文章表現におけるサスペンスについて(4)

―― サスペンスとしての呼称表現 ――


野浪正隆

のなみまさたか

0 はじめに

 「羅生門」において「下人」「男」の呼称が使い分けられているのは周知の事実である。また、次のような見解も一般的であろうと思われる。
 「下人」は、社会階層や職掌であるから、「下人」を呼称に用いると、彼の外形全体の映像を喚起することができる。下人らしい衣装・顔つき・髪型・体つき・持ち物など。「男」は、社会階層や職掌をあらわしてはいないから、「男」を呼称に用いると、喚起できる映像としては、せいぜい顔つきくらいである。顔つきも、形ではなくその精神性をあらわすものとなる。呼称「下人」と呼称「男」の差の一つは、映像性・精神性である。
片村恒雄「羅生門」の人物呼称 日本語学2-7 昭58.7
 本論では、「羅生門」における呼称「下人」・「男」の使い分けを表現論的に考察し、特に「サスペンスの仕掛けとしての呼称表現」にまで迫りたい。

1 「男」は「下人」の代名詞か?

 呼称「男」が、呼称「下人」の代名詞(同じ呼称を頻繁に繰り返すとうるさいので、適度に代名詞を使っておく)である可能性もあるので、検証しておく必要がある。
以下の表は「羅生門」における呼称「下人」・「男」の使われ方を示したものである。
左端の[01]-[54]が呼称の連番、左から2番目の数字がその呼称から次の呼称までの文字数、右端が呼称を含めて30文字切り取ったものである。(作り方は後述する)
[00] (15) ある日の暮れ方のことである。
[01]  32 一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。 広い門の下に
[02]  65 この男のほかにだれもいない。ただ、所々丹塗りのはげた、大きな
[03]  47 この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三
[04] 580 この男のほかにはだれもいない。 なぜかというと、この二、三年
[05]  85 下人は七段ある石段のいちばん上の段に、洗いざらした紺の襖のし
[06]  23 下人が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、
[07] 109 下人は雨がやんでも、格別どうしようという当てはない。普段なら
[08]  53 この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実
[09]  30 下人が雨やみを待っていた。」と言うよりも「雨に降りこめられた
[10]  53 下人が、行き所がなくて、途方に暮れていた。」と言うほうが、適
[11]  63 この平安朝の下人のSentimentalismeに影響した。
[12] 315 下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしをどうにかしようと
[13]  69 下人の考えは、何度も同じ道を低回したあげくに、やっとこの局所
[14] 107 下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれ
[15] 121 下人は、大きなくさめをして、それから、大儀そうに立ち上がった
[16] 168 下人は、首を縮めながら、山吹の汗衫に重ねた、紺の襖の肩を高く
[17] 104 下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気を付け
[18]  55 一人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子を
[19]  44 その男の右のほおをぬらしている。短いひげの中に、赤くうみを持
[20] 188 下人は、初めから、この上にいる者は、死人ばかりだとたかをくく
[21] 408 下人は、やもりのように足音を盗んで、やっと急なはしごを、いち
[22]  78 下人は、それらの死骸の腐乱した臭気に思わず、鼻をおおった。し
[23]  21 この男の嗅覚を奪ってしまったからである。 
[24] 148 下人の目は、そのとき、初めて、その死骸の中にうずくまっている
[25] 199 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は息をす
[26] 134 下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと
[27]  13 この下人に、さっき門の下で
[28]  44 この男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を
[29]  33 下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。それ
[30]  49 この男の悪を憎む心は、老婆の床にさした松の木切れのように、勢
[31]  72 下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなか
[32]  66 下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛
[33]  47 下人は、さっきまで、自分が、盗人になる気でいたことなぞは、と
[34]  87 下人は、両足に力を入れて、いきなり、はしごから上へ飛び上がっ
[35]  43 下人を見ると、まるで弩にでもはじかれたように、飛び上がった。
[36]  58 下人は、老婆が死骸につまずきながら、あわてふためいて逃げよう
[37]  15 下人を突きのけて行こうとする。
[38]  70 下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の
[39]  80 下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。
[40] 130 下人は、老婆を突き放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼
[41] 146 下人は初めて明白に、この老婆の生死が、全然、自分の意志に支配
[42] 175 下人は、老婆を、見下ろしながら、少し声を和らげてこう言った。
[43] 143 その下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、
[44]  48 下人の耳へ伝わってきた。「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな
[45] 571 下人は、老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。そうして失望す
[46] 109 下人は、太刀を鞘に収めて、その太刀の柄を左の手で押さえながら
[47]  31 下人の心には、ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の下で
[48]  75 この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の
[49]  40 下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかったばかりで
[50]  81 この男の心持ちから言えば、飢え死になどということは、ほとんど
[51] 120 下人はあざけるような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると
[52]  80 下人は、すばやく、老婆の着物をはぎ取った。それから、足にしが
[53] 215 下人は、はぎ取った桧皮色の着物をわきにかかえて、またたくまに
[54] (15)下人の行方は、だれも知らない。
このうち、「下人」→「男」のパターンは次の7つである。
  1. [01]-[02] 32
  2. [17]-[18] 104
  3. [22]-[23] 78
  4. [27]-[28] 13
  5. [29]-[30] 33
  6. [47]-[48] 31
  7. [49]-[50] 40

 1・2については、後述する。

 3は、以下の理由から代名詞的用法とは考えにくい。

  1. ターンが長い。(頻繁さは感じない程度の間隔がある)
  2. 「この男の嗅覚を奪ってしまった」という感覚の描写には、個体としての「この男」の方が、社会的存在としての「下人」より感覚受容者として適切である。

 4・5・6・7は、以下の理由から代名詞的用法と考えられる。

  1. ターンが短い。(同じ呼称が頻繁に出てくるのを避けた)
  2. 前件と後件の内容に質的差異が無い。

 ただし、4の「この下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死……」では、「この下人に、さっき門の下で( )考えていた、飢え死……」と、省略可能なので、呼称「この男」によってなにかの意味を付加しようとしたのではないかという可能性がある。しかし、門の下で考えていたときの呼称は「下人」だったので、「男」の脱社会性のような(例えば)意味を付加しようとしたとは考えにくい。

 5・6・7に共通するのは、指示語による強い連接性である。

  1. 選んだことであろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床にさ
  2. ある勇気が生まれてきた。それは、さっき門の下でこの男には欠けてい
  3. 迷わなかったばかりではない。そのときの、この男の心持ちから言えば

そして、4・5と6・7を対照すると

  1.  このとき、だれかがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、飢え死にをするか盗人になるかという問題を、改めて持ち出したら、
  2. 恐らく下人は、なんの未練もなく、飢え死にを選んだことであろう。
    それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床にさした松の木切れのように、勢いよく燃え上がり出していたのである。

  3.  しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれてきた。
    それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。
  4. そうして、またさっきこの門の上へ上がって、この老婆を捕らえたときの勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。
    下人は、飢え死にをするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。そのときの、この男の心持ちから言えば、飢え死になどということは、ほとんど、考えることさえできないほど、意識の外に追い出されていた。

 対表現である(下人の心理変化の方向は逆であるが)ことがわかる。そして、呼称の変化「下人」→「この男」→「下人」→「この男」も同じであるところを見ると、

 芥川が、読者に、4・5と6・7とが対表現であることを意識しやすくさせるために、「下人」→「この男」→「下人」→「この男」というように呼称を変化させた。
と推測することが可能である。

2 冒頭部の「この男」は、孤独な下人、きりぎりす。

  1.  ある日の暮れ方のことである。
  2. 一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
  3.  広い門の下には、この男のほかにだれもいない。
  4. ただ、所々丹塗りのはげた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。
  5. 羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三人はありそうなものである。
  6. それが、この男のほかにはだれもいない。

 2 で「下人」として登場させた人物を 3〜6 では、「この男」と呼ぶ(3連発で)。
 文章の冒頭部であり、まだ一度しか呼称「下人」は使っていないのだから、頻繁ということはないはずである。「下人」がどんな「下人」であるのかが叙述されるべき部分である。なぜ、「この男」(3連発)なのか。
 3〜6の「この男」を「下人」に置き換えると、どんな意味が欠けるのか。付け加わるのか。

  1.  ある日の暮れ方のことである。
  2. 一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
  3.  広い門の下には、下人のほかにだれもいない。
  4. ただ、所々丹塗りのはげた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。
  5. 羅生門が、朱雀大路にある以上は、下人のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二、三人はありそうなものである。
  6. それが、下人のほかにはだれもいない。

 「誰もいない」ことと関係していると見るのが、適当であろう。3・5・6 は、人間が「誰もいない」ことの記述である。4 は、「誰もいない」ことを強調するための風景描写である。(43文 丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。 ときりぎりすの描写が繰り返されるところから、きりぎりすを下人(男)の孤独な心理の象徴と見るのは読み過ぎであろうか)
 誰もいなくて、彼が社会から切り離された存在であることを示すためには、社会階層や職掌をあらわす「下人」という呼称より、単独の人間(性別はしめすが)であることをあらわしやすい「男」という呼称が適しているのであろう。そして、きりぎりすの風景描写と重ねることで、彼の孤独な心理をあらわすことができると考えたのであろう。
 「きりぎりす」本位に、3〜6 の叙述をとらえなおしてみると、「この男のほかに誰もいない」を「地」として、「きりぎりす」が「図」として浮かび上がってくる。「きりぎりす」を下人(男)の孤独な心理の象徴として読み手に意識させるための下地作りが、呼称「この男」(三連発)であるといえる。


3 「一人の男」は「にきび」の下人

 「男」が次にあらわれるのは、49〜52 の場面である。

  1.  それから、何分かののちである。
  2. 羅生門の楼の上へ出る、幅の広いはしごの中段に、一人の男が、猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子をうかがっていた。
  3. 楼の上から差す火の光が、かすかに、その男の右のほおをぬらしている。
  4. 短いひげの中に、赤くうみを持ったにきびのあるほおである。

 ここについて、片村恒雄(「羅生門」の人物呼称 日本語学2-7 1983年7月)に次のような指摘がある。

 右の二例は、場面転換の手法と密接な関係を持つ。ここでは、物語の展開に変化を与え、緊張感を持ち込むために、語り手は「下人」に注いでいた視線を一旦断ち切って場面の連続性を解消し、その上で新しい目で主人公の行為を語っていくという手法をとる。
 「場面転換の手法と密接な関係」の詳細が気になるので、この場面での「男」の表現効果を検討する。50の「一人の男が」を「男」・「下人」とした場合と、比べて見る。  「上の様子をうかがっていた」人物が、彼であることが最も容易にわかるのは 50c である。既知情報を示す「は」と、先行場面の呼称「下人」が引き続き用いられていることとで、この下人があの下人であることが、確かであるからである。
 ついで、容易なのが 50b である。既知情報を示す「は」の代わりに未知情報を示す「が」が用いられているが、先行場面の呼称「下人」が引き続き用いられていることで、この下人があの下人であることが、まず確かであるからである。
 50a の呼称「男」は、50b「下人が」に次いで、彼であることが容易にわかる。冒頭場面で彼にたいして「この男」が呼称に用いられていたし、登場人物はまだ一人しか現れていないから、特に断りが無いなら、「男」は彼のことであると推測できるからである。ただし、あの下人のことでないかもしれないという可能性はあるので(未知情報を示す「が」が用いられていることもあるので)、小さなサスペンデッド状態が発生する。
 50o の呼称「一人の男」は、大きなサスペンデッド状態を発生させる。「一人の」が特別な断りのように見えるからである(未知情報を示す「が」が用いられていることもあるので)。もし、「上の様子をうかがっていた」人物が「下人」であるならば、「一人の」とは断らないだろうとメタ読みレベルで推測し、ひょっとしたら、「下人」以外の人物が登場したのかもしれないと推測するのである、誰であるかはわからないけれども。このサスペンデッド状態は、52 の「にきび」の描写によって解消する。「下人」の特徴の一つである「にきび」によって、「一人の男=下人」であることが判明するからである。
 50o の「一人の男」を、サスペンデッド状態を解消する「にきび」本位にとらえなおしてみると、「一人の男」は、「にきび」にスポットライトをあて、着目させるために仕組まれているサスペンスであるといえる。

4 付録 代名詞的用法チェックの手順

 用意するもの 本文(MS-DOSの標準ファイルにしておく)
        エディタ(筆者はVzエディタを使用)
        jgawk
        daimeisi.awk
                --^  daimeisi.awk ------------------------ 
                {
                	l=jlength($0)
                	s=jsubstr($0,0,30)
                	printf "[%02d] %3d %-s¥n";,i++,l,s
                }
                --$  daimeisi.awk ------------------------ 
 
 手順 1 エディタに本文ファイルを読み込む。
    2 改行を削除する(Vzならf・7の置換をおして検索文字列に ¥n を
      入力し、置換文字列指定は改行のみ入力する(空文字))
    3 調べたい呼称を文頭にした1行を作る。
        検索文字列=調べたい呼称
        置換文字列=¥n調べたい呼称
        で置換する。(調べたい呼称分だけ繰り返す 下人・男)
      連体詞等が前行末尾にぶら下がっていないか、チェックする。
    4 題名や著者名の行は削除して、本文だけにする。
    5 jgawk -f daimeisi.awk 本文ファイル > kekka
            で、kekka にあのような表が作成されている。

5 参考文献

      片村恒雄 「羅生門」の人物呼称  日本語学2-7 昭58.7

6 参照文献

   拙稿 文章表現におけるサスペンス(1) −サスペンスとしての比喩−
         (大阪教育大学国語国文学研究室「学大国文」36号)平.5.2
      文章表現におけるサスペンス(2) −サスペンスとしての描写−
         (国語表現研究会「国語表現研究」6号)25頁〜32頁 平.5.3
      文章表現におけるサスペンス(3) −サスペンスとしての構成−
         (大阪教育大学国語国文学研究室「学大国文」37号)平.6.1

nonami@cc.osaka-kyoiku.ac.jpに、ご感想をお送り下さい。
野浪研究室 Top Pageにもどる