訳 者 序 文

ウェーヴレットは 1980 年代後半に急速に発展し,いまやフーリエ解析とならんで 信号処理や応用数学において必要不可欠のテーマとなった.応用範囲は極めて広く,また問題によっては顕著な効果をもたらすが,フーリエ解析とは少し異なる数学的内容を含んでいる.信号を解像度の異なる部分に分離する多重解像度解析と,ウェーヴレットの局所性と正則性に基づく分解能が代表的な特徴である.

1990 年代になってウェーヴレットの教科書や入門書が相次いで現れ,和書は少ないものの,現在ではゆうに 100 冊を越える数の洋書が発行されている.しかし,そのほとんどは信号処理の観点から書かれており,多重解像度解析に関するアルゴリズムに関連した話題が中心となっている.一方,それぞれの解像度における信号の分解能は,ウェーヴレットが信号の空間の正規直交系をなすことと結びついている.直交関数系は応用数学でよく知られた概念であるが,ウェーヴレットは局所性をもちかつ適当な正則性をもった正規直交系として,極めてユニークなニューフェイスである.信号の分解能について理解するには,ウェーヴレットのこの性質,すなわち直交関数系としての側面を知らなければならない.

本書は,ウェーヴレットを主に直交関数系という側面から捉えた,ユニークな本である.何と言っても本書の一番の魅力は,直交関数系という数学的な内容を応用に関連させて提示していることである.デルタ関数はインパルス関数としてエンジニアが日常的に使うものであるが,これを Fourier 変換の枠組みで捉えようとすると超関数の概念が必要となる.しかし,超関数は数学的すぎて,エンジニアにとっては近寄りがたい.そこで,本書では,超関数に関する知識は最小限に抑えて,効率よくまとめてある.実は,ウェーヴレットもそれに関連して出てくるスケーリング関数も,一般には超関数になるので,超関数を使うと全体の議論がたいへん見通しよくなるのである.そして,Fourier 変換の理論もそれに合わせて重要なポイントがまとめられている.

直交関数系はよく知られた概念であるといっても,応用を志す読者にとって適切な参考書はほとんどない.本書では,ウェーヴレットの応用における役割を理解するに必要最小限な 直交関数系の予備知識が2つの章にまとめられている.これも本書の特徴である.

後半では,標本化定理や統計学,確率過程への応用が述べられているが,これらは原著者自身の成果を含む部分でもあり,前半の数学的な基盤が応用においてどのような結果をもたらすかを示す例でもある.多くの類書が扱っている信号処理の応用とは重複しない,本書の特徴的なテーマの選択である.

このように,本書は数学的な基礎知識を,必要な事項は省略することなく効率よく提示しながら,一方では広範な応用を扱っていて,しかも全体としてコンパクトにまとめられている.そのため,数学的な厳密性がやや犠牲になっている部分も見受けられる.数学の教科書という視点で読むよりは,直交関数系としてのウェーヴレットを概観するものとして読み,厳密性を要する部分はそれぞれの専門書を参照するのがよい.厳密性を追求すれば分厚い本になってしまい,全体像がぼやけて本書の魅力が失われてしまうであろう.しかし,必要に応じて訳者注を添え,本文の説明を補うようにした.原著者と連絡をとり,ミスプリントもできるだけ訂正した.また,国内の読者の便宜のために,日本語の文献リストも付け加えた.

本書が我が国におけるウェーヴレット研究および応用の一助となれば,翻訳者として幸いである.なお,今後発見される本書のミスプリントの訂正などは,下記の URL でメンテナンスし,公開されているので参照されたい.

http://www.osakac.ac.jp/labs/mandai/walter/

http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~ashino/walter/

榊原 進

萬代武史

芦野隆一

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