messages to the future

水母とともに

平成26年3月12日   

 散文


 私が大学にいた時代(1990年代前半)の加藤研究室、そして加藤先生について、少し思い出しながら書いてみたいと思います。

 私が加藤研究室を選んだ理由は、
1年生のときの新入生1泊旅行の時、たまたま隣にすわった先生がおじいちゃん先生で(そのときは認識していなかったのですが、今は 加藤先生だったと信じています)、少し酔っぱらいながら、「大学というところはですねーーー。人生における師を見つけにくるところなんですねーーー。」と言われたのがとても印象に残っていました。高校のときから発生学を勉強したいと漠然と思っていて、その後の講義での話や、植樹で加藤先生と雑談をしている中で、1年生のときに聞いた言葉がフィードバックし、この先生だったんだーと思い、発生学という自分の興味とも合致し、分属を決めました。
 今何かの縁で、とある大学で生物学を教える立場になった私は、入学式後の挨拶で必ず「大学というところは人生の師を見つけにくるところです。」という言葉を贈っています。思想、学問が継承されていきますようにとの願いを込めて。

 柏原キャンパスに移った3年生ころ、加藤先生の授業は「花を植えにいきましょう」とほとんど課外授業となりました。
 「聖人は森に住む」といって、緑化が進んでいない柏原キャンパスに花や木を植え始めました。いつの間にか、その姿に魅かれて植木屋さんや、自然研究の学生が、ボランティアで植えたり、水やりをしたり、緑化バザーを企画したり、していました。先生はいいもわるいも人を引き込んでしまうんですよね。

 研究の手技的なものはあまり教えてはもらえませんでしたが、心構えみたいなものは、たくさん教えてもらいました。特に「とにかく観察しなさい。そしたら動物の方から不思議な現象を見せてくれる。生物の言葉が聞こえてくるまで見なさい。」この言葉は研究する上でいつも胸にきざんでいます。


2001.11.15. 岡山大学でクラゲの講演後、岡山大学理学部の阿形清和研究室の人たちと

 大学院を卒業し、理化学研究所で研究員をしていた私は、ミズクラゲを使った仕事を始めさせてもらうことになりました。ミズクラゲのライブラリー作りで苦戦し、約半年かかりましたが、やっと完成。その後プラナリアの仕事で短期ですが留学に行くことになりました。先生に留学先で習得する技術のことや、ミズクラゲのライブラリー作りの苦労話、今後ミズクラゲでやりたいと思っている研究のことを報告すると、

 「I am so glad and so happy to know that you can get a big opportunity in advancing your research further. より大きなそして長く続くだろう”はじまり”として生かして頂きたい」

と、お手紙をくださいました。その手紙はずーーーーっと私と一緒に常に引っ越しを繰り返し、
ラボの机の中に入っています。           (2014.3.12 小林千余子 記)




(2000年頃 加藤先生から卒業生へのたよりより  Ph. K.-I. Kato)

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