場面化のための叙述(1)


〜 判断文・会話描写・心理描写による場面化 〜




野浪正隆

のなみまさたか

0.はじめに


  1. 男は、学生だった。
が小説の冒頭文である場合、この「男は、学生だった。」という文で、場面は成立するだろうか。
 「男は、学生だった。」は、「AはBだ」という判断文に過去のテンスを示す助動詞「た」が加わった文である。男の属性情報(どんな集団に所属しているか)が示されているだけで、男の容姿や動作が示されているのではないから、語り手による説明と解釈するのが普通である。
 物語的文章では、物語現在時であっても過去のテンスを示す助動詞「た」を文末にとる(例:桃太郎は犬にキビ団子をやりました)から、「た」が付いていてもついていないのと同じで「男は、学生である」と同じだという解釈もできる。しかし、「た」が発見の「た」(例:「財布があった、あった。」「太郎が来た、来た」)であるという解釈も可能である。それによって
(太郎は玄関のドアをあけた。明るい戸外に眼が慣れないので、大きな黒い人影としか見えなかった。男であるらしい。徐々に眼が慣れて来た。なんと)男は、学生だった。
というような先行文を読者が想定した場合には、男の容姿などから「男は、学生だった。」と太郎が判断したという文(太郎の心理描写)としての理解が可能である。登場人物の心理描写による場面化が可能である。もちろん、この解釈の可能性は低い。先行文が書かれていないので、読者が相当の想像力を発揮しなければならないのであるから。

 物語的文章は、なんらかの叙述によって場面を作り上げる。その、「場面化のための叙述」を明らかにするのが本稿の目的である。


1 判断文・会話描写・心理描写による場面化

 「机の上に一冊の本があった。」や「山は黒々と聳えていた」などの、事態を描写した文には、机や机を取り巻く空間・山や山を取り巻く空間が、明示・暗示されているので、もっとも場面化が可能である。
 逆に、もっとも場面化されにくいのは、判断文である。判断文の多くは語り手の判断が説明されていて、場面がどうであるかという情報とは異質であるからである。判断文に次いで、会話描写・心理描写も、場面化されにくい。判断文が語り手のものであるのに対して、会話描写・心理描写は、登場人物の判断が述べられる形式であるからである。
 以下、場面化されにくい判断文・会話描写・心理描写において場面化が可能になる場合を、作例によって検討する。


1−1 判断文による場面化

 判断文だけが書かれていて、その判断が登場人物によるものであるという情報が書かれていない場合、それは語り手の判断であって、叙述法上は「説明」「評価」である。そして、「説明」「評価」は、場面化の機能を持たない。
  1. 男は、大阪教育大学の学生だった。
  2. 男は、大阪教育大学の国語専攻の学生だった。
  3. 男は、大きな体をした学生だった。
  4. 男は、小さなリュックを背負った学生だった。
  5. 男は、大きなくしゃみを連発している学生だった。
  6. 男は、「国語学概論」のページをめくっている学生であった。
  7. 男は、先週の国語学概論の時間の終わりに質問をしてきた学生であった。
  8. 男は、先日鶴橋の立ち食い蕎麦を隣ですすっていた学生であった。
  9. 男は、毎日のようにバス停で一緒になる学生であった。
 2・3のように男の属性である「学生」がどんな学生であるのか詳述されていても、場面化にはつながらない。逆に、その詳述は、文が語り手の「説明」であるということを強化する。(脱線:作文指導の中で「詳しく書きましょう」という指示で、描写力をつけようとすることがある。詳しく書こうとする文ができごとを述べる「叙事文」であれば、できごとのありさまを詳しく書くことで描写になっていくが、「記事文(説明や評価)」の場合は、描写になっていかない。)
 4の「大きな体をした」は、可視の属性である(「大阪教育大学の国語専攻の学生」は、不可視の属性である)。このような可視の属性が提示されると、男は見られる対象となりうる。と同時に、男を見る主体が、書かれてはいないけれども、想定可能になる。ただし、「大きな体をしていること」は、「大阪教育大学の国語専攻の学生」と同じく恒常的事実であるから、場面化の機能を持たない(視点人物が目の前にしているわけではないのだ)という理解も可能である。
 5の「小さなリュックを背負った」は、恒常的事実ではない。瞬時の事実とは言えないにしても、ある限られた時間の事実である。このような可視の瞬時の事実が提示されると、ものとしての人物が造形される。ものとしての人物造形は、その人物が存在する時間・空間を想起しやすくさせる。もちろん、それらが明示されているのではないから、不確定であるけれども。
 6の「大きなくしゃみを連発している」は、可視の瞬時の事実である。6は、瞬時の事実が組み込まれたことによって、場面化が可能になった「判断文」である。ここでもう一度6を見てみよう。おかしな文であるという感じを持たないだろうか。
 「大きなくしゃみを連発している」という瞬時の事実と「学生」であるという恒常的事実(所属属性)とが、適合していないのである。「大きなくしゃみを連発している」という瞬時の事実は、眼で見てとらえているのであろう。「学生」であるという恒常的事実(不可視の所属属性)は、何らかの可視の情報によって、そう判断しているのであろう。判断の根拠となる可視の情報は「大きなくしゃみを連発している」ではない。その可視の情報の代わりに、学生であると判断できない「大きなくしゃみを連発している」が書かれていることによって、われわれは、「おかしな文だ」という感じを持つのである。
 7のように「学生である」という判断の手がかりになりうる瞬時の事実「国語学概論のページをめくっている」であれば、文としての不自然さはやや解消する。しかし全く解消するわけではない。不自然さは残る。「国語学概論のページをめくっている」という可視の瞬時の事実だけで「学生である」という判断が下せないからである。
 8は、「先週の国語学概論の時間の終わりに質問をしてきた」学生が眼前にいる学生であるという判断文である。「先週の国語学概論の時間の終わりに質問をしてきた」は物語現在時からは過去の事実であるが、学生であることが最も確かな事実である。眼前の男の容姿から過去の事実を物語現在時に思い出したことが、8に内包されているのである。
 9の「先日鶴橋の立ち食い蕎麦を隣ですすっていた」ことは「学生である」根拠にはならないが、先日の時点で「学生である」という判断が確定しているのである。9は、その人物と眼前の男が同一人物であるという判断である。過去に確定された判断は、根拠を示す必要がなさそうである。
10の「毎日のようにバス停で一緒になる」は、瞬時の事態ではない。「学生である」という判断は、過去の「バス停で一緒になった」ある時で行われている。10も、9と同じく、過去に確定された判断は、根拠を示す必要がないという例である。さらに、その過去の判断は、時の情報が欠如していても確定するという例である。

まとめ 判断文が場面化の機能を持つ条件

 ・判断の主体が登場人物であると推測できるような以下の条件を持つ場合


1−2. 会話描写による場面化

  1. 「はい、わかりました」
    「じゃ、よろしく」
 学生が書いた小説の中には、1のように会話描写だけで書かれている部分・会話描写と心理描写だけで書かれた部分がある。それを読んでいると、場面が見えてこない場合が多い。会話描写だけでは場面化が不可能なのであろうか。
  1. 「はい、わかりました」と言って、男は頭を下げた。
    「じゃ、よろしく」
  2. 「はい、わかりました」と言って、男は頭を下げた。
    「ほんとうに、わかっているんでしょうね。」
  3. 「はい、わかりました」と言って、男は頭を下げた。
    「ほんとうに、わかっているんでしょうね。」
    声を荒らげて、女は立ち上がった。
  4. 「はい、わかりました」と言って、男は窓から入り込んだ夕陽に照らされた頭を下げた。
    「ほんとうに、わかっているんでしょうね。」
    声を荒らげて、女は立ち上がった。
 2のように「男は頭を下げた。」という可視の行動描写が付加されている場合は、1の会話描写だけの場合よりも場面化が可能になる。ただ、それで充分な場面化が可能であるとは言えないけれども。
 3のように会話描写「ほんとうに、わかっているんでしょうね。」によって会話主体の心理が推測できる場合は、2よりも場面化が可能である。ただし、ここでの場面化は物理的な場面化(その場面はどのような空間か、どのような時間かということがわかる)ではなくて、心理的な場面化(その場面の登場人物がどのような心理状態にあるかがわかる)である。
 4では、可視の行動描写「声を荒らげて、女は立ち上がった。」が付加されたことによって、物理的場面化がより可能になり、加えて、その行動描写からも登場人物の心理が推測可能なので、3よりも確実な心理的な場面化が可能になっている。(心理的場面化に二つの手がかりがあることは、確実であるともいえるし、冗長であるともいえる)
 5は、連体修飾成分「窓から入り込んだ夕陽に照らされた」が付加されている。「窓から入り込んだ夕陽」という部分で、空間が室内であることがわかるし、「夕日」によって一日のうちの時間帯「夕刻」がわかるし、「照らされた」を被害の受身と解釈すれば登場人物の立場「悲惨な」がわかる。物理的場面化と心理的場面化がいっそう可能になっているといえる。

まとめ 会話描写が場面化の機能を持つ条件



1−3.心理描写による場面化

  1. 男は、不満だった。
  2. 男は、自分の境遇に不満だった。
  3. 男は、自分の能力を認めてくれない現在の境遇に不満だった。
  4. 男は、自分の能力を認めてくれない現在の境遇に不満をつのらせた。
  5. 男は、自分の能力を認めてくれない現在の境遇に不満をつのらせて、「ばかやろう」と言った。
  6. 事務所は静寂に包まれていた。職員達は、それぞれの机の上の書類に没頭している振りをしていた。職員達の意識は、割れた硝子のひび割れのように、課長の前に立っている男に集まっていた。
    男は、自分の能力を認めてくれない現在の境遇に不満をつのらせて、「ばかやろう」と言った。
 1は、男の心理の恒常的状態が述べられていて、心理を叙述した文ではあるが、描写というには抵抗がある。恒常的状態を叙述する「記述」であるか、男の属性を叙述した「説明」であるという解釈のほうが抵抗が少ない。
 2・3は、「不満」の原因「自分の能力を認めてくれない」「自分の境遇に」が付加されている。「1.判断文による場面化」の2・3と同じで、男の「不満」がどんな不満であるのか詳述されていても、場面化にはつながらない。逆に、その詳述は、文が語り手の「説明」であるということを強化する。
 4は、恒常的状態「不満だった」が瞬時の変化「不満をつのらせた」に変わった文である。叙述されている時間の幅が狭くなったことで、「描写」としての解釈が可能になっている。そして、「心理の場面化」が可能である。ただし、「三ヶ月の間、徐々に」という句を文の前に置けば、事態の要約的「記述」になってしまうけれども。
 5には、瞬時の会話描写「「ばかやろう」と言った。」が付加されていて、男の心理の恒常的状態が瞬時の変化を起こしたことが具体化している。4よりもいっそう「心理の場面化」が可能である。
 6には、「物理的場面化」を可能にする、「事務所は静寂に包まれていた。」や、他の登場人物の行動描写や心理描写が付加されていることによって、「物理的場面化」「心理の場面化」両面から場面化が可能である。
 ここでもう一度6を見てみよう。おかしさを感じないだろうか。
2文目の「職員達は、それぞれの机の上の書類に没頭している振りをしていた。」は、職員達の行動描写である。「没頭している振りをしていた。」には、職員達の心理が読み取れる。3文目の「職員達の意識は、割れた硝子のひび割れのように、課長の前に立っている男に集まっていた。」は、職員達の心理描写である。2・3文によって、職員達の心理による場面化が成立する。視点が職員達にあって、男を対象として見ているという場面化である。ところが、4文目「男は、自分の能力を認めてくれない現在の境遇に不満をつのらせて、「ばかやろう」と言った。」は、男の心理描写と会話描写である。2・3文で成立した場面化からは、男の心理描写は期待されていなかったのに、現れたのである。期待されていたのは、
6’男は、顔を紅潮させたかと思うと、突然「ばかやろう」と叫んだ。
というような、職員達の視点からとらえた男の姿や行動の描写であろう。

まとめ  心理描写が場面化の機能を持つ条件



2 おわりに

 判断文・会話描写・心理描写による場面化について、いくつかのことがわかった。それぞれのまとめで書いたので、詳細を繰り返して書かないが、
以上4つが場面化と関係していることがわかった。
 視点は、場面化とも関係するし、「描写」という叙述法とも関係する。
 心理的場面は、視点と関係する。場面化しなくても、語り手の視点や準語り手としての登場人物の視点が成立するからである。

 事物描写・行動描写は、場面化可能な叙述であるが、それはいつでも可能というわけではない。要約的な記述である事物行動の叙述は、場面化しないからである。瞬時性と関係して、事物描写・行動描写が場面化の機能をもつ仕組みを次の研究で明らかにしようと思う。

nonami@cc.osaka-kyoiku.ac.jpに、ご感想をお送り下さい。
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