堂山(ドーサン)
 
セイショコサン(清正公様)
 
故郷の熊本県の山村、砥用町(ともちまち)には堂山(どうさん)という、いわば村の集会場が小字ごとにある。村人が年に数回ここに集まって筵をひいて座り、飲食をともにする。おつな(大人)が場をしつらえる。にぎり飯や煮しめ、しらえ(白和え)といった簡単な料理をおなごし(女衆)が一年持ち回りの担当(ウケ)の家で総出でつくり、堂山に持ってくる。酒も用意されてにぎやかな宴が催される。立派な幟も立てられる。ここにはセイショコサンと親しく呼ばれる加藤清正公の木像が安置され、大切にまつられている。「セイショコ」が「清正公」の音読みで、音訛したものであることを知ったのは最近である。セイショコサンの横には石の祠があって、学問の神様、テンジンサン(菅原道真公)がおいでになる。脇に梅の古木の大木があった。榊や神酒を供えるのは、一年交代の担当者である。榊はカミサンバナと言う。子どもの頃にカミサンバナが植えられている所に母に連れていかれて、その場所を教えられた思い出がある。「花」というからきれいな花でもあるかと思っていたら、「木」だったので不思議だなと子ども心に感じた。こうして村の習俗を伝えていこうとしたのだろうか。研究者としての視線で見ているが、村の一人の伝承者として暮らしていった方がよかったのか、今ではわからなくなった。あれこれと理屈をこねる生活である。しかし、伝えられてきた伝統の身振りの内実を受け継ぎ、実践し、次世代へ申し送ることをしてはいない。
 
テンジンサン(天神様)
 
この場所には二つの防空壕が掘られている。東京にあった連隊の兵隊さんがやって来て掘ったと祖母は話していた。終戦間際でもあり、なんだか痩せた兵隊さんたちで、食べ物を持っていって食べさせたという。祖母の息子のうち年長の二人は出征していた。その内の一人は鹿児島の海軍の航空隊の基地で米軍の襲撃によって戦死した。この防空壕は、火山灰が堆積した土質なので崩れやすい。防空壕の中は薄暗く蝙蝠のすみかとなっている。また、近くにはジノカミサン(地の神さん)という大杉が祀られている。昼間には、横に張った枝に馬乗りになって遊んだが、夜になってこの大杉の下を通るとき、なんだか怖くて、走って過ぎた。小さな村であったが、子どもの目からは異空間がそこかしこにあった。
 
肥後の国 雁俣山
肥後の国 国見岳