞き手の常識に基づいた意見や感想の代弁者となる。他の2タイプの人物のとった言動が、常識の判断ではおかしいということを指摘し、聞き手の中に生じた違和感を肯定する役割を果たす。異常な言動があった時点で「不調和の笑い」が引き起こされるのだが、聞き手の常識を肯定し、繰り広げられた言動が異常であると改めて判断してみせることにより、聞き手は自分の判断に自信を持つ。聞き手の常識を支える人物がいることにより、より安心した笑いを誘うわけである。
例T 「SAKUBUN」の「夫」と「妻」
夜遅く帰宅した夫とそれを責める妻との対話である。
1 | 妻 | ちょっと待ちなはれ! 今日はな、話があんねん。 |
2 | 夫 | 話が?何やまたむつかしい顔して。 ハハァ、また、流しがつまったんか?それならパイプマン使え。 |
3 | 妻 | なに言うてんのよ。よう、そんな気楽なことがよう言うてんな。 いままで、どこ行ってたんや? |
4 | 夫 | どこ行ってたって?もう、顔がコワイなあ。 出かける時に言うたやないか。今日は商店街の店主懇親会があるからって。 |
5 | 妻 | こんな時間まであるわけないやろ。 |
6 | 夫 | そら、こんな時間まではないわいな。 そやけど、十時くらいまでやっさもっさあってやな。で、帰ろうとしたら、「ちょっとどうです、お疲れさんに一パイ行きまひょか?」いや、わし帰らなあかん」と言うのに、「まあまあ、よろしいがな、よろしいがな」言うて、ほいで、行ったんやがな。 |
聞き手は夫の下手な言い訳に対して共感または優越の笑いを発する。
「誇張された」タイプの多くは、欠点を誇張した設定になっている。「知ったかぶり」の「小松」がその典型である。欠点を誇張したことにより、その人物の行動は聞き手に「優越の笑い」または「共感の笑い」を感じさせやすくなる。
例T 「知ったかぶり」の「小松」
1 | 小松 | で、その中華料理店は、どこの料理を出すのかね。 |
2 | 井上 | へ?・・・・・・何です? |
3 | 小松 | そこは、どこの料理を出すのかね。 |
4 | 井上 | ・・・・・・いや、中華屋ですから中国の料理ですけど。 |
5 | 小松 | 一口に中国って言っても、いろいろあるだろうが。まず中華人民共和国と中華民国、台湾だな。この台湾料理にしても、客家料理とちゅう南料理に分かれている。ちゅう南料理というのは、十七世紀に台湾にやってきた福建省の中国人の料理だ。客家というのは民族の名前で、四、五世紀頃、黄河中下流の平原に住んでいたが、異民族の侵入と王朝の交代で散りぢリになった、そういう流浪の民族だ。ちゅう南料理は、淡くてさっぱりした味つけだが、客家料理は保存食が多いので塩辛い。台湾だけでも一くくりにはできんのだよ、井上くん。 |
「井上」が「小松」を近所のラーメン屋に誘う場面のやり取りである。ここまで知識をひけらかす必要はまったくない。嫌味な性格が誇張された例である。
例U 「たこの仇討ち」の「八っちゃん」
1 | 先生 | そうむくれるな。君は子供時分から「弱気の八ちゃん」と呼ばれとったな。どうや、ちっとは気の弱いのはなおったか。 |
2 | 八 | いや、こういう性格はちっとやそっとではなおりまへんな。 |
3 | 先生 | 仕事は何をしとるんや。 |
4 | 八 | はい。事務器のセールスマンしてます。 |
5 | 先生 | そんな気の弱い君が、セールスマンしとるのか。そんなんで売れるのか。 |
6 | 八 | いや、売れませんねえ。この前も飛び込みセールスしたら、そこがよその事務器あつこうてるセールス会社で。私、ついつい家にファックスつける契約してしまいました。 |
いくら気が弱いといっても、6のようなことは現実には起こらないだろう。気の弱い性格が誇張された例である。
「誇張された」タイプの者同士が対話をすると、そのおかしさはよりいっそうひきたてられる。
例T 「たこの仇討ち」の「八ちゃん」と「主人」
「八ちゃん」は弱気が誇張された人物、「主人」とは、たこ焼き屋の主人で、自分の焼くたこ焼きに大いに自信を持っている。自信過剰で威張り、という誇張のなされた人物である。「八ちゃん」は行こうとしている同窓会が始まるまでの時間つぶしと少しの腹ごしらえのためにたこ焼き屋に入った。たこ焼きを焼く前に「主人」が道具や材料の説明をしている場面である。
1 | 主人 | さて、炭がいこってきました。これを鉄板の下の炉にこう入れまして。これだけの厚い鉄板ですから、熱くなるまでに十五分はかかります。 |
2 | 八 | え。そんなにかかるんですか。同窓会に間に合うかな。 |
3 | 主人 | 同窓会? あなた、同窓会とたこ焼きとどっちが大事なんですか。 |
4 | 八 | そりゃもちろん、ど・・・・・・。 |
5 | 主人 | ん? |
6 | 八 | ・・・・・・たこ焼きですうっ。 |
「主人」の3、5の発言と「八ちゃん」の4、6の発言とが、「八ちゃん」のおかれた状況をより一層ひどいものにし、聞き手はより強い共感または優越の笑いを発する。
例U 「知ったかぶり」の「小松」と「やっちゃん」との対話
「小松」は前述のとおり、知識をひけらかしたがる嫌味な性格が誇張された人物である。「やっちゃん」は、逆に「物知らず」という特性を備えた人物である。
1 | 小松 | えー、早速なんですが、ご説明をさせていただきたいと思います。うちにはいろいろなプランがそろっておりましてですね。お客さま方のニーズに合わせて各種の特約もオプションされるとよろしいんじゃないかと。 |
2 | やっちゃん | あ。あんた風邪でっか。ペンザA持ってきますわ。 |
3 | 小松 | へ?風邪。 |
4 | やっちゃん | いま、くしゃみしなはった。"へっぷしょん"て。 |
5 | 小松 | あ。いや、"へっぷしょん"ではなくて"オプション"です。 |
6 | やっちゃん | ああ・・・・・・、あれね。あれは一回食べたことがありますわ。九州の唐津で。 |
わざわざ外来語を使って保険の説明をしようとする「小松」に対して、「オプション」を知らない「やっちゃん」はかみ合わない返答を繰り返す。嫌味な「小松」がやり込められることと「やっちゃん」の無知に対して、聞き手は笑いを催すことになる。
第三のタイプは、言動が現実離れした人物である。評価基準の「常識から逸脱した」発話の例を挙げる。
例T 「宇宙鯖」の「パペポ 」
「パペポ」は、「地球人の軍事力・兵器の進化度の実態調査」をするために日本人に化け、大阪に潜伏している宇宙人である。「宇宙人」である時点で常識を逸脱している存在であるが、言動もまた聞き手の常識を逸脱している。
1 | パペポ | しかし、地球にきてもう三ヶ月になるけど、わからんことが多過ぎるわい。まあ、わしは調査対象が「地球人の軍事力・兵器の進化度の実態調査」やからええけどな。ちょうどうまいこと湾岸戦争が起こってくれたから、テレビ見てるだけでほとんどの最新兵器の情報がはいったさかいな。使われへんかったんは核兵器と化学兵器くらいかいな。ま、いずれにしても原始的な兵器ばっかりやわな。わしらからみたら、子供のオモチャみたいなもんや。この、オー二夕いうのは、どういう兵器で殺されたんや? “リング外に引きずりおろされ、鉄柱攻撃で額を割られた大仁田は、なおもプエルトリコ軍団の包囲網の中で徹底したイス攻撃にさらされた”か。ふむ。“テッチュウ”いうのは鉄の太い棒のことやな。文献にあった、昔の僧兵が持ってたような、イボイボのついた奴やな。あれ、ふりまわしてどつきよったんかいな。そら、死ぬわな。しかし、“イス”っちゅうのは何やろ。まさか座る椅子やないやろうし。まだまだ資料に漏れがあるな、わしの調査は。こら、まだ星へは当分帰れんな。 |
例U 「BIDAN」の「牛島」
1 | 牛島 | そうか! 松子! 愚かな夫を笑ってくれ! 小百合、バカなおとうさんを笑っておくれ。わしは、山下クンに面目ないッ! 小百合。奥から我が家の家宝の備前長舟の脇差しを持ってきておくれ。おとうさんは、この申し訳に、この場で切腹して果てるつもりだ。その肉でシャブシャブをしてもらおう! |
上の例にあげたような「常識から逸脱」した人物が登場すると、その人物の発話の度になんらかりのギャグを入れることができる。
このタイプの人物と「現実味のある」タイプの人物との対話は、例えば次のようになる。
例T 「宇宙鯖」より「パペポ」(「常識から逸脱した」タイプ)と「やくざ」(「現実味のある」タイプ)との対話
1 | パペポ | パンチ・パーマにサングラス、黒スーツにエナメルシューズ。左の頬に、アゴまで届くごっつい傷跡があるな。でっかいダイヤの指輪はめとるな。おっ、第五指が第二関筋から欠損しとるな。以上特性をデータに照合するなれば。うん、これは間違いない。・・・・・・あのお・・・・・・。 |
2 | やくざ | なんじゃい! |
3 | パペポ | あなた、ご職業はもしかして“ヤクザ”? |
4 | やくざ | な・・・・・・なんやと、われっ!?それがどないしたんじゃいっ。 |
1の発言で対話の相手がやくざであることを聞き手に悟らせ、「あのお…」で聞き手に何らかの期待を持たせる。2のやくざの発言を受け、聞き手はの常識は「恐れる」状況を予想するが、3の発言はそれを大きく裏切り、「不調和の笑い」を誘う。2の「なんじゃい!」は、聞き手に常識に沿った予想を立てやすくさせる働きがあると考えられる。
例U 「BIDAN」より「牛島」(「常識から逸脱した」タイプ)と「山下」(「現実味のある」タイプ)との対話
1 | 牛島 | ちょっと待ちたまえ。キミの前に置いてあるのは、うちの洗濯物ではないか。その証拠にボクの名前が楷書で書いてあるぞ。・・・・・・ハハーン。貴様、この下着を盗むところを松子に目撃されたのだな。うちの妻の松子は、わしの口から言うのもなんだが、天使のような心の持ち主じゃ。松子が泣いて、おまえに改心を勧めたが言うことをきかん。そこで、わしの説教で悔い改めさせようというのだな。今からでも遅くない! 悔い改めて自首しなさい! |
2 | 山下 | ハイ。もうしません。・・・・・なんでやねん。いえ、そうやないんです。私、この洗濯物が、お宅の生垣にひっかかってたんで届けに来たんですよ。だいたい、これ、男物のチヂミのステテコでっせ。こんなもん、盗んで逃げてどないしますねん? |
3 | 牛島 | 黙れ! 変態にセオリーなどがあるものか!婦人の下着を盗むのなら、普通の変態じゃ。男物を盗んでこそ本物の変態じゃ。白状しろ! |
4 | 山下 | つい出来心で・・・・・・。ちがうちゅうのに! 奥さん、泣いてんと説明してくださいよ |
1の発話の内容がすでにかなり常識を外れているため、この時点で笑いを誘う。2の発話の冒頭、「現実味のある」タイプであるはずの「山下」が、「常識から逸脱した」タイプのの「牛島」の発話を受け入れる。それまでのやりとりで聞き手は「山下」が「現実味のある」タイプであると判断しているため、この発言を聞いて違和感を持つが、続く「…なんでやねん。」以下の発言で、その違和感は解消される。違和感を持った時点での軽い緊張が「なんでやねん」で緩和され、笑いが起こる。3から4へかけても、同様のパターンである。
「立場」を「地位」と言い換えたほうがわかりやすいかもしれない。「笑い」を整理する前の志水の分類図をもう一度参照していただきたい。この中の「価値逆転・低下の笑い」に関することである。
「価値低下の笑い」の例として、「朝礼での挨拶を終えた校長先生が台から滑り落ちた」というものを挙げた。地位が高いはずりの校長先生が「滑る」という比較的程度の低い失敗をする。校長先生の地位が「滑った」ことにより、急激に低下し、笑いを誘う。落語でもこの種の笑いの取り方を多用する。一般的に、つまり現実世界での立場や地位の高い人物を登場させ、立場とバランスの取れない程度の低い失敗をさせたり、立場や地位の高さと相容れがたい性格を持たせるのである。
具体例を挙げよう。地位・立場の高い人物として落語に多く登場するのがお坊さん、和尚さんである。人格者で現世の欲とは縁の切れた(はずの)人物として登場する。聞き手もそう期待している人物が、例に挙げるような言動をとることで、「価値低下の笑い」を生む。
例T 「磐若寺の陰謀」より
参拝客も少なく、檀家からの援助も余り得られない磐若寺の住職がなんとか人を寺に呼ぶ方法はないかと見世物師と相談をしている場面。見世物師が寺の裏の池を利用しようと提案したところである。
1 | 和尚 | 池を使うちゅうと・・・・・・。わかった! 釣り堀にする気やな? 鯉とか鮒は居てへんけどもドジョウやナマズは居とるぞ。ついでに、庫裏を普請して料理屋でも開こか。川魚料理『どぼうず』ちゅうて。ハハハ・・・・・・流行るぞ! |
2 | 見世物師 | あのねエ、あんたウソでも坊主やねんさかい、殺生を商売にしてどないしまんねん |
3 | 和尚 | けど、ドジョウを酒に入れてグツグツッと煮あげて食うのんうまいぞ。鍋の中でドジョウがジタバタジタバタ苦しみよる音がしてなァ。ハハハ・・・・・・南無阿彌陀仏 |
4 | 見世物師 | あんた、どんな坊主ですねんな・・・・・・。そやおまへんねん。この池の底には龍が住んでるちゅう伝説を創りまんねんがな |
殺生戒と僧侶との関係は周知のものである。1、3の発言ともに殺生戒に反していることは明らかである。ここで聞き手に対する住職の地位は一挙に低下するわけである。2、4の発言で見世物師が自分より立場が上のはずの住職に対して「あんた」という代名詞を使うことで、聞き手の中での住職の地位の低下は補強される。
例U「どぜう地獄」より
「どぜう地獄」の登場人物は全員僧職のものだが、下にあげる「玄達上人」は、咄の冒頭で「その徳の高いこと近在に知れ渡って」おり、「ウナギを山芋やというて食べるようなナアナアの事は一切しません。ご自身も精進なさいますが、寺のお坊さんの修行もいたって厳しい」とまで紹介された人物である。
小僧の「良念」が先輩格の「恵心」から、食事の豆腐といっしょにどじょうを煮こむよう指示され、殺生戒に背くことも先輩の言いつけを無視することもできずにいたところに現れた「玄達」がことの一部始終を聞いて「恵心」を懲らしめる方策を指示する場面である。
1 | 玄達 | ん、それはな、昨日、檀家が届けてくれたワサビや。沢の流れのきついとこにはえとるのを苦労してとってきてくれたんや。晦日の蕎麦振舞いのときの薬味にしようと思とったんやが、なに、かまうこたない。そのまま皮をむいてな、豆腐一人当て一本ずつ突っ込んどきなはれ。とりたてやさかい、口の中の皮がめくれるほど辛いぞ。ひっひっひっひ。ああっ、全部入れるんやない。わたしのと、お前のとは普通の豆腐にしとくれや。そうそう、豆腐の端でも欠いといて目印にしとくとええな。“どじょう地獄”で精つけようと思たんやろうが、こら“坊主地獄”になるな、ひっひっひっひ。 |
2 | (地) | どのへんが“徳の高い上人さま”なんか、ようわかりませんが、 |
「徳の高い」と紹介された人物であるが、「こら“坊主地獄”になるな、ひっひっひっひ」という発言は、明らかに「徳の高い」ものではない。この発言により、価値の低下が生じる。直後の2による評価により、価値の低下が補強される。
僧侶のほかに「教師」「医者」「銀行員」など、現実世界で人格や知性の求められる職業の登場人物の多くは、この方法で笑いを誘うことになる。
落語には人間以外の生き物も頻繁に登場する。狐や狸や幽霊が登場する咄は数多い。今回分析の対象とした咄にも「幽霊」「河童」「宇宙人」などが登場した。これらの生き物(?)の持つ既存のイメージを裏切ることで「不調和の笑い」を誘う。以下に例をあげる。
例T 「河童」より
1 | 河童 | 申し遅れました。わたい、この川に住んでますカッパでんねん。どーも |
2 | 男 | 愛想はええねんけどね・・・・・・。おまえ、ほんまにカッパ? |
3 | 河童 | そうでんねん |
4 | 男 | ・・・・・・そない言うたら頭に皿もあるし・・・・・・手ェ見せてみ、手ェ・・・・・・。ほんまや、水かきもちゃーんとあるがな・・・・・・。ほ、ほたらほんまもんかいな? |
5 | 河童 | ハイ |
6 | 男 | 『ハイ』はええけどな。それやったら、よけいおかしいで |
7 | 河童 | なにが? |
8 | 男 | おまえら『河のわらべ』と書くぐらいやで。泳ぎは得意なんとちがうんかいな? 河童のくせに溺れてどないすんねんな? |
8の「河童のくせに溺れてどないすんねんな」の通り、河童といえば泳ぎが得意なはずである。その常識を裏切る人物の設定により、「不調和の笑い」を誘う。この「河童」の場合、さらに追い討ちをかける。
9 | 河童 | 普通の人はご存じやないでしょうけどね、河童にも『水河童』と『陸河童』とがおまんねん。で、『水河童』は泳ぎが得意ですし、『陸河童』は相撲が得意でんねん |
10 | 男 | なるほど。河童は相撲が好きやちゅうことも聞いたことがあるなア。ほたら、おまえは『陸河童』のほうやねんな? |
11 | 河童 | そうでんねん |
12 | 男 | と言うことは、相撲のほうはかなり強いんやな? |
13 | 河童 | 『強いんやな』と念を押されますと、ちょっとつらいんですけど・・・・・・ |
14 | 男 | あかんのかいな? |
15 | 河童 | 『陸河童』にも『相撲河童』と『チャンコ河童』がありましてね。私、相撲とるよりは、チャンコ作るか甚句歌うほうが得意になってまんねん |
河童といえば相撲が強い、という常識をも裏切った人物の設定である。9の発言を受け、男が10で期待したように、聞き手も「このカッパは陸河童で、相撲が強いのだろう」と期待する。その上で、15の発言をして裏切る、という念の入れようである。
例U「雨月荘の惨劇」より
取り壊しの予定されている古アパート「雨月荘」には化け物が住んでいて、事業が進まない。化け物退治のため、「心霊学研究所所長」の「鬼小島」が乗り込む。夜通し見張りをしていたところに「幽霊」が現れる。
1 | 鬼子島 | おまえはなんや? 何者じゃ! |
2 | 幽霊 | うらアめエしイや!! |
3 | 鬼小島 | ・・・・・・大きい声やなあ。や、やかましいわい! |
4 | 幽霊 | うらめしやあ!! うらめしやア!! |
5 | 鬼小島 | コラ! |
6 | 幽霊 | なんです? |
7 | 鬼小島 | おまえはなんや? |
8 | 幽霊 | わたしは幽霊! どうぞよろしく! |
9 | 鬼小島 | やかましいわい! ちょっと小さい声でしゃべれ。第一、幽霊てなもんそんな大きい声出して、堂々と出てくるもんやなかろう。そんなんやったら、怖いこともなんともないわい |
「幽霊」といえば、陰気であり、「うらめしや」の声は蚊の鳴くような細い声、と誰もが思っている。その前提を裏切る設定の人物の「幽霊」である。この「雨月荘の惨劇」には、この幽霊のほかにも三人の幽霊が登場するが、それぞれ「狂言師の幽霊」「義太夫語りの幽霊」「いたりあのおぺら歌手の幽霊」であり、いずれも「声がむやみに大きい」という特性を持つ。
第一節では、「人物」の設定での笑いの誘い方を説明した。この項では、笑いを生みやすくするための「背景」と「人物」との組み合わせを説明する。
「背景」と「人物」との組み合わせは、大きく二つに分けて考えられる。「背景」と「人物」との関係が、自然である場合とそうでない場合とである。
「背景」と「人物」との関係が自然である、この二つの関係からは笑いは生まれにくい。背景にあった人物がその背景の中で行動するだけで、とくに説明すべきことはない。この場合、「人物」と「人物」の組み合わせが笑いを生む主な要因になる。
第一項で例としてあげた「SAKUBUN」「知ったかぶり」「たこの仇討ち」「宇宙鯖」「BIDAN」「磐若寺の陰謀」「どぜう地獄」「河童」「雨月荘の惨劇」のいずれも、「背景」と「人物」との組み合わせが自然な型である。
「背景」と「人物」との関係が不自然である場合、人物の言動と場面設定との間にズレが生じることになり、聞き手に「不調和の笑い」を生じさせる機会が多くなる。「背景」と「人物」との不調和としては、次の三つのパターンが挙げられる。
「背景」が現実のある個所を誇張した設定になっており、「人物」は「現実味のある」タイプが多数を占める。人物の言動にある程度の現実感があり、誇張された場においては、そういうこともあるであろう、という聞き手の共感が笑いを誘う。
「誇張」型の典型としては「またも華々しき華燭の典」があげられる。「またも華々しき華燭の典」では、新郎三回目新婦二回目の結婚式、という設定のもとに、だれきった結婚式の様子を写生する。三度目の披露宴に出席した客のしらけ具合がギャグの核になる。「度重なりすぎる再婚」という誇張された設定である。
例T 「またも華々しき華燭の典」より
「またも華々しき華燭の典」では、前述の通り、披露宴の回数に誇張がなされている。この設定をふまえ、登場人物は以下のような言動をとる。
1 | 仲人 | えー、仲人の細川でございます。私、初め、断りましたんや。そない何べんもやってどないすんねんな、言うて。私、今回はもう他の人に頼んでくれ、言いましてんけども、今まで二回うまいこといけへんかったから、三度目の正直や、言うて。私もいろいろと仲人やりましたが、初めてですわ、同じ人三回ゆうのんは。もう、去年につづいて二年連続でっしゃろ。そやから、まあ結婚式あげんのはええけども、ひそやかにやれ、と、私、言うたんですけども、本人が、男としてのケジメつけたい。そない何べんもケジメつけてどないすんねんや、言うたんですが。婿はんの方、つまり新郎の方は、前回、夫婦の間で子宝に恵まれず、新婦さんの方は、前夫との間に三人の子供がございます。七歳をかしらに、七、五、三と、まあ、子供のためにも頑張りたい、と、こう言うんで、子供のためやったらまあ、そうせえやあ、言うて、今度は私、うまいこといくとは思うんですが、もしも今度もダメな場合は、仲人は、ひとつみなさん、持ち回り、ということに・・・・・・。 |
人物が多少正直すぎる、という誇張はあるものの、言動にさほどの歪みは見られない。「三回目の披露宴」という背景と考え合わせ、聞き手は「そういう発言をすることもあろう」と共感するわけである。
例U「ホステス改造論」より
ホステスが免許制度になったら、という咄である。ホステスがお上の手によって制度化されている、という一種の誇張状態になっている。
1 | 客 | いやー、きれいやな。これ終わってから寿司でも食いに行けへんか? |
2 | ホステス | いやあ、そやけど私、今日、免許証忘れてきた。 |
3 | 客 | 免許忘れて来た? かめへんや。もう免許とったんやろ。 |
4 | ホステス | そうかて、ネズミ捕りにつかまったら、免許不携帯で点数減るもん。 |
5 | 客 | 点数減る? ネズミ捕りにつかまるのんか? |
6 | ホステス | うん、今日あたり一斉取り締まりがあるらしいのん。 |
「免許証」「ネズミ捕り」「一斉取締り」などの語と「ホステス」とのギャップが「不調和の笑い」を誘う。
現実では起こらない、または起こりにくい「背景」と「人物」との組み合わせを咄の中で作り出すパターンである。
一般の披露宴会場でやくざの親分がスピーチをすることになる「披露宴」が、この「非現実の組み合わせ」型の典型である。
例T「披露宴」より
やくざの「清二」と組に取材に来ていたフリーライターとが結婚することになった。新婦の関係者には新郎がやくざであることは当然隠されている。組の関係者としては「親分」と「ヤス」との二人以外は披露宴にも招かないという念の入れようである。新郎の職業を隠しつつの、新郎が勤める会社の直属の上司としての「親分」のスピーチである。
1 | 親分 | はなはだ僭越ではございますが、一言お祝いを述べさせていただきます。私事で恐喝でございますが。 |
2 | ヤス | きょうしゅく・・・・・・。 |
3 | 親分 | 恐縮でございますが、私どもの会社、血煙興業は、特殊警備保障を主体とする多角経営企業でございまして。 |
4 | ヤス | おやっさん、ええ調子や。 |
5 | 親分 | (小声で)お前、最初っからこうやってフリガナうっとけよ、全部。 |
6 | ヤス | すんまへん。 |
7 | 親分 | でございまして、専門技術を駆使した独自のノウハウで、地域社会に密着し、地元商店、飲食店の皆さまの日常の安全性の向上につとめておるわけでございます。また、一方では疲労回復のための各種医薬品の販売、あるいは教育的書画・フィルムの販売、娯楽レジャー施設の運営などを介しまして、地元の皆さまのニーズに応え、明日の健全な市民文化の育成に尽力いたしてまいりました。 |
8 | ヤス | よっ! 名人に淀みなしっ。 |
9 | 親分 | いちいちうるさいな。さて、このような弊社の一員として、新郎の清二くんの活躍ぶりは、ひいき目でなく、上司としての私の目を見張らせるものがあります。顧客を深く引きつけて離さない清二くんの営業力は、彼が努力して習得した弁舌の技術もありましょうが、それだけのせいではない。持って生まれた誠実な人柄が、顧客の心を深くとらえて離さないのであります。 |
10 | ヤス | スッポンの清二て言われとるもんなあ。 |
11 | 親分 | 喰らいついたら放さないスッポン・・・・・・。あ、いや。かてて加えて、清二くんの持つ数多くの美点の中で、私が賞賛して止まないのは、彼の人並みはずれた"勇気と忍耐" であります。我々の業界は決して楽しいばかりの世界ではない。ときには非常に危険なエリアへの単身出張を命じられることもございます。過去に清二くんは、広島出張においてそういう困難な任務をみごとに果たしてくれました。その直後、清二くんは北の果ての網走への長期にわたる出張を命ぜられましたが、いやな顔ひとつせず、六年間、立派につとめあげてくれました。彼が、まだ若いにも関わらず弊社の中で占めている重要な地位。これすべて清二くんの勇気と忍耐がもたらしたものであります。 |
スピーチのいたるところでの無理な言い換え、身分を明かせない「親分」の苦労が笑いのもととなる。
例U「仁義なき校争」より
校内の荒れが極まり、校長が
1 | 校長 | 柳、いよいよ、三年一組にのり込んでもらうわけだが、問題の多い組だ。だがな、あのシマだけは失いたくねえんだ。しっかり頼んだぜ。それからな、組員不足でオメエには馴れないだろうが、数学を教えてもらいてえ。 |
2 | 教師(柳) | ヘイ、わかりやした。では・・・・・。 |
3 | 校長 |
あ、待て。若頭、湯のみ茶腕を。 さ、前祝いだ、 一パイやれ。 |
4 | 柳 | おっと。 |
5 | 校長 | おっと? 何だ? |
6 | 柳 |
ヘイ、仕事前の酒は禁じておりやす。 どうぞ、ご勘弁を。 |
7 | 校長 | バカ、酒なんかこんなとこにあるか。給食の牛乳だ。牛乳だから、まあ、酔うこともない。 |
「のり込む」「シマ」「組員」「前祝い」などの語と、「教師が授業をしに教室にいく」という状況とのギャップから笑いが生まれる。
人物の設定は比較的はっきりしているのだが、背景の時代や場所が特定しにくく、また、特定できないことからの笑いを誘う、という型である。落語の時代設定は大抵「いついつの時代」とはっきりとは決めがたいものだが、この型では、「ぼやかされている」のではなく、「混乱」させられている。源平屋島の合戦を描いてあるはずの「生中継 源平」や、「竹取物語」から始まっているはずの「龍さがし」がこの型に分類される。
例T「生中継 源平」
屋島の合戦が始まろうという直前、鎌倉の頼朝邸をレポーターの「梨本」が取材する。
1 | 梨本 |
はいはい、どうも。 "梨本に言いつけるぞ"でおなじみの、梨本でございます。 こちら鎌倉は木立ちに囲まれました閑静なリゾート。その中に、鎌倉殿と呼ばれております頼朝公がおられまする武者所が、しゃれたたたずまいを見せております。 その中で、頼朝公は今朝七時に起き、朝は納豆と味付のり、塩ジャケとワカメの味噌汁、軽くごはん一ぜんにノリタマをふりかけて食べ、その後、屋敷のまわりを約三十分、ジョギングしております。 そして、屋敷にもどり、大広間で大江広元らとブレーン会議を開きまして、屋島問題、石油問題、アフガン問題、アルゼンチン問題について、約三時間ほどミーティング。 昼食をテンヤもののザルソバで済ましたあと、読書、写経を十五分、昼寝を三時間いたしまして、現在、広間で、関係者一同と屋島の様子をモニターテレビで見入っているという状態です。 |
読んでの通り、正しい時代設定などとは無縁の世界である。「屋島問題、石油問題、アフガン問題、アルゼンチン問題」という羅列がこの状況をよく表している。「不自然」という形容ではおいつかないような「不調和」が生じている。
例U「龍さがし」より
「大伴の御行の中納言」が「『かぐや』ちゅう娘」から「もしも、わたしのことがほんまに好きなんやったら、南の海に住んでる龍の首についてる五色の珠を取ってきておくれやす。すかんタコ・・・・・・」と言われ、配下の者に龍の珠の捜索を命じた。「中納言」から直接の命を受けた者が、さらにその下の者に命を下す場面である。ここまでの進行で、咄が「竹取物語」を踏まえていることははっきりしている。
1 | 男イ | ・・・・・・というわけでな、みんなで手分けして龍の珠なる物を捜すことになったんや |
2 | 男ロ | ちょっと待っとくなはれ、番頭はん |
3 | 男イ | 『番頭はん』? わし、番頭か? |
4 | 男ロ | どうやら『中納言』いうてるとこから判断したら、多分時代設定は平安の頃と思うけども、わたい、そんな時代のことよう知りまへんねん。もう、あっさり『番頭』でいきまひょ。その方が、聞いてる人もわかりやすい。なんというても大衆芸能ですから |
5 | 男イ | おまえさん、誰に気イ使うてんねんな。まァ、番頭でもええわ。・・・・・・なんやねん、久七っとん |
6 | 男ロ | ・・・・・・わたし、久七ですか? |
2の発言ですでに「背景」の設定は混乱する。さらに、4の発言で追い討ちをかける。前後の発話状況では4は咄のなかの人物の発言であるはずだが、その内容は話中人物のものなのかどうか判じがたい。ここまで混乱させられると聞き手は笑うしかない。
第一章での「設定」は、主に「笑い」に関わっている。第二章では、咄のおおまかな流れを見る。これは、序章で述べたもう二つの落語の楽しみ、すなわち「驚き」の楽しみと「的中」の楽しみとに大きくかかわる。資料編の咄を参照しながら読み進まれたい。
序章第二節で述べた「驚き」と「的中」とには、聞き手が咄の次の展開を予想する、という前提が必要である。聞き手の予想を促す仕掛けとして「繰り返し」と「仕込み」との二つの方法が考えられる。
野村雅昭 『落語のレトリック』(1996 平凡社)には、五代・古今亭志ん生の「火焔太鼓」での「繰り返し」の例が上げられている(同書p28-29)。これは「火焔太鼓」に登場する道具屋の亭主とその女房との発言の「繰り返し」の例であるが、「繰り返し」は何も発言にのみ現れる仕掛けではない。
以下では「繰り返し」をいくつかのパターンに分け、例示していく。
同じ状況、または似たような状況が同一の咄に繰り返し現れることで、聞き手は咄の先を予想しやすくなる。同じ人物が似たような行動を繰り返す場合と、異なった人物が似たような行動をする場合とでは、同じ「繰り返し」でもその味わいは微妙に変わる。
同じ人物による「繰り返し」の場合、聞き手の予想を誘う働きが強い。
例T「ファミコン丁稚」にみる「繰り返し」
「ファミコン丁稚」は、次のように分割できる。
場面 | 発話番号 | 登場人物(発話者) |
---|---|---|
1 家庭1 | 2-21 | 夫・妻 |
2 丁稚1 芋 | 22-43 | 友吉・常吉 |
3 家庭2 | 44-46 | 夫・妻 |
4 丁稚2 大川 | 47 | 友吉 |
5 家庭3 | 48 | 夫 |
6 見物人 | 49 | 見物人 |
7 家庭4 | 50-54 | 夫・妻 |
8 手代 | 55-75 | 常七・嬢(いと)はん |
9 家庭5 | 76-80 | 夫・妻 |
10 番頭1 | 81-87 | 番頭・十一屋の旦那 |
11 家庭6 | 88 | 夫 |
12 スーパー番頭1 | 89-96 | 番頭・たいこ持ち |
13 家庭7 | 97 | 夫 |
14 スーパー番頭2 | 98 | たいこ持ち |
15 家庭8 | 99-102 | 夫・妻 |
16 スーパー番頭3 | 103-106 | 番頭・旦那 |
17 家庭8 | 107-114 | 夫・妻 |
18 男 | 115 | 男 |
場面1の対話から、場面2へと移ったとき、聞き手はこの丁稚二人の対話を場面1で登場した夫が遊んでいるゲームの中での出来事だと了承する。以降、場面が入れ替わるごとにファミコンゲーム 『船場の丁稚』の中の世界と、そのゲームで遊んでいる夫の世界との往復を繰り返す。場面2での丁稚の失敗の理由を場面3で分析し、克服する。同様のことが場面4から場面6で繰り返され、場面8で「常七」が「嬢はん」と遭遇したときも、聞き手は今までの「お芋さん」や「大川」同様、「常七」または「常七」を操作する「夫」がこの障害を克服すると予想する。この予想は的中し、聞き手は快感を得る。同様の、障害と克服が、場面10から場面11で行われる。聞き手は場面8から場面9にかけての時と同様の「的中」の楽しみを得る。
次に、場面12で「たいこ持ち」からの花見の誘いという障害が登場する。ここでも聞き手はこれまでの何度かの繰り返しから、「番頭」がこの障害を克服すると予想する。似たような状況が繰り返されることで、聞き手は自然とそう予想を立てることになる。場面15の最初の「夫」の発話99(「な、なんや。たいこ持ちが扇子投げだしよったがな。あんなアイテム持ってたんかいな。こら危ない! 逃げエ逃げエ! 逃げんかーい!」)までは予想通りことは進む。が、発話102で、これまでと異なる状況が発生する。「番頭」が障害の克服に失敗するのである。ここで聞き手の予想は外れ、「ウラギリ」型の「驚き」を感じる。
人物が入れ替わっての「繰り返し」には、聞き手の予想を誘うともに、人物の立場が入れ替わったことからくる「価値逆転の笑い」を生むことが多い。
例T「たこの仇討ち」にみる人物が替わった「繰り返し」
「たこの仇討ち」は、次のように分割できる。
場面 | 発話番号 | 登場人物(発話者) |
---|---|---|
1 ミナミ | 2-4 | 八ちゃん・男 |
2 たこ焼き屋1 | 6-108 | 八ちゃん・主人 |
3 薬局 | 109-138 | 八ちゃん・薬局・妻 |
4 同窓会 | 140-232 | 八ちゃん・先生・石原・渡辺・酒井・小島・石原・菅原・神田・大山 |
5 たこ焼き屋2 | 234-318 | 八ちゃん・主人・大山 |
「繰り返し」は、場面2と場面5とで行われる。
場面2では「たこ焼きの店 はっちゃん」のたこ焼きの価格・火・鉄板・つなぎ・蛸などの特徴を「主人」が「八ちゃん」にえんえん説明する。たこ焼きが焼きあがり、いざ食べる段になっての「八ちゃん」の発話94に怒った「主人」が「八ちゃん」を叩き出す。
場面5では友人の相撲取り「大山」を連れてきた「八ちゃん」が「たこ焼きの店 八ちゃん」の特徴を「主人」に替わって説明する。聞き手は場面2を経験しているので、店の特徴は知っている。つまり、「八ちゃん」が次に何を言うかが予想しやすくなっているのである。また、場面2で「八ちゃん」が叩き出される代わりに、場面5では「主人」が音を上げる。終わりの部分の変化がサゲになる。
「繰り返し」の一種であるが、それが短時間に多量になされるのが特徴である。
例T「現代テレビ事情『窓』」にみる「羅列」
「現代テレビ事情『窓』」の発話23-30に同一の人物による「羅列」が見られる。下に表を上げて説明する。
場面 | 発話番号 | 登場人物(発話人物) |
---|---|---|
1-1 桂枝雀 | 23-26 | 部長・田中 |
1-2 竹村健一 | 27-28 | 部長・田中 |
1-3 桂三枝 | 29-30 | 部長・田中 |
ここでは「部長」が「桂枝雀」「竹村健一」「桂三枝」になぜ人気があるのかを説明する。直前の発話21で「意外性しかテレビの前に人をひきつける方法はないんだ。だから、今、受けている人気者は、みんなこういう性質をもったキャラクターなんだ。」と説明したうえで「桂枝雀」と「竹村健一」との人気を「意外性」に結び付けて説明する。発話29で「田中」が「桂三枝」の人気の説明を求める。聞き手は、「田中」同様、今回も「意外性」に基づいた説明がくるものとと予想するが、「部長」の回答は「ルックスがいいから・・」というものであり、聞き手の予想は見事に裏切られる。
例T「たこの仇討ち」にみる、人物が入れ替わっての「羅列」
前掲表2、場面4に人物が入れ替わっての「羅列」が見られる。下の表3を見ていただきたい。
場面 | 発話番号 | 登場人物(発話人物) |
---|---|---|
4-1 発端 | 140-147 | 八ちゃん・先生 |
4-2 石原 | 148-151 | 石原・先生 |
4-3 渡辺 | 153-161 | 渡辺・先生 |
4-4 酒井 | 162-172 | 酒井・先生 |
4-5 小島 | 173-187 | 小島・先生・石原 |
4-6 菅原 | 188-193 | 菅原・先生 |
4-7 神田 | 194-197 | 神田・先生 |
4-8 大山 | 198-209 | 大山・先生 |
4-9 八ちゃん | 210-221 | 八ちゃん・先生 |
4-10 八ちゃん・大山 | 222-232 | 八ちゃん・大山 |
場面4は同窓会の場面で、場面4-2から場面4-9にかけて「八ちゃん」の同窓生の自己紹介が繰り広げられる。司会進行は「先生」が行う。場面4-2から場面4-9では自己紹介をする人物と「先生」との掛け合いが続き、次々に登場する人物がなんらかの形で笑いを誘う。聞き手はそのパターンを受け入れ、「先生」の「もういい。次」という発言を予想するようになる。実際に場面4-2から場面4-7の最後で「先生」が次の人物に自己紹介をするよう発言する。ここまでで、聞き手は「的中」の楽しみを得る。
聞き手は同窓会に「八ちゃん」が出席していることを知っている。出席者全員の自己紹介があるはずなので、当然「八ちゃん」の自己紹介も行われるものだと聞き手は考えている。が、場面4-8の最後、発話209で「先生」は「全員紹介がすんだ」と判断する。「八ちゃん」の自己紹介もあるとの予想はここで裏切られることになる。
例U「現代テレビ事情『窓』」にみる、人物が入れ替わっての「羅列」
「現代テレビ事情『窓』」の発話34-60には、人物が入れ替わっての「羅列」がある。表を上げる。
場面 | 発話番号 | 登場人物(発話人物) |
---|---|---|
2-1 平野 | 34-38 | 部長・平野 |
2-2 河合 | 29-44 | 河合・部長 |
2-3 松田 | 45-52 | 松田・部長 |
2-4 中井 | 53-60 | 中井・部長 |
ここでは「部長」が「平野」「河合」「松田」「中井」の考えてきた企画を聞き、それを否定する、というパターンが繰り返される。どの企画も珍妙なものであり、聞き手は「部長」がそれらの企画を却下することを予想し、実際に咄はそのように展開する。
前節では咄の中で似たような状況が実際に繰り返されるパターンを見た。この第二節では、状況自体は一度しか起こらないが、その前に聞き手の予想を誘う仕掛けがなされている、というパターンを見る。このパターンの多くの場合、問題の状況が発生する前に、登場人物が発話の中で次に何が起こるのかを説明する。このような発話を「仕込み」と呼ぶことにする。
例T「現代テレビ事情『窓』」にみる「仕込み」
「現代テレビ事情『窓』」の「部長」の発話60「この企画はおそらく社運を賭けた企画になるだろう。私の命もかかっている。その代わりにオンエアをしたら、五〇%はまちがいないだろう。いや、七〇%を超すかもしれん。」および発話70「日本全国の人間が、この番組を話題にするぞ」の二つが「仕込み」に当たる。
「部長」の企画「一億円スター誕生」は実行されることになる。発話70を受け、聞き手は「日本全国の人間が、この番組を話題にする」のだろうと予想する。果たして咄はその通りに進む。
「一億円スター誕生」が放送された翌日、番組の視聴率が発表される。発話70が成就しているため、当然の帰結として聞き手は発話60を受け、「高視聴率をあげたのだろう」と予想する。が、結果は「みんな、テレビを見ないで、外へ捜しに出てた」(発話78)ための非常な低視聴率となり、聞き手の予想は裏切られる。
ただし、この発話60の場合、前節の表5で取り上げた「企画の羅列」の続きであると考えることもできる。部下の企画が否定されたように、「部長」の企画もまた失敗するのではないか、と予想を立てることもできる。こちらの予想を立てた場合は「ウラギリ」ではなく「的中」となる。
例U「たこの仇討ち」にみる「仕込み」
「八ちゃん」の発話232「これはええこと聞いた。大山君、ちょっと君にたのみがあるんやがな」が、聞き手の予想を誘う「仕込み」である。
この「仕込み」は全て「主人」の発話312を予想させるものであり、聞き手は「的中」の楽しみを得る。
第一章では「人物」と「背景」との設定を切り口に、第二章では咄の筋の中に現れる「繰り返し」を切り口に、「笑い」と「予想」とを引き出す仕掛けを解説した。ここではこの視点から今回分析対象として用いた37篇の上方新作落語と、いくつかの上方・東京双方の古典落語とを比較する。
表6は、第一章と第二章とで挙げた「人物」「人物×背景」「繰り返し」「仕込み」の仕掛けの主だったもの型と有無とをそれぞれの咄ごとにまとめたものである。
なお、「人物」の「現実味」については、「現実味のある」タイプのみ登場する場合に「現実味のある」と表記した。「現実味のある」タイプとほかの「誇張された」タイプや「常識から逸脱した」のタイプなどがともに登場する咄での「現実味のある」タイプの表記は省略した。「現実味のある」タイプが全く登場しないという咄は無かったからである。
設定 | 筋の流れ | ||||
人物 | 背景×人物 | 繰り返し | 仕込み | ||
現実感 | 立場 | ||||
BIDAN | 逸脱した | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
一八先生 | 逸脱した | 職業 | 自然 | とくになし | あり |
雨月荘の惨劇 | 現実味のある | 非人間 | 自然 | とくになし | あり |
河童 | 現実味のある | 非人間 | 自然 | とくになし | あり |
神頼み−青春篇− | 現実味のある | 非人間 | 自然 | とくになし | あり |
極楽坂の決闘 | 現実味のある | 職業・非人間 | 自然 | 繰り返し | なし |
幸せな不幸者 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
鈴木さんの悪霊 | 現実味のある | 職業 | 自然 | 繰り返し | あり |
だんじり狸 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
磐若寺の陰謀 | 現実味のある | 職業 | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
ファミコン丁稚 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
吉田さんちの…… | 現実味のある | 非人間 | 自然 | 繰り返し | なし |
龍さがし | 現実味のある | とくになし | あやふや | 繰り返し | あり |
悪夢のセールスマン | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
宇宙鯖 | 逸脱した | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
うどん番外地・けつねの墓場 | 逸脱した | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
おかるとかん平 | 逸脱した | 職業 | 自然 | 羅列 | あり |
おげれつ指南 | 逸脱した | 職業 | 自然 | とくになし | あり |
このごろのおじいさん | 逸脱した | 職業 | 自然 | 繰り返し | なし |
知ったかぶり | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
しゃっくり止まらん | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
たこの仇討ち | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
どぜう地獄 | 現実味のある | 職業 | 自然 | とくになし | あり |
吐かせの岩崎 | 誇張された | 職業 | 自然 | 羅列 | あり |
披露宴 | 現実味のある | 職業 | 非現実 | とくになし | なし |
迷い子の達人 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
ゆかの下 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
SAKUBUN | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
大相撲復活の日 | 現実味のある | 職業 | 非現実 | とくになし | あり |
現代テレビ事情「窓」 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
ご対面は涙々のポタージュスープ | 現実味のある | とくになし | 自然 | 羅列 | あり |
仁義なき校争 | 現実味のある | 職業 | 非現実 | とくになし | あり |
新世界へ | 現実味のある | とくになし | 誇張された | とくになし | あり |
セクシーピン句 | 現実味のある | 職業 | 自然 | とくになし | あり |
生中継 源平 | 現実味のある | 職業 | あやふや | とくになし | あり |
ホステス改造論 | 現実味のある | とくになし | 非現実 | とくになし | あり |
またも華々しき華燭の典 | 現実味のある | とくになし | 誇張された | 羅列 | なし |
設定 | 筋の流れ | ||||
人物 | 背景×人物 | 繰り返し | 仕込み | ||
現実感 | 立場 | ||||
野崎参り | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
天王寺参り | 誇張された | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
天神山 | 逸脱した | 非人間 | 自然 | 繰り返し | あり |
いかけ屋 | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し | なし |
市助酒 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
鷺とり | 誇張された | 非人間 | 自然 | 羅列 | あり |
船弁慶 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
七度狐 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 羅列 | あり |
地獄八景 | 逸脱した | 非人間 | 非現実 | 羅列 | あり |
皿屋敷 | 誇張された | 非人間 | 自然 | 羅列 | あり |
設定 | 筋の流れ | ||||
人物 | 背景×人物 | 繰り返し | 仕込み | ||
現実感 | 立場 | ||||
うそつき弥次郎 | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
かつぎや | 誇張された | とくになし | 自然 | 羅列 | あり |
明烏 | 誇張された | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
長屋の花見 | 誇張された | とくになし | 自然 | 羅列 | なし |
三人旅 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
厩火事 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
寝床 | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
千早振る | 誇張された | とくになし | 自然 | 羅列 | なし |
猫久 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | なし |
しわい屋 | 誇張された | とくになし | 自然 | 羅列 | なし |
転失気 | 現実味のある | 職業 | 自然 | とくになし | あり |
出来心 | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
湯屋番 | 誇張された | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
まんじゅうこわい | 現実味のある | とくになし | 自然 | 羅列 | あり |
短命 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
うなぎの幇間 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
そこつ長屋 | 逸脱した | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
酢豆腐 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 羅列 | あり |
悋気の火の玉 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
三方一両損 | 誇張された | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
たがや | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
居残り佐平次 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
目黒のさんま | 現実味のある | 職業 | 自然 | とくになし | あり |
小言幸兵衛 | 誇張された | とくになし | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
宿屋の富 | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
道具屋 | 逸脱した | とくになし | 自然 | 繰り返し・羅列 | あり |
なめる | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | あり |
時そば | 現実味のある | とくになし | 自然 | 繰り返し | あり |
たらちね | 誇張された | とくになし | 自然 | 羅列 | なし |
もと犬 | 逸脱した | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
不精床 | 誇張された | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
芝浜 | 現実味のある | とくになし | 自然 | とくになし | なし |
表6をみていただければ分かるとおり、上方新作落語の大きな特色は“「人物」×「背景」”の項に見られる。とくに、東京古典落語との違いは歴然としている。東京古典落語が、あくまで現実的な舞台設定の上で物語を展開しているのに対して、上方新作落語では舞台となる設定の不自然さを「笑い」を生み出す要素として生かしている、と言える。
また、「人物」の「立場」の項を見ると、東京古典落語では「職業」の「価値低下」は見られるが、「非人間」の「不調和」は見られない。上方古典落語では逆に「非人間」の「不調和」は見られるが、「職業」の「価値低下」は見られない。「非人間」「職業」を具体的い挙げると、「天神山」は「狐」、「鷺とり」は「鷺」、「地獄八景」は「鬼」、「皿屋敷」では「幽霊」であり、「転失気」は「僧侶」、「目黒のさんま」は「殿様」である。今回の研究は上方新作落語を中心に行ったので、古典に関してはサンプルのそろい方に問題があると思われるが、上方古典落語と東京古典落語との一つの違いがここに現れているのかも知れない。上方新作落語になると、「職業」「非人間」ともに出現しており、上方の古典と新作との違いが見て取れる。
続けて表6をご覧いただきたい。上方新作落語では大部分の咄になんらかの形で聞き手の予想を誘う仕掛けが含まれている。上方古典落語では、サンプル数が少ないことも関わっていようが、10篇全てに仕掛けが含まれている。
「繰り返し」「仕込み」ともに無しと判断されているのは、上方新作落語では「BIDAN」「披露宴」「SAKUBUN」、東京古典落語では「湯屋番」「そこつ長屋」「悋気の火の玉」「三方一両損」「たがや」「もと犬」「不精床」「芝浜」である。これらの咄は、聞き手の予想とは離れた部分での楽しみが多いものと考えるべきであろう。たとえば「湯屋番」であれば「若旦那」の妄想癖が笑いを誘う。「BIDAN」に登場する常識を逸脱しきった家族とそれに巻き込まれてしまった青年との対話が笑いを誘う。聞き手の予想を引き出すことは、落語に大切なことではあるが、それが全てではないとい言える。
今回の研究では、「設定」と「筋の流れ」という比較的大きめの切り口をとった。先行研究がすでに細かい部分を済ませていたということと、「型を探る」という目的とに合わせてのことであった。物語を無理なく進めながら聞き手の「笑い」や「予想」を誘う仕掛けのいくつかを明らかにすることはできた。が、切り口が大きすぎて、分析結果が大雑把になってしまった感がある。
例を挙げれば、「仕込み」が咄の前半で行われて咄の最終局面で結実する場合もあれば、「仕込み」と結実とがそう離れずに起こる場合もある。どちらの「仕込み」も聞き手の予想を促すものには違いないが、働きが全く同じであるとは言いがたい。この問題を解決するような分析の仕方、整理の仕方が必要である。
また、「人物」の分類基準が主観的すぎるとも思われる。落語の面白みと常識に対する判断力とは大きく関わっているだろうことは確かだ。この「常識」の範囲のとり方で分類方法はまだまだ何通りも考えられる。全て今後の課題として残った。
もう一つ、終章第一節での比較に東京新作落語が欠如している。現在の新作落語を捕らえようとし、上方新作落語の新しいテキストを集めることはできたが、東京新作落語がテキスト化されているものを見つけることができなかった。テレビ・ラジオ等の放送をチェックしつづけていたが、現時点でも5篇ほどしか手元になく、しかも発表年代は分からない。比較したとして、サンプルがたった5篇では何も言えないので割愛した。
研究したことよりも、残った課題のほうが多い。