物語的文章の冒頭表現にはどのような機能があるだろうか。
今回は、時代小説を対象にして、冒頭表現の機能がどのような叙述によって実現されているかを探ってみよう。
叙述分析は、文ごとに、叙述法(どのように書いているか)と、そのような叙述法で書かれている叙述内容(何が書かれているか)について行う。
叙述法は、「描写」「記述」「説明」「評価」に分ける。一つの文全体が一つの叙述法で書かれている場合もあるが、そうでない場合は、文を部分に分けて、行う。
文 | 本文 | 描写 | 記述 | 説明 | 評価 |
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1 | 海坂藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷には見られない特色がひとつあった。 | 組屋敷 | |||
2 | 組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていることである。 | 小川 組の者の行動 | ことである | ||
3 | 城下からさほど遠くはない南西の方角に、起伏する丘がある。 | 丘 | |||
4 | 小川はその深い懐から流れくだる幾本かの水系のひとつで、流れはひろい田圃を横切って組屋敷がある城下北西の隅にぶつかったあとは、すぐにまた町からはなれて蛇行しながら北東にむかう。 | 小川 | 小川 | ||
5 | 末は五間川の下流に吸収されるこの流れで、組屋敷の者は物を洗い、また汲み上げた水を菜園にそそぎ、掃除に使っている。 | 組の者の行動 | 小川 | ||
6 | 浅い流れは、たえず低い水音をたてながら休みなく流れるので、水は澄んで流れの底の砂地や小石、時には流れをさかのぼる小魚の黒い背まではっきりと見ることが出来る。 | 砂地や小石 小魚の黒い背 | 小川 | ||
7 | だから季節があたたかい間は、朝、小川の岸に出て顔を洗う者もめずらしくはない。 | 組の者の行動 | |||
8 | 市中を流れる五間川の方は荷船が往来する大きな川で、ここでも深いところを流れる水面まで石組みの道をつけて荷揚げ場がつくってあり、そこで商家の者が物を洗うけれども、土質のせいかそれとも市中を流れる間によごれるのか、水は大方にごっている。 | 五軒川 | 五軒川 | ||
9 | その水で顔を洗う者はいなかった。 | 人物行動 | |||
10 | そういう比較から言えば、家の裏手に顔を洗えるほどにきれいな流れを所有している普請組の者たちは、こと水に関するかぎり天与の恵みをうけていると言ってもよかった。 | そういう比較から言えば、 | 天与の恵み | ||
11 | 組の者はそのことをことさら外にむかって自慢するようなことはないけれども、内心ひそかに天からもらった恩恵なるものを気に入っているのだった。 | 組の者の心理 | |||
12 | 牧文四郎もそう思っている一人である。 | 主人公心理 | |||
13 | 文四郎は玄関を出ると、手ぬぐいをつかんで家の裏手に回った。 | 主人公行動 | |||
14 | 万事に堅苦しい母は、家の者が井戸を使わず裏の流れで顔を洗うのをはしたないと言って喜ばないけれども、文四郎は晴れている日はつい外に気をひかれて小川のそばに出る。 | 人物行動 主人公行動 | |||
15 | 父だって時どきは小川で顔を洗い、大声で近隣の者と挨拶をかわしたりするのだからかまわないだろうと思っていた。 | 主人公心理 | |||
16 | 文四郎は牧の家の養子で、母親が実父の妹つまり叔母なのだが、文四郎はどちらかというと堅苦しい性格の母親よりも、血のつながらない父親の方を敬愛していた。 | 主人公心理 | 主人公身分 | ||
17 | 父の助左衛門は寡黙だが男らしい人間だった。 | 主人公心理 | 男らしい人間 | ||
18 | 普請組の組屋敷は、三十石以下の軽輩が固まっているので建物自体は小さいが、場所が城下のはずれにあるせいか屋敷だけはそれぞれに二百五十坪から三百坪ほどもあり、菜園をつくってもあまるほどに広い。 | 組屋敷 | |||
19 | そして隣家との境、家々の裏手には欅や楢、かえで、朴の木、杉、すももなどの立木が雑然と立ち、欅や楢が葉を落とす冬の間は何ほどの木でもないと思うのに、夏は鬱蒼とした木立に変わって、生け垣の先の隣家の様子も見えなくなる。 | 組屋敷 | |||
20 | 文四郎が川べりに出ると、隣家の娘ふくが物を洗っていた。 | 主人公行動 人物行動 |
1文は、場所(海坂藩普請組の組屋敷)の説明である。特色の内容は示さないので、小サスペンス発生。
2文は、場所(小川)の様子の記述+組の者の行動記述をつかった説明である。1文で発生した小サスペンスは「一応」解消。
3文は、場所(丘)の存在の記述である。3文が組屋敷や小川や組の者を話題にしているのではなく、「丘」を話題にしているのだが、1・2文が場所の説明であったので、違和感はない。具体層の話題は連鎖していないが、抽象層の話題は連鎖している。そして、組屋敷と小川という限定された空間から少し離れた丘(4文で述べる川筋の起点)に対象を移すことで、空間の広がりを地理的に示している。
4文は、小川についての説明と小川の流れの記述である。
5文は、小川についての説明と組屋敷の者の恒常的な行動の記述である。
6文は、小川についての説明であるが、「流れの底の砂地や小石、時には流れをさかのぼる小魚の黒い背」は、水の澄み方の程度を示すとともに、描写性の高さから、それらを好ましく見る視点人物を想定させる。(「流れの底や小魚を見ることができる」と原文とを比較すれば、描写性の高さが分かる)
7文は、組屋敷の者の恒常的な行動の記述。
8文は、五軒川の説明と様子の記述。小川と五軒川との対比である。
9文は、人物の行動の記述。組屋敷の者とそれ以外の人との比較である。
10文は、組屋敷の者と小川の関係の記述とそれに対する語り手の評価「天与の恵み」である。
11文は、組屋敷の者の恒常的心理の記述である。
12文は、主人公の恒常的心理の記述である。主人公文四郎と組屋敷の者との恒常的心理が共通している(身分的にはもちろん、心理的にも組屋敷の人間である)ことを示している。
13文は、主人公の行動描写。
14文は、母の恒常的行動の記述+主人公の恒常的行動の記述。主人公を行動の描写で登場させた場合、主人公の説明や行動描写が後続する場合が多いのであるが、ここでは、11文(もっと遡れば5文)の叙述法に戻っている。
15文は、主人公の恒常的心理の記述。父の恒常的行動記述を含んでいる。
16文は、主人公の身分の説明(養子)+主人公の恒常的心理の記述。
17文は、主人公の恒常的心理の記述とも読めるし、語り手による評価「寡黙だが男らしい」とも読める叙述。15・16文が主人公の恒常的心理の記述であるし、16文での「敬愛していた」の理由「寡黙だが男らしい」なので、主人公の恒常的心理の記述であると考えるのが自然であろう。
18文は、場所(組屋敷)の説明。14〜17文が主人公と父母を話題としていたのに、また、場所の説明である。話題としては1・2文の続きになる。
19文は、場所(組屋敷)の恒常的状態の記述である。
20文は、主人公の行動の描写+他の登場人物の行動描写。もちろん「隣家の娘ふくが物を洗っていた」のを主人公の視点でとらえたという描写である。「隣家の娘ふくが物を洗っているのが見えた」の「見えた」を省略した叙述である。19文が場所恒常的状態の記述であって、一回的状態の描写でないので、場面としては不十分な作りであるのだが、そこに主人公を登場させることで、主人公の行動や主人公の視点でとらえた他の人物の様子がより前景化すると言える。
1〜20文は大きく四つに分かれる。
1〜11文 | 小川と組屋敷の者の関係を主に説明する |
12〜17文 | 主人公と父母の関係を主人公の心理記述で示す |
18・19文 | 組屋敷の様子を説明・記述する |
20文 | 主人公の行動を描写し、主人公の視点で他の人物の様子をとらえる |
場所と人々の関係という大きな範囲の説明から入り、家族関係というより小さな範囲を主人公の心理記述で示し、場面をぼんやりではあるが設定しておいて、主人公の視点を明らかにするという「広〜狭」の配列が見て取れる。それは単に人間関係を示しているだけでなく、組屋敷の人々や父の思いと主人公の心理が共通していることを示す。
「主人公はこういう人間だ」と直接に説明するのではなく、場所や人々とともにあることを、記述によって示している。
本文 | 描写 | 記述 | 説明 | 評価 | |
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1 | 浅草雷門を自の前にひかえた並木町通り、観音さまのおかげで盆も正月もなく一年中人出でにぎわう町筋である。 | 並木町通り | |||
2 | 早春の晴れた八ツ(午後二時)下がり、変名を花笠浪太郎、つまり、あってもなくてもいい流れ者だと自分からとぼけてしばらく田舎へ身をのがれていた慎太郎は、すっかり田舎浪人になりきって、三年ぶりでぶらりと江戸の地を踏むと、足は田舎者らしく自然と観音さまへと向いていた。 | 時 主人公心理 主人公行動 | |||
3 | そして、さすがに繁盛の地だなと感心してぽかんと人の流れをながめて歩いているのだから、これが三年前までは江戸の旗本の子弟の中でも相当秀才として知られ、三男坊だから養子の口が降るようにあった青年だとは、ちょいとだれも気がつくまい。 | 主人公行動 | 主人公身分 | ||
4 | 「こらっ!」 | 会話 | |||
5 | どこかでそんな声がしたと思うと、その人の流れが前方から急に波立ちはじめた。 | 人の流れ | |||
6 | と見る間にその入ごみの中を泳ぐようにくぐり抜けてきたつぶし島田の水際だった年増女が、 「助けてください」いきなり慎太郎の胸へどすんと体ごとぶつかってきて、むらがるような脂粉の香を振りまきながらするりと背後へすり抜け、男の体を盾にとるようにして腰へつかまってしまった。 | 人物行動 会話 行動 | 水際だった | ||
7 | 「まてっ、女」 | 会話 | |||
8 | とたんに、往来の者を突きのけかき分け、血眼になって慎太郎の前へ飛び出してきたのは勤番者と見える二人づれで、「じゃまだ、貴公、どいてくれ」先に立ったのっぽの方が、どううろたえたか、いまにも抜刀しそうなかっこうをするのである。 | 人物行動 会話 人物行動 |
1文は、並木町通りの説明である。どんな町筋であるかを恒常的事態として説明している。ただし、「浅草雷門を自の前にひかえた並木町通りは、」でなく「浅草雷門を自の前にひかえた並木町通り、」という体言止めによって、描写性を持つ(その場所を知っていたり、想像できる読者にとっては。朗読する際には「並木町通り、」で長めの間をとることになるだろうが、それはこの描写性を高めようとする意図による)が、「並木町通り(は)……一年中……(ドンナ)町筋である」という恒常的事態にまとめて、状況の一部(場所)を説明という叙述で設定しているといえる。
2文は、「早春の晴れた八ツ(午後二時)下がり、」という時の成分から始まっていて、状況の一部(季節・時刻・天候)を設定し、「あってもなくてもいい流れ者だと自分からとぼけて」という語り手による慎太郎の心理の記述と、「しばらく田舎へ身をのがれていた」「すっかり田舎浪人になりきって、三年ぶりでぶらりと江戸の地を踏むと、足は田舎者らしく自然と観音さまへと向いていた。」という主人公の行動の記述によって、主人公「慎太郎(花笠浪太郎)」の境遇を設定している。
3文は、「さすがに繁盛の地だなと感心してぽかんと人の流れをながめて歩いている」という行動の記述を根拠として、「これが三年前までは江戸の旗本の子弟の中でも相当秀才として知られ、三男坊だから養子の口が降るようにあった青年だとは、ちょいとだれも気がつくまい。」という語り手の説明によって、主人公の境遇情報を補足している。
4文は、「こらっ!」という怒声の会話描写。誰が発した分からない。小さなサスペンスである。この描写によって、「浅草並木町の早春の晴れた八ツ(午後二時)下がり」が場面として立ち上がる。
5文は、「どこかでそんな声がしたと思うと、」の思う主体や、「その人の流れが前方から急に波立ちはじめた。」という群衆を見ている主体が、語り手か主人公慎太郎か不明である。1〜3文で主人公としての設定はしていても視点人物としての設定(心理描写・風景描写によって)をしていないからである。ともあれ、短時間に生じている一回的事態であるから、描写には違いない。
6文は、年増女の行動描写・会話描写。「つぶし島田の水際だった」「むらがるような脂粉の香を振りまきながら」によって、年増女の人物設定を行っている。
「くぐり抜けてきた」「ぶつかってきて」「背後へ」という方向を示す語句によって、視点人物が主人公慎太郎であることを示している。(「男の体」は、慎太郎の視点からは変な表現であるが、「体」だけでは誰の体か分からないし、「慎太郎の体」では直前に「慎太郎」が出ていて冗漫であるし、かといって他に適当な表現がないという苦しい表現である。)
「どんな女なのか?」「なぜ怒声を浴びせられているのか」というサスペンスを追加している。
7文は、4文と同様で怒声の会話描写。誰が発した分からない。小さなサスペンスである。
8文は、「勤番者と見える二人づれ」の行動描写・会話描写。4・7文のサスペンスが解消する。
1〜8文は二つの部分に分かれる。
1〜3文 | 記述・説明によって、場所・時間・主人公を設定する |
4〜8文 | 描写によって場面を立ち上げ、主人公以外の登場人物の設定を含みつつ、行動・会話描写によって、事件を展開していく部分。視点人物を設定する。読者を引きつけるために、情報を伏せておくことによるサスペンスを作り・追加し・解消する |
本文 | 描写 | 記述 | 説明 | 評価 | |
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1 | 明和九年(一七七二)四月下旬、豊後関前城下と関前湾を遠くにのぞむ峠道で三人の若い武士が涼をとっていた。 | 時・所人物行動 | |||
2 | 山は夏の色合いに染められ、浅緑の木立ちの上を吹き技ける海からの風が、二百六十里(千四十キロ)の旅をしてきた若者たちの旅塵を清めてくれた。 | 風景 | 人物行動 | ||
3 | 「こうしておると江戸の暮らしが嘘のようじゃな」 | 会話 | |||
4 | 所出慎之輔はそう言うと草叢の中に体を投げ出した。 | 人物行動 | |||
5 | 御先手組の組頭を務める慎之輔は二十八歳。 | 身分 | |||
6 | 代々三百八十石をいただく。 | ||||
7 | ただ一人の妻帯者で、関前には妻の舞が待っていた。 | ||||
8 | 「慎之輔の弱みは存分に掴んでおるからのう。出世してもおれには無理は申すまい」 | 会話 | |||
9 | 小林琴平は二十七歳、舞の兄にあたる。 | 身分 | |||
10 | 戻れば中気にたおれた父に代わり、納戸頭として家禄二百五十石を雄ぐことが決まっていた。 | ||||
11 | 「琴平、所帯持ちを脅すのはよくないぞ」 | 会話 | |||
12 | 坂崎磐音も同じ二十七歳、中老職六百三十石の長子である。 | 身分 | |||
13 | 磐音も早晩、父親の後を継がねばならない身だ。 | ||||
14 | 三人は関前城下にある藩の剣道場、神伝一刀流の中戸信雄の門下生として幼少の頃より木刀を交え、遊びも学問も共に付き合ってきた仲だ。 | 三人の間柄 |
1文は、登場人物の行動記述によって、時「明和九年(一七七二)四月下旬、」・所「豊後関前城下と関前湾を遠くにのぞむ峠道」・人物「三人の若い武士」を設定している。
2文は、風景の描写「山は夏の色合いに染められ、浅緑の木立ちの上を吹き技ける海からの風」と人物の行動の記述「二百六十里(千四十キロ)の旅をしてきた若者たち」によって、1文で設定した所・人物について情報を付加している。まだ視点人物設定をしていないので、「清めてくれた」という受益表現があっても、視点は若者達にはないし、風景も若者達がとらえているというよりは語り手がとらえて描写しているといえる。
3文は、誰かの会話描写。小さなサスペンスを作っている。
4文は、会話の主の行動描写。サスペンス解消。
5〜7文は、所出慎之輔の身分の説明。
8文は、誰かの会話描写。小さなサスペンスを作っている。
9〜10文は、小林琴平の身分の説明。サスペンス解消。
11文は、誰かの会話描写。小さなサスペンスを作っている。
12〜13文は、坂崎磐音の身分の説明。サスペンス解消。
14文は、三人の間柄の説明。
1〜14文は三つの部分に分かれる。
1〜2文 | 記述による、時・所・人物の設定 |
3〜13文 | 会話・人物行動の描写と人物の身分の説明を三人分繰り返す。会話描写は人物紹介のきっかけを作っている |
14文 | 三人の間柄を説明することで、1〜14文をまとめている |
本文 | 描写 | 記述 | 説明 | 評価 | |
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1 | 落ちついている。 | 声 | |||
2 | 声が、である。 | ||||
3 | その乞食は、御所の紫宸殿のやぶれ築地に腰をおろし、あごを永正十四年六月二十日の星空にむけながら、夜の涼をとっていた。 | 時・所人物行動 | |||
4 | 風は、しきりと動いている。 | 風景 | |||
5 | 御所とはいえ、もはや廃墟といっていい。 | 御所 | 廃墟 | ||
6 | 風は、弘徽殿、北廊、仁寿殿の落ちた屋根、朽ちた柱のあいだを吹きとおりつつ、土塀の上の乞食のほおをなぶっていた。 | 風景 | |||
7 | 世は、戦国の初頭。―― | 時代 | |||
8 | 「国主になりたいものだ」と乞食はつぶやいた。 | 会話 | |||
9 | ひとがきけば狂人とおもうだろう。 | 一般的評価 | 狂人 | ||
10 | が、乞食は大まじめである。 | 主人公行動 | 大まじめ | ||
11 | 事実、この夜のつぶやきは、日本史が永久に記憶しなければならなくなった。 | つぶやき | 永久に記憶 | ||
12 | 「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」 | 会話 |
1・2文は、「声」に対する語り手の評価(冒頭に語り手の評価があるのは、特異である)。声の内容についてのサスペンス発生。
3文は、時・所・人物の行動描写。「その乞食」と身分を含めている。(「永正十四年六月二十日」という日付の記述も、特異である。)
4文は、風景の描写。3文の「夜の涼」の構成要素「風」を具体化するという情報付加である。
5文は、所についての情報付加であるが、語り手の評価「御所は廃墟だ」である。
6文は、風景の描写。所についての情報を付加したうえで、「土塀の上の乞食のほお」に戻る。
7文は、時代の説明「世(物語の現在ガ)は戦国の初頭デアルコト」である。
8文は、会話描写。聞き手は語り手。1文で発生した声の内容についてのサスペンス解消。
9文は、つぶやきに対する一般的評価をのべるという説明。
10文は、「乞食は大まじめ(でつぶやいている)」という「ウナギ文」。行動描写文である。1・2文の「落ちついている。声が、である。」という評価が「大まじめ」を補強している。
9・10文は、評価を含んでいる。つぶやきの主である乞食に対する一般的評価「狂人」と乞食自身の心理状態「大まじめ」を対比している。
11文は、語り手の評価。「日本史」という物語世界から離れた基準を持ち出しての評価である。なぜ「日本史が永久に記憶しなければならないつぶやきなのか」という大きなサスペンスを発生している。とともに、「つぶやきの主は誰か」というサスペンスを発生している。
12文は、会話描写。
1〜12文は、二つの部分に分かれる。
1〜6文 | 夜の涼をとる乞食の姿の描写と声や御所に対する語り手の評価である。ここでの評価は、物語世界に存在する事物に対する説明的評価である。 |
7〜12文 | 「国主になりたいものだ」「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」という声の内容の描写と、その内容に対する一般的評価や日本史を基準とした評価(=物語世界外からの)である。 |
本文 | 描写 | 記述 | 説明 | 評価 | |
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1 | 冷たい風に、竹藪がそよいでいる。 | 風景 | |||
2 | 西にひろがる田圃の彼方の空の、重くたれこめた雲の裂目から、夕焼けが滲んで見えた。 | 風景 | |||
3 | 石井戸のあたりに先刻から、鷦鷯がしきりに飛びまわってい、澄みとおった声でさえずっているのを、この家の若い主は身じろぎもせずに眼で追っていた。 | 鷦鷯 人物行動 | |||
4 | まるで巌のようにたくましい体躯のもちぬしなのだが、夕闇に浮かんだ顔は二十四歳の年齢より若く見え、浅ぐろくて鞣革を張りつめたような皮膚の照りであった。 | 人物静態 | |||
5 | 若者の、濃い眉の下の両眼の光が凝っている。 | 人物静態 | |||
6 | 小さくて敏捷なみそさざいが数羽、飛び交っているうごきを飽きもせずに見入っているのだ。 | 鷦鷯 人物行動 | |||
7 | 台所から根深汁(ねぎの味噌汁)のにおいがただよってきている。 | 根深汁 | |||
8 | このところ朝も夕も、根深汁に大根の漬物だけで食事をしながら、彼は暮していた。 | 人物行動 | |||
9 | 若者の名を、秋山大治郎という。 | 呼称 | |||
10 | 荒川が大川(隅田川)に変って、その流れを転じようとする浅草の外れの、真崎稲荷神社に近い木立の中へ、秋山大治郎が無外流の剣術道場をかまえてから、そろそろ半年になろうか。 | 所 人物行動 | |||
11 | 「これからはな、お前ひとりで、何も彼もやってみることだ。おれは、もう知らぬよ」 | 会話 | |||
12 | こういって父の秋山小兵衛が、ここへ十五坪の道場を建ててくれた。 | 人物行動 | |||
13 | 廊下をへだてて六畳と三畳二間きりの住居があっても、道具類はほとんどない。 | 住居 | |||
14 | 食事の仕度は、近所の百姓の女房がしてくれる。 | 食事の支度 | |||
15 | 台所から出て来た、その女房が井戸端に立ちつくしている大治郎の前へ来て、手まねで夕飯の仕度が出来たことを告げるや、振り向きもせずに帰って行った。 | 人物行動 |
1文は、風景描写。誰が風景を見ているかは不明。語り手かまだ登場していない視点人物か。
2文は、風景描写。時刻を「夕焼け」で示している。所の情報「西にひろがる田圃」が示されている。「重くたれこめた雲の裂目から、夕焼けが滲んで見えた。」は「重くたれこめた雲の裂目に、夕焼けが滲んでいた。」とも書ける。「見えた」主体を意識させる文末である。誰が見ているのかという小サスペンス発生。
3文は、風景描写が組み込まれた人物の行動描写。「この家の若い主」が「眼で追っていた。」ので、小サスペンス解消。鷦鷯を見る様子が、なぜ「身じろぎもせずに」なのかというサスペンス発生。
4文は、人物の静態説明。視点人物を提示した直後に、人物を見る語り手の説明があるのは、視点人物本位に(語り手はできるだけ目立たせないで)物語を展開するのではなく、語り手が主人公を描くことで物語を展開するという物語作法によるものか。
5文は、人物の静態描写。語り手視点からの。
6文は、人物の行動描写。5文の「両眼の光が凝っている」理由を行動描写+「のだ(からだ相当)」で述べている。
7文は、風景描写。「ただよってきている。」に方向性がある。
8文は、人物の行動の記述。どんな人物なのかの情報提示。
9文は、人物の呼称の説明。どんな人物なのかの情報提示。
10文は、所と人物の行動の記述。どんな人物なのかの情報提示。
11文は、会話の記述。この場面にいない人物がかつて話した内容を会話描写の形式で記述している。回想的だが、回想場面を作るほどの描写性はない。
12文は、人物の行動の記述。
13文は、12文の「十五坪の道場」の間取り等の情報付加を行う説明。
14文は、食事の支度に関する説明。住の説明のあとの食の説明である。
15文は、人物の行動描写。「前」「来て」「行った」に方向性がある。
1〜7文 | 風景描写と人物描写によって、時・所・人物の外面を設定する。 |
8〜14文 | 行動記述・説明によって、主人公秋山大治郎がどんな人物であるのかを詳しく設定する。 |
15文 | 8〜14文の人物説明によって離れていた物語場面への復帰の機能を果たしている。 |
本文 | 描写 | 記述 | 説明 | 評価 | |
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1 | 障子ごしに日が斜めにさしこみ、部屋がぱっと明るくなった。 | 部屋 | |||
2 | 日の傾きかげんから察するに、そろそろ七つ(午後四時)になろうかという、客引きに表にでなければならない頃合だ。 | 視点人物の心理 | |||
3 | 喜兵衛は下駄をつっかけて表にでた。 | 主人公行動 | |||
4 | ここは、通称を旅人宿といっているおよそ百軒の旅籠屋が、ひしめきあうように軒を接している馬喰町界隈の表通りで、喜兵衛の宿恵比寿屋はちょうど真ん中あたりの馬喰町二丁目にあった。 | 馬喰町 恵比寿屋 | |||
5 | すでに、お国訛りまるだしの堂社物詣(見物)や、通りすがりの何人もの旅人が、この日の宿をもとめて行き来しており、旅人宿の主人や番頭、手代、下男下女が、声高に客の袖を引いていた。 | 人物行動 | |||
6 | 喜兵衛も恵比寿屋の使用人と一緒に客の袖を引いた。 | 主人公行動 | |||
7 | 十月も末だった。 | 季節 | |||
8 | なんでもこの日、山手では初霜が立ったとかで、日が陰ってくると、袷の襟を掻き合わせなければならないほど冷え込んできた。 | 皮膚感覚 | |||
9 | 背中も冷える。 | 皮膚感覚 |
1文は、風景(部屋)の描写。「日が斜めにさしこみ」で、午前の遅くか午後の夕暮れ前の時を設定している。また、短時間の一回的事態として描いている。「部屋に日が差し込んでいる」という継時的事態であっても描写性が高いが、短時間の一回的事態であると描写性がより高く、視点人物の存在を想定させる。視点人物は誰かという小サスペンス発生。
2文は、視点人物の心理描写か語り手の説明である。判断の主体が視点人物か語り手かによって、心理描写か説明になる。1文の描写性の高さによって、視点人物が想定されているので、この2文の判断の主が視点人物であると想定できる。視点人物は誰かという小サスペンス持続。
3文は、主人公の行動描写。1・2文で発生・持続した視点人物は誰かという小サスペンスが解消する。主人公を設定し、視点人物を設定したことになる。
4文は、所の説明。視点人物の設定が終わったところで、語り手が簡略に説明を行っている。所の説明ではあるが喜兵衛の生業が旅籠屋であることの説明にもなっている。
5文は、人物の行動描写。「すでに」は2文の「そろそろ」に対応していて、視点人物の心理を組み込んだ叙述である。「すでに」をおくことによって、喜兵衛の視点がとらえた人物の行動として描いている。4文で語り手に移動した視点を喜兵衛に戻す機能を持っている。
6文は、主人公の行動描写。読者の読解力に信頼を置かない作家であれば、「急いで」などを補って視点人物の心理を組み込み、視点人物の設定を確実にするところである。
7文は、時の記述。時は、何かの状態を描写することで間接的に示すか、この7文のように語り手が直接的に記述するかしかない。
8文は、喜兵衛の皮膚感覚の描写。
9文も、喜兵衛の皮膚感覚の描写。文末を「る形」にして、冷えの感覚を読者に共有させようという仕掛けである。
1〜9文は、場所の移動と言うことであれば、
1・2文の部屋の内とそれ以降の恵比寿屋店前に分けることができるが、1〜9文通じて主人公の視点で外界の状況が描かれている(4文の語り手による簡略な所の説明は、挿入されているのであって、分断しているのではない)と言える。
冒頭部分の目的によって大きく三つに分けられる。
「蝉しぐれ」と「花笠浪太郎」とは、同じタイプであるが、「語り手による記述・説明」の対象に違いがある。「花笠浪太郎」は主人公がどんな人物であるかを直接的に説明しているのに対し、「蝉しぐれ」は主人公の周辺を説明・記述していて、主人公を直接的に説明していない。
それは、冒頭部分に担わせた目的の違いであるだろう。「花笠浪太郎」は主人公設定を説明でさっさと終わらせて、事件に早く入るという目的を担わせているのに対し、「蝉しぐれ」は、視点人物設定をその周辺の記述・説明によって入念に行うという目的を担わせている。だから、「花笠浪太郎」においては主人公に視点設定されているのが今ひとつはっきりしないのに対して、「蝉しぐれ」においては、主人公に視点設定されているのがはっきりしているという違いに現れる。
「花笠浪太郎」と「恵比寿屋喜兵衛手控え」との関係は、「恵比寿屋喜兵衛手控え」の冒頭部分が、「花笠浪太郎」の語り手の説明による主人公設定部分を省略して、描写によって展開する事件から書き始めていると考えることができる。