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ヘンリー・キャベンディッシュ

Henry Cavendish(ヘンリー・キャベンディッシュ)1731年10月10日〜1810年2月24日Henry Cavendish(ヘンリー・キャベンディッシュ)1731年10月10日〜1810年2月24日

キャベンディッシュ

イギリスの物理学者、科学者。重力定数を初めて決定し、それによって地球の質量と密度の最初の値を得た。また彼は、水素の発見者とみなされている。彼は、全生涯を知識の獲得に捧げたが、完全に満足のいく結果のみを発表した。そのために、彼の研究のほとんど特に電気についての実験は100年あるいはそれ以上もの間知られずにいた。 キャベンディッシュが研究していたものは死後70年ほどして発見された本人直筆のノートに記されており、そのノートを見たマックスウェルは驚愕したという。キャベンディッシュによってノートが作成された時点では まだ未発見であったはずの法則が、そこに記述されていたからである。

キャベンディッシュの生涯

キャベンディッシュは、1731年10月10日フランスのニースに生まれた。彼は貴族の家系で父方の祖父はデヴォンシャ―公爵であり、母方の祖父はケント公爵であった。ロンドンのハックニーにあるニューコメンの学園に通い、それから1749年にケンブリッジのピーターハウス・カレッジに行った。
1753年、学位を取らずにカレッジを去ったが、これは当時珍しいことではなかった。彼はその後の生涯をロンドンですごした。彼は実験好きの父のもとに住み着いて手伝いを始める。これが科学への目覚めとなった。彼の父は、彼の化学的興味を励まし、彼を王立協会に紹介した。彼は1760年に同会会員になった。科学共同体への活発な参加にもかかわらず、ほとんどの社会的接触を避けた。彼は人間嫌いだったために研究室に籠っていることが多かったようだ。遺贈されたおよそ100万ポンド(日本円でおよそ1億3000万円)の財産を使おうともしなかった。

キャベンディッシュは1776年に、物質をしての水素の存在を証明した最初の論文を発表した。彼はこの業績に対し、王立協会からコプリ・メダルを受けた。彼のその後の論文はほんのわずかで、間欠的に書かれた。その中には、1771年の非常に優れた電気の理論的研究、1784年の水の合成、そして1798年の重力定数の決定がある。 彼は1810年2月24日、ロンドンで孤独のうちに死去した。 彼はのちに世間に知れ渡る多くの大発見(クーロンの法則、オームの法則、ゲイ=リュサックの法則、比熱、潜熱の発見、砒素の発見等)を行っていながら全然発表しなかったという実に変わった人物だった。


※デヴォンシャ―公爵…イングランドの公爵位。代々キャベンディッシュ家が受け継いでいる。

※ケント公爵…イギリスの王族。