memory

加藤先生とクラゲと仲間たち: 1991年〜1995年頃

1991年

中村治名誉教授

1991.9.14 岡田要生誕100年記念会

(photo by Kato)

「 ....柏原の統合地には予定の6割近くの建物が、完成時のシルエットを想像するに充分の存在感を出しています。
 明年春には教養学科全学年と、教員養成の音楽・美術・体育全学年及び教員養成第1学年が柏原キャンパスで学ぶことになります。天王寺での歴史はこうして次々と閉じられていきます。
そんなわけで、天王寺に研究室がある間に卒業生の集いをできたらと希望しています。....」
(集いの案内の中の「加藤先生からのコメント」より引用) 

1991.12.24 クリスマスイブの天王寺校舎生物第1研究室お別れ会(研究室と官舎にて)

1992年

1992.2.26
1992.2.22
天王寺から柏原へ
研究室の引越
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田原胖教授ご退官

1992.2.23 天王寺校舎で修論発表会

駅からの歩道開通式

1992.3.19

水野寿彦名誉教授叙勲お祝い

1992.3.25

1992.3.23

1992.5.13 開校記念式

1992.11月 神霜祭 緑化バザー

1992.11.17 仮農地の土作り

1992.12.26

 「切り崩しの斜面に、クローバーの種をまきました。ちょっと小高い所から楽しそうに種をまいておられました。工事のために裸にされた広大なキャンパスの敷地に木々を植えるのはいろんな面で大変な苦労があったようです。限られた予算、人手――移転の前から、ツツジなどの分校にある木の挿し木を準備されては運ばれていました。ご自分でももちろんですが、「学長は車で視察に行くから」ってそれに合わせて。
 崖のようになって人が入りにくいところは、水仙の球根を植えて水仙の野にし、放っておいても時期が来たら毎年花を咲かせ増えていくよ、と。 まだ木が植えられない植栽升には、パンジーなど小花をたくさん植えました。ちょっとしたガーデニング、引っ越しをした1年目は、先生も学生たちも研究室にいるより土いじりしてた時間のほうが長かったかもしれません(笑)。加藤先生とと~っても意気投合していた植木屋さんの米井さん、お元気でしょうか。.....

.....あっという間に20年たちました。校舎の周りにある木々や通勤の途中に咲いているノウゼンカズラの花をみると、一緒に木を植えた日々を昨日のように思い出します。教室では何だか今も先生に見守られ、語り掛けて下さっているような気がしています。.....」
(長谷川恭子「アレチニハナヲサカセマショ(花咲きの翁の参上)」, 2014.3.5.記 より引用)
 


2002.7.19 ノウゼンカズラのパーゴラ  Photo by Kato


OKUL Vol.33「岩礫の地に緑と大学の再生をスタートして10年」(2004/02)の掲載写真

1993年

1993.2.26 植物生態学岡崎研と

その後自然研究講座3期生らと

   建設中のパーゴラの前で

1993.9.5

1993.12.11 大阪市立大学植物園にて

 ピラカンサス Photo by Kato

1994年

「...教育大も柏原へ第一次移転して3年、この夏には事務局棟に事務局関係部局の移転が完了し、研究棟での間借りも終ります。秋(11月30日予定)には、教員伝習所発足以来120周年になるので、移転完了と合わせて記念式をする予定です。
 ところで、ほとんどの卒業生が新キャンパスを訪ねられたことがないので、一度おいでになりませんか。....」(卒業生への便りfrom 加藤 with Takeuchi より引用)

1994.8.6 柏原校舎にて卒業生と   夕方から寺田町駅近くのお店へ


1994.9.20 池田分校から仮移植されたサルスベリ2本
(樹齢数十年で、後に事務局棟前の左右に本移植された)

1994.10.29 農場から移植された7本のココヤシ(移植費用は緑化バザーの収益金があてられた)

「...キャンパスの緑は随分と充実してきました。きれいに紅葉したイロハモミジもすっかり落葉し、初冬の木枯らしを受けていますが、細い枝のところどころに春のための小さな芽がけなげに、とりあえずはささやかな存在を主張しています。
 私も定年まで、あと1年と少々、完成した柏原キャンパスを訪ねて母校として心に残して下さい。....」(加藤先生から卒業生への便り(1994年12月30日)より引用)

1995年
 ー1月17日早朝に阪神・淡路大震災があり、加藤先生より卒業生にも安否確認の電話がありました。ー

1995.10.15 才ヶ原池でマミズクラゲ採集(後ろ姿は加藤先生)

「....また卒業後も、マミズクラゲの採集にもお供させていただきました。マミズクラゲは不思議なことに(加藤先生のお話では、クラゲでは性が片寄ることは特に珍しくないとおっしゃっていたように思いますが)箕面の才ヶ原池ではメス*の個体しか見つかりません。鳥取砂丘の近くにある多鯰ヶ池では逆にオス*ばかり見つかります。同期の薮本さんと共に車で鳥取まで採集にご一緒し、加藤先生の実家にもおじゃまさせていただき、先生のお兄さまやご家族と、食事までご一緒させていただきました。お兄さまも大変お話好きで鳥取の町のことなど色々教えていただきました。箕面産と鳥取産のマミズクラゲを使っての有性生殖の試みは、2年目で受精卵からプラヌラを得ることができたように記憶しています。ただこの時は受精卵からプラヌラへの変化は気づかず(寝ている間?)見逃してしまいました。気が付けばプラヌラに変わっていたように思います。現在その時の記録を探していますがまだ見つけられていません。ご存じの方教えてください。記憶違いならごめんなさい。
 一研では、多くの先生方、先輩方が訪ねてくださいました。色々アドバイスやお話を聞かせていただく機会がありました。加藤先生には卒業後も近況など事あるごとにご連絡いただき、大切にしていただきありがとうございました。いろいろな機会を与えていただいた加藤先生をはじめ一研の皆さまに今でも感謝しております。ありがとうございました。」 (田部雅昭, 2014.3.2.記) (* 修正しました, 2018.4.) 

1995.10.21 仮農地(1992年4月より使われた高鷲農場の短期的代替の教材園)のプレハブ小屋の片付け

1996年

1996.2.20 教材園の移転

土手焼き

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