messages to the future

レバノンスギ  Cedrus libani

平成26年2月10日   

加藤憲一先生の思い出   

国立大学法人 大阪教育大学   
事 務 局 特 別 参 与      
入 試 課 入試アドバイザー   

加 賀 友 子   

【1】 キャンパスの今と昔
 私は大阪府の3つの高校で教諭として理科を教え、大阪府教育センター科学教育部指導主事、教頭3校、校長3校を経て、大阪教育大学の入試アドバイザーとして高校-大学連携の仕事をさせていただいております。大学理科教育に携わりたいという願いがまだ果たせずにおり、やがては叶えたいと考えております。
 さて、柏原キャンパスに移転した頃、柏原キャンパスにおられる加藤先生を何度か訪問しました。当時はむき出しの造成地の中に校舎が建っている殺風景な状況でした。加藤先生は植木屋の親方と一緒に、まだうす暗い早朝にトラックで出発し、移植したい樹種を探しに方々の植木業者を回られました。良い樹木が見つかれば、根回しをしておいてもらい、適切な時期に移植してもらうという根気のいる仕事を、精力的に続けておられました。加藤先生の卓越した学識により、植物学の教材としての樹木選定と、キャンパス内の様々な環境に適した樹木選定という高度な判断が総合的になされ、キャンパスの植生が決定されていきました。さらに、学生や他の先生方と球根や苗を植えたり、水をやったりと、造成されたばかりの裸地に緑を根付かせるために、大変なご苦労を続けておられました。
 加藤先生がご定年で大学を去られた後も、多くの教職員や学生の粘り強いご努力が続き、現在の柏原キャンパスは、春は桜が咲き競い、夏は緑の樹木が風にそよぎ、秋は紅葉がキャンパスを包み、冬は時々に白い雪や霜が美しく緑を覆うという、四季折々の大変美しい姿を見せる堂々とした風景に成長しています。レストランやショップもしゃれていて、食事も美味しくて、各種のサービス内容も充実しています。
 統合移転前の天王寺分校は、床が抜けそうな廊下、ギーギーと音の鳴る階段、お化けが出そうなボロボロの校舎の中で、夜遅くまで実験する日々でした。そのことを思うと、つくづく今の学生たちは幸福だなぁと感じます。

【2】 加藤研究室での実験研究に魅せられて
 加藤憲一先生の研究室で「カミクラゲの初期発生」の卒業研究をさせていただいた私は、生物研究の魅力に惹きつけられ、続けて研究室に残り、研究を続けさせていただき、「鉢クラゲの横分帯形成」に関して研究し、加藤先生と連名の論文を専門的な研究雑誌に掲載していただくことができました。後に、大阪府立大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学講座で荒井基夫教授と川口剛司助教授(当時)のご指導の下、“Cloning and Sequencing of β‐Mannosidase Gene from Aspergillus aculeatus No.F‐50”と題した研究等に携わらせていただき、博士課程を終え、学術博士の学位をいただくことができたのは、若い頃の加藤研での研究の実績があってのことでした。本当に、学問の苦労に無駄なことは少しも無いと、大阪教育大学と大阪府立大大学院の恩師の先生方の教育愛の深さに、心から感謝しております。

【3】 柏原キャンパス統合移転と附属図書館
 さて、加藤先生は統合移転準備の頃には既に大学中枢におられたので、朝から夜遅くまで、4~5種類の会議をこなすなど、大変なご苦労をされていました。勿論、全教職員が一致団結してこの大事業を成し遂げることに協力したお陰で、素晴らしい柏原キャンパスが誕生したのですが、中枢部におられた方々のご苦労はいかばかりであったかと、当時の血の滲むようなご苦労に思いを致しております。
 今から20年前、統合移転が完了し、大阪教育大学創基120周年・創立45周年・移転完成の式典祝賀会が盛大に挙行されました。苦労してこの日を迎えられた皆さんの感動は計り知れないものだったかと拝察致します。
 柏原キャンパスの附属図書館は、有名な建築家鬼頭梓氏の設計によるもので、地上3階地下2階、蔵書数約87万冊超、パソコン110台以上、DVD1800枚以上、特別資料室やまなびのひろば等も完備されており、居心地の良い、勉強しやすい雰囲気の図書館です。加藤先生は、この附属図書館の第2代館長に就任され、研究・教育活動は勿論、キャンパス緑化や図書館充実等にも情熱を注がれました。

【4】 石黒マリーローズ先生とレバノンスギ
 加藤先生が学園だより115号に、図書館長としてお書きになった記事がありますので、ご紹介します。それは、当時の本学英語科講師石黒マリーローズ先生(以下マリー先生)と、レバノンスギに関する紹介文です。
 レバノン国の国旗には、象徴として中央にレバノンスギが描かれていて、この国旗の中の樹のデザインを見たことのある方は多いと思いますが、実際にレバノンスギを見たことのある方は少ないかもしれません。
 加藤先生は、柏原キャンパスの教材用植物を増やすため、さまざまな努力をなさっていましたので、マリー先生がレバノン出身であることを知って、マリー先生に是非レバノンスギをキャンパス内に植えたいという夢を熱く語られました。加藤先生の夢を知ったマリー先生は、わざわざレバノン大使に会いに行ってその願いを伝えてくださり、やがてレバノンスギの幼苗が、大使館から加藤先生のお手元に届けられました。加藤先生は早速、図書館長として長い時間を過ごしておられた附属図書館の近くに、いただいた苗を植え、大切にしておられました。加藤先生は大喜びで、このいきさつを私たちに語ってくださいましたので、レバノンスギが加藤先生の手により、キャンパスのどこかに植えられたのだということは良く覚えておりました。今年度、加藤先生から話を伺って18年後、附属図書館と教員養成課程のC-5棟の間に8M前後のしっかりした樹に成長しているのを見たとき、思わずその葉や幹に触り、「加藤先生、レバノンスギはキャンパスの皆さんのお蔭でこんなに大きく育っておりますよ。」と、心の中で加藤先生にご報告しておりました。


   レバノンスギの前で 2002.7.19 (Photo by Kato)

 レバノンスギはスギと名前がついていますが、実はスギ科スギ属に属すスギとは遠縁で、マツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹で、学名はCedrus libaniといいます。材は硬く、腐りにくく、良い香りがするので、船や建築の建材として大変好まれました。紀元前には、フェニキア人が、この材を用いて船舶を建造したり、木材や樹脂を交易に用いたりして繁栄しました。その頃にはレバノン山脈全域に自生していたレバノンスギは、成長が遅いこともあり、乱獲がたたって、今では1200本程度しか残っていない状況で、特に樹齢1200年以上の樹木はその中でも400本程度に減ってしまって、大切に保護しなければ、絶滅さえ危惧される貴重な樹木となってしまいました。幸い、レバノン中央部のレバノン山脈にあるカディーシャ渓谷と、そこに群生しているレバノンスギは、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、名称を「カディーシャ渓谷と神のスギの森」と呼ばれて大切に保護されています。時間はかかるでしょうが、レバノンでも幼苗からも新しい森を育てる努力が続けられるよう願って止みません。

【5】石黒マリーローズ先生のご著書
 マリー先生は、レバノンの首都ベイルートでお生まれになり、聖ヨセフ大学哲学科をご卒業後、パリ・カトリック大学でも学ばれ、昭和47年に石黒道兼氏と結婚、昭和48年に来日され、大学で講師をする中、レバノンと日本の文化の懸け橋になるべく著書の出版を重ねて来られました。講談社現代新書の「キリスト教文化の常識」の中では、「日本人が中東・レバノン・ベイルートに対して持っている間違ったイメージ」を払拭しようと、故郷ベイルートのことを詳しく書いておられます。
 「ここ(中東地域)は世界でも有数の文化発祥地の一つであり、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教もここから生まれました。また、常に東西文明が行きかう交差点でもあったのです。
 私が生まれたレバノンは、けっして砂漠の国ではありません。地中海に面した温暖な気候で、果物がたわわに実り、高く美しい山があり、フランスの文化とアラブの文化が共存し、融合している国なのです。」
 学校ではフランス語とアラビア語を基本に学び、第二外国語として英語を学ぶという環境で過ごし、両親が敬虔なカトリック信者であったマリー先生は、「人と人とが理解し合うのに、宗教や宗派の違いはさして大きな問題ではなく、言語の違いも大きいことではないということです。互いの違いを認めた上で、人間的な思いやりや誠実さ、率直さが一番だと思います。」と述べておられます。
 異文化の混じり合う豊かな風土の中で育まれた豊かな力を活かし、「人間としての生き方と交流の仕方」を日本の若者に伝えようと、教育活動の中で、執筆活動の中で努力を続けられたマリー先生。
 きっと加藤先生は、マリー先生のような素晴らしい先生方を見出し、多くの先生方と語り合いながら、それぞれの教育活動へのエールを送り続けておられたのだろうと感じます。

【6】 創基140周年・創立65周年・移転20周年、教養学科創設20周年
 本年度(平成25年度)は、大阪教育大学は創基140周年・創立65周年・移転20周年、教養学科創設20周年の大切な節目を迎えます。
 大阪教育大学同窓会高校部会では、この節目を記念し、式典・記念講演会・祝賀会を先日開催しました。記念講演会の講師は40年間この大学のためにご尽力された長尾彰夫学長先生でした。
 長尾学長先生は、学長6年・副学長6年というような運営中枢の活動の中で、HATOプロジェクト・KAMEプロジェクト、大学院大学構想などを力強く推進して来られました。講演会では、大学への熱い思いを込めて様々なご苦労談を語ってくださいました。
 自然豊かで、大きく美しい柏原キャンパスの発展と、二部のある都市型の天王寺キャンパスの発展。両者のさらなる発展が、今後の大阪教育大学の発展の要となります。
 輩出した5万人を超える卒業生が、全国各地で素晴らしい教育活動を展開する中で、高い信頼を得てきましたし、教育界以外の様々な分野で活躍する卒業生についても、同じように各界で高い評価を得てきました。
 「教育は人なり」と良く言われますが、「滑り来し時間の軸の をちこちに美ゆくも成りて 燦々と暗をてらせる その塔のすがたかしこし」と、宮澤賢次が述べたように、「加藤先生」を始めとする多くの素晴らしい「師」が「塔」として道を照らし、我々を導き続けてくださっているように思えてなりません。
 これからは、国際情勢や自然環境も益々厳しい時代となるかもしれませんが、一人ひとりが精進し続け、教育や研究を力強く推進できるよう願います。
 加藤先生始め多くの恩師に感謝しつつ、後に続く多くの若者を支援しながら、我母大学のさらなる発展を祈念し続けております。
 最後になりましたが、今回、Webサイトの立ち上げにあたり、加藤研究室関係者に粘り強くお声かけくださった中嶋淑美様に心からの感謝を捧げ、筆を置かせていただきたいと存じます。



2013.11.13

2014.3.3

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