流体力学のページ


流体力学とは?

気体や液体は,わずかな力で変形運動を起こし,いわゆる流れを生じるという意味で総称して「流体」と呼ばれる。
外力や境界の存在下での流体の静止および運動を論じる学問を流体力学という 。
さらに,この流体力学は「流体静力学」「流体動力学」とに分けられる。
流体静力学とは?
容器内や外力,表面張力などの下での流体の静止やつりあいを論じる学問のこと
流体動力学とは?
運動する物体や流れの中にある物体の場合を含めて運動の状態や,物体に働く力などを論じる学問のこと
これで解るように,表面張力は流体力学の中の流体静力学に属するのです。そこで,こような分野の歴史をたどりながら活躍した,かしこーい人たちを紹介しましょう!


科学としての流体力学は,流体静力学の アルキメデスの原理 (前250)以後,レオナルド・ダ・ビンチ,ガリレオ,E.トリチェリ,を経てニュートンがこれらの人々による実験的な事実から,運動物体に働く抵抗を 「慣性抵抗」と「粘性抵抗」 に大別するなどの貢献をした。
 しかし,連続体の力学として問題をとらえ,圧力という流体特有の概念に立って,理想化ではあるが粘性のない流体,すなわち完全流体の運動の基礎方程式を導き出したのが,L.オイラーであり,これを継承したのが,J.L.ラグランジュであった。
 これに先立ち,圧力,運動エネルギーおよび位置エネルギーの総和が流線に沿って一定であるというベルヌーイの定理の原形を確立し,また今日の流体力学の名づけ親となったのはD.ベルヌーイであった。
 

 流体の種類としておもに空気を対象とするものをとくに 空気力学 ,水を対象とするものを
水力学と呼ぶ。流体力学は古くから力学の1部門として発展してきたが,それが工学のいろいろな分野に密接な関係を持つことが明らかになってから,それぞれの分野で急激な進歩を示した。
 例としては 気象学における大気の運動,船舶工学における船の走行抵抗や安定の問題,化学工学における反応気体や液体の運動,土木工学における川や水路の流れなど数多くのものをあげることができる。
そして,最も多くの努力が集中された航空工学がある。20世紀に入ってからの流体力学の発達は,その大部分が航空工学との関連においてなされたといっても過言ではない。
 第二次世界大戦の前後から今日にかけて,航空機の音に近い流れ,超音速,さらに極超音速の流れの研究を促進した。
 また現在では,乱流や微粒子の混合体のように統計的処理を必要とする統計流体力学,分子運動論の助けを借りる必要のある希薄気体力学,さらに電離気体や,反応性気体のように電磁現象,化学現象など力学の範囲を離れた取り扱いが必要なものもあり,あらゆる方面で関係しつつある。


今考えると,何でもないことでもこうした昔からの積み重ねがあって現在までに発展しのです。きっと,これからも発展は続でしょう。しかし,その行く先はあなたたちの手に懸っているのです。


人物紹介

レオナルド・ダ・ビンチ Leonardo da Vinci (1452〜1519)
物理学について,まず,彼は永久運動を否定していた。力学では,力のモーメントの概念を把握していた。また,鳥の飛翔を調べて飛行機を作ろうとした。水の力学の研究は,運河の土木工事という実用的な目的と同時に,地質学の研究とあいまって,河川や山の営みという自然の地球物理学的な理解に迫ろうとするものであった。
 彼の言葉に次のようなものがある。

 「自然の不可思議の通訳者は経験である。経験は決してあざむかない。ただ, 我々の解釈のみが往々にして,自らをあざむくのである。我々は種々の場合や様々な状況の下で経験と相談しつつ,そこから初めて一般的規則を引出すことができる。自然は原因をもって始まり,実験をもって終るが,我々はその反対の道をとらねばならない。すなはち,我々は実験をもって始まり,実験をもって原因を探求しなければならない。」

 また,彼は絵も描いた。それは,彼の世界が絵によってしか表現することができないものだったからである。そこから,彼は「万能の人」と言われた。なぜなら,絵を描くことはあらゆる知識と技術を必要とする活動だった。
トリチェリ Torricelli Evangelista (1608〜1647)
イタリヤの物理学者,数学者。気圧計の発明で最も良く知られている。
 ガリレオが9m以上に水を引き上げられないのかという問題に,答えたのがトリチェリである。彼は,大気には重さがあり水柱の高さは大気圧によって制限されることに気づいた。彼は,一方を閉じた長いガラス管を水銀で満たし,それを逆さにして水銀のはいった鉢に浸した。大気圧は約76cmの水銀柱を支え, 水銀の上の空間は真空であった。つまり,1気圧が76mmHgであることを発見した人である。(現在では,mmHgではなくhPaが用いられている。)
 さらに,水銀柱の高さが日によってわずかに変化していることから,大気圧の変化を発見し
た。
ニュートン Newton Sir Isaac (1643〜1727)
イギリスの物理学者,数学者。物理学においては,おもに光学と力学分野に力を注いでいた。
 力学に関しては,全ての物体に働く「万有引力」の発見はあまりにも有名。またその万有引力の法則と彼が見出した力学(ニュートン力学)によって,惑星の運動に関するケプラーの法則をみごとに説明することに成功し近代科学の基礎を確立した。彼は,

地球上の重力と天体の運動を決定する万有引力が同じであることを,高山の頂上から石を水平に投げる場合を想定し,初速度をしだに大きくしてゆけば石は地球の周りを回る人工衛星になるはずだ
ということから,確信するようになった。
 中間に介在物のない遠隔作用として万有引力は,神秘的なもののように思われたが,その原因を詮索するよりも定量的な結果を導き出して示すことにより,力学は科学としての成功を得たのである。
 光学に関しては,二次曲面における反射と屈折を扱い,光学ガラスの研磨, 三角プリズムを使った実験などを手がけた。また,光の干渉に関する実験も収めている。レンズと平面ガラスの接点を中心とした同心円状の干渉縞が見られる「ニュートン・リング」は有名である。この他にも,様々な貢献をした人物である 。
オイラー Euler Lenhard (1707〜1783)
 スイスの数学者,物理学者。天文表を計算する問題を3日間で仕上げることを約束して実行し,その過労によって片目を失明した。
 物理学においては,ニュートンの運動方程式の解析的定式化と最小作用の原理,流体の運動方程式,剛体の運動方程式,弦の振動,音響の研究,光の波動説の展開などに業績をあげた。天文学では,地球の摂動と潮汐の関連,および月の運動で重要な三体問題で貢献した。
ラグランジュ Lagrange Joseph Louis (1736〜1813)
等周問題の一般化取り扱いの論文をオイラーに送り,その方法を評価され,またダランベールの推薦によってオイラーの後任としてベルリン科学アカデミー招かれ数学部長の地位も用意されたが,20歳の彼は,しりごみして辞退してしまった!?。
 しかし,1766年から1787年までの約20年間はほとんどベルリンに滞在して ,ダランベールの原理を仮想変位または仮想仕事の原理に結合させ,それを変分原理の下で一般的に展開するという,後年「解析力学」としてまとめあげる力学の壮大な一般化と取り組んだ。翌年,長年練り上げてきた「解析力学」が出版され,力の概念に重きを置かず,用いる座標の種類にも依存しない新しい力学の形成が提出された。
ベルヌーイ Bernoulli Daniel (1700〜1782)
オランダの物理学者,数学者。彼は有名な数学者一門の出身であり,父はヨハン・ベルヌーイ,伯父はヤコブ・ベルヌーイであった。自分以外の身内も賢かったが,物理学に足跡をとどめたのはダニエル・ベルヌーイただ一人だった。
 物理学において,彼は流体の平衡,速度および圧力に関する理論的かつ実際的な研究成果である「流体力学」を著わして,多大な貢献をした。さらに,気体運動論を予見し,微分方程式と確立論をも研究した。
 彼の科学史における主たる重要性は,流体の流れを支配する「ベルヌーイの定理」を提示したことである。それは,動く翼がなぜ上昇し,飛行するのかを説明する空気力学をはじめとして,多くの分野に応用されている。

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参考文献

  • 物理学事典編集委員会 編:物理学辞典培風館
  • 下中邦彦 編:大百科事典,平凡社
  • 皆川義男 訳:科学技術 人名事典,共立出版
  • D・アボット 編,渡辺正雄 監訳:世界科学者事典 4物理学者,原書房
  • 伊東俊太郎 坂本賢三 山田慶児 村上陽一郎 編:科学技術史事典,弘文堂