短編習作集『詩織』平成八年度号 「通じ合う方法」

 通じ合う方法

島田 時子 






 人に何かを伝えようとする時、僕は戸惑い、苦しみ、あるいは時として最終的に言葉をのみ込むこともある。いつだって、そうだ。僕の気持ちは、そのまま伝わらない。
 子供の頃は、そんなこと思ったこともなかった。自分の話す言葉はすべて、家族や学校の先生や友達に、何の問題もなく伝わった。
 伝わった?
 いや、そうではない。あの頃の、恐ろしく言葉を知らない僕が、もどかしさを感じることもなくいられた。今になって、あんな風にしていられたことを幸せだったと思う。父親も母親も先生達も、周りの大人達はみんな、僕の話すことを聴こうとし、分かろうとし、言葉以上の僕の気持ちを受け取ろうとしてくれたのだ。伝えようとする僕の言葉を、しっかりと受けとめてくれた。
 あの頃とくらべると、何十倍か何百倍かの数の言葉を持っているはずだ。英単語だって苦労しながらたくさん覚えた。数が増えた分だけ、言葉を豊富に使って、何でも伝わるようになるのではないのか。生まれてきてから二十八年分の、蓄積してきた言葉たちを駆使しても、僕のこの気持ちは伝わらないのか。

 もう、どれくらい昔になるのだろう。いつだったか、まだ大学生だった頃、僕は昼休みの後の国文学の授業をふわふわと聞いていた。先生は、もう何年も中原中也の詩を研究し続けており、中也のことになると、まるで恋人に愛を語るかのような眼差しになる。まったく、あんな年にもなって何かに夢中でい続けている先生を、少しうらやましく思いもした。中也がいかにすばらしいか、毎時間のように聞かされていたが、僕は彼を知れば知るほど、何となく好きになれなかった。その上、あの先生の話す声は、深くてやわらかく、あまりにも心地よいので、いつの間にか別世界へ行ってしまうことがよくあった。その日も又、そうだったのだが――。

「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられてゐればよい。

 とろけそうになっていた僕の頭に、突然飛び込んできたこの言葉。一瞬、何が起こったのか分からなかった。講義の資料として配られたプリントのたった二行の部分に、僕の目はくぎづけになった。たしか、「芸術論覚え書」という、中也自身の文章からの引用だったと思う。そして次の瞬間、さっきまでは安らかな眠りへ導いてくれる音でしかなかった先生の声が、一つ一つしっかりとした言葉となって、僕の中にぐんぐん流れ込んできた。
「中也の言う〈名辞〉ってのは、つまり言葉とか言語のことだねえ。それは、生活していくための便宜の手段であるわけなんだけれども、彼はいつもね、悩んでいたんですよ。そう、言葉があれば伝わるのか、あるいは言葉がなくても同じ感じを持つことができやしないか。まあ、何ていうんだろうね、言葉というものに対して限りない不信・不安を持ち続けていた詩人ですなあ」
そう言って、又熱っぽい目をして、窓の方へ寄っていく。

 同じだ。中也とまったく同じなのだ。言葉なんかで、一体どれだけのことが伝わるというのだろう。もし、自分の心の中が直接、そのまま伝わらないのなら、初めから言葉なんかに託すのは、やめたほうがましではないのか。
 その頃の僕は、言葉に対して、人とのコミニュケーションに対して、漠然としたもどかしさを感じていた。相手に伝えたいことがある時、そのためにはまず、自分の中の気持ちの塊をなんとかして言葉にする。そうして生み出した言葉を相手に送り、相手はそれを受け取る。相手は相手なりに、受け取った言葉を味わうのだから、最終的には初めの伝えたかった気持ちは、曲げられたものにしかならない。つまり言葉なんか、気持ちを曲げてしまう障害にしかならない。心から心に直接届く言葉が欲しい。そう思っていた。
 いつからか意識し始めた、そんなもどかしさは、その日出会つた中原中也の言葉と重なり、さらにはっきりと、僕の中で大きな問題になっていったような気がする。
 中也との共感という、それまでにない経験をした午後だった。睡魔に襲われていたことなど、すっかり忘れてしまっている僕の隣で、彼女は一瞬目を開き、不思議そうに僕の顔を見て、再び「別世界」へと落ちていったようだった。彼女の寝顔を眺めているのは、僕の楽しみの一つだった。起きているときには決して見せない、無防備な顔に、どれだけ胸を高嶋らせただろう。とくとく鳴る僕の心臓の音が、彼女を起こしはしないかと心配しながら。

 彼女は頭のきれる人間で、とても現実的だったが、巧みに言葉をあやつり、いつもあふれ出すように僕に言葉をくれた。僕が彼女の言葉を聞いている時間の方が、はるかに長かったと思うが、彼女は別にそれを不満に思っているようでもなかった。かといって、決しておしゃべりなわけでもない。重く、堅く閉ざした僕の心を少しすつ少しすつ溶かしてくれる、そんな彼女が好きだった。
 僕たちは、あまり電話をしなかった。ほとんど毎日会っていたからだ。
 つきあい始めてまだ間もない頃は、それでも次の日までがとても長く感じられて、先に我慢し切れなくなった方が、
「今、何してるの?」
と言って、これといった用事のない電話をした。
 しかし、そのうちに彼女の方から電話がかかってくることが、めっきり減ってきた。それに気がついたとき、気にならなかったわけではないが、特にそれについて聞きもしなかった。二人の関係が揺らいでいるような様子もなかったからだ。そうして、それにつられてというわけかどうかは分からないが、僕の方からも少しすつ電話をしなくなった。二人はそれからも、前と何も変わることなく、毎日当たり前のように会っていた。

 今さらのように、僕は思う。大切な人の変化は、どんな小さなことでも、見逃してはいけない。そう、見逃すべきではなかったのだ。

 やがて僕たちは、大学を卒業し、彼女はある保険会社の事務の仕事につき、僕は出版社に入った。出版社といっても、十数人でやっている小さなところだ。まだ卒業したばかりだった僕の初めての仕事をとても認めてくれて、この業界でやっていくための自信を与えてもらった。
 仕事に追われる日々を送っていたが、それでも、週末は絶対に予定を入れないというのが暗然の了解になっていて、僕たち二人の関係は、大きな問題もなく、続いていた。土曜日の夜には、きまって僕の部屋で、彼女の手料理を食べながらビールを飲む。好きな音楽を聴きながらの、最高の時間だ。たいていはハードロック、そしてたまに、彼女が持ってくるブルース。音楽を流したままテレビもつけると、彼女はいつも、
「どっちかにしたら?」
と、なかばあきらめたような顔をして僕を見る。
 僕たちは、大学生の頃からずっと一緒にいたので、さすがに安定した関係ではあったが、マンネリだと思ったことは一度もない。

 仕事を持つようになって、一つだけ、変わったことがある。大学生の頃は、いつでも僕の左には彼女がいて、彼女の右には僕がいて、お互いの気持ちを確かめることは簡単だった。しかし、社会人になった僕たちに、余分な時間はない。そう感じ始めてから、自分の気持ちをきちんと伝えようとするようになったのだ。彼女は、ぽっちりと開いた大きな二つの目で、まつすぐに僕を捕らえ、
「好きよ」
と言ってくれる。とてもシンプルな言葉だが、彼女の口からそれを聞くとき、僕はとても幸せな気分になる。

 一度、珍しく二人とも残業もなく、早く帰れるというので、地下鉄の駅で持ち合わせて映画を観に行ったことがある。
「お昼ご飯、食べそびれちゃった」
僕の顔を見るといきなりそう言った彼女は、吸い寄せられるように近くのうどん屋へ、僕の手をぐんぐん引いて行った。
「おなかがへってたんじゃあ、映画どころじゃないわよね」
とかなんとか言って、天井とうどんのセットをぺろりと食べた。彼女の食べっぶりは、本当に気持ちがいい。僕は、釜上げうどんを食べながらそれを見ていた。その店は、うどん自体がとてもおいしいので、そこへ行くと必ず、釜上げを注文することにしている。
「おいしかった。やっと落ちきいたわ」
僕たちは、七時二十分からの上映に間に合うように、店を出た。映画の内容は期待はずれで、五つほど離れた席に座っていた男女が、キスをしているのが目に入った。平日の夜の映画館なんて、初めてだった。
 あくびをしながら、僕たちは夜の空気に満ちた通りへ出た。手をつないで歩きながら、しばらくさっきの映画に文句を言いながら笑っていたが、言葉が途切れ、ふと間があいた。
「ねえ」
予想外の彼女の言葉に、どう反応していいか分からなかった。
「私のこと、好き?」
「当たり前だよ。どうしたの?」
まったく、どうしたというのだろう。ただ事ではないようだ。
「どうして、言葉にしないの?」
「言わなくても、分かってるじゃないか」
答えながら僕の胸は、ドキドキしてきた。彼女はいつも、僕のことを好きだと言ってくれたが、彼女だって僕の言葉を聞きたかったのだ。そんな当たり前のことに、今まで気がつかないで、ずっと彼女に淋しい思いをさせてきたのか。
「言わなくても伝わるから言葉にしないっていうのは、怠惰だと思うの。伝えたいなら、自分で言葉にしなきゃ、伝わらないこともあるわ――」
そう言って、彼女はうつむいた。彼女の目に涙がいっぱいたまっているのは分かっていたが、言葉をかける資格など僕にはないような気がして、何も言えなかった。

 もちろん、彼女に伝えたいという気持ちは、いつもあった。しかし僕は、できない。というより、言葉が見つからないのだ。「好きだ」とか「愛してる」とかいう言葉とは、何かが違う。僕の気持ちは伝わらないのだ。そんな言葉ではなく、直接この気持ちを伝えたいのだ。大学時代、中也と共感した〈言葉に対する不信不安〉が、また僕の中で、もくもくと広がってくる。しかし、もうそんなことを言っている場合ではない。彼女に伝えなくては。
 次に彼女に会った日、僕は思い切って口を開いた。
「君のこと、好きだよ。きっと、これからも」
まるで台本を読んでいるようで、言葉と気持ちがつながっていないことに、気付いていた。
「そう? ありがとう」
彼女は少し驚いた目をしたが、口元だけで笑って、そう言った。やっぱり違う。彼女に伝えたい僕の気持ちは、もっと大きな、言葉にならない大きなものだ。

 その後、よく思い出せないような些細な事で、僕たちはさよならを告げた。大学を卒業して、四年目の秋だった。
 何という、あっさりとした最後だったことだろうか。二人に涙はなかった。たぶん、お互いに相手を好きになり過ぎて、少し休みたくなっていたのではないかと、今、僕は思う。不思議なものだ。

 彼女のいない生活に戻ってから、一カ月ほどたっていたと思う。急に冷え込んできた夜、仕事から戻った僕は、新聞を受け取るぐらいしか用をなさないポストの中に、白い封筒を見つけた。――彼女だ。
 足早に部屋に入り、そしてゆっくりとていねいに、手紙を広げる。

『涼しくて、いい季節だと思っていたら、少し肌寒い日が続くようになりましたね。元気にしていますか。
私の方は、相変わらずです。
毎年冬になると、一緒に食べた鍋を、なつかしく思い出します。今年もそろそろ、そんな季節ですね。もう、あなたと食べることもないのは淋しいけど、何か楽になっている自分に、驚いています。
鍋の上に立ちのぼる湯気のむこうのあなたに向かって、うれしかった事、がんばっている事、悩んでいる事、たくさんたくさん話しました。あなたは、どんなことでも大切に聴いてくれて、私はすごく幸せでした。でも、心のどこか端っこだけは、淋しかったような気がします。
大学時代、電話をしなくなっていったのは、そんな自分の気持ちに気付いたからです。私はいつも、自分を全部あなたに知ってほしくて、持っている言葉を総動員させて、伝えようとしました。言葉を選ぶのは難しくて、分からなくなったりもしたけど、それでもなんとかして、あなたに伝えたいと思っていました。言葉しか伝える手段のない電話でも、あなたはいつも聞き役で、私はやっぱり淋しかったです。
あなたはよく、「いい言葉が見つからない」と言って黙ってしまうことがあったのを覚えていますか。その時には言えなかったけど、「いい言葉なんて、探さないで」と思っていました。映画のせりふみたいな言葉が欲しいのではないのです。完璧な言葉が欲しいのではないのです。
いつか好きな人ができたら、今度は絶対に、あなたが自分だけの力で生み出す言葉をあげて下さい。あなただけの言葉を、あげて下さい。気持ちは、伝えようとすれば必ず伝わる。私は、そう思います』

 手紙が届いた日の夜、僕はそれを、何度も何度も読み返した。読み返すたびに彼女の言葉が、まるで生きているみたいにあたたかく、ずっしりと重みをもって、僕の中に伝わってくるような気がしたからだ。白い、彼女らしい便箋が、僕の手の中でぶよぶよになった。
 これが、彼女との本当の最後だったのかもしれない。皮肉なことに、これを読んだとき初めて、僕と彼女の何かが通じ合ったような気がした。
 彼女はその後、某新聞社の試験を受けたらしい。見事に合格し、今はあちらこちらと飛び回っているそうだ。大学時代の友人が、いろいろと気を回しては、彼女の近況を報告してくれる。しかし僕はあれ以来、手紙を読み返すこともなければ、二人で撮つた写真を手にすることもない。
 僕は最近、例の出版社を辞めた。同僚たちにはとてもよくしてもらったが、自分の言葉で表現し続けたいという希望を捨てられず、結局、フリーライターとして仕事をしていくことにした。ありがたいことに、毎日原稿の締め切りに追われている。そして毎晩、明日の仕事のことと、ほんの少しだけ彼女のことを考えながら、眠りに就くのだ。






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